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シューリヒト(Carl Schuricht) |モーツァルト:交響曲第38番 k.504 ニ長調 「プラハ」
モーツァルト:交響曲第38番 k.504 ニ長調 「プラハ」
カール・シューリヒト指揮 パリ・オペラ座管弦楽団 1963年6月録音 Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [1.Adagio, Allegro]
Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [2.Andante]
Mozart:Symphony No.38 in D major, K.504 "Prague" [3.Presto]
複雑さの極みに成立している音楽
1783年にわずか4日で「リンツ・シンフォニー」を仕上げたモーツァルトはその後3年にもわたってこのジャンルに取り組むことはありませんでした。
40年にも満たないモーツァルトの人生において3年というのは決して短い時間ではありません。
その様な長いブランクの後に生み出されたのが38番のシンフォニーで、通称「プラハ」と呼ばれる作品です。
前作のリンツが単純さのなかの清明さが特徴だとすれば、このプラハはそれとは全く正反対の性格を持っています。
冒頭部分はともに長大な序奏ではじまるところは同じですが、こちらの序奏部はまるで「ドン・ジョバンニ」を連想させるような緊張感に満ちています。
そして、その様な暗い緊張感を突き抜けてアレグロの主部がはじまる部分はリンツと相似形ですが、その対照はより見事であり次元の違いを感じさせます。
そして、それに続くしなやかな歌に満ちたメロディが胸を打ち、それに続いていくつもの声部が複雑に絡み合いながら展開されていく様はジュピターのフィナーレを思わせるものがあります。
つまり、こちらは複雑さの極みに成り立っている作品でありながら、モーツァルトの天才がその様な複雑さを聞き手に全く感じさせないと言う希有の作品だと言うことです。
第2楽章の素晴らしい歌に満ちた音楽も、最終楽章の胸のすくような音楽も、じっくりと聴いてみると全てこの上もない複雑さの上に成り立っていながら、全くその様な複雑さを感じさせません。
プラハでの初演で聴衆が熱狂的にこの作品を受け入れたというのは宜なるかなです。
伝えられた話では、熱狂的な拍手の中から「フィガロから何か一曲を!」の声が挙がったそうです。それにこたえてモーツァルトはピアノに向かい「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を即興で12の変奏曲に仕立てて見せたそうです。
もちろん、音楽はその場限りのものとして消えてしまって楽譜は残っていません。
チェリが聞けば泣いて喜びそうなエピソードです。
素晴らしい疾走感の中で、複雑さの極みに成り立っている「プラハ」の精緻な構造を見事に浮き彫りにしている
今さら何も付け加える必要もない名盤です。
ただし、その「名盤」という評価は宇野功芳氏の独特な価値観に基づく絶賛を基盤としているため、異論があることも事実です。
実際、私などはどうしても好きになれない物言いなので、彼が褒めているものは何となく遠慮してしまうことが多かったのですが、それでも亡くなってしまうと、その価値判断のはっきりとした分かりやすい物言いは他に変わるものがないことに気づかされて、幾ばくかの喪失感は感じたモノでした。
ただし、このシューリヒトのプラハは昔からよく聞いていた演奏でした。
それを今までアップしなかったのは、初出年がどうしても確定できなかったからでした。
さらに言えば、このシューリヒトとパリ・ペラ座のオケによるモーツァルトは初出年どころか、録音データさえもかなり怪しくて、いかに蔑ろにされてきたかが分かろうかという代物だったのです。
例えば、「Scribendum」からリリースされているコンサート・ホールの復刻盤には以下のデータがクレジットされています。
交響曲第38番 k.504 ニ長調:1963年6月録音
交響曲第40番 k.550 ト短調:1964年6月録音
交響曲第41番 k.551 ハ長調:1963年6月録音
ところが、これがかなり怪しい。
タワーレコードからの復刻盤では「プラハ」のデータは同じなのですが、40番と41番に関してはオリジナル盤にデータ記載がないとした上で、疑問符をつける形で1964年6月の録音としています。
ところが、
「Discogs」 というサイトで調べてみると、40番は36番「リンツ」とのカップリングで1963年にリリースされているというデータが存在します。
Wolfgang Amadeus Mozart, Orchestra Of The Paris Opera*, Carl Schuricht ?? Symphony No.40 In G Minor, Symphony No.36 In C Major "Linz"
そして、こちらの方は「Concert Hall AM 2258」「Concert Hall SMSC 2258」「Guilde Internationale Du Disque M-2258」という3枚のLPが1963年にリリースされているというかなり詳細なデータが記載されていますので、雰囲気としてはこれが最も信頼性が高いように思われます。
残念ながら、このサイトにはリリースされた年は記載されていても録音年に関するデータは記載されていません。しかし、1964年に録音した40番を63年にリリースすることは絶対に不可能ですから、おそらくはカップリングされている「リンツ」と同時に録音されたと見るのが妥当でしょう。
そうなると40番は1961年11月の録音と言うことになります。
ただし、36番「リンツ」と40番が同じ時期に録音されたと言うことになると、その演奏のテイストがあまりにも違うので、いささか戸惑ってしまいます。
この一連のモーツァルト録音の中では40番はよく言えば枯れた演奏、有り体に言えば最も微温的な演奏になっています。
それに反して、リンツの方はとんでもないテンポで走っていく尖った演奏です。この対照的な演奏が日を置かずして録音されたというのはどうしても腑に落ちません。
演奏スタイルから考えれば、リンツが最も煽り立てていて、プラハがそれに次ぎます。
そして、最後のト短調とハ長調のシンフォニーが最も常識的な範囲に収まっていますから、タワーレコードが推定しているデータが最も妥当だと言えます。おそらく、タワレコの担当者もその様なことを根拠しながら疑問符付きながら以下のように確定したのでしょう。
交響曲第36番 k.425 ハ長調:1961年11月録音
交響曲第38番 k.504 ニ長調:1963年6月録音
交響曲第40番 k.550 ト短調:1964年6月録音
交響曲第41番 k.551 ハ長調:1964年6月録音
ただし、初出年のデータの信頼性がかなり高いので、そうなると「リンツ」ではやり過ぎだと思って、シューリヒトも録音スタッフも「揺れ戻し」が来て40番では微温的になったという可能性も否定できません。
そうなると、録音データは以下のようになる可能性が高いです。
交響曲第36番 k.425 ハ長調:1961年11月録音
交響曲第38番 k.504 ニ長調:1963年6月録音
交響曲第40番 k.550 ト短調:1961年11月録音
交響曲第41番 k.551 ハ長調:1964年6月録音
これはどの復刻盤にも記載されていないデータなのですが、個人的にはこれが最も納得がいくものです。
シューリヒトの信奉者にとっては心外でしょうが、Deccaのカルショーは50年代の末にウィーンフィルとシューリヒトの組み合わせでシューベルトの「未完成」を録音したときに、「彼は11通りのテンポ設定で未完成を演奏した」と嫌みを書いています。
少なくとも、当時のシューリヒトはその日の体調や精神状態によってテンポ設定にはかなりの幅が生じていたことは否定しようがなかったようです。
ただし、そういうなかで、確かにプラハだけは奇蹟のバランスの上に成り立っていることは事実です。
この一連のモーツァルト録音を聞いていて己のボンヤリ加減に気づいたのですが、シューリヒトという人は基本的に1stヴァイオリンと2ndヴァイオリンを対向配置で演奏させる人だったのですね。
シューベルトの「グレイト」を聞いたときにその事に気づいて、それはこの作品の持つ構造をより分かりやすく立体的に浮き彫りにさせるために、この時だけに限ってわざわざその様なしんどいことをやっていると思っていました。
でも、このモーツァルトでは全て対向配置で演奏させていますし、それ以外にも、例えばシューマンの「ライン」なども同じように対向配置で演奏してると思われます。
そう思えば、シューリヒトという人は基本は「理」の人だったのです。
ですから、複雑さの極みに成り立っている「プラハ」のような作品だと俄然やる気が出て、素晴らしい疾走感の中でその精緻な構造を見事に浮き彫りにしています。
さらに言えば、いつもなら少しは気になる響きの薄さがこういう作品だとそれほど気になりませんし、いささかがさつなところのあるオペラ座のアンサンブルも「怪我の功名」でその薄味を緩和するために役立っています。
ただ、驚くのは、そう言うアンサンブル的にいささか問題がありながらも、それでもこの複雑な構造を持つシンフォニーの仕組みが浮かび上がるようにシューリヒトがオケをコントロールしきっていることです。
そして、これとほぼ同じ事がジュピターの最終楽章にもあてはまるような気がします。
そこまではいささか淡々と音楽が進むのですが、「フーガ」という「理」に基づく音楽になると途端にやる気が出てくるという雰囲気です。
ですから、40番のト短調シンフォニーのような音楽だと、なかなかやる気になる場面がないので、結局は淡々と始まって淡々と終わってしまっています。
そこで、話がまた最初に戻るのですが、このシューリヒトのモーツァルトの録音が日本ではじめてリリースされたのは1980年だったという事実は思い出しておくべきでしょう。
随分と長い間無視されていたわけであって、その長い無視によって録音データさえも定かでなくなってしまっていたのです。
そして、その様な無視されていた録音を見つけ出し、救い出してきた宇野氏の功績は正しく評価すべきでしょう。
もちろん、「罪」の部分が皆無とは言いませんが、それでも、シューリヒト、クナッパーツブッシュ、そして朝比奈などは宇野氏がいなければ今ごろは忘却の彼方に消えていたことでしょうから、そう言う「功績」はきちんと評価する必要があると思います。
この演奏を評価してください。
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よせられたコメント 2017-10-19:Joshua 燃え上がるような第1楽章です。これを「近代人アイデンティティの危機」なんて文学的意味に勝手に解釈して、高校時代聴き入ったものです。廉価版LPでしたよ。後年30台で「吹く」より「聴く」ことが多くなった頃、宇野氏の論評に出会い、偶然の一致とはいえ、よく聴いていたものを褒めてあったのに気をよくしました。
読書でも一緒ですが、青春の一時期に聴いた感慨は蘇ってきません。同じ演奏だと頭では分かっていても。それだけ一期一会で真剣に昔は聴いていたんだと思います。
mp3は音とびもしないし、音割れや、誇りから生じるノイズもないのですから。 2017-10-22:せいの この音源をアップロードしてくださってありがとうございます。
以前から聴きたいと思いつつ、なかなか入手できなかった音源です。
聴いて驚きました。「耳にタコができるほど(^^)」聴き続けてきたこの曲が、まさに今はじめて聴くような衝撃とともに心に響いてきました。
変幻自在、まるでオペラでも観ているかのようにフレーズごとに色や心に浮かぶ景色が変わっていって、退屈することがありませんでした。一方、そういう演奏は得てして木に竹を接いだような不自然な演奏になるきらいがあるものですが、この演奏からはまったくそういう不自然さを感じませんでした。よく耳を傾けると、内声部や対旋律を際立たせたり、細部に気を配って音楽の流れを良くしているように感じました。
しかも、長調なのに、「疾走する悲しみ」とでも言うのでしょうか、モーツアルトの慟哭さえ聴こえてくるようです。
この音源を、時間がないけど何か聴いてすっきりしたいと思ったときのお供にさせていただきます。 2017-10-22:原 響平 このシューリヒトの演奏は名演ですね。他にもシューリヒトはモーツアルトの交響曲を録音していますが、これがベストです。録音も、オーケストラのフワッとした音色を克明に捉えており、更に、演奏者の息吹が聞き取れそうなくらい、熱気を感じる事ができる演奏。一般的にモーツアルトの作品は、不協和音が無い為、どちらかと言えば読書をしながらBGM風に聞き流す事が多いが、この演奏は、その様な視聴を断固として拒否するぐらいのインパクトが有る。 2020-12-30:joshua プラハの劇的表現は、若い頃聴き込んだせいもあって、このシューリヒト、パリだからこそと思っていました。最近、ヘルマン・パウル・マクシミリアン・アーベントロートのプラハを聴いて、似てるな!と思いました。それほど歳の違いはなく、キャリアも地方都市のオケを振りたまにメジャーなオケから呼ばれたのも似ています。アーベントロートはヘビースモーカーでしたけど、自転車でまち往来したのも両者の共通点。ドイツの小都市で、こんな風にモーツァルトを演奏する流行りがあったのかも?と勝手な類推も、楽しいものです。 2021-11-27:ジェネシス シューリヒト、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーを安価なステレオ電蓄で聴いて感動していた高校生であった私が出会ったのが宇野功芳氏の熱狂的な絶賛文でした。それは自分の価値観、審美眼に自信が持てなかった私にいわば御墨付きをくれたような感じです。但し、その余りにも自己陶酔的、或いは独善的にも思える文章は文体だけでなく内容的にも私にはズレが大きくなって行きました。
その典型がウィーン.フィルが最高、ミュンヘン.フィルとパリ.オペラ座管が4流というものです。英デッカのカルショーの事をユングさんも書いておられますが「未完成」とセットの「リンツ」の犯罪的に緩い序奏部を聴けばウィーン.フイルこそ4流とも思えます。
このオペラ座管は最高です、大脱線を許して戴ければ1940年代の全盛期のカウント.ベイシー楽団を想起してしまいます。C.ベイシー、F.グリーン、ジョー.ジョーンズ、W.ペイジという「ザ.リズムセクション」に乗って腕利き達が入れ替わり立ち代りソロや合奏を繰り広げていました。 2021-12-03:たつほこ 「名曲名盤」懐かしいフレーズですね。
限られた小遣いでレコードを買い集めるのですから、名曲かはともかく、名盤であることは重要でした。失敗したくないという感情を持つ、クラシック音楽ファンの一部の要求に応えてくれました。教養主義が多い中で少数の庶民派代表。当時中高生の私には大フィルのレコードと欧米のメジャーオーケストラのレコードが同じ値段とは理解できませんでした。楽器としてのオーケストラの良し悪しは年をとるまで気にしていました。名曲名盤にあった「ザラストロこそ、地獄に落としてやりたい」には同感しました。
オペラ座のオーケストラは舞台なしでは聴けない代物でしょうが、ここでは、モーツァルトの生き生きとした音楽を聴けます。アーベントロートの悲愴も昔聴いて面白いと思いました。いろんな演奏を楽しめる本サイトに感謝します。名盤にこだわることなく、自分の好きな音源を(小遣いを気にせずに)探せる幸せ。 2021-12-31:joshua もう2.3年早ければ、このオケのフルートトップは、かのジャン=ピエール=ランパルだったのてすから、一概に歌劇場の伴奏オケと貶めるのは、間違いではないでしょうか?懐かしの
U氏が、録音オケ共に2流と言ってのけたのを、長らく信じてしまったわけで、こうして、日常的に、簡単に、名演奏なるものを、好条件で聞ける中で、改めて演奏の良さに気付かせてもらえます。今年もこのような自然な感激、発見を与えていただき感謝します。短い一生にトリビアなディスカバリー、来年からも楽しみです。TGIF! 2022-04-19:joshua 青春、最近口にされない言葉ですね。青春だからこそ忘れられない演奏のひとつがこれ。シューリヒトは、ウィーンを振ったプラハはもっとまとも。パリ・オペラ座だからの一期一会なんでしょうか。断定はしません。満員電車の中、これを聞いて、青春回顧しているのは私だけでしょうか?シューリヒトがパリで風狂無頼となった貴重なテスタメントです。