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セル|スメタナ:「我が生涯」(ジョージ・セル編曲による管弦楽版)
スメタナ:「我が生涯」(ジョージ・セル編曲による管弦楽版)
ジョージ・セル指揮 クリーブランド管弦楽団 1949年4月26日 Cleveland Severance Hallにおいて録音
Sumetana:わが生涯より「第1楽章」
Sumetana:わが生涯より「第2楽章」
Sumetana:わが生涯より「第3楽章」
Sumetana:わが生涯より「第4楽章」
音による「私小説」

この作品は音による「私小説」です。
それも自らの苦しみを赤裸々に綴った私小説だといえます。
この手の私小説は読んでいてしんどくなることが多いのですが、どうもこの作品も苦しみの吐露があまりにもリアルであるために、正直言って聞いていて楽しい作品とは言えないかもしれません。
第1楽章から第3楽章までは結構楽しげな音楽なのですが、問題は最後の第4楽章にあります。
音楽が最高潮に達したところで、異常に高いバイオリンの高音(ホ音)が音楽を断ち切ります。言うまでもなく、それはある日突然スメタナを襲った耳の疾患を示しています。
今までの明るい日々の暮らしが、それを境に一気に転落していく様はどう考えてもあまり楽しいものではありません。
心してお聞きください。(^^;
ジョージ・セル編曲による管弦楽版
クリーヴランド管弦楽団による自主制作盤にもシューベルトの室内楽曲をオーケストレーションした録音が収録されていましたが、これもセルの手になる貴重な編曲版の録音です。
さらに、1949年という年は、セルがクリーブランドのシェフに就任して「血の雨」が降らした後、ようやくにしてこのオケを自らの楽器として手中に収めた頃の録音です。
この血の雨というのは、簡単に説明しますと、いわゆる言葉の正しい意味での「リストラ」を行ったと言うことです。今の時代は「リストラ」といえば「首切り」の別名のように使われていますが、本来は業務のあり方を根本的に見なす中で必要な人員の再配置を行うことで、決して労働者の首を切って人員を減らすこととイコールの言葉ではありません。
セルはオケの運営に全権を握ることを条件にこの地方のオケに就任しました。そして彼は就任一年で半数近い楽団のメンバーを首にしました。しかし、それはオケのスリム化(?)を目指したのではなく、彼が要求する水準に察しないメンバーの首を切り、若くて優秀なメンバーに入れ替えたのです。
話は変わりますが、「人道主義者」のバーンスタインはニューヨークフィルの音楽監督に就任したときは、その10年の在籍期間中に一人の首切りもしませんでした。そのため彼は楽団のメンバーからは絶大な支持を受けていました。
反面、セルは多くの楽団メンバーからそれこそ「ファシスト」呼ばわりもされました。もし彼のことをよく言うメンバーなどいたら、それこそ仲間内から裏切り者呼ばわりされかねない雰囲気だったようです。
しかし、その結果はどうだったでしょうか。
ニューヨークフィルはバーンスタインの在籍10年で、ゴミ満載のアンサンブルしか作りさせないオケに転落してしまいました。逆にクリーブランドは無名の地方オケからアメリカを代表するオケにのし上がり、ついには近代オーケストラの一つの頂点と称されるほどの存在になっていきました。いい人だけでは勤まらないのが指揮者という仕事です。
確かにバーンスタインはいい人で、彼の芸術を否定する気はありませんが(彼はすでに出来上がっているオケに客演すると実にいい仕事をします)、音楽監督としてオケを鍛えて、常に一定の水準を維持していくには不向きな存在であったことは事実です。
この録音は、そういうセルが強権を発動してオケの体質を一新した後に、いよいよ自らが理想とするオケを作り出していこうというその第一歩を歩み始めた頃の貴重な録音です。
この録音がインターネットを通して多くの人にスムーズにお聞きいただければいいのですが、いかがでしょうか?
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よせられたコメント
2011-07-11:吟水
- バーンスタインって、そんな人情家?だったのですか? イメージと違いますね。
ま、いい人だけでは勤まらないのは、経営者も一緒ですね・・。
万博の時(1970年!)に フェスティバルホールで、NYフィルを聴きましたが、この時は まだ マシだったのかな?