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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2022-09-25:りんごちゃん
- モーツァルトのウィーン時代のコンサートのメニューを見ますと、興味深いものが見えたりもいたします
そのメインディッシュは彼自身のピアノ協奏曲が2曲とゲストのオペラ歌手のコンサートアリアでして、その合間に彼自身の即興のピアノ変奏曲が口直しのようなつなぎとして演奏され、冒頭と末尾は一曲の交響曲が分割され演奏されるのです
この構成は典型的なセレナードを模しているのでして、セレナードと申しますものは、楽師の入退場のための行進曲が冒頭と末尾に配され、交響曲楽章がコンサートの開幕と終了を告げ、コンチェルト楽章がメインディッシュとして提供されるのです
言葉を変えますと、セレナードと申しますものはそれ一曲で一つのコンサート全体を含むように作られているのでして、それぞれの楽章はそれぞれの目的を持って作成されておりますので、交響曲楽章だけを抜き出して編曲するなどという使われ方が可能となっているのです
モーツァルトの最盛期はやはりウィーンに出て以降とみなされておりますので、彼の代表作がその時代のメインディッシュであるピアノ協奏曲とオペラとされるのはある意味当然のことです
一方、それ以前のザルツブルク時代のそれはセレナードがその役割を果たしてきたのですから、彼のセレナードが傑作ぞろいであり、またザルツブルク時代の彼の音楽を代表するものとなるのも当然のことなのです
彼の典型的なセレナードというものはそのようなものなのですが、K.239はそれとはいささか異なる作品となっております
セレナードはそのような目的で作られるため必然的に多楽章構成となるのですが、この曲は3つしか楽章がありませんで、最小限のコンパクトなサイズにセレナードの魅力を凝縮したかのような音楽となっているのです
それもこの曲では少々おかしなことをしているように聞き取れます
冒頭を聞きますと、行進曲の和音のあと第一ヴァイオリンが協奏曲風のメロディーを弾き出すのですが、たちまち行進曲にそれが遮られてしまうのです
わたしにはここで第一ヴァイオリンが、おいおいもうちょっと弾かせてくれよー、と言っているかのように聞こえます
音楽と申しますものはもともと対照を基本として作られております
緩急緩急の教会ソナタなどを持ち出すまでもなく、緩急の交代、楽想の交代、あるいは盛り上げるべきシーン突っ走るべきシーン歌い上げるべきシーンといったものの鮮やかな交代こそが音楽の魅力の中心であり続けたのでして、だからこそあらゆる音楽はそのように作られ続け、プロの演奏家は最低限それを明確に理解し鮮やかに弾き分けることが求められるのです
セレナードでは楽章ごとにその交代がはっきりと行われており、その楽章の中でもその交代が随所で見られるようにもちろん作られております
そのパーツを細切れにして3つの楽章に凝縮し、しかもその交代を唐突な形で行うなどして、コミカルとも言えるような表現を狙ったのがこの作品であるようにわたしには見えるのです
コミカルな表現と申しますものは、常にそのコードに魅力の源泉を依存しており、作り手と聞き手がそれを共有していなければよくわからないところが出てしまうのはやむを得ないことです
時代の異なるお笑い作品がどこを笑ってよいのかわからなかったり、同時代でもそれを笑えるひととそうでないひとがいるのは誰もが感じるところでしょう
この作品はそういった特徴も持っておりますので、作曲者の意図を完全に理解するなどということはもちろん望めない作品であり、また無理にそのように聞く必要もありません
セレナードとディヴェルティメントはもともとは区別があったようですが、モーツァルトの時代では明快な区別はなくなっていたように思われます
ディヴェルティメントとは遊びのことをいうとのことらしいのですが、この曲などもそういったセレナードのパーツを使って通常のセレナードとはいささか異なるところに独特の魅力を感じられるよう工夫して作っているのですが、その工夫そのものをモーツァルトは遊んでいたのでしょう
行進曲とコンチェルトが一つの楽章の中に融合し、お互いがおいお前の出番じゃないだろなどといいつつ渾然一体とした音楽を形作っているなどという代物は、モーツァルトの中にもそうそう見ることのできないものですよね
そういったところをわたしたちがただ楽しめさえすれば、作曲者も満足してくれるのではないかとわたしは思うのです
この演奏についてですが、まず聞いて思うのは、ストコフスキーやカラヤンのような句読点の切れ目のない音楽と方向性が大変良く似ているということです
各パートを明確に聞き分けることに注意が向かないように、音が一つの塊として聞こえるように演奏し録音していることは容易に聞いて取れます
この録音からはストコフスキーのような理知的な作為というものが明快に見て取れるところはないのですが、その目標としているところは似たようなところにあるのでしょう
音楽というものがどのようなものであるかは人それぞれでして、どのような聞き方をしてもそれが間違いであるということは多分ないとは思うのです
その一方で、音楽というものは第一義的に楽しむものであり、それは聞き手の方も威儀を正してその演奏に傾注し隅から隅まで何がどこで行われるか集中して聞き取るといったものであるというよりは、何も考えずにぼーっとそれを楽しむものであるようにわたしには思えます
演奏者も、隅から隅まで作曲者の工夫を聞き取ってもらうことに集中しているかのような演奏もあれば、そのようなものに意識を向けずにただそれにどっぷりと浸かってもらうことに誘導するかのような演奏もあるのです
この曲はたまたまディヴィスの演奏が一緒に上がっておりますのでそちらを聞きますと、この曲がオーケストラ自体を2つに分け、それが交互に交代で演奏しているところがはっきりと聞き取れるのですが、イ・ムジチの演奏ではそのようなものは全く聞いてとれません
作曲者の工夫を聞いてもらうという意味では、この点に関しましてはディヴィスの演奏がまさっているのは申すまでもないでしょう
一方で、この曲はそもそもまったり楽しんでもらうための音楽をちょっと独特の工夫をして作ったという種類のものですので、基本的にはただまったりと楽しめばそれで良いのです
わたしは高解像度の再生装置というものはあまり好きになれないところがあります
そういったもので聞いておりますと、たとえば演奏者が体を揺らして弾いているようなところなども聞いて取れたりもするのですが、聞く必要のないものまで聞こえてしまうため音楽そのものをまったりと堪能することに集中できず疲れてしまうことが多いのです
そのような再生装置は、音源を作る立場の人には必要なところもあるでしょう
音源の欠陥がすべて見えるようでなくては、それをより良いものに作ることはできないのですから
一方で、世の中に普及しているあらゆる音源はスタジオでエンジニアが作り上げた作りものであり、それは本来存在していた音とは遠く隔たったものとなってしまっています
ホール全体の音と別に各パートごとの個別のマイクでとられた音をミキシングするのでしょうが、それがあたかも人物写真を切り取って別の背景写真の上に貼り付けたものが浮いているかのように聞こえてしまうことはよくあります
高解像度の再生装置では、その違和感のようなものがあからさまに見えてしまい、落ち着いて聞いていられないことも多いのです
そういったものへ視線を向けることなくただ音楽の魅力そのものを堪能させるようなもののほうが、音楽を楽しむ再生環境としては好ましいのでして、すべてを鮮明に聞かせるほどよいというものではないのです
ストコフスキーに源流を持つこういったスタイルの音楽は、ある意味そういったところを教えてくれるものなのでして、わたしはそういったことをぼーっと思い出しながらこの演奏を聞いておりました
追記:
今年は音楽にあまりお時間を費やすことができませんで、僅かな時間も手持ちをちょっと手に取るのが精一杯というところですので、こちらを訪問するのはかなり久々となります
ちょっと見ますと、わたしのお気に入りのk.297bがいくつも上がっておりますので、そちらにまず書き込みたいところなのですが、これは間違いなく相当長いものとなってしまいますので、お時間を作ることができましたらお話してみたいと思っております
- 2022-09-23:joshua
- 忙し気に、そそくさと生きているように見えて、日本人は意外とクラシック好き、しかも名演にこだわって聞く傾向があるようです。(わたしだけなのかもしれませんが)
教養主義的、とばっさり切って捨てることもできますが、金、時間が揃っても叶わなかったことが、インタネットで好きに聞くことができる環境がなかった時代になると、どうでもよくなってしまいました。
オーマンディをフィラデルフィアの市民がどのように聞いていたかは想像するばかりですが、朝比奈、大フィルに近いものか、あるいはそれ以上のものを感じてききに行っていたんじゃないでしょうか?
満足する聴衆に、精神性や名演への拘りが必要だったかどうか甚だ疑問です。最高の技術と音色でもって、完全に制御され安定感をもって提示される音楽、それだけで幸せだと。
- 2022-09-21:小林正樹
- ウィーンで歌劇場はフォルクス歌劇場(VOP)と国立歌劇(STOP)があり、実はともに国立なのでややこしい。最近は国家援助は少なく多分自主興行主体と思われる。ウィーンフィルは歌劇場のオケ主体の超エリート集団です。
「ワシはフィルハーモニーには入れなかったけどフォルクスのオケで頑張るわい!でそのうちまた試験受けるわ・・」みたいな会話はしょっちゅう聞きますなぁ。フィルハーモニー奏者は入団した時はまぁうまいけどな、くらいだったのが1年半もすれば「こいつこんなにうまかったのか?エレガントになってからに・・」てな感じです。ここに聴かれる管楽器奏者たちの、あまりにも品がある優美な「響き」には驚嘆を通り越して、こちとら腑抜けになるでよの世界!
実に「お宝」音盤ですな!
- 2022-09-20:小林正樹
- クナ爺のWPみたいなドイツ語の危険な風情が全く聞こえなくてもまぎれもないヴァグナーだよ!歌心がいっぱいのしっかりした健康的な演奏ですね。
しかもフランス人の指導!!
フルトヴェングラーもドイツロマン派の何たるかも何も知らない21世紀の日本のアマチュア吹奏楽団の人々、いやプロフェッショナル団体も、その指導者、指揮者も含めて、斯様な表現と方法が、最も規範になるかもしれまへんなぁ!
- 2022-09-20:yk
- 第一楽章チェロの出だしの音で60程年前初めて聴いたロストロポービッチの音をまざまざと思い出します。1964年か5年だと思いますが、ソヴィエトの凄いチェリストが大阪に来るというので聞きに行きました。演目はドォヴォルザークとショスタコービッチのチェロ協奏曲でした。ちょっと頼りない(当時の)大フィルのバックをモノともしないチェロの響きは圧倒的でした。お目当てだったドヴォルザークもすごかったがショスタコービッチの協奏曲が凄まじかった。作曲されて数年の確か日本初演と言うことだったと言うこともあってか、ホルンが音を落としまくっていましたが、今から思えばショスタコービッチの作品を紹介するという使命感もあったのだと思えるロストロポービッチの演奏は神がっていて演奏後なにか呆然としたのを覚えています。ショスタコーヴィッチが著作権がらみで取り上げられないのは残念ですが、ロストロポービッチは作曲という”音楽の誕生”の現場を身をもって経験できた幸運な演奏家だったと思います。このドヴォルザークのチェロの音にもソウいう演奏家の生身の音の一端が捉えられています。
- 2022-09-19:小林正樹
- ヴィオラのドクトール氏は大発見!バリリ先生は絶対的ウィーンの権化。
ドクトール氏は素晴らしすぎ!!
- 2022-09-19:大津山 茂
- 疑似ステレオのアナログ盤もってます。
オケも聞きものですね。ポルタメントの弦、ヴィブラートかかったホルン。その中をロストロポーヴィチが堂々と奏で、痛快です。
- 2022-09-19:パブりっぅドメイン
- ウェーベルンの作品少ないんですね。私は後期の作品が苦手ではないのですが。なぜか不評なのですね。それとストラビンスキーがないのは意外ですね。ショスタコーヴィチあたりあるとうれしいです。パブりっぅドメイン的には微妙だと思いますが。
- 2022-09-18:ToshI
- 私のこの曲の初体験は、映画『巴里のアメリカ人』の1シーンです。ガーシュウィンの友人であるオスカー・レヴァント演じる主人公の友人の音楽家が、妄想の中で1人?役(ピアニスト、指揮者、楽団員(全パート)、観客も本人)をこなして悦に入る場面でこの曲の第3楽章が使用されていましたが、当時は曲名が判らず、後年になってガーシュウィンのレコードを収集するようになってから、プレヴィン&コステラネッツ盤で初めて全曲を聴いて、この曲だったんだと理解しました。後にレヴァントが全曲演奏したCDを入手して、映画同様のノリの良い演奏に感激したのも、今となっては佳い思い出です。ちなみに、カッチェン&マントヴァーニ盤もCDを所持していますが、リストのコンチェルトみたいで、これはこれで興味深い演奏だと思います。
- 2022-09-18:小林正樹
- 評価は8点です。フルート吹きとしては絶対に!知っておかなくてはいけない演奏家ですね。ウンマー編纂のUSA版の楽譜がかなり出回っています。
人の好さそうなおっちゃん顔の大フルーティスト。関係者は、カザルス、ワルター、トスカニーニなど。アメリカのクラシック黄金時代にいた大家の一人。美しいタンギングとよく通るソノリティの持ち主。長いフレーズになると、ややチリメンがかったトーンがご愛敬でした(例えばワルターのマーラー第2NYPステレオ版)(笑い)。
- 2022-09-13:白鳥座
- ランドフスカのチェンバロは本当に独特としか言いようがありませんが、古楽やピリオドという枠を一旦、捨てて「ランドフスカ・モデルのチェンバロ」という個性的な一つの楽器として見ると、本当に素敵な音楽であると改めて気付かされる次第です・^^
- 2022-09-13:チャイ七
- むかしむかし高校生のときこの曲をエアチェックして時々聴いてました。おそらくライブだったと思います。そのときのカセットもなくしてしまいました。演奏者を忘れてしまいました。オーマンディではなかったです。最終楽章の冒頭が印象的なんですよね。
- 2022-09-13:ロゼフレイヴァー
- この演奏を若いころ初めて耳にしたときは、第4楽章の最後の音や最終楽章の鐘の明るい音にびっくりしたものでした。この両楽章は確かに白眉だと思いますが、それまでの楽章の一気呵成の進め方、荒いといえば荒いですけれども、何とも爽快で、変に神経質な暗さを感じさせないところがとても気に入っています。70年以上も昔のLP最初期の録音ながら、この明晰さもすばらしい。老境に入った今、これが一番お気に入りの演奏になりました。(どういうわけか、これを聴くと昔見たモノクロの幻想交響楽という映画を思い出します)。それにしても、モントゥーの再録音はウィーンフィルではなく、ロンドン響あたりでやってくれていたら、さぞかし溌剌としておもしろかったのではないかなと、個人的には想像してしまいます。
- 2022-09-12:笑枝
- K.364 大好き人間です。
オイストラフ-バルシャイ盤に遇う前は、一番好きな演奏でした。
初期盤を置いてあるクラシック喫茶によく通ったものです。
いつ行っても、リクエストするのはこの盤だったので、客が少ないと、バリリですね、とかけてくれたものです。
- 2022-09-11:ROYCE
- 私が愛聴しているコリン・デイヴィス/ロンドン響によるモーツアルトの交響曲39番と40番の録音(1961年、フィリップス)もベートーヴェンと同年のようです。ご指摘のようにモーツアルトでも二度と現れない輝きを感じます。
- 2022-09-09:藤原正樹
- 星は7つ。曲が若いのでそのぶんひいてあります、(そんなことを言って、お前は何もんやといわれそうですが)。録音はなかなか生々しいし、当時としてはデッカで入れられたことは幸運で、ティンパニやブラスはデッカでないと生きなかったと思います。昔の「暮しの手帖のレコードショップ」ふうにいうと「録音は古いが立派」。
「男は黙ってシベリウス」という雰囲気の演奏です。必要以上のことをやりすぎないから好きな演奏。第二楽章のヴァイオリンだって、妙に泣かしてしまうと嫌味だし、メロドラマになるんですね。鬼瓦みたいな顔して、シベリウスもコリンズも抒情的なものは心得ているんです。ハープなんど出てきても甘くならない。
- 2022-09-07:tks
- まさかここにこれが紹介されるとは思いませんでした。限りなく戯作に近いものだと思いますが、面白く聴けます。ピアノ協奏曲第3番と聴き比べるのも一興です(幸いオーマンディがグラフマンと組んだ録音もあります)。さて、私もオーマンディ盤以外知りませんでしたが、調べてみると父ヤルヴィなど、いくつか録音があるようです。聴き比べるとオーマンディ&フィラデルフィアの特色がよりはっきりするかもしれませんね
- 2022-08-30:yk
- 私はシューリヒトのファンでもありませんし良き理解者でもありませんが、いい(私の好きな)演奏ですね。この時代の指揮者のブラームスへの馴染みの良さ・・・と言うか相性というか、”主情性がこぼれだして”も違和感を感じさせない安定(心)感を感じます。
シューリヒトは1880年生まれです。ブラームスが亡くなったのは1897年ですから、シューリヒトはブラームスと同時代者・・・ワルター、フルトヴェングラー、クナッパーツブシュ等と同様ブラームスが生きた時代の同じ空気を呼吸した指揮者たちの一人でした。この世代の指揮者は皆ブラームスを重要なレパートリーとして演奏していて、それぞれ(現代の指揮者たちに比べても)随分個性的で”主情性”に溢れている・・・ウィーン・フィルの響かせ方にも随分相違がある・・・とも言えますが、彼らにとってはブラームスはそれだけ身近な・・・いわば”私たち”の音楽だったのでしょう。
このシューリヒトによるブラームスにも”客観性”の頸木に囚われることなく自然に自分の主観性を表出することの出来る(ある意味で幸運な)世代に属している指揮者のブラームスの響きを聴くことが出来るようです。
- 2022-08-29:大和田保臣
- 初めまして。いつも楽しく拝見させていただいております。
マルツィは私の大好きな演奏家の一人で、あの清楚で且つ、ほんのり色気など感じられる演奏は、堪りませんね。
ドヴォルザークしかり、ヴァントと協演した、ブラームスの協奏曲など、素晴らしい演奏ですね。
ほかに以前イギリスのクーダルシェ(?)というレーベルでしたっけ、一連のソナタ等(ベートーベン、シューベルト等)夢中に収集した記憶があります。
- 2022-08-24:藤原正樹
- 録音もいいです。この名演がデッカで残されたことには感謝。ハープが適正レベルで入り、ブラスの咆哮、弦の豊穣、打の存在感、素晴らしい。
- 2022-08-23:藤原正樹
- 結局は4と8だけだったのが残念。
実演で接したら、迫力あるし、感動するんだと思います。ただ、商品として繰り返し聴くレコードとなると、企画会議に出てもペンディングにされたか。
加速する部分がやや一本調子だし、金管楽器が元気よすぎる嫌いはないではない(でもこれってアメリカ人好みじゃない?)とはいえ、当時のRCAにはモントゥーでベートーヴェン全集を作ろ
うと考える人はいなかったのでしょうね。いたら、まあ、RCAの社内ではフランク・キャプラかビリー・ワイルダーの喜劇映画みたいなコメディが繰り広げられたか。星は7つ。
- 2022-08-19:joshua
- ほんの少しですが、夏から秋に変わるのが感じられだしました。このブラ1、第4楽章、一気呵成に聴いてしまいました。スイスロマンドも一般的評判より上手く聞こえました。
私の知っているシューリヒトブラ1は、彼の晩年、60年代シュトゥットガルト放送響のものですが、甲乙つけがたいですね。
最後まで戦い続ける「老いたるチャンピオン」の覇気、という説明文のフレーズが思い出される晩年らしからぬ演奏をもう一度聞きたくなってきました。
そう、演奏によっては晩夏の今、地上平野部でもブラームスが聴くに堪えるのでしょう。
- 2022-08-18:笑枝
- いい演奏ですね。
セルといい、ドルイアンといい、なんと間がいいんでしょう!
第二楽章のメヌエットの部分、さらっと弾いているのに、ビートが利いていて、哀愁ただよってる。何度聴いても、思わずホロリとさせられます。
- 2022-08-17:マコト君
- 初めまして。私はいまだにパッケージソフト派で、ディスクを収集に苦しむ(?)クラシック愛好家です。本サイトの充実ぶりと管理人様の見識には深い敬意を覚えよく拝見させていただいております。
私は「軽い」シューリヒトが大のお気に入りで、管理人様の彼に対するご意見は興味深く拝読しております。
ところで、私は1942年のシューリヒトのこの曲の録音として、St$(D+#dtische Orchester Berlinとの演奏を愛聴してきました。同年にベルリン・フィルとの演奏があったとは知りませんでした(同年に同じ曲を吹き込むというのは精力的ですね!)。ご紹介ありがとうございます。おそらくSP音源と思われますが、音源の情報を教えていただけるとありがたいです。
なお、St$(D+#dtische Orchester Berlinとの同曲のSP盤はPolydor68139/43です。
- 2022-08-17:笑枝
- 第三楽章・メヌエット、カセットにダビングしてよく聞きました。
トリオからメヌエットに戻るところが、何度聴いても、いいです。
レコード録音の話題になりますが、小生最初に買ったLP がベームのハフナーとプラハでした。たしか、プラハだったと覚えてますが、最終楽章、おいしいピークの部分で、つなぎがハッキリわかるお粗末な編集でがっかりしました。
カラヤンの《英雄》交響曲でも苦い思いをさせられ、好きでもアンチでもなかったのですが、ドイツグラモフォンの仕事の姿勢、カラヤンの仕事の姿勢がいっぺんに嫌いになりました。
一楽章、四楽章に不自然極まりない、音響の増減がありました。
オケの現場の増減ではない、ということが、クラシック初心者の小生でも分かりました。
録音スタジオのイコライジング、ボリュームコントロールをいじってるんですですね。
ベルリンフィルの二度目のべートヴェン全集。レコードセールスにあぐらかき、レコードファンをあなどる仕事ぶりにあきれて、以来、カラヤンは聴かなくなりました。
- 2022-08-17:藤原正樹
- 「男は黙ってシベリウス」というべき名演。木管楽器の切実さ、金管楽器の必要にして十分な咆哮、ティンパニの激しさ、8点。
- 2022-08-15:浅野修
- 皆さん、すみません。
自分で検証をお願いしておいて、自分で回答することになり大変申し訳ございません。
ジョージ・セル談話室にもスレさせて頂いたところ、tomari様ほか沢山の方からレスが有り、私が見たDiscogsのHPの記載の
「レーベル:CBS ? S 77242、
2 x レコード, LP, Album」
国: Germany
リリース済み: 1967年」
1967年リリースは間違いのようでした。
このオリジナル・アナログ・マスターの外箱写真(タワーレコード、ハイブリッドSACD,SICC10270~2のブックレット)に、1968年1月22日記載が有ります。また、同ブックレットに西村弘治氏解説で、40番単独では発売されず、アメリカでは1971年1月にほかの交響曲と組み合わせた2枚組LPとして登場した(MG 30368)。一方日本ではアメリカ盤に先駆けて、1970年8月に39番とのカップリングで1枚物として発売されている(SONC10280)。と記載されています。よって初出は、日本盤追悼レコードとなります。
セルは、このコピーのリピート部分への貼り付けを天国でどう思っていたのでしょうか。
大変お騒がせいたしました。
失礼します。
- 2022-08-12:アドラー
- 1楽章の終わりから1分半くらい?戻ったところから始まるピアノソロだけの部分、ここはYou tubeで他の現代のピアニストが演奏しているのを見ると、ここに特に気持ちを込めようとしているのがよく分かる部分だと思います。あれだけ込めようとしているのを見ると、込めることが出来る部分の筈だと感じていながら、なかなか込めることが出来ない苦労があるんだろうと思います。プロのピアニストにとって大して技術的な難しさはないと思うのですが。その部分、You tubeで見るグールドは、完全に入り込み、孤独な世界に沈み込んでいて、他を寄せ付けない凄みを感じます。
ここにアップしていただいている演奏はYou tubeの動画ほどではないのが残念ですが、それでも独特の世界を感じさせます。バーンスタインの指揮は粘り気がありますが、この粘り気がないとこのグールドにマッチしないように思えます。いつ聞いても感動させられます。
- 2022-08-12:望月 岳志
- 『ジョージ・セル 音楽の生涯』(マイケル・チャーリー著、伊藤氏貴訳)のp.122では、
「愛国的な休日に鑑みて・・・」とありました。(・・・の部分には原著に混乱があったようで、コンサートのスタートがスーザの「星条旗よ永遠に」となっています。)
当日7月4日はUSAの独立記念日の祝日ですので、その日に開催されるコンサートでは国歌やそれにちなんだ曲が演奏される習慣なのかどうか分かりませんが、チャーリー氏の考えでは「独立記念日に鑑みて」冒頭が国歌、アンコールがスーザの「星条旗よ永遠に」だったようです。
ちなみに探してみたところ、ボストンポップスの1978年7月4日(https://youtu.be/l7hMTZ-GhUg?t=4865 )では、最後にスーザの「星条旗よ永遠に」が演奏されています。
独立記念日とは言えコンサートでいきなり国歌というのは、戦時下ということもあったのかも知れないですね。
- 2022-08-09:浅野修
- 相変わらずセルの大ファンを続けております。
この度、1967年録音の40番の第3楽章のトリオの冒頭箇所で、一つのテイクがコピーされ、リピート部分に使用されていることが分かりました。
よって、初リリースがセルの存命中の1967年ドイツで発売で良いかが重要になって来ました。
yung様、1967年初出で間違いないでしょうか。
もし、セル存命中でセルが知らないところで勝手に行われたとしたら、もちろん亡くなった後でもですが、レコード芸術の大問題と思います。
このコピーによる繰返しは私の知る限り、セルの死後追悼盤としての日本盤LP SONC10280、1995年 SRCR9844 日本盤のCDまでで、2001年 SRGE751 日本盤SACD以降は繰返しが無くなっております。
なぜ、この様なことが行われたのか、皆さんの検証をお願いします。
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[2025-11-24]

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第12番変ホ長調, Op.127(Beethoven:String Quartet No.12 in E Flat major Op.127)
ハリウッド弦楽四重奏団:1957年3月23日,31日&4月6日&20日録音(The Hollywood String Quartet:Recorded on March 23, 31 & April 6, 20, 1957)
[2025-11-21]

ハイドン:弦楽四重奏曲第31番 変ホ長調, Op.20, No1, Hob.3:31(Haydn]String Quartet No.31 in E flat major, Op.20, No1, Hob.3:31)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1938年6月5日録音(Pro Arte String Quartet:Recorded on June l5, 1938)
[2025-11-19]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」 ハ長調 Op.53(eethoven:Piano Sonata No.21 in C major, Op.53 "Waldstein")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1956年3月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on March, 1956)
[2025-11-17]

フォーレ:夜想曲第6番 変ニ長調 作品63(Faure:Nocturne No.6 in D-flat major, Op.63)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-11-15]

エドワード・ジャーマン:「ネル・グウィン」(German:Nell Gwyn)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年3月3日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on May 3, 1957)
[2025-11-13]

ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92(Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1962年1月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on January, 1962)
[2025-11-11]

ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調, Op.20(Beethoven:Septet in E-Flat Major, Op.20)
バリリ弦楽アンサンブル&ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1954年録音(Barylli String Ensemble:Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1954)
[2025-11-10]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV.541(J.S.Bach:Prelude and Fugue in G major, BWV 541)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-11-08]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2(Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
[2025-11-06]

ヴェルディ:弦楽四重奏曲(Verdi:String Quartet in E Minor)
イタリア四重奏団 1950年11月24日~29日録音(Quartetto Italiano:Recorded on November 24-29, 1950)