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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2014-02-27:emanon
- セルの演奏は、ヘンデルのオリジナルではなく、ハーティが管弦楽用に編曲したものにさらにセルが手を加えたものである。セルは珍しくロンドン交響楽団を指揮しながら、豪快かつ清冽な演奏を繰り広げていて見事である。一方、エアーのようなゆっくりしたナンバーでが、しっとりと音楽を歌わせていて、セルの音楽性の高さを感じさせる。ヘンデル入門にふさわしいだけでなく、高度なファンをうならせる内容を持った演奏である。
- 2014-02-25:フランツ
- 久しぶりに聴きました。パガニーニのカプリース大好きな曲です。もしかしたらあらゆるヴァイオリン音楽中、一番好きかも(バッハの無伴奏より)。リッチの演奏から離れてしまいますが、ユング様のお言葉のとおり、実は私も五嶋みどりの演奏をとても高く評価しています。それにしても他に類型のないすごい音楽だと思います。ヴァイオリンの醍醐味を満喫したいときどんな「偉い」コンチェルトやソナタよりカプリースを聴きたくなります。
- 2014-02-25:nakamoto
- 吉田秀和の言うシューベルトの奇跡的天才を、充分堪能させて頂きました。私にはアルペジョーネとやらが全く分からないのですが。これだけ素晴らしいものを与えられて、満足です。開き直って、チェロソナタという名前にしたら、もっとポピュラーになるのではないでしょうか?シューベルトのメロディーは正に、奇跡の連続です。演奏家が凄いと、作品の本当の価値が分かってきますね。
- 2014-02-24:太郎兵衛
- 以下のように複雑な事情が絡み合ったレコーディングであったと想像されます。
- 冷戦闌の時期に、ソ連の人間国宝級ピアニストを、カラヤンの根城西ベルリンには招けなかった。
- 中立国オーストリアへのリヒテルの出国は可能でも、カラヤンとの蜜月期にあったヴィーン・フィルは、デッカとの契約の関係上起用出来なかった。
- 上記の条件をクリア出来るオーケストラは、カラヤンとの因縁浅からぬヴィーン交響楽団であった。
かくして、この横綱相撲のような記念碑的共演が実現したのでしょうね。
- 2014-02-23:Hide
- フォイアマンの歴史的名演のテンポを踏襲した解釈ですね。第一楽章がアレグロモデラート、第三楽章がアレグレットで両端楽章をこのように軽快に弾いているのは珍しいです。ヨーヨー・マがこれに近いテンポで弾いています(第三楽章のテーマが幾分ゆっくり)。これにより、ゆったりした第二楽章が活きてきます。さすがに、演奏技術を遥かに超越した巨匠フォイアマンのようにはいきませんが、なかなか魅力的な演奏です。ピアニストのことは全く無視というところでしょうか?難しい演奏にあえて挑戦し個性的に弾いたところにシャフランの良さがあります。「カザルスが神様ならばフォイアマンはそれ以上だ」と言ったチェリストですので影響を受けているのでしょう。サイトでの評価はヤニグロの方が高いようですが、自分で弾けるテンポに落としていて、シャフランに比べるとかなり凡庸な演奏に感じられます。
- 2014-02-23:koichironak
- ここに書かれていることに強い同感を持っています。
私自身の話で恐縮ですが、中学生時代にとても熱心にクラッシク音楽を聴いていましたが、ある日、まさにここで書かれているような「気持ちの悪さ」(そして、再生産される巨匠たちの解釈から生じる微妙な違いを微分的に追及していくクラッシクの「聴き手」の気持ち悪さ)感じてたまらなくなり、クラッシックから離れてしまいました。
(まさに、ビートルズの「イエスタディ」のように、世の中に一つしかない音楽を求めてロック、そしてブルースやジャズに移っていきました)
しかし、それから10年近くたったある日、グールドのバッハ(ゴールドベルグ変奏曲)を耳にして、「気持ち悪くない」クラッシックがあることに気が付かされました。
そして、以来、細々とながらですが、再びクラッシックも聴き続けています。
この意味でも、グールドの演奏は、私にとって「クラッシク」と言われている音楽を、まさにほかの音楽一般と同じ地平で聴けるよう再び門を開いてくれた演奏家でした。
悲しいことに彼と同じ道を歩もうとしていない演奏家、特に日本の演奏家が本当に少ないとのご指摘にも強く同感です。
今回のご説明で、これまでモヤモヤ感じてきたことが少しすっきりしました。
ありがとうございました。
- 2014-02-23:オスカル
- グールドのバッハは友人に勧められて以来愛聴しています。
ユングさんのエッセイには唸らせられることが多いのですが、今回もまた目から鱗が落ちた思いです。
私もクラシック音楽を聴きはじめた頃は「まったく同じ楽譜で演奏される曲が演奏家によって変わるの?」とか「なんで同じ曲のCDを何枚も集める必要があるの?」と思っていたものです。それが多くの演奏に接し、たくさんのCDを集めるようになってから、いつしかそんな違和感も消えてしまっていました。
一方で、メンデルスゾーンがいなければバッハやシューベルトの音楽が現代に受け継がれることがなかったかもしれないように、ベートーヴェンやブラームスなどの大昔の作曲家の音楽が現代においても親しまれているのは、いわゆる演奏家の解釈のおかげなのではないかと思います。
例えば、ベートーヴェンの音楽がフルトヴェングラーによってしか録音されず、またフルトヴェングラーと同じようにしか演奏されなかったとしたら、クラシック音楽は現代まで残っていたでしょうか。
どんなに素晴らしい音楽でも、毎回まったく同じように演奏されていたのでは聴衆は飽きてしまいます。それが録音され繰り返し聴かれるものであればなおさらです。
それに、既存の曲を自らの感性と演奏によって作曲しなおすというのは、天賦の才に恵まれていなければ到底できることではありません。
作曲家の名声が地に落ち、演奏家がもてはやされるクラシック業界の現状は、たしかに音楽に限らず創作活動全般を取りまく環境として非常に気持ち悪いものです。しかし、その気持ち悪さによって辛うじて生きながらえてきた部分もあるのではないかと思うといささか複雑な気持ちです。
とはいえクラシック音楽ファンの性なのか、同曲異演を集めるのはやめられないんですけどね。
<ユング君からの返信>
上の一文は書きながら結構毒がきついなぁと思っていたのですが、こういう風にやんわりと受け止めてくれると嬉しいです。
結局、これは自戒なんですね。しかし、自戒の念を持ちながら同曲異演を集める事をやめられない自分がいることもよく分かっています。世間ではこう言うのを「業」と言うんでしょうね。
- 2014-02-12:Joshua
- ブレイン父子の演奏を聴いて思い出すことがあります。
30年も昔、わたしはホルンを吹いていましたが、
M・W君という、すばらしいアマチュア奏者がいて、彼のセカンドで
音楽経験をさせてもらいました。上手い人と吹くと、自分の実力以上のものが
出るのは事実です。息子のデニスがうまくなるのは当然です。
- 2014-02-11:nakamoto
- これは、恐れ入りました。素晴らしいです。プロコフィエフは好きなのですが、交響曲が良く分からんでした。しかしセルとクリーブランドのお蔭で、はじめてこの音楽の素晴らしさを認識できました。ありがとうございます。ソビエトの作曲家は正直苦手です。20世紀の音楽なのに、そうでないような、わけが分からん中途半端なものに聞えてしまいます。だから、ショスタコビッチや帰国後のプロコフィエフは、理解不能な曲がちらほらでした。そんな曲のひとつがこいつで、理解できない自分にイライラしていましたが、これで解消されました。私にとってセルは、東欧圏の民族主義的ロマン派音楽については、No1であります。久しぶりにスカッとさせていただきました。もともと民族主義的ロマン派については、あまり好ましくなかったのですが、セルのお蔭で、霧が晴れていく感じです。セルが現代に生きていたら、なんて馬鹿げた妄想をして、悲しんでおります。
- 2014-02-10:nakamoto
- 私もベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、いまいち!と感じてしまいます。勿論ベートーヴェンとしてはですけれど。バッハやモーツアルトと違って、ベートーヴェンの作品には、とても高いレヴェルではありますが、作品の出来不出来が存在していると、かねがね思っています。交響曲や弦楽四重奏のように、或いはミサ・ソレムニスの様な、音楽史的に見ても突出している作品もあれば、そうでもない作品があるのは、事実であると思います。といってもヴァイオリンソナタの第9番や第10番は傑作です。しかしだからと言ってベートヴェンのヴァイオリンソナタが傑作揃いと言えば、無理があります。ヴァイオリンソナタと言うジャンルはベートーヴェン以外にも傑作が多いので、バッハやモーツアルトは勿論の事、フランク、ブラームス、ラヴェル、バルトークなどの大変な傑作が存在しているので、ベートーヴェンというかつて楽聖と呼ばれていた人としては、イマイチのジャンルと言う事が言えて良いのではと思います。私は、ユング君さんのような、演奏家に対する知識がまるで無いので、オイストラフとオボーリンの演奏で満足しています。あらためて聴いて素晴らしいと感じました。
- 2014-02-08:セル好き
- やはりウィーンのカラヤンは安心感がありますね。
「実にスリリング」「競奏曲」とかいって当時もてはやされたようですが、その後リマスターCDで改めて聴いてみると、それはセールストークだったような感じさえ受け。実に堂々たる演奏です。
当時のベルリンフィルとの録音の方がピリピリした感じが垣間見えることが多いのでは。
私的には、フルニエ・セル・BPOのドヴォルザークのチェロ協奏曲の方が丁々発止な感じがしています。第2楽章のチェロ・歌曲「私にかまわないで」の出だしは、緊張してか思わずダブル?の様に聞こえます。
- 2014-02-08:Hide
- バッハの無伴奏といえばシュタルケルでしょうね。46年位前に初めて聴いて衝撃を受けました。一生涯、バッハを極めるべく修練に励んだチェリストであり、この録音は初期の記録として貴重です。1970年台にビルスマが舞曲的解釈の演奏を行うまで、チェリストたちはカザルスによる重厚な演奏の呪縛から逃れられませんでした。ピアノのフランス組曲を聴けば軽やかに演奏すべきとわかるのですが、カザルスが偉大過ぎたのでしょう。この演奏のガボットも優雅な舞曲ではなく豪放です。92年版はもっと穏やかで、無伴奏チェロの最高峰の一つと言えます。私も第六番はヨーヨー・マを高く評価していますが、マはビルスマの演奏に感銘を受けて習いに行ったので、偉大なのはビルスマでしょう。若い時、ロストロポーヴィチが第二番と第五番しかなく、待っていましたが、さすがに70歳台では遅すぎました。今では、シュタルケルとマの最後の録音が双璧と思います。
- 2014-02-05:nakamoto
- 私が普段何を一番聴いているかと言うと、ヘンデルの声楽かテーレマンの声楽です。つまり好きなのです。いつもは古楽器でしか聴いていません。しかし本当にセルは手を加えていないのでしょうか?ヘンデルの雄大さと新鮮さが如実に出ていて、圧倒されてしまいます。ヘンデルは同年生まれの例の天才のせいで、損をしている気がします。音楽史上トップクラスの作曲家なのに、人気が今一つのような気がしてなりません。この録音を聴いて、人類の作り出した、音楽の偉大さを感じない人があるでしょうか?日本の人々よ、もっとヘンデルを聴きましょう!!そして、セルに再び感謝です。
- 2014-02-04:フランツ
- グールド・ファンの方々すみません。私どうしてもグールドのバッハ演奏が好きになれません。原曲よりグールドの個性が強すぎてついていけません。ほんとにそんなにいい演奏でしょうか。
- 2014-02-03:Joshua
- ライトナーもアップしていただいてますが、ハフナーセレナードでそちらは楽しむとして、ポストホルンは、マークの51年録音が断然気に入りました。
1951年で聞かない人は損をします。いい録音です!同年のフルヴェンのベー7なんて情けない音ですが、あれは問題外。また、有名無名で曲を判断してもいけませんね。
この演奏、楽しい、いきいきしている、こう言えば十分じゃないでしょうか?
それにしても、題名のポストホルンなんて、ハイドンの100番交響曲「軍隊」2楽章で、軍隊ラッパが少し鳴るのといい勝負ですね。そこを聞くんじゃなくて、全編を通じて木管のたのしい語らい、弦楽の瑞々しさ。聞き所はいっぱいです。
以前は無視していた曲ですが、この演奏で好きになってしまいました。演奏をしなくなった自分には聴き道楽の真骨頂です。前に聞いたベームVPOやマッケラス(懐かしのティルシャルsolo)やコレギウムアウレウムを聞き直してみよっ・・・と。
- 2014-02-02:Joshua
- このところオケ曲の感想が多いので、intimateな音楽を挙げてみました。
10番「ハープ」の命名はピッチカートで進行する部分が多いからでしょうが、それよりも第1楽章の終わりに向かうあたりの、カンタービレとしかいいようのない4声の絡み合いの何とすばらしいことか。25年前の20代にそう思ったものです。
たまたま、CDレンタルで借りた、ジュリアードカルテットの国会図書館ライブでした。こちらのブダペスト、ラズモフスキー3番とセットで廉価版CDで長らく売ってたものですが、切込みの鋭い現代的な、それでいて何度も聞きたくなる含蓄を感じさせてくれる演奏です。ブダペストとしては、最晩年、の演奏です。モノーラル・SP時代は、かなりザッハリヒな演奏をしていたようですが、これは音もいいし、味わい深いです。その後、ラサール、エマーソン、アルバンベルク、が登場し、「より上手く」なりましたが、感動量はそう変わりません。
大阪のシンフォニーホールが満席の中で聞いた、アルバンベルクと、南の大阪倶楽部で間近に聞いたスメタナとでは、やはり後者が思い出深いです。深夜カペー四重奏団を自宅に呼んでベートーベンをひかせたとかいう、マルセルプルーストの逸話(実話)はそんな自分の感想と重なってきます。「聴き方」が大いに分極する曲種だと思います。
- 2014-02-02:原 響平
- 昔、LPレコードでこの演奏を聴いた時、学生時代の暗い心に、官能的と言ってよいほどの快感を与えてくれたのが、この演奏。特に第一楽章は、数あるこの演奏の内でも白眉の演奏。1960年台以降のカラヤンの演奏スタイルは、先ず低音楽器を優先させ、次に高音をほんの少しタイミングずらして乗せてくるため、どの演奏も非常にゴージャスな響きとなる。多分にこれが、カラヤンの指揮の根幹を支配しているが、このフィルハーモニア管との演奏は、その演奏スタイルを既に完成させていた事を知ることになる。第一楽章のコーダーの天に向って強奏する金管の響きは、まさしく人間が苦難に遭遇した場面から、もがき苦しみ、這い上がる姿を思わずにはいられない。
- 2014-02-01:nakamoto
- シベリウスの第4はシベリウスの最高傑作です、紛いも無く。カラヤン フィルハーモニアはその中でも頂点なのです。これを聴いていると、この作品が、ベートーヴェンやブルックナーやブラームスの交響曲と比べても、全く引けのとらない、凌駕されないものがあると言えます。正に非の打ちどころもない素晴らしい音楽です。シベリウスのその後の製作意欲の減退は、この作品を評価しなかった当時の批評家たちに、責任があると思えます。シベリウスはきっと自信たっぷりにこの音楽を書いたに違いありません。しかし冷ややかな聴衆の反応に、戸惑いその後失望して、後半生を無駄にしたのではないでしょうか?3番を結局録音しなかったカラヤンは、この曲を何度も録音しなおしています。勿論この作品の価値を理解していたからこそです。この作品は、シベリウスの19世紀への決別と、20世紀の音楽を先取りした、正に当時の新音楽だったのだと私は確認しています。
- 2014-02-01:フランツ
- 60年代カラヤンのベルリン・フィルハーモニーとの「5番」とても感動的です。アップに感謝します。カラヤンは音楽自体以外で話題になりすぎましたが、演奏は基本的に原曲に忠実・正確で実にオーソドックスだと思うのです。そこには曲自身が求める自然な感情もあり、結局ほとんどのレパートリーで非常に優れた演奏をしたと思います。とくに繰り返し聴かれる「録音」においてその特長が顕著と考えます。多少ミスはあってもライヴの雰囲気を重視するようなファンからすると物足りないかもしれませんが。本演奏はじめ個人的にはカラヤンの演奏に好感を持ちます。
- 2014-01-29:ウィルソン
- カンテッリはケルテス(溺死)などと並んで、「生きていれば音楽業界の勢力図は全く違うものになっていただろう」などとよく評価されているようですが、この録音にその才の一端が表れているように思われます。
録音状態がひいき目に聴いてもよろしくないのは残念ですが、後々名盤とされるカラヤンやチェリビダッケ(これは個人的趣味かもしれませんが)にも劣らないオケのコントロールぶりは称賛に値するでしょう。
惜しむらくはもう少し個性を出してほしかった。年齢を重ねてから再録音すれば、また一回りも二回りも成熟した彼独自のチャイ5が聴けたのではないか。本人にはどうしようもないことながら、長生きしてほしかった、とつくづく思わされます。
- 2014-01-29:ウィルソン
- 私の手元には、この曲のジュリアード四重奏団による録音があります。年代で言えばこの録音より8年のち、1967年に収録されたものです。
私が愛聴してきたジュリアード盤は、いい加減な言い方をすれば「アメリカ的」というか「モダン」というか、とにかくすっきりと整った演奏を聴かせてくれます。もちろん表情のつけ方はそれなりに豊かですが、それよりもやはりアメリカ的な響きというか、あまりボヘミアンではない音が際立ちます。
それに比べるとこのアマデウス盤は、そこまで田舎臭いというのではないにしろヨーロッパ的な、豊満なまでの歌い方をしているように思えます。作曲者の出自を反映した、それこそ交響曲第9番などと相性のよさそうな演奏ですね。
どっちがいいとか比較するのは難しいところです。標題からしてジュリアード盤の解釈が「正しい」のかもしれませんが、このアマデウス盤にも遜色ない魅力があると思います。心惹かれる名演です。
- 2014-01-24:RTJ
- この曲はドヴォコン以上にトゥッティが重要な役割をしめてますがこの演奏はまずそれがすばらしい。さすがライナー/CSO。
この曲のカデンツァは個人的にハイフェッツのものがすきなのでその点でもこの演奏は気に入ってます
1,3楽章もいいですが2楽章が非常にメロディックに表現されててすばらしい演奏だと思いました
- 2014-01-22:hiko
- 明るくて、軽快で素晴らしい演奏です。私もモーツァルトのセレナードはこう演奏するものと思います。
- 2014-01-22:斎藤誠
- 4番を聞いてなんて滑らかなんだと思いました。眉間に縦じわを必要としないのです。
- 2014-01-21:nakamoto
- ユング君さんがベーム盤を愛聴していたとは、しかもフィガロで。とっても意外でした。私の最も愛する晩年のベームを、いわばぼろくそに言っている人物が、その少し前の録音を評価していたなんて・・・。ぼろくそに言われて気分を害している訳でなく、おいおい違うよ、カルロスだって、カラヤンだって、晩年のベームを尊敬していたんだよ!こんなに優れたサイトを管理しているユング君さんだからこそ、それはまずいよって、言いたくなっちゃうんですよ。わたしのフィガロ決定版は、DVDのウィーフィルとの奴です。ベームは、エーリッヒもカルロスも天才的な指揮者と評価していましたが、一番天才は自分だよって思ってたって勝手に思っています。エーリッヒについては、カルロスと優劣のつけがたい、凄い音を出しているといつも思いますけど、少なくともモーツアルトについては、この天才親子より、ベームの音がどうしても最高に思ってしまいます。個人的好みでいいますと、この親子は厚みと言うかふくよかさが、ちょっと足らないんです、私の偏見以外何物でもないですけど。
- 2014-01-20:Joshua
- よくぞあげてくださった。
Myron Broomこそは、クリ-ブランドの演奏にメリハリをつける立役者だと僕は思っています。
フライシャーのベートーベン4番協奏曲でのバック、チャイコフスキー5番終楽章のあっけらかん、ティルオイレンシュピーゲルの端正なソロ。ここでは、もっと鳴らせるのにセーブしながら指揮者セルと作品をコラボレートしてる感じです。まずは、じゅうぶん納得できる演奏。
10代のシュトラウスはホルン吹きの親父にささげたそうですが、親父のフランツも協奏曲を作っていて、現役最古参タックウェルが録音しています。音符の多い古くさい感じの音楽ですが、それがまた他にない魅力となっています。
そう言えば、パブリックドメインなら、名手デニスブレインの親父オーブリー・ブレインがブラームスのホルン三重奏を残してるはずです。できれば、ききたいですねえ。
蛇足ながら、この1月10日、元ベルリン主席ホルンのラデク・バボラクを聞いてきました。うまい!何の危なげもない。しかし、もう少し豊かさ、どきどき感が欲しいのも事実でした。
25年前に聴いたクレベンジャーも同じことを感じました。最初に曲を聴いた時の感動を感じさせてほしい。
- 2014-01-16:nakamoto
- 私にとって惑星と言えば、この録音の事です。その後出た様々な新録音は、カラヤン、ベルリンフィルの物を含めて、私を満足させませんでした。そうあまり精緻でないこの演奏こそ、ホルストが作曲した頃の神秘的な太陽系のイメージを残している、もっとも優れた演奏なのではないでしょうか?ウィーンフィルの柔らかな音も、全くこの曲に合致したものと私は感じています。 作品そのものは、クラシック音楽とは言えないほどの、浅い音楽と私は認識していますが、このカラヤン、ウィーンフィルによってのみ、私の場合は、芸術性を認められます。音の芸術として、永遠に残るものと私は思っています。
- 2014-01-16:nakamoto
- カラヤンの田園は、ベートーヴェンがスコアに示した速度に、かなり近いものに成っていると言う事を、私聞いています。ベートーヴェンの指示はさらに速い速度を要求していたようで、正直うーんと唸ってしまいます。しかしこのカラヤンの録音を聴いていると、ベートーヴェンの訪れた田園の中での、はしゃぎにも似た悦びぶりが想像できて、楽しく楽しく聴くことが出来ます。
表題性が必ずしも低い芸術では無い事を、ベートーヴェンの田園は示しています。クラシック音楽の価値は確かにその古典性にあると私も思いますが、オペラやドビュッシーが低い芸術でしょうか?ユング君さんの言うとおり、無理無理に田園を表題音楽でないとする人々は問題です。ガチガチの頭で、作品を斬ることは愚かだと思います。私の尊敬する吉田秀和もそのひとりですが。
- 2014-01-16:フランツ
- 古今協奏曲は独奏者のパートが目立って音楽的に空虚な曲が多いのですが、ブラームスの場合は独奏と管弦楽のバランスがよく、ときに交響曲的なほど全体の内容が充実していると思います。ヴァイオリンも重音が多く、横の線というより立体的な効果が求められます。古典からロマン派までの協奏曲の集約のような名曲だと思います。ハイフェッツは技巧的にはすばらしいですが、全体的に速いせいか、もう少しふくよかさや情緒が欲しいと感じるときがありますが、ライナーと目指す音楽作りが共通していて立派な協奏曲に仕上がっていると思います。
- 2014-01-16:nakamoto
- 正直私はシュトラウスというと、オペラばかり聴いていて、管弦楽はあまり聴きませんでした。間違っているとは分かっていても、劣るものと言う感触が自分の中にあったのです。しかし、この演奏を聴いて、やはり吉田秀和の言うとおりの音楽だと感じ入りました。なんと煌めいた音楽でしょうか!そして1957年の録音と言う事にビックリです。新録音より自分の中では新録音です。セルファンの方々には失礼かもしれませんが、セルはとてもバロック的な指揮者であるとの感じを持ちました。削るように磨き、有無を言わせないほどの完璧な力動感を実現している、まがいもなく一流の指揮者であると。ロマン派しか振れない大指揮者、フルトヴェングラーとは、全く違う世界の人間であると今感じています。
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[2025-09-16]

メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 Op.54(Mendelssohn:Variations Serieuses, Op.54)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月20日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 20, 1957)
[2025-09-14]

フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)