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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2023-03-07:笑枝
- 素晴らしい! 今の今まで、聴きのがしてました。
硬質なタッチのピアノ、表情豊かな弱音、大きな深い息づかいを感じさせる演奏ですね。
感動しました。ぴったり寄りそったオケもいいです。
K488、大好きな曲で、1991年のモーツァルトイヤー、カザルスホールで岩崎セツ子の演奏を聴きました。オケは室内編成のN響。
渾身の演奏でした。拍手が鳴り止まず、四度五度、何度も何度も呼び出され……。
アンコールを期待する友人に、
いや、アンコールはしないよ、と言ったこと、覚えてます。
岩崎さんの、ごめんなさい、というしぐさ、忘れられない。
精も根も尽きた、という表情でした。
モーツァルトの演奏、Yung さんの言われるように、ヴェールをかぶった熱情をいかに表出するかに懸かってますから、奏者の苦心はたいへんか、と。
ケンプの演奏、聴いてると、その辺りが、余裕を感じさせますね。スタジオ録音ですから、ライブとは違うでしょうけど。
- 2023-03-05:tks
- クラシック初心者の中1で初めて聴いた三大ソナタがこれでした(セラフィムの1300円シリーズのレコードです)。その後、FMでバックハウスかR.ゼルキンのを聴いてその違いに衝撃を受けた記憶があります。極めて個性的で、「初めに聴いてはいけない演奏」の類いですが、聴き比べの愉しさを教えてくれた懐かしい演奏です。
- 2023-03-05:yk
- この演奏をココで聴くことになった・・・というのは私にとっても感慨深いですね。
音楽愛好家というのは、大抵音楽を身近に聴くようになる過程で決定的な意味をもった演奏会経験・・・と言ったものがあるんじゃないかと思いますが、私の場合もう六〇年近く前聴いたフランソワの演奏会が、そう言った”決定的”な演奏会の一つでした。当時、レコードで聴いたフランソワのショパンに魅了されていた私は大いなる期待を抱いて聞きに行った演奏会でしたが、薄暗いステージで弾くフランソワには何か不健康な雰囲気があって・・・プログラムはよく覚えていません・・・演奏もレコードで聴くフランソワの切れ味の良い演奏とは違ったどこかぼやけた様な印象がしたものでした。しかし、メインのプログラムが終わった後、彼はアンコールに応えてショパンのワルツを弾き始めたのですが、ソコで、ものの1分ほども経たないうちに突然激しく咳き込んで演奏を中断するハップニングが起こりました。一瞬シーンとした会場の中で、彼は座ったまま黙ってハンカチを取り出し口を拭った後同じワルツを最初から弾き直したのですが、その演奏は私にとっては今も生々しく思い出されるものになりました。今から考えると、当時フランソワは体調に問題を抱えていたばかりか私生活の上でも色々と問題を抱えていたとも言われていて、当該の演奏会も最盛期のフランソワのものでは無かったのだと思われ、実際そのアンコールのショパンも目の覚める様な鮮やかな演奏・・・と言う訳でもありませんでしたが、彼が薄暗いステージの上でピアノを前にしてアンコールで示した孤独と気概と矜持・・・は私にとっては将にショパンに相応しいものでした。それは真摯な演奏家と言う”芸術家”が演奏と言う行為で一体何に対峙しているのかを今も私に考えさせてくれる原点の一つになっています。以前何かのドラマで「玄人は恥を忍んで恥をさらす・・・云々」というような台詞を聴いたことがありましたが、その意味でもフランソワは将に”プロの芸術家”でした。
そのフランソワの演奏の中でも、このベートーヴェンは音楽演奏という行為が人間にとって結局のところ如何なる意味を持っているのかを考えさせてくれる格好の題材とも言えるものだと思います。
音楽(特にクラシック)は、ほとんどが作曲家―演奏家―聴衆、と言う三者によって成立する芸術です。その中で”創造”と言う観点から”作曲家”への敬意は特別の意味を持って語られることが多く、演奏家は作曲家(楽譜)に忠実である”べき”であり、聴衆はソレを旨として鑑賞・受容する”べし”・・・という風潮が(特に近代以降)強い芸術分野でもあります。ソレはソレで一定の(妥当な)理由があり根拠がある議論ではありますが、私はソウいった議論には重大な前提がある・・・と考えています。それは”演奏家は作曲家に忠実である前に、何より自分に忠実であってほしい”と言うことであり、仮に優れた技術に裏打ちされた演奏でも”自分を偽った(或いは忠実であるべき”自己”の欠如した)”演奏は無意味で有り、そう言った演奏はある意味で作曲家への冒涜でさえある・・・と考えます。一時期、演奏家はソノ存在を感じさせない純粋透明な”伝達者”であることが理想だ・・・と言ったことを公言する人もいましたが、こう言った主張は少なくとも無条件では私には受け入れられません(・・・それが理想であれば、ピアノはYAMAHAの自動演奏で事足りる??・・・^_^;;)。過去の”作曲家”と現代に生きる”演奏家”と(無論”聴衆”と)がそれぞれ”自己に忠実”に音に対峙し葛藤することにこそ遠い過去の音楽を現代に演奏し聞く意味があるのであって、”恐るべき子供”とも評された(不遜の?)フランソワのベートーヴェンにも作曲家と演奏家の関わりの経緯が忠実に記録されていて、少なくとも私には単なる”わがまま”と言ったものとは異なった何物かではありました。
- 2023-02-28:コタロー
- 我々のバロック音楽の受容の歴史を考える上で、大変興味深い演奏だと思いました。
- 2023-02-22:koinu
- 記憶に間違いがなければ、今から40年前NHKFM放送をモノラルのラジカセでエアチェックでテープがすり切れるほど聴いた曲でした。懐かしく、こんな素晴らしい演奏だったと改めて認識しました。演奏がセルならと少し想像を豊かにしてしまいました。懐かしく素晴らしい演奏のアップに感謝です!!
- 2023-02-20:アドラー
- 今までこの曲を色々な人の演奏で聞いてきたのです(誰の演奏がどうだったとか、あまり憶えていません)が、それらに比べ、この演奏が最も私の耳には入りやすいと感じます。“普通にいい曲のいい演奏”というか。。ということは、今まで私が聞いてきたのはどれも名人芸披露みたいな派手な演奏だったのかも、と思います。その点、この演奏は、きれいな音で内省的なところは内省的で、でも余り疲れずに聞けて、そういう意味でいいなあ、と思います。
アルコール依存症になったんですね。完璧を求めて?“完璧な演奏”と言ってもジョージ・セルとグールドでは意味が違うだろうし、シェリングはどういうのを“完璧”と考えていたのかな? 私には、例えばこれなど、完璧な演奏に思えるので、そう思うと、むしろ、シェリングにとっては完璧ということが壁になってしまって、それを突き破れない苦慮を、アルコールに頼ってぼやかそうとしたのかな、などと思ってしまいます。ともかく、気分良く聞けました(ということをアルコールを飲んでいたシェリングさんにお伝えしたい気持ちです)。
- 2023-02-19:joshua
- 「70年代に来日した頃には完全にアルコール依存症に」といいますと、わたしが大阪フェスで聞いた演奏は、ちょうどその頃に当たります。集中して聞いたのは覚えていますが、格別感動したわけでもなく、さりとて演奏に破綻があったようにも思いませんでした。・・・依存症という事実が気になって英語版日本語版でWikiを読んでみましたが、そういう記述はみつけられませんでした。(よろしければ、この点に触れた出典をお知らせいただければ有難いです。)シェリングは、ポーランド特有のZを含むSzeryngと綴られます。(Szymon Goldbergも同様です。) 昔Szeryngのパイロットレコードが廉価版で出ていました。協奏曲がbachの2番、mozartのトルコ風、それにvitaliのシャコンヌが収められており、来日前に繰り返し聞いていました。何しろ、彼の演奏は清潔そのものであり、感情の発露といったものは求められません。その分、感動しにくいのかもしれませんが、心に残るものがあって、ふとした折にSzeryngで聞きたくなる、といった具合です。mozartの5番など、同時期聞いていた女流オークレールと大違い。どちらも好きですが、高貴さといいましょうか、その点で誰とも違う弾き方なのがSzeryngです。
このような楷書体風演奏が、また7か国語を操り、メキシコとポーランドの友好大使の役を務めてきた優等生的生き方が、Szeryngに過度の緊張を強いて、私生活でアルコールに頼ったにせよ、舞台上では立派でしたし、1988年69歳という若さでの脳出血死に至るまでに残してくれた録音は優れたものばかりでした。彼には妻や子、その他道楽という、芸術・政治以外に潤いを与えてくれるものが無かったのかもなあ、と凡人の私には気になってしまいます。
- 2023-02-17:大串富史
- スカルラッティは正直なところずっと取り上げないで済まそうぐらいに思っていたのですが、そういえば佳作もあったかと思い直し(まて)聴き直したところ、思いのほかバックグラウンドミュージック的な必要に適っていることに驚きを禁じ得ません…
少数ではありますがクラシックファンの中国人の学生から、あれ?先生この曲は何の曲ですか?ぐらいの反応が返ってくるのが一番理想かと思っているものですから。
#その逆にもしわたしが好きな曲ばかりかけていたら(北ドイツオルガン学派であるとか、ドビュッシーやラベルの弦楽四重奏曲とかヒンデミットの変容であるとか)、うけないばかりか正直教室から出て行ってしまう学生がいないかと心配です…
カークパトリックに感謝というのは、貴重なチェンバロ音源を残してくれているからです。録音の質も学生からのクレームがないレベルと判断しました(以前クレームがあったのです…)。これから順番に聴いてみようと思っています。
#もちろんモダンチェンバロは、わたしとてパスなのですが…
最後に管理人様に、時間を割いての楽曲選定のみならず、良質な解説をご提供いただいていますこと、再度感謝申し上げます。スカルラッティがそんな感じですので、カークパトリックはなおのこと知らず、このサイトがなければスカルラッティを流すどころか聴く機会もなかった(作らなかった)と正直思います。ただただ、ありがとうございます。
- 2023-02-17:小林正樹
- この有名な冒頭部分の演奏。生も含め色々聴いたがテンポ、リズム、歌い方の設定が若きカラヤンの気概とWPのやる気がマッチしたこの演奏は私のお気に入りなんです(BPとの演奏より聴く気力が出ますねぇ)、あとベームBPの2001年宇宙の旅に使われたものが壮麗感があって好きです。私の順位では両者は上位を占めています。もちろんその後に続く本題(?)部分も空前絶後のすばらしさです。
ウィーンフィル時代の頃、のカラヤンは実に素晴らしいですね(何やかやカラヤンが言われてしまうのは録音も含めて世間に出すぎたからですよきっと)フルベンさんだってつまらんものも結構ありますよ・・。
いずれにせよ、こういう凄みのある芸術家が多く居た時代に青春時代を過ごせたことは本当に幸せでした!(じゃあ今は?さぁ?さぁ?)
- 2023-02-15:コタロー
- マルティノンにはパリ音楽院管弦楽団を振った「フランス音楽コンサート」というアルバムがあります。ビゼーの「子どもの遊び」などスタンダードなフランス音楽があるかと思えば、イベールの「喜遊曲(ディヴェルティスマン)」が含まれているのが貴重です。ただこの曲、かなりおちゃらけているので、ユング様の好みには合わないかもしれませんね。気が向いたらご検討いただけたらと思います。「悲愴」とは真逆の音楽ですが、マルティノンという指揮者の多面性が伺えて興味深いですよ!
- 2023-02-14:大串富史
- 最初にご報告させていただきたいのは、この65年版の録音こそが、ジョージ・セル没後30年記念企画アルバム(ソニー)ということで、わたしが中学生の時分に聴いていた演奏でした。レコードのジャケットが瓜二つなので、最初は目を疑いましたが…
#レコード会社の企画がなければ聴く機会はなかったかもしれず、管理人様がこうしてアップしてくださらなかったなら、なおさら機会はありませんでした… ただただ感謝です…
ヤナーチェクを再び聴いて、これはバックグラウンドミュージックとしてなかなかよさげだと思い直しました。今晩、さっそくかけてみましょう。ふふふ…
#少なくともオケ協(また勝手に混乱させる略語を使っています)よりは刺激が少ないので、オケ協を流す前の様子見ということで(まて)。
とすると40年以上前に聴いていたあのセルとクリーブランドの他の諸々の演奏は、やはりそのさらに十数年前の演奏だったのかと思うと、非常に感慨深いものがあります。
何が感慨深いのかというと、なんだーだから廉価版だったのかーなどという話ではなく、そうでなかったらセルとクリーブランドの諸々の演奏は新たな演奏の下に埋もれてしまい聴く機会はなかったであろう、自分も含め2500円のグラモフォンではなく1500円のコロンビアを買って聴いていたクラシックファンは、実のところ廉価版ならではの歴史的な名演を聴いていたのだ、という感慨です。
それはつまり、これから目白押しのパブリックドメイン切れの録音は、もしかしてもしかすると自分があの頃に聴いていたまさにあの演奏?!なのではなかろうか、という期待感があるわけです。
管理人様へ:今後共ご自愛しつつ、どうぞアップを謹んで宜しくお願いいたします。
#最後に余談の余談:この曲を聴くとどうしても、EL&Pを思い出してしまうのはわたしだけでしょうか… 今ちょうど日本語レッスンで1Q84の紹介があり(中国で相応に有名)、正直あんまり紹介したくないな的な部分があったりするのですが、この曲の冒頭のフレーズ(特にティンパニー)もやっぱり相応に尋常でないのに、それでも刺激が足りないなどと感じてしまうのですから、現代人というのはなんとも摩訶不思議です…
- 2023-02-11:コタロー
- これでチャイコフスキーの「組曲」全4曲のアップが完了しましたね。
「モーツァルティアーナ」は「組曲」のなかでは最もまとまりのある作品だと思います。
チャイコフスキーの作品として、旋律の美しさの点でも不足はありません。とりわけ最後に置かれた変奏曲は優れたオーケストレーションで楽しませてくれます。
すでにアップされているケンペン指揮の豪快な演奏と比較すると、さすがにドラティの演奏は洗練されており、録音も優秀です。
最後に、大いなる感謝の意をドラティ氏とこの曲を取り上げてくださったユング様に捧げたいと思います。マイナー曲からの脱出を心から願っております。
- 2023-02-10:大串富史
- 管理人様、ルービンシュタイン、そして指揮者とオケの皆様への感謝と共に。
最初に管理人様への感謝が来るのは、解説の部分に賛辞をお送りしたいからです。「冒頭部分だけが派手派手で、その後はなんだかつまんない音楽がだらだら続いて何時の間に終わっちゃったみたいな演奏が多いのも事実なのです。ついでながら私見を述べれば、この竜頭蛇尾になってしまう東西の横綱はチャイコフスキーのピアノ協奏曲とシュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」でしょう」とは、管理人様、よくぞ言われました!
#それもあって、この演奏が最後に残りました…
ルービンシュタインへの感謝も、やはり管理人様の解説に道を譲りたく思います。「この冒頭の聞かせどころが終わった途端に気が抜けたようになってしまうピアニストが多いのに、ルービンシュタインはそこからやおらしっかりとピアノを響かせはじめます」。
で指揮者とオケの皆様なのですが、管理人様曰く「最後についでながら、そう言うルービンシュタインを支えるラインスドルフとボストン響のサポートは一切の甘さを排した厳しさに徹していて、実に持って見事なものです」というのが、感謝の主な理由になります。今日もいい「芸」術を見せて、いや違った聴かせてもらいました(まて)。
#わたし自身もついでながら、チャイコはまあこれでいいのかみたいに思ったりもします。小学生の時分に聴いたスッペも中学生時代に聴いたチャイコも別に悪くはないのですが、あのその、大人になり家族を養うため働く身とすれば時間が足りないという… もっとも、いずれパブリックドメインの仲間入りをするであろうタコ(ショスタコ)が来た日には、うーんこの演奏、タコ度が相当高いなー、みたいに時間をつぶしてしまうんでしょうが。そういう点でも日々名曲のアップを続けてくださっている管理人様には、ただただ感謝しかありません。ありがとうございます。
- 2023-02-09:大和田保臣
- 私も年を経てから、ディーリアスを聴き始めたものの一人です。
もっともビーチャムとバルビローリのCDは、ずっと以前に買ったものを聴かずして放置していたのですが、聴き始めたきっかけとなったのは、「フェンビー・レガシー/ミュージック・オブ・ディーリアス」というユニコーンの2枚組のLPを入手したことです。その素晴らしさに改めてCDを聞き直した、というわけです。
うまく表現できませんが、聴いていて癒されることこの上なしです。
- 2023-02-09:コタロー
- これまで私はケンプの良い聴き手ではありませんでした。
定評があるベートーヴェンの音楽についても断然バックハウス派でした。
ところが、何気に聴いてみたモーツァルトの演奏が何とも素晴らしいではありませんか!
この曲についてはハイドシェックの魅惑的な名演がありますが、ケンプの演奏もそれに匹敵する素晴らしさです。一般的にケンプといえばベートーヴェンのイメージが強いのですが、私の場合はモーツァルトの演奏でケンプの良さを知ったレアなケースといえますね。
- 2023-02-08:大串富史
- チャイコフスキーとヴァイオリニストまた指揮者とオケの皆様、そして管理人様への深い感謝と共に。
チャイコフスキーは嫌いではないものの好きではないとはいえ、やはりヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲は落とせないかなーと思い直し、幾つか聴き比べてこの演奏を日本語レッスンの合間のバックグラウンドミュージックに選ぶことにしました。まあその、学生にはなにより刺激が一番、と考えてのことなのですが…
実に数十年ぶりに聴き直して、第3楽章(恐らく第2楽章と続けてレッスン開始前に流すことになりそうです。時間的にはブラームスのヴァイオリン協奏曲の第1楽章並みのボリュームです…)は聴かせるに値すると確信できました。数世紀を経た日本人教師と中国人学生のためのバックグラウンドミュージックをご提供いただき、チャイコフスキーにまず感謝です。
次いでヴァイオリニストまた指揮者とオケの皆様への感謝ですが、今回初めてYoutubeのクレーメル+マゼール+ベルリン・フィルと聴き比べ、悪い言い方をしないようにしたいのですが、率直この演奏を退けるべき理由がとくだん見当たらなかったことに感謝しています。
#わたしの世代はヴァイオリンと言えばクレーメル、ピアノと言えばアルゲリッチ、みたいな、火花を散らした曲芸いや違った極芸をこの目で見せてくれーみたいなものが自分のうちにあり、そういう角度からしてこの演奏はこじんまりしていないところがとてもいいように感じています(まて)。
最後に管理人様への感謝なのですが、演奏を幾つか聴き比べつつ解説を拝読させていただき改めて思うに、管理人様ご自身が解説に注ぎ込まれた血潮のようなものへの感謝を述べずにはいられません。(他の皆様のコメントもそうなのですが)クラシック談議で火花を散らし合える場をいわばご先導いただいていることに深く感謝したく思います。ただただ、ありがとうございます。
- 2023-02-08:コタロー
- たまたま、50年代後半にウィーン・フィルを指揮したクリップスの演奏と比較試聴してみました。クリップスはどちらかというとオーケストラの伝統ある響きを活かしたしっとりした演奏でした。
それに対して、モントゥーの演奏は軽妙洒脱で聡明な趣きが傑出していますね。
このように同じオーケストラを指揮した演奏の聴き比べができるのは、まさにクラシック音楽ならではの醍醐味ですね。また当時のウィーン・フィルの優雅な響きをたっぷり堪能できました。
- 2023-02-07:たつほこ
- 私も気に入りました。聴いてからyungさんの解説を読み、少し驚きました。1940ー50年代のサンフランシスコがどのくらい田舎だったか知りませんが、この演奏は聴かせてくれますね。ほかの演奏も聴いてみたいです。
- 2023-02-07:藤原正樹
- いいじゃないですか。ベートーヴェンだって、気分の良い問いは笑ったし、そよ風が吹いてくれば口笛でも吹いたに違いない。人はいつもいつも「運命」との闘争では生きられないのです。好きな曲。
- 2023-02-04:Dr335
- すごい勢いのある演奏で驚きました。Yung様のお嫌いな?「爆演」と言ってもいいのではないでしょうか。指揮者とオケが爆発し、ぐちゃぐちゃになった演奏、ということではなく、爆発しそうなほどの情熱と気合がこもった演奏ということなら、悪い表現ではないと思います。とにかくこんな演奏、昨今の小綺麗なオケでは絶対に聴けないでしょう。歴史的名演と言うのは適当かどうか分かりませんが、久しぶりに面白い演奏を聴かせていただきました。有難うございました。続編を期待しています。
- 2023-02-04:コタロー
- このサイトを改めて調べてみたところ、モントゥー=サンフランシスコ響の演奏についてはすでに10件以上アップされていました。そこで、その中からベートーヴェンの交響曲第8番を選んで聴いてみました。この曲について、ステレオ録音ではセルの名盤が君臨していますが、モノラル録音を含めるとモントゥーの演奏もなかなかの好演だと感じました。
軽妙洒脱というか、楽員の自発性を重んじているという点ではセルの名盤を凌駕しているといえるもしれません。これは一言でいえば音楽に対するスタンスの違いだと思います。
次回は、名盤の誉れの高いベルリオーズの「幻想交響曲」に挑してみたいと思います。
ちなみに、モントゥーの生年は1875年、これはあのラヴェルと同い年なのですね!
- 2023-02-03:north fox
- このウィーンフィルとカラヤンでの録音は、数あるこの曲の録音の中で「ジュピター」というニックネームが一番ふさわしく思われます。威厳と端正な美しさが見事に調和していて、まるでギリシャ彫刻のジュピター像(ギリシャ彫刻ならゼウスというべきか)を見ているようです。ユングさんのおっしゃる通りベルリンフィルとの演奏より自然で、同曲盤ではこちらのほうが好きです。
- 2023-02-03:コタロー
- 私がモントゥーのファンになったのは、彼がロンドン交響楽団を振ったシベリウスの交響曲第2番が大きなきっかけでした。コメントにも書きましたが、若き日の私が大学受験に際して大いなるパワーを与えてくれたものです。
また、ボストン交響楽団を指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番などにも感銘を受けたものでした。
ところが、そんなモントゥー好きを自認する私が、サンフランシスコ交響楽団を振った演奏はこれまでほとんど聴いたことがなかったのです。
そこにうまい具合にベートーヴェンの交響曲がアップされたので、さっそく聴いてみました。この時モントゥーはすでに74歳を迎えていましたが、衰えなどはみじんも感じさせないスピード感としなやかな歌を満喫できる素晴らしい演奏です。サンフランシスコ交響楽団のメンバーがモントゥーの指揮にインスパイアされているのが如実に伝わってきます。
これを機会に、モントゥー=サンフランシスコ響のほかの演奏も聴いてみたいです。
- 2023-02-01:コタロー
- 早いもので、今年もあっという間に2月を迎えました。今が一年のなかで最も寒い時期ですが、お互いに健康に気を付けて寒さを乗り切りたいものです。
さて、チャイコフスキーの「組曲」のアップが進行中ですが、「マンフレッド交響曲」についてもその延長線上にあると思われるので、初めて聴いてみることにしました。
最も印象的だったのは、両端楽章における打楽器群の活躍ぶりが音楽の劇的性格を高める効果を出していることでした。
マルケヴィッチの的確で力感あふれる指揮ぶりも見事なものです。
余談ですが、チャイコフスキーはバレエ音楽を中心にハープを大いに活躍させています。ところが彼の六曲の交響曲では、ハープが一切使われていないのです。これは不思議な現象ですね。
以上、「チャイコフスキーあるある」でした。
- 2023-02-01:大串富史
- バルトークとセルとオケの皆様、そして管理人様への感謝またエールと共に。
最近、中国人の学生さんたちとの多人数レッスンの終わりにニュルンベルクのマイスタージンガーを流したところ、これで僕たちは卒業ということですね?という学生からのコメントがあり、そうか君たちはそれが分かるのか…そんなにもっと刺激が欲しいのなら…と思い直し(まて)、この懐かしのセルのオケ協(勝手に省略させていただきました)の終楽章を機を見て流すことを思い立ちました…
#いや本当はフローベルガーなりブルなりを流したいのですが… その場合、まあ刺激的にはそれなり?でも、バルトークにはかなわないだろうな、弦楽四重奏曲やこのオケ協の第1楽章はもう少し後に取っておこう、ふふふ…などと機会をうかがっております… そんなわけでバルトークには、僕らに刺激をありがとう!と言っておきたく思いました。
セルとオケの皆様に感謝というのは、カット云々ではなく、テンポに感謝しています。いくつか演奏を聞いて余計に思うのですが、この楽曲(特に終楽章)はこのテンポですんすんと進んでほしいと学生時代にも思いましたし、今でもそう感じます(でないと重過ぎるので)。
最後にいつも管理人様に感謝なのですが、音楽の好みは数あれど(たとえばセルの手によるこの楽曲の終楽章の扱い方等)、管理人様はキャパが相応に広い方でいらっしゃって、数十年を経てまたセルの演奏を聞くことができたのも管理人様あってならではとつくづく感じます。皆様と共にこちらのサイトと管理人様を応援しております。熱いエールまた深い感謝と共に。
- 2023-01-31:コタロー
- モントゥーの老練な演奏が目いっぱい楽しめるアルバムです。録音もこの時期としては上等です。
音楽とは直接関係ありませんが、モントゥーは無類の消防好きとして有名でした。
サンフランシスコ交響楽団常任指揮者時代に、サンフランシスコ市の一日消防署長に任命されたことがありました。制服姿のモントゥーはさぞご満悦だったのでしょう。また、クリスマスにはサンタクロース姿でコンサートを行うお茶目な一面もありました。
(三浦淳史著「20世紀の名演奏家:今も生きている巨匠たち(音楽之友社:昭和62年刊)」の47~48ページに写真が掲載されています)
おそらくモントゥーは、自分の音楽を求める人たちがいれば手弁当で馳せ参じるタイプの指揮者だったと思われます。だからこそ巨匠であっても偉ぶらないモントゥーは尊敬と愛情を勝ち得たのでしょう。
- 2023-01-30:浅野修
- yung様、いつもありがとうございます。
日課のように訪れさせて頂いております。
シューリヒトは大好きな指揮者の一人でいつも気にしています。
最近までマーラー交響曲を得意としていることは知りませんでした。
yung様がこの歴史的録音を今UPされた思いがひしひしと伝わってくる現在の日本ですね。
タモリさんが”新しい戦前”と発言された言葉が胸にずっしりと沈んできます。
国民の暮らしより戦費、戦前には無かった原子力発電と言う悪魔。
日本は後戻りできない、国家の敗戦、衰退の方向に行ってしまうのでしょうか。
演奏と無関係の事を書いてしまいました。
すみません。
- 2023-01-30:コタロー
- この曲の特徴としては、終曲に大規模な変奏曲を置いた点が挙げられます。これを聴いていると、楽想が少し弱いながらも、チャイコフスキーの音楽がそれなりのまとまりを見せつつあることを感じました。それとともに同じチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」を連想させます(この曲、ロストロポーヴィチがカラヤン:ベルリンフィルと協演したものがありますが、まだパブリックドメインにはなっていないと思われます)。
また、「第3曲:スケルツォ」の軽妙さも聴きものです。この曲だけ独立させてコンサートのアンコール曲として演奏したら気が利いていて面白いのではないかと思いました。
さて、ドラティの今回のシリーズもいよいよ「モーツァルティアーナ」を残すだけとなりました。この曲、このサイトですでにケンペン指揮の演奏がアップされているようなので、それと比較試聴できるのが興味深いですね。
- 2023-01-29:コタロー
- 寒い日が続きますが、皆様ご健勝のことと存じます。
こんな時期には、チャイコフスキーの音楽が恋しくなりますね(私だけかな?)。
ケンペン指揮のチャイコフスキーというと、まず「交響曲第5番」を思い浮かべます。
ここでは、フィナーレの第4楽章の大胆なデフォルメが強く印象に残っています。
それでは「悲愴」はどんな演奏なのかと興味がわいたので、聴いてみることにしました。感想としては、期待に反して(?)至極まともな演奏でした。テンポはやや遅めですが、決して感傷的にならず、まっとうというか、骨太のチャイコフスキー像を創り上げています。あえて聴きどころを挙げるとすれば、第3楽章の丹念に彫琢された演奏でしょうか。
それにしてもこの時期のコンセルトヘボウは油の乗った素晴らしい響きを持っていますね。録音も「交響曲第5番」より優れていると思います。
改めてケンペンの早世が惜しまれます。
- 2023-01-28:笑枝
- NBC が、トスカニーニのときとは違って、ドイツのオケのサウンドに聞こえました。
録音がオン過ぎなのが、玉にキズですが。
やはり、NBC 、スーパーオケですね。
弦も艶やかですし。
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[2024-11-24]
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
[2024-11-21]
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
[2024-11-19]
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽 1946年録音(Ginette Neveu:(Con)Issay Dobrowen Philharmonia Orchestra Recorded on 1946)
[2024-11-17]
フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調(Franck:Sonata for Violin and Piano in A major)
(Vn)ミッシャ・エルマン:(P)ジョセフ・シーガー 1955年録音(Mischa Elman:Joseph Seger Recorded on 1955)
[2024-11-15]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩」 変ロ長調 K.458(Mozart:String Quartet No.17 in B-flat major, K.458 "Hunt")
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-11-13]
ショパン:「華麗なる大円舞曲」 変ホ長調, Op.18&3つの華麗なるワルツ(第2番~第4番.Op.34(Chopin:Waltzes No.1 In E-Flat, Op.18&Waltzes, Op.34)
(P)ギオマール・ノヴァエス:1953年発行(Guiomar Novaes:Published in 1953)
[2024-11-11]
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
(Vn)アイザック・スターン:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1951年3月4日録音(Isaac Stern:(Con)Dimitris Mitropoulos The New York Philharmonic Orchestra Recorded on March 4, 1951)
[2024-11-09]
ワーグナー:「神々の黄昏」夜明けとジークフリートの旅立ち&ジークフリートの葬送(Wagner:Dawn And Siegfried's Rhine Journey&Siegfried's Funeral Music From "Die Gotterdammerung")
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニ管弦楽団 1955年4月録音(Artur Rodzinski:Royal Philharmonic Orchestra Recorded on April, 1955)
[2024-11-07]
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58(Beethoven:Piano Concerto No.4, Op.58)
(P)クララ・ハスキル:カルロ・ゼッキ指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団 1947年6月録音(Clara Haskil:(Con)Carlo Zecchi London Philharmonic Orchestra Recorded om June, 1947)
[2024-11-04]
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調, Op.90(Brahms:Symphony No.3 in F major, Op.90)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)