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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ベートーベンが大暴れして、後の作曲家ができることが、すごく減ってしまいました。偉大さとは、後世を限定し、先細りさせることなら、偉大さなんて、要らないです。
それとも、こうしていても、われわれは、破滅に向かい、過去を礼讃しつづけるお目出度い生物なんでしょうか。確かに、音楽は300年程で、発展を遂げました。ツ
タンカーメン王10分の1の歴史です。でも、短くても、花の命がさまざまなように、音楽はあってよかった花なんでしょう
- 2020-09-21:joshua
- これだけは誰にも負けないというものがあれば、人はかなり幸せに生きていけると言うことなのでしょう。
YUNGさん、いいこと、おっしゃります!バーンスタインは、単なるナルシストではなく、したたかさも持ち合わせたビジネスマンであったのかも。young people"s concertにの残る山本直純みたいな企画力、時系列では逆順ですが。第2楽章なんか、発展途上に聞こえますが、cynicalな次楽章、クライマックスの高揚は、やっぱりいい!バーンスタイン、いいライフタイムだった。
- 2020-09-19:コタロー
- ライナー指揮の「新世界より」を聴いて、何事が起きても眉一つ動かさないといったポーカーフェイスな演奏だと感じました。そういう意味ではトスカニーニの演奏に近いのではと思いました。
それに比べると、セルの「新世界より」は、端正な造形を基本としながら、思わず熱いものがにじみ出るといった風情がありました。
同じハンガリー出身の指揮者でも、微妙な違いを見せている点が興味深いです。
例えば、ドヴォルザークの「スラヴ舞曲集」の場合、ライナーは手兵のシカゴ交響楽団ではなく、ウィーン・フィルを指揮して数曲抜粋しているだけなのに対して、セルはクリーヴランド管弦楽団で2度も全曲録音しています。
ドヴォルザークに対する共感度はセルの方が高かったのかもしれません。
脱線ついでに、生前ライナーとセルはお互いにどう評価しあっていたのでしょうね。
- 2020-09-19:yk
- 初めて聴く演奏で、私にはこの演奏が優れているのかどうかについて判断する力はありませんが、少なくともとても興味深い、あるいは(恐らく)とても好きな演奏ではありました。
現在のギトリスに比べれば確かに随分真っ当な演奏に聞こえますが、歌い回し、音色の細部には既に”ギトリスらしさ”が十分覗えるところもある様に思います(ここでは触れ無いことにしますが、1954年のギトリスと現在の彼の違いを、円熟と評するか老成と評するか、或いは衰えと評するか、etc.・・・も興味深いところです)。
私が、この演奏で一番興味深く思えたのは、この時代(1950-60年代)の所謂”新即物主義”との関連においてでした。音楽における”即物”とは何か?・・・・「作曲家に忠実」?「楽譜に忠実」?「楽器・奏法に忠実」?・・・或いはそれらの同・異?、そして仮にそれらの議論が有意味であったとして、そこでの「演奏家の個性」、「現代の意味」、とはなにか?
”ロマン”という本来極個人的な感覚に対して、”即物”と言った客観性を無批判に持ち込む(恐らく今に続く)深刻な矛盾は、当時の演奏家にとっては今より更に切実な問題だったのではないかと思われます・・・・特に”伝統”と言う少々得体のしれない頸木を背負ったヨーロッパに根を持つ若い演奏家にとっては・・・。私には、この演奏は(後世主流となっていった?)ドグマティックな方法論に頼るアプローチとは異なる手法による”即物”の問題に対する一ヴァイオリニスト(及び一指揮者)の真摯な模索の記録としてとても魅力的に聞こえます。そう思って聞くと、この演奏のソコココに即物と個性の新鮮な出会いがあり、ソレがこの演奏に独特の魅力を与えているように思いました。
- 2020-09-16:Sammy
- コタローさんのコメントに触発され、「プロメテウス」の序曲以外の2曲を聞いてみました。2020年はベートーヴェン・イヤー(生誕250年)でもありますし。
ふだんイメージしている、凝縮された普遍性みたいなものがさく裂する感じとはちょっと違う、新しい時代の新しい娯楽を求めて模索するベートーヴェンの姿を感じます。今となってはちょっとのどかすぎる音楽にも聞こえます。特に終局は「ダラダラした英雄交響曲」みたいで不思議な気分で聴きました。
きっとそれは今の気ぜわしい時代の感覚で聴くからそうなるのでしょう。この時代にはこういうのんびりした感じでよかったんだろうなあ、と思いつつ、やはりだから、序曲以外はほとんど演奏されないんだろうなあ、とも私は感じました。「デザート」としては、珍しい果物だけれどまったりした味で、まあこんなものか、という感じがしました。ただ、この辺りは聞き手の感覚にもよるのかもしれません。
- 2020-09-14:コタロー
- 偉大なるシェフのミュンシュ氏には失礼ですが、メインのシューベルトよりもデザート(?)のベートーヴェンに食指が動きます。
ここでは、「プロメテウスの創造物」から3曲がセレクトされています。
「序曲」は演奏頻度が高くおなじみですね。興味深いのはあとの2曲です。
「アダージョ」はベートーヴェンには珍しくハープが用いられ、たいへん優雅な音楽が伸びやかに展開されていきます。
「終曲」は、最初聴いたとき、「あれ?英雄交響曲のフィナーレじゃないか」と軽い驚きを覚えました。でも、考えてみればベートーヴェンは英雄交響曲を作曲する際に第4楽章にこの曲を援用していたのですね。これは音楽史的には自明なことですが、そのことに改めて気付かせてくれたミュンシュ氏には大いにお礼を申し上げたいです。
- 2020-09-12:クライバーファン
- わたしはモーツァルトの音楽は苦手です。おなじようにうんざるする人がいると知りとても嬉しいです。
モーツァルトが最も得意なのはオペラ、ピアノ協奏曲ではないでしょうか。
オペラは流石に傑作ぞろいだと思います。ワーグナーと並んでドイツ・オーストリア系の作曲家の中では最強のオペラ作家だと思います。
- 2020-09-10:コタロー
- モントゥーが終生敬愛していたといわれるブラームスの作品をアップしていただき、ありがとうございました。
彼はこの録音から3年後、1961年に御年86歳で正式にロンドン交響楽団の首席指揮者に就任したのですが、その時の条件が25年契約(!)だったというのですから、すごいバイタリティですね(実際には1964年に彼が逝去したため契約は果たせなかった)。
モントゥーは、速めのテンポで明快に曲を進めていきます。そして各変奏のキャラクターを的確に描いており素晴らしい演奏だと思います。
余談ですが、このレコードのジャケットには大きなクエスチョン・マークが描かれています。ひょっとしてエルガーの「謎の変奏曲」とのカップリングではないでしょうか?
- 2020-09-05:コタロー
- 実は、オペラは私にとって苦手なジャンルです。しかし、このアルバムは一気に聴き通してしまいました。それはひとえにマリア・カラスの歌の魅力の賜物でしょう。
そういえば、かつてある人が「20世紀の天才女性歌手は、マリア・カラスと美空ひばりである」と語っていましたね。まさにそのことを実感させる見事なアルバムです!
- 2020-09-04:Sammy
- 作品のすばらしさを堂々と打ち出したよい演奏と思います。
現代のような競争的な環境における、高い技巧に裏打ちされた、また様々な研究や学説を背後に持った洗練された多彩な解釈が溢れる中での緻密、あるいは神経質な演奏とは異なるでしょう。
そしてかつての抒情性やローカリティを強く打ち出したスタイルを背後に持っていて、その雰囲気は残ってはいますが、この演奏はあえて一線を画しているようにも感じられます。
端正でやや武骨あるいはやや素朴だけれども、ローカルな情感もさりげなく凝縮した落ち着いた、やや懐かしい雰囲気の演奏として、これからも聴き手を惹きつけ続けるのではないかと感じます
- 2020-08-28:コタロー
- ドビュッシーのピアノ曲との出会いは私の場合いささか特殊で、冨田勲がシンセサイザーで演奏したものが最初で、その夢幻的で多彩な冨田ワールドに魅了されました。
そのため、オリジナルを味わうのが後回しになってしまったのです。そして改めてピアノで聴いてみると、この曲と「子どもの領分」、「2つのアラベスク」に特に魅力を感じました。
今回、フェルベールというピアニストはこのサイトで初めて知りましたが、明晰で雰囲気に流されない演奏で好感が持てますね。
このサイトではフェルベールの演奏したドビュッシーの有名なピアノ曲が網羅されていてありがたいです。いずれ折を見て他の曲にも挑戦してみたいと思います。
- 2020-08-25:阿部源市
- 60年前に初めて聞いたのが此のクリスチャン・フエラスの演奏でした。
何という透明な美しい音色でしょうか、今でも耳の奥に残って居ましたが再びその音を聞かせて頂きたいへん幸せに存じました。他の演奏家の誰も到底及ばぬ心の綺麗な演奏です。
- 2020-08-21:コタロー
- クレンペラーは例によって遅めのテンポを採ることによって、音楽の細部まで手に取るようによくわかる演奏になっています。特に両端楽章が立派ですね。彼はモントゥー同様、第一、第二ヴァイオリンの両翼配置を採用して、独特の効果を生んでいます。また、木管楽器を生かしているのもクレンペラーならではの味わいです。
確かにファースト・チョイスではないかもしれませんが、クラシック音楽を長く聴き込んだファンにとっては他の演奏にはない魅力を感じる演奏だと思いました。
- 2020-08-19:コタロー
- モントゥーの練達の指揮ぶりが目いっぱい味わえる演奏です。とりわけ「序曲」が出色です。とにかく、あの指揮者泣かせで有名なウィーン・フィルを見事に手なずけて、メンデルスゾーンの音楽に欠かせない精緻さや流麗さを十全に表現しています。それだけで、モントゥーはまさに「巨匠」の名にふさわしい指揮者だと思います。
これからもモントゥーの名演奏をどしどし紹介されることを切に望みます(例えば60年代前半にフィリップスにまとめて録音された演奏が、まだ陽の目をみていないですよね)。
- 2020-08-18:笑枝
- いい曲、いい演奏ですね。バッハ、ヘンデルをおもわせる格調があって。
「バロック音楽って、人に聴かせるものっていうより、演奏して楽しむもの」
って、アマチュアオケでファゴット吹いてる知人が言ってたのを思い出しました。
この録音、奏者の演奏するよろこびが伝わってきました。
- 2020-08-17:コタロー
- 実に音楽的感興の豊かな演奏ですね。面白いのは、第1楽章の提示部を繰り返していることです(私が聴いた限りではセルの演奏だけではないでしょうか?)。また、第4楽章の音楽の「乗り」の良さには、思わず胸がわくわくしてきます。
セルのモーツァルトの交響曲の演奏はおしなべて高水準の出来を示していると思いますが、不思議なのは、「リンツ」「プラハ」の録音がなされていないことです。セル自身の音楽観と微妙に波長が合わなかったのでしょうか?真相はわかりませんが、セルのファンとしては誠に残念なことです。
- 2020-08-17:joshua
- ハフナー、これならオッケーですね
それでも、ベーム ベルリンと肩並べですが、第一楽章だけなら、ベーム。
両方とも知ったものの贅沢ではあります。
ディヴェルティメントなら、双方相補う録音が残っていますが、交響曲、引いてはオペラがある故の、ベームだから、と思っています。
セルが、フィガロやコシを振っていたかは知りませんが、少なくとも録音はない。
それが、交響曲リンツ、プラハの録音に向かわなかった訳ではないかとでも、癌を克服し、大阪万博後も生きていてくれたら、十分達成してくれたことでしょう
ART is long LIFE is short
- 2020-08-15:コタロー
- 今年のお盆は大変な暑さとコロナ禍の蔓延のおかげで、ステイホームに限りますね。そこで私はもっぱらクラシック音楽鑑賞に没頭しています。とりわけ、バッハの教会カンタータを聴いているとこの世の憂さを忘れて心が洗われます。
ラミンという名前は、私も恥ずかしながら初めて耳にしました。しかし実際に彼の演奏を聴いてみると、少年合唱を使ったのが功を奏したのか、たいへん純粋かつ素朴で、心の中にしみじみと染み渡るような味わいが印象に残り、静かな感動を呼ぶ佳演だと感じました。改めてラミンの早逝が惜しまれます。
ちなみに、調べてみたところ、ラミンによるバッハの教会カンタータはすでに2006年に3曲アップされていたのですね。そちらの方も追って聴いていきたいと思います。
- 2020-08-14:joshua
- 音楽にせよ人の話にせよ傾聴することが難しくなってきました。還暦まで半月という歳ゆえ動物的衰えもあるのでしょう。それを認めた上でも、聴くことに純粋に打ち込めた自分はもういません。地味ながら、聴き方次第では得るものは多く信じられた日々にさようなら、なんていいつつ、便利なメディアの力を借りて、次々に映画や音楽を楽しむ自分も事実なんですねえ。クレンペラーのモーツァルト、録音の仕方もあるんでしょうが、各楽器の明晰な中に、広々とした立体感があり、これもこれでいいなあ、とLP時代に思ったものです。ハフナーはさほどそう思いませんでしたが、プラハの1楽章は、印象的でしたねえ。こんなことを思っては忘れ、また思い出しては自分の聴き方が前と同じだったり、違ってたり、まっ、何の得にもならないことをして時間を過ごす自分です。時に退屈あるいは正視に耐えない日常から逃れるとき、有意義な時間の使い方ではあります。吉田秀和は、これを楽しむに如かず、と自著タイトルに揚げました。ピアノは少し弾いただろうけど、演奏家の気持ちで彼はこれを言ったのではないでしょう。さりとて、人並みを遥かに超えて演奏を聴き、考えたことを文章にしてきた、稀にみる幸せ者でした。たまにテレビを止めて、あるいは、就寝前暗闇の中耳元に最小限の音量で聴きたい曲などを近づけるとき、見ることに邪魔されないでホッとします。学生オケの頃は、スコアと首っ引きで、偏った聴き方でした。楽器演奏に役立つだろうという下心もありましたね。でも、スコアを見て気づく程度の自分は凡庸だと後々気づいたわけで、優勝なプレイヤーには目なんか要らないきく耳、聴こえた音に反応できる耳がまずありき、だったようです。何年に何某オケを振ったクレンペラーがいいね、という聴き方、1965年までならいとも簡単に出来てしまう今、エアチェックでノイズ混じりの録音など聴かなくなった今を思うと、文頭で嘆いていたことが、1週間前まで仕事に追われていた自分が一時的に抱いた錯覚かと、ここまで書いて思えて来ました。いい音で、誰がどう思おうが気にせず音を楽しむ。その事そのものが、大いなる幻影、いやそりゃ映画で、我々一人一人の大いなる自由であり、幸せだと
- 2020-08-14:yk
- ハスキルのレパートリーが(録音に残された範囲では)かなり限定されたものだったことは確かですが、彼女の音楽世界も狭いものだったのかどうかはなお慎重に見極める余地があります。
ハスキルが戦後スイスに居を構えた後、スイスの音響機器メーカーが彼女にテープデッキを寄贈したことが有ったそうです。何年か以前、彼女の親族が保管していたその一部が公開・市販されたことが有りました(TAHARA THA366/367)。そこには断片的ですが、彼女が自宅で弾いていた曲のいくつかが記録されていますが、そのレパートリーにはブラームス、リストからスクリャービン、ラフマニノフに至る曲目が含まれています。この録音を聴くまでは、ハスキルとラフマニノフ・・・と言うのは、さすがに私も想像できませんでしたが、彼女の日常の音楽世界に彼女が生きた”同時代”の音楽が含まれていたことは確かなようです。また、更に意外なことに、彼女は演奏会ではヒンデミットの作品(「4っつの気質」)を何度か作曲家と共演もしています。
いずれも、彼女の一見慎ましやかな演奏の奥に広がっていた音楽の世界を垣間見せてくれるとともに、彼女が繊細で弱弱しい深窓の佳人と言うより生き生きと時代と関りをもっていたことを示す貴重な記録だと思います。
- 2020-08-09:コタロー
- joshua様、いつも達筆のコメントを楽しく拝見させていただいております。
このレコードのB面についてですが、ジャケット写真で見ると、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番のようです。ただ、伴奏指揮はミッチェル指揮ナショナル交響楽団という怪しげな(?)演奏者となっております。
ハイメ・ラレードについて、ウィキペディアを参照すると、クリーヴランド管弦楽団との共演経験があるそうです。もし、それが事実とすれば、ジョージ・セルとも何度か共演したかもしれませんね。
- 2020-08-08:joshua
- B面は何だったんでしょうね?
既に紹介された室内楽か、小品だったのかも。
ハイメさんは80を迎えて健在のようです。
音楽的には申し分ないのですが、また安心して聴ける技術の高さなんですが、ハラハラドキドキしません。要は、玄人のリスナー向きなんです。こういう人が、町内会にいて、学校の1クラスに満たない聴衆あいてに弾いてくれるといいのになあ。
また聞き手がそれに合わせた耳を持つ文化があってのプレイヤーです。いま、朝ドラでやってるように、ディレクターがセールス優先では世に出にくいプレイヤーは数知れずいるんでしょうね。しかし、この手の演奏家は、大売れしなくても、息長く、聞く耳もつあいてに、続けていくのだと
- 2020-08-07:toshi
- クライバーンの名前を聞くと、コンクールの功罪を改めて感じます。
それと、ミスなく演奏することが大切かどうか、ということも色々考えさせられます。
今の演奏はCDなどでは編集でミスがありませんが、ミスが多く下手な古い演奏に惹かれる今日この頃です。
- 2020-08-06:コタロー
- ジョージ・セルはロシア物の小曲にも相性の良さを示していました。チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」、リムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」などがその一例です。地方色に寄りかかることなく、音楽にはあくまでも清潔感が漂っています。しかし決して歌心を忘れず、美しいメロディは思い切って歌わせているのが何とも素晴らしいですね。クラシック音楽の初心者には大いにお勧めしたい一方で、本格的なクラシックファンをも十分納得させる内容を有していると思います。
ちなみに、最近では「ダッタン人の踊り」の演奏の際には、オリジナル尊重で合唱を入れるケースが一般的ですが、私はセルのように合唱を入れない演奏の方が好きです。
話は変わりますが、以前このサイトで、セルがリァドフの曲を録音しているという記事を読んだ記憶があります。これなどもアップしていただけると良いですね。
- 2020-08-04:ワンダーランド
- フルートの音色が暖かく、何とも言えない雰囲気があります。
さすがモイーズですね。
ゼルキンとブッシュの関係は、初めて知りました。
- 2020-08-04:コタロー
- ピエール・モントゥーは、第1ヴァイオリンを左側、第2ヴァイオリンを右側に配置するのが常でした(いわゆる「両翼配置」)。そのため、この曲の中でも両者の掛け合いが随所で聴かれ、大変効果的かつ興味深い演奏でした。
- 2020-08-03:笑枝
- モイーズのフルート、初めて聴きました。名前は知ってましたが、素晴らしいですね。
一聴、どういう呼吸法したら、こんな音が出るんだろうって驚嘆してしまいました。
力みがなくて、フレージングもアーティキュレーションもこれしかない!と感じさせる理想的演奏。ランパル、二コレ、好きなフルーティストですが、モイーズは別格!と感じました。真の名人ですね。こんなに素晴らしいとは知らなかったです。
指揮&Vn のブッシュの功績も言わないといけないですね。ゼルキンのピアノ、カザルス=マールボロで聴いてますが、もうこの時点で相当のレベルだったことが分かります。
- 2020-07-31:jukose
- 精緻な演奏。ほんとうにそうだと思いました。
この曲は、リヒャルト・シュトラウスの中では一番好きな曲です。
聞いていると、作曲者はきっとドン・キホーテが大好きなんだろうなと思います。
- 2020-07-30:コタロー
- 今日はジョージ・セルの没後50年を迎えますね。そこで、セルを偲ぶにあたって、彼の演奏の特徴がよく表れていると思われるこの曲を選んでみました。
この交響曲、なかなかの曲者で、並みの指揮者が振ると、単に先祖返りしただけのこぢんまりとした音楽に聴こえてしまいがちです。
ひるがえって、セルはリハーサルの際、常時「リズム、リズム、そしてアーティキュレーション」と語っていたそうですね。それにしても、全曲を通してセルのあらゆる指示がオーケストラの隅々にまで徹底して行き渡っている様は、実に驚嘆に値します。そのため、ベートーヴェンがこの交響曲に仕組んださまざまな工夫がズバリ解き明かされるのです。これはまさに聴いていて胸のすく演奏です。
おかげで、私はこの曲に関しては、セルの演奏以外受け付けなくなってしまいました。
- 2020-07-29:yk
- 偶々、先日1947年の米国映画「カーネギー・ホール」を見、久しぶりにハイフェッツと共演するライナーの指揮姿をみました。そこには事実上、自国土を戦禍に曝すことなく第二次大戦の覇者、自由世界の盟主となった米国と言う国に花開いた”米国文化”の香が漂いますが、このワルツ集は(確かに録音を含めて)その完成形の一つの姿ですね。音楽に民族とか風土とか時代を無暗に持ち込んで”説明”するのは剣呑には違いありませんが、ドイツ系が多いと言われるシカゴの楽団をハンガリー系のライナーが振るウィーンのワルツを敗戦国ドイツのシュワルツコップが愛聴する・・・と言うのは、如何にも移民国家である米国の混合文化・・・・と言うか、1960年代の米国の多重入れ子文化の様相を感じます。
この演奏が現れた1960年代の受け止め方が何であったにせよ、録音から半世紀以上が経った今聴けば、確かに”伝統”といったものに拘泥するでもなく新しさとか機能性とか現代性といったものに阿るのでもない、一つの美しく明快なスタイルを持った演奏で、其れがライナーと言う優れた手腕の指揮者が丹精込めて作り上げたものであることを示す極上の記録ですね。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)