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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 実存に迫る名演。というか、最初期に聴いたのがこの演奏。中学にあった鑑賞用レコードのプロハスカ=ウィーン国立歌劇場管弦楽団も悪くなかったが、やはりリヒターのキレのよさが私を魅了した。いろんな意味で「斬新」なのである。このサイトで取り上げられている他の演奏と比べてみればそれははっきりしていて、第1楽章を極力インテンポで進めていくのは、カザルスと対照的だろう。戦前のメンゲルベルク(野村あらゑびすの推奨盤。ネットに転がっている)や戦後でもシューリヒトがそうであったように、序曲は遅めにしたくなるもので、カザルスでも遅い。全体の鳴らし方も小ぶりのオケでニコレの鋭く清潔なフルートがうまく浮き出てくる。おなじDG系列でもカラヤンが名手ピヒト=アクセンフェルトを得ながら、うるさく響かせて、大オーケストラで押してくるのとは正反対。
- 2018-07-14:north fox
- フェラスらしい美音で伸びやかな演奏ですね。ただ、バルビゼのピアノはフェラスに主役を譲って”伴奏”に徹していますが、"sonata for violin and piano"らしく、ピアノが出るべきところはもっと出てもよいのではないかと。
ユング氏の仰る「まがう事なき「若者」の音楽」という言葉で、まだ20代のベートーヴェンの作品であり、同じくまだ20代だったフェラスの演奏であったことを改めて認識しました。「春」にふさわしい佳い作品であり演奏だと思います。オイストラフはじめ多くの録音がありますが、この盤が私の中では one of bests になりました。
- 2018-07-12:藤原正樹
- 暑いですねえ。で、ブランデンブルクの2番です。どんな時代物かと思いきや、モダン・バロックの覇気ある演奏。前へ前へと音楽は進みます。通奏低音もピアノではなくチェンバロ。つまり、合奏協奏曲の古い形式のものはチェンバロで、近代的な独創協奏曲に近い(と判断した)ものはピアノでというのがカザルスの二回目の録音での方針らしい。それはさておき、朝からぱちーーっと目があいている人がいますね。大体高血圧気味。朝方だという。それですよ。しゃっきりしていて、寝坊助にとってみれば「やだよ。朝っぱらからうるさいねえ」となるンですが、もうこのころの年齢を考えれば、奇跡的じゃないですか。年取って遅くなる人が多いのですから。
- 2018-07-06:せいの
- この曲の定番ともいえる音源のアップロードありがとうございます。
モーツアルトの作品の中でも典雅なことこの上ないこの作品を朗々と歌い上げるランパルの何と素晴らしいことでしょう。二楽章など、ランパルの「唄」によってなんとふくよかに響くことでしょうか。難しいことは横に置いて、この典雅な美しさを楽しみましょう、といったところですね。
K番号200番台以前の作品には300番台以降のような陰影が感じられないので、なんとなく底が浅いと感じていたのですが、ここまで朗々と楽しげに歌い上げられるとそんなものはどうでもよくなってしまいます。
- 2018-07-05:ヴィターリ・DE・グッターリ
- そのドボルザークの9番が家にありました。ベートーベン交響曲第7番オッテルロー指揮ウイーン祝祭管弦楽団だったかはステレオ感は良かったのですが曲が始まる前に残響が鳴ってる様な音入りで子供なりに気にしながら聴きました。手の届きやすい価格でまずは色々揃えたい父の苦渋の選択?だったのかも。コンサートホールソサイエティやチューリッヒトーンハレ、懐かしい響きです。いつもありがとうございます。
- 2018-07-03:藤原正樹
- 今、猛烈な暑さです。こういうときにはバッハのこの手の作品がひんやりしていい。マルケヴィッチはたしか管弦楽法の教科書を書いていたはずで、だからこの編曲もフルート以外の管楽器が入ってくると俄然、生命力を帯びてきますね(ゲテモノなんて言うなかれ、です)。トリオ・ソナタの部分は、一転して「モダン・バロック」ふう。最後の2曲の位置についてはリヒターでこの曲を知った人間としては疑問なしとしませんが・・・。
- 2018-07-01:原 響平
- バルビローリの指揮スタイルが晩年のワルターのそれと似ていると確信した演奏。常に重低音の豊かな響きの上に高音部を重ね、ゆっくりとしたテンポで曲を進める。トスカニーニやカラヤンがハイスピードで威圧的で男性的な演奏スタイルと表現するなら、バルビローリやワルターの演奏スタイルは徹底的に女性的だ。女性の中でもどんな事でも赦してくれる母親の様だ。北欧音楽のシベリウスを美しい音色で表現した演奏の最右翼。欲を言えば最終楽章は燃え上がる様な演奏スタイルを望みたいが、コーダを抑制を効かせた演奏は巨匠の成せる技。ロイヤルフィルとの録音の終楽章のコーダは金管の強奏で聴く者を感動させるが、どちらを選ぶかは難しい。
- 2018-06-27:Guinness
- 何度聴いても飽きない素晴らしい演奏だと思います。個人的にはロイヤルフィルを振った1961年盤の方も捨てがたいです。
- 2018-06-27:猫田憶良
- 人を鼓舞する演奏だと思います。
- 2018-06-19:Sammy
- ヴォーン・ウィリアムズ初の叙事的な題のない交響曲にふさわしく、動機をしっかり対位法的に組み合わせた堂々たる純音楽的な作品であり、かつ時代の不安や作曲家の積極的な表現意欲を感じさせるアピールの強い曲になっていて、とても聴きごたえがあると思います。3番までの「素敵な曲」からいきなり程遠いものではありますが、その点もまたかえって、作曲家が過去の成果に甘んじず、ここで新しい勝負に挑んで、見事に成果を上げた様子が伝わってきます。ここでの演奏もやや粗さを感じさせつつも、堂々と展開していてよいと思いました。
- 2018-06-19:Sammy
- ヴォーン・ウィリアムズ「らしい」イギリス的な風情もありつつ、あえて言えばR・シュトラウスの「アルプス交響曲」を何というかいわばショスタコーヴィッチ風にしたような「冷涼な劇性」というようなものを感じさせます。主題が比較的明確なこともあり、20世紀的な響きに慣れていれば、とても聴きやすい魅力的な作品だと思います。
映画音楽に基づきつつ、それを「劇音楽集」ではなく、あえて「交響曲」にする、という文脈の中で、なお朗読が各楽章につけられている、ということも興味深いです。音楽と文学には様々の相関関係があったわけですが、ヴォーン・ウィリアムズの文学とのかかわりは幾分独特のものを感じさせ、興味深いです。とはいえ、その辺りは、彼の合唱作品をはじめとしたほかの作品や、伝記的事象と合わせてさらに考えるべきことなのでしょう。
全集の中でもこの曲の録音はかなり鮮明で、モノラルながらかなり聴きやすいです。映画音楽に基づく劇的で鮮やかなこの曲の演奏の録音に望まれる水準に、十分達しているといえると思います。この音質で、この優れた堂々たる名演奏を聴けるのは、とてもありがたいです。
- 2018-06-08:Sammy
- オラトリオ的な「海の交響曲」、印象派的な交響詩ともいうべき「ロンドン交響曲」「田園交響曲」に続く3曲(4-6番)は、明暗の違いはありながらも、いずれも動機の巧みな積み上げと明瞭な構成によって、言ってみれば20世紀においてなお交響曲にこだわったこの作曲家の9曲の中でも、特に純粋に交響曲らしい世界の追求であった、ということができると思います(マーラーの5-7番に例える人もいるようです)。
そしてその3作の最後を飾る6番。時にマーラーヤショスタコヴィチ、オネゲルなどを思わせる暗く燃え上がるような力強さと自在な展開、そして最終楽章で、巧みな対位法によってクライマックスを築こうとしつつ、結局高揚できないまま消えていく印象的な音楽。私は、この作品は作曲者がこだわりの分野である交響曲において、その充実した時代に精力を注ぎ尽した力作であり、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲への取り組みにおけるある意味でクライマックスをなしている、という印象を受けました。癒し系というべき5番とは全く対照的な暗く尖ったこの作品が、初演時に高評価であったというのも、作品にみなぎる意欲的な表現の横溢の故かとも思うのです。
この作品は、1ー3,5,7,8番のようには聴きやすくないとは思います。でも、繰り返し聴くほどに、ひとりの音楽家の充実、しかも難しい時代においてなお輝く才能の力強い充実を実感します。この演奏は交響曲全集の中でも音揺れやかすれも少なく、作品のダイナミクスと対位法的な巧みさが生々しく伝わってきます。
- 2018-06-06:Joshua
- 晩年にバルシャイが読響でモーツァルトを振ったCDをご存知の方も多いと思います。
こんなに、シャープじゃないですよね。
読響が下手だとは思いませんし、山岡重信が振った読響の同曲もなかなかのできだと大昔、思ったもの。
70年代です。バルシャイは晩年には好々爺になったとしか思えない。
あるいは、モスクワのビルトゥオーゾたちに焚き付けられたんでしょう
- 2018-06-02:joshua
- コーガンは佐藤陽子の師匠、オーケストラがやって来た、で山本直純が紹介していたのは、遥か昔のこと。エフエムでは、バッハのホ長調協奏曲で出会いました。
切れ味の良いのは、ハイフェッツと似ているようで違います。クレーメルほど血の気は失せていない。5番以外にも録音してるんでしょうか?
- 2018-05-31:Sammy
- 民謡を生かした抒情的、牧歌的な作品を書き連ねてきたヴォーン・ウィリアムズはやがて、4番交響曲にあらわれているように、和声的にもリズム的にも、より意欲的に暗く厳しい世界を追求していくようになっていくのですが、5番はそうした中で、驚くほど堂々たる抒情的で高貴な交響曲となっています。
どこか音楽芸術の根本となるようなものを今一度しっかり確認するような作品を提示することで、初めて彼は、6番以降の作品にみられるような世界へと遠慮なく踏み込んでいけたのかもしれない―私を魅了してやまないこの作品を繰り返し聴きながら、また彼の交響曲全体を通して聴きながら、そういう印象がだんだんと強くなってきました。ニールセンの「不滅」ではありませんが、どうしても滅ぼしてはならないもの、それを決してゆるがせにしない、そうであって初めて前衛なりなんなりに向かっていける(というほどヴォーン・ウィリアムズはラディカルにはなりませんでしたが)、と思ったのではないか。
この作品が第二次大戦のさなかに書かれた、というタイミングを私が知ってしまっているが故の妄想かもしれませんが、この演奏を聴きながら、改めて、この作品は、この時に、新たに進めつつあったプロジェクトを脇においてでも、どうしても書いておかなければならなかったものなのではないか、と思ってしまうのです。そういう意味でも、人間の芸術性を支える根幹となるものを全力で肯定しようとするような、この戦争の時代の人々の中に渦巻いていたであろう切実な思いを、ある意味でこの上なく美しく代弁する傑作なのだ、と思わずにおれません。
第3楽章の切々たる祈り、そして第4楽章の輝かしい高揚を聴きながら、そもそも人間にとってかけがえのないものとは何だろう、と問われているように感じるのです。人気がいま一つな彼の作品ではあっても、せめてこの曲だけは、本当に多くの人に聴いてほしい、と願ってしまいます。そしてこの録音の音質は古い感じで少し残念なのですが、作品の美しい姿をまっすぐに集中力高くとらえた素晴らしい演奏だと思います。生前にこのような素晴らしい解釈者に恵まれたヴォーン・ウィリアムズは、その点ではとても幸いな作曲家だったのだろう、とも改めて思います。
- 2018-05-30:Sammy
- 「ロンドン交響曲」は、牧歌的、民族的、抒情的な、「ヴォーン・ウィリアムズ」と言った時のイメージを全く裏切らない、名刺代わりともいうべき傑作のひとつと思います。息の長いしみじみとしたメロディと、少々俗っぽくとも生き生きした舞曲が、巧みな構成の中で生き生きと交錯し、とても聴きやすい作品に仕上がっていると思います。
演奏の方は、録音の古さゆえか、時々音揺れやかすれが強くなったり、クライマックスで音が膨らみ切らないのが残念ですが、それでも「公理系」と呼ばれるにふさわしい集中力高く堂々たるこの演奏の特徴は、十分聞き取れたように感じました。
- 2018-05-29:Sammy
- yungさんが書かれている通り、そのシンプルで印象派風の音楽は田園交響曲を思わせるところもあります。
とはいえ、4番交響曲以降の実験と遍歴の後に「戻ってきた」この場所には、やはり以前とは異なる陰影と多彩さ、そして鮮やかな軽妙さを巧みに織り交ぜながら。行き過ぎてしまうことのない、どこかこなれたバランス感覚と進行に、円熟を感じます。そしてその円熟の中から、じわっと安らぎと悲しみがにじみだしてくる。
個人的には「8番と似ている」と言われても、ずっと素直でまっすぐ抒情的な田園交響曲の方に惹かれ、感動する自分を発見します。前に進んでいく「現役」感の強い7番までの交響曲と比べて、8番はどこか悠々自適の手すさびの作品といった風情を感じます。でも、それもまたどこかしみじみと味があっていいのです。そして「現役全開」の時にはありえない飄々とした世界もまた、それはそれ固有の良さがある、と思うのです。
- 2018-05-27:yk
- バルシャイ/モスクワ室内管弦楽団…懐かしいですね。当時も、古典をこれほどシャープで切れ味よく演奏する…というスタイルはとても新鮮でした。・・・にも拘らず、私も当時以降長く聞いてこなかった演奏です。吉田氏があからさまに否定的であったことは知りませんでしたが、今回久しぶりにここで聴かせていただいて、今さらながら色々考えさせられますね。
少なくとも、今も古さを感じさせない新鮮さがあることを改めて感じるのと同時に、今後私のモーツアルトの40番のスタンダード演奏に入れよう、とは今も思わないところがあります(今後二度と聴きたくない、と言う意味ではありませんが・・・)。
音楽演奏の評価も”演奏史”の文脈の中で考える必要がある・・・・と言う事には同意しますが、その意味でいうと、バルシャイの演奏はこの時代に突然変異的に現れたというよりも、1920-30年代のソヴィエト・アバン・ギャルド運動などを水脈とする(ある意味での)伝統の上に現れた演奏と言う気がします。
演奏史の文脈で考えると、そう言った古典と(ほぼ百年前の)アバン・ギャルド(前衛)という伝統の組み合わせが、返ってこの演奏の一意的な評価を難しくしてしまうところがあるようにも思います。
- 2018-05-23:やんま
- ベームの実務者の件、興味深く拝読させていただきました。
昔いづれかの記事でウィーンフィルのメンバーが、衰えたベームに関し「ウチかベルリン・フィルで無いと全くダメだ。」といっていたと読んだことが思い出されます。
ベームが指示しきれない細部を「忖度」でカバーできるオーケストラの力量たるや、後年のウィーンとのモーツァルトなどの録音を聞くと驚嘆ですね。
ケルン放送響あたりはダメな領域でしょうか・・・。
- 2018-05-20:ほんのむし
- グールド、ゴルシュマンという組み合わせといえば、ベートーヴェンの協奏曲1番でも、すごくおもしろかったという印象があります。ゴルシュマンはやや平板な感じもしましたが、ベートーベンの若さと率直さを表現するには、逆によくて、そこにグールドのピアニズムが映えて、実は同曲の演奏でも、いつまでも忘れられない演奏でした。グールドは、ローズとやったヴィオラダガンバ・ソナタでも奇想天外の感じがありました。ちょっと想像できないおもしろさですね。
- 2018-05-17:たつほこ
- 色合いの美しいオーケストラで、テヌート多用の歌い方は曲調にあっている。昔、シカゴ響とのドボルザークの9番のレコードを聴いた時の色合いを思い出した。
- 2018-05-11:bb8
- 歴史的名演ですね
これを聴いてヴァイオリンを始めたくなりました
- 2018-05-02:shumari
- クラシック音楽に親しみ始めて50数年、いまだに聴き通すことに努力を要するのがブルックナーとマーラーです。しかしマーラーの4番はこのサイトのおかげで古典的にすっきりとしたクレンペラーの指揮で聴けるようになり、その後間口を広げるべく努力中です。このセル盤もマーラーのスタンダードな演奏とはかなり異なりますが、私には好ましく聴くことができます。
潔癖症で整理整頓好きなセルが、その対極ともいうべきマーラーの曲を荒療治してくれたことに感謝。ついでにブルックナーの過剰な”荘重さ”をすっきりさせた演奏を残してくれたら嬉しかったのですが。
- 2018-05-02:やもり
- 良かったです。
「厳しい」演奏というのがどんなものかと恐れていましたが、わりと私にはすんなり入りました。アルバンベルク、ケラー、エマーソン、ハンガリーと、それなりに聴いてきたからでしょうか。
具体的には、「すべての音を明確に完全に鳴らすと、どうなるか?」という実験を試みた演奏、との印象です。「こんな音も鳴っていたのか」と随所で感じました。このようなスタイルは、バルトークによく合っている気がします。とはいえ、「楽譜に忠実なだけ」でなく、細かい緩急強弱も付けているようで、なるほど「名演」に恥じない演奏だ、と感じ入りました。
ご指摘のアルバンベルクは、古典派、ロマン派の耳に馴染みやすいように、美しさを追求した演奏のように感じます。
私のお気に入りはエマーソンで、私の中では「ホロヴィッツの弦楽四重奏版」です。
そして今回のジュリアードは、エマーソンに負けない強烈な印象でした。
ありがとうございました。
- 2018-05-01:yk
- 1番の録音に纏わる逸話については「ブルーノ・ワルター」(E. ライディング、R. ペチェフスキー著、高橋宣也訳、音楽の友社、2015、p.571)にもありました。ソレによると、実際コロンビアはワルターとバーンスタインの録音を(場合によっては同時並行ででも)行う計画を持っていたようです。しかし、計画を担当していたS. チェイピンがワルターの録音をバーンスタインに聞かせたところ、彼は「何と言う事だ、これは信じられない!私の話しは忘れてくれ。サイクルの最後にやることにしよう。この曲を今録音しようなどとはとても考えられない。これは彼のものなのだ!」と言って、納得して録音を先送りにしたのだそうです。マーラーの録音がまだそれほど一般的ではなった当時、この先延ばしによるカタログ重複の回避はレーベルにとっても有りがたかったでのしょう。
<管理人の追記>
なるほど、そんな話があったのですか。貴重な情報ありがとうございます。
- 2018-04-28:アレックス103
- ティンパニの音がとても気持ちよく、いい音程で録音されていて、70年代の同演奏よりもこちらが好みです。
- 2018-04-23:Joshua
- これは美しい!
ホルン吹きでなかっても、そう思うはず。
決め込んですいませんが、緩急緩急の教会式とかいう4楽章形式、というのは私には鑑賞に影響なくウィーンのホルンのハイトーンが美しい
同時期のベルリンにはザイフェルト、コンセルトヘボウにはウデンベルク、がいたけども違う曲で本領を示す音色だったのです。
大西洋を渡ったマックス・ゴバーマンの見識があったのでしょうか
- 2018-04-22:べんじー
- 下品サイコー!
カラヤンってこの手の曲を振ったら、無類のエンターテナーぶりを発揮しますね。彼がいかに自己演出して神秘のベールをまとったカリスマ的芸術家として振舞っても、音盤はけして嘘を付かない。これこそカラヤン最大の音楽遺産の一つではないでしょうか?
磨かれすぎて流麗なる音楽マシン然とした後年に比べ、この頃のベルリンフィルの音は惚れ惚れして嘆息させられる響きです。最高の耳のご馳走を楽しめました!!
- 2018-04-22:藤崎 達也
- いつも利用させていただいて、大変感謝しています。
吉田秀和氏が書かれた文章は、以下の通りです。
「しかし、チャイコフスキーとなると、私は好きでなくとも、敬意を払う。彼には、表現すべき内容があったし、それを過不足なく表わすすぐれた技術的手腕とのバランスも、きっちりとれていた。」と評価したうえで、「遠慮のないところ、私自身は、今後チャイコフスキーを一生きかなくとも、あんまり困ることもないだろうと思っているけれど、彼がグリークとかリムスキー=コルサコフとかの民族主義的ロマン派の水準をぬいた芸術家であることは、心得ている。それに同じように管弦楽法の大家だといっても、チャイコフスキーのは、単に色彩としてだけでなく、機能的にみて、はるかに充実した書法があり、弦と木管、金管との間の和声や旋律の配分の仕方には、独創性がある。」
- 2018-04-17:北垣郁雄
- わずか30数歳で亡くなった、ほんとうに惜しいピアニストだと思います。ショパンの3番に限らず、完璧なテクニック(ミスタッチも皆無、あたりまえかもしれませんが)。ピアニッシモからフォルテッシモに至るまでのダイナミックスは正に圧巻。バリバリバリッという張りのある音を聞かせる一方で、「歌う」べきところは、徹底的に「歌う」、特に第1楽章の第2主題など。そのリズム感のよさには、何回聞いても飽きがこないのです。彼は、ペダリングが控えめであるというのも一つの特徴と思われます。この一曲だけで、世界的な大ピアニストであることが窺われます。少ないレコーディング数とは思いますが、ショパンの3番をよく遺してくれた、と感謝したい気持です。
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[2024-11-28]
ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調「鳥」, Op.33, No.3,Hob.3:39(Haydn:String Quartet No.32 in C major "Bird", Op.33, No.3, Hob.3:39)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1931年12月1日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on December 1, 1931)
[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)