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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 気品と煌めく音色が充満していながらも、骨格のしっかりと整った演奏に、楽しい時間が過ごせました。有難うございます。
- 2009-10-10:カンソウ人
- カザルスの演奏を聴いて感じることは次の3つである。
バッハの管弦楽組曲が現代の大オーケストラの定期で演奏されなくなって長いと思う。室内管弦楽団か、古楽器合奏団か古楽器オーケストラで主に演奏される。ハイドンのロンドンセットやモーツアルトの39番〜41番あたりが境目か、それとももっと後かも知れない。
この曲のフランス風序曲(付点リズム、或いは複付点リズムを特徴とする)の構成は前半の遅い部分(グラーヴェ)が2分の1、アレグロのフーガ風の部分が4分の1、最後の遅い部分が4分の1が良いのではないか(あくまで仮説だが)。前半のグラ―ヴェは繰り返されるから、カザルスのテンポでは前半のグラ―ヴェが長すぎるのではないか。
独奏フルートがオーケストラの全合奏の時に、埋没する。序曲のほとんどの部分で意味をなさない。独奏フルートをはっきり聞こえさせるためには弦楽器の音色がうすいものでなければならにのではないか。フルートを2本にするか、弦楽器を減らすか、弦楽器の音色を羽毛のように軽いものにするか。
- 2009-10-10:カンソウ人
- LP時代にこの録音を聴いていました。クラシック好きの友達も一緒に聞きました。中学生時代この演奏を聴いて思ったことは、「この曲は実に名曲だ。それにしてはこの演奏は物足りない。もっと良い演奏があるはずだ。」その後、カラヤンやメータの演奏が発売されみんなして聴いた。感想は「いい演奏だ、美しい。」であった。ところが、ひとつ疑問に思われる点は「惑星」という曲は名曲なのだろうか。ストコフスキーの演奏で名曲であると思ったその大切な始まりの部分が疑問に思われてきた。ストコフスキーは本当に悪い人であると思う。この曲を名曲と信じさせたのだから。この指揮者は、今日私たちが感じているよりももっとクラシック音楽視聴に大きな影響を与えているのかもしれない。
- 2009-10-10:カンソウ人
- この演奏を聴いて感じることは次の4つのことである。
「バッハの代表的なオルガン曲である」と色んな書物に書かれてきたこの曲は、本当にバッハの曲で曲なのか?高校生ぐらいになり、インベンションやシンフォニア、平均律やフランス組曲、無伴奏のためのバイオリンソナタなどを楽譜を見ながらレコードを聴き、またピアノで弾いてみるとこの曲のフーガがこのテーマをどの程度展開しているか、テーマの可能性を引き出しているかという点で物足りなく思う。伴奏つきのバイオリンの幻想曲のようなものが源曲としてあって、バッハがトッカータを付けてオルガン用に編曲したのでは?などと考えていた。研究者はどんな仮説や結論を出しているのだろう。人前で、こけおどし的に弾くには効果の上がる作品だとは思っている。作品の出来は良いものだと思っている。一曲ぐらいは、テーマの可能性を引き出さない曲をバッハが書いたとも考えられるし。
ヴァルヒャの演奏は、現代の沢山の知識を学んだオルガニストが正しく整備された新しいオルガンで演奏したものとは同列に考えることはできないと思う。1947年というのは昭和22年だから、第2次世界大戦が終わって間もないころなのだ。戦火にまみれた西ドイツの中で録音にふさわしいオルガンを選び出し、その中でロマンティックなオルガンの音色に傾きすぎるものは省き、整備されていないもの、演奏会場(恐らく教会)の音響とあったものを選んだ末に、その中での録音であったと思う。オルガンの使い勝手も悪いものであったろう。
シュヴァイツアーの録音も幾つか聴いたことがあるが、決していい加減な演奏とは思わない。ロマンティックな表情に傾いたりそういう効果を狙ったりせず、バッハの音楽をしっかり見つめているように思う。その面では、ヴァルヒャも同じだが、シュヴァイツアーの演奏の技術が心もとない。インテンポで弾こうとするが難しくなるところで明らかにテンポが緩む。また、難しいところを弾くために信じたテンポより落としているのではと感じる時もある。バッハの音楽の再現は出来ていないように感じる。その意味では、ヴァルヒャの演奏は信頼が置ける。
バッハの音楽の再現にはリズムに何か必要なものがあるように思う。グールドやリヒター、レオンハルトやアルノンクール、コープマン、シフ、鈴木雅明や高橋悠治。バッハで成功する音楽家には全く異なる個性ではあるが、共通した運動神経というかリズムの刻みを感じる。ヴァルヒャにも当然感じる。
- 2009-10-08:シューベルト好き
- この演奏が聴けて本当に幸運でした。ボザール・トリオの軽快でにこやかな演奏を愛聴しておりましたが、オイストラフ・トリオはまた違った表情を見せてくれますね。どちらが作曲家の意図により忠実かといえば、私にゃわかりません。
何度くり返し聞いてもあせない、汲めども尽きぬ泉のような音楽です。晩年のシューベルトはすばらしい! このサイトと管理人様に感謝。
- 2009-10-07:カンソウ人
- この曲は、私のお気に入りの曲です。ブラームスは壮大に交響曲を書いたけれどもその癖は第1交響曲以前のオーケストラ作品であるこのピアノ協奏曲にも表れている。それほど壮大でもないものをベートーベンを見習って壮大に見せるよりは、正直にあれこれ迷いをそのまま表現して形すら決めきれない。晩年のピアノ小品と同じくらい好きです。カンソウ人はクラシック音楽を好き嫌いで評価していないつもりですがそうはいかない曲もあるのです。
この曲の第1楽章はなぜか落ち着きません。4分の6拍子で書かれているので、オーケストラがなんとなく提示部のピアノが登場するまでは指揮としっくりこないことが多いのではないでしょうか。4分の6は振りにくいと思います。シュナーベルのテンポ、少し遅いのではないかと思います。第1楽章が遅いから自然と第2楽章が遅くなり、じっくりと歌う以外に技を発揮しえないのでは。第3楽章は爽快感が表現され難い。この曲の真価は、ルプーの少しなよなよしたあっさりとした、あえて言えばショパンの曲のように抒情的に演奏されるようになって発揮されてきたように思います。シュナーベルとセルのような噛んで含んでじっくりと演奏されるのでは、出てこなかったのではないか。と思うのです。
昔の演奏を貶しているのではなく、曲と演奏スタイルには相性があるように思います。第2楽章の子のテンポでは作品の全体像は浮き上がってこないように思うのです。
- 2009-10-07:とろ
- こちらのサイトは昔のいろんな種類の演奏が聴けるので、大変楽しませていただいてます。
ありがとうございます。
この演奏、専門的なことはわかりませんが、自分には音質もきれいで、大胆だけど整っていて、大きな流れに乗っているように思えて大好きです。
- 2009-10-06:Joshua
- メイエルの円やかなピアノもさることながら、モーリス・エウィットの his orchestraが個性的ですね。管楽器が名人ぞろいで、1楽章では特にクラリネットがコンチェルトのように吹いてるなって感じです。 音もモノとは思えないほど臨場感豊かです。なぜか市場では見かけませんが、掘り出し物だと思います。YUNGさん。秋山さと子なら、どう評するでしょうね。
- 2009-10-05:ナルサス
- この演奏を聞くと、ギーゼキングの人気が知名度の割にはイマイチな理由が分かるような気がします。
まず、この演奏、立ち上がりが非常に良くないように感じるのです。実に野暮ったい(or荒い)印象を受けます。
曲の聞き始めでは「ん〜・・・やっぱりミケは別格だな」みたいな感想を抱いてしまいます。
しかし、聞き続けるとみるみるうちに湧き出んばかりの光彩に満ちた表現が飛び出してきます。「水に写る影」など演奏の完成度はともかく、掻き立てられるイマジュネーションという意味ではミケランジェリ(ドイツグラモフォン盤)以上のものを感じます。
総じて、これまでの私の中でもギーゼキングはあまり好きではありませんでした。彼の演奏に対して真っ先に思い浮かぶイメージは「天性を感じないわけではないが粗が目立つ」というものでした。おそらく、私だけでなく世の多くの人もそう思っているのではないでしょうか。
しかし、それはCDでしか彼の演奏に接せないからかもしれません。録音だと気に入らない演奏は途中でストップをかけられるからです。実演だと「こりゃだめだ」と感じても最後まで聞かなければなりません。
そして、もし私がギーゼキングの実演を聞いて彼を評価することができたらなば「(曲の開始はともかく)終わってみれば凄い演奏だった」と感じていたのではないかと思われます。
- 2009-10-04:カンソウ人
- このピアノ五重奏曲は普通のピアノ五重奏曲とは編成が異なることは、この曲にとって大きな意味を持っている。ふつうの弦楽四重奏団にピアノの形よりは演奏の機会は減るものと思われる。機会音楽として、依頼主や演奏をする予定の音楽家の技術や音楽性、ご機嫌などを考慮して作曲されている。そう考えた方が良い。ピアノはおそらくアマチュアで腕前はあまり良くない人物を予定していたはずだ。常に両手のユニゾンで書かれている。チェロはあまり技術的に高くなく、しかも美味しいメロディをたくさん与える。依頼主の要求に応えるべく。本質的に最も難しく、技術も音楽も要求が高いのはコントラバスであろう。この演奏では、名前が書かれていない。大切な所だと思う。
遠慮会釈なくピアノが演奏しているような演奏(第2バイオリンに抜けてもらい、独奏者の少ないコントラバスと誰でも弾けるやさしいパートのピアノを呼んでくる)はまず考えられないが、第ピアニストのシュナーベルが引っ掻きまわして演奏している。下手や常識がないのではない。しかし、理由はここでは書かない。
- 2009-10-04:カンソウ人
- モーツアルトの音楽で最もすぐれたものはどれかと尋ねられたら、「フィガロ、魔笛」等のオペラ、20番台以後のピアノ協奏曲、39〜41番の交響曲、レクイエムであろうと思う。編成が大きくなるほど時間が長くなるほど優れているように思う。ベートーベンやバッハならば、ミサソレムニスやマタイ受難曲も素晴らしいが、弦楽3重奏やピアノソナタ、後期のバガテレ、平均律や3声のシンフォニアなども同列に素晴らしい。編成や時間を超えて濃密な時間を作ることができる。ピアノソナタや弦楽四重奏がだめだなどとは言っていません。何か、広がっていくものをモーツアルトにはあるように思います。バッハやベートーベンのような、ミクロコスモスを作ることは出来なかった。(そういう才能はないから)しようとも思わなかった。余りにも、大ざっぱな議論です。反論はあろうと思います。
弦楽五重奏曲は弦楽四重奏曲より好きです。弦楽四重奏は抜けた感じがするのです。
- 2009-10-02:Nastrini
- この演奏に関してではないのですが、このページに関する話なので。
「復活」専門のアメリカの金持ちは、ギルバート・キャプランという人だそうです。
ウィキペディアやネットなどで軽く調べたところ相当すごい人みたいですね。
「復活」に関しては、すでに世界的な第一人者のようです。
- 2009-10-01:クラ☆おた
- めちゃめちゃ、お久なクラ☆おたデス(*^A^*)
最近、クラブやピアノ、あまりしていない勉強(笑)などに追われてマシタ。。。そして、クラブは軽音なので電子音ばかり聴いてました(^−^;)
そんな私、今度、この天地創造を歌う事になりマシタ!!
私の学校では毎年、冬に芸術祭なる行事を催していて、音楽選択者は市内にある劇場ホールで演奏をシマス。天地創造は2年に1回、全学年で合唱するのが伝統デス♪(しかもドイツ語で!!)
中学の時に、イタリア語でカンツォーネを歌ったりはしましたが・・・・・ドイツ語は難しいデスネ(>へ<)
やはり、ネイティブなバイエルン放送合唱団の方々とは発音が・・・・・orz
とりあえず、頑張りマス(笑)
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- 2009-09-30:ぺんねねむ
- ちょっと重苦しいと思い込んでいた第九が、
「さわやか」に聴こえるんですが……(^_^;)
「解毒」されたんでしょうか?
トスカニーニさんのは、他の曲もなかなか素敵ですね。
不勉強で今まで知りませんでした。
ファンになりそうです
- 2009-09-29:せいの
- じつは恥ずかしながら、「モルダウ」以外聴いたことがありませんでした。全曲聴きましたが、いいですね。なんといっても「高い城」の出だしのハープが印象的です。美しい!「モルダウ」にこのモチーフが使われていたのですね。以降の曲も、スラブ舞曲風やコラール風の印象的なモチーフが幾度となく出てきて、楽しい曲ですね。作曲の意図から、重苦しい曲では・・・と食わず嫌いしていました。
それにしても昔の録音も針音はするもののその向こうから聞こえてくる音は案外に新鮮ですね。メジャーレーベルが歴史的音源をいかにいい加減に扱ってきたかがわかります(^^)。これは「バイロイトの第九」の第2世代復刻(delta classics)の音が新鮮なことでも実感しました。
チェコフィルはノイマン時代より音が渋いですね。ノイマン時代も嫌いではないですが、ちょっと金管が鋭すぎる印象です。(録音のせいもあるでしょうが)
さっそくターリッヒで「わが祖国」のCD買っちゃいました(^^)。54年版ではありますが、語り口は一緒ですね。
- 2009-09-29:カンソウ人
- カザルスの演奏スタイルは、表現主義的なので短い音符はより短く長い音符はより長く演奏させる。バッハの使うモチーフには、十六分音符が二つ並び次に八分音符が一つの形があり「タタ他ッ」という感じに。付点リズムは音価が3対1だが、カザルスは4対1のようにやっている。
全てのパートでこれをすると、アンサンブルの縦の線が揃わなくなる。しかし、そんなことは気にそめずに、自分の主張を貫く。他方、バッハの楽譜は、伴奏パートでも単なる和音の穴埋めの割合は少なく、ポリフォニックに書かれている。音楽の表情は、旋律パートのみが作るのではなく全体像で作り出される。現代の古楽器合奏団のムジカアンティカケルンとよく似た印象がある。ふた昔前の、バーゼルスコラカントールムの古楽器演奏とは似ても似つかない。ただ、高音トランペットやリコーダの音色や歌い回しと、サキソフォンや横笛フルートの運動能力に違和感がある。主な原因は、時折聞こえる通奏低音のチェンバロとの相性のように思う。ストコフスキーの水上の音楽のレコードでは、100人近くの大管弦楽から聞こえるはずのないチェンバロが大きく聞こえてきて、それでも違和感はなかった。というより、漫画チックで面白かったのだ。
- 2009-09-29:カンソウ人
- この曲の魅力の一番は、2本のリコーダーが独奏楽器として使われるところにあるように思える。音楽的、視覚的にも魅力があるように思える。2本の横笛フルートでは表現できないものがあるように思える。
ブランデンブルク協奏曲は実に良い名前をもらっていると思う。4曲の管弦楽組曲はもうかれこれ300年間恨み続けていると思う。演奏会で管弦楽組曲を4曲続けて演奏することは考えられないが、ブランデンブルク協奏曲は一晩の演奏会で6曲束にしても演奏できる。
日本でならば、鈴木雅明さんや小林道夫さんをチェンバロや指揮者にして、ピアノの上手な指揮者の沼尻さんや、大胆に高橋悠治さんなどを中心にしてやれるはずだ。
6曲が違う個性で作曲されているし、ケーテンの宮廷楽団に勤務していた人の人数や楽器、おそらく個人の技術や音楽性を考慮しているからだ。
- 2009-09-29:カンソウ人
- この曲の出だし、バイオリンが揃わない。ほかの1番から4番までにはこんな場面は存在しない。この曲はバイオリンパートが一つしかない。1番から4番までは、バイオリンは2パートある。この曲のチェンバロはバッハの鍵盤作品で最も難しいように思う。バッハを主人公にした映画では、この曲のチェンバロをグスタフレオンハルトが弾いていた。かつらを被っていた。この録音ではピアノで演奏されているが。ケーテン楽団では、いつもバッハはビオラを弾いていた。通奏低音は誰かほかの人が弾いていた。しかし、この曲のチェンバロはバッハが弾いたから、第2バイオリン奏者はこの曲のみ、ビオラに持ち替えた。だから、バイオリンは1パートしかない。この録音では、第1第2ともに同じパートを弾いたから、音量が大きめになりやすいし揃い難い、カザルスが瞬間的に指揮でバランスを整えることもできず不首尾となった。カデンツァのあとの合奏もバランスが悪いように思う。
- 2009-09-29:カンソウ人
- バッハが自分がメロディーを演奏したかったから、自分の担当するビオラが第1バイオリンに代わるように、バイオリンを省いた協奏曲を書いた。そう思う。
- 2009-09-27:カンソウ人
- 若いホロヴィッツ程の技術の持主でなくとも展覧会の絵の楽譜は、難しくない。現代日本の音大の学生たちは、もっと難しい曲を演奏している。音符の数がロマン派時代の名曲としては少なすぎるのだ。だから難しい。
美術館で絵を見ながら歩いていく。絵に対する感想が表現されている上に絵を見ての感情の動きがプロムナードで表現されている。この設定に本質的に魅力があり、設定そのものに内容があり音楽の形式をも作っている。
曲の表現しようとしているものが、ピアノの原典版の音符で表現し尽くされていると考えるか、(作曲技術の拙いムソルグスキーに代わって)何らかの付け加えを行うべきと考えるか。善意からだあっても、ムソルグスキーに直接アプローチしたいと考えるのが現代的であるように思う。ラヴェルのアレンジは素晴らしい。オーケストラの貴重なレパートリーだろう。今日アレンジをするならば冨田勲のシンセサイザーまで行かないと、突き詰めたとは言えないように思う。
とにかくこの時代にホロヴィッツは演奏会場にこの曲を持ち出した。「グノ―ムス」が終わった後で観客の叫び声がする。「殻をかぶったヒヨコのダンス」では笑い声が記録されている。演奏者と観客がイメージを交換しあっている。素晴らしい音楽だ。ラヴェルのアレンジがいかに優れていようと、こんなことはありえない。ラヴェルの作品の出来上がりの素晴らしさを認めないわけにはいかないが、ムソルグスキーの音楽の天才的な訴える力の強さに気が付かないのは寂しいように思う。
- 2009-09-26:カンソウ人
- 一つの時代を作った演奏家だとは思います。いい加減な演奏だとは決して思いませんが、録音の古さとは違った意味で本質的に古いと思います。ピアノメーカーであったエラールのピアノの構造を使って作ったチェンバロの音は、如何に調律しようとも協和音を奏でるときにさえ、濁りを靄のように発生させる。カークパトリックの演奏したチェンバロの音のような立ち上がりのエッジの立った感じがない。ランドフスカが選んだ音にバロックの音楽、バッハの音楽と余りにも距離を感じる。終始する際のリタルダンドやレガート奏法にロマン主義との距離の近さを感じる。
ピアノのグールドの演奏に匹敵するチェンバロ奏者は、グスタフレオンハルト以外には考えられない。エラールや現代チェンバロは使用せず、レプリカのチェンバロを使用し調律もピアノから離れ、奏法や解釈まで全て音楽学通りにやってみる。私は実験的と呼んでいる。グールドは万能楽器ピアノを使うが、ピアノには本質的にチェンバロやクラヴィコードの真似をすることができると思う。
ランドフスカには、ストコフスキーのバッハの現代オーケストラ編曲やギュンターラミンの演奏ほどの意味を認めることはできない。必要悪として妥協し、最大の努力をした人たちほどの魅力を感じない。エラールのチェンバロを使うことはどうも気に入らない。バッハを演奏するならば、素直にフィッシャーのようにピアノを弾いたほうがよかったのではと思います。
- 2009-09-24:Us
- 音質では後年の巨匠たちの演奏に劣るけど、それを踏まえても最高の《悲愴》の1つであることは間違いないと思います。フリッチャイやムラヴィンスキー、さらに最近ではゲルギエフなども素晴らしい演奏を残してはいますが、やはりメンゲルベルクと同じ土俵では語れません。この録音は、本当の(古楽器等ではない)19世紀的な空気を味わえる最後の演奏だと思います。
- 2009-09-24:カンソウ人
- シューベルトのピアノソナタは、ベートーベンのピアノソナタと比較して明らかにモチーフの展開する力に欠けている。聞いていて退屈するように思われます。多声的に書かれている部分がほとんど無く技術的に難しい部分が少ないように思います。演奏が終わって拍手大喝采を浴びる、批評家がピアニストの技術や音楽性をあげつらうのをマスコミから情報を得る。普通音楽が広まって行く道筋とは違うものを感じさせます。19世紀、20世紀の前半はピアニストは演奏する頻度が低かったし、何を聞きとったらよいのかわかりにくい音楽でした。
それまで、聴衆や演奏家、音楽産業にとって否定的にとらえていた部分を逆に肯定的に捉えるきっかけとなる何者かが必要でした。今は、高い頻度で演奏されそれまで退屈だったものを聴衆は受け入れています。私は、ウィンダムヒルのような環境音楽やミニマルミュージック、エリクサティの音楽の発生や流行と同じものを感じています。石油ショックの後の、それまでのエネルギー垂れ流し(言葉は悪いが)を否定したころからの流れのように思います。エコロジーの思想の始まりの時期でした。音楽の受容のあり方の変化から、退屈を肯定的な時間の使い方として(良い言葉が見つかりませんが)捉えているのだと思います。
シューベルトのピアノソナタは、技術的に結構難物のように思います。楽譜通り演奏しても見せどころがあるわけではなく、テーマごとに要求するテンポが違う、全体構成を明確に意識することなど、解釈に関してはこれからの部分が多いと思われます。
シュナーベルの演奏は、ごつごつしていたり、テンポが速すぎたりいろいろ思いはあるのですが、とにかくこの時代の演奏としては彼の物しかありませんでした。現在の流行の先駆けをしていたのですからSP時代にこの長いソナタを録音していたことはとてもすごいことだと思います。同時代の人には決して理解できなかったことを、記録しているのだと思います。
- 2009-09-24:なまず
- いつも楽しく聴かせてもらってます。
今回はじめて感想を書かせていただきました。
普段はよく「重戦車」の方を聴いているせいか、こちらのインテンポは予想を超えてさわやかに感じました。加えて、落ち着きと軽快さを併せ持ったようなクリュイタンスの音作りが面白いです。
何というか、こういう程良く個性的な感じはありそうで意外と無いものですね。いいものをお聞かせいただきありがとうございます。
音質は仰るとおり悪くないと思います。弦の掛け合いもしっかり聞こえてきます。
- 2009-09-23:せいの
- なかなかいい演奏ですね。セルの抑制の効いた指揮ぶりがこのロマンチックな曲を甘すぎないほどよい哀愁を感じさせる曲に仕上げていると思います。月の光に照らされるモルダウのところなど弦の美しさが際立っていて、そこにフルートがせせらぎを表現する冒頭とおなじモチーフを重ねていくあたり絶妙だと思いました。第1主題が終わったあとのホルンのファンファーレ?もほどよく輝かしくていいなと思いました。
この曲を聴いていて、わたしは冒頭のせせらぎのモチーフがフルートから弦に受け継がれて、第1主題が始まるまでが大好きです。何度聴いても感動でぞくっとしてしまいます。
- 2009-09-22:うすかげよういちろう
- この第9、すごい迫力です。
出だしからしてチカラがみなぎっている(ように聞こえました)。
演奏者、怒っているのでしょうか。
最初から最後まで緊張して聴いてしまいます。
ところで、いくつかコメントがボツになりました・・・
<ユング君の追記>
失礼!アップし忘れていたようです。m(_ _)m
「イー感じ(・・*)b」とか、「音悪すぎー」みたいな「ひと言コメント」は遠慮させていただいておりますが、ボツなど言う「恐れ多い」事は基本的には行っていません。(^^v
今後とも、どんどんコメントをよこしてくださいませ。
- 2009-09-22:クリュイタンス大好き
- クリュイタンスきたー!
わたくしはベートーヴェンの全集の中でクリュイタンスが一番好きでございます!
彼がフランスオケの指揮者であることを意識したような各楽器の美しい音色が
彼の自然な演奏のされ方で一層映えるように私には聞こえてきます。
超クールっす!
私がクリュイタンスの全集で一番好きなのは、
ここであげていただいた第7交響曲の他に、
第5番と第2番が好きです!フィデリオ序曲も良かったなー!
色んな人に聞いて欲しい演奏です!
これからもクリュイタンスの音源のアップよろしくお願いします!
ブラームスなんてないですよね…?
いつも色んな音源のアップありがとうございます。
ユングさんのこのサイトの更新をいつも楽しみに生きてます!
これからもよろしくお願いします。
- 2009-09-22:カンソウ人
- 未完成は独語の「unvolledete」の訳語です。英語では「unfinished」です。響きが平坦な日本語に比べて「ウンフォレンデテ」と随分唾が飛ぶとげとげしさ。「みかんせー」の空気をこの曲には感じません。本来ならば、古典的な交響曲の4楽章の形をとるべき音楽が、後半を切断されている。終わることが出来ないのを、無理やりに終わっているのだと思います。
この曲が完成されなかった理由は幾つかあります。第1楽章、第2楽章の完成度の高いこと。第2楽章のモチーフが対位旋律まで魅力的なこと。アレグロとは言いながら、遅めの3拍子で2曲続けたこと。そのため途中まで書かれていた第3楽章では、こけてしまうほどレベルが低いことが予想されたこと。もしも、第4楽章まで書くと、密度の高い音楽が50分続くことが予想されたこと。シューベルトのピアノソナタには未完の物が数曲あります。それらと同じように、曲の完成を諦めるのに慣れていたこと。幾つ作曲を諦めても、別の物を作曲する能力に恵まれていたこと。
もしも、ここで諦めたら、交響曲はもう作れないタイプの人なら、つぎはぎだらけであっても完成させたであろうと思います。
- 2009-09-21:カンソウ人
- このソナタとこの前のソナタ「告別」との間には大きな断層を感じます。私の若いころは、このソナタの内容を深いと感じなくて、28番から(この次のソナタ)後期と思っていました。28番との断層は小さいもののように思います。抒情の透明性、第一楽章の伴奏分散和音の音の開き、感情の瞬間的な変化などに後期のソナタに値する内容を感じています。
- 2009-09-21:カンソウ人
- リッチの演奏は、安定感はないがモタモタは決してしていない。サーカスの綱渡りを見るとき、安定してチラとも不安感を味わせないよりは、よぼよぼ芸人が危なげに綱を渡る方が、集中させられ時間が過ぎていく。美しく程よく抒情的であるより、与えられた時間客を飽きさせねいほうが、技の奥が深い。
不思議なことにパガニーニの作曲技法はは古典派(原典版協奏曲では一度提示部が終わってからソロが入ってくるなど)、影響を受けて作曲した人たちの作品はロマン派。カンソウ人の変な憶測ですが、世間の作曲技法の歴史からしばらく隠遁生活を送っていたのでは。もてすぎる男は辛いよ、金持ち未亡人としっぽり、10年近くドボンしていたとか・・・。
リッチはお年を召してのほうが素晴らしくなるタイプかもしれません。
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[2025-07-18]

バッハ:トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565(Bach:Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-07-16]

ワーグナー:ローエングリン第3幕への前奏曲(Wagner:Lohengrin Act3 Prelude)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月30日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 30, 1959)
[2025-07-15]

ワーグナー:「タンホイザー」序曲(Wagner:Tannhauser Overture)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1964年12月7日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 7, 1964)
[2025-07-11]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)
[2025-07-09]

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 1 In D Major])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1962年8月28日~29日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonia Orchestra Recorded on August 28-29, 1962)
[2025-07-07]

バッハ:幻想曲とフーガ ハ短調 BWV.537(J.S.Bach:Fantasia and Fugue in C minor, BWV 537)
(organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1961)
[2025-07-04]

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調, Op.64(Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64)
(Vn)ヨーゼフ・シゲティ:トーマス・ビーチャム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1933年録音(Joseph Szigeti:(Con)Sir Thomas Beecham London Philharmonic Orchestra Recoreded on 1933)
[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)