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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 9点です。
録音当時はまだまだマイナーだったこの曲を「描き尽くす」意思が満ち満ちて、奇をてらわないストレートな解釈が曲想と合致しています。それが押し付けがましくなっていないのが、録音当時「上り坂」だったバーンスタインの素晴らしいところ。録音も古さを感じさせません。やはり終楽章が一番優れていて、聴き終えた満足感が大きいです。
- 2024-05-27:豊島行男
- 大変美しい演奏ですね!
しかしながら、やはり「昭和的な暑さ」を感じてしまいます。
「決別」の意思です。
日本の文脈で云えば、戦前との決別または愛借と云いましょうか。
ハンガリーでもたぶん同様の事情があったのではないでしょうか?詳しくないので直感的な感想ですが、シャンドールのクールさには悔しさや哀しさをじっと抑圧してるような強烈な熱さを感じます。
- 2024-05-27:大串富史
- バッハと、ヴァルヒャと、管理人様への感謝を込めて。
この曲が大フーガという異名を持っていることを今日初めて知りました…
#大フーガというとベートーベンの、一度聴いたら忘れ難く、二度は聴きたくないかもなあれのことだとばかり(まて
このサイトがなければ知らなかったであろう(うろ覚えのままの)クラシック楽曲(およびその解説)がどれほどかを知ると共に、管理人様のクラシック音楽への造詣の深さをがどれほどかをも知り、ただただ感謝に堪えません…
#で本題なんですが(違)… やっぱりこの曲がバッハの楽曲の中でもキテレツ度がかなり高いような気が(それで他のキテレツな音楽家の面々のキテレツとも互いに打ち合ってしまうという)。もっとも、備課(中国語でレッスンの準備つまり予習のこと)をしつつこのコメントを書きながら同時にBWV538やBWV548を聴いて改めて思うに、バッハという人は音楽の父というよりは、キテレツの父だったんだなあと(まて)。わたしの中国人の妻も、当然と言えば当然ですが、あなた一体何を聴いてるの?といった感じです(イヤホンマイクから音が漏れてしまうため)… 一方で、落葉松ついでにジーツィンスキーのウィーン我が夢の街を聴いてやっぱり思うのです。大フーガ、自分も弾きたいし作曲したいし聴衆にも加わってもらいたいなあと。でもそれはかなわぬ夢だし、じゃアイドルコンサート?が答えなのかと言えばそれは違うし。バッハのこうした曲を皆が普通に聴いていたあの時代と聴衆が答えなのかと言われればそれも違うような気が。うーん、キテレツにキテレツが呼応してなんでしょうか、フラストレーションがちょっとたまり気味です…
- 2024-05-27:小林正樹
- いやはや素敵なおしゃれな(?)演奏ですねえ。
前掲のvolosさんがおっしゃっているように、伴奏オケのユーゴー・ウィンターハルター氏の雰囲気が誠に素敵です!特に演奏タイム9:00くらいからの演りかたはクラシック畑のオケからはあまり聴けない色気がむんむんですねぇ。60年代によくラジオや場末の映画館(洋画専門の)や純喫茶などでやや小さめの音量で鳴っていたやつ、マントヴァーニやパーシーフェイス、スタンリーブラックなんかと同列の響き。今一度こういった響きが街に溢れないかなぁ(無理無理!)すみません忘れていました。ジャニス氏のピアノはなんやかやいってもやはり超一流と思います。この類の演奏家がいつの世にもゴマンといるであろう欧米の音楽環境の凄さを思い知りますね!
- 2024-05-26:正敏
- (追記)
ここではカサドシュ盤について語るのがスジだとわかっているのですが、あえて自分の挙げたパレナン盤について。前投稿文は当盤を棚から出さずうろ覚えで書いたのでヴァイオリンが誰か思い出せなかったのですが、後に確認したところフェラスでした。ピアノがバルビゼですから、当然わかっているべきでしたね。録音が1968年で、この頃のフェラスはカラヤンに見出だされたあと、自分の演奏スタイルを変えようと試行錯誤して迷走していた時期で、それ以前からのパートナーだったバルビゼにとっては、彼の変遷がどのように感じられたのだろうかと当盤の録音年を確認しながらあらためて思った次第です。もっとも、個人主義のフランス人らしく、彼は彼、自分は自分とすっぱり割りきっていたかも知れないですね。
- 2024-05-26:豊島行男
- そもそも現代楽器、現代ピアノでの演奏が主流になった時点でどの演奏といえども主観的と云えるのではないでしょうか?
マルグリット・ロンの演奏はその初心を体現している、いわば現代的演奏への入り口と云えると思います。
- 2024-05-25:正敏
- 私がクラシックの沼にはまってまだ日の浅い頃、今はなきFM雑誌の記事の中でマゼールがこの曲をレコーディングしたことが書かれていました。まだ若かった自分は交響曲や管弦楽曲のオーケストラの大音響に夢中だったので、室内楽にはあまり関心が無く、「へぇ、マゼールってヴァイオリンも弾けるんだ」程度の感想しか持ちませんでした。
そんな自分が後にドビュッシーやラヴェルの四重奏の魅力にはまって、その周辺の作品を探したところ、このコンセールを見つけました。そして某国営FM放送のある番組のEDで流れていた哀愁をおびた旋律がこの曲の第2楽章シチリエンヌでした。
この曲の名盤と言えば、往年のティボー&コルトーまたはこのカサドシュ&フランチェスカッティと昔から決まっているらしいのですが、その他にも色々と録音されているみたいで、演奏者には人気があるようですね。自分は最初に購入したパレナンSQの演奏が(多分に思い入れ込みで)好みです。残念ながらパブリックドメインには間に合いませんでした。件のマゼール盤(TELARC)は現在入手困難のようで、ブックオフにも入荷のお知らせがなかなか来ません。
- 2024-05-24:yk
- フランスには”モーツアルトに真の情熱と人間性への信頼を発見する”・・・と言うスタンダール以来のフランス独自の誇り高き”モーツアルト評価”の伝統があります(…尤もパリはモーツアルトの生前には冷たい仕打ちをしましたが・・・・^_^;;)。その伝統を引いた二十世紀のモーツアルト評伝の一つにアンリ・ゲオンの「モーツアルトとの散歩」(高橋英郎訳、白水社)と言うのがあります(例の小林秀雄の”疾駆するモーツアルト”の元本)。この本でゲオンはこの協奏曲を特に詳しく挙げて”霊感の素晴らしさ、諸要素の配分・・・効果の地味な偉大さ”を指摘して”奇跡の詩苑”と呼んでいます。1932年に書かれたこの本は現代では余りにも非分析的・ロマン的で通用しないのでしょうが、1935年録音のこのロンの演奏は将にこういった評論が書かれた当時のフランスの”時代精神”と呼応しています。
”今のスタンダードな演奏”が何であれ、18世紀に生きたオーストリア人モーツアルトの時代を超えた国際人としての普遍性の一端・・・として聴けば、この演奏にもやはり聴くべきものは(十分に)ある様に思います。
- 2024-05-24:大串富史
- バッハとこのパッサカリアに一票、ヴァルヒャに一票、そして管理人様にも一票を入れさせてください。
#不勉強ながら、この曲は今日初めて聴きました。期待を裏切らないだけでなく、管理人様も仰られるように構成がすごいですね… ブクステフーデの曲は巨大な絵画だという形容を見たことがありますが、バッハのこの曲は巨大な構造物という管理人様の形容に全く賛成です。
実を言うと若い頃はパイプオルガンの音色が大好きだったものの、後になってそれがヨーロッパの歴史をさんざんかき回したあの団体の客寄せに使われていたということを知り、こちらのサイトがなければ(またクラシック音楽聴き巡りという大義でもないと)このパッサカリアもスキップのままだったことでしょう。管理人様には、返す返すも感謝です…
#それにしても、ラルゴと菩提樹ついでに、久しぶりに小林秀雄の落葉松を聴いて、巨大な構造物を眺めて(というかバッハにそれを見せてもらって?)一人悦に入るのもいいけれど、演奏者(この場合は独唱者とピアノ伴奏)および日本人の聴衆の皆さんと落葉松を一緒に「見て」ブラボーもいいなあ、と思う今日この頃です。往時のクラシック音楽というのはヨーロッパにおいて日本人にとっての落葉松と同じだったに違いないでしょうが、今となっては一人悦に入るとか、名人芸をありがとう!とか、うーん、やっぱり物足りないです… もっと言えば、落葉松でもまだ物足りない。自分的には、ポストクラシック音楽、ポスト落葉松な音楽また音楽鑑賞が待たれます…
- 2024-05-23:えふのふえ
- ショルティのロシア小品には確かロンドン響との物もあって、ややこしかったことを思い出します。17センチLPでいいずれかを聴いていました。いま聴き直してこれは間違いなくベルリンフィルの方であると膝(襟)を正して聴きなおしました。ベルリンフィルの凄いアンサンブルにはクリーブランドもシカゴもかないません(でした)ね。これが歪の少ない良い音で聴けたらと叶わぬことを考えました。
ところで私はいまマゼールのこの曲を探しています、クリーブランドではなくてイスラエルフィルの方です。昔ペトルーシカか何かの余白に入っていて素晴らしい音と演出だったように記憶しています。マゼールは大嫌いですが、もしお心当たりがございましたらお願いします。
- 2024-05-21:迷える野暮天
- ユング氏はじめ皆さんから絶賛されている録音ですので、なかなか共感できない自分がおかしいのかとここにアップされて以来何度も聴いているのですが、いつも途中でやめたくなります。
セルの特徴の一つである音価を短めに切り詰めたまるで突き放すかのような奏法、場違いのように突出したトランペットなど上手い(美しい)とは言い難い管楽器群、いつもは追いかけることが楽しくなるモーツァルトの複雑かつ精緻な各声部の進行もばらばらに聞こえてしまう等々。聴力の衰えか、感性の劣化か、それともシステムがショボいのか。
因みに私が好きなのはモーツァルトの面白さを教えてくれた60年代のベーム&BPO盤、知性と気品を感じさせる80年代のクーベリック盤です。
- 2024-05-20:小林 正樹
- フランチェスカッティの響きを美しいと感じるのは、私の場合そのフランス人特有の「鼻母音」の持つ「美魔力」にやられてるんだろうと思う。中学生のころにステレオ盤のワルター指揮でモーツァルト第3協奏曲やブラームス二重協奏曲(この場合チェリストまでがこの響き!)を聴いたときのショックが忘れられず未だに尾を引いている。ドイツ系は子音(的)な響きを大切にしてるかもしれないですね。英語はその中間か?イタリアやスペインは母音そのもののダイレクトな「迫力?」が・・・。いずれにせよ音楽、特にクラシック系の作品はその響きの中にも感動を誘う要因が大きいと思います。で、日本の奏者、団体の響きにはそれらの特徴が、どちらか言うと「無い乃至薄い」ように感じます。特に和音を発する時のトロンボーンやチェロそれに最高音を奏でる時のヴァイオリン奏者などに顕著かなと・・。閑話休題、フランス系の奏者たちの鼻母音は美母音ですなぁ。フルートのランパル、モイーズ、アンセルメのロマンド管のバッソン(ファゴットと言わない)やヴィブラートのかかったフレンチホルンなんかもそれらの類だと思います。(でも近年はこれらの特徴の傾向が少ないかな、これってインターナショナルなの?)。
- 2024-05-18:Die Zauberfl
- このオペラを一言で表現すると18世紀のヒーローショー。あらすじだけ見れば昭和の特撮のテンプレート。その意味では今の少年漫画の原型がそこにある。特撮取ってた人が演出するのも納得。
- 2024-05-18:あろりきゃ
- 青柳いづみこ著の「グレン・グールド 未来のピアニスト」によると、デビュー当初グールドはリパッティの後継者として期待されていたようです。(師弟関係という意味ではなく、同じ音楽性を持つと踏んだ音楽市場から)
コンサート・ドロップする前のグールドはリパッティと同じく清廉な演奏で、コンサートでのモーツァルトの演奏も正統派路線で素晴らしいとのことでした。
それ故、普通に弾いたら上手いのだから普通に弾いたら良いのに…とソナタ全集の件でリリー・クラウスやニコラーエワから言われていたようです。
- 2024-05-18:アドラー
- 私の場合、リストのピアノ曲というと、演奏家はベルマンとかホロヴィッツ、シフラとか思い出し、作品は激しい曲を、あるいは、たとえ初めは穏やかでも途中から派手になる激しい曲をすぐに想像してしまいます。で、この演奏も、そうかな? と思いながら聞き始めたのですが、穏やかなままで、ピアノも落ち着いた美しい音色で、あれっ? もう終わり? という感想です。曲のことも知らないし、演奏家の比較もできないので、こんな単純な感想しか言えないのですが、落ち着いた、いい気分で聞けます。こういうのもリストにはあるんですね。
- 2024-05-17:大串富史
- ヘンデルと、演奏者の面々に、そして管理人様への感謝と共に。
これは… ちょうど5分ではないですか。次の中国人向け日本語多人数レッスンの5分間休憩バックグラウンドミュージックで、絶対に流す(長
#友人がコンサートでこれやシューベルトの菩提樹を歌っていたのを思い出しました。
こんな懐かしい出会いも、こちらのサイトならではですね。重ねて感謝です…
#それにしても一気にヘンデルまで来て、ふー、一抹の寂しさ侘しさのようなものを感じています… 名器の響き 鍵盤楽器の歴史的名器と題するCDがあるのですが、自分的にはなんでこちらがメジャーにならずラルゴがメジャーになってしまうのかという、まあ不満というか葛藤めいたものがあり、それは北ドイツオルガン学派の楽曲にしても、フレスコバルディらのイタリアンなギター曲(元は鍵盤楽器曲)にしても同じだったりします… 好みと言われてしまえば、まあそれまでなんですが。それでH(ヘンデル)の直後にJ(ヤナーチェク)のシンフォニエッタが流れると、やっぱりそうなのかなー、と。ご紹介いただいているモンティヴェルディ、コレッリ、テレマン、コレット、アルビノーニ、ヘンリー・パーセルらは、ちょっと無理があるものの、まあラルゴと同類、なんでしょうか。でもわたしなんかはやっぱり、スウェーリンクの半音階的幻想曲あたりをシンフォニエッタを経てバルトークにまで結び付けたいです… いつか機会があったなら、申し訳ないバッハ-ハイドン間の耳に優しいこれら楽曲を華麗にスルーした裏クラッシック楽曲(!?)を必ず紹介する(違
- 2024-05-13:大串富史
- バルトークへの惜しみない賛辞、またジェルジ・シャーンドルへの深い謝意、そして管理人様への尽きない感謝と共に。
この曲とバルトークのヴァイオリン協奏曲は、わたし的にはクラシック音楽の中で一番自分好みですー フランクをさえしのいでしまうのは、わたしがやっぱり21世紀の人間だからなんだろうなー、といつも実感です…
#だからハイドンやモーツァルトも、もしバルトークの時代に生き返って作曲を続けたなら、さらに現代人向けなキテレツ楽曲を作ってくれたに違いなく(違
管理人様の秀逸な楽曲解説にも、いつも感謝ですー 脈絡なく、ラヴェルのクープランの墓を思い出しました。人は不思議なもので、死(自分の死の予感も含む)というものに接すると、なぜか人類共通の感作のようなものがお互いに働きますね… この演奏はそういう意味でも聴く価値がありました。重ね重ね、感謝です。
#そんなわけでやっぱり二度の世界大戦とその記憶は(第三次世界大戦への恐れを含む)、現代人をしてキテレツにならせているというのがわたしの持論だったりします… もっともクラシック音楽という芸術そのものが、まあ言ってみればキテレツなんでしょうが(まて
- 2024-05-10:大串富史
- ハイドンへの惜しみない賛辞と、ナヴァラへの惜しみない賛辞、そして管理人様への賛辞と感謝も添えて。
うーん、どうしてなんでしょうか… ベートーベンのチェロ云々を聴いても、ふーん、で終わってしまったのに(重ね重ね申し訳ないですー)、このハイドンのチェロ協奏曲は… そしてナヴァラの演奏は… 出だしのチリチリさえなければ(これはわたしではなく、チリチリ音源を流した際の日本語学習者である中国人の某学生からのクレームでした… なので流すと学校側にクレームが直撃してしまう恐れがあります…)バックグラウンドミュージックとして絶対に流すのに(時間も5分休憩にジャストだし)、ただただ残念でなりません…
#そんなわけでわたしの中での三大チェロ協奏曲は、ドヴォルザーク、ハイドン、そしてディーリアスですか。えっと、シューマンも、うーん、今度機会を見つけて聴き直してみます…
それもこれも、こちらのサイトがあってのことですので、管理人様への賛辞と感謝は尽きません… ただただ、ありがとうございます…
#今回はアフィリエイトのお声掛けがあって、比較的気楽な作業(宣伝すればいいだけ)をしながらのコメントです。まあ貧乏暇なし、なんですが。いや仕事があるだけ、まあ感謝です。今回はこちらのサイト運営のみならず、サイト維持管理のご苦労ご足労への感謝も添えて。
- 2024-05-09:小林 正樹
- 音楽家と音楽愛好家にとって耳の疾患はほんとに耳の痛い話ですなぁ。ベートーヴェンしかりまた我が親友も(シベリウスお宅なんですがね、強度の耳鳴りに・・)、そしてこのスメタナさんも、実に可哀そうとしか言いようがない。こんなに素晴らしい音楽なのにねえ・・ホンマ世の中うまいこといきまへんな。
それはそうと文中のバーンスタイン氏の人が好いお話は、ああそうかもねえと思い出しましたわ。ウィーン在住のころ楽友会ホールでウィーンフィルの練習がありました。指揮はレニー曲はシベ2でした。レニーの棒がいまいち(我が道を行くが過ぎて)ぐちゃぐちゃになり見ている方もあぁ~!となってるとオケの管楽セクション(多分ホルンか?)から文句をまくしたてられ、もう一緒にやりたくないって感じの罵詈雑言。見てるこっちも冷汗ものでしたが、件のスーパーレニーは、よっしゃわかったとばかり指揮台に棒を置き「OKOK皆さん今日はここまで、本番はうまくいく!」と明るい声で指揮台を降りました。本番は残念ながら仕事で聴けませんでしたが友人が素晴らしかったよーと言ってました。CDになっている第2交響曲のことです。
- 2024-05-06:大串富史
- ショーソンへの賛辞、弦楽四重奏団の面々への賛辞、そして管理人様への賛辞をここに。
ショーソンにこんな作品がまだあったとは。でも、期待を裏切らないですねー
#第1楽章の終わりあたりを聴いて、自分はもうフランキストなんだなーと実感です…
実はこちらのサイトのクラシック音楽聴き巡りでついにハイドンまで行き着き、これまで聴きそびれていた(というか猫またぎしていた)ハイドンが、管理人様が仰られるように、まっすぐベートーベンへとつながっていくということをこの年になってようやく知ったわけですが、ロンドンを聴いて、あのその、これを流してジュピターの二の舞(ひとり聴衆つまり自分以外誰もいなくなってしまう)は困るし(まて)と悩み中であったのを、こちらをさらに第2楽章、第3楽章と聴いて、これは(はにアクセントが移った強調読み)中国人の学生さん相手の日本語多人数レッスンのバックグラウンドミュージックとして絶対流すと決めました。ふふふ…
そして第4楽章を聴きつつ、こうしてショーソンももれなく取り上げてくださった管理人様への賛辞と感謝は尽きません… ただただ、ありがとうございます。
#それにしても、リアルでレコード鑑賞会にご尽力されつつ、こうしてネットでバーチャル鑑賞会をも主催しておられるご苦労ご足労にはただただ頭が下がるばかりです… どうぞご自愛しつつ、この良いお仕事も是非お続けくださいますよう。
- 2024-05-06:豊島行男
- カザドシュとフランチェスカッティとの室内楽は素晴らしいですよね。
カザドシュって、「そんなにすごいピアニスト」です!
セルとの共演において、伴奏しているのはカザドシュだと思います。
だから、あのような白磁のようなオケ演奏ができるのだと思いますよ。
唯我独尊に徹したライブでのカザドシュは凄まじいです。
カンテルリ&ニューヨークフィルとのベートーベン皇帝では、多々ミスタッチもモノともせず豪快に引き切ってますね。
- 2024-05-03:yk
- 近頓にAIの発達振りが話題になり、その効用と共に害悪が論じられるようになりましたが、”知性”と言う観点からは(AIが有用であれ有害であれ)まだまだ未熟・・・と言うより幼稚と言ってよいレベルにあると言わざるを得ません・・・尤も”知性”の実態が何であるかの知見さえ未だにハッキリとした定義がないので、AIが幼稚なのも郁子なるかな・・・という処ですが・・・・。
何れにしても今回のランドフスカ評価のような問題では、その矛盾と言うか、インチキというか、欺瞞と言うか、おんぶにだっこの無責任とでも言うか、とにかく受け取り側の人間の適正な評価無しにはAIの回答は意味のないものになりかねないので要注意です。、
何といっても、現在のAI技術レベルから言って、例えば”演奏解釈における真正性を重視しました”と言った記述は明らかにランドフスカの演奏を”AIが聴いて”下した評価ではなく、どこかで誰かが”ソウいっている”と言う伝聞評価でしかない。そこには”AIの主体性”に基づく判断・主張が無く、単に世間ではソウいう説もあるよ・・・と言うある意味で極めて無責任な発言・・・とも言えるところがある(人間にもソウいう発言をする人はいますが・・・)。聴く方は慎重に”なるほど世間ではソウ言っている人もいる(らしい)”と言う程度に受け取っておく必要はあるでしょう(従って”ソウは言えない”・・・と言う反論も当然あってしかるべきででしょうね)。
勿論、将来AIも人間の曖昧な(いい加減な??・・・^_^;;)”知性”なるものを獲得して、”ランドフスカの真正性”について、「君も19xx年のランドフスカのバッハを聞けばきっと僕が感じた事を実感できるよ・・・」などと実例を挙げながら人間と丁々発止のやり取りをするようになるかもしれない可能性はありますが、まあ今のところAIにはランドフスカの演奏の真の意味は全く理解できていないと言うことは確かで、”多様性に富んだ芸術家の姿を理解するにはAIはまだまだ情報不足だ”と断定して良いとは思います。
・・・・勿論現AIでも、人間の”適正”な評価・判断のもとで使用すれば、人間の創造性啓発の為の(既存の)知識検索型の便利なツールとして極めて有用な側面がある・・・と言うのは明らかですが・・・。
- 2024-05-03:豊島行男
- すいません、今回は演奏への評価ではなくユングさんのコメントへの賞賛でございます。全く同意です。ランドフスカへの評価への評価、素晴らしい。
- 2024-05-02:大串富史
- まずは管理人様への感謝をここに。
今日は直訴に参りましたごめんなさい… もし管理人様がお嫌いでなければ、なのですが、是非是非、フランクの弦楽四重奏曲ニ長調を1曲でも全く構いませんのでアップしていただければと思いまして… どうぞ宜しくご考慮ご高配をお願いいたします…
それで本題なのですが(違)、実は悲しいご報告から始めなければなりません… 先日、勇んでジュピターの第4楽章を中国人の学生さん相手の日本語多人数レッスン後のバックグラウンドミュージックとして流したのですが、なんと開始数分で聴衆一人(つまり自分だけ)となってしまいました… ああモーツァルトよ、もしあなたがこの場にいたなら、この極東の21世紀な音楽志向を一体どのようにお受け止めになられるのか…
#わたしなりの結論は、やっぱり聴きやす過ぎるのかと。何か音楽が流れているけど、まあいいか、みたいな。
それでモーツァルトよ本当に申し訳ない、このコメントはフランクの弦楽四重奏曲をYouTubeで聴きながら書いています… そしてこのフランクのは… やはり期待を裏切らないというか。これまで弦楽四重奏曲と言えば、自分的にはドビュッシーとラヴェルのがまあ最高だったのですが(ああバルトークよ許せー)、今はこれです。聴きにくくなく聴きやす過ぎなく、なんでしょうか。
いずれにせよ、こちらのサイトそして管理人様がいらっしゃらなければ、この年になってフランクとの劇的な出会いはなかったわけで、まず感謝を申し述べさせていただきます。それであのその、弦楽四重奏曲も、もし宜しければ是非是非…
#その一方でクラシック音楽聴き巡りのモーツァルトの弦楽四重奏曲は… アインシュタイン?や他の皆様のの評価は当然尊重したく思うのですが、やはり家電クラシックということで、ただただ申し訳ない… 逆にフランクのこれが家電クラシックで流れたら、家事をしていてもなんだか気が散ってしまいそうではありますー
- 2024-04-28:大串富史
- あのその、モーツァルトに、そしてなによりセルとクリーブランド管の面々に、そして管理人様への感謝も忘れずに。
#モーツァルトは流さない(まて)という重い腰を上げることができたことを、セルとクリーブランド管に感謝です。この演奏はほどよい刺激に満ちていて、クラシック音楽初心者の中国人の日本語学習者の皆さんへの受けもよさげかと推断します。
でセルで逆引きして、ベト7をどうしようか、クレンペラーじゃさすがに最後まで聴いてもらえないかもと思いつつ、いずれにしても不滅の恋人(中国語版)の観賞はやっぱりやめておこう怖そうだし(違)、じゃあシューベルトの未完成かーと思いつつ、全曲聴き直して、やっぱり怖い音楽って言われちゃうだろうなーでしぶしぶ却下でした… うーん…
それで改めて思うのは、クラシック音楽というのはやっぱり芸術で、芸術というものは爆発であって、その発破を(仕)掛ける芸術家というのは、どうやら常人ではないという… 聴き巡りでとうとうモーツァルトまで来て、これまでつまらない音楽(まてまて)を書いてきたと思い込んでいたバッハ以後のこの時代の作曲家の面々が、なんだかだんだん怖くなってきた今日この頃です…
そういう意味でこちらのサイトは、そこかしこで爆発が生じているような気もします。バックグラウンドミュージックとしての小さな爆発であれ、常人であることを捨てて自らも木っ端みじんみたいな爆発であれ、そうしたクラシック音楽の全貌を伝えるこちらのサイトの価値は計り知れなく思います。いつもながら、感謝とエールとをお送りしつつ。
- 2024-04-26:volos1211
- ジェルジ・シャーンドルと言えば、バルトーク演奏の第一人者ですね。米VOXレーベルにステレオ録音でピアノ曲全集とピアノ協奏曲全集を残していますが、その後たしか90年代にも米CBSにピアノ曲全集とピアノ協奏曲全集を再録音しています。
ほかにVOXにはプロコフィエフとコダーイのピアノ曲全集もありました。
いずれも知的で鮮やかな演奏だったと記憶しています。
- 2024-04-21:小林 正樹
- グルダのレガートが大好きなのです。この響きは恐らくウィーンの名器ベーゼンドルファーを巧みに扱うグルダ名人のセンスかと思われますが・・。楽譜を見ながら聴いてると何やワクワクする感興が起こる。この快感がたまりまへんわ。若きグルダも素敵でございます、いやほんま!貴重な記録を心からおおきにですユング様!
ところでユング様おっしゃる「音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです」のくだりは、めっちゃめっちゃ、もひとつめっちゃ!大正論と思います。ウィーンの街のように毎晩(大劇場2つ、大ホール2つ、その中にまた分かれて5つほどの会場が最小単位(!)で存在し)年間300日ほど公演を行っていれば、家で装置で、クラシックを聴くなどは(余りの音の差異に)耳がしんどい時もありました。我が国の根本的に異質なクラシックのライヴ感覚の中では、装置に頼るしかないことも多いのが現実やぁ、と思いながらも、悲しく嬉しく感謝しつつ耳を研ぎ澄まして生を謳歌しとります!
- 2024-04-21:大串富史
- ベートーベンと、フリードリヒ・グルダに。そして管理人様への感謝を添えて。
この曲は… これがベートーベンというものなのかー、みたいな嬉しい驚きを感じるピアノソナタですね。さすがに月光ぐらいは聴いたことがあってそれなり好きなわけですが、これはそれ以上に、いやそれこそ次のアパショナータ以上にわたしの性に合っているように思います。
#ダダダダダダダダ…って自分も弾いてみたいなー(受験の絡みでインヴェンションの1番ぐらいなら弾けるんですが…)って、いやまて、これがやっぱりクラシック音楽というものの御し難さなのか。ロックをやっていた友人が、聴衆の反応を見てもっと煽りたくなったと言っていたのを思い出します…
今日の多人数レッスンは、やはりベートーベンのチェロソナタ第3番の第1楽章から始まり、中継ぎで第2楽章、最後は第3楽章です。そして次回は、こちらも必ず流して聴かせる(まて
ベートーベンを見直す機会を小生にも与えていただき(違)、管理人様にはただただ感謝です… この機会にエールも添えて。
#いやー20代のデュ・プレとコヴァセヴィチ、いいですねー、ってととと、次はこのワルトシュタインで行きます。 ダダダダダダダダー いやまて、これが日常生活や家族生活に決して支障をきたさないよう、注意、注意…
- 2024-04-20:大串富史
- ベートーベンとデュ・プレとコヴァセヴィチへの、そしてもちろん、管理人様への感謝と共に。
#ああやっとベートーベンの中から好きな曲を見つけることができた(まて)という感慨もありますが、そもそも印象が薄く聴き飛ばしてしまっていたものを(まてまて)、エルガーのチェロ協奏曲も決して悪くないけどディーリアスの方が自分的にはしっくりということで再度デュ・プレを聴いて、そういえばこちらのサイトは演奏家から曲を逆引きできると気が付き、こちらの演奏に行き当たった次第です… 日本語を学んでいる中国人の学生さんというのは大学生や若い社会人の人が半数以上を占めるので、同年代?という意味でも、とてもよさげな演奏に巡り合えたことに感謝ですー
それもこれも管理人様とこちらのサイトがなければこんな素敵な巡り合いはないわけで、感謝に堪えません… そしてこの機会に… ベートーベンさんごめんなさい!この曲は良かった。
#それにしても、コヴァセヴィチ氏があのアルゲリッチの元夫のお一人だったとは… わたしはクラシック音楽ファンとして自戒の意も込めて自身の感想を吐露したいと思い、それは敬愛する管理人様やここに集うクラシック音楽ファンの大先輩方の少なからぬ方々の賛意も得られるのではと思うのですが、このクラシック音楽という名の芸術はなんというかその、つくづく思うのです。人間にとって御しがたい面があるんだなあ、と。凡人の普通の人生では恐らくそうやすやすとは生じないようなことが、演奏であれ作曲であれ(そして恐らく鑑賞であれ)、没頭の仕方が間違ってしまうと人の方が逆に御され?てしまうような。悪い言い方にならないようにと思うのですが、例の粗品さんがクラシック音楽ファンだから他の芸人の皆さんよりも高尚で聡明ということにはならないのと同じで。いやいや自分なんかも、社内クラシックアワーを(中国人の妻からの禁止令前に)自分一人で堪能していたところ、クラシック音楽ゼロ基礎(中国語では全くの初心者のことをこう言ったりします)な友人が突然やって来て、たった一人で車の中、一体何を聴いているんですか?な顔をされてしまったこと、一生忘れることはないでしょう… そう考えると、ベートーベンはもちろんアルゲリッチやバレンボイムも、音楽家としては大家なんでしょうが、自分もそうなりたいかと問われれば、うーん…
- 2024-04-19:たつほこ
- アルヘンタ、いいですね。オーケストラも味わい深い。
第3楽章の素晴らしさ。
表題のfantastic、幻想というよりも素晴らしいの意味にも聴こえます。
さわやかなベルリオーズですね。
シューベルトも素晴らしい演奏で、こちらも聴きました。
存在を覚えていなかった(採点はしていたので聴いたことはあったはず)指揮者。
若くして亡くなってしまって本当に残念。
ポンコツの印象のある(すみません)オーケストラ。
当時は良かったんだろうなぁ。
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[2025-04-02]

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調, K.575 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(Mozart:Serenade in G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-28]

ラヴェル:スペイン狂詩曲(Ravel:Rhapsodie espagnole)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26, 1950)
[2025-03-24]

モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調, K.239「セレナータ・ノットゥルナ」(Mozart:Serenade in D major, K.239)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-21]

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125(Schubert:Symphony No.2 in B-flat major, D.125)
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1949年12月20日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 20, 1949)
[2025-03-17]

リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲, Op.34(Rimsky-Korsakov:Capriccio Espagnol, Op.34)
ジャン・マルティノン指揮 ロンドン交響楽団 1958年3月録音(Jean Martinon:London Symphony Orchestra Recorded on March, 1958)
[2025-03-15]

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 ,Op.18(Richard Strauss:Violin Sonata in E flat major, Op.18)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)グスタフ・ベッカー 1939年録音(Ginette Neveu:(P)Gustav Becker Recorded on 1939)
[2025-03-12]

モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589(プロシャ王第2番)(Mozart:String Quartet No.22 in B-flat major, K.589 "Prussian No.2")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2025-03-09]

ショパン:ノクターン Op.27&Op.37(Chopin:Nocturnes for piano, Op.27&Op.32)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1956年発行(Guiomar Novaes:Published in 1956)
[2025-03-07]

モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425(Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)
[2025-03-03]

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月8日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 8, 1945)