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ベートーベン:カカドゥ変奏曲 ト長調 Op.121a


ボザール・トリオ 1964年録音


幽かな余韻

ベートーベンはピアノ・トリオの分野では「大公」によって、突然のように今までとは全く異なる世界を切り開いて見せました。そして、その大爆発は勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩りながら、後には幽かな余韻しか残さずに、彼はこのジャンルから去ってしまうのです。
その幽かな余韻というのが、単一楽章からなる「カカドゥ変奏曲」です。

ベートーベンはこの楽器編成による作品としては、クラリネットを用いた「街の歌」も含めれば7曲、そしてこの変奏曲形式による単一楽章の「カカドゥ変奏曲」を残しています。
それ以外に、ボン時代の習作が2曲とブレンターノ家の10歳の少女のために書いた小品が1曲残されています。

ですから、彼が「大公」という偉大な室内楽作品を書き上げた後に15年という時間が残されていたのですが、その頂きがあまりにも高かったがゆえに、この楽器編成の作品としては「カカドゥ変奏曲」しか残さなかったのです。
よく知られているように、この作品の主題は当時のウィーンでとても人気のあった「私は仕立屋カカドゥです(歌劇「プラハの姉妹」より)という歌からとられています。つまりは、当時のウィーンのはやり歌からテーマをとったのですが、これはその当時としてはよくやられた手法です。要は、そう言う流行歌を使うと出版した楽譜がよく売れたからです。

ですから、最初にこの作品のことを「勇壮なる打ち上げ花火が夜空を彩った後の幽かな余韻」みたいな事を書いたのですが、こういう手法を考えると、果たしてこの作品が「大公」の後の「幽かな余韻」なのかどうかにはいささか疑問が残るのです。
何故ならば、ミュラーによる「プラハの姉妹」は1794年に作曲されていて、ウィーンで初演されたのは1806年だからです。そして、最近の研究によると、この作品のことをベートーベンは既に1803年には知っていた可能性が指摘されているのです。そして、この作品の作曲に関する詳しい資料がほとんど残されていないので、可能性としては最も早くて1803年、もっとも遅くて出版される前年の1823年という事になってしまうのです。

ですから、「大公」の作曲が1811年ですから、それより前の作曲となると「幽かな余韻」ではなくなってしまうどころか、「食べんがための手すさび」になってしまう可能性もあるのです。

しかしながら、一番肝心な「音楽」の形を見てみれば、後期のベートーベンらしい特徴が現れていることも事実なのです。

とりわけ、主題がピアノに現れる前のアダージョ・アッサイの序奏は晩年のベートーベンらしい内省的な雰囲気を持っていることは間違いありません。
そして、その後に続く10の変奏でも、対位法的な手法が細やかに用いられているので、おそらくは「大公」以後の作品と見て間違いはないようです。

一つの公理系と言える演奏


ボザール・トリオはピアノのメナヘム・プレスラーが中心となって1955年に結成されました。設立当初のメンバーはヴァイオリンにダニエル・ギレ、チェロにバーナード・グリーンハウスでした。その後、ヴァイオリンはイシドア・コーエン(1968年~)、イダ・カヴァフィアン(1992年~)、ユンウク・キム(1998年~)、ダニエル・ホープ(2002年~)と交代し、チェロに関してもピーター・ワイリー(1987年~)、アントニオ・メネセス(1998年~)と入れ替わっています。
つまりは、非常に珍しい「常設のピアノ・トリオ」と呼ばれる「ボザール・トリオ」の実態は、ピアニストであるメナヘム・プレスラーの努力によって維持されてきた団体だと言えるのです。

しかし、このトリオにはどこか「風当たり」が強い様な雰囲気を私は感じます。
それは、このメナヘム・プレスラーというピアニストがソロ活動は一切行わずに、このピアノ・トリオの活動に全力を傾注してきたことに原因があったのかもしれません。

下世話な話ですが、貧しい若者が結婚するときに昔は「一人口では食えなくても、二人口なら食える」と言ったものです。一人の稼ぎでは食っていけなくても、貧しい二人が寄り添って家庭を築けば何とか食っていけるという現実を表した言葉なのですが、ボザール・トリオもまた、「ソロでは食ってはいけなくても、室内楽の団体なら食っていける」みたいな見方がされていたのかもしれません。

それに、ピアノ・トリオというジャンルはただでさえクラシック音楽の「裏街道」である室内楽の世界においても、さらに「裏街道」の世界です。そう言う「裏街道」の世界で唯一「エリート的な立場」にいるのが「賢者の対話」と呼ばれることもある弦楽四重奏曲の世界なので、「弦楽四重奏団」はそれなりに「尊敬」はうけるのですが、裏街道のさらに裏を行く「ピアノ・トリオ」となるとどこか見る目もよそよそしくなります。

さらに言えば、そんな裏街道でも時々素敵な花が咲いているときがあります。
ところが、そんな花(例えば「大公トリオ」)が咲いていると、急にカザルスやハイフェッツみたいな連中がやってきて摘んでいってしまうのです。
今さら、ボザール・トリオがそんな花を摘んでいっても誰も見向きもしてくれないので、仕方なくそんな裏街道に咲く雑草みたいな地味な花(失礼^^;)をせっせと摘んでくるしかないのです。

そんな労多くして報われることの少ない仕事をプレスラーは半世紀以上も続けてきたのですが、ついに2008年9月6日のルツェルン音楽祭でのコンサートをもってこのトリオを解散します。この時プレスラーは既に80才を超えていたのですから(1923年生まれ)、これで彼も長い芸歴にピリオドを打って引退かと思ったのですが、何とその後、彼はソロ活動を解禁するのです。
そして、ベルリンフィルやコンセルトヘボウ、パリ管などとも共演をするようになり、現在も活動を続けているようです。亡くなったという情報は聞いていないのですが、2015年の来日公演は健康上の理由できゃんせるになったようですから、もしかしたら第一線からは引退したのかもしれません。

彼は、あるインタビューの中で次のように語っていました。

「ピアノ協奏曲を弾く際、ピアニストは技巧を披瀝して、賞賛を勝ち得たいと思うものです。」
「私だって、他の人と同じでした。他の誰よりも綺麗で大きな音を出し、早いパッセージを華麗に弾きたいと思ったのです。」
「しかし私は、トリオに加わることになりました。そこで音楽そのものに奉仕することを学んだのです。」

なるほど、「音楽に奉仕」することを学ばなければ、こんなにも報われることの少ない仕事を半世紀も続けられるはずはありません。
確かに、「大公トリオ」のような作品ならば、3つの楽器が独奏楽器であるかのように演奏しても様になります。しかし、ほとんどのピアノ・トリオは「バランス」こそが大切です。とりわけ、ピアノはその気になればいとも容易く他の楽器を圧倒することができるのですから、ピアニストには音楽に献身する心構えがなければその「バランス」を維持することはできません。

そして、その様な「バランス」はにわか仕立てのソリストの寄せ集めでは、お互いの「我」が出過ぎて実現不可能です。
ピアノ・トリオという音楽ジャンルのあるべき姿をあるべき様に演奏するには、どうしてもこのような長きにわたって活動を続ける団体が不可欠なのです。

その意味では、一つ一つ取り上げれば物足りなく思える部分があったとしても、このトリオによるベートーベンのトリオ・ソナタはその様な良し悪しの判断や評価を超えたところに存在する一つの公理系と言える演奏かもしれません。


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