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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- モーツァルトのなかでも内容の豊かさで比類ない作品だと思います。小林秀雄が評論「モオツァルト」を書く動機になったのが、たしかこのD調ではなかったかな。
ハ短調の第二番も、作曲の経緯をきくとあんまり力が入ってないのかと思い勝ちですが、実際聞いてみるとベートーベンのカルテットにも比肩するほど濃厚なドラマです。最晩年の六番は、ハイドンと二人で書いたのかと思うような、洗練された技巧の極致です。何よりも表情が和やかで、親しみやすいのがうれしい。
ところでちょっとまえに中古で購入したんですが、ジュリアード四重奏団&トランプラーによるこの五重奏曲です。録音は67年。有名なブダペストカルテットによる録音のすぐ翌年ですね。
これがすばらしい。
ライブなので音がちと遠いですが、アンサンブルの完璧な調和がフィルタの向こうから春風のように吹いてきます。ジュリアードの若々しいリズムと、トランプラーの優雅な気品ある音色との相性が絶妙! 元気すぎず厳しすぎず、もっとも自然体なモーツァルトです。たしか70年代後半にも若いヴィオラと同曲を録音してますが、モーツァルト「らしさ」では断然この67年のものが優れている。 未だ聞かない方はぜひ! おすすめです
- 2009-12-08:esuran
- ゆったりとした両端楽章の美しさに胸が締め付けられます。
ワルターを耽美的と評する人は多いですが、情緒におぼれるのではなく、オーケストラを律する緊張感をもって演奏していることがこの録音でわかりました。
ところで、第4楽章の真ん中あたりで、音が飛ぶのは私のPC環境のせいでしょうか?
<ユング君の追記>
これは私がもっている音源に原因があるようで、いいものと差し替えないといけないと思っています・・・と言いつつ、数年放置なのですが(^^;・・・。
- 2009-12-06:あんひろ
- この曲は初でした。
モーツアルトは基本的にほとんど聴きません。自分的に軽すぎるという思いが大きかったからです。
しかしこのサイトで紹介して下さっているのでと思って市販のクラッシックの名曲ガイドを手にモーツアルトにも手を出しています。
そんな経緯で聴いてみたところ曲がとても良かったです。録音状態も1947年にしてはかなりいいですね〜。パソコンで普通に再生しているというのもあるのかもしれませんが・・・。演奏も満足できるレベルにあります。
基本的に暗く重いドラマのある曲が好きなのですが、ときにはそれに疲れてしまって、違う傾向の曲が聴きたいとなったときに、家にあるものの中から選ぼうとすると、明るい曲がないということを何度か経験してきました。
このサイトにはそれがありました。まだ聴いたことのない曲や、様々な演奏家の演奏をこれからもこのサイトを通して知ることができればと思っています。
- 2009-12-02:新習志野
- この演奏、第4楽章のアルト・ソロはキャスリーン・フェリアーですね。たったの数分の歌声ですが、かけがえのないものです。とくに豊かな音色の使い方が絶品!
- 2009-11-29:かなパパ
- すごくすっきりとした演奏に聞こえました。
セルらしい透明感のあるきれいな音で演奏されているためかもしれません。
私が持っているクリーヴランド管弦楽団とのCDと聞き比べをしてみたところ、こちらの演奏では主旋律に重点が置かれて演奏されている様に感じました。ライブ録音のためかもしれませんが、ちょっと残念です。
クリーヴランド管弦楽団との録音がいかにすばらしいものかを実感しました。(透明感のあるきれいな音でありながら、各パートの音の強弱なども、すごい精度でまとめられています。)
- 2009-11-28:カンソウ人
- ブラームスの交響曲は、偏差値が高いという言われ方をする。
単なる穴埋め的な和音の付き方をするところが少なくて、旋律的に動くことが多い。
オーケストレイションの上で、金管だけ木管だけ弦だけが使われるところが少なく、うまく混ぜて使われる。
同じような部分の繰り返しが少なくて、うまく音色・伴奏音形・モチーフなどに違いを作りながら聴く耳を退屈させないように、又は違いすぎて唐突にならないようにする。
どの楽器にも比較的活躍の場を与えている。木管系でも1番ばかりが目立つのではなく、以下の奏者にも演奏に参加する喜びを与えられている。
オーケストラの団員には、受けが良く演奏する喜びがあると思う。
こう書いていて、ブルックナーの反対のような気がするが、どちらも天才であることは間違いがない。ブラームスを演奏して、弦楽器の人が肘を腱鞘炎でいためる、金管の人の唇が腫れあがるとか、なんてありえない。しかし、何が言いたいかと言う点においてはブルックナーの方が圧倒的に明快で、「神がそこにおられる」という一点のみという潔さが素晴らしい。朝比奈隆のブルックナーの素晴らしさで、この神はキリスト教である必要はないような気が私にはしている。
ブラームスの場合、何が言いたいかという点で潔さは無く、そこは寂しい。ベートーベンの後継者になりたかったのは理解できるが、個人的な発言では無い気がする。
それほどたくさんの演奏や作品に触れたわけではないけれど、ブラームスの作品で自分にとって納得がいくものは、ピアノ協奏曲の1番、交響曲の4番作品98、ピアノ曲で7つの幻想曲作品116、3つの間奏曲作品117、6つの小品作品118、4つの小品作品119である。
バーンスタインは、この曲の魅力をニューヨークフィルを使って説明しているのだと思う。私の住んでいる近くには大学図書館があり、そこの良聴覚ライブラリーの中に彼の若き日の、若い人々のためのコンサートのヴィデオが全巻あり、コツコツとほとんどを視聴した。長々マイクを持って話をした後で演奏していた。作曲家のこと、作曲技法のこと、音楽の聴き方のこと、解説と言うよりは大学でも授業に近かった。近視眼的な音楽の部分の説明と視野の広い総合的な音楽の演奏とを、対比させていた。
指揮をすることは、作曲の勉強としてはこの上なく素晴らしく、大学時代合唱ではあるが学生指揮者でそれを感じた。オーケストラがバンと出る時、当時のニューヨークフィルでは説明したり練習したりすることがたくさんあり、ウィーンフィルでは指揮者が邪魔しないことが大切。どうやってほしいかが分かれば、指揮せずとも演奏される。この差は大きいように思う。
そこに、オーケストラをうまく練習させることが出来る、セル、ライナー、ドラティ、ショルティ、若き日のストコフスキーらと、作曲家バーンスタインとは違うのではと思った。
この曲は、カルロスクライバーとウィーンフィルの演奏で魅力を知った。オーケストラの音色の斬新さに魅力に全身が震える思いがした。音がホールの壁に吸い込まれていくその瞬間の美しさ。アルゲリッチのピアノ音と何か共通の物を感じる。整理された建築物のような響きの美しさとは全く違う物であった。バルビローリの柔らかい優しさとも違っていた。この曲は、崩れ去る前の一瞬の美を要求しているのかもしれないと思っている。
このサイトに、ブラームス晩年のピアノ曲集がないのが寂しい。ここには、ブラームス本人が登場しているように思うから。
今は、バーンスタインがウィーンフィルと演奏した記録を聴くのを楽しみにしている。
- 2009-11-27:シューベルティアン
- これが書かれたとき、没年から引き算して17才のはずですが、こんな老成した17才が実際にいたとは信じられません。
シューベルトの作品のどれを聞いても驚かされるのですが、聴衆に対する見栄とか山っ気といったものがまったくない。世間で成功する望みのまるでない、本人にもそういう期待が全然ないように見えます。ただ音楽がそこに「在る」から、在るというだけ。自分のできることだけやって、わかることだけ書いて、それでもう十分という、根深い自信があるようにも見えます。
なんとなく聞いているうちに自分の生活観を変えられてしまうような、ふしぎな魔力を根っこにもつ音楽です。むろんわるく変わるのじゃなし、不安のない落ち着いた気持ちになるのです。
コンツェルトハウスの演奏は、こういう初期作品のくつろいだ気分にフィットしていていいですね。晩年(といっても三十才)の作品、「死と乙女」や弦楽五重奏には、メロスの禁欲的な演奏のほうがぴったりしているように思います。
- 2009-11-27:あんとん
- 私、この演奏今でも大好きです。
実家には今でもLPがあると思います。
聴き直してみても、永遠の名盤たる価値があると思いました。
- 2009-11-26:あんひろ
- この交響曲には私としてはくっきりとした弦楽器の動きや無理を感じさせない盛り上がりを求めます。そして第3楽章を歌わせ聴かせることです。
これまで様々な演奏をcdで聴いてきました。このセルの録音は今まで私が聴いてきた様々な演奏の中でで一、二を争うような素晴らしい演奏だと思います。
個人的に遅すぎるテンポだとこの曲は退屈してしまいます。セルはその点私としてはちょうどいいテンポです。若干速いのではとは思いますが、意味があり無理のないテンポだと思います。ここに挙げられているいくつかの演奏を聴きましたが、速すぎると意味が感じられません。伝わってくる内容も乏しくなります。セルにはそれがありません。十分に曲の持っている良さを聴く人に伝えていると思います。そして各楽器が曲の持つ情感をよく表現できています。
こだわりの第3楽章は若干速いかなあという気もしますが十分に歌っていると思います。
フルヴェンやカラヤンでこの曲を愛聴してきましたが、もちろんこれらは名演奏ですが、それらよりもこの曲に合った演奏だと思います。
- 2009-11-26:シューベルティアン
- 現代音楽の研究なんかして過ごすほど人生長かないので、ほとんど無知識ですが、このバルトークのカルテットと、プロコフィエフのピアノソナタだけはすぐに入っていくことができました。野バラや菩提樹から歌を引き出したのがシューベルトなら、機械やコンクリから歌を引き出したのが彼らではないか、といった感じがします。観念的実験的なゲンダイ音楽とは深いところでまったく相容れない、自然とのまじめな応和があるように思えます。思えるだけで、やっぱり難解には違いないですが。
これは演奏がとてもいいですね。Yungさんの書かれている通り、金属質でない人肌のぬくもりが感じられて、それでもバルトークの味ははっきり出ている、ほとんど理想的な演奏ではないでしょうか。
- 2009-11-23:あんとん
- 私もこの曲大好きです。
私のピアノの腕前は、必死に練習すればこの曲が何とか弾ける程度です。
熟年の魅力というか、季節なら秋ですね。
私ももう40台後半。
もっと音楽体験したいです。
- 2009-11-23:シューベルティアン
- まさかご返事いただけるとは。Yungさんありがとうございます。
吉松隆氏のそのセリフは、なんともいえず面白いですね。
えらい音楽だと思って気張って聞かないほうがいい、ということかもしれませんね。
僕はCD党員だもんで、生演奏で曲の真価を知った! なんて話を聞くと、うらやましくってなりません。一度でいいから、そういう体験をしてみたいですよ。
興味深いご返事、ありがとうございました。
──────────────────────
- 2009-11-23:原 正美
- 壮年期のチェリビダッケの演奏は晩年の演奏と基本的に変化は無い。ただ、第三楽章、第四楽章の高揚感、情熱的な躍動感は晩年の演奏からは聞けないものである。録音年代を考えると、戦争からの復興と、平和への憧憬も背景にあるが、それ以上にチェリビダッケのこの曲に対しての思いが勝ったベストの演奏。
- 2009-11-22:シューベルティアン
- 私はバッハ、ベートーベン、シューベルトをとくべつ尊重して、何度でも飽かず聞いているんですが、ブラームスにはあまり惹かれません。なぜだかわからない。みんなが好きなものを自分も好きになりたいんですが。シンフォニーの一番にせよ四番にせよ、ベートーベンを強烈に意識して、ずいぶん苦労して書き上げたというわりに、たいしたことないじゃないか? と思ってしまいます。
誰かブラームスの魅力を教えてくれる人いませんか。
小林秀雄が「あれは本質的に老年作家だね!」とかなんとかいっていたので、若い時分には理解しにくいものなのかなあ、と思ったら下の「せいの」さんはまったく反対のことをいっておられる。私にはどうもとっつきにくい、不可解な、難しい作曲家なのです。
- 2009-11-22:yung
- 「シューベルティアン」さんのコメント、実によく分かります。私も長い間、ブラームスはどうにも苦手でした。
でも、テンシュテットが初来日したとき、大阪のフェスティバルホールですばらしいブラ1を聞かせてもらって、見る目・聞く耳が変わってしまいました。
そう言えば、最近、作曲家の吉松隆氏がこんな事を書いていて、フフフッと笑ってしまいました。
ブラームス先生の凄さ
「♪ブラームスはどこが凄くてどこが斬新なんでしょうか?
いや、どこも凄くなくてどこも斬新じゃないでしょう。・・・
♪じゃあ全然ダメじゃないですか?・・・
とんでもない!・・・その「どこも凄くなくてどこも斬新でない」ところが凄くて斬新なんですよ!」
冗談めかして書いていますが、卓見だと思います。
- 2009-11-19:せいの
- 若いころはブラームスは好きだったんですが、中年の域になり、暑苦しく、鬱陶しく感じるようになってしまいました。しかし、この演奏はそんな印象を受けません。正攻法で攻めて、なんとすがすがしい音楽でしょう。元気はつらつ、こんなに憂いの少ない4番を聞くのは初めてです。しかし、決して薄味にはなっていませんね。2楽章なんかはほんとに美しい。
さっそくCDを探してみました・・・が・・・ありませんねえ・・・。
いろんな指揮者が晩年には弛緩した演奏をしてしまい、がっかりすることがあります。たぶん、これだけの大人数のプロをまとめあげて制御するには、それなりの気力、体力がいるのではないかと思っています。
- 2009-11-18:カンソウ人
- コルトーの演奏は未完成な部分をたくさん含んでいる。
技術的に鍵盤に安定して指先を当てることに対する失敗にみえる部分は誰にでも簡単に分かる部分だ。
例えば、ポリーニの練習曲ではショパンの譜面に書いてあるものはすべて(音符も表情記号も)技術を用いて音として具現化されている。あいまいな部分は無く、違いを付けて解釈されている。その意味ではこれ以上の演奏は無い。ポリーニの練習曲の録音以上のことをすれば、ショパンの演奏から逸脱することは間違いない。
例えば、アシュケナージの練習曲では技術的、解釈の面では立派なものだが、ポリーニとの勝負は敢えて避けて、ポリーニがすべての面を明らかにしようとしたことでかえって抜け落ちたものに光を当てようとしている。実際の人物としてひ弱な男性ショパンのイメージ(サンドとの倒錯的な人間関係などの)を大切にしている。
この2人の録音は素晴らしいものだが、ショパンの練習曲はそれだけの作品だろうか。
まだまだ抜け落ちているものがある。コルトーのショパンには、18歳のショパンがポーランド在住の時から、20歳近くになりパリに出てくる。異国で眼にする新鮮なことの数々から、人間的にも成長し作品も成熟してくる。その、音楽学的な理解では全く追いつかない部分の数々が音の中に表現されている。
ショパンからショパンの弟子へ伝えられた伝言ゲームの中のことを含んでいる。しかし、だから良いというような単純なものではないと思う。
例えば「恋」を表現するのに、単に甘い音色で弾く(それすらしないのは論外だが)のではなく詩の思いが充分に表現されている。その、コルトーの秘密をピアニストはひも解いて聴衆に伝えなければならないのだと思う。それは伝統というものだと思う。このレベルで録音が残っているのだ。
私は、ポリーニの方を評価している。間違いなくポリーニは先人コルトーを尊敬しているはずである。コルトーの単純な真似ではなく何かを盗むことだと思う。新古典主義の楽譜に忠実のレベルを演奏で超える為には、表現主義的傾向の強い演奏家の古い録音から何かを盗むことだ。
指揮者ならフルトベングラー、クナッパーツブッシュ、メンゲルベルク。ピアニストならば、コルトー、シュナーベル、ソフロニツキー。
ポリーニの練習曲では、名曲の革命と木枯らしに気が付くことがあった。楽譜通りに引いていない部分がある。革命のテーマの付点リズムが複付点リズムに若干近い。木枯らしもそうだ。はっきり言うと、コルトーの弾き癖が残っている部分であると断定する。
コルトーの演奏の中にしか無い物に、注目をすることが必要というかこれからのショパン演奏の課題だと思う。
敢えて言うと、技術的な足りなさにみえる部分は必然なのだ。フルトベングラーの演奏で合奏が合わない部分は、あっていないのではなく音楽的必然なのである。根は同じ所にある。そういう音楽なのである。新古典主義的価値観からの、批判は当たっていない。
しかし、今彼らと同じことはできない。じゃあどうするか。
演奏スタイルを作ること、様式を作ることは非常に大変なのだと思う。
- 2009-11-18:カンソウ人
- ハンガリー系の名指揮者というと、ショルティ、セル、ライナー、ケルテス、等かな。
ケルテスは少し感じが違うけど、音楽が直線的な感じがするのは確かだと思う。
オーケストラの機能美を前面に押し出しているので聴き映えがする。
オーケストラの自主性を引き出すというよりも、自分の音楽をやらせるという感じがする。
問題は、演奏が良いかどうかだ。
フォルテと言えばフォルテ、ピアノと言えばピアノ、クレッシェンドと言えばクレッシェンドでは音楽の底が浅い感じに当然なる。だからと言って、クナッパーツブッシュがシカゴやクリーブランドのオケで成果が上がったかどうかは疑問である。
練習では機能性重視で絞っておきながら、本番ではそれのみにあらずそれ以上の物を求める感じが、セルやライナーには感じる。底が浅いとは思わないけど、方法論としては陥る可能性はあると思う。ショルティは棒で縛る感じがある。オペラでは歌手たちの能力を引き出すというより、追い立てて力を出させるのかなあ。その割に歌い回しなどに癖は感じない。
バルトークは特別に合うように思う。バルトークは偉大な作曲家だ。
- 2009-11-17:鈴木章夫
- 相当に良い演奏です。録音だけが残念です。演奏会場で聴けたら最高ですね。
- 2009-11-08:ナルサス
- この曲を初めて聞いたのはベルグルント/ヘルシンキpoの録音でした。そしてその演奏のあまりの美しさ、透明感に気が遠くなりました。
以来、私にとってシベリウスの交響曲の中では最も好きな曲です。交響曲というジャンルで括っても個人的にはベスト3に入るくらいの曲です。
しかし、確かに世間一般では影の薄い曲のようです。私には真に不思議でならなかったのですが、恐らくその理由は意外にこの曲、まとめるのが難しい曲なのではないでしょうか?
例えば、バルビローリといえばシベリウス演奏の定評の高いとされている指揮者です。しかし、彼の6番は実にまとまりに欠けていて音がぼやけていて何を弾いているのか分からない部分もあります。このサイトにアップされているアンソニー・コリンズの演奏もイマイチ整理しきれていないものを感じます。このカラヤンの演奏も彼の「旋律を歌いたい、歌わせたい」という意識が先走ってかぎこちない感じを受けます。数ヶ月前、N響の定期公演でようやくこの曲の生演奏を聞くことができましたが、指揮者が若くて経験不足、オケのコンディション、NHKホールと悪条件が重なってかグチャグチャの泥団子の演奏でした。
N響つながりで同楽団の名誉指揮者のブロムシュテット/サンフランシスコ響の6番は非常にすばらしい。そして定評あるヴァンスカ/ラハティ響も。しかし、ただ単に音を出しているだけではどうにもならない曲のようです。
- 2009-11-08:かなパパ
- 「すごい!!」の一言です。
各パートの響かせ方など本当に絶妙で、セルらしいすばらしい演奏だと思います。
文句の付け様もありません。
- 2009-11-08:あつし
- いいですね。若かりし頃のバーンスタインの勢いが、実に広がりのある演奏となって表れているようで、個人的には晩年の全集よりもこちらを採りたいですね。
- 2009-11-08:マニア2号
- シャコンヌ(ピアノ編曲版)大好きです。様々な演奏を集めています。
今のところミケランジェリが個人的ベストで、なかなかそれを超える演奏には出会っていません。チェルカスキーのシャコンヌは、ここのブログで紹介していただいたCDで聞きました。「やっぱり、ミケにはかなわないな」とミケファンとしては安心(?)しましたが、なぜか気になる演奏で、何度か聞き返してしまいました。気に入らない演奏は苦痛になってしまって2度と聴きたくないのですが、この演奏は嫌になりませんね。音が綺麗だから?外連味なく端正に弾いているから?
理由は自分でもわかりませんが、結果として、マイベスト2になったようです。
ミケランジェリとは違う動きが聞こえてくるのも興味深いですね。
- 2009-11-05:ナルサス
- 「一見淡々と演奏しているようでありながら実は色々なことをしている」
これこそセルの音作りの本質に間違いないでしょう。
ところで、そのような言葉をどこかしこで何度も聞いた覚えがあります。
宇野功芳氏のムラヴィンスキー評です。
確かに有名な「悲愴」などその通りだと思いますし、また、宇野氏はムラヴィンスキーの来日公演における「未完成」とモーツァルトの39番を口を極めて絶賛しており、しかし、一見速いテンポで淡々と進むように見せかけて絶妙なニュアンスが含まれている演奏ゆえに彼の芸術がマイクに入りきらないと述べています。
贔屓の引き倒しなのかもしれないとは思いますが、初来日時のNHKの録音をCD化したベートーヴェンの4番などこの曲の「クライバー神話」を根こそぎ崩壊させるほどの演奏だと思いましたし、当時ムラヴィンスキーの実演に接した方の多くが彼の実演の凄さを語っていて、まともな音質の録音が非常に少ないことと合わせて伝説を生み出しています。
しかし、セルについては死の直前の来日公演が極めて素晴らしいものであったということは有名なものの、ムラヴィンスキーに比して留意する人の少ないこと・・・・・・
宇野氏の口からはセルの批判すら耳にした覚えがありません。無視している状態です。
このセルとムラヴィンスキーの扱いの差は2人の活動環境にあったのだと思います。セルは西側の超大国アメリカで頂点に上り詰め、膨大な録音を聞きたければ聞ける状況にありました。一方のムラヴィンスキーはまさにヴェールの向こうの巨匠という状態だったようです。西側にしてみれば凄い指揮者がいるらしいが、ソ連での録音はどれも粗雑で実体をつかめない→貴重な西側での実演は凄絶を極めた→しかし彼の実像はソ連に残されたままだ→伝説の誕生という図式が成り立つのではないでしょうか。
セルとムラヴィンスキー、無論2人の演奏から受ける感興は全く異なるものではありますが、人を正しく評価するということはまことに至難だと思います。
- 2009-11-03:せいの
- やはりこの演奏はすばらしいですね。彫りの深さや深遠さがほかのどの演奏とも違います。フルトヴェングラーが思い通りやった、思いっきりのよさがそうさせたのでしょうか。ベルリンの第九(1942)もそういう傾向の演奏ですが、こちらのほうが思い通りやったにもかかわらずバランスが良いように思います。
寄せ集めのオーケストラで、アンサンブルが乱れたりもしますが、この音楽の凄みの前ではそんなことはどうでもよくなります。上手い演奏=良い演奏、でないところが音楽の難しいところですね。
ところで、ニコライの第九(1952.2.3)もすばらしいですよ。美しさがバイロイトよりも際立っているように思えます。
- 2009-11-02:壽圓正博
- 私のブラームス初体験がこの録音でした。(1970年代のことゆえ、もちろん、アナログレコードです。)それで、ブラームスの交響曲にはまってしまいました。しかしながら、生コンサートも含めて、なかなか、このクレンペラーに匹敵する演奏に出会っていません。他の人は知りませんが、私にとっては最高のブラームス3番です。まず、演奏もよいのですが、音の響きも非常によい。よく似た響きにクーベリックの演奏がありますが、それの解説によるとヴァイオリンが左右対向配列のオケとのこと、クレンペラーのこの演奏も間違いなくヴァイオリンが左右対向で中央に中低音を配置したオケと思います。ブラームスにはこの配置が合っていると思います。
変な話ですが、レコードで聞いたときと、CDになって聞いたときでは、間違いなくCDの方が音はクリアなのですが、レコードを聴いたときの感動方が大きかったように思います。これは、初体験の時の感動を思い出すからかとも思います。
ともかく、このレコードが、私のコンサートで聞くことも多いブラームス3番の基準になっています。
- 2009-10-30:ナルサス
- この演奏だけ聞けば、そこそこ好演奏ではあるけど、別に取り立ててなにかを語ろうという気にはなれないでしょう。
しかし、私はクナのエロイカを聞いたすぐ後にこの演奏を聞きました。
クナのエロイカ(ブレーメンフィルとの方だったかな?)は思いがけず良かった。あのエロイカはすばらしい構築物です。本来のエロイカはそのようにあるべき音楽のはずです。カラヤンのエロイカからはそのようなものは感じません。
でも・・・・・・このとき私は何とも言いようがない、ホッとした気持ちになりました。
楽に聞けると言えば言いすぎですが、重石が取り除かれて爽快な気分でこのエロイカを聞いていました。そして同時に、当時の聴衆にカラヤンがどのように聞かれていたのか思いをはせました。
カラヤン登場までの「正しい」ベートーヴェンは「重々しい」演奏しかなかったと思われます。その象徴がフルトヴェングラーだったのでしょう。
そのような演奏様式しか知らない当時の人たちにカラヤンの演奏アプローチというのは、この上なく新鮮だったのではないでしょうか?
「なんか違うかもしれない。本来のベートーヴェンの音楽じゃないかもしれない。でもこういう演奏のやり方があったんだ!」と感じたのではないでしょうか。
そして「新しい音楽」を奏でるカラヤンはスターになっていったのでしょう。
しかし、何十年も時が流れ、カラヤンもフルトヴェングラーも「既成の音楽」の立場で並列して比較されるようになるとカラヤンの分は随分と悪くなってしまいます・・・・・・。
思えば、本人も天下を取ることを望んでいたとはいえ、レゾンテートルとして「音楽界の帝王」を選んでしまったことが後世から見て音楽家カラヤンの不幸でもあったと思います。
「帝王ならばどのような曲でも、特に、重要なドイツ音楽で他の追随を許さない演奏を聞かせてみろ」と以前の私は思っていました。そして彼のベートーヴェンにもブラームスにもブルックナーにも感動したことは一度もありませんでした。
R.シュトラウスは素晴らしいと思いました。新ウィーン楽派の作品集には戦慄で心が揺さぶられました。しかし、そのような曲は天下人が看板に掲げるものでもないでしょう。
そして長いこと私にとってカラヤンは「政治力だけの人」「オケの指揮統率は上手いけど音楽は奏でられない人」でした。そして同じように感じている人は多いはずです。
しかし、もし彼がフィルハーモニア管を生涯の手兵として活動していたとしたら・・・・・・?
ベートーヴェンやブルックナーなどで実際に遺されたBPOなどとの録音と同じ演奏をしても、「正統的ではないが強い独自の主張のある実に魅力的な演奏」という風に評価していたかもしれません。メンゲルベルクみたいにアクが強くてスタンダードじゃないけどこれはこれでありだよなと思ったのではないでしょうか。
「帝王」には「これはこれであり」ということは許されないのです。
- 2009-10-30:ヨシ様
- ステレオ最初期だけに、やはりやや乾いた音がしますね。
しかし、ステレオ録音なので対向配置による左右のヴァイオリンの動きがよく理解できます。
それに、この第1番と第2番のみにデニス・ブレインが参加しているのも貴重です。
(第3番と第4番は、クレンぺラーとの不仲でブレインは参加していないらしいですね。)
- 2009-10-29:ナルサス
- 第一楽章 ― 伴奏のケンプが何と素晴らしいことか
「そこにあるべき音が鳴っている」
無論、メカニックには欠けている部分があることは論を待たない。
しかし、シュナイダーハーンのヴァイオリンに合わせて、何と完璧なニュアンスの合いの手なのか。ある意味、機械以上の完璧な演奏だと思う。
シュナイダーハーンのヴァイオリンは素晴らしい。しかし、彼には申し訳ないが、個人的にはケンプの魅力を堪能する演奏だ。
- 2009-10-27:シューベルティアン
- フルヴェンかトスカニーニか、こういうのはよくある論題でしょうが、私としては断然トスカニーニです。彼の棒は磨き抜かれた鏡のように曲の本質を映し出します。この上なく鮮明なその像を「解釈」するのは無意味でしょう。私はこれを聞いて以来、ほかの演奏家のものをまったく聞きません。まさにベートーベンと「出会う」ことができたと思っています。
もっとも、シューベルト以降の作曲家の作においてこの巨匠がうまくやっているとは思えない。おそらく曲の本質に関わるものであろう幻想美を、彼は「よけいなもの」として、鏡を曇らすだけのものとして拭き取っています。だから華美な曲もその骨組みの弱さが露出されてしまったようなもので、必ずしも作曲家の「心の友」とはなっていないようです。彼が本当に心のなかで握手することができたのは、ベートーベンとメンデルスゾーンだけではなかったかとも思われます。
私は古典派・第一主義で、ロマン的音楽をぜんぜん聞かないもので、こういったトスカニーニのやり方に賛成です。彼は野蛮で独裁的なイメージの強い人ではありますが、きっとそれは仮面で、実のところは話の分かるやさしいおじさんだったろうと思います。なんとなくそんな気がするのです。彼が心ならずもかぶらざるをえなかった仮面は、ベートーベンの身に付けたそれと酷似しているように思われます。
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[2026-08-08]

チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調, Op.74「悲愴」(Tchaikovsky:Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique")
エーリヒ・クライバー指揮 パリ音楽院管弦楽団 1953年10月録音(Erich Kleiber:Paris Conservatoire Orchestra Recorded on October, 1953)
[2026-08-06]

ハイドン:弦楽四重奏曲第72番 ハ長調, Op.74, No.1, Hob.3:72(Haydn:String Quartet No.72 in C major, Op.74, No.1, Hob.3:72)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1937年11月15日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on November 15, 1937)
[2026-08-04]

メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第1番 変ロ長調, Op.45(Mendelssohn:Cello Sonata No.1, Op.45)
(Cell)ルートヴィヒ・ヘルシャー:(P)ハンス・アルトマン 1959年発行(Ludwig Hoelscher:(P)Hans Altmann Published in 1959)
[2026-08-02]

ディーリアス:別れの歌(Delius:Songs of Farewell)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 ロイヤル・コーラル・ソサエティ 1964年4月22日~23日録音(Sir Malcolm Sargent:Royal Philharmonic Orchestra Royal Choral Society Recorded on April 22, 1964)
[2026-07-30]

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第4番 ト短調, Op.40(Rachmaninov:Piano Concerto No.4 in G minor, Op.40)
(P)レナード・ペナリオ:アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1964年10月3日録音(Leonard Pennario:(Con)Rene Leibowit London Symphony Orchestra Recorded on October 3, 1964)
[2026-07-29]

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調, Op.1(Rachmaninov:Piano Concerto No.1 in F-sharp minor, Op.1)
(P)レナード・ペナリオ:アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1964年10月2日録音(Leonard Pennario:(Con)Rene Leibowit London Symphony Orchestra Recorded on October 2, 1964)
[2026-07-27]

バルトーク:ピアノのための組曲 Sz.62 Op.14(Bartok:Suite for Piano, Op.14)
(P)ジェルジ・シャーンドル:1951年1951年9月19日録音(Gyorgy Sandor: Recorded on September 19, 1951)
[2026-07-25]

エルガー:「ゲロンティアスの夢」第2部 (Elgar:The Dream Of Gerontius, Op. 38 Part2)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 (T)リチャード・ルイス (MS)マージョリー・トーマス (Br)ジョン・キャメロン ハダースフィールド合唱協会 1954年11月4日~6日録音(Sir Malcolm Sargent:Liverpool Philharmonic Orchestra (T)Richard Lewis (MS)Marjorie Thomas (Br)John Cameron Huddersfield Choral Society Recorded on November 4-6, 1954)
[2026-07-24]

エルガー:「ゲロンティアスの夢」第1部 (Elgar:The Dream Of Gerontius, Op. 38 Part1)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 (T)リチャード・ルイス (MS)マージョリー・トーマス (Br)ジョン・キャメロン ハダースフィールド合唱協会 1954年11月4日~6日録音(Sir Malcolm Sargent:Liverpool Philharmonic Orchestra (T)Richard Lewis (MS)Marjorie Thomas (Br)John Cameron Huddersfield Choral Society Recorded on November 4-6, 1954)
[2026-07-22]

J.S.バッハ:カンタータ第202番「いまぞ去れ、悲しみの影よ」 (結婚カンタータ)BWV.202(J.S.Bach:Weichet nur, betrubte Schatten, BWV 202)
カール・ミュンヒンガー指揮 (S)シュザンヌ・ダンコ (Ob)フリッツ・フィッシャー (Vn)ヴェルナー・クロツィンガー (Cemb)ジェルマン・ヴォーシェ=クレール シュトゥットガルト室内管弦楽団 1953年録音(Karl Munchinger:(S)Suzanne Danco (Ob)Fritz Fischer (Vn)Werner Krotzinger (Cemb)Germaine Vaucher-Clerc Stuttgarter Kammerorchester Recorded on 1953)