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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 三月のブラ1アップの時と同じく、SPとは思えない鮮明な録音、上手いオケ、ロジンスキーの手綱捌き、三拍子揃って楽しめる演奏です。
同時期、ワルターがこのオケを振ってますが、ワルターはブラームスを入れてません。マーラーの5番なんて残ってますが、これまた音がいい。SP後期は、音割れしない限りは、LP以上の臨場感がある、と言うのは褒めすぎでしょうか?
- 2025-08-16:cappucino
- 個人的にはこの日の演奏会記録(会場はスイス・モントルー)好きです。このコンサートではピアノ協奏曲27番のほか、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、交響曲29・41番が演奏されていますが、ギュルツェニヒ管が割とよい音色を出している印象があります。クレンペラーもまだ覇気が残っていた時代でした。
- 2025-08-16:cappucino
- クレンペラーは1917-24年にケルン歌劇場の首席指揮者でした。ギュルツェニヒ管弦楽団はケルン歌劇場のオケなので、クレンペラーにとっては昔なじみの思い出深いオケだったかと思います。もっとも、1956年のコンサートでは当時のメンバーは誰もいなかったかも...
ちなみに、ギュルツェニヒ管弦楽団はマーラーの交響曲第3・5番を初演(マーラー指揮)しているほか、クレンペラー在任中に彼が作曲したミサの初演もしています。
- 2025-08-15:cappucino
- この件の委細は分かりませんが、ラヴェルが作曲力の低下を自覚してから、よく指揮をしていたのは事実として、伝記などに書かれています。ですから、ラヴェルが指揮をしたとしても、不思議はありません。
- 2025-08-14:cappucino
- この演奏の面白いのは、演奏時間をラヴェルの自作自演 (16分20秒) にぴったり合わせているところです。カラヤンの性格からして、これはワザとやっているでしょう。ある意味、ちょっとしたおふざけとして録音しているとも言えます。
ちなみに、演奏時間をラヴェルの自作自演にぴったり合わせている指揮者が、私の知る範囲ではもうひとりいます。それはラヴェルの弟子のマニュエル・ロザンタールです。こちらは、師匠への敬意からテンポを合わせていると考えられます。
曲の性質上、テンポを合わせることには意味があると思います。個人的に14分は早過ぎ、17分はややもたつくので、ラヴェルの自作自演のテンポが最適と感じています。
個人的にはロザンタールのボレロが好きですが、カラヤンの悪いとまでは (よいとまでも) 思いませんでした。
- 2025-08-12:cappucino
- フェリアーは同じ演奏会で亡き子を偲ぶ歌も歌っており、そちらもすばらしいですね。
なお復活の最短演奏記録ですが、この1951コンセルトヘボウ楽団 (73分) より1950シドニー交響楽団 (英語歌唱, 69分) の方が短いです。どちらもクレンペラー指揮でした。
- 2025-08-12:cappucino
- ミルドレッド・ミラーは同時期、大地の歌 (ワルター指揮ニューヨークフィル)でも歌っています。そちらでもヘフリガー(テノール)ともども、素晴らしい歌唱を聴かせてくれています。
- 2025-08-12:cappucino
- マーラーの演奏を聴いていた人の演奏として、ワルターの記録は貴重です。
たとえば第4楽章アダージェットは、一時期10~15分ほどかけてゆっくり演奏されることが流行りました。しかし、メンゲルベルクとワルターの記録は7分台であり、マーラーも約7分で指揮したといわれています。
そうした議論を経て、近年では9分前後で演奏する指揮者が増えてきましたが、中途半端な印象があり、ときおりワルターのテンポを確認したくなります。
- 2025-08-12:cappucino
- クレンペラーはマーラーが監修するオスカー・フリート指揮の復活演奏会で、舞台裏楽器の指揮をしたことがあります。ワルターとならんで、マーラー交響曲の実演を知る人物なので、彼の演奏にはそうした歴史的価値があります。
クレンペラーの復活実演をラジオで聴いたアルマがクレンペラーへの書簡で「マーラー本人のテンポを思い出した」と伝えたそうです。
その意味で「ワルター・クレンペラーとバーンスタインと、どちらがマーラーの意図に近いか」という問いには、無理して答えない方がよい一面があるかと思います。
クレンペラーのマーラー4番の特徴としては、3楽章アダージョを引き伸ばさないことがあげられます。
【 introduction 】 紹介してもいいよ!!
- 2025-08-12:cappucino
- こちらをご共有いただいたおかげて、よい意味でシュミット=イッセルシュテットのイメージが変わりました。クレンペラーのシドニー実演記録よりもさらに速いテンポで、おどろきました。
最近は緩急の差を強調した演奏が主流で、ブーレーズでさえそんな時代の流れに沿ったマーラー全集になってしまった (若い頃の実演記録は全然ちがった) ので、このシュミット=イッセルシュテットの演奏記録も貴重であると感じます。
- 2025-08-11:cappucino
- 若い頃のクレンペラーの十八番はブルックナー交響曲第8番だった、という話があります。実際、クロール時代近辺にて3楽章アダージョを録音しています。
旧来の日本の音楽評論界は事実に基づかないデタラメな部分があり、クレンペラーの芸術に対する歪んだ理解もそのひとつだったかと思います。
事実に基づくと、クレンペラーは、20世紀前半における類まれなブルックナー指揮者でした。
- 2025-08-10:Duke Nyan
- 第一楽章の4フレーズから腰を抜かしました。
一つのテーマが提示されて、それが次々と変奏されていくかと思いきや、予測を裏切られました。ずっと演奏についていくほかはありません。これは、面白い。どのような展開されるか、息を継ぐ暇もありません。少々演奏しているジャズをさらえると、これは楽譜に書かれたフリージャズでしょう。調のなさはもとより、テンポもリズムも絶えず変化するので、あっという間に聞き終わりました。これは、一言、面白い。バルトークにどっぷり浸かりそうです。甘美な旋律も甘いですが、超絶技巧もびっくりしますが、バルトークのはまさに戦慄を覚えます。まあ、好き嫌いはありましょうが・・・。人に勧めても悪くはないかなと考えます。その人の傾向を測る試薬になりそうです。
- 2025-08-09:盤鬼西条卓夫
- 明治37年生まれの西条卓夫氏は1990年代まで存命した、長寿の音楽評論家。
「名曲この一枚」という著書があり、名人ティボーとの交友振りを、独自の筆致で綴ってます。
先に言っときますと、西条氏は、この本のスペイン交響曲の項で、「これをきわめつきとしていたが、遂に録音しなかった」と書いてます。
でも、ユング氏のサイトで、幻の録音がきけたわけです。
1951. ティボー71歳。2年後に来日途上、エールフランス墜落でこの世を去りました。上記の書に、こうあります。
伴奏者のヤノボーロが船旅を支持するのに対して、「どうせ死ぬなら、飛行機のほうが、一思いでいいよ。船や汽車だと、死に損ないというサバサバしない場合があるからね!」とこともなげに云ってのけた、、、ヌヴーもエールフランスでしたね。
わたしは、これまでティボーというと、弾き崩しの多い伊達男に思えて、よくは聴きませんでした。それが、西条氏の文章を読んでると、ティボーをもっと聴きたくなってきたから不思議です。
ティボーの著書「ヴァイオリンは語る」の訳者も西条氏なのです。
そうそう、一人の演奏家に惚れ込んで著者を為す、というのは宇野功芳とワルターの先陣を切ってたわけですね。
巷間、同じような事を言う評論家が多いように思います。言葉で音楽は評しきれないのは承知してますが、このような個性的な文章が、鑑賞の玄関口になるのは確かにあることですねえ。
- 2025-08-08:豊島行男
- 素晴らしいです。感銘しました。ストコフスキーの編曲のようなロマンティズム・まったり感はないのですが、独特の緊張感に溢れた名編曲ではないかと思います。
- 2025-08-08:豊島行男
- これまた楽しい演奏ですね!レボビッツの録音は、ベートーベン初めあれこれ聴いてみましたが、妙に、こうゆう小品の方が面白いですね。
禿山の一夜とか、とか。
- 2025-08-07:Duke Nyan
- 確かに数小節聴くと、指揮はあのお方だと分かりました。聞きやすくてバルトークの入口にふさわしいと考えます。
ある意味では、このような調理方法もあるのかと感心したり、音響の素晴らしさにびっくりしたりしました。もっと、現代音楽が理解されるといいなあと考えつつ、楽しく聴かさていただきました。ありがとうございました。
- 2025-08-05:north fox
- 昔からこの演奏を聴くといつもセルやフルニエのことよりも「BPOって上手いなあ」と思います。そして次に「セルもなかなかやるジャン」とも。セルとクリーブランドとの組み合わせでは聞けない演奏ではないでしょうか。
クリーブランドではセルの逆鱗に触れぬよう必死についていくといった雰囲気ですが、BPOはセルに敬意を払いつつも結構自分たちの演奏をしているようです。セルも敢えて有無を言わせず従わせるということはしていないようですし。客演でお互いの美質が良い方向で結びついているのでしょうか。その影には日頃のカラヤンの鍛え方があるようにも、とは勘繰りすぎでしょうか。
勿論フルニエもどなたかが仰るように上品で美しい演奏で、バックのオーケストラともマッチしています。この曲での特に好きな演奏の一つです。
- 2025-08-02:日山茂美
- 本サイトを長年利用させていただいております。
今はとっくに還暦を過ぎた小生ですが、子供のころ我が家にはこのリーダーズダイジェストから発売されたレコードセット(確か10枚組)がありました。
収録曲はクラシックに限らず様々なジャンルに及び、うち1枚に「こうもり序曲」や「英雄ポロネーズ」などが収録されていて、私はこの1枚を繰り返し聴いた記憶があります。
このレコードセットは両親が20年近く前に処分してしまいましたので、二度と聴けないと思っておりました。
こうしてきれいな音で再び聴くことができ、遠く過ぎ去った思い出を振り返っております。
- 2025-07-31:くらとしお
- レイボヴィッツ&ロイヤルフィルの演奏は、シューベルトのグレイトの中で私の中でのまさに理想的な演奏です。最近この演奏を、リーダーズダイジェストの米盤ステレオをレコードで聴きましたが、まるで眼前に、前文明の超巨大な造形物が霧の中から突然完璧な姿を現すような感覚があります。衝撃が走る演奏でした。ロイヤルフィルが強烈にうまいのでかろうじて再現できているのだと思います。もう一つ好きな演奏にコンビチュニー&チェコフィルがありますが、こちらの方が木管の音色が若干華やかなぐらいで同系統のバランスの良い演奏だと思います。
バランスよい弦楽、金管、木管、打楽器が調和していて有機的に結びついていて破綻しない演奏で随所に聴きどころがあり、それで最後まで一気に聴ける演奏です。間延びがない。この演奏を知っていれば、他のグレイトを知らなくても後悔しないでしょう!
レイボヴィッツは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とも米ウエストミンスターから録音していますが、別人が演奏しているかのような違和感があります。あまりおすすめしません。
- 2025-07-28:アドラー
- 「威風堂々」は1番以外は聴いたことがなかったので、アップロード有難うございます。いい音楽だし、いい演奏ですね。1番と同じように、クセになってつい聴いてしまう音楽です。1番と違って、こちらはどんよりと曇った英国の寒い中をちょっと小難しい顔をして歩いている英国人、という私の古い先入観イメージに合っているような感じがします。ユングさんの説明を読むと、大指揮者が思いを込めて演奏しているんですね。オーケストラもいい音がするし、1番と違って政治的な連想をせずに、ハマって聞いています。
しかし、この頃はついに英国でも猛暑で熱中症にかかる人が急増していると聞いています。人類はいつまでもつのか? という方に連想が行きます。
- 2025-07-27:アドラー
- この曲はずいぶん昔、初めて聞いてからずっと癖になって聞いていた覚えがあります。いい曲だと思うのですが、プロムスを見ると、ユングさんの「この大英帝国への誇り~いいか悪いかは脇に置くとして・・・」と同じ思いです。
陶酔し熱狂ている聴衆を見ると、自国を誇りに思えるのを羨ましいと思うのと同時に、「反省はないのかよ」と言いたい気持ちになります。おそらく、好きな曲だったので聴き過ぎたためでもあるんでしょうけど、プロムスを見てそう思うようになってから、いい曲、という思いが30%くらい減った感じがします。
- 2025-07-19:大原 直樹
- ノヴァエスを知ったのは数年前です。暫く忘れていましたが、リタイヤして時間ができたので色々振り返ることがあり、思い出したCDを棚から引っこ抜いてショパン(VOX CDX3 3501)を聴いていました。
きっかけはスルタノフが弾くショパンを聴いた時に音あるいは旋律の引き出し方に特徴があったからです(そのとき思い出したのはノヴァエスが弾くシューマンの子供の情景だったんですが)。
それで、どなたかノヴァエスのことに触れている方が何かアップしているんぢゃないか…と思い、おぢゃました次第です。
1970年代くらいから技術の均整がとれた隙のない演奏が好まれるようになって(?)、それがスタンダードになって定着している気がします。あなたの仰るところの考える演奏家は減ってしまったのかも知れません。または、聴衆の中に考えて楽しむのではない人の数が増え、それに支えられた多くの演奏者は麻痺し(?)、考えないか別のことを考える様になってしまったのかも知れません。
クラシック音楽は、考えて聴く(演奏できる人は演奏する)ことがあってこその「楽しみ」なのだと思いますが最近はちょっとつまらなくなってしまった気がします。
誤解か年齢による私の思い込みかも知れませんが。
- 2025-07-10:風琴屋
- アランのバッハは懐かしいですね。若い頃は違和感と感じることもあった「軽み」も、後期高齢者と呼ばれる現在では好もしく思えることに感慨を覚えました。
アランの録音で一つ興味深いのは,フランス古典の曲の時はフランスの古典的なオルガンを用いているのに対し,バッハはモダンな楽器で録音していることです。自国の作品に対する矜恃と言うものでしょうか。フランスものの録音もぜひアップをお願いします。
- 2025-07-10:豊島行男
- これはアランの一番最初の録音でしょうか、後年の録音はあまり聴いていませんが、この演奏はいいですよね。私にはヴァルヒャの演奏よりか親しみ深いです。
- 2025-07-10:あとむくん
- いやぁ、オッタマゲました。
こんなカラリとしたパセティークがあったんだ、と。
カルロという人は、楽曲を選ぶお人だなぁと、つくづく想いました。こんなアッケラカンとした悲愴は、久方振りです。
でも、悪くはありません。
病後の身には、丁度良いのです。
胃に凭れない。古傷を刺激しない。感情に適度に訴える。
それで構わない……、そういう時ってありますよね。
カルロの若き遺産ですよ。ロス時代とは、まるっきり違う、でも、それが佳いのです。
- 2025-07-08:アドラー
- 厳格なバッハのオルガン曲を何曲か続けて聴いていたら、いつものようにどうにも耐えられなくなり、逃避しそうになりました。でも、何とかとりあえず、オルガン曲で?頑張ろう゛と辿り着いたのがこの演奏。聴きやすくてホッとしながら聴いていました。と、真ん中の辺り、どこかで聞いたことのある何か懐かしいメロディだな、と思って、BWV番号で調べたら、なんとカザルスが編曲して弾いていた曲なんですね。カザルスのその演奏は何度も聴いているので、時分ではそれがデフォルトになってしまっていたのですが、こうして原曲を聞くとカザルスよりもずっと軽快で聞きやすいしです。逆に、カザルスはこの曲からあの、魂の呻き声のような曲を思いついたのは凄いと思います。
- 2025-07-08:豊島行男
- 美しい!余りにも美しく官能的な演奏です。全曲録音がないのが至極残念です。
- 2025-07-06:藤原正樹
- 強火でさっと炒めたという感じの名演奏。ベルリオーズもシベリウスも、パレーにかかるとこういう演奏になる。音楽が前へ前へと進んでいくのは、曲の形式からするとなかなか難しいが、見事である。じめっとしていないのだ。
- 2025-07-01:アドラー
- ヘンデルのピアノ曲というか、鍵盤楽器の曲は殆ど初めて聞きました。ヘンデルはスカルラッティと同じ時代の人ですよね?? 自分がよく知らないからそう思うだけなんでしょうけど、「これ、スカルラッティのソナタですよ」と言われても、違和感を感じないような気がします。
そして、スカルラッティの曲に似ているなあ、と思って聴いていると、頭の中でスカルラッティの色々な名演の音色とつい比較してしまって、(録音のせいかもしれないですけど)、このハイドシェックのピアノの音が、今一つな気がします(単に好みの問題ですけど)。
もう一つ、私が聞いてきた幾つかのスカルラッティの演奏との違いは、スカルラッティの方は聴いた後に余韻が残るのに対し、こちらは余韻が余り残らないです。その分、聴いている時に音楽への集中・没頭を要求される、という感じがします。なので、何度も聴けない重厚で、そして端正な音楽だと思います。
- 2025-07-01:アドラー
- 前回アップロードしてもらった同じピアニストによるヘンデル:組曲第16番(第2巻)は重厚さ・端正さを感じましたが、こちらはその重さが1.5倍になったような感じがして、一層堪えます。やはりスカルラッティを思い起させる部分もあるけど、ハイドシェックがより真正面からこの作品に向き合っているのかも、と連想させるくらい、聴いている私には重いです。ピアニストの集中した情感に隙がなく、聴いている側は音楽が鳴っている間、息継ぎが出来ない息苦しさを感じます。もう少し音楽との間に距離感をもって聴くと、いい演奏だろう、ということは分かるのですが。
この感想は、アップロードしてくださったユングさんを批判したり、音楽を批判している訳では全くありません。これは、私と音楽が混然となった私個人の主観的な感覚なので、もはや演奏についての感想とは言えないのでしょう。そんな感想を書いていいのかな、と思ったのですが、印象が強い分、書いてみたくなりました。
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[2025-08-16]

ブラームス:交響曲第2番 ニ長調, 作品73(Brahms:Symphony No.2 in D major, Op.73)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1946年10月14日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on October 14, 1946)
[2025-08-14]

ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲&第3幕への前奏曲~従弟たちの踊りと親方達の入場(Wagner:Die Meistersinger Von Nurnberg Prelude&Prelude To Act3,Dance Of The Apprentices)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2025-08-11]

エルガー:行進曲「威風堂々」第4番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 4 In G Major])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1962年8月28日~29日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonia Orchestra Recorded on August 28-29, 1962)
[2025-08-09]

バッハ:前奏曲とフーガ ホ短調 BWV.533(Bach:Prelude and Fugue in E minor, BWV 533)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-08-07]

ベートーベン:交響曲第8番 ヘ長調 作品93(Beethoven:Symphony No.8 in F major , Op.93)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-08-05]

ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op. 115(Brahms:Clarinet Quintet in B Minor, Op.115)
(Clarinet)カール・ライスター:アマデウス四重奏団 1967年3月録音(Karl Leister:Amadeus Quartet Recorded on March, 1967)
[2025-08-03]

コダーイ: マロシュセーク舞曲(Zoltan Kodaly:Dances of Marosszek)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1962年11月15日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on November 15, 1962)
[2025-08-01]

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲(Johann Strauss:Die Fledermaus Overture)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-07-30]

エルガー:行進曲「威風堂々」第3番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 3 in C Minor])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-07-28]

バッハ:前奏曲とフーガ ハ長調 BWV.545(Bach:Prelude and Fugue in C major, BWV 545)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)