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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- いかにもセルらしい、一点一画もおろそかにせず堅固にまとめ上げた立派な演奏です。その反面、老境を迎えたブラームスがこの曲に込めた「やるせなさ」や「わびしさ」といった想いがきれいさっぱり洗い流されている点が、好みを分かちそうです。
私自身セルは好きな指揮者の一人ですが、この演奏に関しては、完璧過ぎてちょっと近寄りがたい感じがします。それは所詮「ないものねだり」なんでしょうかね・・・(苦笑)。
- 2020-04-14:浅野修
- いつもSzell&The Cleveland Orchestraの録音をUPして頂きありがとうございます。
私もyungさんと同じく、Szellは特別の存在となっております。
1970年大阪万博の年の来日公演を愛知県文化講堂で聴きました。
演奏はレコードと全く変わらない完璧なものでしたが、英雄の第2楽章が非常に遅くなり、(Szellがリハーサルで”Dead Sonority”と表現していましたが、)感情が高まったのではないでしょうか。
Szellは来日の時のNHKTVのインタビューで、演奏について1にリズム、2にリズム、3にリズム、そしてフレージングとアーティキュレーションと答えてました。
また、各楽器の音色についてホモジェニティ―との単語を使っていました。
このアルバムの演奏は、ローカル的な民族情緒は求めていなくても、Szellの理想とする管弦楽の完璧な発音(あたかもSzellがピアノを弾く如く、リズム、フレージングとアーティキュレーションを完全にコントロール)により、音楽的興奮が沸き立つように感じられます。
すみません、今回UPして頂いたアルバムの他の曲も、モノラルのUPは有りますが、より新しいステレオ録音をUPして頂けないでしょうか。
ステレオ録音ですとSzellの演奏がより詳しく解りますし、60年以降のSzellの到達したオーケストラ芸術の頂がより良く感じられると思います。
よろしくお願いします。
- 2020-04-12:エラム
- 思わず絶句するほど凄い演奏ですね!これは。
私もそうですが、もしかするとこの曲はリヒテルがドイツグラモフォンでセッション録音したラフマニノフの2番のカップリングの録音でしか聞いたことがない人が大半ではないでしょうか(なお、こちらも指揮はロヴィツキ)。
そして
「大したことない曲だな・・・」
と思い、以後聞くこともない場合が相当数に上るように思えます。
このフランソワの演奏はリヒテルを明らかに凌いでいます。この曲自体への興味を大いに掻き立てられる名演です。
- 2020-04-12:るびー
- 初めてこの曲を聴いたときには全く分からないと思いつつ、どこか引っかかるものを感じましたが、今の私にとってこの曲は生涯の宝物です。聴衆に受けが良い曲ではなく、何よりこれだけ難しい内容を聴かせられる演奏者は皆無に近いですので、頻繁に弾かれるべき曲ではないでしょう。ただ、この曲の持つ芸術性はフランクをも超えるものであると私は強く信じています。
この曲を難しく感じさせるのはやはり1番と全く異なるところにあると思います。若々しさ、華麗さを表すような強いヴィブラートは1番には合っていても、2番には通用しません。1番と2番の共通点はフォーレの作品というだけで、それ以外は全くの別物です。2番に必要なのは美しいものは全て見たというような落ち着き、その一方で全てを見てしまった事に対する誰にも言えない葛藤や深い悲しみ、そして最後に人知れず別れを告げ、立ち去っていくような姿のように思います。どれが欠けても曲として成立しないであろうところがこの曲をより一層難しくしています。私は滅多にない優れた録音に出会うとき、3楽章の最後でヴァイオリンが緩やかに上昇していくところで、この景色を見れるのは最後だといつも感じ、言葉や他のどの曲でも到底表しきれない悲しさと喜びをいつも感じます。
フェラスは生来の才能で本能的にこの曲の部分的な側面を理解しているように感じられるので、十分楽しめるものの、この曲の本当の価値を伝えるには程遠いように思いました。あまり一般には知られていないかもしれませんが、パリ管副コンマスで、長年この曲を演奏してきた千々岩氏の録音がこの曲の真価を最も良く伝えていると思います。
- 2020-04-10:ジョシュア
- Jaimeでハイメ、って読むんですね。この人、スターンとかと室内楽で一緒することが多い人でした。わたくし的には、世界名曲全集のメンデルスゾーンのホ短調協奏曲担当、バックはミュンシュ・ボストンでしたっけ。当時45年前はあまり好きになれない弾き方だったんですが、長年クラシックを聞き続けてきた今となると、端正な弾き方がいいな、と思えるから、同じ自分でも不思議な次第です。協奏曲はもちろん弾けるけども、室内楽でより特質が見えてくる奏者です。もう、80前後の高齢でしょうけど、お元気なのかな。
- 2020-04-10:備前屋の旦那
- ヴィヴァルディを「退屈で品のない音楽」ですか、そりゃまた大胆な「ヒョーロン」を仰る方もいらっしゃるものですな。
確かに、「歪んだ真珠」(バロック)音楽ですから、それ以前の重苦しい教会音楽に比べれば「くだけた・俗な一面」が有る事は事実ですが、それを言ったらワーグナー等はプログレッシブ・ロックにも似た下品の極みですし、ロシア系の作曲家などはぶっちゃけ過ぎて立場が有りませんな。
もっとも、昔イギリスで、不良少年達に少しでも落ち着きを持って貰いたいと、毎日クラシックの名曲を聞かせた所、不良達が「もう不良はやめるからクラシックだけは勘弁してくれ」と泣いて謝ったという話を聞いたことがあります。
クラシックの名曲が拷問になってしまったという悲劇ですが、事程左様にどんな音楽でも聴く人次第、多くの識者がレコーディングしている名曲が、何故か高名な「ヒョーロン家」先生には我慢が出来無い駄曲にしか聞こえないという事も多々あります。
となればヴィヴァルディが下品な曲に聞こえる人がいても、それもまたクラシックの楽しみと言う事でしょう。
- 2020-04-09:備前屋の旦那
- 私は、フルトヴェングラーやカラヤンは苦手なのですが、フルトヴェングラーは聞かないでも済ませられるものの、カラヤンは「どうしても聞かなければいけない場合が有る」指揮者ではあるのです。
カラヤンという指揮者は言ってみれば「悪食」で、余程のマニアックな曲(バレエ曲の小品とか)以外は片っ端からレコーディングしている上に、ネームバリューも有って終売にならないので、「カラヤンかバーンスタインか小澤征爾しかない」という事が結構あります、個人的には3人とも積極的に聞きたいとは思わない指揮者なのが悲しいところです。
ましてや、特定の作曲家の全集等を出すとなると、「結局カラヤンですか、芸が無いなあ」と思いつつも、CDを作る側としては「取りあえずカラヤンで出しておけ」となるのは想像するに難くないです、欧米と違って日本ではクラシック自体がマニアックな存在ですから。
ただ、個人的にはメンデルスゾーンの最高傑作だと思っている「ヘブライデス諸島」がこのなんだかモヤモヤした演奏では「ちょっとなあ」とは思いますね、まだしもバーンスタイン晩年のイスラエルフィルによる演奏の方が、変な粘っこさを感じるものの全体としてはずっといいです。
こう考えてみると、東芝セラフィムシリーズの青いジャケットが1200円で買えた昔は本当に良かった(後に黄土色のジャケットに変わって100円値上げしましたが)。
ともかく聞いて、それから判断すれば良かったのですから。
- 2020-04-04:コタロー
- 昨今の暗い世相にあっては、優れたクラシック音楽を聴くことが、何よりも心の癒やしになりますね。
すると、ありがたいことに歴史的名演奏として名高い(?)ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番がアップされました。
これ幸いとばかりに、さっそくチャレンジすることにしました。
実際に聴いてみると、いかにもドイツ的なコクのある響きで、若書きのベートーヴェンの心象風景を余すところなく表現していることに感動しました。おかげで、すでに2003年にこのサイトにアップされていた弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」、第12番、第14番、第16番を一気に聴き通してしまいました(残念ながら、第13番、第15番はまだアップされていませんでした)。そして、あらためてブッシュ弦楽四重奏団の素晴らしさを大いに満喫することができました。本当に貴重な体験だったと思います。
それにしても、1930年代の録音にしてはいい音で収録されていますね。この時代、ヨーロッパでは戦争の影が忍び寄ってはいたものの、爛熟した文化が辛うじて生き残っていたのかもしれません。もっとも、弦楽四重奏曲というジャンルはSP録音との相性が良かったのでしょう。
こうなると、残りの曲のアップが楽しみになってきますね。現在アップされているのがこれで5曲目なので、あと11曲ということになるかと思います。
少しずつで結構ですので、取り上げていただけると幸いです。
- 2020-04-02:yk
- 素晴らしい演奏ですね。1950年と言えば、彼もベルリンフィルもまだフルトヴェングラーの影響下にあった時期であり、演奏にも其れがよく現れていると思います(フルトヴェングラーの二番煎じ・・・と言う意味ではありません)。戦後の混乱期、ベルリンフィルとチェリビダッケの間に何があったのかその真相は未だによく分からないところがありますが、当時彼がベルリンの聴衆には圧倒的に支持されていた・・・と言うのも良く解る貴重な録音だと思います。
それと関連して、最近面白い記録を見ました。ベルリンフィルが過去のアーカイブ録画を有料で公開しているベルリンフィル・デジタル・コンサート・ホールと言うWEBサイトがありますが、そのサイトが昨今の欧米でのコロナ禍への支援活動の一環として現在無料公開されています。その中に彼の1992年の”帰還”演奏会の録画と、その時のリハーサル・ドキュメンタリーの映像がありました。演奏会の演目はブルックナーの第7交響曲で、それはそれで(フルトヴェングラーの影響下から脱した後の?)チェリビダッケらしい構えの大きな演奏で興味深いのですが、1950年前後の記録も交えたそのドキュメンタリーの方も彼の音楽(指揮)観(と楽団員の反応)の一端を垣間見せてくれるとても興味深いものでした。
歴史の中で、指揮者、オーケストラがどのように変化していくのかを考える上でも、1950年の録音と1992年の記録を重ね合わせてみるのも悪くはありません。
- 2020-03-30:コタロー
- この週末は自粛ムードのあおりで、外出せず自宅でクラシック音楽三昧の生活でした。そこで、サヴァリッシュ=シュターツカペレ・ドレスデンによるシューベルト交響曲全曲を一通り聴いてみました。どの曲もじっくりと腰を割った表現で、音楽が自然に流れているのが良いと思います。
さらにこの演奏に花を添えているのは、シュターツカペレ・ドレスデンの何とも言えない素朴で温かみのある響きです。
サヴァリッシュは1970年代前半に同じオーケストラを用いてシューマンの交響曲全集を録音しています。しかし、こちらの方はエンジェルの録音のためなのか(?)、全体になんとなく作り物的な印象が拭えませんでした(国内盤初出の時の宣伝文句は確か「情熱のシューマン!」でしたが)。
その点、このシューベルトの演奏にはサヴァリッシュ=シュターツカペレ・ドレスデンの最良の姿が刻みこまれているように感じました。
- 2020-03-28:joshua
- ヘえー、セル&カザルス&チェコが、三十年代で最古と思ってましたが、フォイエルマンこそは、世界初録音だったんですね。録音技術を超えて演奏の良さが伝わります。いやむしろ、名演技と名録音との幸せな組み合わせです。これだけ伝わってくれば、モノラルもステレオもいらない。SPにもお宝あり、です。
- 2020-03-28:コタロー
- まず、ドヴォルザークのチェロ協奏曲の世界初録音という大変貴重な音源をアップしてくださったことに、心から感謝の意を表します。
フォイアマンのチェロは初めて聴きますが、豪快にして自由闊達な演奏で、率直に素晴らしいと感じました。
録音は90年以上前のものとは思えないほど良好で、鑑賞には全く支障はありません(第3楽章のはじめに登場するトライアングルの音もはっきり確認できます!)。
速いテンポも、当時の録音事情を考えれば致し方ないと思います(まあ、ご愛敬とでもいったところでしょうか、でも私はさほど不自然さを感じませんでしたが)。
- 2020-03-26:備前屋の旦那
- 私の様な年寄りは、ふと安易に「吉田秀和は」なんてえフレーズを読むと、吉田秀和がどれほど碩学であろうと、どれほど権威者であろうと、彼の「感想」は彼自身にとってしか価値が無い、いや、その曲を聴いたことの無い人間に対しては悪影響を与え得る文章では無いかと強い不安を感じるのです。
音楽に対する評価は、例えば和声法がこうだとか、或いはこのテンポでは間延びするのではないかとかいった技術的な論評であれば大変結構で、是非読んでみたいものなのですが、自分の「主観的感想」に過ぎない物を随筆や評論に書く、その曲を聞いた事の無い人間に読ませる、あまり良い事には思えません。
万が一それを読んだ人間が「権威者がこういっているんだからこう感じなければ」とか「あの碩学の人間が酷評しているから聞くのはやめよう」と感じてしまえば最後、その人間の主観を捻じ曲げてしまう事になりかねない、そう私は愚考するのです。
私の様な無名で影響力の無いどうでもよい老人の感想ならいざしらず、この国の「評論家」がどれだけ悪影響を及ぼす可能性が有るかを考えると、いささか陰鬱な気持ちになります。
音楽は、主観的なものです、勿論その「主観」を引き出すためのテクニックが「作曲法」であったり「和声法」であったりするのですが、聞く側の人間としては、最終的には自分で聞いて見なけりゃわからないのでなないでしょうか?。
前置きが長くなり過ぎましたが、ラヴェルという作曲家はモダンバレエ中心の作曲家で、その中でもボレロは音楽がどれだけ踊りを強調出来るかに挑んだ風が有り、しかも「盛り上がる」までに時間が掛かるというマニアックな構成の曲なので、踊り抜きで聴くとなれば気が短い人はそれまでに「あ~飽きた」となってしまうかも知れません(実際、知人にそういう人間がいました)。
チャイコフスキーの三大バレエ音楽を除けば、クラシックとして演奏会で上演されるバレエ音楽が少ない事を考えれば、世界的には十分評価はされていると思いますが、マニアックな事は確かでしょう。(昨今はクラシックを聞く事自体が多分にマニアックな趣味では有りますが)
- 2020-03-25:Sammy
- Yungさんが仰るように、ブレンデルの演奏には「考え抜かれた主情性」が貫かれているのかもしれません。私は聴きこんでいないせいか、この演奏は、作品の美しさにできる限り周到に寄り添い、生かし切った演奏、といった風に聞こえました。聴き終わって、なんと美しい曲か、と感嘆しました。それもまた、音楽を聴く幸せでもあります。
天才的な我が爆発した演奏もまた楽しいのだけれども、他方で「作品ととても幸せな出会い方をさせてくれる」さりげない演奏は、ただ謙虚だったり地味だったりするだけでなく、優れた芸術家が周到に練り上げた素晴らしい成果なのだとも思いました。
- 2020-03-24:yk
- 私も初めて聴く録音でしたが、私には未完成よりも更に興味深い演奏でした。勿論、この録音当時この演奏を聴いていれば、その即物的快速に聊か辟易していたかも知れないとも思う演奏でもありますが、録音から60年を経て改めて歴史の中に置いて本演奏を聴くとまた違う感慨も沸いて来るというものです。スワロフスキー自身はウィーン人という訳ではないようですが、このシューベルトがウィーン交響楽団というウィーンにおける新興楽団を使って、ウィーン音大指揮科の教授によって残されたことは、音楽の”伝統”と言うものを考える上でとても興味深いことだと感じました。
思えば、ウィーンはハプスブルグ王家の街であり、音楽においてウィーンフィルを生き証人とする古き”伝統”の街と思われがちですが(事実ですが・・・)、一方において20世紀初頭におけるウィーンは数理論理学分野でウィトゲンシュタイン、クルト・ゲーデルといった巨人を輩出しことでも分かるように、近(現)代知性・理性発祥の地(の一つ)でもあり、何といっても音楽においてシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクを生んで(好き嫌いは別としても)現代音楽の基礎を築いた、”近代(と伝統破壊?)”を象徴する町でもありました。
勿論、このスワロフスキーのシューベルトにそう言ったウィーンと言う町の二重性の全ての象徴といったモノを聴くのは明らかに過剰評価だと思いますが、それでもコノ即物的ではあるけれど決してドライではない演奏にソウ言ったウィーンと言う町の性格の木霊の様なものを聴いてみるのはとても興味深い(かつ楽しい)ことだと思えましたし、そう思うと件のグルダ先生の”怪演”にも新たな見(聴)方も浮かび上がるようではありませんか?
- 2020-03-22:Kaz
- この作品は、初版のヘンデルの作品3に紛れた別の誰かの作品で、今日では「合奏協奏曲第4番b」と呼ばれています。このイタリア風の協奏曲は、ヘンデルの作品集に入っても良いほどの佳曲ではありますが、シューリヒトはどうしてこの作品を録音したのでしょう?
- 2020-03-21:エラム
- フランソワがこの曲を弾いていたとは驚きました。
私の中ではこの曲は何と言ってもアルゲリッチの印章が強烈です。彼女の猛烈なテンポに慣れた身にとって、この録音は随分ゆっくり&丁寧に感じました(フランソワの演奏に“丁寧”と感じるとは!)。
しかし繰り返し聞くうちに、実はアルゲリッチの方が異常なアプローチであり、本来はこのように弾かれるべき曲なのかもしれないとも感じました。
- 2020-03-21:そめちゃん
- yungさんのような耳の良い方でも苦手な作曲家がいると聞いて、ほっとしました。私はたいした聞き手ではないので、R・シュトラウスなどがシューベルトやブラームス等に比べていまいち面白いと思えません。
プロコフィエフのPコン3番は先日らららクラシックで放送していたのを見ましたが、第3楽章が中心でした。私のイメージで第1楽章の冒頭は、船でアメリカを目指していたプロコフィエフが、朝のブルーな気分で船室から外を見る。すると少しずつ視界が開け、だんだんと陸が見えてくる。そこでアメリカに着いたのが判った時の喜びの情景が浮かんでくるような気がして、大変好きな協奏曲です。プロコフィエフの期待、不安、孤独、望郷などが感じられるような気がします。
【 introduction 】 紹介してもいいよ!!
- 2020-03-21:joshua
- たびたびリピーターになって恐縮です。12年振り、コメントします。まるで、ライナーはルスランとリュドミラを振るように終わりのフーガを演奏しています。鮮やか!!ラインスドルフほど軽くない、というのはやや異論はありますが、立派なベームよりも、繰り返して聞きたくなるは、理屈抜きの感想。そう思える演奏だから、これは私なりの名演なんですが、私などを超えた普遍性も、ここには有るようにも思えるのです。
- 2020-03-20:るびー
- 少し興味深い情報を見つけたので書かせていただきます.出典元はボストン・グローブ誌の記事を転載したと思われる次のリンク(http://www.classicalmusicguide.com/viewtopic.php?t=33363)です.それによると,彼女は評論家のパニエルという人と再婚していたそうです.また,エピソードとして,後年のグレタ・ガルボの写真に似ていると言われたときに,微笑み,「もう1回言って頂戴」と言ったそうです.
オークレールのプライヴェートは謎に包まれていて,それは共演者のお墨付きがつくほどのものでした.もしかしたら早くに引退したガルボと共通するものがあったかもしれません.
- 2020-03-20:joshua
- ほら、これも高次の中庸でしょ。
チャイ5と言わせていただいたのと同じことを、ここでYUNGさんが、明瞭化して言っていただいています。
クーベリックが、荒手のシカゴでも、ボストンでも、プラハに返り咲きチェコを振ったときも、取り立てて聞き耳たたすことなどせず、十分満足させてくれます。その秘訣は作曲もする、と言うこと。
それなら、フルトヴェングラーやムラヴィンもそうなんですが、正反対ですね。
クーベリックには、名ヴァイオリニスト父ヤン クーベリックの血筋もプラスされますがね。マーラーでさえ、5番をバイエルンで振ったのは、チャイ5やこのリンツと似た印象、すなわち、なんら奇異でない中庸の美徳に満足するのです。
出来上がった音楽を聞く我々の贅沢は、ここにありまして、びっくりの凄演もクーベリックの演奏も、我々の知らない、同次元の音楽作りがある、と感じました。聞く側の勝手を超えてしまうと、こうなる、という好例と申しましょうか。してみると、このサイトではレアな、ベルナルド ハイティンク、エド デ ワールト辺りも、同じ叩き上げ路線のオイゲン ヨッフム辺りと同じくらい、取り扱い可能ではないかと、思うのですが、如何でしょうか?
- 2020-03-17:joshua
- コメントを書きはじめて、唖然。4年前に、自分が、それもたったひとり礼賛のコメントを書いてるのです。もちろん、クーベリックを中庸で片付けてはいけません。極めて高次の中庸なのです。バイエルンに至る道程が、このサイトで、素晴らしく味わえるのです。
- 2020-03-15:joshua
- 待ってました!1957録音もいいですが、これは一言で尽くせない味が加わっています。十八番のドヴォルザーク新世界の方は、1957で打ち止めでした。ブラームスは更に高みが目指せたんでしょうか。両方とも持っていたいブラ1.ありがとうございました。
- 2020-03-14:Sammy
- Yungさんのコメントに接しつつ聞いて、この優れた録音を成り立たしめているのは、関わった人たちの「熱」なのかもしれない、と思いました。
くっきりと立ち上がる録音。それによって技術や楽器の精度、ホールの状態など露わになるさまざまの弱点。それをものともせず、献身的にたくましく築き上げられる音の構築。大胆にこぶしをつけてなされる歌いまわし。そこからシベリウス演奏に相応しい民族的な情感も、透明感も、構築性も、逃げも隠れもしない堂々たる姿で立ち上がってくる。この3番交響曲はとてもシンプルに書かれているため、演奏の特徴がはっきり出てしまいやすいのだと思いますが、そこから全く逃げずに、さりとてあざとくするでもなく、愚直に前へ前へと進んでいく。
そういう決然たる覚悟を決めたようなたくましい音楽が、まだ日本のクラシック音楽の環境が十全とは言えない中で立ち上げられたと思うと、何とも言い難い熱いものが迫ってくるのです。この音楽はシベリウスの3番交響曲らしい冷涼さが、そういう熱さに支えられて立ち上がっているという、不思議な感動を生んでいるように感じられます。
音楽芸術としていまだ参照され聴き継がれるべき高い価値があることと、歴史の記録としての意義があること。その両方が分かちがたく共存しているすごさが伝わってきます。
- 2020-03-10:ジェネシス
- LP時代、レコードジャケットをプレーヤーに立てかけて聴いていました。眺めながら聴いていると、ローラ.ボベスコのフランクは何故か艶っぽく聴こえたし、黄色い欄間の下にベームやヨッフムの顔がアップになっているDG盤は愛想が不足に感じてました。
で、このセルの全集は帽子を被り葉巻を咥えて散歩するブラームスの足元にハリネズミが居る影絵という、独断的に言わせて戴けばブラームスのレコード史上最高のジャケットデザインだと思います。クリーヴランドがドレスデンやバンベルクに聴こえてしまうといえば大袈裟だけれど、瓶底メガネのセルの顔が大写しだと全く違うイメージになったでしょう。
でも、この「第3番」と「ハイドン変奏曲」は別格です、正に最高です。セヴェランスホールの残響が少な目な録音が内声部まで無理なく聴かせてくれて今でもよく聴きます。
- 2020-03-06:サンセバスチャン
- リヒテルがコメントしているのは68年パリ管弦楽団の17分かかる演奏です。56年は定規ではかったような演奏で、68年は極度に遅いテンポで始まって物憂さから、圧倒的な高揚に向かいます。62年は15分20秒くらいです。56年はもの凄く明晰な演奏、録音で、68年はバレエのト書きを再現していると思います。
- 2020-03-06:コールアングレ
- 毎日どのような曲がアップされているか楽しみにしております。ありがとうございます。
この演奏,ホルンの音色やヴィブラートをかける奏法などかつてのフランスのオケのように感じました。シルヴェストリとフランス音楽,意外な組み合わせで楽しかったです。
- 2020-03-04:Sammy
- 一聴した印象としては、雰囲気の乏しいややドライな録音、独特の個性的な響きながら今一つ雑なオーケストラ、という中で、指揮者は表情と対位法的な特徴をはっきり打ち出すことに力点を置いたように思えます。
その結果、どこかあっけらかんと、淡々と進みながら、また響きがややガサツな感じでありながら、目鼻立ちが着実に打ち出された立体的で不思議な色合いの音楽になっているように思います。そして気づけばその「淡々」が「飄々」にすら聞こえてくる。
素晴らしい演奏、とまでは思えなくても、いつもはどこか冴えないはずのオケが、今晩はなぜかいつもどおりのガサツな音ながら、指揮者におだてられて大健闘して面白い演奏になった、という一夜の演奏会の再現、みたいな不思議な感慨になります。これもまた一興です。
- 2020-03-02:備前屋の旦那
- そういえば、昔はドラティを「外れの殆ど無い指揮者」として、良く聞いていたものだった。
私は一時新築の木造アパートに住んで、どんなに小音量でステレオを鳴らしても隣人が「五月蝿い」と怒鳴り込んでくる状態になり、全ての機械とLPを処分してしまいました(もったいない事をしました)。
それ以来聞かなくなったのでしょう、一戸建てか、コンクリート建築に一人住まいデモしなければ、ヘッドフォンで聞くしか無いと言うのは悲しいですね。
オーディオが日本では廃れたのも無理はありません。
これは、そのドラティ、しかも指揮者に関係なく次々廃盤になって希少な「ロシアの復活祭」の、それも絶頂期のマーキュリーレーベルの録音です。
聞いてみれば判ると思います。
私なんかがクドクド「クラシック評論家」などというわ知り顔の人達の真似をして解説するより、先ずは聞いて自分の感想を持って欲しいです。
そして、ドラティを聞くことを思い出させてくれたyungさんに感謝を。m(__)m
- 2020-03-02:joshua
- ミュンシュとの共演が前世紀の偉大な功績とは認めつつも、このアプローチで行くなら、トスカニーニNBCと共演したハイフェッツのライブがずっと感激します。1945年頃のSPで音は悪いのですが、終楽章など、よくこの速さでこれだけ正確に弾けたものだと。それと、ハイフェッツの協奏曲録音でいつも思うことは、音の細いこと。上手いのなら、オイストラフ のようにいかないのは何故?
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[2025-04-02]

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調, K.575 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(Mozart:Serenade in G Major, K.525 "Eine kleine Nachtmusik")
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-28]

ラヴェル:スペイン狂詩曲(Ravel:Rhapsodie espagnole)
シャルル・ミュンシュ指揮:ボストン交響楽団 1950年12月26日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 26, 1950)
[2025-03-24]

モーツァルト:セレナード第6番 ニ長調, K.239「セレナータ・ノットゥルナ」(Mozart:Serenade in D major, K.239)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)
[2025-03-21]

シューベルト:交響曲第2番 変ロ長調 D.125(Schubert:Symphony No.2 in B-flat major, D.125)
シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団 1949年12月20日録音(Charles Munch:The Boston Symphony Orchestra Recorded on December 20, 1949)
[2025-03-17]

リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲, Op.34(Rimsky-Korsakov:Capriccio Espagnol, Op.34)
ジャン・マルティノン指揮 ロンドン交響楽団 1958年3月録音(Jean Martinon:London Symphony Orchestra Recorded on March, 1958)
[2025-03-15]

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリンソナタ 変ホ長調 ,Op.18(Richard Strauss:Violin Sonata in E flat major, Op.18)
(Vn)ジネット・ヌヴー (P)グスタフ・ベッカー 1939年録音(Ginette Neveu:(P)Gustav Becker Recorded on 1939)
[2025-03-12]

モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589(プロシャ王第2番)(Mozart:String Quartet No.22 in B-flat major, K.589 "Prussian No.2")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2025-03-09]

ショパン:ノクターン Op.27&Op.37(Chopin:Nocturnes for piano, Op.27&Op.32)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1956年発行(Guiomar Novaes:Published in 1956)
[2025-03-07]

モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調「リンツ」 K.425(Mozart:Symphony No.36 in C major, K.425)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1960年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1960)
[2025-03-03]

ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)
アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月8日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 8, 1945)