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リスニングルームによせられたコメント
	リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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 - これはありがたいです。
吉田秀和氏が、ラジオで、Mozartのトルコ風を紹介するとき、かけてくれたのが、このクーレンカンプでした。50年近く前の話です。細い音ながら、SPの針音の向こうから訴えてくるものが感じられ、繰り返し聞いたものです。今風の技巧はなくても、クーレンカンプならではの弾き振りが、何というか、一節一節を大事にする几帳面なさりとて神経質でもない味わいです。フルトベングラーとシベリウスを競演してたんじゃないですか?この人の、ベートーベンやブラームスは残ってないですかね?ブルッフがあるくらいなんで、弾いてはいたはずでしょう。 
- 2020-07-12:yk
 - 私が初めてこの演奏を聴いた国内LP盤では音質が貧弱で困りましたが、ここで紹介されているものは可成り改善されていて改めてハスキルの演奏を楽しませてもらいました。
ハスキルには彼女自身の発言といった記録が余り残されていませんが、この演奏の直前何故か「最近、自分の衰えを感じることがある・・・そう、私は楽天的な人間じゃないから・・・」とちょっと弱音とも聞こえる発言をしていたそうです。しかし、このルツェルンでの演奏会の翌日、「昨日のクレンペラーとの演奏は忘れ難いものだった・・・私もまだ演奏にアクティブでいられるようだ・・・」というようなことを言ったいいます。
彼女の演奏家としての資質の一端を示す逸話であり、その記録としてこの録音もやはり貴重なものです。 
- 2020-07-11:コタロー
 - ビゼーの「祖国」序曲、とても懐かしいです!私が小学校5年生当時、父が「コンサートホール・ソサエティ」に入会していました。そしてその年の秋ごろに、偶然ビゼーのレコードが家に届いたのです。指揮者は晩年のミュンシュで、曲目は確か「交響曲ハ長調」、「子どもの遊び」組曲、「祖国」序曲の3曲だったと思います。その中でも最後の序曲では、曲の劇的な内容とミュンシュの精力的で骨太な指揮ぶりが子供心に特に強く印象に残りました。
それに比べると、アンセルメの演奏は洗練されていて軽味のある響きを持った、いわば耳に馴染みやすい音楽になっています。また、録音年代に比して音が良いことは大きなアドバンテージです。
このような思い出深い曲をアップしていただき、ありがとうございました。 
- 2020-07-10:東丈
 - 私がこの曲を最初に聴いたのがこの演奏です。それ以後様々な演奏を聴きましたがどれも生ぬるくて受け入れられませんでした。私にとってはメンデルスゾーンの初期のものを除く5つの交響曲の中で一番好きなのがこの5番なのですが、それはマゼールの演奏だからなのかも知れません。
 
- 2020-07-08:コタロー
 - 何かの本で読んだのですが、かつての日本には、「フランス音楽は、クリュイタンスから入るべし」という音楽的常識(?)があったそうですね。ところが、パリ音楽院管弦楽団は1967年のクリュイタンスの逝去によって発展的解消をとげて、パリ管弦楽団に生まれ変わってしまいました。しかし、それは結果的に良かったのでしょうか?
パリ音楽院管弦楽団のいわば「ヘタウマ」なフランス人気質丸出しのいい意味でのローカル色が、パリ管弦楽団ではインターナショナル化してすっかり失われてしまいました。
むしろ、1980年代以降、シャルル・デュトワがカナダのモントリオール交響楽団を率いて、「フランスのオーケストラよりもフランス的な音楽」を展開しました。このオーケストラは技術的にも完璧でしたから、これはもう「鬼に金棒」です。
これら一連の出来事には、なにか歴史上の皮肉を感じますね。 
- 2020-07-08:東丈
 - 名演中の名演だと思います。歌手もすばらしい。アガーテ素敵!あの有名な狩人の合唱のベルリン・フィルの音を割ったホルンの咆哮はシビレます。
 
- 2020-07-07:コタロー
 - ゴバーマンが遺したハイドンの交響曲全45曲、すべて楽しく聴かせていただきました。演奏水準はおしなべて高く、録音も良好です。とりわけ、初期から中期の作品は資料的にも貴重です。
それにしても、ゴバーマンが志半ばにして早逝したことは、実に惜しまれます。個人的には交響曲第31番「ホルン信号」が聴きたかったのですが、それは果たせぬ夢となってしまいましたね。
しかし、それまで私が知らなかったゴバーマンという指揮者をこのサイトで知って、ハイドンの普段あまり耳にする機会が少ない交響曲をいろいろ聴くことができたのは、大変有意義な体験だったと思います。
ユング様におかれましては、ゴバーマンのハイドンの交響曲の演奏を2年半余りの長きにわたってアップしていただき、ほんとうにお疲れさまでした。 
- 2020-07-07:東丈
 - この曲の最高演奏だと思います。お涙ちょうだい風の自己陶酔で演奏されると辟易とする曲ですが、このように引き締まった演奏で聴くと本当にいい曲だと痛感します。
 
- 2020-07-06:しょうちゃん
 - ハスキルさんの20番のコンチェルトが大好きで、かつてレコードはモノラルからステレオ録音まで数枚買い込みました。一音一音が放つ独特の「暗さ」に魅力を感じていました。この変奏曲の演奏には驚きました。タッチは変わらないのですが、華やかで幸福感に満ちていますね。アップしていただきありがとうございます。
 
- 2020-07-06:Sammy
 - 古い音源、特に1940年代くらいまでの音源を聴く際に、わざわざ新しいものと同じ条件で比較して、こちらの方がよいのかどうか、と考えて聞かなくてもよいのではないか、と感じます。
特にこのように無料で聞く機会を提供していただいているようなこの幸いな時代の中では、この音源を再生した時に、その向こうにある古き良き時代を思いつつ、楽しく音楽を味わえるかどうか、くらいでよいのでは、と思うのです。
ここにはかつての個性的なウィーンフィルの響き、そして往年の名指揮者のもとでの溌溂とした演奏が、ノイズの向こうから立ち上ってきます。そこには比較云々ではなくて、これはこれでまたとても良い一つの個性を持った、十分一度は聴くに値する音楽が存在することを確かめることができました。
私はベートーヴェンの初期の傑作を、このすてきな音源で楽しむことができました。そして長い年月を超えてこうしてどこかつながれたことの不思議を思うのもまたよし、と感じています。確かに当時どういう響きであっただろうかは、ある程度想像するしかない。でも、そういう限界の中でつながっている。それは、鮮明な録音を聴くときにはない感慨でしょうが、それでいいのではないでしょうか。 
- 2020-07-04:コタロー
 - ユング様の、最近のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートがつまらなくなったというご意見、私も同意です。私自身数年前まではNHKのEテレで放送される生放送を見るのが恒例でした。しかし、最近は生放送は録画し、裏番組の朝日放送の「芸能人格付けチェック」を見るようになってしまいました(あの番組、浜ちゃんの名司会ぶりもあって、めちゃくちゃ面白いですよね!)。
なぜこんなことになってしまったのかというと、もちろんユング様がおっしゃるように、指揮者がさまざまな自己主張をしている面は確かにあります。しかし一番大きな要因は、肝心のウィーン・フィルの音色に「優雅さ」というか「魅惑」が失われてしまったことです。これも時代の流れというものなのでしょうかね・・・。 
- 2020-07-03:コタロー
 - マゼールはこの曲の第4楽章のティンパニ・パートに改変を加えています。それが、なんと驚くことに、ジョージ・セルが行った改変と瓜二つだったのです。
私は、てっきりセル独自の改変と思っていたのですが、マゼールの前例があったのには大変びっくりさせられました(マゼールのオリジナルなのでしょうか?)。どなたか正確な情報をお持ちの方、ご教示頂けると幸いです。
それにしても、肝心のセルの「イタリア」が当分の間パブリックドメインにならないのは残念至極ですね。 
- 2020-07-01:toshi
 - 「カラヤンはこの時点の音楽でどうして満足することが出来なかったのだろうか」という思いは同感です。
ベルリンフィル時代以前のカラヤンの音楽からはカラヤンのある意味、体臭のようなものが感じられましたが、ベルリンフィル時代以降のカラヤンの音楽はカラヤン自身の体臭を消し香水プンプンという感じがします。
クナッパーツブッシュのように自分に正直に体臭プンプンの音楽作りが好きな人にとっては、体臭を消した音楽を作るカラヤンは受け入れられないのではないかという気がします。
さらに、カラヤンは香水プンプンですが小澤征爾氏は無臭という感じがします。小澤征爾氏の音楽は臭いに敏感な今の時代の音楽という気がします。 
クナファンからは小澤氏の良い評判は聞かないです。良い悪いの問題ではなく個人的な嗜好の問題ですね。
よくカラヤンは腕の良い営業マンという人がいますが、その通りだと思います。自社の製品に問題があり不満があっても、問題ある製品を上手くお客に売り込み実績をあげる営業マン。
自社の製品の欠点を正直に話をして売り込むのではなく、製品の欠点より利点を上手くお客に吹き込み実績をあげる営業マンそのもの。これも良い悪いではなく仕事のやり方の違いですね。
多分カラヤンはベルリンフィルを振って、今まで以上に富と名誉が欲しくなったのでしょう。何せ映像撮影の自分の顔を撮る角度まで指定したくらいだから。逆に考えるとコンプレックスが強かったかも。
背も高くないし、声も良い声でなかったし。
でも、フィルハーモニア時代とベルリンフィル時代の間のこの録音やパリ管を振った演奏は本当に充実したカラヤンが良い録音で聞けて良いですよね。
 
- 2020-07-01:コタロー
 - 些末な話題ですみません。実は、この演奏には私が若い頃から一つ気になっている点があります。それは、カラヤンが第1幕の「ワルツ」において、曲中の反復記号をすべて忠実に守っていることです。
そのため、通常のように反復せずに演奏した場合、演奏時間5分余りであるのに対して、結果的に7分以上かかってしまうのです。
そこで今回、確認のためにこのサイトにアップされているフィルハーモニア管弦楽団による1959年の録音と、家にあるベルリン・フィルによる1971年の録音を聴いてみました。すると、どちらもきちんと反復記号を守って演奏しているではありませんか。
こうなると、これはもはやカラヤン一流の「こだわり」と思われます。あのカラヤンが意外なところに律義な一面を見せているのがおもしろいですね。
ちなみに、演奏のことに一言触れておくと、1971年のベルリン・フィルのものは、ゴージャスな響きを楽しめますが、いささか重厚に過ぎます。その点、このウィーン・フィルの録音は、何といってもオーケストラの優美な音色がアドバンテージになっていると思われます。 
- 2020-07-01:ジェネシス
 - 部屋の四隅にスピーカーを設置して、それを中央に置いたチェアに座って聴く。これが巨匠のお気に入りだったそうです。
もう一つ、朝の通勤時間帯にNBCのトスカニーニアワーが放送されていてクルマのダッシュボードの下から聴こえていた。
こういう環境は8Hスタジオのデッドな録音に向いていたんでしょうね。
小学校時代に祖父からRCAの17cm45回転のEP盤を何枚か貰いました。ラジオに結いだプレーヤーで聴いた短めの序曲や交響詩が私のクラシックデビューでした。RCAですからね、小学五年生のクソガキにもトスカニーニとフィードラーの格の違いを実感させた時期でもありました。 
- 2020-06-30:コタロー
 - この曲は、大作の「第5」と「第7」の影に隠れて目立たないですが、なかなかの佳曲だと思います。
ヨッフムはここではバイエルン放送交響楽団を起用しています。このオーケストラの素朴な音色がひなびた味わいを添えています。ヨッフムの演奏は、とりわけ第1楽章と第2楽章がまさにこの世にあらざるかのようなブルックナー独特の醍醐味をたっぷりと堪能させる素晴らしい音楽になっています。
それにしても、ヨッフム指揮するブルックナーの第1回目の交響曲全集がパブリックドメインになり、このサイトでその全貌をうかがい知れるのは、実にありがたいことです。 
- 2020-06-30:joshua
 - これで録音さえ良ければ、と聞くたびに思うのですが、繰り返して聞いてしまいます。潔くい表現が、シャープな響きのNBCオケと一体になってます。
 
- 2020-06-29:白玉斎老人
 - コロンビア交響楽団は若い奏者で構成されていたため、ワルターの音楽はみずみずしい音として記録された、との趣旨の解釈に感嘆した。全くの印象でしかないのだが、ワルターがVPOと遺した盤を聴いて、感動したためしがない。「大地の歌」など、NYOの方が、独唱のヘフリガーとともに、はるかに優れている、と思っていた。
常に微笑を忘れず、などと昭和の音楽評論家たちが評していたワルターの名盤は、実は若い奏者たちが持っていた、はつらつたる生気の賜物かもしれない。立派だが楽しくないベーム、息が詰まりそうなセルなどと比べ、日々に聴いても疲れない。だといって中身がないのではなく、内側には人生への深い肯定感が満ちている。
この盤は、フルトヴェングラーがイエス・キリスト教会で録音した1951年盤とともに、私の中での、この曲の演奏のベンチマークである。 
- 2020-06-27:north fox
 - バッハの音楽には神への敬虔な祈りを思わせるような一途さばかりではなく、音符の組み合わせの妙の楽しみや純粋な旋律の美しさなどもあります。いわば絶対音楽の面白さで、だからこそジャズやポピュラー音楽に編曲されても他の作曲家の作品よりも成り立つ曲が多いのでしょう。ユング氏の仰る壊れにくさあるいは懐の深さだと思います。
 ではカラヤンの一連のバッハはその”壊れにくさ”に寄り掛かったキワ物かというとそうではなく、修道士のように厳粛に構えて演奏しなければバッハではないといった向きに対するアンチテーゼとして(ジンテーゼとしてもいいかと言ったら贔屓の引き倒しになる?)、これもまた立派なバッハだと思います。”これからバッハを聴こうとする人に対するファースト・チョイス”としても適切かと。 
- 2020-06-25:コタロー
 - サティという作曲家は、日本では1980年代のバブル期の頃を中心に大流行しました。しかし、おもに「ジムノペディ」とか「グノシェンヌ」といったピアノ曲が中心で、半ばファッション化されて環境音楽として受容されていた部分が大きかったように記憶しています。
ウィキペディアによると、「パラード」については、バレエ音楽の初演は「春の祭典」に劣らない大きな反響を呼んだそうですが、それ以降は上演される機会が少ないようです。
今回アップされた演奏は、オリジナルから編まれた「組曲」の形を採っています。
聴いた感想を言えば、例えが適切かどうかわからないのですが、赤塚不二夫氏のギャグ・ナンセンス漫画(さしずめ「天才バカボン」あたりかな?)を読んでいるような印象を受けました。エキセントリックな面白さが横溢しているので、人によっては一度聴いたら癖になりそうな音楽と言えますね(実は私もそうなのです(笑)。何しろ赤塚不二夫氏の大ファンですからね)。
ともあれ、マルケヴィッチ指揮する素晴らしいアルバム「ディアギレフへのオマージュ」の一環として、貴重な音源をアップしていただき、ありがとうございました。 
- 2020-06-23:コタロー
 - ベートーヴェンのピアノソナタの中で私が最近一番好んでいる作品です。
そこで、バックハウスのモノラル録音とステレオ録音の聴き比べを行ってみました。
最初にモノラル録音の方を聴いてみたのですが、厳しさに徹した表現で、もちろん技巧的にはしっかりしているのですが、私にはちょっと近寄りがたい感じがします。
その点、ステレオ録音の方は、第1楽章のはじめからそこはかとない詩情を感じさせて魅力的です。さほど技巧の衰えも気にならないので、この作品に関してはステレオ録音の方に軍配が上がりそうです。 
- 2020-06-22:north fox
 - ニールセンを忘れかけていましたが、久しぶりに全曲通して聴きました。これぞまさしく交響曲の大道。一般的にはブルックナーやマーラーが正統であり、頂点とされていますが、彼らは巨大化することが目的となってしまった恐竜であり、たとえ小惑星の衝突がなくても滅びる運命であったと思っています。交響曲の系譜はそこで滅びることなく、シベリウス、ニールセン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ等へと脈々とつながっています。
 また、この時代のバーンスタインを見直しました。彼の録音をそれほど多くは聴いていませんが、彼の代表作の一つではないかと思います。 
- 2020-06-22:笑枝
 - メイエルのK.488、一押しの愛聴盤です。粒がそろった明るいピアノの音、クラリネットののびやかな高音……、このサイトで聴くと、一段といいですね。
小生のCD、廉価ボックスセットで解説&ライナーが一切なく、知らない指揮者と知らないオケだけど、とてもいい伴奏なので気になってました。
Yung 様の解説でエウィットのこと、オーケストラのことがよくわかりました。
ありがとうございました。 
- 2020-06-21:コタロー
 - 昔話で恐縮です。約五十年前、私が小学校6年生くらいの頃、当時は天文少年だったので、家に小・中学生向けの天文学事典がありました。そしてその事典には、気が利いたことに天体に関連した音楽についてのページがあり、その中にホルストの「惑星」は、カラヤン指揮ウィーン・フィルの演奏が代表盤であるとの記載があったのです(当時はカラヤン以外にめぼしい演奏が少なかったのでしょうね)。
それから約十年後、私が大学生の頃、キング・レコードからカラヤン指揮ウィーン・フィルのデッカ録音がまとまった形で廉価盤として発売され、その中に例の「惑星」が入っていたのです。私は小学生の頃の記憶がふと蘇って、そのレコードを買いました。当時の私はアンチ・カラヤン(懐かしい言葉ですね)でしたが、ここでのカラヤンのなりふり構わぬ演奏には大いに圧倒されました。ウィーン・フィルも力演で彼の指揮に見事に応えていました。カラヤンを見る目が変わったというのが正直なところでした。
今回改めてこの演奏を聴かせていただき、自分の若かりし頃を思い出してちょっとした感動を覚えた次第です。 
- 2020-06-21:原 響平
 - 随分と昔ですが、有名な第18曲は確かNHK-AM放送の音楽の泉のテーマ曲だった覚えがあります。さて、この演奏はピアノタッチの基調が硬質であるのに美しい。そしてバイオリンの甘い音色が花を添える。例えば、桜の花が何故美しく感じられるのか?との問いかけに、それは桜の花は一瞬にして散ってしまうから。それと同じで、ライナーとルービンシュタインの蜜月の関係は一瞬にして終わってしまうが、一音一音を大切に刻みながら曲を進めていく姿勢は巨匠のみが成せる技だ。録音は1956年と古いが、音質は優秀で今でもこの曲の代表盤。
 
- 2020-06-20:yk
 - ハスキルのLast Recordingは、同年11月に行われた同じくマルケビッチとのモーツアルトの協奏曲(20,24番)ですね(・・・yungさんも同録音の紹介でソウ記載されています)。
ダイナミックで少々荒々しいマルケビッチとの共演は優しく繊細なハスキルには似つかわしくない・・・・と言う意見が、昔一部にはありましたが、私はこれら最晩年の演奏も大好きです。モーツアルトでも、ハスキルはマルケビッチとの共演では、それ以前の録音ではあまり聴きなれなかった強い打鍵の表情を見せることが有りますが、それがダイナミックなマルケビッチに誘発されたものなのか、或いはハスキルの新境地なのか、は判りません。しかし、いずれにしても彼女が晩年のこれら一連の"Last Recording"においても、繊細なだけの小さな世界に閉じこもっていた訳ではなく、なお力強く自己を外の世界に向けて表現できるヴィルトォーゾ・ピアニストと言う巨人族に属していたことがよく分かる記録だと思います。
ハスキルの写真の中に、彼女の手の写真があります(https://1.bp.blogspot.com/_63ubahGk99A/TBszby3A0bI/AAAAAAAACHQ/j6m7x_F-Tf8/s400/ClaraHaskilshands.jpg)。大きくて如何にもしなやかそうな手は、ピアニストには理想的に見えます。リパッティが彼女の練習に立ち会ったとき、普通のピアニストは両手に分けて弾く幅広い打鍵を要するところを彼女がやすやすと片手で弾いたのを見て感嘆、「クララ、そこを片手で弾けるなんてすごい、普通は両手に分けてしか弾けない・・・」と褒めたら、ハスキルが二度とソコを片手では弾かなくなった・・・・と言う逸話を聴いたことが有ります・・・・如何にも、そんなこともありそうな手ではあります。 
- 2020-06-19:ハゲさんの毎朝
 - シカゴ・ブラスセクション好きなら必聴の録音。
このブラスセクションが50年代から世界最高峰にあったということが再確認できる。
なお、このブラスセクションが強力無比になった要因にホールの特性と規格外のごとき名プレイヤーが巡り合ったことはよく語られるが、共に40年代から在籍していた金管奏者の伝説的教師P.ファーカス(Hr)とA.ジェイコブス(Tu)の二名の存在が見過ごされているように感じる。
名プレイヤーに飽き足らず名教師が、それも二人も在籍していたとなればそれは最強になって当然なのだ。
(言うまでもないことだが、A.ハーセスといった名教師かつ周囲を引っ張り上げるリーディングプレイヤーが他にもいたことは間違いない。それでも上記二名は別格だったと私は言いたい。肩入れが許されるならとりわけ後者が別格だったと、強く言いたい) 
- 2020-06-14:コタロー
 - カザルスのブランデンブルク協奏曲のステレオ録音がすべてパブリックドメインになったのは、ほんとうに幸いでしたね。
カザルスの念力のこもったような指揮ぶりも見事ですが、それに匹敵するくらい素晴らしいのがゼルキンのピアノ演奏でしょう。彼が加わったことによって、この演奏に一段と格調のようなものが加わったように感じます。もしかすると、このパートをチェンバロではなくピアノで弾くのは時代遅れのように感じる人もいるかもしれません。しかしながら、バッハの音楽というものは、さまざまな演奏様式を受け入れてしまうような包容力の大きさを持っていると私は思います。 
- 2020-06-10:コタロー
 - ナットのベートーヴェンのピアノソナタ全曲に挑戦してみました。
ちなみにイヴ・ナットはウィキペディアによると、1890年に生まれたフランスのピアニスト、作曲家です。10歳の時に自分の作品を指揮し、その演奏を聴いたサン=サーンスやフォーレにパリ音楽院への進学を勧められたそうです。
彼のピアノには「聴かせよう」という色気のようなものがまったくなく、音楽はさりげなく自然体で流れていきます。それは彼が作曲家でもあったことが関連しているのかもしれません。曲ごとの出来栄えもおしなべて高水準で、ことに後期の作品が素晴らしいです。私はそんな彼の演奏にたいへん好感を持ちました。
彼は1956年に亡くなっていますから、その前年までに全集を完成できたのは幸運だったですね。
おかげで、ベートーヴェンのピアノソナタの全体像を俯瞰する貴重な体験ができました。 
- 2020-06-09:笑枝
 - らしい演奏ですね!
ハイドン、お勉強モードの退屈な作曲家というイメージで、あまり感動したことがなかったですが、ゴバーマンで見る目変わりました。
こんなに生き生きとした音楽だったのですね。
ありがとうございました。 
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[2025-11-02]

バックス:交響詩「ファンドの園」(Bax:The Garden of Fand)
	
	サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
	
[2025-10-31]

ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
	
	(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
	
[2025-10-29]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV.536(J.S.Bach:Prelude and Fugue in A major, BWV 536)
	
	(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
	
[2025-10-27]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
	
	ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年10月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on October, 1961)
	
[2025-10-25]

アーサー・サリヴァン:喜歌劇「軍艦ピナフォア」序曲(Sullivan:Overture from H.M.S Pinafore)
	
	ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
	
[2025-10-22]

バターワース:管弦楽のための狂詩曲「シュロップシャーの若者」(Butterworth:A Shropshire Lad)
	
	サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
	
[2025-10-20]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 ハ短調 Op.13()Beethoven:Piano Sonata No.8 in C minor, Op.13 "Pathetique"
	
	(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
	
[2025-10-18]

フォーレ:夜想曲第4番 変ホ長調 作品36(Faure:Nocturne No.4 in E-flat major, Op.36)
	
	(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
	
[2025-10-16]

J.S.バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV.582(J.S.Bach:Passacaglia in C minor, BWV 582)
	
	(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月5日~8日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
	
[2025-10-14]

ワーグナー;神々の黄昏 第3幕(Wagner:Gotterdammerung Act3)
	
	ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (S)ビルギット・ニルソン (T)ヴォルフガング・ヴィントガッセン他 ウィーン国立歌劇場合唱団 1964年5月、6月、10月、11月録音(Georg Solti:The Vienna Philharmonic Orchestra(S)Birgit Nilsson (T)Wolfgang Windgassen April May October November, 1964)