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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- バルトークへの、弦楽四重奏団の面々への、そして管理人様への感謝と共に。
待望の第5番のアップに気が付き、例の如くコーヒーを淹れて鑑賞させていただきました。うーん最高…なんですが、管理人様曰く、この第5番が6曲中のベストでは?という点を確認したく、第4番の終楽章をもう一度聴き直しながらこのコメントを書いいます。
それで、うーん、うーん、自分的には第4番の第5楽章がなんとも… これって中二病のプログレの聴き過ぎ???の結果なのか???と自省中です(違
#こんなことを書くのは、中国人の妻(クラシック音楽への造詣は正直言ってゼロ)から、自家用車の車内クラシックアワーの禁止令をくらってしまい(理由:自分も娘も嫌いだと言っているのに何で流すのか?)、まあなんとなく納得しているからなのですが。でそのきっかけになったのは、なんとドヴォルザークの新世界の第4楽章で、わたしたち(つまり中国の人々)がこれを聴いて、日本軍の侵攻のテーマ(ショスタコーヴィチのレニングラードの第1楽章のテーマの中国風マーチ)を思い出しちゃうのがまだ分からないの!とのたまわれてしまうと、まあ半ば中国人のわたしは結構すんなりとクラシックアワーを中止してしまうのです。
#でこのバルトークを聴いているところを見つかりでもしたら、本当にアウトですかねー ああ、第4番の第4楽章も捨てがたい(まて
わたしは正直、最近のニュースにあった家電クラシック?じゃないですが、皆さんが耳慣れたモーツァルトを聴く時間があったらバッハの鍵盤曲を聴いていたい向きの人間なのです。だからもしバッハがバルトークの時代に生き返ったなら、いい友だちになれるんじゃないか、みたいにも思ったりします。
とはいえ、じゃあお二人とも現代に生き返ってきたら、その音楽は明らかに家電クラシックに使われるような音楽ではないわけで、お二人とも肩身が狭いだろうなーと同情してしまう一方、自分のような音楽好みの人間も肩身が狭いわけで、正直どん詰まり感が非常に強いのです…
#とはいえ妻が好きな(そしてわたしも大好きな)音楽もあり(それについては場違いなので多くを語りませんが)、そういう意味ではクラシック音楽が自分的にどん詰まり(車内クラシックアワー禁止令)でもまあいいかなー、でしょうか。いずれにしても、今後は日本語を学ぶ中国人学生の日本語レッスンのバックグラウンドミュージックも、もう少し考えなくてはなりません…
第6番のアップも首を長くしてお待ちしつつ、再度管理人様への感謝とエールを添えて。
- 2024-03-15:大串富史
- 今回は音楽そのものというより、管理人様の曲目解説への感謝を込めて。
#クラシック音楽聴き巡りでシューベルトまでたどり着き、菩提樹を聴いてから、管理人様の言われるところの冬の旅を締めくくる「狂人の歌」を聴く気力を振り絞れないままロッシーニに来て、この曲の嵐に差し掛かってああこれー、と思いつつコメントを書かせていただいています。
ええっと、それであのその、タコの違ったショスタコーヴィチの第15番の話なんですが… わたし的には、あれは現代人のアイロニーに聴こえてならないのです…
#いやーこのスイス兵の行進にしても、ロッシーニさんあなたは何て能天気違う違う楽しい人なんですか!なテーマをあのタコが最後の最後に持ち出して、え?ロッシーニのウィリアム・テルですよ、あなただって聴いたことあるでしょう?私はね、子どもの時このテーマが大好きでね、なんたって勇ましいじゃないですか、それでまあそのあの、引用したいかなーって思ってね、と申し述べられても、とても素直には受け止められないです… そうですよねー、クラシック音楽って、思想哲学って、人間って、やっぱりこうなんですよねー、って、まあ同感はできるんですが。
ロッシーニにしても、もし生き返ってきて現代人の知る現代史を知り、現代の現状をテレビで目の当たりにし、その上でタコがこのテーマをあんな仕方で引用しているのを聴いたなら、まあ納得してくれるのではないかなと(あるいはそれこそロッシーニでさえ、狂人の歌の方に振れてしまうかもですが)。
管理人様のご足労の結晶がこのサイトなのだと、改めて敬服しています。感謝とエールをお送りしつつ。
- 2024-03-11:大津山 茂
- フランチェスカッティ大好きです。特にミトロプーロスと共演したメンデルスゾーン、チャイコフスキー!もちろんラロも、サンサーンスも。クリュイタンスとのは未聴なのでアップが楽しみにです。
- 2024-03-07:大串富史
- バルトークと四重奏団の面々への、そして管理人様への感謝と共に。
第4番のアップに気が付いたので、例の如く小4になる娘の飲み残しの牛乳をレンジで加熱してからブラックコーヒースティックを混ぜ入れ(コーヒー牛乳?の世代?でしょうか)、クッキーが切れているので中国のおせんべい(日本のハッピーターンと雪サラダ煎餅に激似です…)も用意して第4楽章に差し掛かり、ああこれー、と思い出しました。で第5楽章を聴いて完全に思い出し、充実感に満ちて今日一日を始めさせていただきます。重ね重ね、感謝ですー
#そうなると中二病のあの頃に、既に1番から4番まではちゃんと聴いていたわけで、わけがわからないなりに相応に引き付けられていたということのようにも思い、改めて中二病の怖さを思い知りました(まて
今聴き巡りでようやくベルリオーズを超えたところなのですが、謝肉祭は定期演奏会で吹いているのにラストのみ覚えている一方、バルトークは恐らく1回しか聴いていないにもかかわらずここまで覚えているのですから、これはやっぱり好みなんでしょうか。
ただ、ひと口に好みと言っても、何というかあのその、普遍的なものは一体何なのかとやっぱり考えてしまいます。中国のおせんべいが日本のそれに激似なのも、売れるからそうなるわけで、じゃあそれがナンバーワンだから食べているかというと全然違う、家にあるから食べているだけなわけで、今ぽりぽり食べている甘栗(日本で言うところの天津甘栗)のほうが恐らくですがもっと普遍的なように思うのです。大衆的なものと普遍的なものの違いはこの辺なのかもしれませんが。
#でもバルトークの弦楽四重奏曲が普遍的なのかと問われると、いやー現代人好みとしか言えないようにも思います… それはちょうど、えっ?ダリ好きなんですか?わたしもなんですーみたいな話になって、ちょっと気恥しいかなー、みたいな。わたしから言わせれば、現代人はある意味では正気に返ったものの、そのまま振り切れちゃったまあ仕方ないかも、だったりします… それでもっと普遍的な音楽、ポストクラシック音楽待望論についてなんですが(続
第5番と第6番のさらなるアップを首を長くしてお待ちしつつ、再度管理人様への感謝を込めて。
- 2024-03-03:白玉斎老人
- 「フルトヴェングラーを引き継いでいるのは、カラヤンだけ」。フルトヴェングラーの主著「音と言葉」(新潮文庫)で、翻訳した芳賀檀(まゆみ)氏がそんな趣旨の解説を寄せていて、奇妙に感じた思い出があります。
読んだのは、カラヤンが死去して数年後。ベルリンフィルの元楽団員による二人の対比列伝が好楽家の中でのロングセラーになっていて、カラヤンのCDは無内容で録音美人と断じる人々が珍しくなかった頃でした。
カラヤンの音楽が正当に評価されるようになった一因は、ライブ録音がYouTubeなどでアップされる月日を迎えているからだ、と私は考えています。
舞台人であるカラヤンにとって、聴衆の有無は、フルトヴェングラーでのそれと負けず劣らず、演奏の密度に直結するものではなかったか。不在だったり、70年代に本人が制作した映像のようにサクラであったりした場合には、どこか熱がこもらなかったのではないか。81年のベルリンフィル百周年記念演奏会、あるいは同年の東京文化会館での公演でのエロイカでの、フルトヴェングラーから営々と引き継いできたかのような、剛毅な音響がスピーカーから溢れるたび、そんな感慨を覚えます。
芳賀氏の冒頭の言葉は、氏が戦前にドイツに留学しており、カラヤンをかなり若い頃からライブで聴き、辿り着いた評価だろう、と想像します。今回のこの録音とは直接には関係ないのですが、投稿者さまや他の聞き手へ興を添えたく、書き留めました。
- 2024-02-28:大串富史
- 大好きなバルトークと四重奏団の面々に、また管理人様への感謝を込めて。
第3番のアップに気が付き、これはぜひとも聴かねばとコーヒーとクッキーとを用意し(最近は「眠気覚まし」にコーヒーが欠かせません…)、第2楽章に来て、ああこれがあの若かりし頃にのけぞったフレーズだったと思い出しました(そしてそのことを部活の後輩に、わけのわからんクラシック音楽もあると説いたように思います)。
それで正直に申し上げますが、今聴いて、最高ですね… 個人的にはオケ協やヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第3番が最高なのですが、これもなかなかよさげですー
#いや、今は中国人学生の日本語レッスンの合間のバックグラウンドミュージック云々とは別の話をさせていただいています(それは車中クラシック・アワーでオケ協は嫌がられようが流すものの、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲第3番を絶対流すまいと自制しているのと同じ理屈です)。とうとうおかしくなっちゃったと思われても困るので(まてまて
クラシック音楽聴き巡りでメンデルスゾーンにまで来て、こういうのを天賦の才能というんだろうなと思いつつも、早く聴き終わりたいというのが本音だったりしますごめんなさい… これは自論なのですが、現代人にはバルトーク・コーヒーがよく似合うとの実感を、こちらに足繁く通いつつ日々新たにしています…
#管理人様がブログの方で「つれづれなるまゝに音楽を聞きて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば」というスタンスをご紹介しておられましたが、我々ギャラリーはまさにそんなスタンスですよね。感謝に堪えません(違
今日もコーヒーとクッキーとバルトークを、美味しくいただきました。本サイトのマスターであられる管理人様への感謝をエールと共に。
#もっとも、自分的にはやっぱり限度というものはあろうかと思っています。コーヒーでは足りないからマカを、というのは目的からそれてしまうようにも思うし、今日も小4になる娘に、お人形遊びはいいんだけど、わざわざ服を脱がす必要はないし(着せ替えを楽しみたいものの着せ替え人形ではない)悪気がなくても紐で縛ったりしたらそれこそ見る人から見ればあちらの世界の人になってしまうときつく叱ったばかりです… ロックにしてもボヘミアン・ラプソディあたりなら分かる人には分かってもらえるでしょうが、分からない人にとってはあちらの世界の人の烙印を押されてしまうので聴かないのと同じと言えば同じなんですが。えっ?バルトークを愛聴していても烙印を押されてしまいますって?まあその烙印であれば、甘んじてお受けいたしましょう(まてまて
- 2024-02-24:万物流転
- 遥か昔の1981年か82年、学生時代を過ごした街での公開収録でこのピアニストの演奏を聴きました。チェル・ベッケリンという表記になっていたと思いますが(プログラムを探しあぐねて記憶で書いていますので間違っているかも知れません)、同一人物だと思います。
モーツァルトの23番の協奏曲を弾かれたのですが、恰幅の良い、黒縁眼鏡のおじさん(失礼ー黒縁眼鏡はプログラムの写真だけだったかも知れません)が、小粒の珠を掌中慈しむように、大事に大事に弾いていて、いっそ微笑ましく思いました。
第2楽章の途中で、客席の酔漢(と、翌日の新聞に書かれていました)が騒ぎ出して演奏は一旦中断しましたが、事が治まった後、第2楽章の冒頭からやり直した演奏はやはり掌中の小珠でした。
以後40年余り、このピアニストの演奏を聴くことも、名前を聞くことすらありませんでした。
アップして戴いたグリーグの協奏曲は、その時聴いたモーツァルトとはやや趣きの違う演奏のようですが、ここで思いがけず出会えて嬉しく思いました。ありがとうございました。
- 2024-02-24:クライバーファン
- 「普通」ではないセルの演奏以外には考えられない」というようなことは、たいていの場合、あり得ないと思いますね。
- 2024-02-23:大原
- この音源が紹介されるなんて(^0^)
このレコード、今でも我が家の棚に鎮座しています。
もう50数年前の高校生時代、この曲はラジオで聴いてからけっこう気に入ってて、そのうち行きつけの個人経営のレコード店でリパッティの試聴盤をタダでもらってずっと愛聴。数年して当時1000円盤のこのレコードに出合いました。
当然ながら、洗練されたリパッティ盤に比べればずいぶん印象は違うけれど、なんたって「地元」。
まだ見ぬこの曲が生まれたあの国の空気感はこんなもんかとすっかり愛聴盤になりました。
久々に聞き直したけれど・・・いいですよね。
この歳になると、なんとも初々しいあのころの自分の感性を思い出します。小難しい理屈は別にして、これぞまぎれもない「”音”の”楽”しみ」。
- 2024-02-23:大津山 茂
- うれしいアップです。同じレコードもっています。「河出書房 世界音楽全集」の一枚です。二枚組で「プレートル指揮シベリウス五番」が同封されてました。久しぶりに聞きなおしました。ちなみにグリークピアノ協奏曲のマイ愛聴盤は、「フライシャー/セル」w@r>
- 2024-02-22:大串富史
- シューマンと指揮者とオケの面々に、また管理人様への感謝と共に。
このラインの第4楽章だけ、間奏曲違う違う中国人学生の日本語多人数レッスンの5分間休憩の時に流してみよう、と思いました。おや?これは一体?フーガ?誰の?みたいな感想があれば大成功、ブーイングが出なければまあ、小成功(まて
#ざっくり200年?なクラシック音楽聞き巡りで時代を下って、ついにシューマンにまでたどり着いたかと思うと非常に感慨深く、管理人様への感謝もまた一段と深まります… って、管理人様も解説で仰っておられますが、シューマンってまるで、マーラーのおじいさん?みたいな印象を強くしました(違
今はピアノ協奏曲を聴きながらコメントさせていただいているのですが、何というかあのその、例の?タララララッタッターララをまた聴いて、いやーおじいちゃん、時代が違うんですって今はなどと若造な!説教をしてしまいたくなってしまうのです… そこへいくと、この第4楽章は相応によさげかなあと。
#えっと他は… それなりクラシック音楽ファンな小生も、正直混乱してしまうのでパス(まてまて
ところで最近のApple Music Classicalのリリースは、管理人様の長年のご苦労ご足労と共に、本サイトの本質的価値をさらなる高みへと高めるものになったと断言していいかと思います。少なくともわたしなどは、コンサートに出かけたり映像付きでクラシック音楽を「鑑賞」する時間などはもはやなく、それ以前にクラシック音楽は「レコード芸術」で全く無問題ですし、まして生計のためのバックグラウンドミュージックというプラス効果付きです。管理人様に、この機会に再び深い感謝を申し述べさせていただきたく。
#それにしてもシューマンでさえ梅毒で身を滅ぼしたとは、初めて知りました… 実はついにディーリアスのチェロ協奏曲の全曲mp3をYoutubeから抜き出してから、ウィキペディアで管理人様が仰っておられたかのチェリストの夫について知り、そのあと関連人物?検索で既にうわさに聞いていたアルゲリッチの奔放ぶり(ごめんなさい!でもおばあちゃん、あなたそれ、誇っていません?)について読むにつけ、この仰々しい音楽芸術がこういった面々を通して今日まで脈々と歌い継がれて?いるかと思うと、普通人として妻子と共に普通の生活を日々送らせていただいてる歓びをかみしめずにはいられません。この場に集うクラシック音楽ファンの皆様もまた、そうであることを願いつつ。
- 2024-02-21:べんじー
- ジュリー二が伴奏したシューマンの協奏曲のカップリングで、このグリーグの演奏を聞きました。ジュリーニ唯一のRCA録音となったシューマンの方が、細やかさでは一日の長がありますが、このグリーグで伴奏を担当したウォーレンスタインの棒も、元気いっぱい溌剌とした雰囲気で、好ましく思っています(^^)
- 2024-02-21:Masataka Tomari
- 良い演奏ですね。
特に、第一楽章のテンポが爽やかです。壮年期のベートーヴェンがグイグイと独創的な音楽を発表してゆく勢いを感じます。
第三楽章以降がひとつの世界をつくるのは、第五もそうですし、この2曲がペアになっているもうなずけます。
また、初演の際、こちらを先に演奏したのも、曲想から良い選択だったように思います。
ミトロプーロスという人に大変興味を持ちました。この演奏のご紹介、ありがとうございました。
- 2024-02-20:joshua
- CBSソニーの廉価版で買ったのがこの演奏でした。LP盤の音は良くはなく、演奏の特徴は何とか捉えられる程度でした。長い間聴かずにいましたが、ユングさんのアップを聴いてみたら、トゥッティのリミッターが外れ、ノイズも少なく、聴きやすい録音になり、いっぺんに好きになりました。いかに復刻するかは、やはり大事だと思いました。(安物のレコードプレーヤーも鑑賞に影響しましたねえ。)デジタルで得られるものは、「ワルターNYのブラ1」にはあったということです。今は亡き宇野功芳氏は、ワルターと文通した数少ない日本人でして、その著、ウィーン時代に始まる全ディスコグラフィーをコメントした本がありました。Amazonを見てびっくり、「名指揮者ワルターの名盤駄盤」はkindle版まで出ています。その著では聴いたLPの音がよろしくなかったのでしょう。「ある部分では奏者(ホルンを指して)が勝手に喚いている」なんてくだりがあります。このサイトに聴く限り、威圧感こそあれ、NYフィルはヴィルトゥオーゾ・オケです。こんな演奏が身近に聴けたニューヨーカーたちは幸せですよ。
- 2024-02-12:R100RT乗り
- さすがBlue Sky Label! よくこんな演奏を探し出してきたなと感心します。演奏時間長いのですが、まったくもたついているように感じません。音質は残念ですが、演奏は名演です。
- 2024-02-10:大串富史
- ディーリアスと、指揮者とオケの皆様に、そして何より管理人様に感謝を込めて。
#自分的にはチェロ協奏曲が捨てがたいのですが、くっつけると上手くくっつかない場所が3ヶ所ぐらいありまして… 一方でこちはくっつける必要がなく、本当に感謝です(まて
思うに中国人の学生に日本語レッスンの合間のバックグラウンドミュージックは、ディーリアスで決まり、のようにも思います。何も反応がないように見えて、その実まあ離席せずに聴いてるのかなー、みたいな。
#というのも小学校4年生になる娘(ハーフであるもののほぼ中国人)に言わせると、バルトークのオケ協もやっぱり怖い音楽で、いやこれが第二次大戦のころの音楽なんだよと説明すると、中国人の妻もすかさず、でしょう!怖い音楽!というところに落ち着いてしまうのです… 妻に言わせると、スペイン奇想曲でさえ騒がしいとのことなので(先日帰りの雪道でナビを起動しながら車中クラシック・アワーをしていた時の感想です)、全く何の背景もない中国の人たちにとって、クラシック音楽の敷居は思いのほか高いと思い知りました…
管理人様には毎回、感謝の言葉しかありません。ご自愛しつつ、このよいお仕事をお続けくださいますよう。
- 2024-02-04:小林 正樹
- 即興をしようがしまいが、グルダの表現は大好きです!
いわゆるグルダファンですねん、こんなんを生で聴きたかった。彼のべーゼンの響きが大好きです。これぞとは言わないまでもウィーンのピアノの響きが充満しておりますですなぁ。アップおおきにです!
- 2024-02-03:rebase
- この録音もパブリックドメインなのか。という、感慨深い思いです。
デュプレのエルガーを目的に購入しましたが、当時高校生の自分はカップリングのこちらの曲に一目(耳?)惚れしてしまい、何度も何度も覚えるほど聴き込んでいました。
最初から最後まで歌い通すチェロ、特に、Con moto tranquillo の独奏チェロの旋律が好きで何度も口ずさんでいたのを思い出します。
今も大好きな曲と演奏です。
- 2024-01-26:小林 正樹
- イッセルシュテットの名は僕が中学生の時、学校の図書館(独立していた!)で開いたレコードコンサートです。レコード屋さんで聴かせてもらった新譜、第9でした。そのあまりにも素晴らしい「録音」と音の良さに仰天して、親に無理を言って買ってもらった。解釈云々はよくわからなかったけどオーケストラが無茶苦茶にすごかった。当時確か生では京都のオケと外山雄三氏の演奏で聴いていたけどこのレコードのウィーンフィルなるオケの凄さに圧倒された。それまでは早い楽章、迫力の楽章ばかり追いかけていたけどこの盤で初めて第3楽章の「得も言えぬ」気持ちの良さ(美しさは解ってなかった、多分)に感激した(感動までいかない)。その指揮がこの舌を噛みそうな名前のマエストロだったわけ。この人が読響に呼ばれて来日して「11PM」というエロ系の深夜放送(!)にチョイ出演してるのを見たときは、妙にうれしかったなぁ(おっさんも仲間やんけ!)。あとはブラームス第4が、なんというかまだ見ぬ北欧、北ドイツの自然の茫漠とした雰囲気を感じさせてくれて未だに愛している盤です。北独放送オケというと、僕の大大好きなベルリンフィル(戦時中の)のコンマスだった「エーリヒ・レーン」が一時ここでもコンマスをしてたらしい。息子さん(エーリヒ・シュミット英名エリックスミス)はデッカの重鎮だったようですな。いやいい時代でした!
- 2024-01-16:大串富史
- エラム様と管理人様、もちろんブルックナーに、そしてへの感謝の辞を述べつつ。
エラム様のコメントを見て思い直し、ウィキペディアのブルックナーの項も見ながら、この年になって初めてブル5を聴き、踏ん切りがつきました。
何の話かというと、ごめんなさい第5番でも第7番でも第8番でもない、やはり第9番こそ、中国人の学生たちがブルックナーのファーストインプレッションとなるべきで、これが現代人である我々にはやはり一番分かりやすいのでは、とにかく聴かせてみよう、いや絶対聴かせるという踏ん切りです。ふふふ…
#でも第2楽章は流しません… 前もコメントでご紹介しましたが、彼らには抗日映画でよく使われたある曲(というか、リズム感)へのトラウマめいたものがあって、ラヴェルのボレロでさえある学生からのクレームがあったのです… その件の曲というのは、タコの第7番のドイツ軍のテーマから着想され作曲されたものだそうで、こんな感じです(第7番の演奏ビデオにもろに音楽をかぶせてあるので、違和感ありまくりですが…)… https://www.youtube.com/watch?v=sAHViviRNNI
でまず聴かせる予定のない第2楽章のテンポからチェックし、続いて第1楽章の冒頭の霧?とノイズ兼ね合いを聴き比べ(レッスン用のモノラルなイヤホンマイクでモノラルなスマホでの再生時の各パートの鳴り具合も確認し)、それから第3楽章のオケの歌い方(歌わせ方)を聴いて、自分的にはこれがベストなように聴こえました。
#こんな風に書くと、管理人様の仰るところの事大主義の使者なるブルファンの大先輩たちから自分もきついお叱りを受けるのでは…などとちょっと心配なのですが、先にお断りしておくと、熱いブルファンの皆様とどのブルが一番ブルらしいのかみたいな話をさせていただいているのでは全然なくて、日本語を学んでいる中国人学生たちがあたかも映画音楽やコマーシャルのバックグラウンドミュージックを聴くように聴いた時に違和感が一番ないと思われる演奏(プラス自分好みの演奏)という意味なんですごめんなさいー
で改めて思うに、整った8番より端折ってる7番の方がいいと思いきや、5番を聴いてそうかやはり5番の方がより整っておらずブルックナーらしいのかー(まて)みたいに思っていたところ、5番を素直に流してしまうと、あの休止?の連続?はどうなのかとやはり心配になりました… というか、ブルど素人のわたしなどに言わせれば、9番って一番分かりやすいなー、なんです…
#未完の第4楽章にしても、YouTubeでのナクソク提供のあれ( (1992年SMPC補筆完成版)を聴いて、これまた休止の連続だけど大体分かったからまあいいか許せる、ぐらいなのです(ご本人は絶対許せないレベルのような気もしますが)…
最後になりますが、管理人様にこのような聴き比べの機会のみならず、実際にバックグラウンドミュージックをご提供いただいていることに、ただただ謝意を表しつつ。
#うーん第1楽章第3楽章とも20分かー最後まで誰が残るのか(まて
- 2024-01-13:エラム
- 5番は確かに冗長に感じる部分はあるとはいえ、それでもシャルク改竄版の大幅なカットは許せないレベルです。ただ、コーダでのシンバルやトライアングルの追加に関しては理解できる気がします。
この曲の売りはやはり終楽章のコーダ部分の盛り上がりだと思うのですが、本来求められるべき演奏をできている例は少ないと思います。何が言いたいかというとコラール部分の迫力不足です。コラール手前までは散々盛り上げておきながら、コラールに入った途端に音圧が弱くなる演奏や録音がかなり多いです。何度も何度もこの曲を指揮した朝比奈も、色々な録音を聞いていると非常に上手くいっている場合と不首尾だった場合が混在してるように思えます。
おそらくブルックナーの作曲技量の問題で、演奏する側が相当注意して組み立てないとそういう残念なことになるのでしょうが、シャルクは普通に演奏しても大盛り上がりできるようにシンバルやらトライアングルで補強したのだと思います。
もしもカット部分がこれほど多くなければ、改竄版を選択する指揮者がもっといても不思議ではないと思います。例外的な例としてマタチッチは一部の演奏(N響来演時など)で原典版をベースに一部カットしてコーダは改竄版に従ってシンバルやトライアングルを入れていたみたいですね。
- 2024-01-11:ミッキー
- バラード4曲をミスタッチ少なく、技術的にも克服して演奏する。大変難しい事です。でもね、コルトーさんのように、演奏の裏に何か下敷きがある。テキストがある。それも、詩的な物。
「詩」って、どんなモノなのか、簡単に語れますか?
その為に、紀貫之が書かれた、古今和歌集の「仮名序」。現代語に意訳して、大事な所を引用します。
『力を入れないで、天地の神々をも感動させる。目には見えない「鬼神の心」だって、しみじみとした思いに、させてしまう。見知らぬ男女の関係に、恋を芽生えさせる。勇猛な武士の心を和らげる。そんな力量を持つ文章。それは、飛び切り良く出来た「和歌」なのである』。
この和歌を、「詩」に置き換えて、いただければ良いのだ。詩・・・つまりポエム。
どんなに優秀な演奏であっても、それは、物理的には、音が連続的に変化している。空気の振動に過ぎない。
その行為でもって、イメージが変換していく。ショパンの音楽的なイメージ→ショパンが精巧が書いた楽譜→演奏者コルトーが感じたイメージ→ピアノから紡いだ音→聴衆の耳に届くた空気の振動→聴衆の大脳に届いた情報。
さて、この情報を、美しいとか感動したと、感情表現するのは決して悪くない。そこに、詩的な物の存在を感じる事が出来たら、素晴らしい連鎖であると言える。
そう言う演奏の記録が、ここにあるのだ。そういう録音は殆どないと断定できる。
- 2024-01-11:大串富史
- ブルックナーと指揮者とオケの面々、そして管理人様への感謝と共に。
ブルックナーの最高傑作は第8番という話を聞き拝聴させていただいたのですが、第4楽章の冒頭以外は、うーん…となってしまい、やっぱり第9番でしょう、あれ?テンポ感が違う…中二病のあの時のファーストインプレッションはたしかロジェストヴェンスキーだったような、でもレコードのジャケット柄が違うし…と聴き比べをしているうちに、はたと気が付いたのは、第9番は前にも別コメントで書いたように第2楽章が学生(日本語を学んでいる中国人の生徒さんたち)に少なからぬ動揺を引き起こしかねない、いわゆる奇天烈(キテレツの方がなんだかしっくりしますね余談ですが)なんだそうなんだ、ということで、この第7番を聴いて、ああこれだこれで行こう!と思った次第です。ふー
#この曲の第2楽章は中学校の時分に某先生の葬儀の時に流されて(それが亡くなった先生の遺言だったそうです)、やっぱりレガートし過ぎじゃ駄目だよな、スッキリ行ってほしいということで、他のテンポ感も含めこの録音に行きついた次第です。第3楽章なども、ゆっくり聴かせるみたいな話だと聴衆である学生はあくびをしてしまうわけで(中国人は日本人よりよくあくびをするように見受けられます…)、このぐらい端折ってクラシック音楽慣れしていない聴衆にはなんぼ、ってもしかするともしかして、当時これがダントツで他はブーイングというのは、テンポ以前にこの曲自体がある意味人間という生き物の音楽に対する生来の特性(端折っている、整っていればしっくりというわけでもない)をうまく突いているのかとも思ったりします。
#それにしても、日本語レッスンの合間のバックグラウンドミュージックという枷さえなければ第9番だしバルトークだし、個人的には悩ましいです… この第7番とて、第4楽章はあくび防止対策で流さないかも、みたいな。
管理人様には、こうした聴き比べの場をご提供いただいていることにただただ感謝です。なにしろ、あの時お金さえあれば(あの時分は時間は相応にあったので)と悔し涙を飲んで聴き逃していた数々の楽曲また名演を、こうして仕事の片手間に拝聴する機会をご提供いただいているわけですから。
これからもご健康にご留意いただきながら、よいお仕事をお続けくださいますよう。
#余談ですが、わたしの父(90歳になります)も今同居中の義理の母(83歳です)も、中国語で言うところの閑不了つまりじっとしていられないたちで、他の人が止めないとこれまでと同じことをあくまでやり遂げようとします…(義理の母が今ちょうどそんな感じで、夫婦がする家事に何らかの形で共にあずかって帰属感なり安心感を得ようとするあまり動き過ぎてひどい咳が止まらないのを、よく寝てよく休まないなら病院行きだよ!と脅しつけなければならない毎日です…)わたし自身も自戒中です…
- 2024-01-09:赤間 隆
- 緊張感と熱さのある素晴らしい演奏と、当方の貧弱な再生装置でも分かる素晴らしい録音でした。今の気分ではこの曲のベストワンです。有り難うございました。
- 2024-01-08:大串富史
- ヨハン・セバスティアン・バッハと、その息子であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハに、チェリストのアンドレ・ナヴァラとフランスオケの面々に、そしてもちろん管理人様にも、深い感謝をお送りさせていただきつつ。
#ようやく時間が少し取れました… 貧乏暇なし、ですか…
この曲は初めて聴きました。というか、ヨハン・セバスティアン・バッハ以外のバッハはイケていないという認識を、この作品を聴いて改めさせていただきたく思いました。
#録音状態もかなり良好ですね!レコード制作の面々にも感謝です…
今ちょうど第2楽章なのですが、これは父のセバスティアンとも、後世の誰とも違うなあと感慨深いです。渋すぎることも明るすぎることもなく、いいツボを突いているというか。オケの響きも指揮のテンポもバッチリ、というかしっくり、なんでしょうか。
とはいえ、この楽曲を紹介してくださり時間を割いて楽曲解説をも準備してくださった管理人様がいらっしゃるので、リスナーである我々もその恩恵を受けられるわけです。いつも感謝に堪えません… 最近はご健康の方は如何でしたでしょうか。どうぞご自愛しつつ、これからもよいお仕事をお続けくださいますよう。
#最近になってこちら(中国)でホンダのフィット(中古)を買って乗っているのですが、こちらの曲を車内で流させていただき、純粋に仕事から離れてクラシック音楽鑑賞の機会をわたしたち(わたしと中国人の友人たち)にご提供いただいていることにも、合わせて感謝を申し述べさせていただきます。いえ、バルトークのオケ協がボーダーラインです。不思議な日本の役人違った日本語教師と思われても困ってしまうので(まて
- 2023-12-29:小林 正樹
- これはえらいものを聴いてしまった!20年前に聴きたかったなぁ。月並み表現やけど、ここにはヴァイオリンとピアノという組み合わせの「最高」の姿がありますね。まぁ録音のやり方にもあるのでしょうが(オンマイク?の面白さ)、これだけスコアに忠実に練習されて録音の本番で、ここまで美しく「芸術的に」仕上げるというのは、たとえ取り直しがあったとしても、凄いことです。この作品をかなりの数、本番と録音含めて聴いてきましたが、どれもこれも、相当な巨匠といわれる人たちのものでもどこかで、うーん難しいわなぁと思ってばかりでした。ところがどうだ!このお二人の凄いこと。アンサンブル「芸術」の極北ではないの?こんなのありえまへーんってなりましたわ。PCの前で演奏聴きながら、ひそかに体が指揮者の動きをしまして(よくあるでしょ)この作品はスコアを大体覚えてるので、ここあそこそれあれとやってるともう気分はジョージ・セルやぁ!!いやあ年の暮れにえらいもんを見つけましたわ。ええ年越しになります。
モリーニ+フィルクシュニー+ユングさん万歳や。ありがとうございました!
- 2023-12-07:アドラー
- 何度聞いても凄い演奏ですね。ユングさん仰るように今の若いピアニストならこれをある程度は演奏する力はあると思います。You tubeで今の若い~中堅世代の有名そうなピアニストの演奏を幾つか聴いてそう思いました。昔ならともかく、今は指の動きだけなら、ホロヴィッツだけがダントツ、という時代とは違いますね。
それでも、やはりホロヴィッツは全然違って聞こえます。刻印付けかもしれませんし、好きな演奏家を応援したい気持ちのためもあるかもしれませんが。
おそらく、ホロヴィッツだってこの曲の演奏は実際は楽ではないでしょうけど、聴いた印象としては、今の(この曲が弾けるようになった)ピアニストは頑張って何とかこの曲をテンポ通りに弾けるようになっているのに対し、ホロヴィッツは逆に、この難曲を追い回すだけの技巧のゆとりで演奏している、ように聞こえます。弾くだけでも大変だと思われる速く難しいそうなパッセージなのに、切れのあるシャープな音が曲のあちこちから聞こえてきたり、一瞬のうちに深い孤独感のあるロシア的な情緒のパッセージが訪れる瞬間があったりして、リスナーとしては、テクニックも凄いのですが、そこからロシアの音楽が聞こえてくることが凄いなあと思います。
- 2023-12-06:ワラビー
- ユングさん、クラシック解説ありがとうございます。楽しみに拝聴させていただいております。さて、昨日アップロードされたヴェーグ四重奏団の楽曲ですが、ウィーンコンチェルトハウスのものだと思います。ご確認をよろしくお願いいたします。ではまた。
[管理人]
またまた、音源ファイルへ紐づけるファイルの置き換えを間違えたようです。我ながら困ったものです。(^^;
早速に手直しはしました、ご指摘、感謝。
- 2023-12-02:小林 正樹
- 以下のユングさんのお気持ちは痛いほど私には理解できまする!
>>・・そして、最近感じるのは、あまりにも多くの「オレが、オレが」という強い自己主張と、それを正当化するためのあれこれの言い訳に満ちた演奏を聞かされ続けてきたというか、自分でもそれがいいと思って聞き続けてきたと言うべきか、つまりはそう言う演奏に埋もれてきた後で60歳も超えてくると、なんだかこういう演奏に安心感を感じる自分に気づくのです。うーん、何とも回りくどく、結局は何を言いたいのか分からない物言いですみません。<<<
・・どうか懲りずに、よき音芸術の発掘をお願いいたします。でも健康第一です。
決して無理をなさらぬようにお願いいたします(これ本心です)!!!
- 2023-12-01:大串富史
- うーん、うーん、やはり管理人様への感謝が最初で最後、ですか…
ラフマニノフのこの曲は初めて聴きましたが、自分的にはよさげだなーと思いつつも、第3楽章を最後まで聴いて、この曲はやはり現代人(わたしの場合はバックグラウンドミュージックとしてクラシック音楽を聞くことになる中国人の学生たち、恐らくはその半数以上が大学生かそれ以下)が最後までついて行けず、最後までついて行っても、うーん、うーん、となってしまわないか、ちょっとだけ心配です(日本語「ちょっと」の湾曲的用法ごめんなさい)…
#いやこの場をお借りしてもっと言いたいことを言わせていただけるなら(ってもう言ってますごめんなさい)、結局バルトークのオケ協でさえバックグラウンドミュージックの聴衆が二人(自分ともう一人の学生)になってしまい泣く泣くお蔵入りしてしまうのを見るにつけ、現代人とは一体全体どういう人たちなんだと思ってしまうのです… まあそこで、はっと我に返るのですが。今は第二次大戦のあの時代でさえなく、あの頃の聴衆と今の我々(の大多数)はかくも違うんだなあと。
もっともラフマニノフの前奏曲は(曲が短いこともあり)まだリストに残っていますし、コンドラシンもモスクワフィルもよさげですし、楽曲をアップしてくださっている管理人様への感謝をはじめ、感謝はただただ尽きないわけですが…
#それにしても、現代人のこの生活の忙しさには半ば呆れてしまいます… 家族の食事が終わったようで(わたしは基本的に夕食は食べないのです)、小4の娘(孫ではなく予想外の妊娠で授かった娘)と病気の妻と82歳になる義理の母親を残し一人クラシック音楽鑑賞はやはり不可能です残念無念…
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[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)
[2024-11-04]
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)