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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2009-10-01:クラ☆おた
- めちゃめちゃ、お久なクラ☆おたデス(*^A^*)
最近、クラブやピアノ、あまりしていない勉強(笑)などに追われてマシタ。。。そして、クラブは軽音なので電子音ばかり聴いてました(^−^;)
そんな私、今度、この天地創造を歌う事になりマシタ!!
私の学校では毎年、冬に芸術祭なる行事を催していて、音楽選択者は市内にある劇場ホールで演奏をシマス。天地創造は2年に1回、全学年で合唱するのが伝統デス♪(しかもドイツ語で!!)
中学の時に、イタリア語でカンツォーネを歌ったりはしましたが・・・・・ドイツ語は難しいデスネ(>へ<)
やはり、ネイティブなバイエルン放送合唱団の方々とは発音が・・・・・orz
とりあえず、頑張りマス(笑)
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- 2009-09-30:ぺんねねむ
- ちょっと重苦しいと思い込んでいた第九が、
「さわやか」に聴こえるんですが……(^_^;)
「解毒」されたんでしょうか?
トスカニーニさんのは、他の曲もなかなか素敵ですね。
不勉強で今まで知りませんでした。
ファンになりそうです
- 2009-09-29:せいの
- じつは恥ずかしながら、「モルダウ」以外聴いたことがありませんでした。全曲聴きましたが、いいですね。なんといっても「高い城」の出だしのハープが印象的です。美しい!「モルダウ」にこのモチーフが使われていたのですね。以降の曲も、スラブ舞曲風やコラール風の印象的なモチーフが幾度となく出てきて、楽しい曲ですね。作曲の意図から、重苦しい曲では・・・と食わず嫌いしていました。
それにしても昔の録音も針音はするもののその向こうから聞こえてくる音は案外に新鮮ですね。メジャーレーベルが歴史的音源をいかにいい加減に扱ってきたかがわかります(^^)。これは「バイロイトの第九」の第2世代復刻(delta classics)の音が新鮮なことでも実感しました。
チェコフィルはノイマン時代より音が渋いですね。ノイマン時代も嫌いではないですが、ちょっと金管が鋭すぎる印象です。(録音のせいもあるでしょうが)
さっそくターリッヒで「わが祖国」のCD買っちゃいました(^^)。54年版ではありますが、語り口は一緒ですね。
- 2009-09-29:カンソウ人
- カザルスの演奏スタイルは、表現主義的なので短い音符はより短く長い音符はより長く演奏させる。バッハの使うモチーフには、十六分音符が二つ並び次に八分音符が一つの形があり「タタ他ッ」という感じに。付点リズムは音価が3対1だが、カザルスは4対1のようにやっている。
全てのパートでこれをすると、アンサンブルの縦の線が揃わなくなる。しかし、そんなことは気にそめずに、自分の主張を貫く。他方、バッハの楽譜は、伴奏パートでも単なる和音の穴埋めの割合は少なく、ポリフォニックに書かれている。音楽の表情は、旋律パートのみが作るのではなく全体像で作り出される。現代の古楽器合奏団のムジカアンティカケルンとよく似た印象がある。ふた昔前の、バーゼルスコラカントールムの古楽器演奏とは似ても似つかない。ただ、高音トランペットやリコーダの音色や歌い回しと、サキソフォンや横笛フルートの運動能力に違和感がある。主な原因は、時折聞こえる通奏低音のチェンバロとの相性のように思う。ストコフスキーの水上の音楽のレコードでは、100人近くの大管弦楽から聞こえるはずのないチェンバロが大きく聞こえてきて、それでも違和感はなかった。というより、漫画チックで面白かったのだ。
- 2009-09-29:カンソウ人
- この曲の魅力の一番は、2本のリコーダーが独奏楽器として使われるところにあるように思える。音楽的、視覚的にも魅力があるように思える。2本の横笛フルートでは表現できないものがあるように思える。
ブランデンブルク協奏曲は実に良い名前をもらっていると思う。4曲の管弦楽組曲はもうかれこれ300年間恨み続けていると思う。演奏会で管弦楽組曲を4曲続けて演奏することは考えられないが、ブランデンブルク協奏曲は一晩の演奏会で6曲束にしても演奏できる。
日本でならば、鈴木雅明さんや小林道夫さんをチェンバロや指揮者にして、ピアノの上手な指揮者の沼尻さんや、大胆に高橋悠治さんなどを中心にしてやれるはずだ。
6曲が違う個性で作曲されているし、ケーテンの宮廷楽団に勤務していた人の人数や楽器、おそらく個人の技術や音楽性を考慮しているからだ。
- 2009-09-29:カンソウ人
- この曲の出だし、バイオリンが揃わない。ほかの1番から4番までにはこんな場面は存在しない。この曲はバイオリンパートが一つしかない。1番から4番までは、バイオリンは2パートある。この曲のチェンバロはバッハの鍵盤作品で最も難しいように思う。バッハを主人公にした映画では、この曲のチェンバロをグスタフレオンハルトが弾いていた。かつらを被っていた。この録音ではピアノで演奏されているが。ケーテン楽団では、いつもバッハはビオラを弾いていた。通奏低音は誰かほかの人が弾いていた。しかし、この曲のチェンバロはバッハが弾いたから、第2バイオリン奏者はこの曲のみ、ビオラに持ち替えた。だから、バイオリンは1パートしかない。この録音では、第1第2ともに同じパートを弾いたから、音量が大きめになりやすいし揃い難い、カザルスが瞬間的に指揮でバランスを整えることもできず不首尾となった。カデンツァのあとの合奏もバランスが悪いように思う。
- 2009-09-29:カンソウ人
- バッハが自分がメロディーを演奏したかったから、自分の担当するビオラが第1バイオリンに代わるように、バイオリンを省いた協奏曲を書いた。そう思う。
- 2009-09-27:カンソウ人
- 若いホロヴィッツ程の技術の持主でなくとも展覧会の絵の楽譜は、難しくない。現代日本の音大の学生たちは、もっと難しい曲を演奏している。音符の数がロマン派時代の名曲としては少なすぎるのだ。だから難しい。
美術館で絵を見ながら歩いていく。絵に対する感想が表現されている上に絵を見ての感情の動きがプロムナードで表現されている。この設定に本質的に魅力があり、設定そのものに内容があり音楽の形式をも作っている。
曲の表現しようとしているものが、ピアノの原典版の音符で表現し尽くされていると考えるか、(作曲技術の拙いムソルグスキーに代わって)何らかの付け加えを行うべきと考えるか。善意からだあっても、ムソルグスキーに直接アプローチしたいと考えるのが現代的であるように思う。ラヴェルのアレンジは素晴らしい。オーケストラの貴重なレパートリーだろう。今日アレンジをするならば冨田勲のシンセサイザーまで行かないと、突き詰めたとは言えないように思う。
とにかくこの時代にホロヴィッツは演奏会場にこの曲を持ち出した。「グノ―ムス」が終わった後で観客の叫び声がする。「殻をかぶったヒヨコのダンス」では笑い声が記録されている。演奏者と観客がイメージを交換しあっている。素晴らしい音楽だ。ラヴェルのアレンジがいかに優れていようと、こんなことはありえない。ラヴェルの作品の出来上がりの素晴らしさを認めないわけにはいかないが、ムソルグスキーの音楽の天才的な訴える力の強さに気が付かないのは寂しいように思う。
- 2009-09-26:カンソウ人
- 一つの時代を作った演奏家だとは思います。いい加減な演奏だとは決して思いませんが、録音の古さとは違った意味で本質的に古いと思います。ピアノメーカーであったエラールのピアノの構造を使って作ったチェンバロの音は、如何に調律しようとも協和音を奏でるときにさえ、濁りを靄のように発生させる。カークパトリックの演奏したチェンバロの音のような立ち上がりのエッジの立った感じがない。ランドフスカが選んだ音にバロックの音楽、バッハの音楽と余りにも距離を感じる。終始する際のリタルダンドやレガート奏法にロマン主義との距離の近さを感じる。
ピアノのグールドの演奏に匹敵するチェンバロ奏者は、グスタフレオンハルト以外には考えられない。エラールや現代チェンバロは使用せず、レプリカのチェンバロを使用し調律もピアノから離れ、奏法や解釈まで全て音楽学通りにやってみる。私は実験的と呼んでいる。グールドは万能楽器ピアノを使うが、ピアノには本質的にチェンバロやクラヴィコードの真似をすることができると思う。
ランドフスカには、ストコフスキーのバッハの現代オーケストラ編曲やギュンターラミンの演奏ほどの意味を認めることはできない。必要悪として妥協し、最大の努力をした人たちほどの魅力を感じない。エラールのチェンバロを使うことはどうも気に入らない。バッハを演奏するならば、素直にフィッシャーのようにピアノを弾いたほうがよかったのではと思います。
- 2009-09-24:Us
- 音質では後年の巨匠たちの演奏に劣るけど、それを踏まえても最高の《悲愴》の1つであることは間違いないと思います。フリッチャイやムラヴィンスキー、さらに最近ではゲルギエフなども素晴らしい演奏を残してはいますが、やはりメンゲルベルクと同じ土俵では語れません。この録音は、本当の(古楽器等ではない)19世紀的な空気を味わえる最後の演奏だと思います。
- 2009-09-24:カンソウ人
- シューベルトのピアノソナタは、ベートーベンのピアノソナタと比較して明らかにモチーフの展開する力に欠けている。聞いていて退屈するように思われます。多声的に書かれている部分がほとんど無く技術的に難しい部分が少ないように思います。演奏が終わって拍手大喝采を浴びる、批評家がピアニストの技術や音楽性をあげつらうのをマスコミから情報を得る。普通音楽が広まって行く道筋とは違うものを感じさせます。19世紀、20世紀の前半はピアニストは演奏する頻度が低かったし、何を聞きとったらよいのかわかりにくい音楽でした。
それまで、聴衆や演奏家、音楽産業にとって否定的にとらえていた部分を逆に肯定的に捉えるきっかけとなる何者かが必要でした。今は、高い頻度で演奏されそれまで退屈だったものを聴衆は受け入れています。私は、ウィンダムヒルのような環境音楽やミニマルミュージック、エリクサティの音楽の発生や流行と同じものを感じています。石油ショックの後の、それまでのエネルギー垂れ流し(言葉は悪いが)を否定したころからの流れのように思います。エコロジーの思想の始まりの時期でした。音楽の受容のあり方の変化から、退屈を肯定的な時間の使い方として(良い言葉が見つかりませんが)捉えているのだと思います。
シューベルトのピアノソナタは、技術的に結構難物のように思います。楽譜通り演奏しても見せどころがあるわけではなく、テーマごとに要求するテンポが違う、全体構成を明確に意識することなど、解釈に関してはこれからの部分が多いと思われます。
シュナーベルの演奏は、ごつごつしていたり、テンポが速すぎたりいろいろ思いはあるのですが、とにかくこの時代の演奏としては彼の物しかありませんでした。現在の流行の先駆けをしていたのですからSP時代にこの長いソナタを録音していたことはとてもすごいことだと思います。同時代の人には決して理解できなかったことを、記録しているのだと思います。
- 2009-09-24:なまず
- いつも楽しく聴かせてもらってます。
今回はじめて感想を書かせていただきました。
普段はよく「重戦車」の方を聴いているせいか、こちらのインテンポは予想を超えてさわやかに感じました。加えて、落ち着きと軽快さを併せ持ったようなクリュイタンスの音作りが面白いです。
何というか、こういう程良く個性的な感じはありそうで意外と無いものですね。いいものをお聞かせいただきありがとうございます。
音質は仰るとおり悪くないと思います。弦の掛け合いもしっかり聞こえてきます。
- 2009-09-23:せいの
- なかなかいい演奏ですね。セルの抑制の効いた指揮ぶりがこのロマンチックな曲を甘すぎないほどよい哀愁を感じさせる曲に仕上げていると思います。月の光に照らされるモルダウのところなど弦の美しさが際立っていて、そこにフルートがせせらぎを表現する冒頭とおなじモチーフを重ねていくあたり絶妙だと思いました。第1主題が終わったあとのホルンのファンファーレ?もほどよく輝かしくていいなと思いました。
この曲を聴いていて、わたしは冒頭のせせらぎのモチーフがフルートから弦に受け継がれて、第1主題が始まるまでが大好きです。何度聴いても感動でぞくっとしてしまいます。
- 2009-09-22:うすかげよういちろう
- この第9、すごい迫力です。
出だしからしてチカラがみなぎっている(ように聞こえました)。
演奏者、怒っているのでしょうか。
最初から最後まで緊張して聴いてしまいます。
ところで、いくつかコメントがボツになりました・・・
<ユング君の追記>
失礼!アップし忘れていたようです。m(_ _)m
「イー感じ(・・*)b」とか、「音悪すぎー」みたいな「ひと言コメント」は遠慮させていただいておりますが、ボツなど言う「恐れ多い」事は基本的には行っていません。(^^v
今後とも、どんどんコメントをよこしてくださいませ。
- 2009-09-22:クリュイタンス大好き
- クリュイタンスきたー!
わたくしはベートーヴェンの全集の中でクリュイタンスが一番好きでございます!
彼がフランスオケの指揮者であることを意識したような各楽器の美しい音色が
彼の自然な演奏のされ方で一層映えるように私には聞こえてきます。
超クールっす!
私がクリュイタンスの全集で一番好きなのは、
ここであげていただいた第7交響曲の他に、
第5番と第2番が好きです!フィデリオ序曲も良かったなー!
色んな人に聞いて欲しい演奏です!
これからもクリュイタンスの音源のアップよろしくお願いします!
ブラームスなんてないですよね…?
いつも色んな音源のアップありがとうございます。
ユングさんのこのサイトの更新をいつも楽しみに生きてます!
これからもよろしくお願いします。
- 2009-09-22:カンソウ人
- 未完成は独語の「unvolledete」の訳語です。英語では「unfinished」です。響きが平坦な日本語に比べて「ウンフォレンデテ」と随分唾が飛ぶとげとげしさ。「みかんせー」の空気をこの曲には感じません。本来ならば、古典的な交響曲の4楽章の形をとるべき音楽が、後半を切断されている。終わることが出来ないのを、無理やりに終わっているのだと思います。
この曲が完成されなかった理由は幾つかあります。第1楽章、第2楽章の完成度の高いこと。第2楽章のモチーフが対位旋律まで魅力的なこと。アレグロとは言いながら、遅めの3拍子で2曲続けたこと。そのため途中まで書かれていた第3楽章では、こけてしまうほどレベルが低いことが予想されたこと。もしも、第4楽章まで書くと、密度の高い音楽が50分続くことが予想されたこと。シューベルトのピアノソナタには未完の物が数曲あります。それらと同じように、曲の完成を諦めるのに慣れていたこと。幾つ作曲を諦めても、別の物を作曲する能力に恵まれていたこと。
もしも、ここで諦めたら、交響曲はもう作れないタイプの人なら、つぎはぎだらけであっても完成させたであろうと思います。
- 2009-09-21:カンソウ人
- このソナタとこの前のソナタ「告別」との間には大きな断層を感じます。私の若いころは、このソナタの内容を深いと感じなくて、28番から(この次のソナタ)後期と思っていました。28番との断層は小さいもののように思います。抒情の透明性、第一楽章の伴奏分散和音の音の開き、感情の瞬間的な変化などに後期のソナタに値する内容を感じています。
- 2009-09-21:カンソウ人
- リッチの演奏は、安定感はないがモタモタは決してしていない。サーカスの綱渡りを見るとき、安定してチラとも不安感を味わせないよりは、よぼよぼ芸人が危なげに綱を渡る方が、集中させられ時間が過ぎていく。美しく程よく抒情的であるより、与えられた時間客を飽きさせねいほうが、技の奥が深い。
不思議なことにパガニーニの作曲技法はは古典派(原典版協奏曲では一度提示部が終わってからソロが入ってくるなど)、影響を受けて作曲した人たちの作品はロマン派。カンソウ人の変な憶測ですが、世間の作曲技法の歴史からしばらく隠遁生活を送っていたのでは。もてすぎる男は辛いよ、金持ち未亡人としっぽり、10年近くドボンしていたとか・・・。
リッチはお年を召してのほうが素晴らしくなるタイプかもしれません。
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- 2009-09-21:せいの
- 数日前にこのホームページを見つけて、いろんな演奏を楽しませていただいています。ありがとうございます。
カラヤンもこういう演奏をしていたのですね。ベルリンフィル時代のレガート奏法のベートーヴェンはだらしなく、メリハリがなく聞こえて、ドラマ性もまったくないし、聴く意味がないと思っていました。(ファンの方、むちゃくちゃ書いてすみません)この演奏はそれなりに心に響きます。きりりと引き締まって、輝きのあるベートーヴェンですね。輝きが内面の深さを若干犠牲にしている感はありますが・・・。フルトヴェングラーやマタチッチが好きな身としてはどうしても「こく」が薄く感じる部分がありますが、カラヤンがこういう演奏をしていたことは新しい発見です。それと、音の美しさとバランスのよさ、2楽章などで感じるオーケストラをドライブする感覚はさすがカラヤンですね。やはり豪華絢爛さを売りにする曲こそカラヤンの得手とするところでしょう。
ただ、CDを購入して愛聴盤にするかというと??です。
- 2009-09-21:近畑 悟
- 初めまして、近畑と申します。まだ未登録です。コメントを書くようにとの条件がネックとなって躊躇しております。(文章を書くのが苦手なので)
「ワルターは頭文字がMの作曲家はいいが、どうもBとは相性が悪い」と若い頃私も感じておりましたが、これを聞いて印象が変わりました。
<ユング君の追記>
いやぁ、これだけコメント書いてくれれば充分ですよ。気が向けば登録してやってください。(^^;
- 2009-09-20:ひろくん
- 音質は悪いですが、ギーゼキングの柔らかく厳しい音楽が心に響きます。
- 2009-09-20:カンソウ人
- グールドのピアノ演奏は2種類の意味に分けられるように思う。一つはバッハやモーツアルト、ベートーベンの演奏のようにごく普通の意味での演奏ではなく、作曲家が作曲するのと同じような意味で自分の演奏様式を表現したいのだと思う。だから、一般的な同時代の演奏家の演奏スタイルと離れた形を意識的に取るのだと思う。バッハだと音楽大学ではもう学ばないかもしれないが、音楽学者ドルメッチの主張やエマニュエルバッハの「正しいピアノ奏法」をドラスティックに取り入れたりする。モーツアルトでは、レオポルドモーツアルトの本を全くとりいれず、譜面の速度記号にわざと逆らったりして自己表現に徹する。私は個人的に、演奏行為による「実験」と呼んでいる。グールド個人的には、精神的に消耗し疲労困憊したに違いないと思う。もう一つは、ヒンデミットやリヒャルトシュトラウス、プロコフィエフ、シェーンベルクなどのごく普通の意味での(それでも風変わりだが)の名演奏や、スコアを前にしてのピアノアレンジ(恐らく未発表の物があるだろう)のようなものに。他人からの拍手を受けて疲労困憊することもなかったろう。
- 2009-09-20:カンソウ人
- 演奏様式的には、新古典主義であり決して表現主義的ではないと思う。楽譜の読みは恣意的ではなく正確であり、テンポは最小限ゆれるだけである。その意味では、ホロビッツやバックハウス、ギーゼキングらと同じ世代であると思う。
演奏はとても魅力的だ。気品を感じる。リパッティがモーツアルトの他のピアノソナタをどのように演奏したかが、とても気にかかる。この演奏からは、モーツアルトの魅力的なピアノソナタをどのように演奏したらよいのかのヒントを得られないのが残念である。
- 2009-09-20:カンソウ人
- コルトーは決してピアニストという枠に収まる芸術家ではないように思われます。パリでのラフマニノフの3番のコンチェルトの初演は、ロマン派ピアノコンチェルトの終着点を意識してのこと、技術的にも素晴らしかったと思われます。指揮者としてのワグナーのパリ初演は、この作曲家の存在が、つまり音楽がロマン主義敵芸術の頂点になった歴史的意味を意識しての物。本人の芸術家としての様式は表現主義的であり、フルトベングラーの指揮、ストラビンスキーの3大バレーの作曲、12音技法で発明者のシェーンベルクの作品、オスカーココシュカの絵画、文学ならば・・・。ピアノ教師として育てたたくさんの弟子の伸ばした個性のバラバラなこと。リパッティ、ケンプ、ハスキル、フランソワ、遠山慶子、・・・。カザルス、ティボーとの室内楽共演。ピアノ教則本、エチュードの数々。芸術的な評論の数々。音楽大学の運営。これだけの仕事をしていたらとても、自分のテクニックを落ち着いて磨くことはできなかったはずにしては、素晴らしい演奏。レコードだけでも相当数。
楽譜の読みは恣意的ではなく確固としたルールがある。しかし、新古典主義的な楽譜に正確とはまったく異なる。自分のイメージでは、新古典主義的な正確さは空間の座標軸がまっすぐなのであるが、コルトーの座標軸は歪んでいる。自分の感情で歪めたのではなく空間に行列を掛けて空間を歪めている。それを、詩情とかロマンとか音を聴いて呼んでいるのではないか、と思う。
- 2009-09-19:カンソウ人
- オルガンの音に細かいビブラートが付いている。これはこれできれいなのですが、バロック的でしょうか?演奏は作曲者バッハとの対話という点では、並ぶものはないように思います。楽譜を見ているような気がしてきます。主観を排していて気持がよいです。音楽学的な研究の発展は、このような演奏を聴いての感動がないと進まないかもしれないですね。主観的な演奏者個人の感情の押しつけがないこと、テキストの尊重が素晴らしいです。
- 2009-09-19:カンソウ人
- フルトベングラーの演奏に関しては、現代の音楽学の進歩で評価してはいけないもののように思われる。ロマンローランのベートーベンの生涯などのような時代のベートーベン研究の音響化と考えたらどうでしょうか。ロマン主義的解釈の最もすぐれたもののように思います。楽譜に書かれた音楽を演奏する意味を確固たるものにした演奏ではないでしょうか。作曲家は、(ほとんど同じやり方で譜面を書くのではなく、一作一作の作曲技法に意味を込めすぎるほど込めて、演奏家はそれに対して解釈をすることで答える。あるいは、作曲家に対立する。そんなことを考えています。
- 2009-09-17:セル好き
- 第1楽章は、なぜかしらカルロス・クライバー/VPO盤に似た景色を感じましたが、その後は大違いでノリノリのカルロスは次第に通常のテンポを逸脱。スタジオミュージシャン対ライブパーフォーマーてな感じでしょうか。
クリュイタンスの方の2楽章は良いですね。低音弦をファンダメンタル中心に録ってあるので非常に落ち着いた響き。テンポもどっしりと。セル好き的にはもう少し見通しが良ければ最高。
- 2009-09-17:しんのすけ
- クリュイタンスのベートーベン、初めて聞きましたが凄くイイ!
全集のアップが楽しみです☆
- 2009-09-17:うすかげよういちろう
- 狭い。1楽章からして、狭い。聴いていていちばん感じるのが狭さという言葉です。
広がりとか、のびやかとか、開放とか、そういうのとは無縁の演奏が展開されます。
何かの修行にはうってつけの演奏ですが、音楽として聴き通すにはかなりつらい演奏です。
(実は、私、2楽章途中で断念しました。我慢していれば、後半はいいのかも・・・・)
- 2009-09-17:うすかげよういちろう
- どこかの部分がゆるくなることのないきっちりとした演奏だと思います。
この曲の演奏に慣れているのか、それとも、全曲を見通したものすごい集中力なのか・・・
渋い演奏ですが、私は、こういうやり方が大好きです。
極小規模の飲食店を営業していますが、ブルックナーの7番はこの演奏をBGMとして流すことにしました。BGMにしたらファンにしかられるでしょうが。
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[2025-11-11]

ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調, Op.20(Beethoven:Septet in E-Flat Major, Op.20)
バリリ弦楽アンサンブル&ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1954年録音(Barylli String Ensemble:Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1954)
[2025-11-10]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV.541(J.S.Bach:Prelude and Fugue in G major, BWV 541)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-11-08]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2(Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
[2025-11-06]

ヴェルディ:弦楽四重奏曲(Verdi:String Quartet in E Minor)
イタリア四重奏団 1950年11月24日~29日録音(Quartetto Italiano:Recorded on November 24-29, 1950)
[2025-11-04]

フォーレ:夜想曲第5番 変ロ長調 作品37(Faure:Nocturne No.5 in B-flat major, Op.37)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-11-02]

バックス:交響詩「ファンドの園」(Bax:The Garden of Fand)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
[2025-10-31]

ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
[2025-10-29]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV.536(J.S.Bach:Prelude and Fugue in A major, BWV 536)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-10-27]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年10月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on October, 1961)
[2025-10-25]

アーサー・サリヴァン:喜歌劇「軍艦ピナフォア」序曲(Sullivan:Overture from H.M.S Pinafore)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)