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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2017-02-26:hs9585
- 親父のコレクションの中にあった一枚。子供のころ最初に聞いた新世界で、相当なすり込みを受けました。この録音の2年前、日本にやってきたときのアンチェル/チェコフィルの映像を、先日NHKの放映で見ました。亡くなった親父も、このコンサートの評判を聞いてレコードを買う気になったのでしょう。学校の課外授業で大阪のプラネタリウムを訪問した際に、エントランスでこの曲が流れており、以降、夜の暗さや静けさ、遠い日の記憶、宇宙の広大さ。。。そんなイメージがこの演奏と分かちがたく結びついています。その後もいろんな新世界を聴きましたが、私にとっては、今もこれが唯一無二の1枚です。
- 2017-02-26:Joshua
- 日曜の朝、たびたびお邪魔いたします。どうしても書いておきたくて。89歳まで生きたシュタルケル、4年前の今頃は斯界の人だった、シカゴの首席でライナーと音楽を、この無伴奏は33歳ごろ、まさに乗りに乗った時期の演奏です。
違う曲に聞こえます。井上頼豊じゃありませんが、ハイフェッツがチェロを弾いているようです。向かうところ可ならざるは無し。精神性、深み、がない、なんて言わなくても、十分に素晴らしいです。ハンガリー人starkerの名の語尾erをとった、形容詞・副詞stark(英語)とは、正真正銘の、完全に、という演奏内容と偶然の一致なんですね。
- 2017-02-26:市原じーじ
- いつも聞かせていただいております。50年前位にリーダースダイジェスト編で12人の名指揮者のセットモノラールLPにサージェント、ドラティ、クリップス、プレトールなどの味のある指揮者とイギリスのORCに夢中だった頃を思い出しました。
?響の公務員ORC的響きと違う溌剌とした演奏に感動しました。ありがとうございました。
- 2017-02-23:Sammy
- 解説を読みつつ聴いて、やはり聴かれなくなっていく理由のようなものを感じていました。
確かに豊麗な音で鮮やかに鳴らしていくので見事と感じる。けれども、やや力づくの部分、豊麗さの強調や表現を誇示するような「わかりやすさ」、そしてそうした少々不自然にも感じられなくもない表現の大味さからくる古めかしさ(懐かしさと感じる人もいるかもしれません)、しかし高いゴールを目指すような緊迫感も弱く、徹底的にやる、というよりも程々な印象が残る(バランス感覚に優れていると感じることもできるのかもしれませんが)。
私個人としては、当時の聴衆が気持ちよくなるように演奏していたのだろうかなあ、という印象が残ります。ただもちろん十分な水準を保った演奏であるという大前提でのことなので、こういう言い方はぜいたくなのかもしれません。
- 2017-02-23:コタロー
- この演奏でルービンシュタインを見事にサポートしている、スクロヴァチェフスキ氏が、この2月20日、93歳の高齢でお亡くなりになりました。
新聞に掲載された訃報によると、彼はポーランド出身だったのですね。ショパンとの不思議な「縁」を感じますね。
スクロヴァチェフスキ氏には、「本当に長い間お疲れ様でした」の言葉を送りたいです。合掌。
- 2017-02-23:コタロー
- バッハの音楽って本当にいいですね。こちらがどんな気分の時でも心に沁みわたってきます。とりわけ、この曲はバッハの神髄を表していると思います。
シュタルケルの演奏は、バッハの音楽の醍醐味を存分に味わえて素晴らしいです。
- 2017-02-20:大島 昇
- 私も何回かこの曲を弾きましたが、こんなに強弱のつけ方の気持ちのいい演奏はさすがにできません。右手の左手のなんと気持ちのいいバランス感覚でしょうか?歴史的名盤といっていいと思います。モーツアルトの母の死が背景にあったことはよく言われていますが、彼もその痛手をこの曲を作曲し、弾きながらまた時には涙を浮かべながら弾いたことでしょう。でも誰にも母の死には遭遇するのです。きわめて個人的な領域での音楽かも知れません。
- 2017-02-19:原 響平
- セルのワーグナーは重厚な響きを基調として、一糸乱れぬオーケストラ各パート奏者の奏でる音が結集した響きに構築されています。セルの特徴は、評論家の吉田秀和氏が述べるように「完璧への熱狂と責任感」そのものであります。又、吉田氏はセルの演奏を「均整の取れた端正な演奏は、聴いていると襟を正さずにはいれなくなる。」とも表現しています。この表現は、セルの人気の秘密を垣間見た思いですし、セルに対しての評価としてはしごくもっともな事です。さて本題に戻ります。このマイスタージンガーの演奏ですが、当方の好きなホルンが確りと鳴り響く様は、聴いていて非常に気持ちが良いです。録音に関してもLP時代に聴いた当時の感想とは違い、ユングさんのおっしゃる通りで、録音の悪さも感じませんね。これは間違い無く名盤です。ただし、当方としては・・・ティンパニーの音が素晴らしいライナー指揮のシカゴ響の演奏に後ろ髪を引かれる思いです。
- 2017-02-19:Guinness
- 1958年としては最高レベルの録音ではないでしょうか?聞きほれました。音源はEMIだと思うのですが、このころのEMIにはクレンペラーのスコットランドやカラヤンのシベ2の様に非常に優れた録音がありますね。
- 2017-02-19:gkrsnama
- 判りませんよ。バルトークはフリッツライナーにたいして、耳が壊れた無能ヤローと怒鳴りつけた男ですから。なんでも楽譜に?=60とあるのに61弱で演奏したからだそうです。プライドも無茶苦茶高かったし。
セルも頭から怒鳴りつけられたんじゃないかと思います。基本的に作曲者優位で、しかも相手はバルトークですから。
- 2017-02-19:マーシャル
- この曲のアップ要請が多かったのは、テレビアニメ「響け!ユーフォニアム2」で使われていたからじゃないでしょうか。
- 2017-02-08:dali
- モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:RIAS交響楽団 1953年9月9日~12日録音
小生が呱呱の声をあげた日の録音、お陰様で入手する事ができました!
- 2017-02-08:Sammy
- 確かにあちこち雑なのですが、なんともくつろいだ生き生きとした感じが面白いです。ジャズ的な要素をちりばめたこの作品では、これもまたなんとも楽しくていいのでは、と思いました。録音が明瞭なので、ドタバタの中からあれこれと聞こえてくる多彩な音もまた一つの魅力といっていいでしょう。
- 2017-02-08:コタロー
- この曲は、ヨハン・シュトラウス2世が遺したウィンナ・ワルツの中では最も好きな作品の一つです。
普段はフリッツ・ライナーが1960年に録音した素敵な演奏を愛聴していますが、残念ながら曲の後半に大きなカットがあります。
その点、ボスコフスキーの演奏は、当時のウィーン・フィルの優雅な響きを生かした趣味のいい演奏だと思います。
- 2017-02-06:koinu
- トリスタンとイゾルデは大好きな音楽で、若いころ何度も聞きました。
この演奏は、オペラ指揮者でもあったセルのこの音楽に対する思いが表れており、この音楽の持つ本質を真摯にかつ情熱的に描いた大変な名演と思いました。
そして、その中身を言葉にするなら、まさに管理人さんがおっしゃるように「濃厚なロマンティシズムが清潔に描かれている」ということだと思いました。
- 2017-02-06:ショウチャン
- 大変懐かしく聞かせていただきました。クラシックが好きになり始めた中学生の時、私の誕生日に母が買ってくれたのがこのレコードでした。モーツァルトの40番とのカップリングでした。その当時はカラヤン好きでしたが、母はジャケットの写真がカラヤン?だと言って渡されてがっかりしたことを覚えています。しかし、聴いてみると生き生きとして気持ちが沸き立ちました。新しい出会いがこんなことから生まれました。
解説に「バーンスタインは音楽を『喜遊させる』指揮者です」と、書いてあり的確な表現だなと当時思ったものです。ありがとうございました。
- 2017-02-06:コタロー
- 全篇にわたって、ほっこりとした素朴な風合いを感じさせる「新世界より」です。
お世辞にも洗練されたスタイルとはいえませんが、聴いていると思わず胸がワクワクしてきます。
いわば「オンリーワン」の魅力にあふれた心癒される演奏です。
- 2017-02-04:コタロー
- ドヴォルザークの交響曲全集というと、ケルテス以外には、クーベリック指揮ベルリン・フィル、ノイマン指揮チェコ・フィルくらいではないでしょうか。
しかし「交響曲第7番」となると、モントゥー指揮ロンドン交響楽団、セル指揮クリーヴランド管弦楽団などの演奏があります。エレガントなモントゥー、清冽な美しさにあふれたセルの演奏に比べると、ケルテスの演奏は自然体でありながら内に秘めた情熱が垣間見えるのがとても魅力的です。またロンドン交響楽団の演奏も、伸びやかさの中に十分な力強さを感じさせて見事なものです。モントゥーやセルの演奏に勝るとも劣らない名演奏だと思います。
- 2017-02-04:HIRO
- イイですね?。カラヤン/ベルリン・フィルを相手に回して「あの?ちょっとズレてますよ…」って言ってみたかったですね!
その前のクラリネットソロもたるいし、らしくないと言えばらしくないですね。
- 2017-02-04:あんひろ
- 私自身は現在心の病を抱えています。そのためここ数年は好きだったベートーヴェンやブラームスさえも自分の力で聴けない状態でした。
このサイトは時々チェックして最近はもっぱら軽目のモーツアルトやその前の時代の音楽をダウンロードさせていただいては聴くことはしていました。
先日イッセルシュテットのブラームスのハンガリー舞曲管弦楽版の全曲がアップロードされていたので、ダウンロードさせていただいて聴いてみたら、ブラームスを聴くことができたので、その後交響曲第1番にもチャレンジし、いけたのでピアノ協奏曲第1番のカーゾン/セルの演奏で聴きました。そして私としては陰々滅々のブラームスの本領が出たこの曲に挑戦してみることにしました。
4番は若いころに好きで、CDを買っては色々な指揮者の演奏で聴いたのですが、私にとってはフルトヴェングラーのこの録音を超える衝撃を与える演奏はなかったので、迷うことなくこの演奏を聴くことを選びました。
最後まで聴き通すことができました。
批評家がよく引き合いに出す、第一楽章の独特の出だし。私にはこれ以外はあり得ません。楽譜には指示されていないであろうこの独特の表現はブラームスの心境を追体験するほどにまで、曲にのめりこむことができるフルトヴェングラーならではの表現。音のドラマを経てクライマックスに持ってくる再現部。まさに指揮者とベルリンフィルが一体となった感情の高まり。これ以外ではあり得ません。
第二楽章。それが静まった水墨画のような世界に始まり雨雲で終わる曲。フルトヴェングラーの表現でこそ心に迫って来るものでした。
うってかわっておどけるような第三楽章。フルトヴェングラー/ベルリンフィルによるアタックの強烈なドイツ的な演奏は深く重厚。
そして、ブラームスの本音が出る第四楽章。あくまでも一つのテーマを形を変えて主張する楽章。普通なら紙に書かれたものを再現しようとすれば硬直感が出てしまいがちだが、フルトヴェングラーは各変奏を柔軟に、ときに激しくときに静かにブラームスの本音を、本人そのものとなって、楽団と一体となって演奏に没入する。
私にとって4番はこれです。陰々滅々だけど感動的なブラームスを最後まで久しぶりに聴けました。
- 2017-02-03:べんじー
- イエス・キリスト教会で録音されたDG盤の演奏かと思いますが、太鼓とハープがズレているのがハッキリ分かります。弦セクションが入ってからの盛り上がりはさすがカラヤン/ベルリンフィルと思いますが、完全主義者らしからぬ録音だと思いました。
- 2017-02-03:Sammy
- このアルバムのクオリティ、心底から驚嘆です。先ずモノラルなのにまるで問題のない優秀な録音。堂々たる音でビシビシと表情豊かに鳴り渡るオーケストラ、そして変にウィーン風を気取ったテンポでなくきびきび行きつつ、聞く者にもうこれしかないと思わせるだけの風情あふれる音楽づくり。悠然としていながらスキのない、しかし神経質な感じもない万全の快演。
個人的には最近どうも退屈な印象だったウィンナ・ワルツの類の目くるめく音楽の躍動に、久々に心躍らさせられました。昔々は60年以上前の何とアメリカで、シュトラウスのこんなに生き生きとした練達の名演奏が繰り広げられていたのが、こんなにきちんとした仕方で聞くことができるとは、素晴らしい耳の贅沢と言っていいのではないかと思います。
- 2017-02-01:コタロー
- 何と愉しい音楽でしょう!ジャズの心得があるグルダだけに、ごく自然に即興精神あふれる演奏をやっているのです。もともと何とはない作品なのですが、グルダのおかげでとても魅力的な音楽になっています。そこを大いに褒めたいと思います。
- 2017-02-01:Sammy
- どこかシューベルトやシューマンを思わせる豊かな歌があふれていて、とても魅力的に思えました。ただ、その印象は部分的にはワルターの表現にあるのかもしれないと思います。yungさんが書かれている通り、現役指揮者としての精力にあふれた力強くきびきびとした音作りが、ニューヨークフィルのソリッドな音によって堂々と表出されいるのですが、同時に、和音の変転の美しさを太くじっくり鳴らすことで豊かに表現させる仕方はある意味みずみずしいロマンを感じさせます。終楽章の豊饒な音のまま駆け上がる生き生きとした表現もとても魅力的です。改めてハイドンの良さ、全盛期のワルター/NYPOの魅力を堪能でき、幸せな時間でした。
- 2017-02-01:Sammy
- ふと聴いてみたワルター/NYPOの102番の演奏がとても魅力的だったので、続けて96番も聞いてみました。こちらはさらに音の状態がよく、モノラルであることがまったくハンディキャップに感じられませんでした。堂々と豊かに響き渡る素晴らしい音楽が余すところなく聴けます。力強い演奏ですがそれだけではなく、リズムや間合い、ソロの歌わせ方なども絶妙で、それがせりあがってくるような音楽の勢いと合わさってとても魅力的な音楽表現となっていて、とても楽しく聴きました。
- 2017-02-01:カンソウ人
- チャールズ・ローゼンのシェーンベルクは初めて聴きます。口当たりと言うのでしょうか、音符はきちんと音になっていても、音楽としては聴き易くないですね。言われる通りです。それと比べたら、グールドの演奏は、感覚的で、ロマン派の音楽と繋がっているのが分かります。ブラームスの最晩年の小品や、リストの最晩年の物の続きのような感じがあります。ザルツブルグでの生も、同じ感じで、編集とは関係なく、実力はある人なんだなと思います。
十二音技法の説明は、芥川也寸志の岩波新書の現代の音楽で、中学生のころ読みました。ちっともわかりませんでした。ユング君の説明でも分かりません。芥川さんは十二音で作曲したのでしょうかねえ。伊福部さんの弟子でしょう。方向性が異なりますね。日本の現代作曲家でも。十二音で作曲をしたのは、柴田南雄と入野義郎だけだったと思います。
面白い音の響きを追及すると、曲の冒頭にオクターブの十二の音を配分する方法が後期ロマン派頃には知られていて、ブルックナーの交響曲の9番の第二楽章だってそうなっていますね。バルトークの何だったか?バッハの平均律第一巻の二十四番のフーガのテーマはそのままです。配分法とか誰かに習った気がします。
面白い音の響きの追及と、簡単に考えても良いようで、柴田さんや入野さんは、太田黒さんの楽譜を分析して、せりーをどのように使われているかを突き止めて行ったようです。きちんとそのまま使われているようでは無くて、そういう結論になったようです。
シェーベンベルクのピアノ曲を美しいと思った事は、井上直幸さんのレコードでした。でもその後に出たのかその頃だったのか?ポリーニの演奏が抜群に素晴らしかったです。ワルツや、作品25の組曲では、古典組曲が再現されていて、ガボットやジーグなどが、そのように鳴っていました。音も美しくて、音楽評論家の野村光一さんが、「僕はこの曲を聴いて初めて美しいと思った。」と仰っていました。FMでの座談会で、大木正興さんが司会をしていましたが、その他の方々も仰け反っていました。確かにそうだったのでしょう。
ポリーニの演奏と比べたら、ローゼン先生の演奏は、酷い物ですね。音は間違っていないけれど、何拍子かとか、テンポの保持とか、全く音楽的ではないです。指の都合で、弾いていると言う感じがします。
シュトックハウゼンやクセナキス、ブーレーズの、途轍もなく技術的に難しいピアノ曲を弾くのなら、取り敢えず音にするだけでも大変です。ジョン・ケージなども、どう弾いたら良いのか、見当も付かない物だらけです。でも、それらの音楽とは、シェーンベルクの音楽は違っていて、グールドのように快の感覚で捉える事が可能です。
クセナキスのヘルマは、確かに素晴らしい音楽だけど、メロディーと伴奏、何拍子とか、全く関係のない所に来ています。そういう物と、近い物と思っておられたのでは・・・?
- 2017-01-29:コタロー
- ハンガリー舞曲の全曲録音とは珍しいですね。それだけでも資料的価値は十分です。
シュミット=イッセルシュテットの指揮は、いたずらにジプシー色を強調しない上品な演奏です。
ちなみに、ハンガリー舞曲集はもともとピアノ連弾用に書かれたものです。それを様々な作曲家が全曲をオーケストラ曲にアレンジし、そちらの方が広く取り上げられることになりました。なお、第1番、第3番、第10番はブラームス自身が、第17番から第21番はドヴォルザークがアレンジしています。
そのドヴォルザークはこの曲を下敷きにして、「スラヴ舞曲集」全16曲を作曲しました。こちらはドヴォルザークの創作であり、作品番号も付与されています。「スラヴ舞曲集」の方は全曲録音に恵まれていますね。
- 2017-01-29:koinu
- 久しぶりに57年版を聞きました。録音に奥行きが感じられないのは残念ですが、演奏としては、大変すばらしいと思いました。
ステレオ版よりも、集中力とみずみずしさがみなぎり、セルの一番充実していた演奏と思いました。
- 2017-01-29:カンソウ人
- 前奏曲の冒頭の付点音符に対しての違和感があるんです。この曲は、フーガ的に書かれていて、ほぼ2声だけど、部分的には3声で、聴感的には3声です。譜面割りは、8分の6拍子で、聴感的には、2拍子にせねばなりません。
最初の音符は弱拍です。こういう事は、ピアノで演奏した方が、明確になります。対位法の綾に関しては、チェンバロの方が良いのですが、モダンチェンバロでは不十分です。スコット・ロスの演奏の事を出されていたのに、その師匠筋である、グスタフ・レオンハルトのことを避けるように書かれているように思います。
あの演奏法ならば、チェンバロで、パートの弾き分けがきちんと聴こえ、リズムの違和感もない。音色、テンポは、変えないのが原則なのですが、その分音のつなぎ方離し方は、大切です。一つのフレーズの中では、遅い早いがあるのです。右手左手で、異なるフレーズを演奏しているので、縦割りはずれる。いや、ずれなければならないのです。3声なら、複雑になる。その中で、全体は、同じテンポに聴こえるように演奏するわけです。
カークパトリック先生の演奏は、新古典主義と呼ばれる人たちの演奏そのものです。ロマンティックな恣意的な楽譜の読み方を止めて、作曲家がどんな音譜を書いたのかに戻ろうとした訳で、師匠筋のランドフスカのロマン的な表情とは異なります。時代様式なので、本人の責任ではなく、その次の世代の、楽譜から離れて、もちろん自分の恣意的な感情とも離れて、作曲家が要求する音楽、書かれた時代の音楽に対して忠実に音にする態度とは異なります。
スコット・ロスは、新古典主義の次の音楽です。その間には、1970年代の価値観の転換があって、ビートルズの存在が、音楽ではクラシック・ポピュラーなどを越えて、最も大きい存在です。グールドは、その時代様式に存在していると思います。伝統から一度離れて、自由になりたい。彼はそう叫んでいます。ビートルズの反戦なども、厭戦かもしれないけれど、共通な物を感じます。
グールドは作曲家に合わせて、連続でない事をしています。バッハ、モーツアルト、現近代の物と、すべて異なる態度で・・・深入りしません。彼には反戦的な態度はありませんが、伝統からの自由さ。しかし、彼の自閉症の事もあり、一見すると違和感があるけれど、この人には、そう弾かれねばならなかった理由がある。と言う面もあり、複雑化します。
カークパトリックは、そうするしかなかったのです。音楽の力もあり、技術的にも高くて、人間的にもまともです。ただ、1970年代の、価値の転換を受け止める時間も力も無かった訳で、そこが自分には物足らない。カラヤンは受け止めて、演奏様式を変えています。物足らないと感じない人もいます。
冒頭、譜面割り楽典的には付点リズムなので、3:1で演奏すべきなのですが、最初の音を少し長くして、4:1に近い位で演奏した方が、ピアノで言うとアクセントを付けたような効果がでます。何拍めかを意識して、強弱を出すことを工夫しないと、チェンバロではリズムが面白くないのです。六連音符的な、曲の中で大半を占めるフレーズと特徴的な付点音符のモチーフには、縦割りではズレが生じるのです。譜面とは異なりますが、音楽はその事を要求しています。グールドは、チェンバロでやっても難しい事を、ピアノの能力を制限して、チェンバロ的な響きを作り出しています。彼はその事を、オートマで運転すれば楽な事を、ミッションでやっている。そんな言い方をしています。そのスタイルにも、今や、聴き手が慣れました。1955年のゴールドベルクが出た時には、日本の偉いピアノの先生方は、避難轟轟で、貶しまくりでした。吉田秀和さんは、色んな人にLPを配る羽目になったそうです。10枚以上も・・・。恐らく、桐朋の偉い先生方に。芸大の楽理科で学んでいた先生方は、このピアニストは古い文献をよく読んでいますね。そう思ったようです。
レオンハルトの演奏は、今聴くと面白くなくて、彼の方法論でもっと面白い演奏をしている人は沢山いるのです。スコット・ロスもそうです。レオンハルトの演奏は、技術的にも高いのですが、何となく硬質で、研究して組み立てた理論に忠実過ぎる感じがあります。彼は、高速道路を作った訳です。1970年代の価値の転換を受け止める事は、音楽史上の非常に大きな事であり、ルネサンスとバロックの境目、バロックと古典派の境目に匹敵します。古典派からロマン派の境目の方が小さい位だと思います。
第二次世界大戦の終結が、音楽面で成果として表面化したのだと、言い換える事も出来ます。大量殺戮兵器の登場。国家総力戦。その後の東西の冷戦構造。それらを芸術は予言し、本質を芸術家の意志とは関係なく、表現してしまいます。
あの、付点音符に対する、感想と言うのか物足りなさを言葉にすると、こうなるのでしょうか。
非論理的に見えるへ理屈をお許し下さい。
- 2017-01-27:コタロー
- カール・リヒターというとバッハの演奏のイメージが強くて、ヘンデルの作品の演奏に接する機会はあまりないですね。その意味で、今回オルガン協奏曲をアップしていただいたことは、大変貴重でありがたいと思います。
リヒターの演奏は真摯な姿勢が貫かれていてなかなか良いと感じました。
余談ですが、この「オルガン協奏曲第6番」はヘンデル自身の手でハープ協奏曲に改作されており、リリー・ラスキーヌがパイヤールと共演した雅(みやび)な演奏があります。
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[2024-11-28]
ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調「鳥」, Op.33, No.3,Hob.3:39(Haydn:String Quartet No.32 in C major "Bird", Op.33, No.3, Hob.3:39)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1931年12月1日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 1, 1931)
[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
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ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)