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ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」

(P)エミール・ギレリス レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音



Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [1.Allegro]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [2.Adagio un poco mosso]

Beethoven:Piano Concerto No.5 in E flat Op.73 "Emperor" [3.Rondo. Allegro]


演奏者の即興によるカデンツァは不必要

ピアノ協奏曲というジャンルはベートーベンにとってあまりやる気の出る仕事ではなかったようです。ピアノソナタが彼の作曲家人生のすべての時期にわたって創作されているのに、協奏曲は初期から中期に至る時期に限られています。
第5番の、通称「皇帝」と呼ばれるこのピアノコンチェルトがこの分野における最後の仕事となっています。

それはコンチェルトという形式が持っている制約のためでしょうか。
これはあちこちで書いていますので、ここでもまた繰り返すのは気が引けるのですが、やはり書いておきます。(^^;

いつの時代にあっても、コンチェルトというのはソリストの名人芸披露のための道具であるという事実からは抜け出せません。つまり、ソリストがひきたつように書かれていることが大前提であり、何よりも外面的な効果が重視されます。
ベートーベンもピアニストでもあったわけですから、ウィーンで売り出していくためには自分のためにいくつかのコンチェルトを創作する必要がありました。

しかし、上で述べたような制約は、何よりも音楽の内面性を重視するベートーベンにとっては決して気の進む仕事でなかったことは容易に想像できます。
そのため、華麗な名人芸や華やかな雰囲気を保ちながらも、真面目に音楽を聴こうとする人の耳にも耐えられるような作品を書こうと試みました。(おそらく最も厳しい聞き手はベートーベン自身であったはずです。)
その意味では、晩年のモーツァルトが挑んだコンチェルトの世界を最も正当な形で継承した人物だといえます。
実際、モーツァルトからベートーベンへと引き継がれた仕事によって、協奏曲というジャンルはその夜限りのなぐさみものの音楽から、まじめに聞くに値する音楽形式へと引き上げられたのです。

ベートーベンのそうのような努力は、この第5番の協奏曲において「演奏者の即興によるカデンツァは不必要」という域にまで達します。

自分の意図した音楽の流れを演奏者の気まぐれで壊されたくないと言う思いから、第1番のコンチェルトからカデンツァはベートーベン自身の手で書かれていました。しかし、それを使うかどうかは演奏者にゆだねられていました。自らがカデンツァを書いて、それを使う、使わないは演奏者にゆだねると言っても、ほとんどはベートーベン自身が演奏するのですから問題はなかったのでしょう。
しかし、聴力の衰えから、第5番を創作したときは自らが公開の場で演奏することは不可能になっていました。
自らが演奏することが不可能となると、やはり演奏者の恣意的判断にゆだねることには躊躇があったのでしょう。

しかし、その様な決断は、コンチェルトが名人芸の披露の場であったことを考えると画期的な事だったといえます。

そして、これを最後にベートーベンは新しい協奏曲を完成させることはありませんでした。聴力が衰え、ピアニストとして活躍することが不可能となっていたベートーベンにとってこの分野の仕事は自分にとってはもはや必要のない仕事になったと言うことです。
そして、そうなるとこのジャンルは気の進む仕事ではなかったようで、その後も何人かのピアノストから依頼はあったようですが完成はさせていません。

ベートーベンにとってソナタこそがピアノに最も相応しい言葉だったようです 。


一人の演奏家の変化を辿るというのも「また面白からずや」

ギレリスのベートーベンのピアノ協奏曲と言えば、1968年にジョージ・セル&クリーブランド管と録音したものが思い出されます。録音クレジットを眺めていると、その全集は1968年4月29日から5月4日の間に一気に録音されたことが分かります。
セルの録音の仕方は常に同じで、一つの楽章を切れ目なく2度演奏し、それだけでは不都合だと感じた部分があればピンポイントで録音を仕直すというものでした。間違っても、音楽を細切れに録音して、そのパーツを後から継ぎ接ぎするというようなやり方は「忌まわしい行為」として断固拒否していました。
ですから、このギレリスとの録音でも4月29日から5月4日までの6日間をフルに使うのではなく、わずか4回のセッションで仕上げたものでした。
結果として、長い時間をかけて完成される全集とは異なって統一感のある演奏となり、さらには完璧に演奏されたライブのような音楽が実現したのです。

ただし、残念ながら、この全集録音はパブリック・ドメインになる寸前に私たちの手からスルリとこぼれ落ちてしまいました。
そこで、私たちがパブリック・ドメインとして享受できるギレリスの録音は以下のような、いささか中途半端なものです。録音順に並べると以下のようになります。


  1. ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37:アンドレ・クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団 1954年3月9日~10日録音

  2. ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58:レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音

  3. ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 「皇帝」:レオポルト・ルートヴィヒ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1957年4月30日~5月1日録音

  4. ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品19:アンドレ・ヴァンデルノート指揮 パリ音楽院管弦楽団 1957年6月1日~2日録音

  5. ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15:アンドレ・ヴァンデルノート指揮 パリ音楽院管弦楽団 1957年6月19日~20日録音



これ以外にも、ザンデルリンク&レニングラード・フィルとのコンビで全集録音があるようなのですがライブ録音をまとめたものらしいので、取りあえずは除外しておいていいでしょう。
それにしても、何とも言えず中途半端な録音です。

おそらく、クリュイタンスと第3番を録音したときはそれが全集になる事は意識していなかったでしょう。
とにかくは、鉄のカーテンの向こうから登場した凄腕のピアニストの演奏を「売れ筋」の作品で録音したかったのでしょう。聞くところによると、ギレリスはソ連の演奏家として、西側での演奏と録音が許された一番最初の人だったそうです。
しかしながら、1957年の4月と6月に残りの4曲を一気に録音したときには間違いなく「全集」として完成させることが目的だったはずです。にもかかわらず、4月に4番と5番をレオポルト・ルートヴィヒ&フィルハーモニア管弦楽団で録音し、6月に1番と2番をヴァンデルノート&パリ音楽院管弦楽団で録音したというのは解しかねる話です。

68年にセルとのコンビで録音した全集が強い統一感のもとに作られたものだとすれば、このEMIによる録音にはなんの統一感も感じられない代物です。
好意的に想像をめぐらせれば、ギレリスの日程を抑えることが出来たときには使える指揮者とオケが限られていたと言うことも考えられます。
そう言えば、グールドの全集も随分と統一感のない組み合わせになってしまっているのですが、あれはグールド自身が指揮者とトラブルを起こしてしまった結果でした。ギレリスという人はその様なグールド的な生き方とは全く縁のない人でしたから、この統一感のなさは全てレーベル側の責任と言うことになります。
しかしながら、セルとの優れた全集があるのだから、今さらこのような統一感に欠ける古い全集なんて意味がないかというと、それもまた、そうとは言いきれない面もあるのです。

何故ならば、その様な統一感に欠けるという背景は必ずしも全てがマイナスとはならないからです。
どういう事かと言えば、セルとの録音ではあの恐い指揮者の影響をもろに受けざるを得なかったのに対して、こちらの方では手堅く伴奏をつける事に徹した指揮者なので、ギレリス自身はかなりやりたいように演奏できたというメリットがあったようなのです。
そして、ギレリスと言えば常に「豪腕」とか「鉄腕」などと言う形容詞がつくのですが、そう言う形容詞がつく根拠となったのがこの時期の録音だったのかな気づかされるのです。

セルとの録音では極めて精緻で、とりわけ弱音部の繊細さを大切にした演奏だったので、これの何処が「豪腕」なんだ、何処に耳がついているんだ、などと思ってしまったものでした。
それと比べれば、ここでのギレリスははるかに硬くて、さらにはオケもまた硬いのです。とりわけ、レオポルト・ルートヴィヒとフィルハーモニア管はかなり硬いのです。ですから、第5番のアダージョ楽章のような幻想性に溢れた音楽にあっても、硬く引き締まった表情を失うことはないのです。
ただし、そう書くとヴァンデルノートは緩いように聞こえるのですが、フィルハーモニア管とコンセルヴァトワールのオケとの違いを考慮に入れれば、指揮者に全ての責任を押しつけるのはいささか気の毒かも知れません。とは言え、54年に録音した3番では、同じオケを使ってクリュイタンスはもっと引き締まった音楽を作り出していますから、ヴァンデルノートがクリュイタンスの後継者と目されながら結局は後継者にはなり得なかった一端が窺えたりもします。

ギレリスのピアノは低音も分厚く響き、フォルテの部分でも完璧に鳴りきっていますから、まさに「豪腕」「鉄腕」という形容詞を奉っても何の不都合もありません。
ですから、いささか中途半端なやり方で録音された全集ではあるのですが、この古い全集とセルとの新しい全集という2点を結んでみれば、40代を中心とした10年間の間でギレリスがどのように変貌していったかが手に取るように分かるのです。
何が名演かという「一番探し」もそれなりに意味はあるのでしょうが、このようにして一人の演奏家の変化を辿るというのも「また面白からずや」なのです。

それから、いささか余談になりますが、3番以外は全てステレオ録音なのですが、「ステレオ」という新しい技術に乗り遅れた「EMI」がようやくその技術に取り組み始めたばかりのころなので、その内実は「辛うじて左右に広がっている」事が確認できるレベルに留まっています。それと比べれば、54年録音の3番はモノラルなのですが、録音的にはかなり優秀です。
この二つを聞き比べてみると、「EMI」がステレオに懐疑的だった理由が見えてくるような気がします。

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