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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- この作品は印象的なメロディこそあるものの、とても散漫かつ支離滅裂な印象がどうしてもぬぐえませんでした。5番や6番のような比較的はっきりしたドラマ的展開が見えなかった、ということもあるのだろうと思います。
しかし、この極めて集中力が高く、かつしなやかに歌う完成度の高い演奏によって、そのような構成の割り切れなさは、高い緊張感をもって(ある種マーラーなどにつながっていくような)その矛盾、拮抗を表現することで、極めて魅力的な全体に仕上がっていく、そういう可能性を突きつけられたように思いました。これまでいろいろな演奏を聴いて、それなりに良いと思うこともありましたが、これほど魅力的な演奏には初めて出会いました。
録音の良さもありますが、このクリアかつ緊密で、しかし自発性と余裕を失わない高度にプロフェッショナルな音楽の迫力は、本当に素晴らしいと思います。
- 2016-10-11:Sammy
- この演奏はとてもオペラティックな劇的表現に満ちていて、作品に似つかわしくないように感じられました。ただ、その「感じ」とは何だろうとふと考えてしまいました。
そして、この作品の特徴は、宗教的心情に立ち、宗教音楽の伝統を踏まえつつもキリスト教の伝統的な決まりごとに縛られないロマン的な心情が重んじられている点だと思い至りました。
その場合、この作品には実は「宗教的感情」と「伝統」に傾斜した演奏、聴き方が「本来的」となりがちだったのかもしれないのですが、他方でもし「ロマン的な心情」に基づくのであれば、オペラ的な行き方はそれと親和性があるはずです。
カラヤンがここでこの方向をぐっと積極的に出し、私がそれを聴いて違和感を持ったのは、作品と演奏が合わさって強いメッセージ性を持ったから(yungさんの仰り方で言えば「蒸留水」ではなかったから)こそなのかもしれない、と考えました。そういう意味でも、この演奏はこの作品のやや背後におかれやすい特徴を確実に捉えた上で大胆に前面に押し立てた非凡なものではないかと思うのです。
- 2016-10-11:Watcher
- 作曲者名がJ.C.バッハとあったので驚きましたが、何のことはない。いつものJ.S.バッハの作品ですね。ところで、C.P.E.バッハやJ.C.バッハの作品は取り上げる予定はないのでしょうか?あの吉田秀和翁はJ.S.バッハの息子たちの作品は取り上げる価値などないと仰っていましたが、実のところどうなのか。
- 2016-10-10:Sammy
- 明瞭で硬質の音で抑制的かつくっきり構築しつつ、さりげない丁寧な表情付けによって、気品あふれる美しい音楽に仕上げていく優れた名演奏だと思います。多分それほどすぐれた作品ではないのではないか、と時に思うこの曲ですが、このプロフェッショナルな献身に満ちた見事な演奏で聞くと、とても立派な音楽と感じられ、爽やかな印象が残ります。
- 2016-10-10:Joshua
- 畢生の名作、と上記されています。組曲、ないしパルティータのようなこの曲。
後期12番から16番の中で不思議な存在感を持っています。というか、何かの拍子で買って聴きこまない限り、知らないまま過ぎてしまいそうな曲でもあります。
バリリで聴きこんだこの曲、次のジュリアードの「あざとさ」(Alban Bergも同様)に呆れて、いろいろ聴き歩きました。私的には、この曲は蒸留水のような透明感、あっさりとした表現が欲しい。ブダペスト、クリーブランド、ラサールはいい線行ってましたが、何か違う。そこへ、当サイトのハンガリーを聴いて、各パートの克明な動きと共に「自然な」流れにバリリに近いものを思い出させてもらいました。スメタナも同じような感想。いっそ、80~90年前のブッシュやカペエにこの曲の録音を残しておいてほしかった。そして、このヴェーグの「欲のない演奏」は、肩の力が抜けた好きな演奏の1つに加わりました。
音楽をどう聴くか。
ジュリアードのように文字通りライブ演奏の表現の一回性に重点を置くのは、14番以降、11番以前に任すとして(12番の緩徐楽章は私的に13番の予告編)、この13番は、現世離れした、負もなく正もない、対立も問いも解答もない、そんな演奏をくり返し聴き続けたいと思っています。プレーヤーを前に音楽に集中することもなく、まして音楽会へお行儀よく鎮座して聴くのでもなく、日常の場面場面で何気なく立ち上がってくる音楽、そしてその演奏が私的にはこの13番の世界です。
晩夏の折に身内の看護に日々追われ、ようやく読点がついて、見通しが出てきた今、夏前は乙に音楽を聴いていた自分を振り返りました。前回感想でだしました、「チェリスト、青木十良(じゅうろう)」も読み終わりました。その間、シゲティ著「弦によせて」もかいつまみ(いずれ精読したい本です)。録音に頼って聴く聴衆に対して、(あたりまえのことですが)演奏家は残すと残すまいと我々が耳にする何十倍もの音楽を練習・演奏会で鳴らし、考究し、言葉や録音が残っていない音で伝えてきたわけです。そんなことが上記の本で分かった気になりました。「ブッシュやカペエにこの曲の録音を残しておいてほしかった。」と上の方で書いてしまいましたが、まさに聴き手の勝手、無いものねだり、なんでしょう。むしろ、20世紀からの録音技術のおかげで、セールスラインに乗る乗らないはあっても、山のように堆積した過去の録音に心動かされるものが少なくないのは、うれしい事実です。
- 2016-10-10:Hide
- 大作曲家のチェロソナタは少なく、曲も良く書かれているので多くの録音がありそうですが、意外にも名チェリストの録音はフォイアマン、シュタルケル、マイスキーあたりで少ないですね。おそらく大衆受けしないのでしょう。ベートーヴェン第3番あたりなら、これぞチェロ!という感じなのですが...控えめで柔らかな演奏をするシュタルケルはすばらしいです。(バッハやコダーイの無伴奏とは違う魅力ですよ)
ただし、フォイアマンの歴史的名演と比べると、各楽章の性格付けと音楽的表現で一歩譲りますね。颯爽とした1楽章、意表を突くピチカート主題と軽快に歌わせる2楽章、抒情連綿とした3楽章、チェロが自在に泳ぎ回る4楽章の描き分けがもう少し欲しいところです。シュタルケルは淡泊です。その代りに1939年録音のSP復刻よりはるかに美しい音色が楽しめます。
- 2016-10-10:Hide
- いつの間にか好きな交響曲のトップになってしまったブラ2、特に和声の基音を刺え辻音つきのチェロで主導する冒頭と第3楽章の軽妙さがたまらないですね。カラヤンの演奏は各パートが一本の線になって一糸乱れぬ美麗な世界の限りを描き出すところが魅力です。生前は一時酷評されたりもしましたが、カラヤン指揮ベルリンフィルが存在しなければ、クラシック界はつまらないものになっていたでしょう。
私の先生は新響(今のN響)時代にカラヤン指揮下で弾いて、カラヤンは音楽の塊でものすごい練習だったとのこと。ただ、その究極的な厳しさゆえに、美しさではトップにありながら、バルビローリ指揮ウィーンフィルのブラ2を聴いた時の言い知れぬ幸福感のようなものが、この演奏からは失われているように感じます。
- 2016-10-09:yk
- オークレールは(妙な表現ですが・・)小股の切れ上がった好きなヴァイオリニストで、古くからファンでしたが、このバッハは初めて聴く演奏です。ヴァイオリンはバルヒェットの演奏などを思い起こす(少なくとも私のようなロートル・ファンには)いい演奏ですね。
ただ、やはりオルガン伴奏と言うのは・・・・・単なる慣れと言う以上に楽器間の音色の対比などの点でも、やはりコノ曲はチェンバロの方が相応しい。しかし、それでもファンの端くれとして、何れ近いうちに全曲聴いてみたいと思います。
- 2016-10-08:原 響平
- 随分と昔になるが、大学生の時によくこの演奏を聴いた。フィラデルフィアのブラスが豪快に鳴り響き、非常に気持ちの良い演奏との印象が残っている。当時は、金管が鳴り響く演奏が、レギュラープライスのLPで、弦楽主体の演奏は廉価盤と勝手に決めつけていたのを思い出した。ホルンは、特に難しい楽器で生演奏でもミスが目立ち易く、ホルンが上手く吹けて、強奏した演奏を求めて次から次へとLPを買いあさった。
確か、オーマンディーのこの演奏は¥1500の価格で売られていた。
さて、セル・ワルターの演奏は当時レギュラープライスのLPだったので、学生としてはなかなか購入出来ない価格帯だったが、無理して購入して比較視聴した。特に、セルの演奏は豪快にホルンを鳴らすのが演奏スタイルの基調との認識が有ったので、それを期待して購入した。しかし、金管の強奏は陰を潜めており、当方、首を傾げたのも思い出した。評論家の方々がこぞって推薦する演奏はセル・ワルターの演奏で、オーマンディーの演奏評価は必ずしも高くなかった。ブラスバンドとオーケストラ演奏の違いに目覚めたのがこの当たりからだった様な気がする。
- 2016-10-03:昔から聞いていた
- 最初にモントューのLPを買ったのは、Fontana1000円版だった、確かロンドン響だったかな。白鳥の湖のすばらしさに感嘆した記憶がある。
ちょうどアニメのリボンの騎士が放映されていた時で、よく場面の背景音楽として使われていた。
彼の5番は引き締まった演奏でいいものを聞かせてもらったなというのが鑑賞後の感想で思わず4番、6番を聞かねばと思わせる上質な演奏でした。
アップありがとうございます。
- 2016-09-29:Joshua
- ブラームスは、カーステレオに適さない。歩くときのヘッドホンならまだしも、運転に支障をきたします。だからと言って音楽が悪いことは少しもなく、そういう文明の利器に適合しない、特性を持った音楽と言えましょうか。このピアノソナタなんて、その最たるもの。(協奏曲の1番もそうですが、あの鬱然たる鋼鉄の響き!)
若々しい覇気が感じられます。ごつごつして「豪栄道」が飛び跳ねてる感じ。シューマンのソナタもそういえば似てませんかね。たとえば、Mozartのディヴェルティメント15番の第1曲と好対照。そこをカラヤン・ベルリンは1965年に見抜いていた。
確か早世した弾き手のカッツェンは、いいですねえ。明快。多層な和音を気持ちよく鳴らしてくれます。この人の協奏曲は残っていたと思いますよ。1番も2番も。
昼間は暑いものの、瞬く間に金木犀香る10月、このサイトで縦横無尽に音楽を聴きわたり、50年前は叶わなかった「市井の1音楽愛好家」が感想を書けるのは、世間から見れば小さな、それでいて個人的には多大な喜びです。我々も宇野功芳(好き嫌いは別として)になれるのです。それには、PCの時代を待たねばなりませんでした。プレイヤーに30センチの盤を載せるのとは風情は違いますが、ともかくはファーストハンドで演奏そのものが聴けるのです。
2014年でしたか、99歳でなくなられた青木十良さんの評伝「チェリスト、青木十良(大原哲夫著)」をよんでますが、1936年シゲティを聴いた思い出が出てきます。
このサイトにも無伴奏バッハがアップされてますが、また聴きたくなってきました。
冒頭で言いましたが、決してカーステでは聴けない点、共通しています。
昔は、きっと時間の流れ、質、今と違ったのだと思いますよ。
クナッパーツブッシュも言っていた。「これはロココなのだよ」
- 2016-09-29:Joshua
- フェラスにせよ、渡辺 茂夫にせよ、このレビンにせよ、(ハイフェッツの直弟子エリック・フリードマンにせよ(同じ弟子でもアモイヤルは健在)、オイストラフの息子イーゴリにせよ)、音楽のこわさ、ってありますね。さりとて、音楽の恩恵言わずもがなです。
私の十代で聴いた、レビンのタイスの瞑想曲は最高に美しかった。曲想の持つ危うさが、レビンの演奏家としての危うさと重なり合ってた、なんて知る由もなかったですが。葉加瀬さんのように、クラシックからはじけたら幸せになれる人、多いのかもしれません。
話は変わりますが、かのユング心理学の河合隼雄氏も文化庁長官になられる前、京大同窓で東京交響楽団首席fluteの佐々木真氏とデュエットのCDを作られています。京大オケに在籍された河合隼雄氏、ご自身でおっしゃるように、名手ぞろいの中では上手とまでいかなかったようです。58歳までフルートを手に取らなかったのが、還暦前にして、物理専攻名flutist佐々木真氏に習いはじめたわけです。それから20年。臨床心理の仕事にバランスを与えてくれたんでしょうね。
音楽体験は、プロアマ問わず、一人一人にあり、その機会(演奏にせよ視聴にせよ)は自由に開かれてるようです。どうか、素晴らしい名手たちが迷宮入りしないことを祈りたいです。
レビンのように弾ければ、それだけで素晴らしい(最高)と思います。このパガニーニの奇想曲は、私的には、古今誰よりも上手い、と思います。レビンの前で、ハイフェッツに弾かせてやりたかった5、6、8番など(24番と数曲だけSPであるようですがね)
- 2016-09-27:Sammy
- yungさんの仰る通り、まさに「手の内に入った」堂々たる卓抜な演奏だと思います。作品の多彩さと起伏を生き生きと精力的に表現する様は本当に素晴らしく、時代を超えて今も十分聴き返すに値する名演奏だと思います。
- 2016-09-27:Watcher
- >いかに抵抗感があったとしても、それはこの後に続く音楽であることを捨ててしまった愚かな「非音楽」=「前衛音楽」とは異なります。
確かに、新ウイーン楽派の3人の作品は一見抵抗感がありますが、聴き込んでいくと何とも言えない味わいがあります。ところで、第二次大戦後の前衛音楽を非音楽であると断ずるのはいかがかと思います。
周知の通り、ウェーベルンの音楽は前衛音楽の騎手と言われたブーレーズの作品(主なき槌)やシュトックハウゼンの作品(ピアノ曲???)に直結しています。そういう意味では、新ウィーン楽派の音楽と、いわゆる前衛音楽(特にトータル・セリエリズム)は連続性があります。
- 2016-09-22:yseki118
- 最近、YUNGさんのファイルが良い音で鳴るようにシステムを調整してきたところ、素晴らしい音が出始めました。
私はメモリ再生ではなく、BBG+BOTICですが、SDカードにデータを転送してLANケーブルを抜いて再生すると、驚くような音質で再生されます。
特に、マーキュリーの録音の良さには驚いています。驚きを通り越して驚愕しています。本当に、今から50年以上も前の録音なのでしょうか。
以前は、自分でリッピングしたファイル程には再生できなかったので、演奏を知る程度の扱いしかしてきませんでしたが、素晴らしい音で演奏を味わうことができ、本当に感謝しています。
- 2016-09-22:Joshua
- BudapestともBarylliとも違う魅力あるベートーヴェン、紹介してくださってありがとうございます。
- 2016-09-17:原 響平
- オーマンディーのラフマニノフは1973年盤が芳醇な響きに支えられて人気が高いが、当方は余りにも甘くてねっとりとした演奏で好きになれなかった。1959年盤の演奏は当時のフィラデルフィアサウンドと呼ばれ出したオーマンディーのゴージャスな響きを聴くことが出来る。ねっとり感も少なくメローな響きを随所に散りばめた非常に洗練された演奏。この録音以前に2回モノラルで録音しているから、よほどオーマンディーお気に入りの曲。さて、オーマンディーの演奏スタイルは歴代名指揮者のメロディーラインを際立させる演奏とは違い、色々な音色を一度に響かせる。その技術は大したもの。しかし抑揚感に欠け、奇をてらう表現が少ないため、どちらかというと聴衆の感動は少なく、玄人好みの指揮者からは遠い存在。
- 2016-09-08:Sammy
- この作品の評価、人気とも必ずしも高いとは言えませんが、華やかさ、軽やかさと同居したいわく言い難い空虚感、本当の居場所が実はないかのような茫漠とした寂しさと悲しみを軽口と冗談で包んだような表現は、その分裂感がとても現代的に感じられて、個人的には心惹かれる作品です(と同時に、現代においてはこういう感覚でかかれたものはある意味で溢れているので、陳腐に思える人も少なくないかもしれません…が、それはあくまで今から見ての話ではないかとも私には思えます)。ミケランジェリのピアノで聴くと、それが実に孤高の音楽に聞こえてきます。伴奏も鋭く澄んで表情づけも冴えており、ピアノの質感とよく響きあっているように思います。
- 2016-09-06:Joshua
- よくぞ教えてくれましたこの曲。
名曲だって聴きすぎると飽きてきます。
でも名曲とまでいかなくても、こんな曲を聴いていると、ロシアの名手のためにRコルサコフが創意工夫を凝らしているのが伝わるようで、楽しい気持ちにさせtもらいました。
ついさっきまで、単刀直入、あっさりこってり自由自在のモントゥーのチャイコを聴かせてもらってましたので、打って変わっての驚きでした。
ゴットフリート・フライベルグ。Rシュトラウスのホルン協奏曲第2番の初演者であり(音は残っていない!?)、ウェストミンスターLabelで、Mozartディヴェルティメントといえば、大抵この方だったかと思います。デニスブレインのかっこよさとは別個の魅力あるホルンです。
- 2016-09-04:Joshua
- 第4楽章4分58秒目ルフトパウゼ直後の鋭い弦の切込み、40年前中学生の時聴いた時も今も、この個所に来ると録音であることを忘れさせてくれます。
春の祭典を初演された指揮者ですから、(モントゥにとっては)当たり前のことを積み重ねていくだけで、こんな驚愕をリスナーに与えてくれるんでしょう。
も少し早く小生が生まれていれば、この人が振るエロイカをフェス(建前前の)あたりで聴けたんでしょうね。
その後、ヨッフムは聴けましたが、ムラヴィンスキーはキャンセルとなり、ヤンソンス代理を聴くことになりました。
モントゥーさんを最初に聴けたのは(LPですが)、BACHのドッペルコンツェルト。
Vnは十代のメニュヒンとその師ジョルジュ・エネスコ、オケはパリ交響楽団、とありました。
- 2016-09-03:原 響平
- ケルテスのドボルザーク交響曲は名演揃いですね。特に、ウイーンフィルといれた交響曲No9は粗削りな面がところどころに散見されに、それがかえって生演奏を彷彿とさせている。何回聴いても、第一楽章冒頭のティンパニーの強打には圧倒させられます。さてその流れは、この交響曲No8にも脈々と流れていますね。第一楽章から、重厚な響きに支えながら牧歌的なメロディーを生き生きと再現するケルテスの棒。ついつい「上手いな」と納得してしまいます。ロンドン響も当時の世界一流のオーケストラの力量をまざまざと見せつけ、抜群に上手い。それにしても、1973年にイスラエルの海岸での水泳中にケルテスを若くして失った音楽界の悲しみは相当なものだった。
- 2016-09-01:benetianfish
- yung様のおかげで、私もこの録音を所有するに至りました。ロストロポーヴィチ+リヒテル=悪い演奏であるはずがありません。それにしてもこの演奏を初めて聴いた時、第2楽章の快速ぶりには思わずのけぞってしまいましたね(良い意味で)。どうすればああにも軽快で、見事に歌い上げ、しかも寸分の狂いもなく、チェロのパッセージを楽々と弾きこなすことができるのでしょうか!重量級とはいえ、決して聴いた後に疲れが残るというわけでもなく、以外にも後味すっきりの演奏だと思います。
比較できるほどたくさんの録音を聴いているわけではありませんが、感動的、かつ感心できる演奏としては、これの右に出るものはそうそうないのではないでしょうか。しばらくは、他の演奏は聴けそうにもありません...(苦笑)
- 2016-09-01:benetianfish
- 仰るとおり、1936年の録音とは信じがたい!1950年代のものと言われても、まったく疑わないほどの音質です。
確かに、一部のアリアは「ちょっとトロいのでは?」と思われる個所もありますが、「なんでこんなに速く歌い飛ばすの?」といった演奏がほとんどの現在、このようなじっくりと歌い上げる演奏は、かなり希少といえるのではないでしょうか。私の手元にあるオペラ・オーストラリアの快速演奏とは、良い対比になります。
- 2016-08-29:藤原正樹
- 懐かしいヘンデル。高校二年の夏、夏期講習の帰りに買ったMZ盤で愛聴していました。
デッカが一向に復刻してくれず、キングに問い合わせてもCD化はいつのことになるかわからないというような要領を得ない答えが返ってきただけ。グリーンドアなる板起こしが部分的に出ているだけというのには首をかしげます。これほどの名演奏を自分のところから出さないというのはどういう神経をしているのでしょう。
それとも原盤の保管に失敗して事故があったのでしょうか。
のびやかでありながら第三楽章など嫋々といってもいい表情をみせます。まるでイギリス紳士が過去のロマンスや誤ちを思い出して悲しげな顔をするように。(もちろん、そんな解釈はロマン主義的なものだということはわかっています。この時代、オペラの合間に演奏されたりしたのですから、はもっと粗野なものだったり、騒々しいものだったりしたかもしれません。ですが、最近の演奏は、たとえばピノックのようなそれなりの研究の成果のあるものでも、このニールほど私の心を打たないのですね。)
原盤はどこへ行ってどうなっているのでしょうね。
- 2016-08-28:クライバーファン
- ショルティに比べてれば断然、オーマンディの方が好ましかったです。その理由は、単に残響のあるなし。こういうのは正しい聴き方か、また振り返ってみます。
- 2016-08-26:Sammy
- 興味深く聞きました。作品として特によいとは思えなかったのですが、明瞭かつ溌剌と積極的に演奏することが、実に魅力的な音楽を紡ぎ出す、ということをこの演奏は教えてくれるように感じられました。ただ、それもまた、裏返せば作品の持つ力がある程度あった上でのことなのかもしれませんから、そう見れば、モーツァルトは幼くしてその水準の作品を書き上げていたということも実感されます。
- 2016-08-26:Sammy
- 10番からきき始めたのですが、12番,13番でより厚みと多彩さのある表現に発展していったことが、この明瞭な演奏によって実感されました。解説に書かれているミラノでの進歩をとても自然に受け止めることができました。
- 2016-08-21:Joshua
- モリーニはいいねえ、っていう小林秀雄(かつて入試現代文を彩った評論家)の講演記録での「声」が頭に残ってます。僕もそう思います。渡米しても頑固にレパートリーを守った人です。音はやや細めだけど、ほんとお上品で(それだけならBobescoさんに近いのですが)、何か男勝り的な「凜」としたものをお持ちです。
このBrahmsはイタリア女流De bitoもアップしてくださっていて、そちらもいい(伴奏がEフィッシャー!)のですが、こちらにより惹かれます。そういえば、ミルシュタインも1950年ごろこの3番だけ録ってましたね。
Moriniさんとは中古市でも出会いがありました。1959年ザルツブルグLive、Mozartの5番「トルコ風」協奏曲です。伴奏はジョージ・セルで、フランス放送オケ。いつぞや黒田恭一さんだったか、FMで取り上げてくださってて、録音し忘れたものなので、一層懐かしく、私が買うのを待っててくれたかのようなillusionに酔いしれました。演奏は勿論素晴らしい。グリュミオーやシェリングやムターとはまた違って独特。よくCDジャケットに彼女演奏する写真が載っていますが、決まって目を閉じているのです。しかも口元は微妙に笑みを浮かべ、優しく弓を構えています。余裕、高貴さ、作品への愛情を感じられる写真は演奏にも共通するものです。
蛇足ですが、女流ついでに1つ。東大教授堀米庸三氏の名はチャート式世界史でお覚えの方もまだいらっしゃるでしょうが、その姪っ子さん、エリザベートコンクールの覇者、堀米ゆず子が30年ぶりにバッハ無伴奏を入れましたね。無伴奏をこの暑い夏に聴きなおしています。前橋、潮田、加藤知子、ムローヴァ、堀米さん、と。(これがチェロになると、がさっと人数が減って、バレンボイム夫人しか私は思い付きません)
聴きながらネットでコメント抄を渡り歩くなど(不謹慎な聴き方ですが)してますと、
「バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(Bach Sonatas and Partitas for Solo Violin)」なるページに遭遇しました。
世には大人物がいるものでして、100ばかしありますかね、勢ぞろいした無伴奏に録音と演奏評をされてるのです。日々更新の現役サイトです。
また、1997?2008年に活躍されたサイトですが、
「斉諧生音盤志」というページの言及もあり、こちらも懐かしく読ませていただきました。同行の士多かれど、ここまで極めてらっしゃる人もいるのかと感心しました。
- 2016-08-20:たつほこ
- ヴィヴァルィ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」より「冬」::レナード・バーンスタイン指揮 (Vn)ジョン・コリリアーノ ニューヨーク・フィル 1964年1月27日録音
【 メッセージ 】 この冬と、同じ日に録音した夏がいいです。バルビローリのマーラーが素晴らしい演奏で、ふとみると「私の生まれた月」の録音でした。で、更新履歴のちょっと下にあったこの演奏は、まさに生まれた頃の演奏でした。1/27は月曜日で、週明けからこんだけの録音とは偉い ? なあ。(再送させていただきました)
- 2016-08-19:Joshua
- 出だしの残響のない鋭角的な音。これは、ムラヴィンスキー68年ライブを思い出しました。というより、似た路線の二人がいて、トスカニーニが元祖だったということ。39年というSP最盛期とはいえ、パチパチいうノイズにもめげず最後まで聴いてしまいました。トスカニーニは潔い演奏家でした。でも真似ることは到底できず、お友達にもなりたくない生き様に、このように忘れられない芸術が生まれてくるのは、Wagnerに代表される「音楽と人間性」の不一致でしょうか?してみると、理性や倫理や道徳以前の、人間が文化を持つ以前の生物としての血の騒ぎのようなものに、音楽の表現の可能性はあるのかもしれません。そんなものを脳みその奥から蘇らせてくれる少し危険な、それでいて現実世界から見れば相当無邪気で可愛らしい代物。やはり、あってよかったなあ?という音楽作品の峰々と名演奏の記録、ということです。
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[2025-03-28]

ラヴェル:スペイン狂詩曲(Ravel:Rhapsodie espagnole)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26, 1950)
[2025-03-24]

モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調, K.239「セレナータ・ノットゥルナ」(Mozart:Serenade in D major, K.239)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-21]

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125(Schubert:Symphony No.2 in B-flat major, D.125)
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1949年12月20日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 20, 1949)
[2025-03-17]

リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲, Op.34(Rimsky-Korsakov:Capriccio Espagnol, Op.34)
ジャン・マルティノン指揮 ロンドン交響楽団 1958年3月録音(Jean Martinon:London Symphony Orchestra Recorded on March, 1958)
[2025-03-15]

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 ,Op.18(Richard Strauss:Violin Sonata in E flat major, Op.18)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)グスタフ・ベッカー 1939年録音(Ginette Neveu:(P)Gustav Becker Recorded on 1939)
[2025-03-12]

モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589(プロシャ王第2番)(Mozart:String Quartet No.22 in B-flat major, K.589 "Prussian No.2")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2025-03-09]

ショパン:ノクターン Op.27&Op.37(Chopin:Nocturnes for piano, Op.27&Op.32)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1956年発行(Guiomar Novaes:Published in 1956)
[2025-03-07]

モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425(Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)
[2025-03-03]

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月8日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 8, 1945)
[2025-02-27]

ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ ト短調(Debussy:Sonata for Violin and Piano in G minor)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)ジャン・ヌヴー 1948年録音(Ginette Neveu:(P)Jean Neveu Recorded on 1948)