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シューベルト:歌曲集「冬の旅」


バス・バリトン:ハンス・ホッター (P)ムーア 1954年5月24〜27日&29日録音


現実と幻覚との彷徨

シューベルトは自らが意図したものとしては二つの歌曲集を残しています。一つが「美しき水車小屋の娘」であり、もう一つがこの「冬の旅」で、歌詞はともにミュラーによるものです。
ミュラーは1827年に33歳の若さでこの世を去りますが、シューベルトもその翌年にさらに若い31歳で夭折します。この二つの若い魂が巡り会ってこのような素晴らしい作品が残されたことを私たちは感謝しなければなりません。もちろん、詩人としてのミュラーの才能に疑問を呈する人もいますが、その作品こそがシューベルトの偉大な才能に火をつけたのだと言うことは認めざるを得ません。シューベルトは誰からも頼まれることなく、まさにミュラーの詩に触発されてこの偉大な歌曲集を作り出したのです。

しかし、4年の歳月を隔てて創作されたこの二つの歌曲集は筋立ては似通っているようでも雰囲気は随分と異なります。
今さら指摘するまでもないことですが、「美しき水車小屋の娘」と比べてみると「冬の旅」の救いがたい暗さは歴然としています。水車小屋の娘では悲哀に包まれたストーリーであってもどこかに慰めが存在していました。ところが冬の旅にはその様な慰めはどこにも存在せず救いがたい暗さが作品全体を支配しています。例えば、第5曲「菩提樹」や第11曲「春の声」にちらりと垣間見られる明るさもかえって闇の深さを浮かび上がらせるかのようです。

さらに水車小屋の娘との相違点は、「冬の旅」には明瞭な筋立てが存在しないことです。
ですから24の歌曲から成り立っていると言っても、物語は現実と幻覚の間を彷徨うように展開されていきます。そして、その彷徨の行き着く先で、一人の男の寂寞とした思いは狂気へと変容していきます。とりわけ第20曲「道しるべ」から最後の「辻音楽師」までの音楽は、誤解を恐れずに言えば「狂人の歌」となっています。

クラシック音楽の中で最も陰鬱で最も素晴らしい作品の一つであることは間違いありません。

コース料理として「冬の旅」を賞味するならばこれがベストでしょう。


ずいぶん前にこんな事を書いていました。
「ホッターに関してはムーアをピアニストに迎えて50年代に録音した素晴らしい演奏がありますが、この40年代の録音もなかなかに素晴らしいものです。 」

ホンと、忘れていました。
54年にムーアと録音した「冬の旅」や「白鳥の歌」はいまでも現役盤としての価値を失っていない素晴らしい演奏ではないですか!!もうとっくの昔にパブリックドメインの仲間に入りながら、それをかくも長きにわたって失念していたとは、まったくもって歌曲に対するアンテナが低いユング君です。

そして、これもまたどこかで書いたことがあるのですが、フィッシャーディースカウの歌唱で冬の旅を聞くのが好きになれませんでした。いくつかの歌曲をバラで聞いていると素晴らしいと思うのですが、24曲まとめて聞かされるとしんどくなるのです。
そう言えば、どこかの料理人が、最初の料理を口に入れた途端に「うまい!!」と思われるような料理はダメなんだと言っていました。なぜならば、料理というのは最初の一品から最後の一品までのトータルで成りたっているものだから、最後の料理を食べ終わって「あぁー、おいしかった」という満足感を感じてもらうのが理想だというのです。
ですから、最初の一品から「うまい!」なんて感嘆されると全体のバランスが崩れ、後が続かないというのです。

おそらく、歌曲集というのも似たような側面があるのだと思います。
一品、一品をアラカルトで賞味すればフィッシャーディースカウは絶品です。
しかし、コース料理として「冬の旅」を賞味するならば、このホッターの録音を凌駕するものは思いつきません。

淡々と歌っているように見えながら、その奥から人生の苦さがにじみ出ます。そして、ホッターが素晴らしいのは、その苦さをさらに優しさのようなもので包みこんでいく大きさにあふれている事です。
54年のモノラル録音ですが、音楽的においしい部分は上手にすくい取っていますので、音質面では何の不満もありません。今もって「現役盤」としての地位を確保しているのも当然だと言えます。

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2016-11-28:阿部 稔



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