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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3

(P)ヴィルヘルム・バックハウス 1963年11月録音

Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3 "The Hunt" [1.Allegro]

Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3 "The Hunt" [2.Scherzo. Allegretto vivace]

Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3 "The Hunt" [3.Menuetto. Moderato e grazioso]

Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3 "The Hunt" [4.Presto con fuoco]


18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が明確に刻み込まれている

作品を6つ、もしくは3つにまとめて発表したり出版するのはバロック時代から古典派の時代における一つの特徴でした。それは、バッハの組曲やパルティータなどにもよくあらわれています。
おそらくは、そういう風にセットにすることで「お得感」もあったでしょうし、作曲家にしても自らの多様な姿を示す(誇示する?)のに都合がよかったのでしょう。

ベートーベンもまた同様なのですが、彼の場合は6つではなくて3つにまとめることが多かったようです。
ピアノ作品だけを例にしてみれば、作品2(1番~3番)、作品10(5番~7番)、作品31(16番~18番)がそれにあてはまります。


  1. Piano Sonata No.1 in F minor, Op.2-1

  2. Piano Sonata No.2 in A major, Op.2-2

  3. Piano Sonata No.3 in C major, Op.2-3



  1. Piano Sonata No.5 in C minor, Op.10-1

  2. Piano Sonata No.6 in F major, Op.10-2

  3. Piano Sonata No.7 in D major, Op.10-3



  1. Piano Sonata No.16 in G major, Op.31-1

  2. Piano Sonata No.17 in D minor, Op.31-2

  3. Piano Sonata No.18 in E-flat major, Op.31-3



作品14や作品27のように3つではなくて2つをまとめているものもありますし、当然の事ながら単独で作品番号を与えているものが全体の半数を占めています。
しかし、最後の3つのソナタ(Op.109~Op.111)のように、本来は3つにまとまった作品と考えられるのですが、ばらして出版した方が金になると判断したので異なる作品番号が与えられることになった作品も存在します。
そして、重要なことは、このようにまとまった形で発表された作品は、そのまとまりとして眺めないと見落としてしまう面があると言うことです。

明らかなのは、このようにまとまりを持った作品というのは、それぞれに対して明確な性格の違いが与えられていると言うことです。
例えば、作品10の3曲を例に挙げればハ短調のソナタはその調性に相応しく英雄的であり、続くヘ長調ソナタは諧謔的な雰囲気を漂わせます。そして、最後のニ長調のソナタは3曲の中では最も規模が大きくて雄大な広がりを持った作品として全体を締めくくります。

ベートーベンはこの3つの作品をまとめて発表することで、英雄的であり、諧謔的であり、そして雄大な世界をも提示できる自らの多様性をアピールすることが出来たのです。

そして、「作品31」においてはその様な性格付けはさらに際だっていて、それぞれが「諧謔的(ト長調)」であり「悲劇的(ニ短調)」であり、最後は規模の大きな「叙情的(変ホ長調)」な性格で締めくくられます。
そして、それは若手の人気ピアニストとして売り出していたベートーベンの姿が「作品10」の3曲に刻み込まれていたとすれば、そう言う18世紀的なソナタから抜け出して独自の道を歩み始めたベートーベンの姿が「作品31」には明確に刻み込まれているのです。

ピアノソナタ第18番 変ホ長調 Op31-3


  1. 第1楽章:Allegro
    ローゼン先生はこの冒頭部分はこれまでに作曲したソナタの中で最も不安定な感情を表していると述べています。繰り返される問いかけに対して音楽は一瞬停止して応答があらわれるからです。そして、その呼びかけと応答にはある種の哄笑が含まれているとも述べています。

  2. 第2楽章:Scherzo. Allegretto vivaceひそやかな哄笑はこの楽章において爆発します。スタッカートを多用した進行や極端なダイナミックスの交錯はその笑いに悪魔的な雰囲気を忍び込ませてくるようです。

  3. 第3楽章:Minuet. Moderato e grazioso - Trio
    ベートーベンがピアノソナタでメヌエットを用いた最後の音楽です。従来の伝統的なメヌエット形式を踏襲するkとで、先んじるスケルツォ楽章と好対照をなしています。

  4. 第4楽章:Presto con fuoco
    荒々しいエネルギーと高揚感に満ちた楽種です。冒頭の飛び跳ねるようなリズムはタランテランであり、その正確なリズム処理が演奏家には求められます。そして、このリズムが楽章全体を貫いているために「ドイツ人のタランテラン舞曲」とか「狩りのソナタ」というニックネームを奉られることになるのですが、当然の事ながら、それはベートーベンのあずかり知らぬことです。




淡々と流れ行く音楽のエネルギーの底に、何か静かな瞑想的な静けさを感じます

バックハウスのステレオ録音によるソナタ全集はその全てがパブリック・ドメインになることははるか彼方に遠のいてしまいました。しかし、すでにパブリックドメインとなっている音源で18番と25番が未収録だったことに気づきました。
落ち穂拾いです。


ネット上を散見すると、外国ではバックハウスの録音は次々とカタログから消えて過去の人になっているので、彼のことを持ち上げるのは日本だけだという論調をよく見かけます。
カタログから消えているから「過去の人」というのは明らかに短絡的に過ぎますし、それよりも自分の価値判断の根拠を他者にゆだねて平気な立ち位置には疑問を感じます。

ただし、「外国」ではこうだから「日本」もかくあるべしと言う「論」が未だに生き残っていることにはいささか軽い「感動」を覚えました。

よく知られてるいるように、バックハウスは1950年から1954年にかけてベートーベンのピアノソナタを全曲録音しています。さらに、1958年から彼の亡くなる年である1969年にかけてもう一度「ほぼ全曲」録音をしています。「ほぼ」全曲というのは、作品106の変ロ長調ソナタだけは再録音できなかったので、それだけはモノラル時代の録音で代用して「全集」としたからです。

こういう風に、50年代から60年代にかけて録音の形態がモノラルからステレオに移行したことで、レーベルの意向も働いて再録音されるケースがよくあります。
ベートーベンのピアノソナタで言えば、バックハウスと並び称されたケンプなどもモノラルとステレオで二回全集を完成させています。

そして、こういうケースの場合は、2回目のステレオ録音の方が衰えが感じられて、あまりよろしくない結果になっていることが多いです。

考えてみれば、バックハウスが2回目の録音に着手した時は既に70歳を超えていました。正確に言えば、74歳から85歳にかけて録音されたことになります。
ちなみに、モノラル録音の方も64歳から68歳にかけての録音ですから、どちらにしても脂ののりきった全盛期の録音と言うには躊躇いを感じます。

指揮者と違って自分で音を出さないといけない演奏家というのは、肉体的衰えはそのまま音楽的な衰えに結びつかざるを得ません。
自分の肉体そのものが楽器である歌手ほどには影響は深刻ではなくても、それでも筋力の衰えはピアニストにとっては無視できないハンデとなります。

バックハウスは長生きをして、最後まで現役のピアニストとして活動しました。
しかし、調べてみると、あのシュナーベルよりも3歳若いだけですし、あの伝説の指揮者であるニキシュとも共演しているのです。

それに較べれば、ケンプの2回目のステレオ録音は1964年から65年にかけて一気に為されてるのですが、その時ケンプは69歳から70歳にかけての仕事でした。
モノラル録音の方は51年から56年にかけての仕事なのですが、大部分は51年に録音されているので、実質的には55歳の時の仕事だと考えていいでしょう。

55歳!!
まさに脂ののりきった全盛期の仕事と言っていいでしょう。

その意味で言えば、バックハウスはその様な録音の恩恵にあずかるには、いささか早く生まれすぎたと言えます。(ちなみに彼はフルトヴェングラーよりも1歳年長です。)

ステレオによる録音は以下のような順番で行われています。

[1958年]

第8番 ハ短調『悲愴』/第14番 嬰ハ短調『月光』/第21番 ハ長調『ヴァルトシュタイン』/第23番 ヘ短調『熱情』

おそらくこの年の録音は、ステレオ録音による全集の開始というのではなく、レーベルの強い意向で売れ筋の有名曲をステレオで録音しましょう、みたいなノリで始まったのではないかと想像されます。まあ、何の根拠もありませんが。(^^

[1961年]

第15番 ニ長調『田園』/第26番 変ホ長調『告別』/第30番 ホ長調/第32番 ハ短調

[1963年]

第1番 ヘ短調/第5番 ハ短調/第6番 ヘ長調/第7番 ニ長調/第12番 変イ長調『葬送』/第17番 ニ短調『テンペスト』/第18番 変ホ長調/第25番 ト長調『かっこう』/第28番 イ長調/第31番 変イ長調

あまりメジャーとは言えない作品10の3曲が録音されていますので、このあたりで全集の完成を視野に入れはじめたのかもしれません。
しかし、注目すべきは、63年に録音された演奏の大部分は63年にリリースされているのに、「第25番 ト長調『かっこう』」と「第31番 変イ長調」だけは67年になってはじめてリリースされていることです。
その理由は実際に聞いてみればすぐに了解できます。演奏は不安定で指のもつれも垣間見られます。

おそらくバックハウス自身は録音をやり直したかったのだと思います。しかし、その時間と根気はバックハウスには残されていなかったと言うことなのでしょう。おそらく、最後はレーベルに押し切られて渋々リリースとなったものと思われます。

[1966年]

第4番 変ホ長調

自分の衰えを感じながらも、初期ソナタの中の異形とも言うべきこの作品だけは残したかったのかもしれません。

[1968年]

第2番 イ長調/第9番 ホ長調/第10番 ト長調/第11番 変ロ長調/第19番 ト短調/第20番 ト長調

[1969年]

第3番 ハ長調/第13番 変ホ長調『幻想曲風ソナタ』/第16番 ト長調/第22番 ヘ長調/ 第24番 嬰ヘ長調『テレーゼ』/ 第27番 ホ短調

そして、何かにせき立てられるかのように、最後の2年間に12曲もの録音が行われ、第29番 変ロ長調『ハンマークラヴィーア』だけが残されることになります。

確かチャールズ・ローゼンの言葉だと思うのですが、ベートーベンの音楽は他の作曲家と較べるとより強い傾注を要求します。そして、その様な傾注を通して読み取った音楽の形を現実の音に変換するためには確かなテクニックが絶対に必要です。
つまりは、ベートーベンだからと言って、深い精神性だけでは音楽にはならないのです。

当たり前の話ですが、心身共に脂ののりきった状態でなければ、音楽に対して一切の妥協を許さなかったベートーベンの音楽を再現することは不可能なのです。

その意味で言えば、死の直前の68年から69年にかけて行われた録音だけでなく、一番最初の58年の録音においても、明らかにバックハウスは衰えています。
さらに言えば、録音が良くなったことで内部の見通しが良くなり、バックハウスが何をやっていて、何ができていないのかもよく分かるようになってしまいました。

バックハウスは明らかに、一定のテンポを強靱に維持し続けるのが難しくなってきています。もちろん、それは「歌う」事に足下を救われていると言うのではないのですが、モノラル録音から感じられた強靱さは影を潜めています。
また、その外にも一例を挙げれば、バス声部のトリルなども随分と不明瞭になって他の声部の中に埋没しかける場面が増えてきます。
こういう部分は、ベートーベン時代のピアノであるならばそれほど困難ではないのですが、現在のコンサート・グランドではかなり難しい部分らしいです。

ちなみに、同時代のアラウの録音などではそう言う部分は見事に表現されていますし、モノラル録音のバックハウスでも同様です。
そこからは、思いはあっても思うように動かない指をもてあましながら、それでも理想の表現に到達しようとする老いたる男の執念を感じる部分でもあります。

そして、それはそれでいいし、そう言うことも含めて聞き手は享受すればいいのだと思います。

しかし、ベートーベンのもう一つの持ち味は緩徐楽章の美しさです。そして、そう言う部分になると、ステレオ録音の大らかさはプラスに働いていますし、何よりも肉体的な衰えは大きなマイナスとはなっていないように思います。
このステレオ録音に「淡々と流れ行く音楽のエネルギーの底に、何か静かな瞑想的な静けさを感じます。」という人がいるのは、その様な理由からでしょう。

それから、肉体のコンディションというのは、年を取ってからでも調子のいいときは調子がいいものです。
ですから、最晩年の録音でも早いパッセージを意外なほどクリアに乗り切っている場面もあります。そう言う場面に出会うと、なるほどバックハウス恐るべし!などと思ってしまいます。

決して「枯れた芸」などと言う安易な褒め言葉に寄りかかる人でなかったことだけは確かです。

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