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フェラス(Christian Ferras)|フォーレ:ヴァイオリンソナタ第2番 ホ短調 作品108
フォーレ:ヴァイオリンソナタ第2番 ホ短調 作品108
(vn)クリスチャン・フェラス (P)ピエール・バルビゼ 1964年9月21日~25日録音
Faure:Violin Sonata No.2 in A major, Op.108 [1.Allegro non troppo]
Faure:Violin Sonata No.2 in A major, Op.108 [2.Andante]
Faure:Violin Sonata No.2 in A major, Op.108 [3.Finale: Allegro non troppo]
あまり評判は良くない(^^;

フォーレは若き時代にヴァイロインソナタを書くのですが(第1番)、そこから40年以上の時を経てもうひとつのソナタを生み出します。それが「第2 ホ短調 作品108番」なのですが、これがいたって評判が良くないのです。
演奏時間からいって、A面に1番、B面に2番に収録して、「はい、これがフォーレのヴァイオリンソナタですよ」と売り出すのが普通だと思うのですが、何故か2番のかわりに別の作曲家のソナタをカップリングして売り出すレコードが多いのです。つまりは、それほどまでに、第2番の評判は良くないと言うことなのです。
ではその評判の悪さはどこから来ているのかと言えば、それはとあるヴァイオリニストの言葉が見事に言い当てています。
「ブラームスを2度弾いた気分になった」
冒頭のピアノは8分の9拍子という何とも言えず不安定なリズムで開始されます。この部分からしてあの第1番の美しさは何処にもありません。そして、その後もわけの分からない複雑な転調が続き、それは渋いと言うよりは「晦渋」という言葉の方がぴったりと来るような親交が続きます。
そして、その「晦渋」さもフォーレなのだからいつかは解消されて美しい瞬間がやってくるのだろうと聞き手は期待するのですが、どうにもすっきりしない状態のまま最後を迎えるのです。
確かに第2楽章の主題は美しいような気がするのですが、個々もまた拭くざるな転調が続いて何処か不安な気分が解消されません。まあ、せめてもの慰みで、最後の最後は綺麗に締めくくられるのですが、逆にそれもまたなんだかなぁ・・・という気分になります。
そして、結果として聞き手もまた「ブラームスを2度聞いた気分」になるのです。
もっとも、クラシック音楽というのはわけの分からないものをウンウン唸りながら聞くものだというポリシーをもっている人にはピッタリな音楽ではあります。
ちなみに、フォーレと親交もあった有名なヴァイオリニストであるイザイは1番はよく演奏会で取り上げましたが、2番は一度も演奏しなかったそうです。その事を取り上げてフォーレの弟は次のように述べています。
「この作品は1917年に世に出されたものの、イザイがそれを彼独自のスタイルで演奏するまでに至らなかったのは、きわめて残念なことである。彼はその時すでに高齢に達しており、何よりもまずこの作品を理解することができなかったのだ。とはいえ、この作品は彼のために作られたものなのである。もっとも、彼がそれに気づいたときにはもう遅すぎたのだが……。」
有名な言葉らしいのですが、どちらに軍配を上げるかは個々の聞き手にゆだねましょう。(私はイザイに一票。)
無理をしてるなぁ・・・
フェラスは1957年にフォーレのソナタを録音しているのですが、その7年後に、もう一度録音をしています。
それほどメジャーではない作品を、わずか7年という短いスパンで再録音するというのは異例なことなので、それはレーベル側の要望ではなくてフェラス自身の要望だっただろうとは想像されます。そして、そう言う演奏家側の要望でこういう再録音が行われると言うことは、この時代のフェラスの立ち位置がかなり高かったことも窺わせてくれます。
この二つの録音はわずか7年しか隔たっていないのに、明らかに音楽の形は大きく変わってしまっています。そして、その違いを問いたかったので再録音を要望したのでしょう。
その変化とは、先にチャイコフスキーのコンチェルトで述べたことがそっくりそのままあてはまります。
フェラスの自殺をカラヤンとの関係に求める説は昔からあったのですが、おそらくは彼自身を追い込んでいったであろう演奏様式のチェンジは、カラヤン以前から芽生えていたことをこの録音は教えてくれます。もちろん、65年にカラヤン&ベルリンフィルとの関係を正式にスタートさせる以前からカラヤンとの関係はあったのでしょうが、主観性を大切にする彼本来の姿を変えようとしたのは彼の内発的な思いからであったことは疑いないようです。
考えてみれば、その様な変化が外から強いられたものならば、その変化が己の身に添わないものだと分かった時点で容易に捨てることが出来たでしょう。しかし、その変化が内発的なものであれば、その変化を成し遂げることの出来ない己をせめることに繋がってしまいます。
時代の変化の中で、あるべき己の姿をしっかりと認識して、変わってはいけない己の本質を守り抜いていくというのは難しいことだったのでしょうか。
この64年録音のフォーレは、57年盤と較べればはるかに客観性が高くてプロポーションも立派です。
57年盤で感じたある種の不安定さはほぼ払拭されていますし、それでいてフェラス本来の美音も損なわれていません。チャイコフスキーの項でも述べたように、演奏というものを幾つかの観点に細分化して得点化し、それを平均してみれば64年盤の方がかなり高評価になるはずです。ですから、第2番もあわせて録音されていると言うことも含めれば、フェラスのフォーレは64年盤こそが代表盤と言うことになるはずです。
しかし、残念なことに、57年盤のある種の不安定さの中から感じ取れた繊細な光と影の交錯、青年が持つある種思い詰めた青白さのようなものはすっかり消えてなくなっています。
そして、我が儘な聞き手は言うのです。
何だ、こんな風に立派な方向性で演奏するならば、他にももっといいものがある。
例えばハイフェッツの55年盤!!
フェラスの57年盤よりもさらに古い録音ですが、この作品がもつ、古典的と言えるほどの明晰さをこれほど鮮やかに描ききった演奏は他には思い当たりません。そして、その明晰さゆえに光と影が淡く交錯するのではなく、光と影が明確に二分化されてしまっているのですが、その潔さが逆に生理的な快感に繋がってくるような演奏です。
結局、フェラスは時代の変化に己を添わせることで、自分が持つ最大の強みを見失ってしまったような気がするのです。
もちろん、人によっていろいろな見方はあるでしょうが・・・。
この演奏を評価してください。
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よせられたコメント
2016-03-18:Sammy
- フォーレの晩年の室内楽作品は屈折感の強い作品が多いと思います。この曲の他にもふたつのチェロ・ソナタ、ピアノ五重奏曲第2番、ピアノ三重奏曲、そして絶筆の弦楽四重奏曲などが挙げられますが、考えれば彼の深まる難聴、そして時代を考えれば不思議なことではないように思えます。ヴァイオリン・ソナタ第1番は若書きにして才気あふれる傑作ですが、第2番はそれとはまったく違った意味で深みのある、不思議な世界にいざなわれていくような軽妙さと面さ、複雑さと簡潔さが交錯する独特の傑作であると思います。
ただ、人気作とは言い難いのは確かですし、このようにこのサイトでご紹介いただいていること自体ありがたいことでもあります。フェラスの濃密な情感表現はこの作品の重さにうまく合っていて、とても聞きごたえがありました。バルビゼの透明感のあるやや乾いたタッチのピアノも絶妙に作品の雰囲気にあっているように思えます。
2020-04-12:るびー
- 初めてこの曲を聴いたときには全く分からないと思いつつ、どこか引っかかるものを感じましたが、今の私にとってこの曲は生涯の宝物です。聴衆に受けが良い曲ではなく、何よりこれだけ難しい内容を聴かせられる演奏者は皆無に近いですので、頻繁に弾かれるべき曲ではないでしょう。ただ、この曲の持つ芸術性はフランクをも超えるものであると私は強く信じています。
この曲を難しく感じさせるのはやはり1番と全く異なるところにあると思います。若々しさ、華麗さを表すような強いヴィブラートは1番には合っていても、2番には通用しません。1番と2番の共通点はフォーレの作品というだけで、それ以外は全くの別物です。2番に必要なのは美しいものは全て見たというような落ち着き、その一方で全てを見てしまった事に対する誰にも言えない葛藤や深い悲しみ、そして最後に人知れず別れを告げ、立ち去っていくような姿のように思います。どれが欠けても曲として成立しないであろうところがこの曲をより一層難しくしています。私は滅多にない優れた録音に出会うとき、3楽章の最後でヴァイオリンが緩やかに上昇していくところで、この景色を見れるのは最後だといつも感じ、言葉や他のどの曲でも到底表しきれない悲しさと喜びをいつも感じます。
フェラスは生来の才能で本能的にこの曲の部分的な側面を理解しているように感じられるので、十分楽しめるものの、この曲の本当の価値を伝えるには程遠いように思いました。あまり一般には知られていないかもしれませんが、パリ管副コンマスで、長年この曲を演奏してきた千々岩氏の録音がこの曲の真価を最も良く伝えていると思います。
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