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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2014-04-06:藤田伊織
- 私のページを紹介して下さりありがとうございます。ゴールドベルク変奏曲についても「知の音楽」というページでいろいろ書いたり、midiやmp3でお聴きできるようにしたりしています。そのなかで、グールドが、バッハ作曲・グールド演奏という一つの作品を創造しようとしたのではないか、というようなことを書きました。「ですから、ここで鳴り響いているのはバッハの音楽ではなく、バッハの楽譜を素材として再創造したグールドの音楽です。」に、まったく同感です。
さて、最近ドイツの音楽ミステリー「バッハ 死のカンタータ」セバスティアン・クナウアー著を翻訳出版しました。ついでに、その小説に出てくる「イタリア協奏曲第2番」を作りました。
http://www.geocities.jp/imyfujita/italianconcerto2/index.html
ここに音源と楽譜があります。
- 2014-04-06:原 響平
- 数ある名演奏の内で、特に玄人好みの演奏が、このライナーの演奏だ。カラヤンの様な煌めくような響きは何処にもないが、一音一音に確かな意味を与えて音楽を完成させていく様は、まさしく巨匠のなせる技である。音楽の喜びは、文学や絵画を見た時の感動以上に、作曲家、演奏者、そして聴くものを深く結びつける。ライナーの潔癖症は、作曲家のイメージした曲を忠実に再現するためには、どうしても必要な条件であったに違いないが、それはこの演奏にも深く浸透している。時には冷血漢呼ばわりされても、物怖じしない、作品に対自するその姿勢は、セル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトと同じ遺伝子を感じるが、オーケストラコントロールではライナーがその中でも最右翼に君臨する。特にティンパニーの処理、そしてトランペットの強奏する姿は、あたかも目の前で演奏しているかの様な・・・・シカゴ交響楽団は本当に上手い。
- 2014-03-26:nakamoto
- 吉田秀和がベートーヴェン交響曲全集のイチオシとして、セル・クリーヴランドを挙げていました。ベートーヴェンの交響曲自体、私は回数をあまり聴きません。大切な存在故です。年にせいぜい1回か2回づつぐらいです。だから、セルについてもそんなに何回も聴いていないのですが。正直な感想を言いますと。フルトヴェングラーは、深い深い楽園へ連れて行ってくれます。ベームは天上の世界へ連れて行ってくれます。セルは、生身の生きているベートーヴェンに合わせてくれます。ベートーヴェンの偉大で完璧な力動感と構成力とを、私に示してくれます。このエロイカなんかは、曲の素晴らしさに巻き込まれて、次々と素晴らしい楽想が、私に体当りしてきてくれます。もし誰かクラシック音楽をあまり知らない人に、ベートーヴェンとは?と聞かれたら、セルとクリーヴランドの交響曲全集を聴きなさい!と言うでしょう。これほどベートヴェン自体の素晴らしさを、伝えてくれる録音は無いと思っています。
- 2014-03-25:yk
- いい演奏ですね。私も今まで聞き逃してきた演奏でした。23番は小林秀雄が引用して有名になったアンリ・ゲオンがその著作の中でも詳しく取り上げたピアノ協奏曲の秀作ですが、意外にいい(私好みの)演奏と言うのが少ない。私が今まで好んで聞いてきたのはハスキルの演奏でしたが、いかんせん録音がいけませんでした。ケンプのこの演奏は久しぶりにモーツアルトを堪能させてくれた演奏でした。・・・・・それにしても、ケンプはベートーヴェン・・と言うような先入観はまったく宜しくありませんね、反省反省反省・・・。
- 2014-03-22:カンソウ人
- この曲集は本当に難物で簡単には楽しむ形にはなりませんでした。
オープンスコアは読みこなすのも大変で、ギブアップした思い出あります。
パブリックドメインの楽譜の中に、チェルニーの校訂した物を発見して驚きました。
フーガの技法はまだ良い方で、音楽の捧げ物は、元の楽譜をリアリゼーションする力はとてもとても・・・。
中学生の頃、カールリステンパルトのレコードを安く買って、例の友達たちと回し聴き。この曲集が聴く人に何者か愉悦を与えてくれる音楽であると感じました。
3年前に輸入盤で見つけて聴き直しました。
ユーチューブでスウィングルシンガーズでコントラプンクトス9を聴いて本当に驚きました。楽しいのです。
ジャズのリズムに乗って、オクターブの飛躍から始まるテーマでフーガが軽快に開始されます。途中から、2倍に引き伸ばされた本来のテーマが出て来ます。
ジャズになっていても、バッハはバッハです。しかも、初演時のマタイ受難曲辺りのコーラスはあんな感じだったかも・・・少人数という意味で。
グールドの演奏にも、入っている曲ですね。
フーガの技法の演奏は、ピアノでもチェンバロでも弦楽四重奏でも金管合奏でもオーケストラでも可能です。古楽寄りのスタイルでも、現代的であっても、問題は無いと思います。
最も個性的な演奏は、シェルヘンやルーカス・フォスだと感じていました。
気付くと、自分の持っているCDに高橋悠治のシンセサイザーの物がありました。
音像が左右に走り回り、クルクルと回りながらフェイドアウトしたり、表現は本質的に自由ですね。
ここまでやっても、バッハの音楽は彼の物である事をやめません。しかも、高橋の演奏は、意外なほど四声体がしっかりと聞き取れます。
構造が大切にされているのだと思います。
興味は音色では無く構造。
作曲家にかなり近づいた視点から演奏したピアニストと作曲家でありながら別格にピアノの上手な人。
両者は近い所に居ると思います。
- 2014-03-19:sandayu
- ユングさん、ありがとうございます。
このサイトのおかげで中年になりクラシックに目覚めました。
フルトヴェングラーの「英雄」すばらしい演奏でした。録音も1952年とは思えない良さで、気持ちよく聴くことが出来ました。
ステレオ録音以前は音が悪いという先入観で、これまであまり聴いてきませんでしたが、考えを改めなければならないようです。ありがとうございます。
これからもずっと聴かせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
- 2014-03-16:Joshua
- 晴れた風のない日の窓を開けてYUNGさんのページを閲覧する日曜の朝、なんとしあわせなことでしょう。そして、聞きなれた「名曲」よりも、ちょっと人が知らないハイドンの105曲のなかからつまみ聴きする贅沢感。これだけのものを残してもらったヨーロッパ文化は、モーツァルトやベートーヴェンはもとより、着想の宝庫。
- 2014-03-12:nakamoto
- えーっメンゲルベルクも知らないの!!と言われそうです。私がクラシック音楽を聴き始めたのは、1977年3月2日ですから、もう37年になる事になります。その間、通学通勤の行き帰り、寝る前のわずかな時間を利用して、徹底的にクラシック音楽を聴き続けてきましたが、興味が作曲家と楽曲にあった為もあって、今日この日まで、こんな大指揮者を知らなかったなんて、少し恥ずかしい気がします。しかし音楽関係者の知人友人はいても、ユング君さんのような、精通した人物に出会わなかったので、仕方ないとも思います。1871年生まれという事は、凄いことで。このマーラーなんか、今の指揮者には真似のできない・・・言葉になりません。ピリオド楽器ならぬ、ピリオド演奏です。
- 2014-03-09:すーさん
- グールドワールド全開、大好きです。
彼のピアノを聴いているとなぜか、モーツァルトの顔がダブって見えることがよくあります。上手く言葉では表現できないのですが、理解してもらえない孤独感のようなものを、音色から感じるときがあり、モーツァルトやグールドが愛おしいです。
少し疲れ気味だった今日この頃、グールドの音色に癒され、またがんばる元気をもらえました。
- 2014-03-05:セル好き
- 私もこの録音は、よく聴きますが、とても心の安定が得られます。
地味すぎると思われる方は、カレファクス・リード・クインテットのものが良いかもしれません。Ob.Cl.ASx.Fg.BCl.という編成です。
ところで、高音と低音を一人の奏者が同時に鳴らすとこれだけずれる(低音が遅れる)のも興味深いところですね。
- 2014-03-03:フランツ
- 「英雄」に接したくなりこの演奏を聴いてみました。クレンペラーは率直に客観的に淡々と演奏しているように聴こえます。決して「重厚」「ドイツ風」とは聴こえません。何か彼についてそういう記述が多いですが実際はそうでもありません。遅めのテンポも慣れると違和感がありませんし。木管がメロディーを演奏するときもくっきりと主旋律を吹き、全体の響きがごちゃごちゃにならないのは好感をもちます。適度に風通しがよいと言えるのでしょうか。クレンペラーがそういうところに細心をはらったのでしょう。フィルハーモニー管弦楽団はもともと録音専用らしいですが、そのせいかバランスがよく、オーソドックスな響きのように思います。
- 2014-03-02:nakamoto
- この演奏も本当に楽しく、そして深いです。バッハの晩年のフーガの技法と音楽の捧げものは、とっつきにくいとよく言われていますが、私の場合、初めからすーっと入ってきて、なんとも良い心地にしてくれる、しかし文句なく深い音楽で、確かに最高の名曲のひとつだと思っています。バッハの場合、グールドでなくても充分楽しめる音楽なのですが、やはりグールドは素晴らしいです。グールドは正統派でないということも良く聴く文句ですが、私にはわかりません。バッハは多分グールドのような、主観的な演奏を自作品にしていたと、推測しているのですが・・・、多分そうだったと思っています。
- 2014-03-01:nakamoto
- ドヴォルジャークはセルに限ります、私の場合。アバウトに東欧人として、セルを捉えています。私は偏見と知りつつどこかで血筋にこだわっています。セルはチェコの人ではありませんが、でもピタリ嵌まっています。特に8番は作品としても最良ですし、セルの他の録音は聴いたことがありませんが、この録音で大満足しています。私は、イタリア、ドイツ、フランスが三大音楽大国と思っていますがしかし、セルのお蔭で、東欧という一括りは、これも音楽大国であることを、認識させられました。セルの東欧物は兎に角最高です。
- 2014-02-28:emanon
- 1928年の録音にしては、ノイズも少なく良い音である。
演奏は、さすがメンゲルベルクとコンセルトヘボウの名コンビだけあって緩急自在、情緒纏綿たる趣きが素晴らしい。面白いのは第4楽章で、展開部の後半がバッサリカットされ、コーダのクライマックスにシンバルの一撃を入れている。これは朝比奈隆氏の著書によるとメンゲルベルクが元祖だそうだ。
- 2014-02-28:emanon
- セルのドヴォルザーク「8番」というと、中学生の時以来、1970年録音のLPを愛聴してきた。第3楽章など、何度聴いたかわからない。
それが最近になって輸入盤で1958年録音のCDを入手して、演奏の活気とみずみずしさにすっかり惹かれてしまった。そのため、今では断然1958年盤を聴くことが多くなっている。蛇足だが、この演奏では、第3楽章の最初の旋律を楽譜通りフォルテで始めている(1970年盤ではメゾピアノくらいに聞こえる)。
- 2014-02-28:セル好き
- ボレロはクリュイタンス・パリ音楽院管弦楽団が一番というファンは多いようです。知人にもその一人がいて、私もCDで買ってみましたが、愛聴盤のミュンシュ・パリ管にくらべるとどうも雑な感じがして、しばらく聴いていませんでした。改めて聴いてみると楽器が増えるにつれて聴くに耐えなくなり、最後の2・3分はもう....(その辺MP3はちょっとマイルドに聞こえます)。
最近、同じパリでもバスチーユの方はミュンフンがぴしっとアンサンブルを決めているようなので機会があればそっちの方も聴いてみたいかな。
- 2014-02-28:フランツ
- クラシック素人ですが、カラヤンとフルトヴェングラーずいぶん違う演奏ですね。フルトヴェングラーでもいろいろですし。18世紀は指揮者なしの合奏で交響曲も演奏されたようなので、当時は解釈とかはあまりなく、カラヤンに近い演奏だったんですか。現代はいろいろ録音も聴けますがが「正しい演奏」というのがあるのでしょうか。いつも疑問に思ってしまいます。
- 2014-02-28:Joshua
- 私的には、第5番イ短調、第6番ト短調、の2曲に尽きます。
悪魔的で目の覚めるようなフィンガーリングの5番
トレモロの神秘感に聞きほれる6番、
いずれも、パールマンの演奏でノックアウトされました。
5番のほうは、ミルシュタインが小曲集で若干デフォルメして弾いてますが、上手いものの圧倒感はない。
さて、「リッチもパールマンもほかの曲を弾くとさほど凄味がない」のはどうしたことでしょうか?
果たして、譜面通りに弾くのは不可能なのでは?と思ってしまうのです。この両者ははったり?ハイフェッツが誠実に弾けないと思ったのかも?謎の広がる作品です。
女性の弾くカプリースは五島みどり、神尾真由子、・・・結構いますね。上手いんだけどな・・・ちゃんと弾きすぎてるのかな・・・ドキドキしないのは私だけでしょうか。夢は実現されると夢でなくなるように、鬼神的ヴィルトゥーゾは演奏家人生のある一時期の通過点とすると、完成をめざす芸術家は録音すべき作品ではないのかも知れません。勝手な意見ですみません。
- 2014-02-27:カンソウ人
- グールドのバッハ平均律が、素敵なサイトであるここにアップされた。
何か書きたくてウズウズする。
積極的に日本に紹介してくれたのは、吉田秀和だった。
ゴールトベルク変奏曲は、彼の知人に何枚もレコードを贈ったらしい。
平均律は、一期一会という「最大の賛辞」だった。
20歳代に買ったレコードには、彼の言葉がそこだけ、帯に大きく書かれていた。
しかし、この国のピアノ教育の世界では、彼のやり方まだ異端であった。
その空気の中、大御所評論家の賛辞は、グールドだけに向けられた物ではない。
そう思った。
彼とバッハ、双方に向けられたのだと信じている。
最も好きな西洋音楽の作曲家は、バッハだったし、今もそうだ。
特に、2声と3声のインヴェンションの録音が無かったら・・・。
自分はピアノを触らなかっただろう。
インヴェンションは音楽的には凝縮し過ぎであり、そこが平均律とは異なる。
人前で弾くには、平均律の方が易しいかも知れない。
そこを乗り越えた物を、感じませんか?
だけど・・・。
平均律の録音は素晴らしい(間違いなく)が、失敗だったとも言える。
再録音したかったのでは・・・。
だって、散漫な印象を持ってしまう。
如何にグールドでも、情報量が多くて、全体を見通す事が難しいのだろう。
48曲を通して眺める時に、フーガが寂しい。
一巻。
嬰ハ短調、テンポが上ずっていて、宗教色が薄い。
オルゲンプンクトの上で、感動的な恍惚感に浸りたい。
変ホ短調、素晴らしいけれども、音量の変化でクライマックスを築き切れていない。
大きなフォルテが欲しいわけじゃない。
二巻。
この24曲は、いったい何という曲集なのだろう。
作曲したバッハっていう男は、何と言う奴なのだろう。
才能だけでは足りない物を込めやがった。
ホ長調、速すぎて良さが味わい切れない。
この曲の素晴らしさが、録音時点では若過ぎて、理解できなかったのではないか。
ロ短調、あばよバイバイって言う飄々とした別れが足りないような気がする。
彼なら出来たと思うし、やり貫きたかった筈だ。
『一期一会』の事が(偉そうに)書けたかなあ?
日本人の高橋悠治だったら、緻密な構成を目指さない、風通しの良いバッハの名演奏が出来る。
彼の弾く「パルティータ」や「ゴールトベルク」や編曲物のアルバム。
グールドは本当の意味では、伝統からの自由さを獲得していない事が、明らかにされている。
- 2014-02-27:emanon
- セルの演奏は、ヘンデルのオリジナルではなく、ハーティが管弦楽用に編曲したものにさらにセルが手を加えたものである。セルは珍しくロンドン交響楽団を指揮しながら、豪快かつ清冽な演奏を繰り広げていて見事である。一方、エアーのようなゆっくりしたナンバーでが、しっとりと音楽を歌わせていて、セルの音楽性の高さを感じさせる。ヘンデル入門にふさわしいだけでなく、高度なファンをうならせる内容を持った演奏である。
- 2014-02-25:フランツ
- 久しぶりに聴きました。パガニーニのカプリース大好きな曲です。もしかしたらあらゆるヴァイオリン音楽中、一番好きかも(バッハの無伴奏より)。リッチの演奏から離れてしまいますが、ユング様のお言葉のとおり、実は私も五嶋みどりの演奏をとても高く評価しています。それにしても他に類型のないすごい音楽だと思います。ヴァイオリンの醍醐味を満喫したいときどんな「偉い」コンチェルトやソナタよりカプリースを聴きたくなります。
- 2014-02-25:nakamoto
- 吉田秀和の言うシューベルトの奇跡的天才を、充分堪能させて頂きました。私にはアルペジョーネとやらが全く分からないのですが。これだけ素晴らしいものを与えられて、満足です。開き直って、チェロソナタという名前にしたら、もっとポピュラーになるのではないでしょうか?シューベルトのメロディーは正に、奇跡の連続です。演奏家が凄いと、作品の本当の価値が分かってきますね。
- 2014-02-24:太郎兵衛
- 以下のように複雑な事情が絡み合ったレコーディングであったと想像されます。
- 冷戦闌の時期に、ソ連の人間国宝級ピアニストを、カラヤンの根城西ベルリンには招けなかった。
- 中立国オーストリアへのリヒテルの出国は可能でも、カラヤンとの蜜月期にあったヴィーン・フィルは、デッカとの契約の関係上起用出来なかった。
- 上記の条件をクリア出来るオーケストラは、カラヤンとの因縁浅からぬヴィーン交響楽団であった。
かくして、この横綱相撲のような記念碑的共演が実現したのでしょうね。
- 2014-02-23:Hide
- フォイアマンの歴史的名演のテンポを踏襲した解釈ですね。第一楽章がアレグロモデラート、第三楽章がアレグレットで両端楽章をこのように軽快に弾いているのは珍しいです。ヨーヨー・マがこれに近いテンポで弾いています(第三楽章のテーマが幾分ゆっくり)。これにより、ゆったりした第二楽章が活きてきます。さすがに、演奏技術を遥かに超越した巨匠フォイアマンのようにはいきませんが、なかなか魅力的な演奏です。ピアニストのことは全く無視というところでしょうか?難しい演奏にあえて挑戦し個性的に弾いたところにシャフランの良さがあります。「カザルスが神様ならばフォイアマンはそれ以上だ」と言ったチェリストですので影響を受けているのでしょう。サイトでの評価はヤニグロの方が高いようですが、自分で弾けるテンポに落としていて、シャフランに比べるとかなり凡庸な演奏に感じられます。
- 2014-02-23:koichironak
- ここに書かれていることに強い同感を持っています。
私自身の話で恐縮ですが、中学生時代にとても熱心にクラッシク音楽を聴いていましたが、ある日、まさにここで書かれているような「気持ちの悪さ」(そして、再生産される巨匠たちの解釈から生じる微妙な違いを微分的に追及していくクラッシクの「聴き手」の気持ち悪さ)感じてたまらなくなり、クラッシックから離れてしまいました。
(まさに、ビートルズの「イエスタディ」のように、世の中に一つしかない音楽を求めてロック、そしてブルースやジャズに移っていきました)
しかし、それから10年近くたったある日、グールドのバッハ(ゴールドベルグ変奏曲)を耳にして、「気持ち悪くない」クラッシックがあることに気が付かされました。
そして、以来、細々とながらですが、再びクラッシックも聴き続けています。
この意味でも、グールドの演奏は、私にとって「クラッシク」と言われている音楽を、まさにほかの音楽一般と同じ地平で聴けるよう再び門を開いてくれた演奏家でした。
悲しいことに彼と同じ道を歩もうとしていない演奏家、特に日本の演奏家が本当に少ないとのご指摘にも強く同感です。
今回のご説明で、これまでモヤモヤ感じてきたことが少しすっきりしました。
ありがとうございました。
- 2014-02-23:オスカル
- グールドのバッハは友人に勧められて以来愛聴しています。
ユングさんのエッセイには唸らせられることが多いのですが、今回もまた目から鱗が落ちた思いです。
私もクラシック音楽を聴きはじめた頃は「まったく同じ楽譜で演奏される曲が演奏家によって変わるの?」とか「なんで同じ曲のCDを何枚も集める必要があるの?」と思っていたものです。それが多くの演奏に接し、たくさんのCDを集めるようになってから、いつしかそんな違和感も消えてしまっていました。
一方で、メンデルスゾーンがいなければバッハやシューベルトの音楽が現代に受け継がれることがなかったかもしれないように、ベートーヴェンやブラームスなどの大昔の作曲家の音楽が現代においても親しまれているのは、いわゆる演奏家の解釈のおかげなのではないかと思います。
例えば、ベートーヴェンの音楽がフルトヴェングラーによってしか録音されず、またフルトヴェングラーと同じようにしか演奏されなかったとしたら、クラシック音楽は現代まで残っていたでしょうか。
どんなに素晴らしい音楽でも、毎回まったく同じように演奏されていたのでは聴衆は飽きてしまいます。それが録音され繰り返し聴かれるものであればなおさらです。
それに、既存の曲を自らの感性と演奏によって作曲しなおすというのは、天賦の才に恵まれていなければ到底できることではありません。
作曲家の名声が地に落ち、演奏家がもてはやされるクラシック業界の現状は、たしかに音楽に限らず創作活動全般を取りまく環境として非常に気持ち悪いものです。しかし、その気持ち悪さによって辛うじて生きながらえてきた部分もあるのではないかと思うといささか複雑な気持ちです。
とはいえクラシック音楽ファンの性なのか、同曲異演を集めるのはやめられないんですけどね。
<ユング君からの返信>
上の一文は書きながら結構毒がきついなぁと思っていたのですが、こういう風にやんわりと受け止めてくれると嬉しいです。
結局、これは自戒なんですね。しかし、自戒の念を持ちながら同曲異演を集める事をやめられない自分がいることもよく分かっています。世間ではこう言うのを「業」と言うんでしょうね。
- 2014-02-12:Joshua
- ブレイン父子の演奏を聴いて思い出すことがあります。
30年も昔、わたしはホルンを吹いていましたが、
M・W君という、すばらしいアマチュア奏者がいて、彼のセカンドで
音楽経験をさせてもらいました。上手い人と吹くと、自分の実力以上のものが
出るのは事実です。息子のデニスがうまくなるのは当然です。
- 2014-02-11:nakamoto
- これは、恐れ入りました。素晴らしいです。プロコフィエフは好きなのですが、交響曲が良く分からんでした。しかしセルとクリーブランドのお蔭で、はじめてこの音楽の素晴らしさを認識できました。ありがとうございます。ソビエトの作曲家は正直苦手です。20世紀の音楽なのに、そうでないような、わけが分からん中途半端なものに聞えてしまいます。だから、ショスタコビッチや帰国後のプロコフィエフは、理解不能な曲がちらほらでした。そんな曲のひとつがこいつで、理解できない自分にイライラしていましたが、これで解消されました。私にとってセルは、東欧圏の民族主義的ロマン派音楽については、No1であります。久しぶりにスカッとさせていただきました。もともと民族主義的ロマン派については、あまり好ましくなかったのですが、セルのお蔭で、霧が晴れていく感じです。セルが現代に生きていたら、なんて馬鹿げた妄想をして、悲しんでおります。
- 2014-02-10:nakamoto
- 私もベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、いまいち!と感じてしまいます。勿論ベートーヴェンとしてはですけれど。バッハやモーツアルトと違って、ベートーヴェンの作品には、とても高いレヴェルではありますが、作品の出来不出来が存在していると、かねがね思っています。交響曲や弦楽四重奏のように、或いはミサ・ソレムニスの様な、音楽史的に見ても突出している作品もあれば、そうでもない作品があるのは、事実であると思います。といってもヴァイオリンソナタの第9番や第10番は傑作です。しかしだからと言ってベートヴェンのヴァイオリンソナタが傑作揃いと言えば、無理があります。ヴァイオリンソナタと言うジャンルはベートーヴェン以外にも傑作が多いので、バッハやモーツアルトは勿論の事、フランク、ブラームス、ラヴェル、バルトークなどの大変な傑作が存在しているので、ベートーヴェンというかつて楽聖と呼ばれていた人としては、イマイチのジャンルと言う事が言えて良いのではと思います。私は、ユング君さんのような、演奏家に対する知識がまるで無いので、オイストラフとオボーリンの演奏で満足しています。あらためて聴いて素晴らしいと感じました。
- 2014-02-08:セル好き
- やはりウィーンのカラヤンは安心感がありますね。
「実にスリリング」「競奏曲」とかいって当時もてはやされたようですが、その後リマスターCDで改めて聴いてみると、それはセールストークだったような感じさえ受け。実に堂々たる演奏です。
当時のベルリンフィルとの録音の方がピリピリした感じが垣間見えることが多いのでは。
私的には、フルニエ・セル・BPOのドヴォルザークのチェロ協奏曲の方が丁々発止な感じがしています。第2楽章のチェロ・歌曲「私にかまわないで」の出だしは、緊張してか思わずダブル?の様に聞こえます。
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[2025-07-04]

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調, Op.64(Mendelssohn:Violin Concerto in E minor Op.64)
(Vn)ヨーゼフ・シゲティ:トーマス・ビーチャム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1933年録音(Joseph Szigeti:(Con)Sir Thomas Beecham London Philharmonic Orchestra Recoreded on 1933)
[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)