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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- コンサート前半のベートーヴェンの交響曲では、セル自身足が地についていない印象でしたが、後半では「全集中の呼吸(最近爆発的な人気の「鬼滅の刃」ですね)」で乗り切ってセルの十八番のスメタナとワーグナーを見事に処理しています。アンコールのスーザ「星条旗よ永遠なれ」では、オーケストラが演奏しやすいようにニ長調にアレンジしています(原曲の吹奏楽版では変ホ長調)。これまたセルらしく、スマートで颯爽とした演奏でコンサートを見事に締めくくっています。まさに「終わり良ければすべて良し」です。
こうなると、7月11日の演奏も聴きたくなってきますね(特にガーシュインに興味があります)。
- 2020-11-06:浅野修
- 私は、最初に聴いた外国オケがセルとクリーブランド管弦楽団の来日公演で、帰国後すぐに亡くなってしまったので、特にLIVE録音は全て聴きたいです。
EMI録音の1970年録音は少しぼやけた音に感じますが、演奏は好きです。せめてあと数年でも長生きしてレコードを録音してくれたらと思わずにいられません。セルは人生の全てを音楽に捧げた人だったようです。
すでに来日時には死病に侵されていたが、長旅の疲れにもかかわらず、公演初日の大坂での演奏会後のレセプションに出席して音楽監督の責務を果たしていたようでした。
管理人ブログのコメント欄からの再掲です。
youtubeにセルの大阪LIVEのプライベート録音と思われる音源がアップされています。
「売られた花嫁」序曲 & 「英雄」第1楽章冒頭部分です。
ジョージ・セル 1970年5月16日 大阪LIVE
「 売られた花嫁 」 序曲
https://www.youtube.com/watch?v=m9dKPm2SzMo
- 2020-11-06:コタロー
- 今日はチャイコフスキーの命日にあたっています。そこで、あえて彼の処女作の交響曲にスポットを当ててみました。
チャイコフスキー自身、この交響曲には晩年に至るまで愛着を持っていたようです。確かに彼の前半の三つの交響曲の中では断然この曲に魅力を感じます。特に素敵なのは第1楽章で、冒頭から流麗なメロディーに心惹かれます。また展開部の初めに現れるホルンの音の動きが、後年の「くるみ割り人形」の「花のワルツ」のテーマを思い起こさせたりするのも興味深いです。
この交響曲の面白いところは、第3楽章まではどちらかというとひそやかに音楽が運ばれるのに対して、第4楽章の序奏を過ぎて主部に入るやいなや、一転して賑やかな音楽になることです。ここでは大太鼓やシンバルも加わって大きな盛り上がりを築いていきます。特に終結部の執拗なまでのクライマックスには圧倒されます。
若きマゼールの演奏はウィーン・フィルの魅力を生かして、チャイコフスキーの若書きの作品にふさわしい颯爽とした音楽を創り上げているのがとても良いですね。深遠な音楽とはお世辞にも言えませんが、それなりに一聴の価値のある演奏だと思います。
- 2020-11-05:tks.
- 是非とも聴きたかった録音がようやく聴けました!
(それほど珍しいものではないはずですが買いそびれていました。)
ありがとうございます。やりたい放題のまさに「俺様マーラー」!
急加速、急ブレーキがあちこちにあり、実にスリリングでした。
シェフの無謀(?)運転にしっかり応えるNYPも大したものです。
各種打楽器を鮮明に捉えた録音もこの曲の特徴と魅力をよく伝えています。
勢いと瑞々しさでは、後年の録音・録画を上回っていると思いました。
(でも、この曲の「怖さ」はセルの方により強く感じます。
私もセル盤がこの曲とのファーストコンタクトでした。)
- 2020-11-05:SCHUBERT
- 文章の最後の方で30年代、SPという文字を見るまでそんなに古い録音だと気づかず、言われてみれば音がでかいところで割れるかな?くらいでした。ちなみにBoseのノイキャンで聴取しました。最近在京管弦楽団も同曲を演奏してました。最近Schubertづいてますね。
- 2020-11-03:コタロー
- ゴールドベルクの演奏を聴くのは初めてです。彼はその名前から見てユダヤ人と思われますが、それだけに戦中・戦後にかけて大いに辛酸をなめたことが想像されます。
それはさておき、今回彼のブランデンブルク協奏曲の全曲を通しで聴かせていただきましたが、これは隠れた名演奏だと思います。しっとりとした味わいを感じさせる含蓄のある表現で、バッハを聴く醍醐味を大いに感じることができます。カザルスのような人間性が強烈に刻印された演奏もいいですが、このようなオーソドックスな演奏は心を和ませてくれます。
とりわけ、この「第6番」はヴァイオリンを除く弦楽合奏のために書かれた音楽だけに、いぶし銀の魅力にあふれていて、全曲中の白眉と言えるでしょう。
アップしていただき、ありがとうございました。
- 2020-11-02:コタロー
- ラミンのバッハのカンタータについて、毎回アップされるのを楽しみにしております。
バッハの時代は、作曲家は所詮職人であって、意に沿わない音楽であっても「仕事」として取り組まなければなりませんでした。しかし、第5曲のアリアにおけるリコーダーのスタッカートが、このテキストに対するバッハの嘲笑を表すのだとすれば、これはバッハのささやかなレジスタンスと捉えることができますね。
ラミンの演奏は、相変わらずバッハの音楽にひたむきに取り組んでいて、とても立派だと思います。もっと高く評価されるべき演奏ではないでしょうか。
- 2020-11-01:コタロー
- この演奏を聴きながら、以下のような妄想が湧いてきました。それは、「セルがあと10年長生きしていたら、どのような演奏を繰り広げていたのか?」というものです。
ユング様がおっしゃるように、確かに60年代後半のセルはクリーヴランド管弦楽団の高い演奏能力に余裕を持って接し、オーケストラの完成度にゆったり寄りかかっていました。そんなセルが70年以降も引き続きクリーヴランド管弦楽団を指揮していたら、もしかしたらオーケストラとの慣れ合いが高じていたかもしれません。また晩年のセルはEMIと契約していましたから、録音の点でも締まりのなさを感じさせるものになっていた可能性があります。
コアなセル・ファンからは叱られるかもしれませんが、ジョージ・セルが1970年に逝去したことは、もしかしたら神の思し召しだったのかもしれませんね。
(今まで述べたことは、あくまでも「妄想」です。気軽に読み流してください(苦笑)。)
- 2020-10-30:toshi
- Ozawa評については同感です。
某評論家は「人気は高いが味の薄い〇〇〇(ビール名)のよう」とOzawa氏の演奏を酷評していて物議をかもしたと言ってましたが。
若い頃のOzawa氏は師の斎藤秀雄の影響が強かったのでしょうね。
でも時間が経つと本当の自分が出てきただけという感じがします。
単に正確なだけの音楽、それ以外に何もない音楽というのが私の意見。
オケのリハもつまらない。サイトウキネンのリハの映像を見ましたが、音合わせしているだけで表現の核心には一切迫らない、つまらないリハでした。
Ozawa氏より欠点は多いが、朝比奈隆やクナーパッツブッシュの演奏に惹かれます。それ以上にOzawa氏の師の斎藤秀雄の演奏をもっと評価して欲しいな。
- 2020-10-29:コタロー
- この演奏は私にとっては「刷り込み」でした。中学2年生の頃、ワルター没後10年ということで、CBSソニーから「ブルーノ・ワルターの芸術」というLPがまとまって発売されたのです。私はベートーヴェンの「運命」とシューベルトの「未完成」(当時は「運命・未完成」を両面に入れたLPが定番でした)、と、名盤の誉れ高いブラームスの「交響曲第4番」の二点を購入したのです。そして、ブラームスの交響曲の余白にこの演奏が入っていたのです。そして、この温かみのある演奏に心から満足したのです。例えて言うなら、自分が幼い頃、とある小春日和に縁側でおじいさんから昔話を聞かせてもらった思い出、といった感じでしょうか。
この曲には、先頃アップされたモントゥーやセルといった優れた演奏もあります。しかし私にとっては、ワルターの演奏がいつまでも最高の名演奏なのです。
- 2020-10-21:コタロー
- かつてフォンタナの廉価盤で所有していた懐かしい演奏です。家で持っていたレコードに比べて音に歪みがなくて聴きやすい音質ですね。
演奏は質実剛健を絵に描いたもので、ベートーヴェンの交響曲にはふさわしいですが、第3楽章あたりはもう少しふくよかさが欲しい気もします。
しかし、第4楽章に入って声楽が導入されると、がぜん立派な音楽が立ち上がってきます。おそらく声楽陣に一流どころを起用しているからでしょう。
そういう意味では、「第九」が苦手な人にも薦められる演奏だと思います。
- 2020-10-20:toshi
- ある音楽評論家の方が、バーンスタインの音楽を「裸の男が手を広げている」ようで、その胸の中に飛び込むことが出来る人には禁断の喜びが味わえる、なんて言ってましたが。
まさに共感というのは理屈に関係なく本能的に音楽に没入するということなんでしょう。
バーンスタインにとってもマーラーの音楽は本能的に入り込める音楽なんでしょうね。
もっとも、上記のような表現はバーンスタインの性的志向とも重なりますが・・・
- 2020-10-19:笑枝
- すごい演奏です。歌舞伎の名人の舞台を見るようで、
思わず掛け声をかけたくなるほど。
厳しくて、スケールの大きい音楽。感激しました。
ヴァイオリンがじつによく鳴ってるし、
バルトークやショスタコーヴィチを思わせるところもありますね。
モーツァルトの楽譜には、それだけの深みがあるということなのですね。
- 2020-10-14:yk
- 懐かしい録音です。小学生のころ初めて買ってもらったチャイコフスキーのLP(25cm盤)がコレで、解説では未だ”マルクジンスキー”の表記でした。”演奏家を選ぶ”などと云う(悪)知恵もなかった時代、一日中聞いた演奏でもありました(・・・と言う意味では(不幸にも?)私の「ファースト・チョイス」でした^_^;)。
改めて久しぶりに聞いてみると、まざまざと当時を思い出します・・・・と云うことは、この演奏には何らかの形で・・・・露・波、東側の母国と微妙な関係を保ちながら西側で活動した指揮者、ピアニストが冷戦下のフランスでチャイコフスキーを録音する・・・・といった、この時代が色濃く反映されているのかもしれません(勿論演奏が政治的というわけではありませんが・・・)。
- 2020-10-13:コタロー
- この演奏、アーティストの名前を伏せて聴かされたら、ベニー・グッドマンだと気づく人はほとんどいないのではないかと思います。一言でいえば、モーツァルトの愉悦感にスポットを当てた演奏と言えるでしょう。それでいて、音楽が実にきちんとしているのに感心させられます。これは掘り出し物の演奏と言えますね。
- 2020-10-11:ジェネシス
- カラヤンがウィーンを去った(要するに「無類の喜びを持って」ベルリンフィルに行った)時、ウィーンフィルはその大きな空白を埋める為にベームとバーンスタインを招き、ロンドンを去った時、ウオルター.レッグはフィルハーモニアの後釜にクレンペラーを当てがったと思います。
フィルハーモニアというオケの名技性と透明さはクレンペラーの屈折した人間性を余りにもクッキリと映し出してしまっている。だからこそクレンペラーに取っ付きにくさと逆に熱狂的なファンという相反する聴き手を生んだ気がします。
私はその取っ付きにくさを寧ろ彼のスキャンダラスでさえある数々のエピソードに思いを馳せながら聴くと面白さを感じます。いや、私の方も屈折しているとは思っていますが。
- 2020-10-11:yseki118
- 私もリストのロ短調ソナタに興味があって、少し調べたのですが、wikipediaには「標題にあたるような言葉をリスト本人は一切残していない。(中略)しかし標題的な読解がいくつも提案されており、特にヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』と結び付ける解釈について、クラウディオ・アラウは「リストの弟子たちの間で承認されていた(granted)ことなのです」と述べている。」と書かれていました。
また、アラン・ウォーカーは「リスト伝」で、ロ短調のソナタの種々の標題的解釈のなかから主要なものとして次の4つをあげているそうです。
1.このソナタはファウスト伝説の音楽的描写であり、「ファウスト」、「グレートヒェン」、「メフィストフェレス」の各テーマが主な登場人物をあらわす。
2.このソナタは、自伝的内容をあらわしている。音楽のもつ対照的性格は、リスト自身の人間性のなかの対立からくるものだ。
3.このソナタは、神的なものと悪魔的なものに関するものである。それは、ミルトンの『失楽園』にもとづいている。
4.このソナタは、エデンの園の一連の寓話である。それは人間の堕落をあつかい、「神」、「ルチフェル」、「蛇」、「アダム」、「イヴ」のテーマを含んでいる。
更に、ピアニストのブレンデルは、『音楽のなかの言葉』の中で、
第1主題(レント、ソット・ヴォーチェ、ほぼト短調、1~7小節)第1主題は、音と沈黙を結びつける。音楽的には、主題は言葉や歌ではなく思考を表している。この冒頭の反復音は、作品全体にとって重要な動機を構成している。(どの主題も反復音から出発し、導かれる)。そのほかの重要な動機は7度と2度の音程、そして冒頭のリズム。
第2主題(アレグロ・エネルジコ、ロ短調、8-13小節)一人の役者が舞台へと登場する。その態度には挑戦と絶望と軽蔑が入り混じっている。ファウストになぞらえることができるだろうか。10小節目で怒れるオクターブの三連音が現れて、やっと主調をロ短調を認識することになる。
第3主題(マルカート、14-18小節)ファウストの問いかけと、主題独自の問いかけが対立する。堕落を先導する性格はメフィストフェレス的。ファウストとメフィストフェレスは15小節前後で重なりあう。交響的主要動機とも呼べるもの。
第4主題(グランディオーソ、ニ長調、105-113小節)リズムと旋律の内容を第1主題から借りている。この主題に先行して、一時的転調を行うペダル音が作品の提示するものを何でもつかみとろうとするかのようだ。グランディオーソ(堂々と)という言葉は、全能の神の確信を伝える主題にはまさに相応しい。
第5主題(カンタンド・エスプレッシーヴォ、二長調、153-170小節)第3主題の叙情的な変化形として始める。メフィストはグレートヒェンの幻に姿を変えている。9小節後にはファウストはグレートヒェンの虜になっている。主題の最初の8小節の低声部は、明らかに第1主題(7度の下行する音階)にもとづいている。
第6主題(アンダンテ・ソステヌート、嬰ヘ長調、331-346小節)独立しているようにみえるが、先行主題との関りがある。最初の部分にはグランディオーソ主題のクライマックスのパラフレーズがあり、はるかにかすむ彼方へと光を投げかける。あとには第1主題が上行する長調の7度音程に美しく飾られて登場する。
と書いています。
実は、私がこのソナタの解釈に興味を持ったのは、たまたまYouTubeで、ブレンデルがリストのロ短調ソナタを公開レッスンしている動画を見たことです。興味のある方は、「Piano masterclass on Liszt B minor sonata with Alfred Brendel at the Royal College of Music」で検索してみて下さい。
また、私のブログには、もう少し詳しいことが書いてあります。https://yseki118.exblog.jp/
- 2020-10-10:さとる
- あれ?
こんなに良い曲だったかな・・・?
大昔、上野の図書館でどんな曲かと聴いてみた時、
最初の方でギブアップして次のCDに変えた記憶があります。
・・・あ、アバド盤だったかもw
- 2020-10-08:つかひろ
- クレンペラーのこの曲の演奏は、既に5種類(ベルリン放送・スタジオ録音2種・デンマーク・ベルリンフィル)ほど持っていて、私のお気に入りでもあります。
所有盤と比較してですが、この演奏はライブにもかかわらず、テンションが低くノッペリとした感じです。
また、低音部の音量が大きいので旋律の明快さや彫りの深さも減退してしまっているような感じがします。
もちろん、彼特有のスケールの大きい音楽も聴けますし(モーツァルトなのに!!)、上記に挙げたことも演奏全体に大きな影響を及ぼすほどでは全然ありませんが、クレンペラーのファンとしては少し残念な感じがします。
- 2020-10-07:セル好き
- 75年盤もあり、短時間試聴できますが、こちらは「中トロ」な感じで聴きたいものとは少し離れています。聴かせていただいたこれらは、軽やかで楽しそうで室内合奏のあるべき雰囲気を良く伝えていて、新盤よりも今日的で貴重な音源だと思います。バッハらしい北ヨーロッパの少し陰りのある空気感も素敵で、(愛聴盤のカザルスに近いものを感じていますが、少し張り詰めた空気感がありますね)残りの曲にも大いに期待しています。
【 introduction 】 紹介してもいいよ!!
- 2020-10-07:koinu
- 改めて聞きますと、やはり素晴らしい演奏でした。
写真で拝見する気むずかしそうなライナーが、これだけ艶っぽい演奏をするのがものすごく不思議でもあります。
- 2020-10-05:CanBeetho
- 演奏全体としては今ひとつ好きになれません。
ただし、第2楽章のホルンソロは、数限りなくあるにちいがいないこの曲の録音の中でも出色だろうと思います。
ホルンであることが信じられないような自在な表情。
しかも100年近く前に録音されているとは!これぞ歴史的名演といえるホルンソロです。
- 2020-10-05:杉本正夫
- 共演したリリー・クラウスは、彼のことをソリストになりたがっていたと回想しています。ブランデンブルク協奏曲第五番を指揮して率なくこなしていると思いますが、チェンバロパートを弾くフルトヴェングラーの盛り上がりを聴くと、やはり役者が違うなという印象を受けました。
- 2020-10-05:north fox
- ギレリスとセル/クリーブランドによるベートーヴェンの協奏曲全集は大いなる期待をもって買い求めましたが、やや肩透かしを食ったような思いがしました。両者ともよそよそしく窮屈そうに演奏していて、両者の(特にギレリスの)美点が減じられているように聞こえました。(システムの所為ではないと思いますが)
ギレリスはこちらの方が自由に伸び伸びと、強さも繊細さも併せ持った表情豊かで魅力的な演奏を披露しています。一方セルもフライシャーとの全集の方が思い通りに指揮しているように感じられます。セルは協奏曲には必ずしも向かないのではと時々思うことがあります。
- 2020-10-04:笑枝
- 実にみずみずしい音質ですね。
ヴァイオリンもヴィオラも、こんなに彫りの深い音を奏でてたとは!
音ののび、つや、オケの深々とした響き、どれをとっても素晴らしいです。
セルが、さりげなくこぶしやタメを作ってるのがよく分かります。
小生のCD、音ががさついていて、味気ない演奏です。
米CBSの廉価盤ということもあるのでしょうが、
セルは機械的で冷たいという印象はオーディオ再生の問題が大きいんですね。
ありがとうございました。
- 2020-09-28:コタロー
- この曲を初めて聴いたのは、私が20代の頃、アンドレ・コステラネッツ楽団の演奏でした。その時の印象は、「ガーシュインはかなり無理をしているな」というものでした。具体的には、彼のジャズのイディオムを協奏曲の形式に無理やり落とし込んでいると感じたのです。
ところが、今回のカッチェンとマントヴァーニのコンビの演奏を聴いてみると、両者がうまい具合に溶け込んでいるのですね。昭和の言葉遣いでいえば「イカす」演奏なのです。
そう感じるようになったのは、自分が歳をとったということなのかもしれませんね。
- 2020-09-25:笑枝
- K.364の数あるレコードの中で、バルシャイ・オイストラフ盤、一番好きな演奏です。
リズムのキレがよくて、演奏が厳しくて。バルシャイのヴィオラ、抜群ですね。
1959年の録音なのに、メロディア盤、モノラルで音質も決していいとは言えないですが、全盛期のオイストラフが聴けるだけでよしと思ってきました。
モーツァルト200年忌の1991年12月5日、東京四谷のイグナチオ教会に行きました。
バルシャイ指揮読売交響楽団のレクイエム演奏。
メロディア盤持って行ってサインをしてもらいました。
バルシャイさん、なつかしそうにジャケットをご覧になってたこと、
思い出します。
- 2020-09-24:Josh
- 音はいい、オケは極上。これを目の前で聴けたアメリカ人は幸せだと思う。トスカニーニも色褪せたかな。
- 2020-09-24:コタロー
- ターリッヒの「我が祖国」、骨太で感動を呼ぶ素晴らしい演奏ですね。
そもそも、私とターリッヒとの出会いは、もう50年近く前、コロムビアの千円盤で、ロストロポーヴィッチを独奏者としたドヴォルザークの「チェロ協奏曲」でした。
しかし、それ以降、何故か私はターリッヒのレコードやCDは一切購入しませんでした。もしかしたら、私の意識の中から彼の存在が消えていたのかもしれません。
それが今回「我が祖国」を聴く機会を得て、ターリッヒの存在がはっきりと頭によみがえったのです。そういう意味では、貴重な体験をさせていただいたことに感謝しております。
- 2020-09-23:備前屋の旦那
- チャイコフスキーの後期交響曲で5番だけが評価が低いのは、個人的には不満ではあるもの納得が出来ない話ではありません。
多くの人がチャイコフスキーに求めるのは、4番の様なロシア的な曲か、6番の様な、誤解を恐れず言えば「わざとらしいまでの臭み」を求めるかのどちらかでは無いかと思います。
しかし5番に関して言えばロシア的要素は有るものの、ロマン派リスペクトの強い西欧と東欧の折衷の様な曲になっているので、「コレジャナイ」感にとらわれるのでしょう。
私などはむしろ、その「折衷」こそガ好きなポイントなのですが、こればっかりは好き嫌いですからどうにもなりません。
オーマンディーが日本で評価が低いのは、日本人の「ドイツ好み」癖が影響しているように思います。
「クラシックは重厚長大で重々しく、精神性を重んじなければいけない」という、ある種新興宗教の様な思い込み、これからするとオーマンディーの様などちらかといえばきらびやかで明るい演奏は相容れないのでしょう。
チャイコフスキーの「1812年」などは、そのきらびやかで明るい演奏こそしっくり来るのですが、「1812年」自体が「我こそは正統派クラシックファンである」と自認する方々からすると「チャイコフスキーが書いたとは思えない駄曲」(私の知人による評価だったりする)となってしまいますから、後は自ずと知れたものです。
そんな聞き方、楽しくないと思うんですがね。
これも、「ヒョーロン家」の個人的感想を、あたかも普遍的・科学的な技術情報であるかのように思い込んでしまう日本人の悪癖でしょう。
どんなに評論家が絶賛しても嫌いなものは嫌いだし、どんなに評論化がコキ下ろしても好きだと思えばそれは自分にとって価値の有る音楽なのですから。
だから、いらない先入観はとりあえずどこかにしまっておいて、まずは聞いてみる事が一番だと思いますよ。
で、前置きがおぞましいまでに異様に長くなりましたが、このチャイコフスキーにしてはチャイコフスキーらしい特長が希薄な交響曲第5番、なるほどオーマンディーの手にかかると、足りなかったチャイコフスキー臭の代わりに金管楽器のパートに派手さが加わって親しみやすくなったように感じます。
だからといってストコフスキーの様に「天国へ行ったら作曲家に詫びたい」というほどフリーダムな演奏では有りませんが。
ストコフスキーの手にかかるとモルダウですら「大雨で増水して決壊寸前の川」になってしまいますからね。
で、お前は好きかどうか聞かれれば、実は「チャイコフスキーの5番はショルティーが好きです」としか言いようが無いのですが(テヘ)。
え?、「旦那お得意のドラティはどこに行ったんだ?」って?、はて何の事でしょう?(テヘヘ)。
大体、クラシックといったって、作曲された当時は流行曲だったんです、ヒョーロン家の事など忘れて肩肘張らずに楽しく聞きましょう。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)