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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- これは、(よい意味で)皆が一生懸命頑張って演奏しているように聴こえます(笑)。シベリウスならもっとクールに、スタイリッシュに決まってもよさそうなものですが、これはこれで、人間味にあふれていていいですね。私の貧弱な再生装置では、あたかも小さなホールにての演奏を最前席の辺りで聴いているような、とてもアットホームな温もりを感じます。
この5番、確かに祝典的なムードに満たされた曲ではあるのですが、私には何だか、シベリウスが己の祝賀会の真ん中で楽しんでいるわけではなく、そのお祝いを遠くから満足げに、でも少し物哀しげに見つめているような(例えば、八十幾つのおじいちゃんが自分の誕生日でどんちゃん騒ぎをするよりも、パーティを楽しむ親戚一同を隅のソファーに座って眺めているような)、そんな哀愁感が漂う曲に思われます。そこがまた、この曲独自の良い所なんですけれどね。
余談ですが、例のメールの件、(くだらないことを調べるのは大好きなので)ちょっと調べてみました(笑)。どうやらこの交響曲の初稿は確かに4楽章構成だったようですね。ただし、大まかには現在の第1楽章の前半と後半が別々の楽章になっていたようで、メール主さんの「第3楽章で断ち切るのけしからん」という言い分はあまり辻褄が合わないわけですが(笑)。ヴァンスカ指揮の全集に、この初稿版が入っているようです。
- 2017-09-01:ぴらぴらーの
- ざっくり調べた所、4楽章には下記のカットがありました。
これが演奏時間の短さと思われます。
132-168、188-191、196-199、204-207、212-215、232-259、344-363、415-420、430-437
しかしこのようなカットがあってもメンゲルベルクのチャイコフスキーは歌があっていいものですね。
- 2017-08-27:koinu
- ブルームがホルンの首席奏者に昇進したのがいつかは分かりませんでしたが
→ほかのサイトで調べてみると、1955という記事ありました。ご参考まで
- 2017-08-26:ファラヴィス
- こういう人の演奏が成立しているのは、社会システムの変化が基本にあると思います。音楽高校・音楽大学では教えられない物があるのだと思います。演奏家の平均値は上がりますが、クラシック音楽で食えるかどうかが、難しいです。
音楽は、徒弟制度の下で、修行をするのが最も効率が良いのではないかとも、逆説ではなくそう思います。ポリーニの様な、天才的な音楽家。ピアニストは音楽大学関係ないです。演奏スタイルは、チェルカスキーとは表面的には全く異なります。こういう人物は、出現するのを待つしかないのです。あの新古典主義とは関係のない、苛酷に作曲家を評論する、そして音楽を彫塑するような、彫刻のような音楽でした。
技術的に幾ら高かろうが、自分の心を自分でコントロールする事が、如何に難しい事か。お釈迦様が原始仏教で語られている事です。他人の世界が、真似されて、入って来ているのでは・・・。
チェルカスキーは、アンコールでアイヴスやシュトックハウゼンも弾いています。アイヴスなんて、後期ロマン派的な響きをする場面と、ケージの先取りのような場面と、余りに古典的な場面と、玩具箱です。彼は音大出身ですが、保険業で財を成していますね。シュトックハウゼンは、このサイトに登場する事は、永久にないでしょう。クセナキスやケージレヴェルで、ユング氏の最も嫌いな音楽でしょう。
存命中のピアニストで、ショパンをチェルカスキーの如く自在に弾きこなしておられるのは、カツアリス氏位の物でしょうか。技術的にも高くて、ショパンコンクールにも、優勝していますね。ただしレコード部門です。超絶技巧の即興演奏もお得意です。期待できそうなのは、ルイサダ氏でしょうか。居ませんと言うのは言い過ぎですが、チェルカスキーは全盛期から変わった方で、当然ホモでしょうね。
チェルカスキーのホテル住まいは、彼がユダヤ人である事と、関係が深いと思います。同じユダヤ人のデーブ・スペクターと同じで、不動産の家や車や飛行機などは、所有しても、政治体制が変われば、いつ没収されるか分かりません。演奏して頂くその日の現金だけが重要で、それが一番安全です。彼のロンドンの自宅はアパートで、アップライトのピアノが一台だけあったらしいです。権力などは、表面に出す事は決してないでしょう。
- 2017-08-25:yseki118
- 4番の交響曲のアップ、ありがとうございました。
早速、スマホ+イヤホンで聴きました。
4番は「禅問答」みたいな曲なのですが、その中でも勢いを感じさせる演奏に、感銘を受けました。
ちなみに、「渡邊暁雄 シベリウス」でググってみたら、こんな記事が見つかりました。
「日本コロムビア この一枚 No.51」 ~渡邉暁雄/シベリウス:交響曲全集~(http://columbia.jp/kono1mai/051.html)
2008年9月、若林氏の追悼の会で参列者に想い出のCDを配布する、という企画が挙がった。氏の多くの録音の中から62年、世界初のシベリウス交響曲全集の中の1枚を選び、渡邉氏のご遺族に伺ったところ、「父は第4番が大好きで、またこの演奏は高く評価されていますので、この曲を是非」とのお言葉があった。
4番は渡邊暁雄さんのお気に入りだったのですね。
<追記>
今回、シベリウスの4番を初めて聴かれる方もいらっしゃると思います。
そこで、アドヴァイスを一つ。
この曲は、第一楽章が鬼門だと思います。ここで「なんじゃ、こりゃ。」となってしまうと、二度と聴く機会が失われてしまうと思いますので、敢えて第一楽章は避けて、第三楽章から聴き始めます。第三楽章、第四楽章で体(耳)を慣らしてから、第一楽章を聴きます。こうして、第二楽章を聴き終わった頃には、「なかなか良い曲じゃないか」と思っていると思いますから、その勢いで、再度、第三・第四楽章を聴きます。すると、益々、良さが体に滲みてきますから、次回からは第一楽章から聴き始めてもOKだと思います。
あなたも、「シベリウスの最も偉大な作品を理解する少数の人」になって下さい!?
シベリウスの第四交響曲を深く愛する者からのアドヴァイスでした。(笑)
- 2017-08-23:takanomi
- 懐かしい指揮者名を見て確か生で聞いたことがあるはずと自作のコンサート鑑賞リストをチェックしたところ、1973年8月7日に上野の東京文化会館で東京都交響楽団による演奏を鑑賞していました。
当時東京都の主催(後援?)ではがきによる抽選で無料コンサートの招待があり、苦学生の身のためせっせとはがきを出してはコンサートに通っていたことを思い出しました。
残念ながらどのような演奏であったか全く覚えていないのですが、すっとした姿勢の端正な指揮振りであったような記憶があります。
日本人の指揮者、日本のオーケストラの演奏をもっと取り上げてください。楽しみにしています。
- 2017-08-21:原 響平
- 1970年東京のライブ盤に出会わなければ、間違いなくシベリウス交響曲No2の代表盤だった録音。残念ながらセルはシベリウス作品を積極的に演奏しなかった。この演奏を聴くとセルの正確無比な性格とコンセルトヘボウ管弦楽団の緻密な再現能力が相まって、どこか物悲しくて北欧のメローな響きに統一された素晴らしい演奏。是非とも、他のシベリウスの交響曲を演奏・録音して欲しかった。さて、冒頭でも述べたが、1970年のライブ盤は、このコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏とは真逆の演奏で、ライブ特有の熱気がみなぎった演奏。最終楽章は特に、血沸き肉躍るという表現がピッタリの演奏で、これがセルのライブ演奏の神髄とも言うべきもの。当時のセルの人気が絶頂期だったのも判る。特にクリーブランド管の金管は物凄く上手く、こんな演奏に出会う事はもう二度と無い。
- 2017-08-21:Joshua
- 在阪の奏者云々は、N.Kさんでしょうか。私が40年前聴いた秋山和慶指揮バルトークのオケコンでは絶好調でしたが、好不調の波はあったようです。それから10年後に聴いたブルックナーの9番(指揮は朝比奈氏)では聴きやすいとは言えませんでした。ちなみに当日のコンツェルトは千葉馨のMozzart3番。う?んこれも曲を楽しむまでいかなかった。でも高校野球アルプススタンドで応援のホルンが無邪気な顔で吹いているのを見ると、元気に明るくだけ吹くならホルンは、それでいいんじゃない、と思ってしまいます。クラシックならではの敷居の高さを感じてしまいます。マウスピースが金管で最小のホルンは、金管で最大の音もだせる不思議な楽器で、アルプスの山野で狩の信号を送るのに適切だったわけです。(日本では奈良の鹿寄せ)
そのゲルマン祖先は、(globalizationの今はともかく)日本人とは似ても似つかない顔つき生活様式だったので仕方ないのかも。あちらの人は意外に簡単に吹ききってしまう楽器なんです。(クラシックソロの異常な緊張下を除いては)。その点、千葉さんは近くで見るとBPOのハウプトマンみたいでしたから、若かったころ上手かったのは想像できますがね。
さて、uploadのほうを拝見して聴いてみましたら、曲名が違っていました。ベー1じゃなく、この画面のブラ1であり、ハ長調でなく、ハ短調でした。演奏はYUNGさんの解説通りですね。録音さえもう少し良ければクリーブランドより「楽しめ」ます。件のホルンは絶好調で、咆哮しまくっています。マイクがそれを拾いきれず、金属音が前面に出て、欧米人がふく時特有の「音の広がり」が感じ取りにくく、いささか滑稽な音に聞こえています。実際はMyron Bloomさんより上手くないにしろ、伸び伸びとした吹奏であったと想像できます。
- 2017-08-21:suguru
- ライブでの躍動感あふれるセルを満喫できました!同じルツェルンでのセルのドヴォルザーク8番もぜひお願いします!
- 2017-08-21:yseki118
- YUNGさんの紹介文を読んで、渡辺暁雄さんのシベリウスに興味を覚えて、Amazonで探したところ、「極上神品クラシック特盛」というものすごい名前のアルバムの中にシベリウスの4番(第一楽章のみ)を見つけたので、早速ダウンロードして聴いてみたところ、素晴らしい演奏と録音ではないですか。
今まで、日本人の演奏・録音というと、理由もなく軽く見てきた自分に気がつきました。この演奏を聴いて、それが偏見だということがよく分かりました。
良いきっかけを与えて下さり、感謝しています。
つきましては、シベリウスの4番についてもよろしくお願いします。
- 2017-08-19:クライバーファン
- この演奏は、20年以上前から知っていたのですが、このサイトにアップされた音源を聞いて感動し、ついに、タワーレコードに行って、CDを買ってしまいました。(クラシックのまともなCDを買うのは、3年ぶりぐらいです。)
くるみ割り人形のトレパックの速くなり過ぎないテンポがこの指揮者らしいと思いました。
クナッパーツブッシュには、あと2,3枚、ウィーン・フィルハーモニー & Deccaにステレオ録音を遺して欲しかったです。
- 2017-08-18:Joshua
- 聴きました。1楽章であんなに見事に吹いた奏者が、2楽章のさして難しくない音型で音が出なくなるわけですね。昔、プレヴィンがロスフィルで来日時ブラ3をやった時も、例の第3楽章のホルンソロ出だしが、このように「なりかけ」ました。
- 2017-08-18:サンセバスチャン
- おっしゃる通り、シカゴの方はつまらない演奏になっています。60年代になるとライナーの音楽に弛緩や停滞というものを感じます。これはライナーの体調の衰えと、それに伴うオーケストラとの関係悪化のせいではないかと思います。ライナーは結構むら気のある指揮者だと思っています。やる気がないと形だけは整える。
最後のニューヨークでの録音は、解説の英文を読むと、ライナーのもとで演奏するためにはせ参じたメンバーからなると書かれていて、オーケストラのライナーに対する尊敬が素晴らしい演奏になった理由ではないでしょうか。
- 2017-08-16:htam
- プロとアマチュアではレベルが違う話ですが、ホルン吹きとしてはとてもいたたまれなくなる録音ですね この上がるはずのFisの音というのがホルン吹きにとっては天敵で、ついバランスが途切れて音が途切れてしまうのです。
- 2017-08-16:クライバーファン
- 録音がとても良いです。
演奏も良いと思いました。後年の帝王のウィーン・フィルとの録音比べても、良いと思います。
こういう演奏を聞くと、フルトヴェングラーがウォルター・レッグに語ったという、
このような素晴らしいオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団のこと)とホール(キングズウェイホールのこと)
があるのに、なぜ、ウィーン・フィルハーモニーと録音をしたがるのですかという言葉を思い出しました。
フィルハーモニア管弦楽団はとても良いですね
。
<追記>
先程のフルトヴェングラーがレッグに語ったとされる言葉は、トリスタンを録音した
1952年の時の言葉のようです。
1952年6月25日にB.MittellにWalter Leggeが書いた手紙に記載されています。
Furtwangler cannot cease praising the Philharmonia
('Why do you want to record the Vienna Philharmonic in that hall
when you have this wonderful orchestra and this splendid hall here?')
出典はWalter Legge: Words and Music
というわけで、正確には
「なぜあのホール(ムジークフェラインのこと)でウィーン・フィルハーモニックを
録音したいのですかね、この素晴らしいオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団)とこの優れたホール(キングズウェイホール)をここにお持ちなのに」
となると思われます。
全く関係ありませんが、もしレッグが嘘を書いていなければ、フルトヴェングラーはこのように時々、ウィーン・フィルの悪口を言いますね。最晩年の1954年もクルト・リースに悪口を言っていたような。
それに対して、レッグはウィーン・フィルとムジークフェラインの響きが好きだったと思います。
- 2017-08-15:フラヴィウス
- この演奏の装飾音は、かつて音楽雑誌で、議論されました。
大学時代、教育学部へ行って、学部生が来る前に音楽学の先生に、ピアノを教えて貰いました。
第一声は、チェルニー版は駄目、原典版。エマニュエル・バッハの「正しいピアノ奏法」の翻訳があるから、買って読みなさい、でした。東川先生の訳が出ています。
言わせて頂ければ、エマニュエル・バッハ(息子さん)は、モーツアルトの先人であって、直接の見本は、末息子のクリスチャン・バッハです。
モーツアルトの初期のピアノ協奏曲は、クリスチャンの作品の編曲です。
バッハの息子たちは、練習した作品が良いので、良い演奏家であり良い作曲家に成長しました。
モーツアルトのピアノ作品をどのように演奏すべきかは、当時の近々の演奏家や理論家、作曲家の大問題だったと想像します。
ベートーベンの作品は、当時の前衛なので、素晴らしい事は分かっても、こなしきれなかったのではないか。
今でも、32番のソナタなど、きちんと弾けている人は、いないと思います。
努力が足りないのではなくて、作品が凄過ぎるのです。
それはそうとして、エマニュエルバッハを読んだ限りは、彼の書いている事は、通奏低音の弾き方が多いです。
装飾音にも触れていますが、楽譜をそのまま演奏してはいけない。「和声を変えない様に」、装飾音を付加しなければならない。特に、リピートの後・・・。
その時に大切な事は、「装飾音を付ける事によって、付けないで演奏するよりも、美しくなければならない。」
覚えているのは、そんな所です。
グルダの演奏で気になるのは、和声を変えている所もあるように感じます。興が乗り過ぎて変わってしまった?ジャズが舞台で弾けるグルダですから(リヒテルも宴席では弾くそうですし、フランソワとバルビぜの兄弟弟子は、食えない時酒場で金儲けしていたらしいです。)和音が少し変わっても気にしていないでしょうが、エマニエルは禁じていた気がします。本は何回かの引っ越しの時に無くしてしまい、今買う気もしません。
モーツアルトの直後の時代の人で、テュルクがクラヴィア奏法の本を残しています。グルダの演奏は、エマニュエルの本では正当化は難しいです。
ただ、実験的な感じがします。こんな事も出来るんだぞと言う感じで、「やって見せたぞ」と言う感じが、嫌な感じに自分には聞こえます。
若い頃は、とっても良い演奏だと、尖がっていました。
もうだいぶ抑えて演奏された方が、今の自分には、美しく聞こえるように感じております。
今は、古楽の演奏も、現代ピアノの演奏も、どちらも出来るピアニストが登場しています。現代ピアノと言っても、今のスタインウエイとギーゼキングが弾いた物は、相当変わってきています。
どうしたら良いのっていう感じです。迷っていますね。
- 2017-08-13:north fox
- この曲にはこのような演奏もあることを改めて思い知らされました。衣川で義経を護り、満身に矢を受けながら仁王立ちで絶命した弁慶が連想されました。虚勢などではなく将に強靭です。
己の信ずるところにオケをぐいぐいと引っ張っていく統率力、それに応えるオケの演奏技術は見事ですが、それよりもこの曲の一般的なイメージに対するアンチテーゼとしての存在感が強く残りました。マルケヴィッチ40代後半の演奏ですが、老境に入っても同じ解釈をしたのでしょうか。
- 2017-08-12:yseki118
- ケンペンの「エロイカ」と言えば、私が2枚目に買ったクラシックのLPです。ちなみに、1枚目はリヒターの「トッカータとフーガ」です。
どうしてこのLPを買ったかというと、安かったからです。中学生で、自分の小遣いで買えるLPと言えば廉価盤しかなかったからです。
でも、聴いて大満足。もの凄いストレートな演奏で、これでクラシック音楽の素晴らしさに開眼したと言っても良いと思います。
物知りの友人に「ケンペンって知ってる?」と聞いたら「ケンペ」について得々と語り出し、「ケンペじゃなくて、ケンペンなんですけど・・・」と言うこともできず、最後まで解説を聞いていたことを思い出します。
あれから、色々な曲や演奏を聴いてきましたが、あの当時ほど感動したことはないように思います。「エロイカ+ケンペン+ベルリンフィル+若さ」という組み合わせが良かったのだと思います。
感受性が豊かだった、あの頃が懐かしいです。
- 2017-08-12:タケルクン
- この曲、このマルティの演奏、ほんとに素敵ですね(アントニエッティのピアノも!)。
今までシューベルトは「単調で長い」イメージがあり、あまり好きでなかったのですが、これで覆りました。
- 2017-08-06:宗万秀和
- はじめまして。
記事中で紹介いただいているマルケヴィッチ版については,飯守泰次郎/東京シティフィルが2010-2011にチクルスで取り組んだ全集CDがあります。
マルケヴィッチ版によって習慣的に行われていたボウイングやアーティキュレーションを徹底的に見直したという演奏で,マルケヴィッチ風の明晰さや力強さに飯守さんの滋味深さや優しさが加わった名演だと思います。CDはいま版元切れですが,流通在庫はあるようでamazonなどで手に入ります。このマルケヴィッチ版での演奏に関しては,下記の飯守さん公式サイトのメッセージコーナーの過去アーカイブに,かなり詳しい指揮者コメントが掲載されています。
私はなかでも6番の演奏が大好きです。5番は当時の朝日新聞の評で絶賛されていました。ぜひきいてみてください。
飯守泰次郎公式サイト ディスコグラフィー
http://www.taijiroiimori.com/04disc/discf.html
- 2017-08-05:まー
- メニューインが若くして亡くなっていたら、ヌヴーのように20世紀前半を代表する伝説のヴァイオリニストとして語り継がれていたのかもしれません。逆にヌヴーが長生きしていたらメニューインのように「若いときは凄かったんだけどね・・・」などと言われることになったのかもしれませんが。
とはいえ、演奏にとどまらない彼の人道的な活動も含めると本当に偉大な音楽家だったと思いますし、長生きしてくれてよかったと思います。
- 2017-08-05:べんじー
- ジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団のコンビによるハイドンが大好きです。滑らかなシルクのドレスの下に、全く無駄のない鍛え上げられた肉体を隠した美しき女アスリート。彼らのハイドンを聞いて「あぁ」と嘆息しながら、いつもこんなことを思い浮かべるのです。
ユングさんのおっしゃるように、セルと比べるとライナーのハイドンは少しハードボイルドな感じがします。セルの演奏ではクスリと笑えるハイドンのユーモアが、ライナーだとこわもてのオジサンが精いっぱい浮かべた笑みのような感じがしないでもない。でも、これはこれでとても充実した演奏だなぁ。おかげでライナーのハイドンを更に聞いてみたくなりました。感謝!
- 2017-08-03:まー
- 演奏に対してじゃないんですが、
久しぶりにこの曲を聴こうと思ったら解説が新しくなってたものですから。
この曲が地味だというのはとてもよくわかります。
40番と41番にはベートーヴェンを先取りしたような人間的な意志や感情が溢れてますけど、39番にはそれがないというか、主人公不在で掴みどころがないような
この曲にはどこか風のようなところがありますね。
風のように過ぎ去っていってひとり取り残される感じが私にとっては心地良いのかもしれません。
私が抱く終楽章のイメージは、いたずらっ子が思う存分はしゃいで自分が満足したら勝手に去っていく!です。
関係ないですが、数年前に亡くなったオトマール・スウィトナーの追悼ドキュメンタリーで、理由は忘れましたが彼はこの曲が一番好きだと言ってました。終楽章がとてつもなく難しいとも。引退した後、お忍びでシュターツカペレ・ベルリンに来て震える手でこの曲を振っていたのが印象的でした。
- 2017-07-30:原 響平
- ライナー絶頂期の演奏。同時期のライナーの録音と同様で、異常に筋肉質の高い演奏で、聴く方も正座が必要なくらいの緊張感が必要。これほどの完璧なオーケストラコントロールが出来る指揮者は他にいない。セルも確かにオーケストラに完璧を求めるが、ここまでの張り詰めた音をオーケストラに求めない。この一糸乱れぬ演奏は、ライナーの完璧主義者たる由縁。特に、音の消え入るような弱音部の表現は深みを感じさせ素晴らしい。この曲の名演奏との評価が高いフルトヴェングラーの演奏は、人間の生きている証を随所に見せ非常に魅力的だが、このライナーの演奏のそれは対極に位置する。
- 2017-07-27:north fox
- 教科書のように折り目正しく、正調の演奏とでもいうのでしょうか、室内楽にあまりなじみのない人の入門にふさわしいのではないでしょうか。安心して聴けると思います。ハイドンセット以降の弦楽四重奏曲は全曲複数のグループの盤を所持していますが、外連味のないこの一連の盤も好きです。
ところで、この曲に対するユング氏の評はセルのモーツァルト演奏に関するものにも通じると思うのですが。
- 2017-07-23:原 響平
- この演奏を聴いてから、ブラームス交響曲No4のイメージが変わったのを覚えている。人生とは、悲しく、しかも甘く切ない思いの連続。それをブラームスはこの曲で聴く者の心に訴えている。ワルターの慈愛に満ちた演奏は特に、それを強く感じた。しかし、このマルケビッチの演奏は、それとは正反対の演奏。感傷に浸ることなく、パワーでグイグイと進んで行く様は、まるで軍隊の行進の様。金管とティンパニーの強打は、それを強く物語る。特に最終楽章は物凄い迫力で聴く者を圧倒する。これは名盤ですね。さて、マルケビツチの1968年の来日時に日フィルとこの曲をライブ録音を残しているが、それも同様に素晴らしい。 ワルターを聴いた後に、このマルケビッチの演奏を聴くと、とても同じ曲とは思えない。指揮者の解釈で、曲のイメージが変化する最右翼の録音と演奏。
- 2017-07-20:north fox
- この『ランダム検索』のストリーミングで聴いても演奏、録音のクオリティの高さがよくわかります。この曲は同じBPO/カラヤンとゲーザ・アンダの盤も持っていますが、それと甲乙つけがたい私にとってのベストです。(他にはアシュケナージ/ハイティンク、ギレリス/ヨッフムが手元にあります。)
この曲ばかりでなく、カラヤンとブラームスは相性が良く名演ぞろいと思うのですが、何故1番の協奏曲は避け続けたのか想像できません。巷にはもっともらしく穿った(?)見方を散見しますが。
- 2017-07-15:JOHANNES
- 私は今ザルツブルクに住んでおりますが、ザルツブルクは人口わずか18万の町です。実にのほほんと時間が過ぎてゆく田舎町、という表現がもっともしっくりくる町です。
一方、フルトヴェングラーが青年期を過ごしたミュンヘンは人口100万を超えるような大都会です。
私は、なのでYungさんのおっしゃるカラヤンとフルトヴェングラーとの《メタモルフォーゼン》に対するスタンスの違いは、むしろカラヤンが「地方の田舎町出身だったから」出てきたものかもしれないと思います。もっと突っ込んで言えば、カラヤンは戦後とった行動(特に象徴的なのは、「プラハの春」事件に抗議してラファエル・クーベリックが出した「東側で演奏しないでほしい」という声明に呼応してドレスデンでの《マイスタージンガー》の録音をキャンセルしたバルビローリの代役としてカラヤンがドレスデンに乗り込んだ事件でしょう)を見ても、自身の政治的スタンスというものを持っておらず、そこに非常に無頓着だった部分だと思います。戦後、カラヤンのインタビューや伝記などを紐解いても、自身がナチス党員だったことや党の催し物で指揮したことに対する後悔の念も、またフルトヴェングラーのようにナチス政権下でユダヤ人を助けたというような話も、ゲッベルスに盾突いた、というような話も聞こえてきません。根本的に、カラヤンは自身の人道的使命とか、政治的立ち位置ということに無関心だったのではないかと思います。
それが、戦後カラヤンの演奏が美音を追求し、細部の彫琢を極め、美しく聞き映えのする演奏を提供することを最大の目的としていたところにつながるように思います(それはそれで一つの価値観ですし、そのようなカラヤンの演奏にも魅力を感じる場面はありますが)。
- 2017-07-15:Guinness
- フルトヴェングラーとカラヤンとの聞き比べですが、私のシステムではフルヴェンの方が音が良く感じました。カラヤンは絶対音質に注意を払っていたと思うのですが、意外な結果です。
- 2017-07-12:benetianfish
- このハーティ版やグーセンス版のメサイア、原典主義の素朴なバロック音楽も悪くはありませんが、たまにはゴージャスなバロック音楽を楽しんでも、罰は当たりませんよねっ。
このカラヤン盤の余裕に満ちた優雅さも捨てがたいですが、私はどちらかと言えば、金管楽器が前面に出て、カラフルでゴージャスなドラティ盤が大好きです。彼が指揮の1812年序曲、ユーリ・ブーコフのプロコフィエフソナタ第7番とともに、何度聞いても笑みが浮かぶ(笑わずにはいられない?)三大名録音の1つです。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)