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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 沢山のクラッシック音楽がありますが一番ジイッと心に沁みわたります。
- 2011-05-14:美晴児
- 私が最初に買ったブルックナーの交響曲のLPがこれでした。中学3年だったと思います。1962年でしょう。発売と同時に早速購入しました。
今はなくなってしまいましたが、ディスクというレコード雑誌があり、「アンチ・ポピュラー・コレクション」という特集がありました。曰く、「ベートーベンの運命とか、ドヴォルザークの新世界などは、聴きたければ名曲喫茶(!)で聴ける。乏しい持ち金をはたいて買うのだからそんなところでは聴けないものを買ったらどうか。」という趣旨の企画で、ブルックナーの交響曲第9番(ベイヌム)とかマーラーの大地の歌とかバッハのゴールドベルク変奏曲などが含まれていた気がします。当時、ブルックナーもマーラーもLPはほとんど発売されていなかったのです。LPのリストとは別に座談会の記事があり、そこにはその前年(1960)カラヤンによって日本初演されたブルックナーの第8交響曲を聴いた興奮が溢れていました。「あの溢れるロマンがLPで間もなく発売されるんですね」といった調子で。
発売当初は大絶賛だったこの演奏ですが、ブルックナーのLPが増えるに従って賛否両論の議論の渦に巻き込まれました。渦を作ったのは、その後高名な音楽評論家に成長した**氏だったのではないかと思っています。
今は手元の20種類くらいのブル8があります。カラヤンの演奏は長いこと聴いていませんでした。今では、「これが本当のブルックナーかどうかなど素人の言える領分ではない」と思っています。いろいろ聴きくらべて、「うーん、この演奏のここはいいな。」などと思っています。カラヤンのこの演奏は、ずっと聞き慣れていたせいでしょう、肌にぴったりする肌着みたいな感じがします。
- 2011-05-12:nako
- なんて優しい演奏なんでしょうか。ほとんど神ですね。
指揮者が作曲家の上を行ってしまっている・・・というのは言い過ぎでしょうか?
でも、ワルターさんが、最期の最期に達した境地みたいなものを感じ取れる演奏だと思います。
なんで戦後にワルターさんがヨーロッパに戻らなかったのか、ずっと不思議に思ってきました。
だけど、これを聴くと、うっすら判るような気がします。
多分、彼は人生に起こった理不尽極まりない出来事を、すべて許し、受け入れたのでしょう。
でなくて、こんな、中年男のうじうじ陰気なエゴ丸出しの曲(←すみません、ブラームスという人間が好きじゃないんです^^;)を、こんなに温かく包み込むように演奏は出来ないと思います。
クライバーさん、大好きですが、残念ながらこの曲に関しては、ブラームスの煩悩に共感するところで終わってしまっているような。それもまた、人間臭くてよろしいんですが、ワルターさんの大きさ、温かさには負けてしまいますね…(哀)
- 2011-05-10:E・ぷらんくとん
- 各々のパーツは美しかったり、壮麗だったり、素晴らしいんだけど、全体を聴きとおすと支離滅裂でよくわからん…というのがわたしのマーラー評でした。
ワルター指揮でこの5番を始めいろいろ聴かせていただきましたところ、マーラーも案外いいかもと思うようになりました。ワルターのすっきりと整理された芸術的表現が肌に合ったのかもしれません。(もともとワルター・コロンビアの巨人は愛聴盤でした)
と、ここまで書いて気付いたのですが、わたしはマーラーのよいリスナーではないのかもしれませんね(^^)。
それにしてもオーケストラが美しく鳴っていますね。ここで聴かれる4楽章など弦の表情が豊かで、ボルタメンとまでかかっていて、ウィーンフィルの弦かと思ってしまいました。ワルターの棒のすごさを改めて実感しました。
- 2011-05-07:クライバーファン
- 現在、第1楽章を終えて、第2楽章を聞いています。
このサイトがなければ、一生聞く機会がなかった可能性もあり、聞くことができたことに感謝します。
何回か聞いて勉強したいと思いますが、第3番に比べて、親しみやすくはない曲ですね。
録音はおそらく、ドイッチェ・グラムフンのステレオと思われ、とても良いように感じられます。
- 2011-05-07:nighttime_sky
- ピアニスト二人によって蒙を啓かれました。ここ半年、モーツァルトのピアノ曲ばかり聴いています。ピアノソナタではこの15番が一番好きです。この演奏では第一楽章などたった3分弱の曲なのですが、これに対抗できるポップミュージックはほんの数えるほどだと思います。ものすごく清冽でありながらポップです。不思議なんだけど。
- 2011-05-07:nighttime_sky
- モーツアルトのピアノ協奏曲では24番が好きで、20番はあまり聞かなかったのですが、この演奏で初めてこの曲の良さを理解しました。出だしは「悲しみ」でもなく、「厳しさ」ですらなくて、もはや「不吉」ですね。そこに天使のようなピアノがふわりと舞い降ります。
- 2011-04-28:onod33
- このHPのおかげで、バルビローリの面白さを知り感謝。パイ原盤のレコードは、日本では廉価盤のイメージでしたので、英国物、シベリウス以外は知る機会が少なかった。アンチェルも上手いと思いましたが、バルビローリも色々、聴いてみたい。
- 2011-04-24:クライバーファン
- 今までトスカニーニの演奏しか聴いたことがなかったので、第1楽章のリピートのつなぎの部分を聴いたことがありませんでした。この演奏で初めて聴くことができました。ありがとうございます。
録音は音ゆれが存在し、いまいちです。演奏はとても流麗ですね。レガートで流れていき、クレンペラーを聴いているよりはカラヤンを聴いている気分になります。第4楽章のみテンポがはやすぎ、リズムが生きず残念ですが、第1楽章は旋律美が堪能でき、とても良いと思います。
- 2011-04-21:mkn
- いったいどんな録音なのかとおっかなびっくりで聴き始めましたがそれほど酷くなかったのでほっとしながら今第5番を聴き終わったところです。
演奏は、そうですね、野球に例えるなら単純なストレートは一球もないピッチャー、といったところでしょうか。ただし奇をてらった感じはなく何となく小粋なベートーヴェンでした。先日亡くなった小石忠男さんではなかったでしょうか、シューリヒトにパリ音楽院、クリュイタンスにベルリン・フィルを組ませてベートーヴェンというのは企画の妙と述べておられた記憶があります。むべなるかなと思いました。
- 2011-04-19:mkn
- シューリヒトの「第9」のステレオ盤CD、私は持っています。音質は...、まあはっきり言って「ステレオです」というだけでした。フランソワのショパンと録音時期がかぶりますが同様のクォリティですね。カルショーの自伝によると機材そのものも悪かったようです。
EMIが「録音」というものをどのように捉えていたか、首をかしげたくなるエピソードは数限りなくありますね。フルトヴェングラーの「第7」原盤への女性エンジニア(?)の声の混入、カラヤンのチャイコフスキー4番の原盤故障や4チャンネル録音への固執等々。
私は往年の「軍事オタク」でもありますが、最近ある写真を見て驚きました。第二次大戦中、30ノットの高速空母を18ノットの旧式戦艦が護衛しているというもので、同時代のアメリカや日本では考えられない光景でした。「ドイツやイタリアの水上部隊相手ならこれで充分だよ」という考えだったようです。「モノラルだって何だって、聞こえているのは音楽じゃないか」ということなら何となく相通じるものを感じました。そう言えば大昔の「レコ芸」の特集で、イギリス人はもっぱらカセット・テープで音楽を聴いている、という紹介があったのを思い出します。
その一方で、DeccaもMacIntoshoもRogersもTannoyもイギリスのメーカー、不思議な民族ですね...。
- 2011-04-16:m
- ユングさんのHPからの録音を知り、この演奏の約50年前のLPと約25年前に初めてCDで発売された時買い求めたCD、そしてユングさんのHPからの録音の聴き比べをしてみました。
LPレコードの解説に高木卓という方が「トリスタンとイゾルデの響きの秘密」として文章を書いていました。
・・・あれほど画期的な作品でありながら、作曲者自身はトリスタンとイゾルデの響きの「新しさ」について実際の演奏まで、はっきりした自覚を持っていず、公開前の演習で驚くべき発見をしたのであった。
その時の印象をマチルダ・ヴィーゼンドンク宛の手紙(1860.1.28)ではこう書いている。
「・・・団員達には不可解な新しさなのでした。
その為私は、音符の一つ一つを、まるで坑内の宝石発見の時さながらに、演奏者たちに教えるほかなかった。」・・・こういった書き出しで始まる解説の文章を中学生の私は実感する事が出来ませんでしたが、最近少し解ってきたような気になっています。
この響きの宝石をもっとも素晴らしい形で留めたのがこの録音なのでしょうね。
今回LP,CD、ユングさんのHPからの再生と聞き比べて少し不思議に思った事があります。
LPの音も決して悪くないのです。
明晰さという点では劣るものの、居心地が良いのです。
我々が実際の劇場で聞く音楽は周囲のノイズの為か明瞭では無く、LPのノイズが却って居心地の良さをもたらしているのかもしれないなどと思ってしまいました。
大叔母がフルトヴェングラーの実演を聞いた印象を話してくれた事が有ります。
独特の響きだったようです。
吉田秀和氏も同様の事を書かれていました。
「他界の音」という言葉を使われていたように記憶しています。余談ですが、数年前NHKが吉田氏の特集番組を放映した時大叔母と一緒に撮影された写真が写しだされ個人的にはびっくりしました。
この他界の音がはっきり残されている録音は、フルトヴェングラーのトリスタンと大戦中のいくつかの録音程度しかないような気がしています。
また音符が読めない私の様な人間にとっては、他界の音を実演で経験するのは奇跡的な事なのかもしれないと最近良く思います。音楽を良くご存じの方々はまた違った見方聴き方が出来るのでしょうが。25年前に聴いたバーンスタイン指揮のマーラーの9番の演奏の響きは私にとっては他界の音でした。
その後あの演奏を超える音楽体験はしていないように思っています。
バイロイトでもザルツブルグでも音楽祭の演奏は実に見事で素晴らしいのですが。見事で素晴らしい商品と言うのは冒涜でしょうか? 音楽がどうしても生きていく為に必要だというような切実さが無い世界は幸せでもあり、一面不幸なのでしょうか?
そんな中にあってユングさんのHPは新しい発見をもたらしてくれます。
音楽のもう一つの側面「味」の様なものを教えてくれます。
ティボー演奏のフランクのソナタ。ビターリのシャコンヌがハイフェッツが弾くと違った音楽になるのは新しい発見でした。ワルターのモーツアルト集も驚かされます。
これらもある面では他界の音の様な気がします。
ユングさんのHPからのトリスタンを聴き比べの最後に聴きながらそんな事を思いました
- 2011-04-16:カンソウ人
- 作曲家がピアノの名人でオーケストラの書法に詳しくない時に書かれたら、オーケルトラは薄くて伴奏のようになる。
マイケル・ポンティの弾いた「知られざるロマン派ピアノ協奏曲」の録音の数々の中にはそういう物が多い。
ロマン派の作曲家ショパンのように、古典派の作曲家モーツアルトのような、1回目の提示部に全くピアノが入らない形で書かれた物は全くないように感じた。
オーケストレーションする前には、2台ピアノの形でスケッチされるであろうから、大まかにいえばピアノ連弾の形で書かれるのと似ているはずだ。
連弾曲で低音部パートがブンチャチャチャのような伴奏の形なら、演奏する方は面白みが少ない。やっぱり絡みが多い方が良い。
フーガでは無いけれども対位法的な要素が多くて、四声態のほうが面白いのは当然だ。
ショパンのピアノ協奏曲を練習するのは、オーケストラを担当する方は面白くないのだとか。
その点でシューマンは違うのだって。
シューマンをお手本としていても、グリークはあんまり絡まない。
ショパンはピアノ協奏曲を書いた時に、あまり情報が無かった。
リストの第一番は、あまりに独特で、ソナタを基本にしていても随分形式が違う。
ピアノがオーケストラに包まれた音響では無意味な感じに思えるし、同じ旋律を違う節回しで歌っていても違和感はないほどだ。
自分には、シューマンのピアノ協奏曲は特別な曲であるように思える。
ロマン派ピアノ協奏曲の原点であるように感じる。
ピアノパート付きの、幻想曲でも交響曲でもないのが作曲者のねらいで、成功している。
「展開の可能性の低い」モチーフが、十分に展開されていて、ベートーベンの3番?5番の協奏曲のモチーフとの違いが明確にある。
最近知ったのだけれども、コルトーのきれいな録音がある。
ユーチューブで聴いた。
ひょっとすると、60年代?
指揮者がフリッチャイでコルトーの変幻自在なテンポのピアノにきっちりと付けてある。
オーケストラにピアノが包まれたような音響であるが、セルのこの演奏とは全く異なる。
主導権はコルトーが持っていて、フリッチャイはコルトーに共感を持って演奏している。
1つの様式の終末の姿が刻印されている。
そのためには、原点のシューマンのピアノ協奏曲である必要がある。
- 2011-04-14:西尾
- クラシック音楽が好きになって間もないのですが、ここでシューマンを聞かせていただいてシューマン好きになりました。病気のせいなのか孤独や寂しさを感じる雰囲気が漂っていて胸をしめつけられるようなところも好きです。
- 2011-04-14:nako
- 情念というか怨念というかが満ち溢れた演奏で、丑三つ時にでも聴くのがよいような気もします。。。なんて悪口を言いながらも聴いちゃうのが、フルトヴェングラーの凄いところでしょう。フルヴェンの後にフルヴェンなし。カルロス・クライバーの演奏の方が好きなんですが、そう言わざるを得ません。
- 2011-04-14:Joshua
- 異色な『四季』演奏ですね。
シュナイダーハンがクレーメルのような弾き方をしている、というか、音色は美しいのに、普通スラーのところも切って弾くのが目立ちます。
雰囲気に酔うような聞き方ができないのです。
でも、もう少し慣れてみたら、「これでないと」聴けなくなるような魔力も感じられます。ためしに、みなさん、冬の第2楽章を聴いてみて下さい。
その速いことったら!耳を疑うこと間違いなしです。
ユングさん、これは再生速度のまちがいじゃないでしょうね。
<ユング君の追記>
もちろん、このテンポでシュナイダーハンは演奏しています(^^v
- 2011-04-14:吉川達也
- ブラームスについての解説を大変興味深く読ませていただきました。書かれている中身をすべて理解できたわけではありませんが、ブラームスの音楽をここまで深く解説されていることに恐れ入りました。わたしは、ブラームスの音楽が好きで好きでしかたがありません。二十歳ごろから30年近く聴いています。交響曲から室内楽、ピアノまですべて好きです。年齢を重ね、聞き込むほど好き度合いが増しているようです。解説をよんで、なぜかうれしくなりました。ブラームスのすばらしさをご教授いただいたような感じです。有り難うございます。ヨッフムのこの4番はじめて聴きました。ヨッフムは最近2番のライブ演奏にのめり込みましたが、この4番もかなり聞き込みたくなりました。できたらブラームスのすばらしさをもっと教えてください。
- 2011-04-13:ヨシ様
- 確かに優れた演奏ですね。
作品自体はあまり評価されていませんが交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55の前に書かれた曲だと思うと
無視は出来ません。
そう考えると感慨深い曲です。
- 2011-04-13:バッハ好き
- これにとっても魅かれるものを感じましたが、まるでバッハの音楽のように響くヴィヴァルディの解説を見て納得しました。星を10にするつもりが手が滑ったのか途中でとまってしまいました。
- 2011-04-13:赤木壮吉
- 大仰で、少し品がないと思っていましたが、こういうのならいいですね。
- 2011-04-09:クライバーファン
- 昔読んだ吉田秀和の世界の指揮者という本の中で、トスカニーニの1953年のエロイカを批評するところで、自分が実演で聞いた演奏ではセルの演奏が最高、なぜならフレーズがトスカニーニのようにぶつ切りにならず、なめらかにつながるからだというようなことが書いてあったと記憶します。
FLACの方を聞いてみました。全体の造形はトスカニーニに近いですが、確かに音を叩き付けて、ブツブツ切るような感じではありません。弦の音も思いのほか柔らかい感じです。カラヤンなんか聞いていると柔らかすぎに聞えますが、セルの音の柔らかさはカラヤンとトスカニーニの中間ぐらいでしょうか。アクセントがトスカニーニほど強烈ではなく、ネットリと耳にまとわりつく感じですね。第1楽章の展開部が特にそうで、何度来ても耳が釘付けになる絶妙なネットリ感です。指揮者はこの音を得るために何度もリハーサルしたのでしょう。第1楽章では、独特のリズム感と完璧に統制された個々の楽音に耳が行きましたが、全体的に圧倒的な高揚感のようなものが足りない感じです。指揮者が十分に抑制するほうに重きを置いているからでしょうか。
高揚感という意味では、第2楽章のほうが高揚しており、耳に迫ってきます。ただトランペットをはじめとする金管楽器の音色は弦に比して最上とは言えないのではないでしょうか。これは私が個人的に突出したトランペットの音が嫌いなだけかもしれません。
全体的には、古い録音のため、オーケストラの音色が褪せており、実際の音が持っていたであろう音の鮮やかさは残念ながらある程度消えてしまっているようです。それでも弦楽器の音はさすがに良く、独特のリズム感、程よく柔らかい音は十分に伝わってきます。
個人的には、トスカニーニが演奏した1949年のセッション録音が、この路線の演奏の中では一番好きですが、この演奏も名演だと思います。
- 2011-04-08:ヨシ様
- この曲にはクリュイタンスの名盤もあります。
どちらが優れた演奏なのかは好みの問題です。
ベルリオーズらしからぬメロディーの美しさとオペラ的な宗教曲としての魅力があります。
- 2011-04-08:htam
- この録音は弱音部の緊張感が素晴らしいと思います
ですが少しピッチが低めなのが気になりますかね.....
チェリビダッケが「ピッチをいじった」と言ったのもわかる気がします
- 2011-04-06:もち
- ドビュッシーとの共通点というのは「旋法」のことだとおもいます。通常の「調性」にあるような起承転結(機能和声)がはたらかず、終りがないような神秘的な旋律になる。6・7番にはとくに顕著です。
これはもともと中世の音階で、民俗音楽にのこっていたり、ベートーベンなんかも試みていますが、現代音楽では必須のイディオムとなり、シベリウスはパレストリーナを研究して学びなおしたといいます。となると、パレストリーナもきいてみたくなりますね。
- 2011-04-06:セル好き
- シンプルに「角笛」シンフォニーという解釈なのか、随所に鳴りすぎるホルンが今的に違和感を醸しだし、独特な主旋律(第4楽章以外はその断片的なものしかないのですが)の選択と目立たせ過ぎにより、この曲の環境音楽的な美点が損なわれているように感じますね。
第4楽章のソプラノの独唱は素敵ですね。
余談ですが、マーラー:交響曲第4番といえば、30年くらい前のNHKのドラマ「四季・ユートピアノ」作:佐々木昭一郎 主演:中尾幸世 が思い出されます。
フィルムからデジタルリマスターして欲しいものです。
- 2011-04-04:峠のムサシ
- アマオケで指導しているものですが。セルの演奏は楽器の音量バランスやテンポでいつもお手本とさせて頂いてます。
この演奏に関しては曲の欠陥がそのまま出てしまった気がします。工夫が足りないと言われればそれまでですが。
この曲を演奏したことがある方なら誰でも知っていることでが、とにかく鳴りが悪い、音が抜けない、その上不用意にあちこちで音が薄くなります。奏者を興奮させる扇情的な部分が多く、そこくせ懸命に音を出しても響かない厄介な曲です。
- 2011-04-04:うすかげよういちろう
- 被災地ではないが、気力が減退し、落ち込みまくっていた。
やっと元気が戻ってきて、このサイトにアクセスする気になった。
この演奏を見つけた。
ワルター/コロンビアのブラームス4番、40年も前だろうか、熱心に聴いた。
しかし、その後、他のどの演奏を聴いても、全曲を聴き通すことができない。
途中まで聴いて、いやになる。
ひどい場合は、曲が始まって数秒で聴けなくなる。
このたび、40年ぶり(?)にこの演奏を聴いて、最後まで大感動で聴けた。
よかった。
- 2011-04-04:radames
- ミルシテインのラストコンサートでこの曲を知り、さらにこちらで若い時の演奏を聞いたのですが、ミルシテインのそれは淡々とした中に感情の動きを抑制して曲中に切り込んで行くまいとする心の動きを感じその客観性は演奏者のバッハにも聞きました
オルガンを伴奏に従えたこのハイフォエツの演奏には驚き聞き入りました。奏でるうちに曲中に感情がのめりこんで行く度合いがまったく違います。オルガンの音と同化したバイオリンの音が体に浸透していくときに味わう感覚は、教会を訪れてステンドグラスの光や日の出のまぶしさに覚える神々しさです。
このサイトに取り上げて頂いた事で懸け替えのないものに出会えた事を管理者に感謝いたします。
- 2011-04-02:やもり
- 待望の「くるみ割り人形」のアップ、嬉しいです。
一連の録音の質の高さは、50年代とはとても思えないですね。アンセルメの演奏も、何度聴いても飽きない良さがあるように感じました。
ところでこの「くるみ割り人形」、これまでは組曲の8曲が、全曲の中からのベスト8を選んだのだとばかり思っていました。ところが、「第8曲 情景 <松林の踊り>」や「第14曲 パ・ド・ドゥ <金平糖の精と王子のパ・ド・ドゥ> 1. アダージュ」など、「花のワルツ」を上回るような素晴らしい曲もあり、発見でした。組曲は、コンサート用としてのバランスを考えての選曲かもしれませんね。
チャイコフスキーの凄さを再発見することができ、ユング様に感謝です。
- 2011-03-25:mkn
- このような演奏を聴くとクラウスのあとのニューイヤー・コンサートがクリップスだったらどうなったのかなと思いたくなりますね。先年購入した晩年のコンセルトヘボウとのモーツァルトは愛聴盤になりましたしシエピのドン・ジョヴァンニも評価は低いですがこれはこれでいいじゃないかと思ったものです。でも、
「ヨーゼフ・クリップスは戦後の最も困難な時期のウィーンの音楽界を支えた功労者です。(略)ナチスによって迫害された経歴を持ちながら、そのナチスとの関係で苦境に立たされたウィーンの歌劇場に救いの手をさしのべたのは、まさにクリップスという芸術家の人間性を著した出来事だと言えます」
オットー・シュトラッサー氏の著作でのクリップスはこの通りの人物なのですが、カルショーの自伝に出てくるクリップスといったらそれはもう...。
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[2025-04-22]

ロッシーニ:管楽四重奏曲第5番 ニ長調(Rossini;Quatuor No.5 in D major )
(fl)ジャン- ピエール・ランパル (cl)ジャック・ランスロ (hrn)ジルベール・クルシエ (basson)ポール・オンニュ 1963年初出((fl)Jean-Pierre Rampal (cl)Jacques Lancelotelot (basson)Paul Hongne (hrn)Gilbert Coursier Release on 1963)
[2025-04-19]

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団 1951年録音(Joseph Keilberth:Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on 1951)
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モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番 ヘ長調 K.590(プロシャ王第3番)(Mozart:String Quartet No.23 in F major, K.590 "Prussian No.3")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2025-04-12]

ロッシーニ:管楽四重奏曲第4番 変ロ長調(Rossini;Quatuor No.4 in B flat major)
(fl)ジャン- ピエール・ランパル (cl)ジャック・ランスロ (hrn)ジルベール・クルシエ (basson)ポール・オンニュ 1963年初出((fl)Jean-Pierre Rampal (cl)Jacques Lancelotelot (basson)Paul Hongne (hrn)Gilbert Coursier Release on 1963)
[2025-04-09]

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 作品27(Rachmaninoff:Symphony No.2 in E minor, Op.27)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月15日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 15, 1945)
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ロッシーニ:管楽四重奏曲第1番 ヘ長調(Rossini;Quatuor No.1 in F major)
(fl)ジャン- ピエール・ランパル (cl)ジャック・ランスロ (hrn)ジルベール・クルシエ (basson)ポール・オンニュ 1963年初出((fl)Jean-Pierre Rampal (cl)Jacques Lancelotelot (basson)Paul Hongne (hrn)Gilbert Coursier Release on 1963)
[2025-04-02]

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調, K.575 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(Mozart:Serenade in G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
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ラヴェル:スペイン狂詩曲(Ravel:Rhapsodie espagnole)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26, 1950)
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モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調, K.239「セレナータ・ノットゥルナ」(Mozart:Serenade in D major, K.239)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-21]

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125(Schubert:Symphony No.2 in B-flat major, D.125)
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1949年12月20日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 20, 1949)