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ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92


パウル・ファン・ケンペン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年5月30日~6月1日録音

Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [1.Poco Sostenuto; Vivace]

Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [2.Allegretto]

Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [3.Presto; Assai Meno Presto; Presto]

Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92 [4.Allegro Con Brio]


深くて、高い後期の世界への入り口

「不滅の恋人」は「アマデウス」と比べるとそれほど話題にもなりませんでしたし、映画の出来そのものもいささか落ちると言わなければなりません。しかし、いくつか印象的な場面もあります。(ユング君が特に気に入ったのは、クロイツェル・ソナタの効果的な使い方です。ユング君はこの曲が余りよく分からなかったのですが、この映画を見てすっかりお気に入りの曲になりました。これだけでも、映画を見た値打ちがあるというものです。)

 それにしても、「アマデウス」でえがかれたモーツァルトもひどかったが、「不滅の恋人」でえがかれたベートーベンはそれに輪をかけたひどさでした。
 第9で、「人類みな兄弟!!」と歌いあげた人間とは思えないほどに、「自分勝手」で「傲慢」、そしてどうしようもないほどの「エキセントリック」な人間としてえがかれていました。一部では、あまりにもひどすぎると言う声もあったようですが、ユング君は実像はもっとひどかったのではないかと思っています。
 
 偉大な音楽家達というものは、その伝記を調べてみるとはっきり言って「人格破綻者」の集まりです。その人格破綻者の群の中でも、とびきりの破綻者がモーツァルトとベートーベンです。
 最晩年のぼろ屑のような格好でお疾呼を垂れ流して地面にうずくまるベートーベンの姿は、そのような人格破綻者のなれの果てをえがいて見事なものでした。

 不幸と幸せを足すとちょうど零になるのが人生だと言った人がいました。これを才能にあてはめると、何か偉大なものを生み出す人は、どこかで多くのものを犠牲にする必要があるのかもしれません。

 この交響曲の第7番は、傑作の森と言われる実り豊かな中期の時期をくぐりぬけ、深刻なスランプに陥ったベートーベンが、その壁を突き破って、後期の重要な作品を生み出していく入り口にたたずむ作品です。
 ここでは、単純きわまるリズム動機をもとに、かくも偉大なシンフォニーを構築するという離れ業を演じています。(この課題に対するもう一つの回答が第8交響曲です。)
 特にこの第2楽章はその特徴のあるリズムの推進力によって、一つの楽章が生成発展してさまをまざまざと見せつけてくれます。

 この楽章を「舞踏の祝祭」と呼んだのはワーグナーですが、やはり大したものです。

そしてベートーベンはこれ以後、凡人には伺うこともできないような「深くて」「高い」後期の世界へと分け入っていくことになります。
機動力満点のベートーベン

モノラル録音への再評価


何も今さらこんな古い録音を引っ張り出してこなくてもいいだろう、と言う声が聞こえてきそうです。
それに、ケンペンって誰?ケンペの間違いじゃないの、と言う声も聞こえてきそうです。


  1. パウル・ファン・ケンペン:1893年5月16日 - 1955年12月8日(オランダ生まれのドイツの指揮者)

  2. ルドルフ・ケンペ:1910年6月14日~1976年5月12日(ドイツの指揮者)



ともにドイツで活躍した指揮者ですが、年代的には二回りくらい違います。そして、ケンペンは早く亡くなったというイメージがあったのですが、こうしてみるとケンペも意外なほどに若くして亡くなっていることに気づいて驚きました。
60代半ばでなくなってしまうと言うのは、指揮者の業界では間違いなく「早逝」の部類にはいります。

ケンペンはオランダ生まれなのですが、何故か活動の拠点をドイツに置き、ナチス政権下での活動が徒となって戦後は1949年まで演奏活動禁止の処分を受けます。さらにはドイツ国内ではその処分が1953年まで継続されましたので、まさにこれからという時期に亡くなってしまったと言うことになります。
結果として残された録音は全てモノラルで、且つ数も少ないので「ケンペンって誰?ケンペの間違いじゃないの」と言うことになってしまうのです。

と言うことで、「何もそんな過去の人の古いモノラル録音を引っ張り出してこなくてもいいでしょう」と言うことになってしまうのです。
実際、私もそう感じていたので、今までほとんど紹介もしてこなかったのです。

しかし、この数ヶ月、モノラル録音の再生というテーマに取り組んでいて、その中でケンペンのベートーベン録音を聞き直す機会があったのです。そして、昔聞いたときは何となくぼけた録音だと思っていたのが大間違いで、53年録音の7番や8番だけでなく51年録音のエロイカでさえもかなりの優秀録音であることに気づかされたのです。

録音はフィリップスなのですが、可もなく不可もない(不可になることも多かった(^^;)ステレオ録音時代のフィリップスとは別人のような好録音です。
ちなみに、モノラル録音の再生に関わる問題はこちらの方で少しふれていますので、興味のある方はご覧ください。

Christopher Parker(2)~エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品38

自分も同じ愚を犯していたのであまり偉そうなことは言えないのですが、ステレオ再生を前提とした2チャンネルシステムでモノラル録音を十全に再生するのは難しいのです。そして、この事に気づいたおかげで、最近はますます古い録音の世界に舞い戻っているのです。
そして、これが一番困った話なのですが、そうやってそれなりのクオリティでモノラル録音が再生できるようになってくると、演奏の印象も随分と変わってくるのです。

出所ははっきりしないのですが、50年代の初頭には、ケンペンのベートーベンはフルトヴェングラーよりも凄いと言われていたという話が出ていたそうです。それをはじめて聞いたときは何をぼけたことを言っているのだと思ったのですが、こうして聞き直してみるとそれほどぼけた話ではないことに気づかされるのです。

もちろん、ケンペンとフルトヴェングラーでは音楽の方向性が違います。
ケンペンの音楽は「剛毅」という言葉が一番似合います。その美質が一番よく出ているのがベートーベンの7番でしょう。最初の2つの楽章はまさに「正当派」という言葉がピッタリ来る演奏なのですが、第3楽章にはいるとやや遅めのテンポで押し切っていきます。そして、一見すると剛毅な直線性で造形しているように見えながら、微妙にアクセルとブレーキを調整しながらクライマックスに向けたドラマを演出しているのが分かります。

それは、エロイカにおいても同様で、最終楽章のコーダに突入していく前で少しずつ息をひそめるように身を小さくしていき、そして、吐ききったところで大きく息を吸い込むように間をとってから、一気にコーダに突入していきます。
ですから、表面的にはザッハリヒカイトな音楽のように見えてそう言う時代の流れに迎合した音楽とは本質的に異なるものです。

フルトヴェングラーよりも凄いかどうかはひとまず脇におくとしても、両者は並べて論じるに値する存在であったことだけは確かです。

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