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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2017-04-01:コタロー
- 1954年11月録音というと、ベームが60歳の時の演奏ということですか。壮年期のベームの演奏はさすがに颯爽としていますね。また、当時のウィーン・フィルの優雅な響きも演奏に華を添えています。
ところで不思議なのは、第2楽章の後にメヌエットの楽章が追加されていることです。
ちなみにこのサイトで紹介されている「交響曲第34番」の他の演奏を調べてみると、マルケヴィッチの斬新な演奏(1954年2月録音)には意外にもメヌエットが追加されているのですが、ラインスドルフの演奏(1955年3月録音)には入っておりません。
あくまでも想像ですが、ラインスドルフの演奏は「モーツァルト交響曲全集」の一環として企画された録音なので、最新の音楽的知見を取り入れてメヌエットを省いたのかもしれませんね。確かにメヌエットを入れた場合、ある種の「冗長さ」を感じるのも事実です。
ベームが後年ベルリン・フィルを使って「モーツァルト交響曲全集」を制作した際には、おそらくメヌエットは入っていないのでしょうね。
余談ですが、自分がこの曲を初めて聴いたのは、ジョージ・セルが珍しくアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したレコードでした。この演奏がパブリック・ドメインになった暁には、このサイトで久しぶりに聴いてみたいものです。
- 2017-03-30:Sammy
- サヴァリッシュの丁寧で細心の注意を払った音楽づくりによって浮かび上がるのは、シューベルトの作品の構造とともに、隅から隅まで真摯に演奏した時のウィーン交響楽団の味わい深い美しさです。端正な音楽の清潔感と合わせて、下手をすれば反復だらけのつまらない曲に聞こえかねないこの作品の響きとメロディの魅力、そしてウィーンフィルの二番手に「過ぎない」と言われてしまいがちなこのオーケストラの独自の魅力(特に木管楽器の魅惑的な響き!)の両方が、とてもさわやかに充実した形で開花しているのが素晴らしいです。
- 2017-03-24:サンセバスチャン
- ライナーは精神を音に込めるタイプの指揮者ではありません。ffならxデシベル、ppならどれだけと定量的に決まっているようで、音自体には感情がありません。ですので聴き終えたあと、満たされないものがいつも残ってしまいます。
セルはもっと感情的になりますが、自意識過剰のあざとい演奏がライヴではみかけられます。
シェエラザードはローマの松、噴水より好きです。でもビーチャムはさらに偉大であると思います。もっと自由であり愉悦があるからです。
- 2017-03-24:コタロー
- 私的な話で恐縮ですが、自分が高3の時キング・レコードから廉価盤がまとまって発売され、その中にこの演奏のLPがありました。小林利之氏の『名曲に聴く』という本の中に、モントゥーの演奏について「北欧的な情緒はあまり感じられないが、音楽の純度という点では際立っている」とのお褒めの言葉があったので、迷わずレコードを購入しました。
実際に聴いてみると、期待以上の素晴らしい演奏で、特にB面の第3・第4楽章は本当に何度聴いたかわかりません。まさに受験勉強にパワーをもらった名演奏でした。
改めてここにアップされたモントゥーの演奏を聴いて、そんな若き日の思い出がふつふつと湧き上がってきて懐かしい限りです。本当にありがとうございました。
- 2017-03-18:コタロー
- 何と愉しいアルバムでしょう!アップしていただき、ありがとうございました。
自分はオペラには疎い人間なのですが、聴いていると胸がワクワクしてきます。
特に「ナブッコ」の『行け、わが思いよ、金色の翼にのって』など、まさに感動ものです。また、「アイーダ」の『凱旋行進曲と舞踏音楽』も立派な出来栄えです。
なお、カルロ・フランチなる人物をgoogleで調べたところ、「映画音楽作曲家」とありました。おそらく、作曲家とオペラ指揮者の二足のわらじを履いて活躍していたのでしょう。
蛇足ですが、1曲目の「トロヴァトーレ」の『鍛冶屋の合唱』は、その昔、グレン・ミラー楽団が「アンヴィル・コーラス」としてスイング・ジャズ化したことで有名ですね。
- 2017-03-18:カンソウ人
- グールドが、R.シュトラウスを高く評価していましたね。
イノックアーデントいう名前の、メロドラマ(ピアノが主役の歌曲みたいなもの)とブルレスケというピアノ協奏曲のような物が、残っていますね。
本の中では、スコアリーディングで交響的な作品を演奏する事を楽しみにしていると、書いていましたが、放送用の録音でも残っていれば面白かったですね。
同時代のドイツの作曲家では、ヒンデミットを高く評価していました。
ピアノソナタ二曲と、マリアの生涯のピアノ伴奏が残っています。
どちらの作曲家も、ピアノ曲ですら、伴奏声部が単なる分散和音の穴埋めの部分が少なくて、対位法的に、有機的に動きます。見てくれは違いますが、ブラームスとシェーンベルクに似た要素に溢れています。違うのは、まるで指揮者の即興演奏のように、次から次へと楽想が浮かんで来ますね。まるで、エンジンみたいにドドドドドドドドと音楽が進んでいくかの如くです。
シェーンベルクやブラームスは、楽想が次々に浮かばないように見えて、大切に展開するように感じます。
グールド好みの作曲家なのでしょう。作曲技法的には・・・。
もっともお好みはバッハは別にすると、ワーグナーで、マイスタジンガー等を多重録音していました。ワグナー以降の作曲家は、彼の遺産で食ったようなものだと感じます。シュトラウスのオペラも、その辺りに行きつくのが、露骨にわかりますね。
ナチスのお気に入りで、ナチスドイツの音楽監督になった経歴は、関係はないです。
英雄の生涯は、彼の交響詩の、最終形態で次から次へと、楽想が浮かんできますね。楽員を支配しているような感じが、演奏をしている時だけという感じがするのが、ライナーは、この曲に向いていますね。
カラヤンは、音響は別にして、楽員の経済的な支配という感じで、嫌らしいです。トスカニーニだと、戦後の自由な感じがないので、やり過ぎでしょう。セルだって楽員に対して支配的ですが、何たってトスカニーニが存在するので、極限にはなりません。あの練習風景の録音は、修羅場でしたよ。デブソプラノ、下手くそオーボエ、・・・この調子だから。
フルトベングラーは、精神的な支配という感じが、実はある意味、嫌なんです。
サイコパスのような気がするからでしょうか。魔法にかけるようです。
シュトラウスにしても、ライナーにしても、健康的な気がします。音楽なのだから、その程度で良いような気がするのです。
- 2017-03-15:コタロー
- ふと興味が湧いて、トスカニーニの「ザ・グレート」について、1941年のフィラデルフィア管弦楽団、および1953年のNBC交響楽団の演奏の聴き比べを試みました。
まず、1953年の演奏から聴いてみましたが、これは一連のカーネギー・ホールでの録音だけに、イン・テンポを遵守した完成度の高い演奏です。しかし、全体的に取り澄ました印象を受けるのも事実です。
次に、1941年の演奏では客演ということもあってか、トスカニーニ特有の前進性は多少緩められて、音楽が自由に飛翔しているといった感があります。その結果、スケールの大きさと素晴らしい活力を獲得することに成功しています。また、この時期としては録音が良いのも特筆ものです。
結論として、自分としては1941年の演奏により強い魅力を感じました。
- 2017-03-15:原 響平
- 最近、ユングさんのサイトでライナーの演奏が取り上げられる回数が増えて嬉しい限りです。さて、1960年前後からCBSはセル・クリーブランド管の精度の高い演奏で数々の名曲を録音しました。又、RCAはその少し前の1955年前後から同様な演奏スタイルを基本としたライナー・シカゴ響のリビングステレオ録音でクラシック音楽の普及に貢献しました。日本では、現在でもセルの人気が依然として高く、ライナーフリークの当方としては少々残念ではありますが・・・。さて本題ですが、この演奏は当時のライナー・シカゴ響の実力をマザマザと見せつける名演奏そして名録音です。特にコンマスのシドニーハースのバイオリンの音色にはウットリさせられますし、トランペット等の金管の上手さも抜群です。もうすこし色気が有れば世紀の名演奏に仲間入りですが、ライナーに色気を求めるのも筋違いですね。
- 2017-03-15:Joshua
- クラシックを聴いていて、何度も聴きたくなる、というか耳に残って頭の中で繰り返す、という体験がこの曲の第3楽章第11変奏(終わりから3分目ぐらいのところ)でできます。こういう音楽を聴くと、時間を忘れて陶然としてしまいます。
- 2017-03-10:べんじー
- わたしはブーレーズ/ニューフィルハーモニア管の「海」の録音が大好きなのですが、この演奏もとてもいいですね。骨太な力強さがありながら精妙さも全く欠けていない。
響きのそこかしこから、ブーレーズには無い古き良き時代の香気が漂って来て味わい深いです。アンゲルブレシュトの他の演奏も聞いてみたくなりました。
- 2017-03-06:HIRO
- ユングさんの「リヒターの演奏が古くなった」という指摘には、はっとさせられました。
この1956年録音のリヒターの「ゴルドベルク変奏曲」の前年、1955年に、例のグールドの「ゴルドベルク変奏曲」が録音されています。
リヒターはグールドの「ゴルドベルク」を知っていたのでしょうか。あれを聞いてどう思ったのでしょうか。
バッハの新しい姿に愕然としたでしょうか。それともバッハの正統な姿はそうではないと、この「ゴルドベルク」を録音したのでしょうか。
リヒターのバッハ演奏といえば、LP時代にはテッパンでした。
バッハの正統な演奏として、その厳格、清冽、崇高な姿勢を誰も疑う者はありませんでした。
今でも、その録音のいくつかは、依然として当時と同じ価値を保っているようにも思われます。
しかし、この「ゴルドベルク」の録音に、今こうして接してみると、ユングさんが指摘する「違和感」を私も感じました。
この楽器が持つ音色の「ノイジィ」なことは措くとして、このテンポ感の悪さ、リズム感の悪さはどうしたものでしょうか。
1956年はリヒターは30歳。ユングさんの指摘する、晩年の(とはいっても50代だが)健康の衰えはまだまだなかったはずです。
そもそもチェンバロは対位法には向かない楽器です。
各声部間での音色、音量、ニュアンスの変化を付けることが難しい楽器での対位法には辛いものがあります。
まだパイプオルガンであれば、複数鍵盤、ストップによる音色、音量の変化が豊富だし、持続音も効果的です。
バッハが「クラヴィーア」と記載するとき、それがどの楽器を指すのかは未だに問題があるようです。
バッハは自宅にチェンバロとクヴィビコードを所有していて、クラヴィコードの方を愛用していたそうです。
あれだけ繊細な対位法を駆使したバッハであれば、たとえ音量が小さくて演奏会にはむかなくても、各音をデリケートに変化させコントロールできるクラヴィコードを愛用したのは想像に難くありません。
息子のフリーデマンのために書いた「インヴェンション」や「平均律」はクラヴィコードを想定していると言われています。
この「ゴルドベルク」は、楽譜にちゃんと二段鍵盤を指定していますからチェンバロ用だというのが分かりますが、グールドを代表とする優れたピアノ版の演奏が現れて、鍵盤弾きを悩ませることになりました。
この不自由なチェンバロは、たとえバッハの時代においても、作曲家であれ演奏家であれ、使いたくて使っていたのではなかったでしょう。
これしかなかったから仕方なく使っていた、というのが本当のところでしょう。
当時、現代のようなピアノがあれば、バッハは間違いなく、ピアノの方を選んていたはずです。
このサイトにもアップされているトゥーレックをはじめ、ピアノによるバッハ演奏の方が、チェンバロによるどの演奏よりも、はるかにデリケートに、表情豊かに、バッハが楽譜に注意書きしてまで求めた「歌うように(カンタービレ)」演奏しています。
楽譜が読める人なら(この場合、ただ音の高さとか長さが分かるというだけでなく、そこに何が書かれているかという「音楽の内容」が読める人なら)誰でも、ピアノ版の演奏とチェンバロ版の演奏のどちらがバッハの楽譜をより良く再現しているかと問われれば、一部のへそ曲がりを除いて、間違いなくピアノ版と答えるはずです。
ある楽器のために書かれた楽曲が、他の楽器で演奏した方がむしろ良いということは、楽器の進化の過程にあった時代の作曲家の作品、特にバッハの作品には往々にして見られます。
古楽演奏には、当時の演奏慣習だとか、演奏様式だとか、いろいろ能書きがあるようですが、その能書き通りのものが「古くなる」とはどういうことなのでしょうか。
現代では、「どうせこの楽器は細かいニュアンスが付けられないのだから」とか、「バッハをチェンバロで弾いているのだから問題ないはず」などというようなことは、もはや免罪符にはならないようです。
このリヒターの演奏は確かに「もう古い」という実感があります。
一方のグールドの演奏は、最晩年の「ゴルドベルク」と比べると、さすがに若いなと思いますが、颯爽と生き生きとしていて、ちっとも古くはなってはいません。
以前は「立派な」はずだったリヒターの演奏が、どうして「古く」感じられるのか、新しい課題を与えられたような思いです。
- 2017-03-06:Sammy
- オーケストラの優れたアンサンブル力に支えられた、引き締まった切れ味鋭い充実極まりない演奏です。まさにyungさんのおっしゃる通り「戦う英雄」の圧倒的な迫力は強烈で、気高くも感じられますし、だからと言って荒くならず、むしろ細やかに描き抜かれた静謐な部分の美しさも素晴らしいです。演奏の素晴らしさを隅々まで捉えきった録音も驚くべきものです。
- 2017-03-06:コタロー
- 昔話で恐縮です。1974年頃、高校時代にRCAの1300円の廉価盤でこの演奏のLPを買いました。当時、特に第3楽章がお気に入りで、しばしば聴いていました。しかしLPレコードの宿命で、「内周歪」といって、レコードの内側に近づくほどに音が歪みっぽくなるという悩ましさがあったのも懐かしい思い出です。しかし、ここにアップされた音源は全くそんな心配は無用です。おかげでミュンシュの豪快な演奏を目いっぱい堪能できて大変ありがたいです。
- 2017-03-02:benetianfish
- ついにこの曲もアップしていただき、ありがとうございました。冒頭のとんちんかんなティンパニーからフィナーレのブラスのトリルまで、クラシック・ジャズの境界線などどうでもよくなるような、実に楽しい曲だと思います。
私のこの曲の刷り込みはプレヴィン(71年録音)ですので、このフィードラーの出だしは「なんかモタモタしてとろくさいのでは?」と思いましたが、本題に入るとなんのその、十分楽しい演奏ではないですか。プレヴィンの「快速でスタイリッシュ」な演奏とはまた違う楽しさです。アール・ワイルドのピアノもなかなか歯切れが良くて、この曲のジャズ的要素がよく表れていると思います。下記の演奏で偶然見つけたピアニストなのですが、なかなか侮れない人ですね。
ここからは完全に余談ですが、アール・ワイルドは67年にハーヴィ・シャピロとラフマニノフのチェロソナタを録音しており、ここでもある時はチェロに主導権を譲り、またある時は前面に出てきてよく歌い、実に魅力的な演奏をしています(パブリックドメインまであと2年...?)。
- 2017-03-01:コタロー
- シューリヒトのヘンデルを一通り聴かせていただきました。なんとも典雅な演奏で、今日の耳で聴いても決して古臭さを感じさせない点に驚かされました。
シューリヒトといえばブルックナーの演奏が有名ですが、同世代の他の指揮者とは異なった造形感覚を持っていたのかもしれません。そのため、主観を排して己の直観を信じた独特な透明感を持った演奏を創り出していたのでしょう。
21世紀の現在、シューリヒトを再評価する必要があるのかもしれませんね。
- 2017-02-28:Can Beetho
- 音楽の世界ではかなりの高齢になっても演奏会を行なう人は少なくありませんが、その多くは、名ばかり巨匠、名ばかり大御所と化しているようです。
そうした中で、最晩年の演奏、それも日本の交響楽団を相手に冴えた演奏を聴かせてくれたスクロヴァチェフスキさんは稀な指揮者と言えるでしょう。
きのうのNHK・FM「クラシックカフェ」は予定の一部を変更して、追悼の意を表すためにスクロヴァチェフスキさんの演奏を放送していました。
プロコフィエフ、そしてベートーヴェンの交響曲第8番。第8番は推進力のあるとても気持ちのいい演奏でした。
今後こちらのページにもスクロヴァチェフスキさんの演奏が増えていくことを楽しみにしています。
- 2017-02-26:hs9585
- 親父のコレクションの中にあった一枚。子供のころ最初に聞いた新世界で、相当なすり込みを受けました。この録音の2年前、日本にやってきたときのアンチェル/チェコフィルの映像を、先日NHKの放映で見ました。亡くなった親父も、このコンサートの評判を聞いてレコードを買う気になったのでしょう。学校の課外授業で大阪のプラネタリウムを訪問した際に、エントランスでこの曲が流れており、以降、夜の暗さや静けさ、遠い日の記憶、宇宙の広大さ。。。そんなイメージがこの演奏と分かちがたく結びついています。その後もいろんな新世界を聴きましたが、私にとっては、今もこれが唯一無二の1枚です。
- 2017-02-26:Joshua
- 日曜の朝、たびたびお邪魔いたします。どうしても書いておきたくて。89歳まで生きたシュタルケル、4年前の今頃は斯界の人だった、シカゴの首席でライナーと音楽を、この無伴奏は33歳ごろ、まさに乗りに乗った時期の演奏です。
違う曲に聞こえます。井上頼豊じゃありませんが、ハイフェッツがチェロを弾いているようです。向かうところ可ならざるは無し。精神性、深み、がない、なんて言わなくても、十分に素晴らしいです。ハンガリー人starkerの名の語尾erをとった、形容詞・副詞stark(英語)とは、正真正銘の、完全に、という演奏内容と偶然の一致なんですね。
- 2017-02-26:市原じーじ
- いつも聞かせていただいております。50年前位にリーダースダイジェスト編で12人の名指揮者のセットモノラールLPにサージェント、ドラティ、クリップス、プレトールなどの味のある指揮者とイギリスのORCに夢中だった頃を思い出しました。
?響の公務員ORC的響きと違う溌剌とした演奏に感動しました。ありがとうございました。
- 2017-02-23:Sammy
- 解説を読みつつ聴いて、やはり聴かれなくなっていく理由のようなものを感じていました。
確かに豊麗な音で鮮やかに鳴らしていくので見事と感じる。けれども、やや力づくの部分、豊麗さの強調や表現を誇示するような「わかりやすさ」、そしてそうした少々不自然にも感じられなくもない表現の大味さからくる古めかしさ(懐かしさと感じる人もいるかもしれません)、しかし高いゴールを目指すような緊迫感も弱く、徹底的にやる、というよりも程々な印象が残る(バランス感覚に優れていると感じることもできるのかもしれませんが)。
私個人としては、当時の聴衆が気持ちよくなるように演奏していたのだろうかなあ、という印象が残ります。ただもちろん十分な水準を保った演奏であるという大前提でのことなので、こういう言い方はぜいたくなのかもしれません。
- 2017-02-23:コタロー
- この演奏でルービンシュタインを見事にサポートしている、スクロヴァチェフスキ氏が、この2月20日、93歳の高齢でお亡くなりになりました。
新聞に掲載された訃報によると、彼はポーランド出身だったのですね。ショパンとの不思議な「縁」を感じますね。
スクロヴァチェフスキ氏には、「本当に長い間お疲れ様でした」の言葉を送りたいです。合掌。
- 2017-02-23:コタロー
- バッハの音楽って本当にいいですね。こちらがどんな気分の時でも心に沁みわたってきます。とりわけ、この曲はバッハの神髄を表していると思います。
シュタルケルの演奏は、バッハの音楽の醍醐味を存分に味わえて素晴らしいです。
- 2017-02-20:大島 昇
- 私も何回かこの曲を弾きましたが、こんなに強弱のつけ方の気持ちのいい演奏はさすがにできません。右手の左手のなんと気持ちのいいバランス感覚でしょうか?歴史的名盤といっていいと思います。モーツアルトの母の死が背景にあったことはよく言われていますが、彼もその痛手をこの曲を作曲し、弾きながらまた時には涙を浮かべながら弾いたことでしょう。でも誰にも母の死には遭遇するのです。きわめて個人的な領域での音楽かも知れません。
- 2017-02-19:原 響平
- セルのワーグナーは重厚な響きを基調として、一糸乱れぬオーケストラ各パート奏者の奏でる音が結集した響きに構築されています。セルの特徴は、評論家の吉田秀和氏が述べるように「完璧への熱狂と責任感」そのものであります。又、吉田氏はセルの演奏を「均整の取れた端正な演奏は、聴いていると襟を正さずにはいれなくなる。」とも表現しています。この表現は、セルの人気の秘密を垣間見た思いですし、セルに対しての評価としてはしごくもっともな事です。さて本題に戻ります。このマイスタージンガーの演奏ですが、当方の好きなホルンが確りと鳴り響く様は、聴いていて非常に気持ちが良いです。録音に関してもLP時代に聴いた当時の感想とは違い、ユングさんのおっしゃる通りで、録音の悪さも感じませんね。これは間違い無く名盤です。ただし、当方としては・・・ティンパニーの音が素晴らしいライナー指揮のシカゴ響の演奏に後ろ髪を引かれる思いです。
- 2017-02-19:Guinness
- 1958年としては最高レベルの録音ではないでしょうか?聞きほれました。音源はEMIだと思うのですが、このころのEMIにはクレンペラーのスコットランドやカラヤンのシベ2の様に非常に優れた録音がありますね。
- 2017-02-19:gkrsnama
- 判りませんよ。バルトークはフリッツライナーにたいして、耳が壊れた無能ヤローと怒鳴りつけた男ですから。なんでも楽譜に?=60とあるのに61弱で演奏したからだそうです。プライドも無茶苦茶高かったし。
セルも頭から怒鳴りつけられたんじゃないかと思います。基本的に作曲者優位で、しかも相手はバルトークですから。
- 2017-02-19:マーシャル
- この曲のアップ要請が多かったのは、テレビアニメ「響け!ユーフォニアム2」で使われていたからじゃないでしょうか。
- 2017-02-08:dali
- モーツァルト:交響曲第41番 ハ長調 "Jupiter" K.551:RIAS交響楽団 1953年9月9日~12日録音
小生が呱呱の声をあげた日の録音、お陰様で入手する事ができました!
- 2017-02-08:Sammy
- 確かにあちこち雑なのですが、なんともくつろいだ生き生きとした感じが面白いです。ジャズ的な要素をちりばめたこの作品では、これもまたなんとも楽しくていいのでは、と思いました。録音が明瞭なので、ドタバタの中からあれこれと聞こえてくる多彩な音もまた一つの魅力といっていいでしょう。
- 2017-02-08:コタロー
- この曲は、ヨハン・シュトラウス2世が遺したウィンナ・ワルツの中では最も好きな作品の一つです。
普段はフリッツ・ライナーが1960年に録音した素敵な演奏を愛聴していますが、残念ながら曲の後半に大きなカットがあります。
その点、ボスコフスキーの演奏は、当時のウィーン・フィルの優雅な響きを生かした趣味のいい演奏だと思います。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)