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ギレリス(Emil Gilels)|ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
Beethoven:Piano Trio in B-flat major, Op.97 "Archduke" [1.Allegro moderato]
Beethoven:Piano Trio in B-flat major, Op.97 "Archduke" [2.Scherzo. Allegro]
Beethoven:Piano Trio in B-flat major, Op.97 "Archduke" [3.Andante cantabile ma pero con moto]
Beethoven:Piano Trio in B-flat major, Op.97 "Archduke" [4.Allegro moderato]
謎の多い作品

交響曲の分野で言えばそれは疑いもなく「エロイカ」です。当時の人々は、あんなにも素晴らしい交響曲(第1番・2番)を書いた男がどうしてこんなわけの分からない音楽を書いたのだと訝しく思ったと伝えられています。
そして、その後もこのジャンルでは驚くような作品を次々と生み出していきました。その意味でも、交響曲こそはベートーベンにとっての主戦場だったのでしょう。
事情は室内楽の世界でも同様です。
弦楽四重奏曲ではそれは「ラズモフスキー」であり、ヴァイオリンソナタならば「クロイツェル」です。
ピアノソナタならば、「アパショナータ」や「ワルトシュタイン」が上げられるでしょうか。
そして、ピアノソナタや弦楽四重奏曲の分野では最晩年にもう一度「爆発」をおこすのです。ただし、その「爆発」は外に向かってではなく己の内部に向かって光を投げかけたのでした。
そして、ピアノ三重奏曲の分野ではそれは疑いもなく「大公」でした。
そして、このジャンルほど、爆発以前と以後との落差が大きなジャンルはなかったように思います。
それ以外のジャンルでは、どこか次の爆発を予感させる「予兆」みたいな者がありましたが、このピアノ・トリオにおいてはそれは突然やってきたのです。
そして、そうであったからこそかもしれませんが、この爆発は勇壮なる打ち上げ花火のように夜空を彩りながら、後には幽かな余韻しか残さずに、彼はこのジャンルから去ってしまうのです。
そういう事情があるからでしょうか、この作品は少しばかり謎めいています。
「大公」というあだ名は、これがルドルフ大公に献呈されたことに由来します。そして、献呈されたルドルフ大公はこの作品に深く感動したと伝えられています。しかし、それは当然のことであって、この作品はピアノ三重奏曲という狭いジャンルだけでなく、室内楽作品全体を見回しても屈指の名作であることは疑いがないからです。
作品冒頭のピアノで歌いだされる雄大なテーマが聞き手の心をがっちりととらえます。そして、何よりも魅力的なのはアンダンテ・カンタービレと指定された第3楽章の美しさです。これを聞いて深く感動しない人がいるならば、その事の方が不思議です。
ところが、そのように優れた作品でありながら、公式の初演は作品完成後の3年後なのです。ちなみに、この演奏会ではピアノを作曲者自身が担当しているのですが、ベートーベンがピアニストとして公開演奏を行った最後となったものです。さらに、出版はその2年後の1816年にまでずれ込んでいるのです。
この「遅さ」は他の作品と比べると異例とも言えるもので、作品の素晴らしさを考え合わせると、実に不思議な気がします。
まあ、これはもう全くの想像の域を出ませんが、もしかしたら献呈を受けたルドルフが、その素晴らしさ故に独り占めをしたかったのかもしれません。もちろん、そんなことを示す資料は何一つ残っていないので全くの妄想の域を出ませんが・・・。
しかし、そう言う妄想を逞しくしたくなるほどに、素晴らしい作品だということです。
ギレリスが主導しつつも3人の覇気があふれている演奏
何ともはや、凄まじい顔ぶれです。
ピアノがギレリス、ヴァイオリンがコーガン、そしてチェロがロストポーヴィッチというのですから、この顔ぶれでコンサート会場に姿を現した日にはよい子の皆さんならば卒倒しちゃうじゃないでしょうか。そして、その「卒倒」にはオーラに圧倒されると言うだけでなく、素直に「恐い」という感情も入り交じるはずです。
顔ぶれは変わるのですが、カラヤン、リヒテル、オイストラフ、そしてロストポーヴィッチという組み合わせで録音されたベートーベンのトリプル・コンチェルトにまつわるエピソードは有名です。これだけ「我」の強いメンバーを集めればどうなるかは容易に想像がつくのですが、現実はそう言う「想像」をこえた大喧嘩が繰り広げられたことはあまりにも有名です。
そして、そう言う大喧嘩の中でただ一人ロストロポーヴィッチだけが何とか間を取り持とうとして大声を上げ続けたそうです。
そう言えば、アメリカでも「100万ドルトリオ」というのがありました。
ルービンシュタインのピアノ、ハイフェッツのヴァイオリン、フォイアマンのチェロという組み合わせなのですが、ここでもいがみ合うルービンシュタインとハイフェッツの間に入って仲を取り持とうとしたのはチェロのフォイアマンだと言われています。
そして、このトリオはそのフォイアマンの夭逝によってわずか1年で解散してしまうのですが、その後、ピアティゴルスキーをむかえいれて再結成されます。そして、同じくハイフェッツとルービンシュタインの間ではバトルが繰り広げられるのですが、その時も間にはいるのはピアティゴルスキーだったそうです。
楽器の特性がそれを演奏する人間の性格に影響を与えることは間違いないようです。
とにかく前に出てソロをつとめることが多いピアノとヴァイオリン、それを縁の下で支えることが多いチェロという楽器の特性が、そのまま演奏家の思考パターンや感情、価値観にまで根深く食い込んでしまうことは否定できないようです。
その事を思えば、ギレリス、コーガン、ロストポーヴィッチと言う顔ぶれはアメリカの「100万ドルトリオ」と較べても全く遜色のない組み合わせですから、その録音現場はさぞや大変だったのではないかと想像されるのですが、そう言う下世話な予想に反してこのトリオに関してはそう言うバトルの話も伝えられていません。
しかしながら、その理由らしきモノは、少し考えてみれば容易に想像がつきます。
まずは、このトリオを組んだときの年齢です。
私の手もとにある、このコンビによるもっとも古い録音は1950年録音のハイドンの「XV:19」とベートーベンの作品番号外「WoO38」のピアノ・トリオです。
この時、もっとも年長だったギレリスでも34歳、コーガンとロストロポーヴィッチは未だ20代前半だったのです。
結局、こういうコンビが上手くいかないのは、それぞれのプレーヤーが俗な言い方をすれば「一国一城」の主になっているからであって、そして、その「一国」の領土をそれぞれが主張をして譲らないからです。
今から見れば恐くなるような顔ぶれなのですが、このトリオが組まれたときは未だ「一城の主」にはほど遠い若手の演奏家だったのです。
さらに、3人ともモスクワ音楽院の出身だと言うことも、そう言うバトルが勃発することを抑止したのかも知れません。
ハイフェッツとルービンシュタインのバトルは、ひたすら真面目に音楽に向き合いたいハイフェッツと、ウィットに富んだ面白味を大切にしたいルービンシュタインとの気質の違いこそが根っこにありました。しかし、この3人に関してはともにモスクワ音楽院という根っこを持っているがために、その気質には大きな相違はなかったように思われるのです。
そして、若いと言ってもギレリスは後の二人と較べれば10年以上も年長であり、さらに西側での演奏活動も許されてそれなりにキャリアを積み上げつつあったので、基本的には彼が主導する形でアンサンブルが形作られたこともプラスに作用しているのでしょう。
面白いのは、活動の最初に取り上げた作品がどれもこれもマイナーだと言うことです。正直言って、よくぞこの顔ぶれでハイドンの三重奏曲を2曲も残してくれたものだと感謝せずにはおれません。
モーツァルトのトリオも彼の作品の中では明らかに初心者による演奏を前提としたものです。
ベートーベンのトリオも作品番号外のマイナー作品です。
	- ハイドン:ピアノ三重奏曲 ト短調 Hob.XV:19 1950年録音
	- ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第9番 変ホ長調 WoO.38 1950年録音
	- ハイドン:ピアノ三重奏曲 ニ長調 Hob.XV:16 1951年録音
	- モーツァルト:ピアノ三重奏曲 第7番 ト長調 K.564 1953年録音
しかしながら、そう言うマイナーな作品であるが故に自由に振る舞うことが許されたのかも知れません。「覇気溢れる」という言葉がこれほどピッタリくる演奏は滅多にあるものではありません。
音楽的にはギレリスが主導している感じはあるのですが、コーガンのヴァイオリンは伸びやかであると同時にここぞという場面での切れも素晴らしいです。
そして、ロストロポーヴィッチのチェロがどちらかと言えば控えめに感じられるのは、音楽そのものがそうなっているからでもあるのですが、やはり3人の間における立ち位置も影響しているのでしょう。
それと比べると、その後に録音されたメジャー作品では、若さあふれる勢いは失ってはいないものの、より緊密なアンサンブルを聴かせてくれています。
	- ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番「大公」 変ロ長調 Op.97 1956年録音
	- シューマン:ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.63 1958年録音
ただし、それがこの顔ぶれにしてはいささかこぢんまりしてしまった恨みもあります。それが、50年代初めの録音に較べると、その録音のクオリティが不思議なほどに劣っていることも影響をしているのかも知れません。
「録音」という形で残ってしまうとギレリスのピアノにはもう少し繊細さがほしかったような気賀するのも同様の理由かも知れません。
しかし、それもまた、後年に偉大な名を残すことになる巨匠達の若き日の記録として聞いてみれば、それなりに味深い録音はそうあるものではありません。
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