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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ヘえー、セル&カザルス&チェコが、三十年代で最古と思ってましたが、フォイエルマンこそは、世界初録音だったんですね。録音技術を超えて演奏の良さが伝わります。いやむしろ、名演技と名録音との幸せな組み合わせです。これだけ伝わってくれば、モノラルもステレオもいらない。SPにもお宝あり、です。
- 2020-03-28:コタロー
- まず、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の世界初録音という大変貴重な音源をアップしてくださったことに、心から感謝の意を表します。
フォイアマンのチェロは初めて聴きますが、豪快にして自由闊達な演奏で、率直に素晴らしいと感じました。
録音は90年以上前のものとは思えないほど良好で、鑑賞には全く支障はありません(第3楽章のはじめに登場するトライアングルの音もはっきり確認できます!)。
速いテンポも、当時の録音事情を考えれば致し方ないと思います(まあ、ご愛敬とでもいったところでしょうか、でも私はさほど不自然さを感じませんでしたが)。
- 2020-03-26:備前屋の旦那
- 私の様な年寄りは、ふと安易に「吉田秀和は」なんてえフレーズを読むと、吉田秀和がどれほど碩学であろうと、どれほど権威者であろうと、彼の「感想」は彼自身にとってしか価値が無い、いや、その曲を聴いたことの無い人間に対しては悪影響を与え得る文章では無いかと強い不安を感じるのです。
音楽に対する評価は、例えば和声法がこうだとか、或いはこのテンポでは間延びするのではないかとかいった技術的な論評であれば大変結構で、是非読んでみたいものなのですが、自分の「主観的感想」に過ぎない物を随筆や評論に書く、その曲を聞いた事の無い人間に読ませる、あまり良い事には思えません。
万が一それを読んだ人間が「権威者がこういっているんだからこう感じなければ」とか「あの碩学の人間が酷評しているから聞くのはやめよう」と感じてしまえば最後、その人間の主観を捻じ曲げてしまう事になりかねない、そう私は愚考するのです。
私の様な無名で影響力の無いどうでもよい老人の感想ならいざしらず、この国の「評論家」がどれだけ悪影響を及ぼす可能性が有るかを考えると、いささか陰鬱な気持ちになります。
音楽は、主観的なものです、勿論その「主観」を引き出すためのテクニックが「作曲法」であったり「和声法」であったりするのですが、聞く側の人間としては、最終的には自分で聞いて見なけりゃわからないのでなないでしょうか?。
前置きが長くなり過ぎましたが、ラヴェルという作曲家はモダンバレエ中心の作曲家で、その中でもボレロは音楽がどれだけ踊りを強調出来るかに挑んだ風が有り、しかも「盛り上がる」までに時間が掛かるというマニアックな構成の曲なので、踊り抜きで聴くとなれば気が短い人はそれまでに「あ~飽きた」となってしまうかも知れません(実際、知人にそういう人間がいました)。
チャイコフスキーの三大バレエ音楽を除けば、クラシックとして演奏会で上演されるバレエ音楽が少ない事を考えれば、世界的には十分評価はされていると思いますが、マニアックな事は確かでしょう。(昨今はクラシックを聞く事自体が多分にマニアックな趣味では有りますが)
- 2020-03-25:Sammy
- Yungさんが仰るように、ブレンデルの演奏には「考え抜かれた主情性」が貫かれているのかもしれません。私は聴きこんでいないせいか、この演奏は、作品の美しさにできる限り周到に寄り添い、生かし切った演奏、といった風に聞こえました。聴き終わって、なんと美しい曲か、と感嘆しました。それもまた、音楽を聴く幸せでもあります。
天才的な我が爆発した演奏もまた楽しいのだけれども、他方で「作品ととても幸せな出会い方をさせてくれる」さりげない演奏は、ただ謙虚だったり地味だったりするだけでなく、優れた芸術家が周到に練り上げた素晴らしい成果なのだとも思いました。
- 2020-03-24:yk
- 私も初めて聴く録音でしたが、私には未完成よりも更に興味深い演奏でした。勿論、この録音当時この演奏を聴いていれば、その即物的快速に聊か辟易していたかも知れないとも思う演奏でもありますが、録音から60年を経て改めて歴史の中に置いて本演奏を聴くとまた違う感慨も沸いて来るというものです。スワロフスキー自身はウィーン人という訳ではないようですが、このシューベルトがウィーン交響楽団というウィーンにおける新興楽団を使って、ウィーン音大指揮科の教授によって残されたことは、音楽の”伝統”と言うものを考える上でとても興味深いことだと感じました。
思えば、ウィーンはハプスブルグ王家の街であり、音楽においてウィーンフィルを生き証人とする古き”伝統”の街と思われがちですが(事実ですが・・・)、一方において20世紀初頭におけるウィーンは数理論理学分野でウィトゲンシュタイン、クルト・ゲーデルといった巨人を輩出しことでも分かるように、近(現)代知性・理性発祥の地(の一つ)でもあり、何といっても音楽においてシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクを生んで(好き嫌いは別としても)現代音楽の基礎を築いた、”近代(と伝統破壊?)”を象徴する町でもありました。
勿論、このスワロフスキーのシューベルトにそう言ったウィーンと言う町の二重性の全ての象徴といったモノを聴くのは明らかに過剰評価だと思いますが、それでもコノ即物的ではあるけれど決してドライではない演奏にソウ言ったウィーンと言う町の性格の木霊の様なものを聴いてみるのはとても興味深い(かつ楽しい)ことだと思えましたし、そう思うと件のグルダ先生の”怪演”にも新たな見(聴)方も浮かび上がるようではありませんか?
- 2020-03-22:Kaz
- この作品は、初版のヘンデルの作品3に紛れた別の誰かの作品で、今日では「合奏協奏曲第4番b」と呼ばれています。このイタリア風の協奏曲は、ヘンデルの作品集に入っても良いほどの佳曲ではありますが、シューリヒトはどうしてこの作品を録音したのでしょう?
- 2020-03-21:エラム
- フランソワがこの曲を弾いていたとは驚きました。
私の中ではこの曲は何と言ってもアルゲリッチの印章が強烈です。彼女の猛烈なテンポに慣れた身にとって、この録音は随分ゆっくり&丁寧に感じました(フランソワの演奏に“丁寧”と感じるとは!)。
しかし繰り返し聞くうちに、実はアルゲリッチの方が異常なアプローチであり、本来はこのように弾かれるべき曲なのかもしれないとも感じました。
- 2020-03-21:そめちゃん
- yungさんのような耳の良い方でも苦手な作曲家がいると聞いて、ほっとしました。私はたいした聞き手ではないので、R・シュトラウスなどがシューベルトやブラームス等に比べていまいち面白いと思えません。
プロコフィエフのPコン3番は先日らららクラシックで放送していたのを見ましたが、第3楽章が中心でした。私のイメージで第1楽章の冒頭は、船でアメリカを目指していたプロコフィエフが、朝のブルーな気分で船室から外を見る。すると少しずつ視界が開け、だんだんと陸が見えてくる。そこでアメリカに着いたのが判った時の喜びの情景が浮かんでくるような気がして、大変好きな協奏曲です。プロコフィエフの期待、不安、孤独、望郷などが感じられるような気がします。
【 introduction 】 紹介してもいいよ!!
- 2020-03-21:joshua
- たびたびリピーターになって恐縮です。12年振り、コメントします。まるで、ライナーはルスランとリュドミラを振るように終わりのフーガを演奏しています。鮮やか!!ラインスドルフほど軽くない、というのはやや異論はありますが、立派なベームよりも、繰り返して聞きたくなるは、理屈抜きの感想。そう思える演奏だから、これは私なりの名演なんですが、私などを超えた普遍性も、ここには有るようにも思えるのです。
- 2020-03-20:るびー
- 少し興味深い情報を見つけたので書かせていただきます.出典元はボストン・グローブ誌の記事を転載したと思われる次のリンク(http://www.classicalmusicguide.com/viewtopic.php?t=33363)です.それによると,彼女は評論家のパニエルという人と再婚していたそうです.また,エピソードとして,後年のグレタ・ガルボの写真に似ていると言われたときに,微笑み,「もう1回言って頂戴」と言ったそうです.
オークレールのプライヴェートは謎に包まれていて,それは共演者のお墨付きがつくほどのものでした.もしかしたら早くに引退したガルボと共通するものがあったかもしれません.
- 2020-03-20:joshua
- ほら、これも高次の中庸でしょ。
チャイ5と言わせていただいたのと同じことを、ここでYUNGさんが、明瞭化して言っていただいています。
クーベリックが、荒手のシカゴでも、ボストンでも、プラハに返り咲きチェコを振ったときも、取り立てて聞き耳たたすことなどせず、十分満足させてくれます。その秘訣は作曲もする、と言うこと。
それなら、フルトヴェングラーやムラヴィンもそうなんですが、正反対ですね。
クーベリックには、名ヴァイオリニスト父ヤン クーベリックの血筋もプラスされますがね。マーラーでさえ、5番をバイエルンで振ったのは、チャイ5やこのリンツと似た印象、すなわち、なんら奇異でない中庸の美徳に満足するのです。
出来上がった音楽を聞く我々の贅沢は、ここにありまして、びっくりの凄演もクーベリックの演奏も、我々の知らない、同次元の音楽作りがある、と感じました。聞く側の勝手を超えてしまうと、こうなる、という好例と申しましょうか。してみると、このサイトではレアな、ベルナルド ハイティンク、エド デ ワールト辺りも、同じ叩き上げ路線のオイゲン ヨッフム辺りと同じくらい、取り扱い可能ではないかと、思うのですが、如何でしょうか?
- 2020-03-17:joshua
- コメントを書きはじめて、唖然。4年前に、自分が、それもたったひとり礼賛のコメントを書いてるのです。もちろん、クーベリックを中庸で片付けてはいけません。極めて高次の中庸なのです。バイエルンに至る道程が、このサイトで、素晴らしく味わえるのです。
- 2020-03-15:joshua
- 待ってました!1957録音もいいですが、これは一言で尽くせない味が加わっています。十八番のドヴォルザーク新世界の方は、1957で打ち止めでした。ブラームスは更に高みが目指せたんでしょうか。両方とも持っていたいブラ1.ありがとうございました。
- 2020-03-14:Sammy
- Yungさんのコメントに接しつつ聞いて、この優れた録音を成り立たしめているのは、関わった人たちの「熱」なのかもしれない、と思いました。
くっきりと立ち上がる録音。それによって技術や楽器の精度、ホールの状態など露わになるさまざまの弱点。それをものともせず、献身的にたくましく築き上げられる音の構築。大胆にこぶしをつけてなされる歌いまわし。そこからシベリウス演奏に相応しい民族的な情感も、透明感も、構築性も、逃げも隠れもしない堂々たる姿で立ち上がってくる。この3番交響曲はとてもシンプルに書かれているため、演奏の特徴がはっきり出てしまいやすいのだと思いますが、そこから全く逃げずに、さりとてあざとくするでもなく、愚直に前へ前へと進んでいく。
そういう決然たる覚悟を決めたようなたくましい音楽が、まだ日本のクラシック音楽の環境が十全とは言えない中で立ち上げられたと思うと、何とも言い難い熱いものが迫ってくるのです。この音楽はシベリウスの3番交響曲らしい冷涼さが、そういう熱さに支えられて立ち上がっているという、不思議な感動を生んでいるように感じられます。
音楽芸術としていまだ参照され聴き継がれるべき高い価値があることと、歴史の記録としての意義があること。その両方が分かちがたく共存しているすごさが伝わってきます。
- 2020-03-10:ジェネシス
- LP時代、レコードジャケットをプレーヤーに立てかけて聴いていました。眺めながら聴いていると、ローラ.ボベスコのフランクは何故か艶っぽく聴こえたし、黄色い欄間の下にベームやヨッフムの顔がアップになっているDG盤は愛想が不足に感じてました。
で、このセルの全集は帽子を被り葉巻を咥えて散歩するブラームスの足元にハリネズミが居る影絵という、独断的に言わせて戴けばブラームスのレコード史上最高のジャケットデザインだと思います。クリーヴランドがドレスデンやバンベルクに聴こえてしまうといえば大袈裟だけれど、瓶底メガネのセルの顔が大写しだと全く違うイメージになったでしょう。
でも、この「第3番」と「ハイドン変奏曲」は別格です、正に最高です。セヴェランスホールの残響が少な目な録音が内声部まで無理なく聴かせてくれて今でもよく聴きます。
- 2020-03-06:サンセバスチャン
- リヒテルがコメントしているのは68年パリ管弦楽団の17分かかる演奏です。56年は定規ではかったような演奏で、68年は極度に遅いテンポで始まって物憂さから、圧倒的な高揚に向かいます。62年は15分20秒くらいです。56年はもの凄く明晰な演奏、録音で、68年はバレエのト書きを再現していると思います。
- 2020-03-06:コールアングレ
- 毎日どのような曲がアップされているか楽しみにしております。ありがとうございます。
この演奏,ホルンの音色やヴィブラートをかける奏法などかつてのフランスのオケのように感じました。シルヴェストリとフランス音楽,意外な組み合わせで楽しかったです。
- 2020-03-04:Sammy
- 一聴した印象としては、雰囲気の乏しいややドライな録音、独特の個性的な響きながら今一つ雑なオーケストラ、という中で、指揮者は表情と対位法的な特徴をはっきり打ち出すことに力点を置いたように思えます。
その結果、どこかあっけらかんと、淡々と進みながら、また響きがややガサツな感じでありながら、目鼻立ちが着実に打ち出された立体的で不思議な色合いの音楽になっているように思います。そして気づけばその「淡々」が「飄々」にすら聞こえてくる。
素晴らしい演奏、とまでは思えなくても、いつもはどこか冴えないはずのオケが、今晩はなぜかいつもどおりのガサツな音ながら、指揮者におだてられて大健闘して面白い演奏になった、という一夜の演奏会の再現、みたいな不思議な感慨になります。これもまた一興です。
- 2020-03-02:備前屋の旦那
- そういえば、昔はドラティを「外れの殆ど無い指揮者」として、良く聞いていたものだった。
私は一時新築の木造アパートに住んで、どんなに小音量でステレオを鳴らしても隣人が「五月蝿い」と怒鳴り込んでくる状態になり、全ての機械とLPを処分してしまいました(もったいない事をしました)。
それ以来聞かなくなったのでしょう、一戸建てか、コンクリート建築に一人住まいデモしなければ、ヘッドフォンで聞くしか無いと言うのは悲しいですね。
オーディオが日本では廃れたのも無理はありません。
これは、そのドラティ、しかも指揮者に関係なく次々廃盤になって希少な「ロシアの復活祭」の、それも絶頂期のマーキュリーレーベルの録音です。
聞いてみれば判ると思います。
私なんかがクドクド「クラシック評論家」などというわ知り顔の人達の真似をして解説するより、先ずは聞いて自分の感想を持って欲しいです。
そして、ドラティを聞くことを思い出させてくれたyungさんに感謝を。m(__)m
- 2020-03-02:joshua
- ミュンシュとの共演が前世紀の偉大な功績とは認めつつも、このアプローチで行くなら、トスカニーニNBCと共演したハイフェッツのライブがずっと感激します。1945年頃のSPで音は悪いのですが、終楽章など、よくこの速さでこれだけ正確に弾けたものだと。それと、ハイフェッツの協奏曲録音でいつも思うことは、音の細いこと。上手いのなら、オイストラフ のようにいかないのは何故?
- 2020-03-01:joshua
- そうですかぁ 十代ではじめて聴いたドボ8は、クーベリック指揮バイエルンrundfunkerでした。テレビの貧弱な音でも、すぐに好きになりました。日本橋にレコードを買いに行くと、セル指揮アムステルダムコンセルトヘボウがありました!痩せた音を繰り返し聞くうちにこれまた好きになりました。長らくCDを見つけられず、ネット上で再会したのが、yungさんのこのサイトだったのです。感謝
- 2020-02-29:備前屋の旦那
- このジャケットは、曲名の最初に書かれている交響詩「水の精」(ウォーター・ゴブリン)から来ているのでしょう。
ドボルザークの「四大ホラー交響詩」の一つで、「水の精の王が村娘をさらって無理やり嫁にするが、実家に里帰りしたいと言うので「晩までに帰ってくるように」と言い渡して実家に帰すが、嫁は母親に止められて帰ってこず、怒り狂った水の王は二人の間に出来た赤ん坊を引き千切って実家のドアに叩き付けて去っていく」という物語に題材を得て作った曲なので、この不気味な人物は「水の王」だと思います、青いですし。
「四大ホラー交響詩」の中では最後に完成した「野ばと」が日本での評価が高いようですが、完成時期が他の三曲と離れているので「野ばと」抜きの組み合わせが多いのは面白いところです。
- 2020-02-20:曽呂
- スワロフスキー好きなんですよ(^0^)
クラシックを聴き始めた50年以上前、コンサート・ホールレーベルでグルダの相棒として、またウィンナ・ワルツやポルカ。リストのハンガリー狂詩曲の管弦楽版やらで楽しく聴きました。
この歳になっていつも思う「聴き始めの”刷り込み”現象」の影響ははたしかにあると思うけれど、強烈な個性は感じさせない代わりにスッと耳に入ってくるニュアンスはいまだになんともいえない心地よさです。
- 2020-02-17:Sammy
- この全集は気になりながら、やっと今になって、大好きな6番から聴き始めました。
録音の鮮烈さに驚き、演奏のきりりと引き締まった集中力の高さ、そして悠然としていながらここぞというところでにじり寄り畳みかけるような熱気に圧倒されました。
特に、後期交響曲の中でも随一の、最終楽章の溌溂とした舞踏の音楽の、スリリングで痛快な高揚は本当に素晴らしいと思いました。そのあとの静かな終結も美しいです。
- 2020-02-15:上海51
- グルダの装飾音に関してはK.331のソナタで聴いた事もありましたが、このピアノ協奏曲21番にはたまげました。本当にトンデモない凄い演奏、録音です。それにしても、スワロフスキー先生指揮のオケも素晴らしく、良くグルダの怪演に付き合ってくれたものだと感謝です。27番の方はかなり普通ですので、この21番の凄さは特筆ものです。
後にアバドやアーノンクール残したモーツァルトの協奏曲の演奏は意外と普通なものでしたので、この演奏こそ歴史的名盤と言えそうです。
yung様、良くぞこの録音をアップして下さいました。私の再生環境では素晴らしい音に聞こえます(特に27番)。
- 2020-02-14:yk
- 懐かしい録音ですね。この演奏を未だに”最低ランクに格付け”する向きがある・・・・と言うのは残念です(勿論、無暗に”最高ランク”に持ち上げる必要もありませんが・・・)。
グルダの録音の中でも何故この演奏が際立って”奇矯”なのか?・・・については、今となっては判りませんが、一つには指揮を執っているスワロフスキーの影響もあったのかも知れません。スワロフスキーにはモーツアルトの手稿、手紙などの研究からモーツアルトのピアノ曲演奏における”アドリブ”について色々例を挙げた考察があるそうです・・・・例えば、曰く、
<もちろん、モーツアルトも、協奏曲で(独奏が休止していて)オーケストラが演奏されているときには、彼に振り当てられた通奏低音をピアノによってアドリブ演奏したので、独奏楽器は休んでいる暇がなかった。こうした習慣がなくなったことが協奏曲像を本質的に変えてしまった・・・ハンス・スワロフスキー>(同曲DENONのCD-28C37-31、1985 ライナーノートより)
こう言った文章から、当時は、この録音に聞く”アドリブ”も”奇矯”な演奏と言うよりも、寧ろモーツアルトの時代の演奏の再現という意味で一種の原点回帰(の一環)としての(研究的・教育的?)試み・・・と言う意味合いが有ったように思われ、アバド等も育て当時ウィーン音楽教育界の重鎮でもあったスワロフスキーが、30歳代の若き俊英グルダを擁してこの録音を実現したとも考えられます。
いずれにしても、”正しさ(その他は”誤り”)”を金科玉条とする教条的な原点・ピリオド主義(の悪弊)がようやく一段落した(ように見える)昨今、この演奏ももう一度冷静な目(耳)で聴いてみれば、(好き嫌いは別としても)若さ溢れる挑戦(発)的なグルダのピアノがこういう形で残されたことは単なる”奇矯”以上に喜ばしいことに(私には)思えます。
- 2020-02-14:エラム
- この録音は初めて聞きました。
思わず「これ、ひっでえ!」と笑いながら叫んでしまいました。
しかし改めて痛感するのは、グルダのピアノの美音です。
彼のどの演奏を聴いてもピアノの響きの美しさが素晴らしい。
- 2020-02-13:Sammy
- 魅力的なドラティ指揮ロンドン響の一連のマーキュリー録音をついつい続けて聴いている中で、この演奏はちょっと趣が違うように思いました。
作品のロマンティックな特徴もあるのだとは思いますが、明瞭でシャープな基本的な雰囲気は確実にあるとはいえ、同時にしなやかなレガートや時に大胆なテンポの動かし方から豊饒な音楽がさりげなく立ち上り広がっていく様は見事です。
みずみずしい透明感と共存しながらいわく言い難い美しさが広がる音作りは絶妙で、作品の明るく伸びやかな美しさとさりげなくマッチして、聴いていてとても幸せな気分になりました。そして後半の緊迫と高揚も劇的で、終始クールなはずの演奏なのに、高い集中力故もあって独特の熱気が迫り、最後は感無量の堂々たる終結。
リストからの影響あってのスメタナのはずですが、作品のレベルでは「前奏曲」が「モルダウ」の足元にも及ばない…というなんだか複雑な気分になる現実を、彼らによる両方のすぐれた演奏、録音を聴くことを通じて、残酷なほど鮮やかに感じてしまいました。
- 2020-02-12:Sammy
- リストの「プレリュード」は派手さに関しても、深刻さに関しても、私としてはどうも中途半端な印象がぬぐえません。しかし、これだけこけおどしなく堂々たる迫力で真正面から切り込まれると、何かとてもいいものを聴いた感じになるのが不思議です。そして、この人たちの演奏で、もっといい曲(失礼!)を聴いてみたい、という思いが沸き上がってきます。
- 2020-02-11:Sammy
- オーケストラの重量感と技量の高さ、指揮者の明瞭で鋭い表現、くっきりした録音が相まって、作品が洗い直されたフレッシュで迫力のある形で眼前にまざまざと示される、新鮮な演奏と聞きました。作品の核心に向かって研ぎ澄まされていくような感じがあり、仰る通り、次世代に聞き継がれるべき名演のひとつ、と思います。
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[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
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ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
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[2024-11-04]
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)