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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2017-08-15:フラヴィウス
- この演奏の装飾音は、かつて音楽雑誌で、議論されました。
大学時代、教育学部へ行って、学部生が来る前に音楽学の先生に、ピアノを教えて貰いました。
第一声は、チェルニー版は駄目、原典版。エマニュエル・バッハの「正しいピアノ奏法」の翻訳があるから、買って読みなさい、でした。東川先生の訳が出ています。
言わせて頂ければ、エマニュエル・バッハ(息子さん)は、モーツアルトの先人であって、直接の見本は、末息子のクリスチャン・バッハです。
モーツアルトの初期のピアノ協奏曲は、クリスチャンの作品の編曲です。
バッハの息子たちは、練習した作品が良いので、良い演奏家であり良い作曲家に成長しました。
モーツアルトのピアノ作品をどのように演奏すべきかは、当時の近々の演奏家や理論家、作曲家の大問題だったと想像します。
ベートーベンの作品は、当時の前衛なので、素晴らしい事は分かっても、こなしきれなかったのではないか。
今でも、32番のソナタなど、きちんと弾けている人は、いないと思います。
努力が足りないのではなくて、作品が凄過ぎるのです。
それはそうとして、エマニュエルバッハを読んだ限りは、彼の書いている事は、通奏低音の弾き方が多いです。
装飾音にも触れていますが、楽譜をそのまま演奏してはいけない。「和声を変えない様に」、装飾音を付加しなければならない。特に、リピートの後・・・。
その時に大切な事は、「装飾音を付ける事によって、付けないで演奏するよりも、美しくなければならない。」
覚えているのは、そんな所です。
グルダの演奏で気になるのは、和声を変えている所もあるように感じます。興が乗り過ぎて変わってしまった?ジャズが舞台で弾けるグルダですから(リヒテルも宴席では弾くそうですし、フランソワとバルビぜの兄弟弟子は、食えない時酒場で金儲けしていたらしいです。)和音が少し変わっても気にしていないでしょうが、エマニエルは禁じていた気がします。本は何回かの引っ越しの時に無くしてしまい、今買う気もしません。
モーツアルトの直後の時代の人で、テュルクがクラヴィア奏法の本を残しています。グルダの演奏は、エマニュエルの本では正当化は難しいです。
ただ、実験的な感じがします。こんな事も出来るんだぞと言う感じで、「やって見せたぞ」と言う感じが、嫌な感じに自分には聞こえます。
若い頃は、とっても良い演奏だと、尖がっていました。
もうだいぶ抑えて演奏された方が、今の自分には、美しく聞こえるように感じております。
今は、古楽の演奏も、現代ピアノの演奏も、どちらも出来るピアニストが登場しています。現代ピアノと言っても、今のスタインウエイとギーゼキングが弾いた物は、相当変わってきています。
どうしたら良いのっていう感じです。迷っていますね。
- 2017-08-13:north fox
- この曲にはこのような演奏もあることを改めて思い知らされました。衣川で義経を護り、満身に矢を受けながら仁王立ちで絶命した弁慶が連想されました。虚勢などではなく将に強靭です。
己の信ずるところにオケをぐいぐいと引っ張っていく統率力、それに応えるオケの演奏技術は見事ですが、それよりもこの曲の一般的なイメージに対するアンチテーゼとしての存在感が強く残りました。マルケヴィッチ40代後半の演奏ですが、老境に入っても同じ解釈をしたのでしょうか。
- 2017-08-12:yseki118
- ケンペンの「エロイカ」と言えば、私が2枚目に買ったクラシックのLPです。ちなみに、1枚目はリヒターの「トッカータとフーガ」です。
どうしてこのLPを買ったかというと、安かったからです。中学生で、自分の小遣いで買えるLPと言えば廉価盤しかなかったからです。
でも、聴いて大満足。もの凄いストレートな演奏で、これでクラシック音楽の素晴らしさに開眼したと言っても良いと思います。
物知りの友人に「ケンペンって知ってる?」と聞いたら「ケンペ」について得々と語り出し、「ケンペじゃなくて、ケンペンなんですけど・・・」と言うこともできず、最後まで解説を聞いていたことを思い出します。
あれから、色々な曲や演奏を聴いてきましたが、あの当時ほど感動したことはないように思います。「エロイカ+ケンペン+ベルリンフィル+若さ」という組み合わせが良かったのだと思います。
感受性が豊かだった、あの頃が懐かしいです。
- 2017-08-12:タケルクン
- この曲、このマルティの演奏、ほんとに素敵ですね(アントニエッティのピアノも!)。
今までシューベルトは「単調で長い」イメージがあり、あまり好きでなかったのですが、これで覆りました。
- 2017-08-06:宗万秀和
- はじめまして。
記事中で紹介いただいているマルケヴィッチ版については,飯守泰次郎/東京シティフィルが2010-2011にチクルスで取り組んだ全集CDがあります。
マルケヴィッチ版によって習慣的に行われていたボウイングやアーティキュレーションを徹底的に見直したという演奏で,マルケヴィッチ風の明晰さや力強さに飯守さんの滋味深さや優しさが加わった名演だと思います。CDはいま版元切れですが,流通在庫はあるようでamazonなどで手に入ります。このマルケヴィッチ版での演奏に関しては,下記の飯守さん公式サイトのメッセージコーナーの過去アーカイブに,かなり詳しい指揮者コメントが掲載されています。
私はなかでも6番の演奏が大好きです。5番は当時の朝日新聞の評で絶賛されていました。ぜひきいてみてください。
飯守泰次郎公式サイト ディスコグラフィー
http://www.taijiroiimori.com/04disc/discf.html
- 2017-08-05:まー
- メニューインが若くして亡くなっていたら、ヌヴーのように20世紀前半を代表する伝説のヴァイオリニストとして語り継がれていたのかもしれません。逆にヌヴーが長生きしていたらメニューインのように「若いときは凄かったんだけどね・・・」などと言われることになったのかもしれませんが。
とはいえ、演奏にとどまらない彼の人道的な活動も含めると本当に偉大な音楽家だったと思いますし、長生きしてくれてよかったと思います。
- 2017-08-05:べんじー
- ジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団のコンビによるハイドンが大好きです。滑らかなシルクのドレスの下に、全く無駄のない鍛え上げられた肉体を隠した美しき女アスリート。彼らのハイドンを聞いて「あぁ」と嘆息しながら、いつもこんなことを思い浮かべるのです。
ユングさんのおっしゃるように、セルと比べるとライナーのハイドンは少しハードボイルドな感じがします。セルの演奏ではクスリと笑えるハイドンのユーモアが、ライナーだとこわもてのオジサンが精いっぱい浮かべた笑みのような感じがしないでもない。でも、これはこれでとても充実した演奏だなぁ。おかげでライナーのハイドンを更に聞いてみたくなりました。感謝!
- 2017-08-03:まー
- 演奏に対してじゃないんですが、
久しぶりにこの曲を聴こうと思ったら解説が新しくなってたものですから。
この曲が地味だというのはとてもよくわかります。
40番と41番にはベートーヴェンを先取りしたような人間的な意志や感情が溢れてますけど、39番にはそれがないというか、主人公不在で掴みどころがないような
この曲にはどこか風のようなところがありますね。
風のように過ぎ去っていってひとり取り残される感じが私にとっては心地良いのかもしれません。
私が抱く終楽章のイメージは、いたずらっ子が思う存分はしゃいで自分が満足したら勝手に去っていく!です。
関係ないですが、数年前に亡くなったオトマール・スウィトナーの追悼ドキュメンタリーで、理由は忘れましたが彼はこの曲が一番好きだと言ってました。終楽章がとてつもなく難しいとも。引退した後、お忍びでシュターツカペレ・ベルリンに来て震える手でこの曲を振っていたのが印象的でした。
- 2017-07-30:原 響平
- ライナー絶頂期の演奏。同時期のライナーの録音と同様で、異常に筋肉質の高い演奏で、聴く方も正座が必要なくらいの緊張感が必要。これほどの完璧なオーケストラコントロールが出来る指揮者は他にいない。セルも確かにオーケストラに完璧を求めるが、ここまでの張り詰めた音をオーケストラに求めない。この一糸乱れぬ演奏は、ライナーの完璧主義者たる由縁。特に、音の消え入るような弱音部の表現は深みを感じさせ素晴らしい。この曲の名演奏との評価が高いフルトヴェングラーの演奏は、人間の生きている証を随所に見せ非常に魅力的だが、このライナーの演奏のそれは対極に位置する。
- 2017-07-27:north fox
- 教科書のように折り目正しく、正調の演奏とでもいうのでしょうか、室内楽にあまりなじみのない人の入門にふさわしいのではないでしょうか。安心して聴けると思います。ハイドンセット以降の弦楽四重奏曲は全曲複数のグループの盤を所持していますが、外連味のないこの一連の盤も好きです。
ところで、この曲に対するユング氏の評はセルのモーツァルト演奏に関するものにも通じると思うのですが。
- 2017-07-23:原 響平
- この演奏を聴いてから、ブラームス交響曲No4のイメージが変わったのを覚えている。人生とは、悲しく、しかも甘く切ない思いの連続。それをブラームスはこの曲で聴く者の心に訴えている。ワルターの慈愛に満ちた演奏は特に、それを強く感じた。しかし、このマルケビッチの演奏は、それとは正反対の演奏。感傷に浸ることなく、パワーでグイグイと進んで行く様は、まるで軍隊の行進の様。金管とティンパニーの強打は、それを強く物語る。特に最終楽章は物凄い迫力で聴く者を圧倒する。これは名盤ですね。さて、マルケビツチの1968年の来日時に日フィルとこの曲をライブ録音を残しているが、それも同様に素晴らしい。 ワルターを聴いた後に、このマルケビッチの演奏を聴くと、とても同じ曲とは思えない。指揮者の解釈で、曲のイメージが変化する最右翼の録音と演奏。
- 2017-07-20:north fox
- この『ランダム検索』のストリーミングで聴いても演奏、録音のクオリティの高さがよくわかります。この曲は同じBPO/カラヤンとゲーザ・アンダの盤も持っていますが、それと甲乙つけがたい私にとってのベストです。(他にはアシュケナージ/ハイティンク、ギレリス/ヨッフムが手元にあります。)
この曲ばかりでなく、カラヤンとブラームスは相性が良く名演ぞろいと思うのですが、何故1番の協奏曲は避け続けたのか想像できません。巷にはもっともらしく穿った(?)見方を散見しますが。
- 2017-07-15:JOHANNES
- 私は今ザルツブルクに住んでおりますが、ザルツブルクは人口わずか18万の町です。実にのほほんと時間が過ぎてゆく田舎町、という表現がもっともしっくりくる町です。
一方、フルトヴェングラーが青年期を過ごしたミュンヘンは人口100万を超えるような大都会です。
私は、なのでYungさんのおっしゃるカラヤンとフルトヴェングラーとの《メタモルフォーゼン》に対するスタンスの違いは、むしろカラヤンが「地方の田舎町出身だったから」出てきたものかもしれないと思います。もっと突っ込んで言えば、カラヤンは戦後とった行動(特に象徴的なのは、「プラハの春」事件に抗議してラファエル・クーベリックが出した「東側で演奏しないでほしい」という声明に呼応してドレスデンでの《マイスタージンガー》の録音をキャンセルしたバルビローリの代役としてカラヤンがドレスデンに乗り込んだ事件でしょう)を見ても、自身の政治的スタンスというものを持っておらず、そこに非常に無頓着だった部分だと思います。戦後、カラヤンのインタビューや伝記などを紐解いても、自身がナチス党員だったことや党の催し物で指揮したことに対する後悔の念も、またフルトヴェングラーのようにナチス政権下でユダヤ人を助けたというような話も、ゲッベルスに盾突いた、というような話も聞こえてきません。根本的に、カラヤンは自身の人道的使命とか、政治的立ち位置ということに無関心だったのではないかと思います。
それが、戦後カラヤンの演奏が美音を追求し、細部の彫琢を極め、美しく聞き映えのする演奏を提供することを最大の目的としていたところにつながるように思います(それはそれで一つの価値観ですし、そのようなカラヤンの演奏にも魅力を感じる場面はありますが)。
- 2017-07-15:Guinness
- フルトヴェングラーとカラヤンとの聞き比べですが、私のシステムではフルヴェンの方が音が良く感じました。カラヤンは絶対音質に注意を払っていたと思うのですが、意外な結果です。
- 2017-07-12:benetianfish
- このハーティ版やグーセンス版のメサイア、原典主義の素朴なバロック音楽も悪くはありませんが、たまにはゴージャスなバロック音楽を楽しんでも、罰は当たりませんよねっ。
このカラヤン盤の余裕に満ちた優雅さも捨てがたいですが、私はどちらかと言えば、金管楽器が前面に出て、カラフルでゴージャスなドラティ盤が大好きです。彼が指揮の1812年序曲、ユーリ・ブーコフのプロコフィエフソナタ第7番とともに、何度聞いても笑みが浮かぶ(笑わずにはいられない?)三大名録音の1つです。
- 2017-07-03:TT
- 同じころベルリンでベームが同曲を録音してますが、意外と似てますね。表面的には確かにカラヤンぽいですが。
- 2017-07-03:宮島のお化け
- こんな演奏をいまだかって聞いたことのない響きがある。メロディが浮き上がってくるところは、ほかの演奏家からは決して聞こえてこない。自己の主張をくっきりと主張しているみたいで、揺るぎない力強さが聞こえてくる。一度聴いたら決して忘れることのない不思議な演奏です。
何回聞いても飽きない演奏とはこんな演奏なのでしょう
- 2017-07-01:Watcher
- 今回、初めてパウル・ヒンデミットの音楽を聴いてみました。しかも、代表作である交響曲「画家マティス」。客観的にみて傑作だとされていることは間違いありません。
ただ、ヒンデミットの音楽は、同じドイツ・オーストリア系の後期ロマン派とは全く対極に位置する(もちろん、新ウィーン楽派とも全く違う)ような作風であると言われている通り、「実に乾ききった響きをもった情緒欠乏症ともいえる非感傷的な音楽」だと言えます。同時代のプロコフィエフやミヨー、プーランク、そして、(「春の祭典」以降)のストラヴィンスキーの作風と同じ部類に属しているという印象です。
いずれにしても、こうした「新即物主義」ないし「新古典主義」の音楽は、個人的な好みから言えば、「繰り返して何度も聴きたいとは全く思えないタイプの音楽」ですが、一度か二度、試しに聴いてみる価値はあるとは思いました。
- 2017-06-29:Sammy
- カラヤンらしいレガート(とベルリンフィルならではの上質な仕上げ感)はあちこちにあります。ただ、それで塗りつぶすのではなく、特に力強く厚みのある弦の響きで起伏のある堂々とした音楽づくりをしているように思えます。それがこのベートーヴェンの初期の傑作の雰囲気とも合っていて、質感としてまろやかでありながらも溌溂とした勢いがとても心地よい快演となっているのではないかと思います。
- 2017-06-29:Sammy
- この色彩感豊かな20世紀の傑作交響曲が、こちらのサイトで紹介されることをとてもうれしく思っています。カラヤン/ベルリン・フィルの演奏はとても伸びやかで明瞭であり、必ずしも十分に知られているとは言えないこの作品の姿を明らかにするのにとてもよい演奏ではないかと思いました。
- 2017-06-27:north fox
- 独奏ヴァイオリンもオケも音色の美しさは勿論のこと演奏技術、構成ともしっかりしていて、余計なことは考えずに陶然として音楽の世界に身を任せられる演奏です。ユング氏のおっしゃる「エンターティメント性の果て」の好例だと思います。
この曲が好きなので、これまでスターン、クレーメル、ムターを持っていましたが、早速このCDを買い足しました。
数十年間様々な指揮者でブラームスの作品を聴いてきましたが、私にはブラームスとカラヤンの相性が良いように思えます。
- 2017-06-26:原 響平
- カラヤンの才能が全開した頃の演奏。この頃のフィルハーモニア管と入れた録音は名演が多い。特に、シベリウス交響曲No2は凄い。カラヤンの演奏スタイルは、重低音を豊かに響かせながら、それにかぶせる様にバイオリンや金管楽器を微妙に音をずらして鳴らす。聴いていてゴージャスな響きの為、非常に気持ちが良い。さて、このロッシーニも同様な音創りで非常に上手い。特に「ウイリアムテル序曲」は、後年のベルリンフィルと録音した音源よりこちらの方が名演だ。1950年代後半にはカラヤンの演奏スタイルは既に確立していた。
- 2017-06-25:Can Beetho
- ラジオ放送をエアチェックしたものではないか、という想像が真であれば、数え切れないほどアップしていただいているユングさんのコレクションの中でもなかなか珍しい部類に入るのでしょう。そしてそれを一般向けに販売してしまうレコード会社の度胸もなかなかのものになります。
録音の問題を度外視してもこの演奏の評価は星7つどまりかと思います。
と言っても、エーリッヒ・クライバーは、「カルロスの父」などではなく、カルロスよりも高く評価している私です。
- 2017-06-22:Sammy
- yungさんのコメントに共感しつつ聞きました。楽譜通り弾くのが悪いとは思わないのですが、特に作品の成り立ちからして、演奏行為における作品との対話の一環として即興が前提とされてきたのであれば、それは問題ないはずです。以前ツァハリアスChristian Zachariasの自在に即興的な装飾がなされたモーツァルトを聴いて感嘆したこともあって、おっしゃることはとても腑に落ちました。
問題なし、というよりもむしろ、このグルダの流麗かつ洒脱で絶妙な演奏はとても魅力的かつ自然で、この作品にはこういう即興が本当に似合うということ、また作曲と演奏の関係がこういうものであることがとても幸せなものであることを、心ゆくまで感じさせてくれるように思えます。
- 2017-06-07:Sammy
- バーンスタイン/ニューヨークフィルが作り出す明瞭かつ勢いのある、そして作品のオーケストレーションの洒脱さが際立つような音づくりの上で、グラフマンのくっきりとした丁寧でお洒落なピアノが伸び伸びと鳴っていて、とても魅力的な演奏だと思いました。明暗のコントラストをもっと強調した演奏になじんでいたので、このややあっけらかんと音楽の流れるままに伸び伸びとというか、さくさくと進行していく演奏の、ある種都会的なセンスとでもいうべきものに、とても新鮮なものを感じました。
ちなみに、第18変奏がよく知られていますが、そこに至るプロセスがあってこそ光る逸品だと思いますし、そのあと駆け抜けていくような展開もこの曲の魅力だと思います。一部と言わず、ぜひ全体を楽しんでいただければ、と願うものですが、この演奏はそういう全体の勢いが感じられる点でもとても好ましいです。
- 2017-06-07:Sammy
- Yungさんの絶賛をお読みして、半信半疑で聴きはじめ、結局うならさせられた名演です。ニューヨーク時代のバーンスタインというと、手持ちの道具できちんと作りました、力感も十分でしょう?という感じの、それ以外に特段の魅力を感じにくい演奏と、逆に自らの個性が爆発してオンリーワンの魅力で勝負の演奏のどちらか、という印象を持ってきましたが、これは、彼らが正攻法かつ高い集中力で取り組んだ結果による見事な作品の再現ではないかと思います。
決してオーケストラの技量を誇るふうでもなく(そういう意味では時に幾分の粗さも感じます)、音色的にも特に魅惑的というわけでもなく、またあからさまな劇性の表出もないけれども、手堅いテンポ、表情、音色づくり、バランスの中での一つ一つの率直で丹念な再現の積み重ねから、この優れた作品自体が持っているエネルギーがずっしりとした重さをもって表出されてくる。マーラー4番やニールセン5番の演奏と同様、このコンビの最盛期を記念するにふさわしい優れた音楽遺産であると思います。
- 2017-05-27:べんじー
- 猛烈な速さを伴いながら無慈悲とすら思える克明さで演奏される終楽章を聞いていると、圧倒される思いと共に、「チャイ4ってもう少し優しさや遊び心のある曲ではなかったかな?」という物足りなさを覚えます。
ストレートに音楽の核心に迫る分、ムラヴィンスキーのこの演奏は直線的に過ぎて柔らかさや遊びの部分が不足する。彼自身もそれを自覚していたはずで、後期3大交響曲のレパートリーの中から4番が姿を消した(実際、56年のモノ録音ではザンデルリンクが指揮を担当している)のも、もっともなことだと思います。
でも、この気迫あふれる超絶的な演奏は麻薬のような魅力がありますね!
- 2017-05-13:Udan
- 私が初めて手に取ったクラシックのCDが、これと第40番がカップリングされたこの演奏でした。当時小学校の学芸会(みたいなもの?)で学年全体で第40番の第1楽章を演奏し、プロの演奏が聴いてみたいと思って近所の図書館でたまたまこのCDに出会いました。第40番ももちろん素晴らしいのですが、ジュピターの最終楽章を聴いた時、「なんかわからんけどまるでオルガンのように壮大で圧倒される」思いがして、目当ての第40番よりも多く聴いたかと思います。子供ながらにプロのオーケストラってのは別次元の演奏をするんだなぁと感心させられました。この体験のおかげでクラシック音楽というものにはまることができました。後日CDを買いましたが、いま改めて聴いても全体の調和がとれた名演だと思います。
- 2017-05-13:Sammy
- 比較をし始めればいろいろ考えつつ聴くこともできるのかもしれませんが、私は余りあれこれ考えずに聞いてみて、少々生真面目な硬さこそあれ、伸びやかで推進力のある見事な41番を聴いた、という印象を持ちました。
- 2017-05-13:Sammy
- 晩年のワルターと小編成オケ…まったり系ワーグナーかな…と思って聴きはじめてすぐ、どうやらまるでそうではないと気づきました。
yungさんが最後に書かれている通り、実に闊達で艶めかしく音楽が躍動しているのに驚きました。小編成ということもあり、いわゆるオーソドックスではないもしれませんが、生き生きとした魅力ある表現に満ちた、とても優れた演奏だと思います。ワルターの晩年の録音ということで、明瞭な録音も心地よいです。
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[2026-04-07]

J.S.バッハ:8つの小前奏曲とフーガ BWV.555-556(J.S.Bach:Prelude and Fugue BWV555-556)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1962年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1962)
[2026-04-06]

J.S.バッハ:8つの小前奏曲とフーガ BWV.553-554(J.S.Bach:Prelude and Fugue BWV553-554)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1962年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1962)
[2026-04-04]

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.61(Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61)
(Vn)ダヴィド・オイストラフ:シクステン・エールリンク指揮 ストックホルム・フェスティヴァル管弦楽団 1954年録音(David Oistrakh:(Con)Sixten Ehrling Royal Stockholm Philharmonic Orchestra Recorded on 1954)
[2026-04-02]

ベートーベン:「ルール・ブリタニア」による5つの変奏曲 WoO 79(Beethoven:5 Variations on Rule Britannia, WoO 79)
(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&1960年録音(Alfred Brendel:Recorded on 1958 & 1960)
[2026-03-31]

アントン・ルビンシテイン:ピアノ協奏曲 第4番 ニ短調 作品70(Anton Rubinstein:Piano Concerto No.4 in D Minor, Op.70)
(P)オスカー・レヴァント:ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニック1952年3月31日録音(Oscar Levant:(Con)Dimitri Mitropoulos Philharmonic-Symphony Orchestra Of New York Recorded on March 31, 1952)
[2026-03-29]

ケルビーニ:レクィエム ニ短調(Cherubini:Requiem in C minor)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:チェコ・フィルハーモニー合唱団 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1962年12月録音(Igor Markevitch:Czech Philharmonic Chorus Czech Philharmonic Orchestra Recorded on December, 1962)
[2026-03-26]

ベートーヴェン:八重奏曲, Op.103(Beethoven:Octet in E-Flat Major, Op.103)
ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1954年録音(Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1954)
[2026-03-24]

ルーセル:弦楽三重奏曲 イ短調 Op.58(Roussel:String Trio in A minor, Op.58)
パスキエ・トリオ:1954年発行(Pasquier Trio:Published in 1954)
[2026-03-22]

アンリ・リトルフ:交響的協奏曲第4番 ニ短調, Op.102~第2楽章:Scherzo(Litolff:Concerto symphonique No.4 in D major, Op.102 [2.Scherzo. Presto])
(P)レナード・ペナリオ:アーサー・フィードラー指揮 ボストン・ポップス 1963年5月24日録音
[2026-03-19]

リリ・ブーランジェ:詩篇第130篇「深き淵より」(Boulanger:Psaume 130, Du Fond De L'Abime)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 エリーザベト・ブラッスール合唱団 (T)ミシェル・セネシャル 1958年録音(Igor Markevitch:Orchestre Des Concerts Lamoureux Elisabeth Brasseur (T)Michel Senechal Recorded on 1958)