Home|コメント
リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
前のページ/
次のページ- 2017-05-13:コタロー
- 十二音音楽初心者です。でも実際聴いてみると、まるで万華鏡を覗き込むような不可思議な美しさを感じました。思いのほか聴きづらい音楽ではありませんでした。グールドの創造する優れた音楽が自らの心に響いたのでしょうか。
このサイトのおかげで貴重な体験をさせてもらいました。ローゼン先生の演奏にも挑戦してみたいと思います。
- 2017-05-13:benetianfish
- 暖かい日が降りそそぐ草原に咲く花がそよ風になびき、さらさら流れる小川には魚が時折飛び跳ねる、と言った印象を普通は受けるこの曲ですが(特に第2楽章など)、この演奏からはそんな長閑な風景は思い浮かびません。どちらかと言えば、どんな文明からも遠くにある未開の草原、日の光はあくまでも烈しく照り付け、ライン川の様な大河が悠々と流れ、これからここで一人暮らしていかなければならない先行きの厳しさ、しかし何があっても生き残るという決意感に満ちた、そんな演奏に聴こえます。ちょっと落ち込んでいるときなど、通して聴けばだいぶ元気にさせてくれます。
- 2017-05-07:yseki118
- 私も偶々この連休でベートーヴェンの後期のピアノソナタを何人かの演奏で聴き直していたのですが、その中にアラウの演奏も含まれていました(Philips盤ですが)。
確かにテンポの設定には「??」の部分がありますね。吉田秀和さんのブルックナーの話ではありませんが、うたた寝をして目を覚ましたら、まだ同じ楽章だったみたいな雰囲気があります。
でも、聴き進めていくうちにアラウのピアノの立派な音に聞き惚れてしまっている自分を見つけました。
ベートーヴェンの音楽を「骨の髄までしゃぶり尽くしたい」とでもいうかのようなアラウの演奏が、私にとっては好ましいです。
- 2017-05-06:Joshua
- 盤鬼 西条卓夫 『名曲この一枚』にでてくるのが、これ。ものはかんがえようとおもいました。
- 2017-05-05:o-koseki
- この曲を一番はじめに聴いたのは、チェリビダッケが来日した際の実況録音だったと記憶しています。彼の“節回し”が独特ですので、デービスの演奏は蛋白に聞こえてしまいます。でも、それがこの曲の良さを引き出しているように思えます。この曲を聴く機会を与えて下さって有り難うございました。
- 2017-04-30:コタロー
- ベートーヴェンの処女作「ピアノ三重奏曲」全3曲をまとめて聴いてみました。いずれも若き日のベートーヴェンの新鮮さにあふれる佳曲だと思います。とりわけ、「第1番」「第3番」には、すでに彼の自己主張がはっきりと感じ取れます。
ボザール・トリオはプレスラーのピアノを軸として、3人のアンサンブルの素晴らしさは特筆すべきです。いいものを聴かせてもらったというのが率直な感想です。
余談ですが、クラシック音楽の作曲家で、作品に自ら「作品番号」を付与したのはベートーヴェンが初めてではないでしょうか。これはまさにベートーヴェンの芸術家精神の現れであると理解できますね。
- 2017-04-30:原 響平
- セルにも作曲家・作品の相性があるのかな?と思うような演奏。ブルックナーの交響曲No8は間違いなく名演奏。だから、この交響曲No3もそれを期待して聴いたが、どうもいけない。演奏に濡れ・潤いが足りない。これは、セル特有の過度な残響を嫌う録音スタイルに起因するようで、弦楽器の音色に特に強く感じる。ブルックナー演奏では残響が、演奏の出来不出来を決める因子の一つになるが、それが裏目に出た録音。十分な残響を付加して聴けば演奏の評価は良くなると思うが・・・・。さて、この曲の名盤は、ベーム指揮のウイーンフィルとシューリヒト指揮のウイーンフィルで、いずれもバイオリンのウットリとするような音色・メロディーに時間を忘れる。特にベーム盤はティンパニーの皮の音色が素晴らしい。
- 2017-04-28:uchi
- 最近この演奏のオリジナル盤(アルヒーフ2枚組)を入手しましたが,やはりデジタル化されていると聞くのが楽ですね.演奏は素晴らしいし,おっしゃる通りミサ典礼付なのがベターです.西条盤鬼もこの演奏を一押しでした.
あと映画アマデウスのお話も多くは同意ですが,サリエリについては私は別の見方をしています.私は彼は楽しかったんだと思います.天才の片りんにふれ,共同作業をすることにより,自分もあたかも天才になったような感覚を得たのではないかと思います.そしてそれが凡人にとって最も天才に近づける唯一の方法だったのではないかと思います.映画の中で,病気でボロボロなっていくモーツァルトをせかせて音符を次から次に要求していく姿がそれを物語っていると思いました.
- 2017-04-22:Kazu
- これその物のレコード持ってます。
何度も繰り返し聴いたのは40年程前ですわ。
今でもアンプやプレーヤーは有り聴く事は出来ますが・・・
手軽さや雑音がない点でこのサイトの勝利!!
まあ!?雑音や手間も味の内ではあるけど・・・
レコード針の関係でお気に入りのカートリッジで聴けないの今では置物としてあります。
今!第2楽章が始まった・・・近所の公園では夕方5時にこの曲が流れます。
「新世界」はカレルアンチェルとカラヤンのレコードを持ってますがこの曲ではカレルアンチェルの方が好みです。
- 2017-04-22:コタロー
- この曲は初めて聴きます。ピアノは音を出す仕組みからいえば明らかに「打楽器」なので、パーカッションとの相性は大変良いですね。
この音楽は全体に創意にあふれていてとても面白いと思います。特にシロフォン(木琴)のめざましい活躍が印象的です。
ドラティの演奏は、洗練された表現で聴きやすい音楽になっており、一種の爽快感を覚えるほどです。おかげで抵抗なく受け入れることができました。
- 2017-04-16:Joshua
- 常日頃、上手い、とか綺麗とかで音楽を聴きがちな私が、気が付くくと心地よく傾聴していたのが、このヴィオラダガンバの音です。 出しゃばらず地味に饒舌な楽器だと思いました。人間でいうと、落ち着いた人格者。論語や言志四緑の言葉を味わうようなひと時です。ブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会、というのが10月ごろ大阪・中之島公会堂で開かれます。第6(3?)番で、目の前にヴィオラダガンバが登場したときは、てっきりチェロの音と思い込んでいた自分を反省したものです。この楽器ならではの味わいがあるんでしょうね。目で違うものを見ながら、耳には関連の無い音楽が流れることの多いこの頃です。演奏会に足を運んで、目で見て聴くことも必要だと思った次第です。
- 2017-04-08:コタロー
- これほど端正で大人の味わいを感じさせる「シェエラザード」は他に例を見ないでしょう。たとえば、第3楽章の「若き王子と王女」では、比較的遅めのテンポを取りつつあの美しい旋律をじっくりと歌わせていきます。また第4楽章では壮絶なクライマックスを築いていくのですが、決してむやみに騒ぎ立てることがないのはライナーらしいところです。
全篇を通してシカゴ交響楽団の優秀さが発揮されていますが、とりわけこの曲で盛んに活躍する打楽器奏者の技術の素晴らしさには目を見張ります。H.タークイ著『分析的演奏論』という本で、ライナーはもともとティンパニ奏者として活躍していたことから、指揮者として自らのオーケストラの打楽器奏者には格別厳しかったという話を読んだことがありますので、これはライナーの薫陶の賜物といえるでしょう。
以上のように、自分としては大いに感心しながら聴かせていただいたのですが、よしんばライナーが頼まれて仕方なく「シェエラザード」を演奏したのだとして、これだけのパフォーマンスが達成されたということは、まさにライナーが指揮者として極めて卓越した存在であったということの証左に他ならないですね。
- 2017-04-03:Joshua
- 前にも一度この演奏にメッセージを書かせていただきました。スターンについて喋りたくなったので再び。ひと月ほど前です、N響レジェンドで、スターン特集がありました。1953年のbeethoven全曲 mozart3番終楽章、1967年のBrahms全曲(外山雄三指揮)。30代から40代にかけての絶好調のスターン。ついでながら伴奏の当時のN響も音楽的。これはこれで西洋と違いはあってもよい!スターンは、というと、綺麗に仕上がったCDの演奏とは大分違いました。そこでふと思った。ライブでもCDでもいい人はいいのに、この人はCDがどうしてライブに及ばないのか?CDだけ聴いて、つまらないと決め込んだらライブの名演を聴き損ねることになる・・・などなど。
- 2017-04-03:yseki118
- YUNGさんのコメントを読んでいて、昔テレビで見たサヴァリッシュさんのインタビューを思い出しました。
「大きな仕事が舞い込んできたのだが、自分には荷が重いと思って断ろうとしたが、奥さんが是非やるようにと背中を押してくれたので引き受けた。結果として、それが良かった。」
というような内容だったと記憶しています。大きな仕事というのは多分バイエルンの音楽監督のことだと思います。
記憶というのは不思議なものですね。最近では人の名前も思い出せないことが多いのに、大昔見たTVのことを覚えているのですから・・・・・
でも、こうして覚えているのは、その時、私もYUNGさんと同じようにサヴァリッシュさんの人柄を感じたからだと思います。
- 2017-04-01:コタロー
- 1954年11月録音というと、ベームが60歳の時の演奏ということですか。壮年期のベームの演奏はさすがに颯爽としていますね。また、当時のウィーン・フィルの優雅な響きも演奏に華を添えています。
ところで不思議なのは、第2楽章の後にメヌエットの楽章が追加されていることです。
ちなみにこのサイトで紹介されている「交響曲第34番」の他の演奏を調べてみると、マルケヴィッチの斬新な演奏(1954年2月録音)には意外にもメヌエットが追加されているのですが、ラインスドルフの演奏(1955年3月録音)には入っておりません。
あくまでも想像ですが、ラインスドルフの演奏は「モーツァルト交響曲全集」の一環として企画された録音なので、最新の音楽的知見を取り入れてメヌエットを省いたのかもしれませんね。確かにメヌエットを入れた場合、ある種の「冗長さ」を感じるのも事実です。
ベームが後年ベルリン・フィルを使って「モーツァルト交響曲全集」を制作した際には、おそらくメヌエットは入っていないのでしょうね。
余談ですが、自分がこの曲を初めて聴いたのは、ジョージ・セルが珍しくアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したレコードでした。この演奏がパブリック・ドメインになった暁には、このサイトで久しぶりに聴いてみたいものです。
- 2017-03-30:Sammy
- サヴァリッシュの丁寧で細心の注意を払った音楽づくりによって浮かび上がるのは、シューベルトの作品の構造とともに、隅から隅まで真摯に演奏した時のウィーン交響楽団の味わい深い美しさです。端正な音楽の清潔感と合わせて、下手をすれば反復だらけのつまらない曲に聞こえかねないこの作品の響きとメロディの魅力、そしてウィーンフィルの二番手に「過ぎない」と言われてしまいがちなこのオーケストラの独自の魅力(特に木管楽器の魅惑的な響き!)の両方が、とてもさわやかに充実した形で開花しているのが素晴らしいです。
- 2017-03-24:サンセバスチャン
- ライナーは精神を音に込めるタイプの指揮者ではありません。ffならxデシベル、ppならどれだけと定量的に決まっているようで、音自体には感情がありません。ですので聴き終えたあと、満たされないものがいつも残ってしまいます。
セルはもっと感情的になりますが、自意識過剰のあざとい演奏がライヴではみかけられます。
シェエラザードはローマの松、噴水より好きです。でもビーチャムはさらに偉大であると思います。もっと自由であり愉悦があるからです。
- 2017-03-24:コタロー
- 私的な話で恐縮ですが、自分が高3の時キング・レコードから廉価盤がまとまって発売され、その中にこの演奏のLPがありました。小林利之氏の『名曲に聴く』という本の中に、モントゥーの演奏について「北欧的な情緒はあまり感じられないが、音楽の純度という点では際立っている」とのお褒めの言葉があったので、迷わずレコードを購入しました。
実際に聴いてみると、期待以上の素晴らしい演奏で、特にB面の第3・第4楽章は本当に何度聴いたかわかりません。まさに受験勉強にパワーをもらった名演奏でした。
改めてここにアップされたモントゥーの演奏を聴いて、そんな若き日の思い出がふつふつと湧き上がってきて懐かしい限りです。本当にありがとうございました。
- 2017-03-18:コタロー
- 何と愉しいアルバムでしょう!アップしていただき、ありがとうございました。
自分はオペラには疎い人間なのですが、聴いていると胸がワクワクしてきます。
特に「ナブッコ」の『行け、わが思いよ、金色の翼にのって』など、まさに感動ものです。また、「アイーダ」の『凱旋行進曲と舞踏音楽』も立派な出来栄えです。
なお、カルロ・フランチなる人物をgoogleで調べたところ、「映画音楽作曲家」とありました。おそらく、作曲家とオペラ指揮者の二足のわらじを履いて活躍していたのでしょう。
蛇足ですが、1曲目の「トロヴァトーレ」の『鍛冶屋の合唱』は、その昔、グレン・ミラー楽団が「アンヴィル・コーラス」としてスイング・ジャズ化したことで有名ですね。
- 2017-03-18:カンソウ人
- グールドが、R.シュトラウスを高く評価していましたね。
イノックアーデントいう名前の、メロドラマ(ピアノが主役の歌曲みたいなもの)とブルレスケというピアノ協奏曲のような物が、残っていますね。
本の中では、スコアリーディングで交響的な作品を演奏する事を楽しみにしていると、書いていましたが、放送用の録音でも残っていれば面白かったですね。
同時代のドイツの作曲家では、ヒンデミットを高く評価していました。
ピアノソナタ二曲と、マリアの生涯のピアノ伴奏が残っています。
どちらの作曲家も、ピアノ曲ですら、伴奏声部が単なる分散和音の穴埋めの部分が少なくて、対位法的に、有機的に動きます。見てくれは違いますが、ブラームスとシェーンベルクに似た要素に溢れています。違うのは、まるで指揮者の即興演奏のように、次から次へと楽想が浮かんで来ますね。まるで、エンジンみたいにドドドドドドドドと音楽が進んでいくかの如くです。
シェーンベルクやブラームスは、楽想が次々に浮かばないように見えて、大切に展開するように感じます。
グールド好みの作曲家なのでしょう。作曲技法的には・・・。
もっともお好みはバッハは別にすると、ワーグナーで、マイスタジンガー等を多重録音していました。ワグナー以降の作曲家は、彼の遺産で食ったようなものだと感じます。シュトラウスのオペラも、その辺りに行きつくのが、露骨にわかりますね。
ナチスのお気に入りで、ナチスドイツの音楽監督になった経歴は、関係はないです。
英雄の生涯は、彼の交響詩の、最終形態で次から次へと、楽想が浮かんできますね。楽員を支配しているような感じが、演奏をしている時だけという感じがするのが、ライナーは、この曲に向いていますね。
カラヤンは、音響は別にして、楽員の経済的な支配という感じで、嫌らしいです。トスカニーニだと、戦後の自由な感じがないので、やり過ぎでしょう。セルだって楽員に対して支配的ですが、何たってトスカニーニが存在するので、極限にはなりません。あの練習風景の録音は、修羅場でしたよ。デブソプラノ、下手くそオーボエ、・・・この調子だから。
フルトベングラーは、精神的な支配という感じが、実はある意味、嫌なんです。
サイコパスのような気がするからでしょうか。魔法にかけるようです。
シュトラウスにしても、ライナーにしても、健康的な気がします。音楽なのだから、その程度で良いような気がするのです。
- 2017-03-15:コタロー
- ふと興味が湧いて、トスカニーニの「ザ・グレート」について、1941年のフィラデルフィア管弦楽団、および1953年のNBC交響楽団の演奏の聴き比べを試みました。
まず、1953年の演奏から聴いてみましたが、これは一連のカーネギー・ホールでの録音だけに、イン・テンポを遵守した完成度の高い演奏です。しかし、全体的に取り澄ました印象を受けるのも事実です。
次に、1941年の演奏では客演ということもあってか、トスカニーニ特有の前進性は多少緩められて、音楽が自由に飛翔しているといった感があります。その結果、スケールの大きさと素晴らしい活力を獲得することに成功しています。また、この時期としては録音が良いのも特筆ものです。
結論として、自分としては1941年の演奏により強い魅力を感じました。
- 2017-03-15:原 響平
- 最近、ユングさんのサイトでライナーの演奏が取り上げられる回数が増えて嬉しい限りです。さて、1960年前後からCBSはセル・クリーブランド管の精度の高い演奏で数々の名曲を録音しました。又、RCAはその少し前の1955年前後から同様な演奏スタイルを基本としたライナー・シカゴ響のリビングステレオ録音でクラシック音楽の普及に貢献しました。日本では、現在でもセルの人気が依然として高く、ライナーフリークの当方としては少々残念ではありますが・・・。さて本題ですが、この演奏は当時のライナー・シカゴ響の実力をマザマザと見せつける名演奏そして名録音です。特にコンマスのシドニーハースのバイオリンの音色にはウットリさせられますし、トランペット等の金管の上手さも抜群です。もうすこし色気が有れば世紀の名演奏に仲間入りですが、ライナーに色気を求めるのも筋違いですね。
- 2017-03-15:Joshua
- クラシックを聴いていて、何度も聴きたくなる、というか耳に残って頭の中で繰り返す、という体験がこの曲の第3楽章第11変奏(終わりから3分目ぐらいのところ)でできます。こういう音楽を聴くと、時間を忘れて陶然としてしまいます。
- 2017-03-10:べんじー
- わたしはブーレーズ/ニューフィルハーモニア管の「海」の録音が大好きなのですが、この演奏もとてもいいですね。骨太な力強さがありながら精妙さも全く欠けていない。
響きのそこかしこから、ブーレーズには無い古き良き時代の香気が漂って来て味わい深いです。アンゲルブレシュトの他の演奏も聞いてみたくなりました。
- 2017-03-06:HIRO
- ユングさんの「リヒターの演奏が古くなった」という指摘には、はっとさせられました。
この1956年録音のリヒターの「ゴルドベルク変奏曲」の前年、1955年に、例のグールドの「ゴルドベルク変奏曲」が録音されています。
リヒターはグールドの「ゴルドベルク」を知っていたのでしょうか。あれを聞いてどう思ったのでしょうか。
バッハの新しい姿に愕然としたでしょうか。それともバッハの正統な姿はそうではないと、この「ゴルドベルク」を録音したのでしょうか。
リヒターのバッハ演奏といえば、LP時代にはテッパンでした。
バッハの正統な演奏として、その厳格、清冽、崇高な姿勢を誰も疑う者はありませんでした。
今でも、その録音のいくつかは、依然として当時と同じ価値を保っているようにも思われます。
しかし、この「ゴルドベルク」の録音に、今こうして接してみると、ユングさんが指摘する「違和感」を私も感じました。
この楽器が持つ音色の「ノイジィ」なことは措くとして、このテンポ感の悪さ、リズム感の悪さはどうしたものでしょうか。
1956年はリヒターは30歳。ユングさんの指摘する、晩年の(とはいっても50代だが)健康の衰えはまだまだなかったはずです。
そもそもチェンバロは対位法には向かない楽器です。
各声部間での音色、音量、ニュアンスの変化を付けることが難しい楽器での対位法には辛いものがあります。
まだパイプオルガンであれば、複数鍵盤、ストップによる音色、音量の変化が豊富だし、持続音も効果的です。
バッハが「クラヴィーア」と記載するとき、それがどの楽器を指すのかは未だに問題があるようです。
バッハは自宅にチェンバロとクヴィビコードを所有していて、クラヴィコードの方を愛用していたそうです。
あれだけ繊細な対位法を駆使したバッハであれば、たとえ音量が小さくて演奏会にはむかなくても、各音をデリケートに変化させコントロールできるクラヴィコードを愛用したのは想像に難くありません。
息子のフリーデマンのために書いた「インヴェンション」や「平均律」はクラヴィコードを想定していると言われています。
この「ゴルドベルク」は、楽譜にちゃんと二段鍵盤を指定していますからチェンバロ用だというのが分かりますが、グールドを代表とする優れたピアノ版の演奏が現れて、鍵盤弾きを悩ませることになりました。
この不自由なチェンバロは、たとえバッハの時代においても、作曲家であれ演奏家であれ、使いたくて使っていたのではなかったでしょう。
これしかなかったから仕方なく使っていた、というのが本当のところでしょう。
当時、現代のようなピアノがあれば、バッハは間違いなく、ピアノの方を選んていたはずです。
このサイトにもアップされているトゥーレックをはじめ、ピアノによるバッハ演奏の方が、チェンバロによるどの演奏よりも、はるかにデリケートに、表情豊かに、バッハが楽譜に注意書きしてまで求めた「歌うように(カンタービレ)」演奏しています。
楽譜が読める人なら(この場合、ただ音の高さとか長さが分かるというだけでなく、そこに何が書かれているかという「音楽の内容」が読める人なら)誰でも、ピアノ版の演奏とチェンバロ版の演奏のどちらがバッハの楽譜をより良く再現しているかと問われれば、一部のへそ曲がりを除いて、間違いなくピアノ版と答えるはずです。
ある楽器のために書かれた楽曲が、他の楽器で演奏した方がむしろ良いということは、楽器の進化の過程にあった時代の作曲家の作品、特にバッハの作品には往々にして見られます。
古楽演奏には、当時の演奏慣習だとか、演奏様式だとか、いろいろ能書きがあるようですが、その能書き通りのものが「古くなる」とはどういうことなのでしょうか。
現代では、「どうせこの楽器は細かいニュアンスが付けられないのだから」とか、「バッハをチェンバロで弾いているのだから問題ないはず」などというようなことは、もはや免罪符にはならないようです。
このリヒターの演奏は確かに「もう古い」という実感があります。
一方のグールドの演奏は、最晩年の「ゴルドベルク」と比べると、さすがに若いなと思いますが、颯爽と生き生きとしていて、ちっとも古くはなってはいません。
以前は「立派な」はずだったリヒターの演奏が、どうして「古く」感じられるのか、新しい課題を与えられたような思いです。
- 2017-03-06:Sammy
- オーケストラの優れたアンサンブル力に支えられた、引き締まった切れ味鋭い充実極まりない演奏です。まさにyungさんのおっしゃる通り「戦う英雄」の圧倒的な迫力は強烈で、気高くも感じられますし、だからと言って荒くならず、むしろ細やかに描き抜かれた静謐な部分の美しさも素晴らしいです。演奏の素晴らしさを隅々まで捉えきった録音も驚くべきものです。
- 2017-03-06:コタロー
- 昔話で恐縮です。1974年頃、高校時代にRCAの1300円の廉価盤でこの演奏のLPを買いました。当時、特に第3楽章がお気に入りで、しばしば聴いていました。しかしLPレコードの宿命で、「内周歪」といって、レコードの内側に近づくほどに音が歪みっぽくなるという悩ましさがあったのも懐かしい思い出です。しかし、ここにアップされた音源は全くそんな心配は無用です。おかげでミュンシュの豪快な演奏を目いっぱい堪能できて大変ありがたいです。
- 2017-03-02:benetianfish
- ついにこの曲もアップしていただき、ありがとうございました。冒頭のとんちんかんなティンパニーからフィナーレのブラスのトリルまで、クラシック・ジャズの境界線などどうでもよくなるような、実に楽しい曲だと思います。
私のこの曲の刷り込みはプレヴィン(71年録音)ですので、このフィードラーの出だしは「なんかモタモタしてとろくさいのでは?」と思いましたが、本題に入るとなんのその、十分楽しい演奏ではないですか。プレヴィンの「快速でスタイリッシュ」な演奏とはまた違う楽しさです。アール・ワイルドのピアノもなかなか歯切れが良くて、この曲のジャズ的要素がよく表れていると思います。下記の演奏で偶然見つけたピアニストなのですが、なかなか侮れない人ですね。
ここからは完全に余談ですが、アール・ワイルドは67年にハーヴィ・シャピロとラフマニノフのチェロソナタを録音しており、ここでもある時はチェロに主導権を譲り、またある時は前面に出てきてよく歌い、実に魅力的な演奏をしています(パブリックドメインまであと2年...?)。
- 2017-03-01:コタロー
- シューリヒトのヘンデルを一通り聴かせていただきました。なんとも典雅な演奏で、今日の耳で聴いても決して古臭さを感じさせない点に驚かされました。
シューリヒトといえばブルックナーの演奏が有名ですが、同世代の他の指揮者とは異なった造形感覚を持っていたのかもしれません。そのため、主観を排して己の直観を信じた独特な透明感を持った演奏を創り出していたのでしょう。
21世紀の現在、シューリヒトを再評価する必要があるのかもしれませんね。
- 2017-02-28:Can Beetho
- 音楽の世界ではかなりの高齢になっても演奏会を行なう人は少なくありませんが、その多くは、名ばかり巨匠、名ばかり大御所と化しているようです。
そうした中で、最晩年の演奏、それも日本の交響楽団を相手に冴えた演奏を聴かせてくれたスクロヴァチェフスキさんは稀な指揮者と言えるでしょう。
きのうのNHK・FM「クラシックカフェ」は予定の一部を変更して、追悼の意を表すためにスクロヴァチェフスキさんの演奏を放送していました。
プロコフィエフ、そしてベートーヴェンの交響曲第8番。第8番は推進力のあるとても気持ちのいい演奏でした。
今後こちらのページにもスクロヴァチェフスキさんの演奏が増えていくことを楽しみにしています。
前のページ/
次のページ
[2024-11-28]
ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調「鳥」, Op.33, No.3,Hob.3:39(Haydn:String Quartet No.32 in C major "Bird", Op.33, No.3, Hob.3:39)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1931年12月1日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 1, 1931)
[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)