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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2024-05-21:迷える野暮天
- ユング氏はじめ皆さんから絶賛されている録音ですので、なかなか共感できない自分がおかしいのかとここにアップされて以来何度も聴いているのですが、いつも途中でやめたくなります。
セルの特徴の一つである音価を短めに切り詰めたまるで突き放すかのような奏法、場違いのように突出したトランペットなど上手い(美しい)とは言い難い管楽器群、いつもは追いかけることが楽しくなるモーツァルトの複雑かつ精緻な各声部の進行もばらばらに聞こえてしまう等々。聴力の衰えか、感性の劣化か、それともシステムがショボいのか。
因みに私が好きなのはモーツァルトの面白さを教えてくれた60年代のベーム&BPO盤、知性と気品を感じさせる80年代のクーベリック盤です。
- 2024-05-20:小林 正樹
- フランチェスカッティの響きを美しいと感じるのは、私の場合そのフランス人特有の「鼻母音」の持つ「美魔力」にやられてるんだろうと思う。中学生のころにステレオ盤のワルター指揮でモーツァルト第3協奏曲やブラームス二重協奏曲(この場合チェリストまでがこの響き!)を聴いたときのショックが忘れられず未だに尾を引いている。ドイツ系は子音(的)な響きを大切にしてるかもしれないですね。英語はその中間か?イタリアやスペインは母音そのもののダイレクトな「迫力?」が・・・。いずれにせよ音楽、特にクラシック系の作品はその響きの中にも感動を誘う要因が大きいと思います。で、日本の奏者、団体の響きにはそれらの特徴が、どちらか言うと「無い乃至薄い」ように感じます。特に和音を発する時のトロンボーンやチェロそれに最高音を奏でる時のヴァイオリン奏者などに顕著かなと・・。閑話休題、フランス系の奏者たちの鼻母音は美母音ですなぁ。フルートのランパル、モイーズ、アンセルメのロマンド管のバッソン(ファゴットと言わない)やヴィブラートのかかったフレンチホルンなんかもそれらの類だと思います。(でも近年はこれらの特徴の傾向が少ないかな、これってインターナショナルなの?)。
- 2024-05-18:Die Zauberfl
- このオペラを一言で表現すると18世紀のヒーローショー。あらすじだけ見れば昭和の特撮のテンプレート。その意味では今の少年漫画の原型がそこにある。特撮取ってた人が演出するのも納得。
- 2024-05-18:あろりきゃ
- 青柳いづみこ著の「グレン・グールド 未来のピアニスト」によると、デビュー当初グールドはリパッティの後継者として期待されていたようです。(師弟関係という意味ではなく、同じ音楽性を持つと踏んだ音楽市場から)
コンサート・ドロップする前のグールドはリパッティと同じく清廉な演奏で、コンサートでのモーツァルトの演奏も正統派路線で素晴らしいとのことでした。
それ故、普通に弾いたら上手いのだから普通に弾いたら良いのに…とソナタ全集の件でリリー・クラウスやニコラーエワから言われていたようです。
- 2024-05-18:アドラー
- 私の場合、リストのピアノ曲というと、演奏家はベルマンとかホロヴィッツ、シフラとか思い出し、作品は激しい曲を、あるいは、たとえ初めは穏やかでも途中から派手になる激しい曲をすぐに想像してしまいます。で、この演奏も、そうかな? と思いながら聞き始めたのですが、穏やかなままで、ピアノも落ち着いた美しい音色で、あれっ? もう終わり? という感想です。曲のことも知らないし、演奏家の比較もできないので、こんな単純な感想しか言えないのですが、落ち着いた、いい気分で聞けます。こういうのもリストにはあるんですね。
- 2024-05-17:大串富史
- ヘンデルと、演奏者の面々に、そして管理人様への感謝と共に。
これは… ちょうど5分ではないですか。次の中国人向け日本語多人数レッスンの5分間休憩バックグラウンドミュージックで、絶対に流す(長
#友人がコンサートでこれやシューベルトの菩提樹を歌っていたのを思い出しました。
こんな懐かしい出会いも、こちらのサイトならではですね。重ねて感謝です…
#それにしても一気にヘンデルまで来て、ふー、一抹の寂しさ侘しさのようなものを感じています… 名器の響き 鍵盤楽器の歴史的名器と題するCDがあるのですが、自分的にはなんでこちらがメジャーにならずラルゴがメジャーになってしまうのかという、まあ不満というか葛藤めいたものがあり、それは北ドイツオルガン学派の楽曲にしても、フレスコバルディらのイタリアンなギター曲(元は鍵盤楽器曲)にしても同じだったりします… 好みと言われてしまえば、まあそれまでなんですが。それでH(ヘンデル)の直後にJ(ヤナーチェク)のシンフォニエッタが流れると、やっぱりそうなのかなー、と。ご紹介いただいているモンティヴェルディ、コレッリ、テレマン、コレット、アルビノーニ、ヘンリー・パーセルらは、ちょっと無理があるものの、まあラルゴと同類、なんでしょうか。でもわたしなんかはやっぱり、スウェーリンクの半音階的幻想曲あたりをシンフォニエッタを経てバルトークにまで結び付けたいです… いつか機会があったなら、申し訳ないバッハ-ハイドン間の耳に優しいこれら楽曲を華麗にスルーした裏クラッシック楽曲(!?)を必ず紹介する(違
- 2024-05-13:大串富史
- バルトークへの惜しみない賛辞、またジェルジ・シャーンドルへの深い謝意、そして管理人様への尽きない感謝と共に。
この曲とバルトークのヴァイオリン協奏曲は、わたし的にはクラシック音楽の中で一番自分好みですー フランクをさえしのいでしまうのは、わたしがやっぱり21世紀の人間だからなんだろうなー、といつも実感です…
#だからハイドンやモーツァルトも、もしバルトークの時代に生き返って作曲を続けたなら、さらに現代人向けなキテレツ楽曲を作ってくれたに違いなく(違
管理人様の秀逸な楽曲解説にも、いつも感謝ですー 脈絡なく、ラヴェルのクープランの墓を思い出しました。人は不思議なもので、死(自分の死の予感も含む)というものに接すると、なぜか人類共通の感作のようなものがお互いに働きますね… この演奏はそういう意味でも聴く価値がありました。重ね重ね、感謝です。
#そんなわけでやっぱり二度の世界大戦とその記憶は(第三次世界大戦への恐れを含む)、現代人をしてキテレツにならせているというのがわたしの持論だったりします… もっともクラシック音楽という芸術そのものが、まあ言ってみればキテレツなんでしょうが(まて
- 2024-05-10:大串富史
- ハイドンへの惜しみない賛辞と、ナヴァラへの惜しみない賛辞、そして管理人様への賛辞と感謝も添えて。
うーん、どうしてなんでしょうか… ベートーベンのチェロ云々を聴いても、ふーん、で終わってしまったのに(重ね重ね申し訳ないですー)、このハイドンのチェロ協奏曲は… そしてナヴァラの演奏は… 出だしのチリチリさえなければ(これはわたしではなく、チリチリ音源を流した際の日本語学習者である中国人の某学生からのクレームでした… なので流すと学校側にクレームが直撃してしまう恐れがあります…)バックグラウンドミュージックとして絶対に流すのに(時間も5分休憩にジャストだし)、ただただ残念でなりません…
#そんなわけでわたしの中での三大チェロ協奏曲は、ドヴォルザーク、ハイドン、そしてディーリアスですか。えっと、シューマンも、うーん、今度機会を見つけて聴き直してみます…
それもこれも、こちらのサイトがあってのことですので、管理人様への賛辞と感謝は尽きません… ただただ、ありがとうございます…
#今回はアフィリエイトのお声掛けがあって、比較的気楽な作業(宣伝すればいいだけ)をしながらのコメントです。まあ貧乏暇なし、なんですが。いや仕事があるだけ、まあ感謝です。今回はこちらのサイト運営のみならず、サイト維持管理のご苦労ご足労への感謝も添えて。
- 2024-05-09:小林 正樹
- 音楽家と音楽愛好家にとって耳の疾患はほんとに耳の痛い話ですなぁ。ベートーヴェンしかりまた我が親友も(シベリウスお宅なんですがね、強度の耳鳴りに・・)、そしてこのスメタナさんも、実に可哀そうとしか言いようがない。こんなに素晴らしい音楽なのにねえ・・ホンマ世の中うまいこといきまへんな。
それはそうと文中のバーンスタイン氏の人が好いお話は、ああそうかもねえと思い出しましたわ。ウィーン在住のころ楽友会ホールでウィーンフィルの練習がありました。指揮はレニー曲はシベ2でした。レニーの棒がいまいち(我が道を行くが過ぎて)ぐちゃぐちゃになり見ている方もあぁ~!となってるとオケの管楽セクション(多分ホルンか?)から文句をまくしたてられ、もう一緒にやりたくないって感じの罵詈雑言。見てるこっちも冷汗ものでしたが、件のスーパーレニーは、よっしゃわかったとばかり指揮台に棒を置き「OKOK皆さん今日はここまで、本番はうまくいく!」と明るい声で指揮台を降りました。本番は残念ながら仕事で聴けませんでしたが友人が素晴らしかったよーと言ってました。CDになっている第2交響曲のことです。
- 2024-05-06:大串富史
- ショーソンへの賛辞、弦楽四重奏団の面々への賛辞、そして管理人様への賛辞をここに。
ショーソンにこんな作品がまだあったとは。でも、期待を裏切らないですねー
#第1楽章の終わりあたりを聴いて、自分はもうフランキストなんだなーと実感です…
実はこちらのサイトのクラシック音楽聴き巡りでついにハイドンまで行き着き、これまで聴きそびれていた(というか猫またぎしていた)ハイドンが、管理人様が仰られるように、まっすぐベートーベンへとつながっていくということをこの年になってようやく知ったわけですが、ロンドンを聴いて、あのその、これを流してジュピターの二の舞(ひとり聴衆つまり自分以外誰もいなくなってしまう)は困るし(まて)と悩み中であったのを、こちらをさらに第2楽章、第3楽章と聴いて、これは(はにアクセントが移った強調読み)中国人の学生さん相手の日本語多人数レッスンのバックグラウンドミュージックとして絶対流すと決めました。ふふふ…
そして第4楽章を聴きつつ、こうしてショーソンももれなく取り上げてくださった管理人様への賛辞と感謝は尽きません… ただただ、ありがとうございます。
#それにしても、リアルでレコード鑑賞会にご尽力されつつ、こうしてネットでバーチャル鑑賞会をも主催しておられるご苦労ご足労にはただただ頭が下がるばかりです… どうぞご自愛しつつ、この良いお仕事も是非お続けくださいますよう。
- 2024-05-06:豊島行男
- カザドシュとフランチェスカッティとの室内楽は素晴らしいですよね。
カザドシュって、「そんなにすごいピアニスト」です!
セルとの共演において、伴奏しているのはカザドシュだと思います。
だから、あのような白磁のようなオケ演奏ができるのだと思いますよ。
唯我独尊に徹したライブでのカザドシュは凄まじいです。
カンテルリ&ニューヨークフィルとのベートーベン皇帝では、多々ミスタッチもモノともせず豪快に引き切ってますね。
- 2024-05-03:yk
- 近頓にAIの発達振りが話題になり、その効用と共に害悪が論じられるようになりましたが、”知性”と言う観点からは(AIが有用であれ有害であれ)まだまだ未熟・・・と言うより幼稚と言ってよいレベルにあると言わざるを得ません・・・尤も”知性”の実態が何であるかの知見さえ未だにハッキリとした定義がないので、AIが幼稚なのも郁子なるかな・・・という処ですが・・・・。
何れにしても今回のランドフスカ評価のような問題では、その矛盾と言うか、インチキというか、欺瞞と言うか、おんぶにだっこの無責任とでも言うか、とにかく受け取り側の人間の適正な評価無しにはAIの回答は意味のないものになりかねないので要注意です。、
何といっても、現在のAI技術レベルから言って、例えば”演奏解釈における真正性を重視しました”と言った記述は明らかにランドフスカの演奏を”AIが聴いて”下した評価ではなく、どこかで誰かが”ソウいっている”と言う伝聞評価でしかない。そこには”AIの主体性”に基づく判断・主張が無く、単に世間ではソウいう説もあるよ・・・と言うある意味で極めて無責任な発言・・・とも言えるところがある(人間にもソウいう発言をする人はいますが・・・)。聴く方は慎重に”なるほど世間ではソウ言っている人もいる(らしい)”と言う程度に受け取っておく必要はあるでしょう(従って”ソウは言えない”・・・と言う反論も当然あってしかるべきででしょうね)。
勿論、将来AIも人間の曖昧な(いい加減な??・・・^_^;;)”知性”なるものを獲得して、”ランドフスカの真正性”について、「君も19xx年のランドフスカのバッハを聞けばきっと僕が感じた事を実感できるよ・・・」などと実例を挙げながら人間と丁々発止のやり取りをするようになるかもしれない可能性はありますが、まあ今のところAIにはランドフスカの演奏の真の意味は全く理解できていないと言うことは確かで、”多様性に富んだ芸術家の姿を理解するにはAIはまだまだ情報不足だ”と断定して良いとは思います。
・・・・勿論現AIでも、人間の”適正”な評価・判断のもとで使用すれば、人間の創造性啓発の為の(既存の)知識検索型の便利なツールとして極めて有用な側面がある・・・と言うのは明らかですが・・・。
- 2024-05-03:豊島行男
- すいません、今回は演奏への評価ではなくユングさんのコメントへの賞賛でございます。全く同意です。ランドフスカへの評価への評価、素晴らしい。
- 2024-05-02:大串富史
- まずは管理人様への感謝をここに。
今日は直訴に参りましたごめんなさい… もし管理人様がお嫌いでなければ、なのですが、是非是非、フランクの弦楽四重奏曲ニ長調を1曲でも全く構いませんのでアップしていただければと思いまして… どうぞ宜しくご考慮ご高配をお願いいたします…
それで本題なのですが(違)、実は悲しいご報告から始めなければなりません… 先日、勇んでジュピターの第4楽章を中国人の学生さん相手の日本語多人数レッスン後のバックグラウンドミュージックとして流したのですが、なんと開始数分で聴衆一人(つまり自分だけ)となってしまいました… ああモーツァルトよ、もしあなたがこの場にいたなら、この極東の21世紀な音楽志向を一体どのようにお受け止めになられるのか…
#わたしなりの結論は、やっぱり聴きやす過ぎるのかと。何か音楽が流れているけど、まあいいか、みたいな。
それでモーツァルトよ本当に申し訳ない、このコメントはフランクの弦楽四重奏曲をYouTubeで聴きながら書いています… そしてこのフランクのは… やはり期待を裏切らないというか。これまで弦楽四重奏曲と言えば、自分的にはドビュッシーとラヴェルのがまあ最高だったのですが(ああバルトークよ許せー)、今はこれです。聴きにくくなく聴きやす過ぎなく、なんでしょうか。
いずれにせよ、こちらのサイトそして管理人様がいらっしゃらなければ、この年になってフランクとの劇的な出会いはなかったわけで、まず感謝を申し述べさせていただきます。それであのその、弦楽四重奏曲も、もし宜しければ是非是非…
#その一方でクラシック音楽聴き巡りのモーツァルトの弦楽四重奏曲は… アインシュタイン?や他の皆様のの評価は当然尊重したく思うのですが、やはり家電クラシックということで、ただただ申し訳ない… 逆にフランクのこれが家電クラシックで流れたら、家事をしていてもなんだか気が散ってしまいそうではありますー
- 2024-04-28:大串富史
- あのその、モーツァルトに、そしてなによりセルとクリーブランド管の面々に、そして管理人様への感謝も忘れずに。
#モーツァルトは流さない(まて)という重い腰を上げることができたことを、セルとクリーブランド管に感謝です。この演奏はほどよい刺激に満ちていて、クラシック音楽初心者の中国人の日本語学習者の皆さんへの受けもよさげかと推断します。
でセルで逆引きして、ベト7をどうしようか、クレンペラーじゃさすがに最後まで聴いてもらえないかもと思いつつ、いずれにしても不滅の恋人(中国語版)の観賞はやっぱりやめておこう怖そうだし(違)、じゃあシューベルトの未完成かーと思いつつ、全曲聴き直して、やっぱり怖い音楽って言われちゃうだろうなーでしぶしぶ却下でした… うーん…
それで改めて思うのは、クラシック音楽というのはやっぱり芸術で、芸術というものは爆発であって、その発破を(仕)掛ける芸術家というのは、どうやら常人ではないという… 聴き巡りでとうとうモーツァルトまで来て、これまでつまらない音楽(まてまて)を書いてきたと思い込んでいたバッハ以後のこの時代の作曲家の面々が、なんだかだんだん怖くなってきた今日この頃です…
そういう意味でこちらのサイトは、そこかしこで爆発が生じているような気もします。バックグラウンドミュージックとしての小さな爆発であれ、常人であることを捨てて自らも木っ端みじんみたいな爆発であれ、そうしたクラシック音楽の全貌を伝えるこちらのサイトの価値は計り知れなく思います。いつもながら、感謝とエールとをお送りしつつ。
- 2024-04-26:volos1211
- ジェルジ・シャーンドルと言えば、バルトーク演奏の第一人者ですね。米VOXレーベルにステレオ録音でピアノ曲全集とピアノ協奏曲全集を残していますが、その後たしか90年代にも米CBSにピアノ曲全集とピアノ協奏曲全集を再録音しています。
ほかにVOXにはプロコフィエフとコダーイのピアノ曲全集もありました。
いずれも知的で鮮やかな演奏だったと記憶しています。
- 2024-04-21:小林 正樹
- グルダのレガートが大好きなのです。この響きは恐らくウィーンの名器ベーゼンドルファーを巧みに扱うグルダ名人のセンスかと思われますが・・。楽譜を見ながら聴いてると何やワクワクする感興が起こる。この快感がたまりまへんわ。若きグルダも素敵でございます、いやほんま!貴重な記録を心からおおきにですユング様!
ところでユング様おっしゃる「音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです」のくだりは、めっちゃめっちゃ、もひとつめっちゃ!大正論と思います。ウィーンの街のように毎晩(大劇場2つ、大ホール2つ、その中にまた分かれて5つほどの会場が最小単位(!)で存在し)年間300日ほど公演を行っていれば、家で装置で、クラシックを聴くなどは(余りの音の差異に)耳がしんどい時もありました。我が国の根本的に異質なクラシックのライヴ感覚の中では、装置に頼るしかないことも多いのが現実やぁ、と思いながらも、悲しく嬉しく感謝しつつ耳を研ぎ澄まして生を謳歌しとります!
- 2024-04-21:大串富史
- ベートーベンと、フリードリヒ・グルダに。そして管理人様への感謝を添えて。
この曲は… これがベートーベンというものなのかー、みたいな嬉しい驚きを感じるピアノソナタですね。さすがに月光ぐらいは聴いたことがあってそれなり好きなわけですが、これはそれ以上に、いやそれこそ次のアパショナータ以上にわたしの性に合っているように思います。
#ダダダダダダダダ…って自分も弾いてみたいなー(受験の絡みでインヴェンションの1番ぐらいなら弾けるんですが…)って、いやまて、これがやっぱりクラシック音楽というものの御し難さなのか。ロックをやっていた友人が、聴衆の反応を見てもっと煽りたくなったと言っていたのを思い出します…
今日の多人数レッスンは、やはりベートーベンのチェロソナタ第3番の第1楽章から始まり、中継ぎで第2楽章、最後は第3楽章です。そして次回は、こちらも必ず流して聴かせる(まて
ベートーベンを見直す機会を小生にも与えていただき(違)、管理人様にはただただ感謝です… この機会にエールも添えて。
#いやー20代のデュ・プレとコヴァセヴィチ、いいですねー、ってととと、次はこのワルトシュタインで行きます。 ダダダダダダダダー いやまて、これが日常生活や家族生活に決して支障をきたさないよう、注意、注意…
- 2024-04-20:大串富史
- ベートーベンとデュ・プレとコヴァセヴィチへの、そしてもちろん、管理人様への感謝と共に。
#ああやっとベートーベンの中から好きな曲を見つけることができた(まて)という感慨もありますが、そもそも印象が薄く聴き飛ばしてしまっていたものを(まてまて)、エルガーのチェロ協奏曲も決して悪くないけどディーリアスの方が自分的にはしっくりということで再度デュ・プレを聴いて、そういえばこちらのサイトは演奏家から曲を逆引きできると気が付き、こちらの演奏に行き当たった次第です… 日本語を学んでいる中国人の学生さんというのは大学生や若い社会人の人が半数以上を占めるので、同年代?という意味でも、とてもよさげな演奏に巡り合えたことに感謝ですー
それもこれも管理人様とこちらのサイトがなければこんな素敵な巡り合いはないわけで、感謝に堪えません… そしてこの機会に… ベートーベンさんごめんなさい!この曲は良かった。
#それにしても、コヴァセヴィチ氏があのアルゲリッチの元夫のお一人だったとは… わたしはクラシック音楽ファンとして自戒の意も込めて自身の感想を吐露したいと思い、それは敬愛する管理人様やここに集うクラシック音楽ファンの大先輩方の少なからぬ方々の賛意も得られるのではと思うのですが、このクラシック音楽という名の芸術はなんというかその、つくづく思うのです。人間にとって御しがたい面があるんだなあ、と。凡人の普通の人生では恐らくそうやすやすとは生じないようなことが、演奏であれ作曲であれ(そして恐らく鑑賞であれ)、没頭の仕方が間違ってしまうと人の方が逆に御され?てしまうような。悪い言い方にならないようにと思うのですが、例の粗品さんがクラシック音楽ファンだから他の芸人の皆さんよりも高尚で聡明ということにはならないのと同じで。いやいや自分なんかも、社内クラシックアワーを(中国人の妻からの禁止令前に)自分一人で堪能していたところ、クラシック音楽ゼロ基礎(中国語では全くの初心者のことをこう言ったりします)な友人が突然やって来て、たった一人で車の中、一体何を聴いているんですか?な顔をされてしまったこと、一生忘れることはないでしょう… そう考えると、ベートーベンはもちろんアルゲリッチやバレンボイムも、音楽家としては大家なんでしょうが、自分もそうなりたいかと問われれば、うーん…
- 2024-04-19:たつほこ
- アルヘンタ、いいですね。オーケストラも味わい深い。
第3楽章の素晴らしさ。
表題のfantastic、幻想というよりも素晴らしいの意味にも聴こえます。
さわやかなベルリオーズですね。
シューベルトも素晴らしい演奏で、こちらも聴きました。
存在を覚えていなかった(採点はしていたので聴いたことはあったはず)指揮者。
若くして亡くなってしまって本当に残念。
ポンコツの印象のある(すみません)オーケストラ。
当時は良かったんだろうなぁ。
- 2024-04-17:大串富史
- フランクと、モリーニに。そして管理人様にも忘れずに感謝を申し述べつつ。
#アップしてくださった(P)ロベール・カサドシュ:(Vn)ジノ・フランチェスカッティの演奏も、特にカサドシュの、管理人様曰く、いわゆる中国語で言うところの「大人」な演奏も引き付けられるのですが、うーん、わたし的にはフランクのこの曲はモリーニがよく似合うように感じます。特に第2楽章と第3楽章の、女の怖さ?を知れ!みたいな演奏は格別です(まて
そんなわけで、この曲は中国人の学生さんたちの日本語多人数レッスンのバックグラウンドミュージックの定番曲でして… 第1楽章が5分間休憩の長さにピッタリ、第4楽章が余韻を残しつつお疲れ様でしたーまたお会いしましょうーな曲調でピッタリなものですから。
#それにしてもフランクはいいですねー わたしの中ではバルトークと双璧です。今聴き巡りでベートーベンのピアノ・ソナタ第12番「葬送」まで来たですが、ごめんなさい勉強ということで聴かせていただいています。ラズモフスキーなんかは、おや?これは…とも思うのですが、うーん…
管理人様がアップしてくださった音源によるこうした聴き比べの悦は、クラシック音楽ファンとしては感謝以外の何物でもありません。ありがとうございます(りではなくざにアクセントが移った、ただただ感謝の意の発音)。この機会にエールもお送りしつつ。
#それで本題なのですが(違)、霜降り明星・粗品のクラシック音楽番組スタート「攻めているので玄人にも抜群の番組」(お笑いナタリー)というニュース報道を見て、今の時代の日本におけるクラシック音楽またクラシック音楽ファンの立ち位置というものを改めて再認識しました。「霜降り明星・粗品がナビゲーターを務めるクラシック音楽番組「読売日本交響楽団 粗品と絶品クラシック」(日本テレビ)が本日4月17日(水)深夜にスタートする」そうで、「第1回でスポットが当たるのはセザール・フランク作曲「交響曲ニ短調」だ」とのことです。これには納得です。まあもっとも、フランクがこの時代に生き返ってきてこれを知って喜ぶのかどうかは、うーん、うーん…
- 2024-04-10:豊島行男
- こんばんわ。
シャンドールのブラームス、ピアノ協奏曲2番の演奏が大好きでした。
ラフマニノフの2番は初めて聴きます。
変な言い方で恐縮ですが、今となっては、昭和の根性オヤジ的な熱いけども筋違いなものに魅力を強く感じています。
ご紹介ありがとうございます。
- 2024-04-10:Kazuo Tanaka
- ありがとうございます。このロマンスと先の2番のフランチェスカッティのバイオリンの音色についてお聞きします。
この時代の音なのでしょうか?現代の例えばアンネォフィムタの音色と比べて非常に異なっているように聞こえるのですが。フランチェスカッティの音色は、単純・透明で少し歴史を感じさせるようなものです。ムターの音色は、彼女の個性が前面に出されているように聞こえて、素直なでも現代的に聞こえてしまいます。
もしお時間がありましたら是非ご意見をお聞かせいただければと思います。
お忙しいでしょうから、聞きおいていただくだけでも、もちろん結構です。
- 2024-04-09:Kazuo Tanaka
- いつもいつも素晴らしい音楽を届けていただき、ただただ感激です。
そしてその曲についての素晴らしい説明コメント意見。造詣の深さにびっくりです。
- 2024-04-09:梅さん
- 初期SPの録音はあまり聞かないのですが,この演奏には恐れ入りました。現代の演奏家ではこのように弾くことはまずありえないと思いますが,世紀末のウィーンの雰囲気を濃厚に感じさせる演奏だと思います。誰か、ニュー・イヤーコンサートでこんな「美しく青きドナウ」を演奏してくれないかな、には私も同感です。
- 2024-04-08:R100RT乗り
- また、知らないピアニストの名前が出てきました。しかし、これはいろんな意味ですごい録音です。
まず、年代の割に音が良い。戦後すぐですか? 50年代でもこれに劣る録音は沢山あります。オケの細部はともかくピアノの演奏はきちんと録れています。そして演奏が凄い。1楽章の出だしから早めのスピードでグイグイ進めてきますね。まさに「ロシア的な憂愁は微塵も存在しません」です。でも、凄く力強く迫ってきます。見当外れなことを書いて申し訳ありませんが、3楽章まで聞いていて、なぜだかアルゲリッチとコンドラシンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏を思い出しました。
このような録音が出てくるから、このサイトから目が離せません。yung氏に感謝!!
少々びっくりしたのは、ジェルジ・シャーンドルについて調べたら、この人は2005年(93歳)まで長生きをして、80歳過ぎでも録音をしていたということで、デジタル時代まで現役だったことに驚きました。今回のラフマニノフと同じ頃(1947)の映像もネットに出ていましたが、映像録音とも年代の割に良かったですがなかなか男前です。
- 2024-04-05:大串富史
- バルトークと四重奏楽団の面々への、また管理人様への感謝と共に。
この第6番は確認のため2度聴いたのですが、やっぱり自分的には第4番の方が好きだという新事実になんともな感慨を覚えつつ、コメントをさせていただいています…
#このコメントもピアノ協奏曲第3番とヴァイオリン協奏曲第2番を聴きながら書いているのですが、この第6番の尻切れトンボ感は、管理人様曰く第二次大戦勃発とやっぱり関連があるのかなーなどと憶測中です…
自分的にもう一つ興味深いのは、今ちょうどクラシック聴き巡りでかのベートーベンにまで行き着き、なんで自分はベートーベンがかくもしっくりこないのか(ごめんなさい!でも交響曲第5番や第7番はよさげだと思ってますー)なんとなく分かってきたように思うことです。もしかしてもしかすると、ベートーベンがバルトークの時代に生き返って来たなら、前に書いたバッハ同様、やっぱり結構いい友だち同士なのかなと思ったりもします(まて
いずれにしても結論は、これはバックグラウンドミュージックとしては流せず、中国人の妻やハーフの娘のいるところでは聴けず(今二人とも外に遊びに出かけました)、サイト管理や日本語レッスンの予習中にでもヘッドセットでコーヒー片手に一人で聴くしかなさそうだということです…
そうなってくると、やはり管理人様への感謝が残るわけで、俺にバルトークを聴かせてくれー!な欲求を、こうして満たしてくださったことに感謝です。エールもお送りさせてください。
#それにしても最近は小4になる娘が中国の流行り歌を歌っているのが自分的にはおもしろくなく、お前そんな陳腐な曲を聴いたり歌ったりするんだったらバルトークを聴け!と言いたいところをぐっと我慢の子だったりします… バッハのアンナマグダレーナぐらい弾けるようになればという父親のささやか願いも、うーん、食いつきが悪いというか、それぐらいできたたらオシャレじゃないですかというのも、なんだか違うことに気が付きました… 自分的には、中国の流行り歌もバルトークも、いやベートーベンやバッハでさえ、音楽を通して言いたいことは同じなのではなかろうかと思う今日この頃です。俺の声を俺の歌を聴いてくれよ!ですか、ロックなんかと同じで。まあそれでもいいのかな。でもそうなると、好みは分かれざるを得ないでしょうね。ふー
- 2024-04-03:ハゲさんの毎朝
- いやぁ全く素晴らしい、こういう弾き方が絶滅に瀕しているのが嘆かわしいとしかいえない演奏なこと。
これを聴いて不思議と思い出したのがクラシック・サックスの巨匠「マルセル・ミュール」の演奏です。
彼の演奏からも同じ「粋で上品で味の濃い」、そんな香りがするのです。
不思議と、と書いたのはそんなこと思う人間が自分以外にもいるのか疑問という自信の無さの表れでして…
この歴史的名演奏を聴いてそんな馬鹿なこと言っちゃいけないよとお?りを受けそうな…
しかし他の人がどう思おうと自分はそう思ったのだから仕方がないのです。
- 2024-03-27:tomari
- Studio 8H での録音、というキーワードに惹かれました。
虚飾を剥ぎ取った音楽を聞かせてくれる場だったのかもしれませんね。
また、トスカニーニ が Beethoven cycle を何度も残していること、... 当然なのかもしれませんが、意識していませんでした。Szell にショックを与えた時代は、ヨーロッパでのトスカニーニだったはずですので、残されている音源より前の時代だったのでしょう。
まず、自分も有している音源から、静かに聞いてみます。 1939年の序曲集、期待しています。
- 2024-03-25:たつほこ
- この巨人はなかなか興奮しますね。明快で色々な音が聴こえてきて楽しいです。録音も良くて、ダイナミックレンジの大きさを魅力にしていると感じます。大きな音も小さな音も出すのは大変でしょう。
これに気を良くして、9番を聴きましたが、いまいち?2番は第1楽章でリタイヤ。すみません。ベートーヴェンも3番、5番と聴きましたが、確かに5番の最初のジャジャジャジャーンは耳を引きました。しかし、どれもこの巨人から受ける興奮はないですね。複数のよせられたコメントを勝手に繋げると、小澤さんの指揮する音楽に通じる「明快さ」があると私も感じます。それらが活きる曲とそうでない曲があるのなかぁ。
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[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)
[2024-11-04]
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)