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アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini) |ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952) Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [1.Allegro con brio]
Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [2.Andante]
Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [3.Poco allegretto]
Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90 [4.Allegro]
秋のシンフォニー
私は長らくブラームスの音楽が苦手だったのですが、その中でもこの第3番のシンフォニーはとりわけ苦手でした。
理由は簡単で、最終楽章になると眠ってしまうのです(^^;
今でこそ曲の最後がピアニシモで消えるように終わるというのは珍しくはないですが、ブラームスの時代にあってはかなり勇気のいることだったのではないでしょうか。某有名指揮者が日本の聴衆のことを「最初と最後だけドカーンとぶちかませばブラボーがとんでくる」と言い放っていましたが、確かに最後で華々しく盛り上がると聞き手にとってはそれなりの満足感が得られることは事実です。
そういうあざとい演奏効果をねらうことが不可能なだけに、演奏する側にとっても難しい作品だといえます。
第1楽章の勇壮な音楽ゆえにか、「ブラームスの英雄交響曲」と言われたりもするのに、また、第3楽章の「男の哀愁」が滲み出すような音楽も素敵なのに、「どうして最終楽章がこうなのよ?」と、いつも疑問に思っていました。
そんな私がふと気がついたのが、これは「秋のシンフォニー」だという思いです。(あー、また私の文学的解釈が始まったとあきれている人もいるでしょうが、まあおつきあいください)
この作品、実に明るく、そして華々しく開始されます。しかし、その明るさや華々しさが音楽が進むにつれてどんどん暗くなっていきます。明から暗へ、そして内へ内へと音楽は沈潜していきます。
そういう意味で、これは春でもなく夏でもなく、また枯れ果てた冬でもなく、盛りを過ぎて滅びへと向かっていく秋の音楽だと気づかされます。
そして、最終楽章で消えゆくように奏されるのは第一楽章の第1主題です。もちろん夏の盛りの華やかさではなく、静かに回想するように全曲を締めくくります。
そう思うと、最後が華々しいフィナーレで終わったんではすべてがぶち壊しになることは容易に納得ができます。人生の苦さをいっぱいに詰め込んだシンフォニーです。
フィルハーモニア管や聴衆の熱狂が伝わってくるライブ録音
トスカニーニは1952年の9月から10月にかけてRoyal Albert Hallにおいて、フィルハーモニア管とのコンビでブラームスの交響曲チクルスを開催しています。
この「1952年録音」というのがパブリック・ドメイン的には実に微妙でした。まあ、詳しいことは音楽とは何の関係もないことなので詳細は省きますが、隣接著作権の保護期間の起算点が「録音」から「発売」に変わったために1952年に録音されただけではパブリック・ドメインにならないというのが文化庁の見解でした。しかし、その後「ローマの休日」をめぐる裁判で、最終的には最高裁判決として文化庁の見解が否定され、めでたく1952年以前に録音されたものはめでたくパブリック・ドメインとなったのです。
実は、このことはずいぶん前から承知していて、その後は「発売」は気にせずに1952年に録音された音源はアップしていました。
ところが、どうしたわけか、私の中ではその問題の発端となったフィルハーモニア管とのブラームス交響曲チクルスの録音をアップするのを忘れてしまっていたのです。
おそらく、このチクルスを挟んで、て51年から52年にかけて手兵のNBC交響楽団とCarnegie Hallで録音を残したRCA盤をアップしていたので、自分の中ではこのフィルハーモニア管との録音もとっくにアップしているだろうと思い込んでいたのです。
ということで、気づけば善は急げで、こうしてアップしているわけです。
基本的にこの二つの録音はほぼ同じ時期に録音しているので、作品へのアプローチは基本的には大きな差はありません。
しかしながら、この二つの録音をじっくりと聞きくらべてみると、いささかは雰囲気の違う演奏に仕上がっています。
私はどこかで、「トスカニーニは何故かイギリスのオケとは相性がいいようだ」と書いたことがありますが、その感想はここでもあてはまります。
トスカニーニはNBC交響楽団に対してはどこまでも厳格な家父長のようにふるまっているのに対して、フィルハーモニア管とはより自由でくつろいだ雰囲気がただよっています。そのため、トスカニーニの特徴であるしなやかな歌は、フィルハーモニア管との方が魅力的です。
もっとも、チクルス初日の第1番では、さすがのトスカニーニと言えども緊張があったのか、いささか音楽に硬さを感じます。しかし、次第にその堅さもとれて行って最後の第4楽章に入るあたりでは実に伸びやかな歌を聞かせてくれています。それ以後の2番以降は歌うことに関しては言うことなしです。
もっとも、だからと言って手兵であるNBC交響楽団とのスタジオ録音がいまいちだというつもりはありません。オケをキリリと引き締めて、しなやかに歌わせるトスカニーニの方法論が十分に発揮されていて、手綱を引き締めても歌うところは歌うという、まさにトスカニーニならではのブラームスなっていました。
つまりは、こちら側から見ればフィルハーモニア管との演奏は手綱を緩めすぎているともいえるのですが、それが結果としてゆったりとした歌を存分に味わえるのです。
聴きくらべというのは、ともすれば、「どれがベストか?」とか「どちらが優れているのか?」という話になりがちです。もちろん、それはそれでクラシック音楽を聞く楽しみでもあるのですが、時には梅は梅なりに、桜は桜なりに楽しむというのもこれまた懐の広い楽しみかたではないでしょうか。
言葉をかえれば、そういう楽しみ方ができるほどに、トスカニーニという人は懐が広いと言うことなのでしょう。
それともう一つ、この録音には演奏が終わった後の拍手がかなり長めにおさめられているのですが、そこからはフィルハーモニア管や聴衆の熱狂が伝わってきます。
トスカニーニがかの地でどれほど尊敬されていたのか、その思いがひしひしと伝わってくるライブ録音です。
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よせられたコメント 2024-11-05: joshua デニスブレインが吹いている演奏ですね。1956年にDennis Brainは亡くなっています。1952のこのライブはおそらく、三十路に入りたてのホルンソロです。4曲の中では、この3番が一番デニスに似合うと思います。デニスの最大の特徴は、4オクターブの広域音の移り変わりの滑らかさ(自然さ、力み無さ)であり、歌謡性には打って付けです。それは、第一楽章の7分30秒の辺り、なかんずく第三楽章ソロに出ています。さりとて、
第一番では、物足りない。ホルンは、吹き様で荒々しいフォルテも持ち味です。他の演奏、奏者の出番、存在価値はそこです。NBCやニューヨーク、ボストンはドイツのホルン。それに柔らかみと厚みを加えたのがウィーン。ストコフスキーをもってして、「世界で唯一ホルンを吹く権利を持つ男」と言わしめたデニスが不惑を前に指揮に手を染めたのも、これ以上あり得ないソロの滑らかさ、オケプレーヤーとしては他者に譲るところがあると悟った限界認識がもたらしたこと。 聴くだけの人間が言う、こんな事はプレーヤーからしたら道楽に過ぎませんが、道楽の要でもある、のかな?
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