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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ライブでの躍動感あふれるセルを満喫できました!同じルツェルンでのセルのドヴォルザーク8番もぜひお願いします!
- 2017-08-21:yseki118
- YUNGさんの紹介文を読んで、渡辺暁雄さんのシベリウスに興味を覚えて、Amazonで探したところ、「極上神品クラシック特盛」というものすごい名前のアルバムの中にシベリウスの4番(第一楽章のみ)を見つけたので、早速ダウンロードして聴いてみたところ、素晴らしい演奏と録音ではないですか。
今まで、日本人の演奏・録音というと、理由もなく軽く見てきた自分に気がつきました。この演奏を聴いて、それが偏見だということがよく分かりました。
良いきっかけを与えて下さり、感謝しています。
つきましては、シベリウスの4番についてもよろしくお願いします。
- 2017-08-19:クライバーファン
- この演奏は、20年以上前から知っていたのですが、このサイトにアップされた音源を聞いて感動し、ついに、タワーレコードに行って、CDを買ってしまいました。(クラシックのまともなCDを買うのは、3年ぶりぐらいです。)
くるみ割り人形のトレパックの速くなり過ぎないテンポがこの指揮者らしいと思いました。
クナッパーツブッシュには、あと2,3枚、ウィーン・フィルハーモニー & Deccaにステレオ録音を遺して欲しかったです。
- 2017-08-18:Joshua
- 聴きました。1楽章であんなに見事に吹いた奏者が、2楽章のさして難しくない音型で音が出なくなるわけですね。昔、プレヴィンがロスフィルで来日時ブラ3をやった時も、例の第3楽章のホルンソロ出だしが、このように「なりかけ」ました。
- 2017-08-18:サンセバスチャン
- おっしゃる通り、シカゴの方はつまらない演奏になっています。60年代になるとライナーの音楽に弛緩や停滞というものを感じます。これはライナーの体調の衰えと、それに伴うオーケストラとの関係悪化のせいではないかと思います。ライナーは結構むら気のある指揮者だと思っています。やる気がないと形だけは整える。
最後のニューヨークでの録音は、解説の英文を読むと、ライナーのもとで演奏するためにはせ参じたメンバーからなると書かれていて、オーケストラのライナーに対する尊敬が素晴らしい演奏になった理由ではないでしょうか。
- 2017-08-16:htam
- プロとアマチュアではレベルが違う話ですが、ホルン吹きとしてはとてもいたたまれなくなる録音ですね この上がるはずのFisの音というのがホルン吹きにとっては天敵で、ついバランスが途切れて音が途切れてしまうのです。
- 2017-08-16:クライバーファン
- 録音がとても良いです。
演奏も良いと思いました。後年の帝王のウィーン・フィルとの録音比べても、良いと思います。
こういう演奏を聞くと、フルトヴェングラーがウォルター・レッグに語ったという、
このような素晴らしいオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団のこと)とホール(キングズウェイホールのこと)
があるのに、なぜ、ウィーン・フィルハーモニーと録音をしたがるのですかという言葉を思い出しました。
フィルハーモニア管弦楽団はとても良いですね
。
<追記>
先程のフルトヴェングラーがレッグに語ったとされる言葉は、トリスタンを録音した
1952年の時の言葉のようです。
1952年6月25日にB.MittellにWalter Leggeが書いた手紙に記載されています。
Furtwangler cannot cease praising the Philharmonia
('Why do you want to record the Vienna Philharmonic in that hall
when you have this wonderful orchestra and this splendid hall here?')
出典はWalter Legge: Words and Music
というわけで、正確には
「なぜあのホール(ムジークフェラインのこと)でウィーン・フィルハーモニックを
録音したいのですかね、この素晴らしいオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団)とこの優れたホール(キングズウェイホール)をここにお持ちなのに」
となると思われます。
全く関係ありませんが、もしレッグが嘘を書いていなければ、フルトヴェングラーはこのように時々、ウィーン・フィルの悪口を言いますね。最晩年の1954年もクルト・リースに悪口を言っていたような。
それに対して、レッグはウィーン・フィルとムジークフェラインの響きが好きだったと思います。
- 2017-08-15:フラヴィウス
- この演奏の装飾音は、かつて音楽雑誌で、議論されました。
大学時代、教育学部へ行って、学部生が来る前に音楽学の先生に、ピアノを教えて貰いました。
第一声は、チェルニー版は駄目、原典版。エマニュエル・バッハの「正しいピアノ奏法」の翻訳があるから、買って読みなさい、でした。東川先生の訳が出ています。
言わせて頂ければ、エマニュエル・バッハ(息子さん)は、モーツアルトの先人であって、直接の見本は、末息子のクリスチャン・バッハです。
モーツアルトの初期のピアノ協奏曲は、クリスチャンの作品の編曲です。
バッハの息子たちは、練習した作品が良いので、良い演奏家であり良い作曲家に成長しました。
モーツアルトのピアノ作品をどのように演奏すべきかは、当時の近々の演奏家や理論家、作曲家の大問題だったと想像します。
ベートーベンの作品は、当時の前衛なので、素晴らしい事は分かっても、こなしきれなかったのではないか。
今でも、32番のソナタなど、きちんと弾けている人は、いないと思います。
努力が足りないのではなくて、作品が凄過ぎるのです。
それはそうとして、エマニュエルバッハを読んだ限りは、彼の書いている事は、通奏低音の弾き方が多いです。
装飾音にも触れていますが、楽譜をそのまま演奏してはいけない。「和声を変えない様に」、装飾音を付加しなければならない。特に、リピートの後・・・。
その時に大切な事は、「装飾音を付ける事によって、付けないで演奏するよりも、美しくなければならない。」
覚えているのは、そんな所です。
グルダの演奏で気になるのは、和声を変えている所もあるように感じます。興が乗り過ぎて変わってしまった?ジャズが舞台で弾けるグルダですから(リヒテルも宴席では弾くそうですし、フランソワとバルビぜの兄弟弟子は、食えない時酒場で金儲けしていたらしいです。)和音が少し変わっても気にしていないでしょうが、エマニエルは禁じていた気がします。本は何回かの引っ越しの時に無くしてしまい、今買う気もしません。
モーツアルトの直後の時代の人で、テュルクがクラヴィア奏法の本を残しています。グルダの演奏は、エマニュエルの本では正当化は難しいです。
ただ、実験的な感じがします。こんな事も出来るんだぞと言う感じで、「やって見せたぞ」と言う感じが、嫌な感じに自分には聞こえます。
若い頃は、とっても良い演奏だと、尖がっていました。
もうだいぶ抑えて演奏された方が、今の自分には、美しく聞こえるように感じております。
今は、古楽の演奏も、現代ピアノの演奏も、どちらも出来るピアニストが登場しています。現代ピアノと言っても、今のスタインウエイとギーゼキングが弾いた物は、相当変わってきています。
どうしたら良いのっていう感じです。迷っていますね。
- 2017-08-13:north fox
- この曲にはこのような演奏もあることを改めて思い知らされました。衣川で義経を護り、満身に矢を受けながら仁王立ちで絶命した弁慶が連想されました。虚勢などではなく将に強靭です。
己の信ずるところにオケをぐいぐいと引っ張っていく統率力、それに応えるオケの演奏技術は見事ですが、それよりもこの曲の一般的なイメージに対するアンチテーゼとしての存在感が強く残りました。マルケヴィッチ40代後半の演奏ですが、老境に入っても同じ解釈をしたのでしょうか。
- 2017-08-12:yseki118
- ケンペンの「エロイカ」と言えば、私が2枚目に買ったクラシックのLPです。ちなみに、1枚目はリヒターの「トッカータとフーガ」です。
どうしてこのLPを買ったかというと、安かったからです。中学生で、自分の小遣いで買えるLPと言えば廉価盤しかなかったからです。
でも、聴いて大満足。もの凄いストレートな演奏で、これでクラシック音楽の素晴らしさに開眼したと言っても良いと思います。
物知りの友人に「ケンペンって知ってる?」と聞いたら「ケンペ」について得々と語り出し、「ケンペじゃなくて、ケンペンなんですけど・・・」と言うこともできず、最後まで解説を聞いていたことを思い出します。
あれから、色々な曲や演奏を聴いてきましたが、あの当時ほど感動したことはないように思います。「エロイカ+ケンペン+ベルリンフィル+若さ」という組み合わせが良かったのだと思います。
感受性が豊かだった、あの頃が懐かしいです。
- 2017-08-12:タケルクン
- この曲、このマルティの演奏、ほんとに素敵ですね(アントニエッティのピアノも!)。
今までシューベルトは「単調で長い」イメージがあり、あまり好きでなかったのですが、これで覆りました。
- 2017-08-06:宗万秀和
- はじめまして。
記事中で紹介いただいているマルケヴィッチ版については,飯守泰次郎/東京シティフィルが2010-2011にチクルスで取り組んだ全集CDがあります。
マルケヴィッチ版によって習慣的に行われていたボウイングやアーティキュレーションを徹底的に見直したという演奏で,マルケヴィッチ風の明晰さや力強さに飯守さんの滋味深さや優しさが加わった名演だと思います。CDはいま版元切れですが,流通在庫はあるようでamazonなどで手に入ります。このマルケヴィッチ版での演奏に関しては,下記の飯守さん公式サイトのメッセージコーナーの過去アーカイブに,かなり詳しい指揮者コメントが掲載されています。
私はなかでも6番の演奏が大好きです。5番は当時の朝日新聞の評で絶賛されていました。ぜひきいてみてください。
飯守泰次郎公式サイト ディスコグラフィー
http://www.taijiroiimori.com/04disc/discf.html
- 2017-08-05:まー
- メニューインが若くして亡くなっていたら、ヌヴーのように20世紀前半を代表する伝説のヴァイオリニストとして語り継がれていたのかもしれません。逆にヌヴーが長生きしていたらメニューインのように「若いときは凄かったんだけどね・・・」などと言われることになったのかもしれませんが。
とはいえ、演奏にとどまらない彼の人道的な活動も含めると本当に偉大な音楽家だったと思いますし、長生きしてくれてよかったと思います。
- 2017-08-05:べんじー
- ジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団のコンビによるハイドンが大好きです。滑らかなシルクのドレスの下に、全く無駄のない鍛え上げられた肉体を隠した美しき女アスリート。彼らのハイドンを聞いて「あぁ」と嘆息しながら、いつもこんなことを思い浮かべるのです。
ユングさんのおっしゃるように、セルと比べるとライナーのハイドンは少しハードボイルドな感じがします。セルの演奏ではクスリと笑えるハイドンのユーモアが、ライナーだとこわもてのオジサンが精いっぱい浮かべた笑みのような感じがしないでもない。でも、これはこれでとても充実した演奏だなぁ。おかげでライナーのハイドンを更に聞いてみたくなりました。感謝!
- 2017-08-03:まー
- 演奏に対してじゃないんですが、
久しぶりにこの曲を聴こうと思ったら解説が新しくなってたものですから。
この曲が地味だというのはとてもよくわかります。
40番と41番にはベートーヴェンを先取りしたような人間的な意志や感情が溢れてますけど、39番にはそれがないというか、主人公不在で掴みどころがないような
この曲にはどこか風のようなところがありますね。
風のように過ぎ去っていってひとり取り残される感じが私にとっては心地良いのかもしれません。
私が抱く終楽章のイメージは、いたずらっ子が思う存分はしゃいで自分が満足したら勝手に去っていく!です。
関係ないですが、数年前に亡くなったオトマール・スウィトナーの追悼ドキュメンタリーで、理由は忘れましたが彼はこの曲が一番好きだと言ってました。終楽章がとてつもなく難しいとも。引退した後、お忍びでシュターツカペレ・ベルリンに来て震える手でこの曲を振っていたのが印象的でした。
- 2017-07-30:原 響平
- ライナー絶頂期の演奏。同時期のライナーの録音と同様で、異常に筋肉質の高い演奏で、聴く方も正座が必要なくらいの緊張感が必要。これほどの完璧なオーケストラコントロールが出来る指揮者は他にいない。セルも確かにオーケストラに完璧を求めるが、ここまでの張り詰めた音をオーケストラに求めない。この一糸乱れぬ演奏は、ライナーの完璧主義者たる由縁。特に、音の消え入るような弱音部の表現は深みを感じさせ素晴らしい。この曲の名演奏との評価が高いフルトヴェングラーの演奏は、人間の生きている証を随所に見せ非常に魅力的だが、このライナーの演奏のそれは対極に位置する。
- 2017-07-27:north fox
- 教科書のように折り目正しく、正調の演奏とでもいうのでしょうか、室内楽にあまりなじみのない人の入門にふさわしいのではないでしょうか。安心して聴けると思います。ハイドンセット以降の弦楽四重奏曲は全曲複数のグループの盤を所持していますが、外連味のないこの一連の盤も好きです。
ところで、この曲に対するユング氏の評はセルのモーツァルト演奏に関するものにも通じると思うのですが。
- 2017-07-23:原 響平
- この演奏を聴いてから、ブラームス交響曲No4のイメージが変わったのを覚えている。人生とは、悲しく、しかも甘く切ない思いの連続。それをブラームスはこの曲で聴く者の心に訴えている。ワルターの慈愛に満ちた演奏は特に、それを強く感じた。しかし、このマルケビッチの演奏は、それとは正反対の演奏。感傷に浸ることなく、パワーでグイグイと進んで行く様は、まるで軍隊の行進の様。金管とティンパニーの強打は、それを強く物語る。特に最終楽章は物凄い迫力で聴く者を圧倒する。これは名盤ですね。さて、マルケビツチの1968年の来日時に日フィルとこの曲をライブ録音を残しているが、それも同様に素晴らしい。 ワルターを聴いた後に、このマルケビッチの演奏を聴くと、とても同じ曲とは思えない。指揮者の解釈で、曲のイメージが変化する最右翼の録音と演奏。
- 2017-07-20:north fox
- この『ランダム検索』のストリーミングで聴いても演奏、録音のクオリティの高さがよくわかります。この曲は同じBPO/カラヤンとゲーザ・アンダの盤も持っていますが、それと甲乙つけがたい私にとってのベストです。(他にはアシュケナージ/ハイティンク、ギレリス/ヨッフムが手元にあります。)
この曲ばかりでなく、カラヤンとブラームスは相性が良く名演ぞろいと思うのですが、何故1番の協奏曲は避け続けたのか想像できません。巷にはもっともらしく穿った(?)見方を散見しますが。
- 2017-07-15:JOHANNES
- 私は今ザルツブルクに住んでおりますが、ザルツブルクは人口わずか18万の町です。実にのほほんと時間が過ぎてゆく田舎町、という表現がもっともしっくりくる町です。
一方、フルトヴェングラーが青年期を過ごしたミュンヘンは人口100万を超えるような大都会です。
私は、なのでYungさんのおっしゃるカラヤンとフルトヴェングラーとの《メタモルフォーゼン》に対するスタンスの違いは、むしろカラヤンが「地方の田舎町出身だったから」出てきたものかもしれないと思います。もっと突っ込んで言えば、カラヤンは戦後とった行動(特に象徴的なのは、「プラハの春」事件に抗議してラファエル・クーベリックが出した「東側で演奏しないでほしい」という声明に呼応してドレスデンでの《マイスタージンガー》の録音をキャンセルしたバルビローリの代役としてカラヤンがドレスデンに乗り込んだ事件でしょう)を見ても、自身の政治的スタンスというものを持っておらず、そこに非常に無頓着だった部分だと思います。戦後、カラヤンのインタビューや伝記などを紐解いても、自身がナチス党員だったことや党の催し物で指揮したことに対する後悔の念も、またフルトヴェングラーのようにナチス政権下でユダヤ人を助けたというような話も、ゲッベルスに盾突いた、というような話も聞こえてきません。根本的に、カラヤンは自身の人道的使命とか、政治的立ち位置ということに無関心だったのではないかと思います。
それが、戦後カラヤンの演奏が美音を追求し、細部の彫琢を極め、美しく聞き映えのする演奏を提供することを最大の目的としていたところにつながるように思います(それはそれで一つの価値観ですし、そのようなカラヤンの演奏にも魅力を感じる場面はありますが)。
- 2017-07-15:Guinness
- フルトヴェングラーとカラヤンとの聞き比べですが、私のシステムではフルヴェンの方が音が良く感じました。カラヤンは絶対音質に注意を払っていたと思うのですが、意外な結果です。
- 2017-07-12:benetianfish
- このハーティ版やグーセンス版のメサイア、原典主義の素朴なバロック音楽も悪くはありませんが、たまにはゴージャスなバロック音楽を楽しんでも、罰は当たりませんよねっ。
このカラヤン盤の余裕に満ちた優雅さも捨てがたいですが、私はどちらかと言えば、金管楽器が前面に出て、カラフルでゴージャスなドラティ盤が大好きです。彼が指揮の1812年序曲、ユーリ・ブーコフのプロコフィエフソナタ第7番とともに、何度聞いても笑みが浮かぶ(笑わずにはいられない?)三大名録音の1つです。
- 2017-07-03:TT
- 同じころベルリンでベームが同曲を録音してますが、意外と似てますね。表面的には確かにカラヤンぽいですが。
- 2017-07-03:宮島のお化け
- こんな演奏をいまだかって聞いたことのない響きがある。メロディが浮き上がってくるところは、ほかの演奏家からは決して聞こえてこない。自己の主張をくっきりと主張しているみたいで、揺るぎない力強さが聞こえてくる。一度聴いたら決して忘れることのない不思議な演奏です。
何回聞いても飽きない演奏とはこんな演奏なのでしょう
- 2017-07-01:Watcher
- 今回、初めてパウル・ヒンデミットの音楽を聴いてみました。しかも、代表作である交響曲「画家マティス」。客観的にみて傑作だとされていることは間違いありません。
ただ、ヒンデミットの音楽は、同じドイツ・オーストリア系の後期ロマン派とは全く対極に位置する(もちろん、新ウィーン楽派とも全く違う)ような作風であると言われている通り、「実に乾ききった響きをもった情緒欠乏症ともいえる非感傷的な音楽」だと言えます。同時代のプロコフィエフやミヨー、プーランク、そして、(「春の祭典」以降)のストラヴィンスキーの作風と同じ部類に属しているという印象です。
いずれにしても、こうした「新即物主義」ないし「新古典主義」の音楽は、個人的な好みから言えば、「繰り返して何度も聴きたいとは全く思えないタイプの音楽」ですが、一度か二度、試しに聴いてみる価値はあるとは思いました。
- 2017-06-29:Sammy
- カラヤンらしいレガート(とベルリンフィルならではの上質な仕上げ感)はあちこちにあります。ただ、それで塗りつぶすのではなく、特に力強く厚みのある弦の響きで起伏のある堂々とした音楽づくりをしているように思えます。それがこのベートーヴェンの初期の傑作の雰囲気とも合っていて、質感としてまろやかでありながらも溌溂とした勢いがとても心地よい快演となっているのではないかと思います。
- 2017-06-29:Sammy
- この色彩感豊かな20世紀の傑作交響曲が、こちらのサイトで紹介されることをとてもうれしく思っています。カラヤン/ベルリン・フィルの演奏はとても伸びやかで明瞭であり、必ずしも十分に知られているとは言えないこの作品の姿を明らかにするのにとてもよい演奏ではないかと思いました。
- 2017-06-27:north fox
- 独奏ヴァイオリンもオケも音色の美しさは勿論のこと演奏技術、構成ともしっかりしていて、余計なことは考えずに陶然として音楽の世界に身を任せられる演奏です。ユング氏のおっしゃる「エンターティメント性の果て」の好例だと思います。
この曲が好きなので、これまでスターン、クレーメル、ムターを持っていましたが、早速このCDを買い足しました。
数十年間様々な指揮者でブラームスの作品を聴いてきましたが、私にはブラームスとカラヤンの相性が良いように思えます。
- 2017-06-26:原 響平
- カラヤンの才能が全開した頃の演奏。この頃のフィルハーモニア管と入れた録音は名演が多い。特に、シベリウス交響曲No2は凄い。カラヤンの演奏スタイルは、重低音を豊かに響かせながら、それにかぶせる様にバイオリンや金管楽器を微妙に音をずらして鳴らす。聴いていてゴージャスな響きの為、非常に気持ちが良い。さて、このロッシーニも同様な音創りで非常に上手い。特に「ウイリアムテル序曲」は、後年のベルリンフィルと録音した音源よりこちらの方が名演だ。1950年代後半にはカラヤンの演奏スタイルは既に確立していた。
- 2017-06-25:Can Beetho
- ラジオ放送をエアチェックしたものではないか、という想像が真であれば、数え切れないほどアップしていただいているユングさんのコレクションの中でもなかなか珍しい部類に入るのでしょう。そしてそれを一般向けに販売してしまうレコード会社の度胸もなかなかのものになります。
録音の問題を度外視してもこの演奏の評価は星7つどまりかと思います。
と言っても、エーリッヒ・クライバーは、「カルロスの父」などではなく、カルロスよりも高く評価している私です。
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[2025-03-28]

ラヴェル:スペイン狂詩曲(Ravel:Rhapsodie espagnole)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26, 1950)
[2025-03-24]

モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調, K.239「セレナータ・ノットゥルナ」(Mozart:Serenade in D major, K.239)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-21]

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125(Schubert:Symphony No.2 in B-flat major, D.125)
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1949年12月20日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 20, 1949)
[2025-03-17]

リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲, Op.34(Rimsky-Korsakov:Capriccio Espagnol, Op.34)
ジャン・マルティノン指揮 ロンドン交響楽団 1958年3月録音(Jean Martinon:London Symphony Orchestra Recorded on March, 1958)
[2025-03-15]

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 ,Op.18(Richard Strauss:Violin Sonata in E flat major, Op.18)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)グスタフ・ベッカー 1939年録音(Ginette Neveu:(P)Gustav Becker Recorded on 1939)
[2025-03-12]

モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589(プロシャ王第2番)(Mozart:String Quartet No.22 in B-flat major, K.589 "Prussian No.2")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2025-03-09]

ショパン:ノクターン Op.27&Op.37(Chopin:Nocturnes for piano, Op.27&Op.32)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1956年発行(Guiomar Novaes:Published in 1956)
[2025-03-07]

モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425(Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)
[2025-03-03]

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月8日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 8, 1945)
[2025-02-27]

ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調(Debussy:Sonata for Violin and Piano in G minor)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)ジャン・ヌヴー 1948年録音(Ginette Neveu:(P)Jean Neveu Recorded on 1948)