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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2014-03-09:すーさん
- グールドワールド全開、大好きです。
彼のピアノを聴いているとなぜか、モーツァルトの顔がダブって見えることがよくあります。上手く言葉では表現できないのですが、理解してもらえない孤独感のようなものを、音色から感じるときがあり、モーツァルトやグールドが愛おしいです。
少し疲れ気味だった今日この頃、グールドの音色に癒され、またがんばる元気をもらえました。
- 2014-03-05:セル好き
- 私もこの録音は、よく聴きますが、とても心の安定が得られます。
地味すぎると思われる方は、カレファクス・リード・クインテットのものが良いかもしれません。Ob.Cl.ASx.Fg.BCl.という編成です。
ところで、高音と低音を一人の奏者が同時に鳴らすとこれだけずれる(低音が遅れる)のも興味深いところですね。
- 2014-03-03:フランツ
- 「英雄」に接したくなりこの演奏を聴いてみました。クレンペラーは率直に客観的に淡々と演奏しているように聴こえます。決して「重厚」「ドイツ風」とは聴こえません。何か彼についてそういう記述が多いですが実際はそうでもありません。遅めのテンポも慣れると違和感がありませんし。木管がメロディーを演奏するときもくっきりと主旋律を吹き、全体の響きがごちゃごちゃにならないのは好感をもちます。適度に風通しがよいと言えるのでしょうか。クレンペラーがそういうところに細心をはらったのでしょう。フィルハーモニー管弦楽団はもともと録音専用らしいですが、そのせいかバランスがよく、オーソドックスな響きのように思います。
- 2014-03-02:nakamoto
- この演奏も本当に楽しく、そして深いです。バッハの晩年のフーガの技法と音楽の捧げものは、とっつきにくいとよく言われていますが、私の場合、初めからすーっと入ってきて、なんとも良い心地にしてくれる、しかし文句なく深い音楽で、確かに最高の名曲のひとつだと思っています。バッハの場合、グールドでなくても充分楽しめる音楽なのですが、やはりグールドは素晴らしいです。グールドは正統派でないということも良く聴く文句ですが、私にはわかりません。バッハは多分グールドのような、主観的な演奏を自作品にしていたと、推測しているのですが・・・、多分そうだったと思っています。
- 2014-03-01:nakamoto
- ドヴォルジャークはセルに限ります、私の場合。アバウトに東欧人として、セルを捉えています。私は偏見と知りつつどこかで血筋にこだわっています。セルはチェコの人ではありませんが、でもピタリ嵌まっています。特に8番は作品としても最良ですし、セルの他の録音は聴いたことがありませんが、この録音で大満足しています。私は、イタリア、ドイツ、フランスが三大音楽大国と思っていますがしかし、セルのお蔭で、東欧という一括りは、これも音楽大国であることを、認識させられました。セルの東欧物は兎に角最高です。
- 2014-02-28:emanon
- 1928年の録音にしては、ノイズも少なく良い音である。
演奏は、さすがメンゲルベルクとコンセルトヘボウの名コンビだけあって緩急自在、情緒纏綿たる趣きが素晴らしい。面白いのは第4楽章で、展開部の後半がバッサリカットされ、コーダのクライマックスにシンバルの一撃を入れている。これは朝比奈隆氏の著書によるとメンゲルベルクが元祖だそうだ。
- 2014-02-28:emanon
- セルのドヴォルザーク「8番」というと、中学生の時以来、1970年録音のLPを愛聴してきた。第3楽章など、何度聴いたかわからない。
それが最近になって輸入盤で1958年録音のCDを入手して、演奏の活気とみずみずしさにすっかり惹かれてしまった。そのため、今では断然1958年盤を聴くことが多くなっている。蛇足だが、この演奏では、第3楽章の最初の旋律を楽譜通りフォルテで始めている(1970年盤ではメゾピアノくらいに聞こえる)。
- 2014-02-28:セル好き
- ボレロはクリュイタンス・パリ音楽院管弦楽団が一番というファンは多いようです。知人にもその一人がいて、私もCDで買ってみましたが、愛聴盤のミュンシュ・パリ管にくらべるとどうも雑な感じがして、しばらく聴いていませんでした。改めて聴いてみると楽器が増えるにつれて聴くに耐えなくなり、最後の2・3分はもう....(その辺MP3はちょっとマイルドに聞こえます)。
最近、同じパリでもバスチーユの方はミュンフンがぴしっとアンサンブルを決めているようなので機会があればそっちの方も聴いてみたいかな。
- 2014-02-28:フランツ
- クラシック素人ですが、カラヤンとフルトヴェングラーずいぶん違う演奏ですね。フルトヴェングラーでもいろいろですし。18世紀は指揮者なしの合奏で交響曲も演奏されたようなので、当時は解釈とかはあまりなく、カラヤンに近い演奏だったんですか。現代はいろいろ録音も聴けますがが「正しい演奏」というのがあるのでしょうか。いつも疑問に思ってしまいます。
- 2014-02-28:Joshua
- 私的には、第5番イ短調、第6番ト短調、の2曲に尽きます。
悪魔的で目の覚めるようなフィンガーリングの5番
トレモロの神秘感に聞きほれる6番、
いずれも、パールマンの演奏でノックアウトされました。
5番のほうは、ミルシュタインが小曲集で若干デフォルメして弾いてますが、上手いものの圧倒感はない。
さて、「リッチもパールマンもほかの曲を弾くとさほど凄味がない」のはどうしたことでしょうか?
果たして、譜面通りに弾くのは不可能なのでは?と思ってしまうのです。この両者ははったり?ハイフェッツが誠実に弾けないと思ったのかも?謎の広がる作品です。
女性の弾くカプリースは五島みどり、神尾真由子、・・・結構いますね。上手いんだけどな・・・ちゃんと弾きすぎてるのかな・・・ドキドキしないのは私だけでしょうか。夢は実現されると夢でなくなるように、鬼神的ヴィルトゥーゾは演奏家人生のある一時期の通過点とすると、完成をめざす芸術家は録音すべき作品ではないのかも知れません。勝手な意見ですみません。
- 2014-02-27:カンソウ人
- グールドのバッハ平均律が、素敵なサイトであるここにアップされた。
何か書きたくてウズウズする。
積極的に日本に紹介してくれたのは、吉田秀和だった。
ゴールトベルク変奏曲は、彼の知人に何枚もレコードを贈ったらしい。
平均律は、一期一会という「最大の賛辞」だった。
20歳代に買ったレコードには、彼の言葉がそこだけ、帯に大きく書かれていた。
しかし、この国のピアノ教育の世界では、彼のやり方まだ異端であった。
その空気の中、大御所評論家の賛辞は、グールドだけに向けられた物ではない。
そう思った。
彼とバッハ、双方に向けられたのだと信じている。
最も好きな西洋音楽の作曲家は、バッハだったし、今もそうだ。
特に、2声と3声のインヴェンションの録音が無かったら・・・。
自分はピアノを触らなかっただろう。
インヴェンションは音楽的には凝縮し過ぎであり、そこが平均律とは異なる。
人前で弾くには、平均律の方が易しいかも知れない。
そこを乗り越えた物を、感じませんか?
だけど・・・。
平均律の録音は素晴らしい(間違いなく)が、失敗だったとも言える。
再録音したかったのでは・・・。
だって、散漫な印象を持ってしまう。
如何にグールドでも、情報量が多くて、全体を見通す事が難しいのだろう。
48曲を通して眺める時に、フーガが寂しい。
一巻。
嬰ハ短調、テンポが上ずっていて、宗教色が薄い。
オルゲンプンクトの上で、感動的な恍惚感に浸りたい。
変ホ短調、素晴らしいけれども、音量の変化でクライマックスを築き切れていない。
大きなフォルテが欲しいわけじゃない。
二巻。
この24曲は、いったい何という曲集なのだろう。
作曲したバッハっていう男は、何と言う奴なのだろう。
才能だけでは足りない物を込めやがった。
ホ長調、速すぎて良さが味わい切れない。
この曲の素晴らしさが、録音時点では若過ぎて、理解できなかったのではないか。
ロ短調、あばよバイバイって言う飄々とした別れが足りないような気がする。
彼なら出来たと思うし、やり貫きたかった筈だ。
『一期一会』の事が(偉そうに)書けたかなあ?
日本人の高橋悠治だったら、緻密な構成を目指さない、風通しの良いバッハの名演奏が出来る。
彼の弾く「パルティータ」や「ゴールトベルク」や編曲物のアルバム。
グールドは本当の意味では、伝統からの自由さを獲得していない事が、明らかにされている。
- 2014-02-27:emanon
- セルの演奏は、ヘンデルのオリジナルではなく、ハーティが管弦楽用に編曲したものにさらにセルが手を加えたものである。セルは珍しくロンドン交響楽団を指揮しながら、豪快かつ清冽な演奏を繰り広げていて見事である。一方、エアーのようなゆっくりしたナンバーでが、しっとりと音楽を歌わせていて、セルの音楽性の高さを感じさせる。ヘンデル入門にふさわしいだけでなく、高度なファンをうならせる内容を持った演奏である。
- 2014-02-25:フランツ
- 久しぶりに聴きました。パガニーニのカプリース大好きな曲です。もしかしたらあらゆるヴァイオリン音楽中、一番好きかも(バッハの無伴奏より)。リッチの演奏から離れてしまいますが、ユング様のお言葉のとおり、実は私も五嶋みどりの演奏をとても高く評価しています。それにしても他に類型のないすごい音楽だと思います。ヴァイオリンの醍醐味を満喫したいときどんな「偉い」コンチェルトやソナタよりカプリースを聴きたくなります。
- 2014-02-25:nakamoto
- 吉田秀和の言うシューベルトの奇跡的天才を、充分堪能させて頂きました。私にはアルペジョーネとやらが全く分からないのですが。これだけ素晴らしいものを与えられて、満足です。開き直って、チェロソナタという名前にしたら、もっとポピュラーになるのではないでしょうか?シューベルトのメロディーは正に、奇跡の連続です。演奏家が凄いと、作品の本当の価値が分かってきますね。
- 2014-02-24:太郎兵衛
- 以下のように複雑な事情が絡み合ったレコーディングであったと想像されます。
- 冷戦闌の時期に、ソ連の人間国宝級ピアニストを、カラヤンの根城西ベルリンには招けなかった。
- 中立国オーストリアへのリヒテルの出国は可能でも、カラヤンとの蜜月期にあったヴィーン・フィルは、デッカとの契約の関係上起用出来なかった。
- 上記の条件をクリア出来るオーケストラは、カラヤンとの因縁浅からぬヴィーン交響楽団であった。
かくして、この横綱相撲のような記念碑的共演が実現したのでしょうね。
- 2014-02-23:Hide
- フォイアマンの歴史的名演のテンポを踏襲した解釈ですね。第一楽章がアレグロモデラート、第三楽章がアレグレットで両端楽章をこのように軽快に弾いているのは珍しいです。ヨーヨー・マがこれに近いテンポで弾いています(第三楽章のテーマが幾分ゆっくり)。これにより、ゆったりした第二楽章が活きてきます。さすがに、演奏技術を遥かに超越した巨匠フォイアマンのようにはいきませんが、なかなか魅力的な演奏です。ピアニストのことは全く無視というところでしょうか?難しい演奏にあえて挑戦し個性的に弾いたところにシャフランの良さがあります。「カザルスが神様ならばフォイアマンはそれ以上だ」と言ったチェリストですので影響を受けているのでしょう。サイトでの評価はヤニグロの方が高いようですが、自分で弾けるテンポに落としていて、シャフランに比べるとかなり凡庸な演奏に感じられます。
- 2014-02-23:koichironak
- ここに書かれていることに強い同感を持っています。
私自身の話で恐縮ですが、中学生時代にとても熱心にクラッシク音楽を聴いていましたが、ある日、まさにここで書かれているような「気持ちの悪さ」(そして、再生産される巨匠たちの解釈から生じる微妙な違いを微分的に追及していくクラッシクの「聴き手」の気持ち悪さ)感じてたまらなくなり、クラッシックから離れてしまいました。
(まさに、ビートルズの「イエスタディ」のように、世の中に一つしかない音楽を求めてロック、そしてブルースやジャズに移っていきました)
しかし、それから10年近くたったある日、グールドのバッハ(ゴールドベルグ変奏曲)を耳にして、「気持ち悪くない」クラッシックがあることに気が付かされました。
そして、以来、細々とながらですが、再びクラッシックも聴き続けています。
この意味でも、グールドの演奏は、私にとって「クラッシク」と言われている音楽を、まさにほかの音楽一般と同じ地平で聴けるよう再び門を開いてくれた演奏家でした。
悲しいことに彼と同じ道を歩もうとしていない演奏家、特に日本の演奏家が本当に少ないとのご指摘にも強く同感です。
今回のご説明で、これまでモヤモヤ感じてきたことが少しすっきりしました。
ありがとうございました。
- 2014-02-23:オスカル
- グールドのバッハは友人に勧められて以来愛聴しています。
ユングさんのエッセイには唸らせられることが多いのですが、今回もまた目から鱗が落ちた思いです。
私もクラシック音楽を聴きはじめた頃は「まったく同じ楽譜で演奏される曲が演奏家によって変わるの?」とか「なんで同じ曲のCDを何枚も集める必要があるの?」と思っていたものです。それが多くの演奏に接し、たくさんのCDを集めるようになってから、いつしかそんな違和感も消えてしまっていました。
一方で、メンデルスゾーンがいなければバッハやシューベルトの音楽が現代に受け継がれることがなかったかもしれないように、ベートーヴェンやブラームスなどの大昔の作曲家の音楽が現代においても親しまれているのは、いわゆる演奏家の解釈のおかげなのではないかと思います。
例えば、ベートーヴェンの音楽がフルトヴェングラーによってしか録音されず、またフルトヴェングラーと同じようにしか演奏されなかったとしたら、クラシック音楽は現代まで残っていたでしょうか。
どんなに素晴らしい音楽でも、毎回まったく同じように演奏されていたのでは聴衆は飽きてしまいます。それが録音され繰り返し聴かれるものであればなおさらです。
それに、既存の曲を自らの感性と演奏によって作曲しなおすというのは、天賦の才に恵まれていなければ到底できることではありません。
作曲家の名声が地に落ち、演奏家がもてはやされるクラシック業界の現状は、たしかに音楽に限らず創作活動全般を取りまく環境として非常に気持ち悪いものです。しかし、その気持ち悪さによって辛うじて生きながらえてきた部分もあるのではないかと思うといささか複雑な気持ちです。
とはいえクラシック音楽ファンの性なのか、同曲異演を集めるのはやめられないんですけどね。
<ユング君からの返信>
上の一文は書きながら結構毒がきついなぁと思っていたのですが、こういう風にやんわりと受け止めてくれると嬉しいです。
結局、これは自戒なんですね。しかし、自戒の念を持ちながら同曲異演を集める事をやめられない自分がいることもよく分かっています。世間ではこう言うのを「業」と言うんでしょうね。
- 2014-02-12:Joshua
- ブレイン父子の演奏を聴いて思い出すことがあります。
30年も昔、わたしはホルンを吹いていましたが、
M・W君という、すばらしいアマチュア奏者がいて、彼のセカンドで
音楽経験をさせてもらいました。上手い人と吹くと、自分の実力以上のものが
出るのは事実です。息子のデニスがうまくなるのは当然です。
- 2014-02-11:nakamoto
- これは、恐れ入りました。素晴らしいです。プロコフィエフは好きなのですが、交響曲が良く分からんでした。しかしセルとクリーブランドのお蔭で、はじめてこの音楽の素晴らしさを認識できました。ありがとうございます。ソビエトの作曲家は正直苦手です。20世紀の音楽なのに、そうでないような、わけが分からん中途半端なものに聞えてしまいます。だから、ショスタコビッチや帰国後のプロコフィエフは、理解不能な曲がちらほらでした。そんな曲のひとつがこいつで、理解できない自分にイライラしていましたが、これで解消されました。私にとってセルは、東欧圏の民族主義的ロマン派音楽については、No1であります。久しぶりにスカッとさせていただきました。もともと民族主義的ロマン派については、あまり好ましくなかったのですが、セルのお蔭で、霧が晴れていく感じです。セルが現代に生きていたら、なんて馬鹿げた妄想をして、悲しんでおります。
- 2014-02-10:nakamoto
- 私もベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、いまいち!と感じてしまいます。勿論ベートーヴェンとしてはですけれど。バッハやモーツアルトと違って、ベートーヴェンの作品には、とても高いレヴェルではありますが、作品の出来不出来が存在していると、かねがね思っています。交響曲や弦楽四重奏のように、或いはミサ・ソレムニスの様な、音楽史的に見ても突出している作品もあれば、そうでもない作品があるのは、事実であると思います。といってもヴァイオリンソナタの第9番や第10番は傑作です。しかしだからと言ってベートヴェンのヴァイオリンソナタが傑作揃いと言えば、無理があります。ヴァイオリンソナタと言うジャンルはベートーヴェン以外にも傑作が多いので、バッハやモーツアルトは勿論の事、フランク、ブラームス、ラヴェル、バルトークなどの大変な傑作が存在しているので、ベートーヴェンというかつて楽聖と呼ばれていた人としては、イマイチのジャンルと言う事が言えて良いのではと思います。私は、ユング君さんのような、演奏家に対する知識がまるで無いので、オイストラフとオボーリンの演奏で満足しています。あらためて聴いて素晴らしいと感じました。
- 2014-02-08:セル好き
- やはりウィーンのカラヤンは安心感がありますね。
「実にスリリング」「競奏曲」とかいって当時もてはやされたようですが、その後リマスターCDで改めて聴いてみると、それはセールストークだったような感じさえ受け。実に堂々たる演奏です。
当時のベルリンフィルとの録音の方がピリピリした感じが垣間見えることが多いのでは。
私的には、フルニエ・セル・BPOのドヴォルザークのチェロ協奏曲の方が丁々発止な感じがしています。第2楽章のチェロ・歌曲「私にかまわないで」の出だしは、緊張してか思わずダブル?の様に聞こえます。
- 2014-02-08:Hide
- バッハの無伴奏といえばシュタルケルでしょうね。46年位前に初めて聴いて衝撃を受けました。一生涯、バッハを極めるべく修練に励んだチェリストであり、この録音は初期の記録として貴重です。1970年台にビルスマが舞曲的解釈の演奏を行うまで、チェリストたちはカザルスによる重厚な演奏の呪縛から逃れられませんでした。ピアノのフランス組曲を聴けば軽やかに演奏すべきとわかるのですが、カザルスが偉大過ぎたのでしょう。この演奏のガボットも優雅な舞曲ではなく豪放です。92年版はもっと穏やかで、無伴奏チェロの最高峰の一つと言えます。私も第六番はヨーヨー・マを高く評価していますが、マはビルスマの演奏に感銘を受けて習いに行ったので、偉大なのはビルスマでしょう。若い時、ロストロポーヴィチが第二番と第五番しかなく、待っていましたが、さすがに70歳台では遅すぎました。今では、シュタルケルとマの最後の録音が双璧と思います。
- 2014-02-05:nakamoto
- 私が普段何を一番聴いているかと言うと、ヘンデルの声楽かテーレマンの声楽です。つまり好きなのです。いつもは古楽器でしか聴いていません。しかし本当にセルは手を加えていないのでしょうか?ヘンデルの雄大さと新鮮さが如実に出ていて、圧倒されてしまいます。ヘンデルは同年生まれの例の天才のせいで、損をしている気がします。音楽史上トップクラスの作曲家なのに、人気が今一つのような気がしてなりません。この録音を聴いて、人類の作り出した、音楽の偉大さを感じない人があるでしょうか?日本の人々よ、もっとヘンデルを聴きましょう!!そして、セルに再び感謝です。
- 2014-02-04:フランツ
- グールド・ファンの方々すみません。私どうしてもグールドのバッハ演奏が好きになれません。原曲よりグールドの個性が強すぎてついていけません。ほんとにそんなにいい演奏でしょうか。
- 2014-02-03:Joshua
- ライトナーもアップしていただいてますが、ハフナーセレナードでそちらは楽しむとして、ポストホルンは、マークの51年録音が断然気に入りました。
1951年で聞かない人は損をします。いい録音です!同年のフルヴェンのベー7なんて情けない音ですが、あれは問題外。また、有名無名で曲を判断してもいけませんね。
この演奏、楽しい、いきいきしている、こう言えば十分じゃないでしょうか?
それにしても、題名のポストホルンなんて、ハイドンの100番交響曲「軍隊」2楽章で、軍隊ラッパが少し鳴るのといい勝負ですね。そこを聞くんじゃなくて、全編を通じて木管のたのしい語らい、弦楽の瑞々しさ。聞き所はいっぱいです。
以前は無視していた曲ですが、この演奏で好きになってしまいました。演奏をしなくなった自分には聴き道楽の真骨頂です。前に聞いたベームVPOやマッケラス(懐かしのティルシャルsolo)やコレギウムアウレウムを聞き直してみよっ・・・と。
- 2014-02-02:Joshua
- このところオケ曲の感想が多いので、intimateな音楽を挙げてみました。
10番「ハープ」の命名はピッチカートで進行する部分が多いからでしょうが、それよりも第1楽章の終わりに向かうあたりの、カンタービレとしかいいようのない4声の絡み合いの何とすばらしいことか。25年前の20代にそう思ったものです。
たまたま、CDレンタルで借りた、ジュリアードカルテットの国会図書館ライブでした。こちらのブダペスト、ラズモフスキー3番とセットで廉価版CDで長らく売ってたものですが、切込みの鋭い現代的な、それでいて何度も聞きたくなる含蓄を感じさせてくれる演奏です。ブダペストとしては、最晩年、の演奏です。モノーラル・SP時代は、かなりザッハリヒな演奏をしていたようですが、これは音もいいし、味わい深いです。その後、ラサール、エマーソン、アルバンベルク、が登場し、「より上手く」なりましたが、感動量はそう変わりません。
大阪のシンフォニーホールが満席の中で聞いた、アルバンベルクと、南の大阪倶楽部で間近に聞いたスメタナとでは、やはり後者が思い出深いです。深夜カペー四重奏団を自宅に呼んでベートーベンをひかせたとかいう、マルセルプルーストの逸話(実話)はそんな自分の感想と重なってきます。「聴き方」が大いに分極する曲種だと思います。
- 2014-02-02:原 響平
- 昔、LPレコードでこの演奏を聴いた時、学生時代の暗い心に、官能的と言ってよいほどの快感を与えてくれたのが、この演奏。特に第一楽章は、数あるこの演奏の内でも白眉の演奏。1960年台以降のカラヤンの演奏スタイルは、先ず低音楽器を優先させ、次に高音をほんの少しタイミングずらして乗せてくるため、どの演奏も非常にゴージャスな響きとなる。多分にこれが、カラヤンの指揮の根幹を支配しているが、このフィルハーモニア管との演奏は、その演奏スタイルを既に完成させていた事を知ることになる。第一楽章のコーダーの天に向って強奏する金管の響きは、まさしく人間が苦難に遭遇した場面から、もがき苦しみ、這い上がる姿を思わずにはいられない。
- 2014-02-01:nakamoto
- シベリウスの第4はシベリウスの最高傑作です、紛いも無く。カラヤン フィルハーモニアはその中でも頂点なのです。これを聴いていると、この作品が、ベートーヴェンやブルックナーやブラームスの交響曲と比べても、全く引けのとらない、凌駕されないものがあると言えます。正に非の打ちどころもない素晴らしい音楽です。シベリウスのその後の製作意欲の減退は、この作品を評価しなかった当時の批評家たちに、責任があると思えます。シベリウスはきっと自信たっぷりにこの音楽を書いたに違いありません。しかし冷ややかな聴衆の反応に、戸惑いその後失望して、後半生を無駄にしたのではないでしょうか?3番を結局録音しなかったカラヤンは、この曲を何度も録音しなおしています。勿論この作品の価値を理解していたからこそです。この作品は、シベリウスの19世紀への決別と、20世紀の音楽を先取りした、正に当時の新音楽だったのだと私は確認しています。
- 2014-02-01:フランツ
- 60年代カラヤンのベルリン・フィルハーモニーとの「5番」とても感動的です。アップに感謝します。カラヤンは音楽自体以外で話題になりすぎましたが、演奏は基本的に原曲に忠実・正確で実にオーソドックスだと思うのです。そこには曲自身が求める自然な感情もあり、結局ほとんどのレパートリーで非常に優れた演奏をしたと思います。とくに繰り返し聴かれる「録音」においてその特長が顕著と考えます。多少ミスはあってもライヴの雰囲気を重視するようなファンからすると物足りないかもしれませんが。本演奏はじめ個人的にはカラヤンの演奏に好感を持ちます。
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[2025-11-08]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2(Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
[2025-11-06]

ヴェルディ:弦楽四重奏曲(Verdi:String Quartet in E Minor)
イタリア四重奏団 1950年11月24日~29日録音(Quartetto Italiano:Recorded on November 24-29, 1950)
[2025-11-04]

フォーレ:夜想曲第5番 変ロ長調 作品37(Faure:Nocturne No.5 in B-flat major, Op.37)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-11-02]

バックス:交響詩「ファンドの園」(Bax:The Garden of Fand)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
[2025-10-31]

ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
[2025-10-29]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV.536(J.S.Bach:Prelude and Fugue in A major, BWV 536)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-10-27]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年10月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on October, 1961)
[2025-10-25]

アーサー・サリヴァン:喜歌劇「軍艦ピナフォア」序曲(Sullivan:Overture from H.M.S Pinafore)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-10-22]

バターワース:管弦楽のための狂詩曲「シュロップシャーの若者」(Butterworth:A Shropshire Lad)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
[2025-10-20]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13()Beethoven:Piano Sonata No.8 in C minor, Op.13 "Pathetique"
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)