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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ライナー演奏でウインナワルツを評価する場合は、この1957年の録音ではなく、1960年に録音された演奏を評価したい。ライナーの凄いところは、メロディーラインのヴァイオリンに若干の細工を施し、この世の音色とは思えない程美しい演奏をします。この演奏に、シュワルツコップも高い評価を下したのもうなずけます。特に、芸術家の生涯、ウイーン気質、南国のバラの3曲は現存するウインナワルツ録音のなかで、もっとも素晴らしい。玄人好みの演奏。
- 2011-09-10:ほんの
- 最高に好きな曲。むかし輸入版で全集を買って何度も聞きました。この緊迫感、ある種の重苦しさとそれを超えた安らぎは、やはり同時代人のものなのでしょうか。そういう雰囲気はほかの演奏にはなくなったようです。
- 2011-09-10:mentlmenthol
- 私も管理者さんと同様、この演奏に惚れ込んでいます。ヴァイオリン音楽に興味をもってまだ日が浅く「評価」など恐れ多いのですが10点です。1950年にカリフォルニア、クレアモント、リトル・ブリッジ・ホールで録音されたハイフェッツのこの演奏で是非知りたいことがあります。
当時ハイフェッツはグァルネリ・デル・ジェスとストラディヴァリウスの両方を使用していたと存じていますが、この演奏はどちらによるものでしょうか?管理者さん、またはこのブログをご覧になっている方でご存知の方、是非ご教示下さい。まだまだ聴く耳の未熟な私には音色だけでは判断できません。
- 2011-08-31:せんちゃん
- 友人にウィーンフィル大好きな人がいてウィーンフィルが伴奏をつけているチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番がないかきかれてさがしていたらでてきました。ほかには見当たりませんでしたので貴重ですね。
しかしなぜかもっていたけど一度もきいたことがなかった(^0^;)
ショルティの押しの強さが前面にでてきてますが、カーゾンが柔らかく受け流す感じ。しっくりはまっているわけではないのですが結構聞ける演奏でした。録音も悪くないです。ショルティもカーゾンも忘れ去られようとしている感じがありますがやはり巨匠ですね。
- 2011-08-31:こた
- メンバーの小遣い稼ぎ…というよりも、オケ全体の小遣い稼ぎかと思います。
やはり定期公演だけでは、お金がまわらないみたいです。
ボストン以外では、ロサンゼルスフィルも夏はハリウッドボウルでこうした演奏会を集中しておこなっています。
(かつてロスフィルのファンドレイジング担当だった、日本人女性が教えてくださいました。)
定期公演で芸術性を追求するための、大事な「小遣い稼ぎ」です。
- 2011-08-23:紫苑
- この演奏を聴きながら、モツァルトの演奏に必要なものってなんだろう、あるいは、モツァルトの特徴ってなんだろうとつらつらと考えました。
まず第一には「耳に快い」こと。これはモツァルト自身が自作のピアノ協奏曲について語っていることでもよく知られているわけですが、「難しすぎずやさしすぎず中庸を得ていて、耳に快い」というのは、言い換えれば「音の喜び」を十分に堪能できることといってもいいかもしれません。
それから、「古典的調和」の枠組みをしっかり保っていて、それを踏み外さないこと。逆の言い方をすれば、激情の奔流に身を任せて流されたりすることなく、引き締まった演奏をすること。世の中には「激情の奔流に身を任せ」るところに楽しみを見出すような種類の音楽もないわけではないけれども、そういうタイプの音楽とは一線を画したものでなくてはならない。
さらに、その演奏は「魂のこもった」ものでなくてはならない。こういう言い方をすると漠然としていて、いったいどういうものが「魂がこもって」いるといえるのかといわれると困るけれども、たとえば昔から「歌うように」演奏せよなどといわれるのも同じことをいっているなのではないでしょうか。「耳に快く」「調和」を得ていても、それは音楽を形の上だけ再現したものに過ぎないでしょう。わたしが近頃流行の古楽派の演奏を聴いてしばしば物足りなく感じるのは、それが「耳に快く」「調和」を得ているけれども、音楽が「生きて」いないような、言い換えれば生きている人間が自分の魂をこめて演奏しているように感じられないことが多いからでしょう。
これらの条件を兼ね備えた演奏がなされたモツァルトからは「神々しい」としかいいようのない響きがします。そういう性質を備えた作曲家はほかにバッハくらいしか思い当たりませんが、たとえ世俗的な目的で作曲された音楽であっても、人々の耳を楽しませるはずの音楽がいつのまにか「神々の饗宴」のために用意されたかのような音楽となるのです。
こうやってみていくと、この演奏は、モツァルトの本来あるべき姿はどういうものなのか、という問いに対するひとつのきわめて有力な回答であるような気がします。
世の中に完璧ということはありえませんから、わたしは10点をつけることはできません。となると、この演奏にはごく控えめに9点を投票するしかなさそうですね。
- 2011-08-20:藤田伊織
- ウラッハのクラリネットは今でも好きですが、バックの弦楽四重奏の演奏にこの頃違和感を覚えるようになりました。この数年、バッハの歌の曲をよく聴くようになり、古楽演奏法になじんできました。それでだと思いますが、弦楽器のヴィブラートがうっとうしくなってしまって、以前は素晴らしいと思っていた演奏もあまり聴きたくなくなってきました。でも、クラリネットは相変わらず、ヴィブラートなしです。そこがとてもいい。と思ったら、クラリネットはもともとヴィブラートをかけないことになっているのでした。なぜかなあ。といろいろ考えました。
とりあえずは、ヴィブラートの少ない演奏を作ってみて、あわせて物理的に解明してみました。
http://www.geocities.jp/imyfujita/mozart-clarinet-quintet/mozartclarinetquintet.html
- 2011-08-14:ギネス
- この盤を褒めて下さり、身内の様に嬉しいです。「こんなのライブで聞かされたら、、、」と有りますが、1959年のニューヨークフィルとのライブも凄いですよ。モノラルであるのが残念ですが。
- 2011-08-14:ギネス
- 私も最近フィルハーモニア管との録音を意として聴いております。反省もしています。
「意外?」とまで言ったらカラヤンが可哀そうかもしれませんが、この両者の組み合わせが生み出した音楽は実に素晴らしい物が多いですね。
スタイルは後年のベルリンフィルとの原型かもしれませんが、こちらの方が演奏に心が入っている感じが致します。ベートーヴェンの全集なんかもそうでした。
「アッ良いな!!」という瞬間が多いですね。
またこの頃までのカラヤンの顔も私は好きです。
- 2011-08-14:ギネス
- この1楽章中盤からのテンポの速さは尋常では無いですし、金管も打楽器も頑張りますね!!
この録音は1959年で、これに比べると4番1957年と6番1958年と僅か一年ずつではありますが、録音レベルの改善を感じます。惜しむらくは4番,6番も5番レベルだったならばもっと評価も変わったのでは??と思うのは私だけでしょうか。
そういう意味では5番は録音ともに名盤だと思います。
- 2011-08-13:ジェネシス
- 天下のベルリンフィルと手兵であるハンブルクフィルやバンベルク響が、さりげなく何気に同居しているのがカイルベルトのテレフンケン盤でした。
で、A曲がベルリンだから名演でB曲はバンベルクだから今一つでトータルで「準推薦盤」というのが当時のレコ芸に大先生方の定番評でしたね。ブラインドで聴きゃ判らないくせに。
同じ頃(57年)のセルの洗練され締りに締まった名演を刷り込まれてしまってると、この演奏は冒頭から、とても伸びやかに聴こえます。後半も拡がったまま盛り上がって来るので、聴き終えた後、とても爽快感が残りました。
深い響きを持ったオケですね。ブラームスのお父さんがコントラバスを弾いていたこともある超名門らしいけれど。
- 2011-08-11:Lisadell
- 同年、シカゴSO&ハイフェッツ先生が収録したものを先に聴きましたけど、全体としては遜色ないですね。
ただ1撃必殺の1音は、どうしてもハイフェッツ先生が、というのも詮無いことです。
- 2011-08-07:ちょろ
- 大感激です!
今を去ること30年前。宮沢賢治の小説に出てきた「新世界交響楽」なるものを聞きたい! とねだって、吝嗇なオヤジがようやく買ってくれた廉価版がこのフリッチャイのLPでした。
甘美な木管、輝く金管にただただ圧倒され、とうとう吹奏楽部で中学高校を過ごしてしまいました。何度も何度も聞いたフリッチャイの録音も、今はどこに仕舞ったかわからなくなり、ただ自分の脳裏に残っているだけでした。それ以外の「新世界」を耳にすることがあっても、なんとも味気なく、いつしか「新世界」というだけで避けるほどになっていました。
なんと! あの思い出の録音ではないですか! 解説で述べておられる「溜息」の間合いまで、記憶そのままでした。自分の原点がここにあったことを、久々に思い出しました。ほんとうにありがとうございました。
- 2011-07-31:ジェネシス
- 当時のウィーンフィルから、とても締まりのあるアンサンブルを引き出していますね。少し後のクリップスの「ドン.ジョバンニ」の超柔らか?い演奏とは対称的に感じます。若きギュンター.ヴァントが符点リズムを揃えようとしたらコンマスが文句を言った時代らしいけれど。EMIと英デッカの違いもあるんでしょう。
セーナ.ユリアッチという歌手はセスト.ブルスカンティーニという名バス.ブッフォの奥さんでしたよね。
ルチア.ポップ、エディト.マティス、アンネリーゼ.ローテンベルガー、リタ.シュトライヒ、(もちろんシュワルツコップもだけど)。皆、気品とセクシーさを併せ持った美人でした。
ビルギット.ニルソンだけは例外で「大阪のおばちゃん」風だったそうですが、これはこれで、とても素敵でインタビュアーが片っ端からイカレてしまった様です。
- 2011-07-31:原 響平
- 昔、パイ音源のLPで聞いたことのある演奏です。
非常にスピード感と清涼感のある演奏で、現役の指揮者では再現は難しいでしょう。
ボールドの演奏に、ドイツ音楽の重厚さ、無骨さを求めるのは筋違いな気もしますが、演奏を聴き終えたあとの、何とも言えない清々しさは格別です。
でも、悲しいかな、セルとジュリーニ指揮のラインの演奏が後ろ髪を引くのです。
- 2011-07-26:ジェネシス
- この演奏、このコンビのベートーヴェンとしては「田園」の次に評価されているみたいですが。
なにせ「エロイカ」といえば、セルの1957年の超名演を刷り込まれてしまっているもんで、締まりの不足を感じてしまいます。指揮者の資質の違いで、オケのせいではないと思います。パリ音楽院管を振った、シューリヒト盤では、それなりにエキサイトさせられましたから。
決して極端に走らずに造型を崩さないのは、ワルターらしいですが。
- 2011-07-25:カンソウ人
- 第2番の協奏曲、5曲の中では割と好きです。第1番は大学の教育学部の卒業演奏会で毎年のように演奏されていて、ピアノボックスでよく聞こえていたので・・・。
それが嫌な印象を残しているのかも知れません。曲のプロポーションも、も一つです。
第2番は、クレイジーキャッツの桜井センリが芥川さんのラジオ番組のゲストで出ていたときに、リクエストされていて「これがいいんだ」と力説しておられたのを思い出しました。
ケンプのスレレオ盤やバックハウス、グルダ、グールド。演奏会で演奏することが比較的以上に少なくて、演奏家にとっても新鮮なのかもしれないです。第一楽章の第一テーマが、下降音形で押し付けがましくないのが気に入っているのかもしれません。第1番と第3番は押し付けがましくないですか。どう思います?
中学校時代の話です。
東芝の廉価盤のシリーズにアラウの協奏曲はたくさん入っていて、皇帝は友達の誰かが買っていて、自分は2と4のコンビを買ったのだけれど、誰も借りて聴こうとはしませんでした。中学生には、3と5のコンビが人気がありました。フィリップスのハイティンクとの共演は、聴く機会がありませんでした。高いから中学生は買えなかった(ハハハ)
社会人になってからですが、アラウは結構高齢になるまで録音をしていて、御本人もピアニストの先輩たちの事を批判していていました。ケンプは自分を作曲家と定義していて練習はあまりしていなかった。フィッシャーは、若い時からあまり練習をしていなかった。などと。さすがにバックハウスの事は何も言ってなかったです。
なので、彼らほど技術的に衰えることなく高齢を迎えていました。ピアノの音も、独特の肩の力の抜けた快い響きがしていました。テンポはさすがにゆっくりでした。
ユングさんの、意見に反対される方もおられるかもしれません。しっかりと時間を掛けて練習をして、衰えを緩やかに、技術的にも音楽的にも工夫したのが、ピアニストアラウの晩年でした。その意味では良心的です。ケンプやフィッシャーほどに、レッスンに時間を掛けていなかったかもしれません。彼らの薫陶を受けた人は多いですよね。
コリン・デービスとの第4番は結構好きな演奏でした。曲が許すのでしょうね。皇帝ならどう思ったか?
FMで聴いた、来日時のライブのシューマンの交響的練習曲は、技術の都合でリズムが変型していたように思いました。音は柔らかくてきれいなのですが・・・。終演の凄い拍手で、あれを聴いて拍手を自分は出来ないな。尊敬はしても、録音だけにしたらよいのになんて思いました。
ガリエラは、まじめすぎるかな?独奏者の世界に踏み込んでも良いのに。も少し独奏者を発奮させるような感じ。も少しです。
- 2011-07-25:greengrass
- 出だしから、引き込まれる魅力溢れる演奏でいたが、すぐにモノラルと気づき少しがっかりしました。
また、バイオリン独特の伸びるような高音にそれこそノビが少ないように思います。
(録音方法? MP3?に依存するのかな)
- 2011-07-24:扇翔
- ユングさんはそうおっしゃいますが、私が好きなアラウの演奏は歳をとってからのものが多いです。私にとって老境以後のアラウと全盛期のケンプほど、一音一音にこれほどの魅力を持たせることができるのかと感嘆させられる奏者は見出せません。
数年前に「ナンバーワンにならなくてもいい、オンリーワンでいいんだ」という風な趣旨の歌詞のS○APの歌がヒットしましたが、私はオンリーワンというのは2位や3位というのではなく、「誰かにとってはナンバーワンになりえる存在」なのだと思います。そしてこのクラシック音楽のみならず、芸術全般においてそのようなオンリーワンの存在になりえることこそが業界に生きる人達の至上命題なのだと思います。
ユングさんが以前、山について書かれていたこともあり、あえて山で例えさせてもらえば純粋な記録というのは標高です。そして、その意味での日本でのナンバーワンは富士山です。しかし、「一番好きな山」を登山者に問えば、槍・穂高、北岳、甲斐駒、八ヶ岳、飯豊山、トムラウシ・・・様々な答えが返ってくるでしょう。これらの山々は誰かにとってナンバーワンになりえるオンリーワンなのだと思うのです。
誰かにとってナンバーワンになりえる傑出した魅力。アラウの生涯においてそれが息づいていたのは紛れも無く老境以後の演奏だと私は思うのです。
- 2011-07-24:usakichi
- ユング様には、いつも興味深い演奏をアップいただきありがとうございます。
さて、私は、アラウの熱心な聞き手というわけではありませんでしたが、コリン・デイビスとの競演による皇帝をYou Tubeで見て、認識が一変しました。
確か技術的な衰えはあるものの、人生の黄昏を感じさせるような第2楽章の深い歌、これは貴重です。
キレと勢いのある今回の演奏も十分魅力的ではありますが、晩年の演奏も捨てがたいですね。
- 2011-07-17:セル好き
- スケール感や表現性に全く過不足無く完璧な演奏がパッケージできた例のように思います。
500人くらいのちょうどいいサイズのホールで聴くような録音も好ましい。
- 2011-07-16:カンソウ人
- ラヴェルのピアノ曲の中でも、飛びきりの難曲はこの夜のギャスパールでしょう。「水の戯れ」がリストの「泉のほとりで」や「エステ荘の噴水」を編曲と言う意味では全くありませんが、イメージを下敷きにしているようです。それと、リストの中のゲルマン的な要素、どうしても入ってしまうのでしょうが、そんな重さはラヴェルのピアノ曲はうまく避けています。スカル簿は難しいけれども、スケルツオであって、軽さを必要とするって、フランスのピアノの先生方はレッスンで言うらしいです。
ラヴェルは時代も近いので、直接レッスンを受けた人の弾いた録音が沢山あります。もう偉くなっていて、ラヴェルのレッスンを受けなかった人もいます。
ウィットゲンシュタインの弾いた左手の協奏曲が楽譜通り弾いていないという理由で、気に入らなかったラヴェルは、楽譜の指示通り弾けそうな連中を音楽院の中で探してレッスンしたんだって。ジャック・フェブリエやペルルミュテールらしいです。ラヴェルは、「楽譜に書いていない事はするな」とよく言ったとか。要するに、自分勝手なムードに弾いて欲しくないのでしょう。ラヴェルが指定したムードが欲しいのです。フェブリエのラヴェルの録音が、1963年でした。
サンソン・フランソワの演奏は、おそらくラヴェルの指示は守っていないでしょうね。指も怪しいし、雰囲気も妖しい。ポゴレリチの演奏は、パートの弾き分けが細かくてニュアンスに富んでいて、この曲が難しいなんてご本人感じていないみたい。「水の精」の右手も、だいたいペダルで和音が鳴るようなものでは無くて、指の分離が凄過ぎ。妙な色気があり過ぎとも・・・。
フェブリエやペルルミュテールらの留学生へのレッスンが効いてか効かずか、ラヴェルって解釈の幅が狭いのかなあ、なんて思いもあります。
最近聴いた、少し古い録音では、クロード・エルフェの演奏が強烈でした。少し冷たい暗い音色ですが、余計な要素(色気や妖気)は入らないで、音楽の力で勝負したラヴェルって感じでした。メシアンやクセナキスなどを弾きこなす(アナリーゼや技術、曲の価値が理解できる)人と、ラヴェルやドビュッシーを普通に弾いている人とは、表現しているモノが違うって感じでした。エルフェの録音が、1970年でした。
- 2011-07-16:ろば
- アラウの演奏は縁がなかったせいか、晩年のしょぼい演奏を聴いてそれっきりでした。
パブリックドメインとユングさんのおかげでこうして素晴らしい演奏を聴けるのは大変ありがたいことです。
しかし、複雑な思いも。
演奏家のピークというものをまざまざと見せつけられる怖さもあり、常に新しい技術で録音したものを提供したいという思いもあるでしょうし、単純に『良い演奏を提供していればいいのだ』というのもちょっと世知辛いような気もしますし。
でもまあ、そのような考えは置いといて、新たにアラウを堪能したいと思います。
- 2011-07-13:セル好き
- 同時期のクリュイタンス盤のベートーベン同様、解き放たれたベルリンフィルな演奏で、こちらは暴走気味。
こういうものはこんなもんよ。という感じで、後半少しこなれた感じになるあたりから前半は公開リハみたいな印象に。
- 2011-07-11:吟水
- バーンスタインって、そんな人情家?だったのですか? イメージと違いますね。
ま、いい人だけでは勤まらないのは、経営者も一緒ですね・・。
万博の時(1970年!)に フェスティバルホールで、NYフィルを聴きましたが、この時は まだ マシだったのかな?
- 2011-07-02:ジェネシス
- 多くのジャズ奏者たちが演っている「ウェストサイド.ストーリー」ナンバーの作曲者の弾くガーシュイン、というイメージで聴くと肩透かしを喰らいます。
かつて、フィードラー.ボストンポップス盤と並んで、「レコ芸」誌の大先生方推薦の定番でしたが、ユング先生もおっしゃる通り、決してジャズ的でも何でもありません。
ガーシュインという作曲家を、どう捕らえるかで大きく変わってしまうと思います。コール.ポーターや、アーヴィング.バーリンや、ホギー.カーマイケルの様な、ジャズソングライターなのか、バーバーや それこそグローフェの様なクラシック畑の仲間なのか。
マゼールが「ポギーとベス」をオペラとして大真面目に演った全曲盤もあって、それはそれとして一つの見識として正座して御拝聴すべきなんでしょうけど。
このバーンスタイン盤に何か中途半端さを感じてしまうのは、その後の晩年のユダヤへの耽溺を思い起こしてしまうからかも知れません。
この曲、百歩譲って、プレヴィン.ピッツバーグ盤かな?。でも、どうせプレヴィンのピアノで聴くのなら、シェリー.マン レッド.ミッチェル、なんかとトリオで演ってくれた方が魅力を感じます。モーツアルトの弾き振りよりは。私は。
- 2011-07-01:ジェネシス
- やはり1930年代の録音ですね。
音がコモリ気味なだけじゃない。
フレーズには、時折オカズが入るし、カデンツァはビバップジャズのアドリブみたいなのが延々と続いたりして。
でも何故か、何故か、聞き入ってしまいました。
大御所だったんでしょうね。
ランパルやデボストの先輩というか師匠に当たる人で。
- 2011-06-22:ジェネシス
- セルというと最晩年のEMI盤を挙げる方が多いんですが、私はどうもあのレーベルの音質に納得することが、少ないんです。
ギレリスにつけたベートーベンの協奏曲も然り。ヨッフムが振ったドレスデンをあんな音に録ってしまう会社という先入観さえ刷り込まれてしまっています。
むしろ、マイナーレーベル、エピックがどうの、セヴァランスホールのロケーションがどうのと巷間いわれているアルバムを聴いてみると、これが彼らの欲したサウンドだったんじゃないかという気がします。
ティンパニの横に衝立が1つだけというシンプルなセッティングでレコーディングを行っている画像を観た記憶があります。
初ステレオ録音というスタッフの気合さえ伝わってくる史上最高の「エロイカ」をはじめ、1957?59年のエピック盤は名演ぞろいです。是非、この曲と「ドボっ八」も聞き較べていただきたい。。
決して、決して最晩年に人間味とやらが出てきたんじゃないってことが感じ取れると思います。
- 2011-06-22:かんのしげる
- そうやって何時もオーケストレーションの問題を指摘されるのがシューマンの交響曲。みんなこの曲は後世まで残らないだろうと思っている。そういうこといわれながらしょっちゅうベートーヴェンみたいに世界中で頻繁に演奏されるのもシューマンの交響曲。邦人作品のどれよりもしっかり歴史に残っているのも事実。
実はシューマンのオーケストレーションは直しようがない。グスタフ・マーラーがいくら手直ししても全く同じ効果。逆にモーリス・ラベルがピアノ曲をオーケストレーションに直した物がいくつかある。あの管弦楽法の天才だからみんな何とかなると思っている。ところが結果は誰がオーケストレーションしても同じ。あの「下手な」オーケストレーションはシューマンの個性そのもので絶対直されることは無い!
- 2011-06-20:Osamu Fukuda
- 初めてBlue Sky Labelを聴きました。今までずっとこの曲を探してきましたが、30年ほど前に、NHK FMで聴いたものかもと思うほど耳になじむもので、なつかしいものにであった思いで感動しました。
つい何回もきいてしまいました。
これからも引っ越しでなくしてしまったカセットテープで聴いていた曲を探してみようとおもっています。
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[2025-11-10]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV.541(J.S.Bach:Prelude and Fugue in G major, BWV 541)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-11-08]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2(Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
[2025-11-06]

ヴェルディ:弦楽四重奏曲(Verdi:String Quartet in E Minor)
イタリア四重奏団 1950年11月24日~29日録音(Quartetto Italiano:Recorded on November 24-29, 1950)
[2025-11-04]

フォーレ:夜想曲第5番 変ロ長調 作品37(Faure:Nocturne No.5 in B-flat major, Op.37)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-11-02]

バックス:交響詩「ファンドの園」(Bax:The Garden of Fand)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
[2025-10-31]

ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
[2025-10-29]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV.536(J.S.Bach:Prelude and Fugue in A major, BWV 536)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-10-27]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年10月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on October, 1961)
[2025-10-25]

アーサー・サリヴァン:喜歌劇「軍艦ピナフォア」序曲(Sullivan:Overture from H.M.S Pinafore)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-10-22]

バターワース:管弦楽のための狂詩曲「シュロップシャーの若者」(Butterworth:A Shropshire Lad)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)