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フリッチャイ(Ferenc Fricsay) |ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調, Op.125「合唱」
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調, Op.125「合唱」
フェレンツ・フリッチャイ指揮:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (S)イルムガルト・ゼーフリート (A)モーリン・フォレスター (T)エルンスト・ヘフリガー (Br)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊 1957年~15958年録音
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [1.Allegro Ma Non Troppo, Un Poco Maestoso]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [2.Molto Vivace]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [3.Adagio Molto E Cantabile; Andante; Adagio]
Beethoven:Symphony No.9 in D minor, Op.125 "Choral" [4.Presto; Allegro Ma Non Troppo; Allegro Assai; Presto; Allegro Vivace; Alla Marcia; Andante Maestoso; Allegro Energico Sempre Ben Marcato; Allegro Ma Non Tanto; Poco Adagio; Prestissimo]
何かと問題の多い作品です。
ベートーベンの第9と言えば、世間的にはベートーベンの最高傑作とされ、同時にクラシック音楽の最高峰と目されています。そのために、日頃はあまりクラシック音楽には興味のないような方でも、年の暮れになると合唱団に参加している友人から誘われたりして、コンサートなどに出かけたりします。
しかし、その実態はベートーベンの最高傑作からはほど遠い作品であるどころか、9曲ある交響曲の中でも一番問題の多い作品なのです。さらに悪いことに、その問題点はこの作品の「命」とも言うべき第4楽章に集中しています。
そして、その様な問題を生み出して原因は、この作品の創作過程にあります。
この第9番の交響曲はイギリスのフィルハーモニア協会からの依頼を受けて創作されました。しかし、作品の構想はそれよりも前から暖められていたことが残されたスケッチ帳などから明らかになっています。
当初、ベートーベンは二つの交響曲を予定していました。
一つは、純器楽による今までの延長線上に位置する作品であり、もう一つは合唱を加えるというまったく斬新なアイデアに基づく作品でした。後者はベート?ベンの中では「ドイツ交響曲」と命名されており、シラーの「歓喜によせる」に基づいたドイツの民族意識を高揚させるような作品として計画されていました。
ところが、何があったのかは不明ですが、ベートーベンはまったく異なる構想のもとにスケッチをすすめていた二つの作品を、何故か突然に、一つの作品としてドッキングさせてフィルハーモニア協会に提出したのです。
そして出来上がった作品が「第九」です
交響曲のような作品形式においては、論理的な一貫性は必要不可欠の要素であり、異質なものを接ぎ木のようにくっつけたのでは座り心地の悪さが生まれるのは当然です。もちろん、そんなことはベートーベン自身が百も承知のことなのですが、何故かその様な座り心地の悪さを無視してでも、強引に一つの作品にしてしまったのです。
年末の第九のコンサートに行くと、友人に誘われてきたような人たちは音楽は始めると眠り込んでしまう光景をよく目にします。そして、いよいよ本番の(?)第4楽章が始まるとムクリと起きあがってきます。
でも、それは決して不自然なことではないのかもしれません。
ある意味で接ぎ木のようなこの作品においては、前半の三楽章を眠り込んでいたとしても、最終楽章を鑑賞するにはそれほどの不自由さも不自然さもないからです。
極端な話前半の三楽章はカットして、一種のカンタータのように独立した作品として第四楽章だけ演奏してもそれほどの不自然さは感じません。そして、「逆もまた真」であって、第3楽章まで演奏してコンサートを終了したとしても、?聴衆からは大ブーイングでしょうが・・・?これもまた、音楽的にはそれほど不自然さを感じません。
ですから、一時ユング君はこのようなコンサートを想像したことがあります。
それは、第3楽章と第4楽章の間に休憩を入れるのです。
前半に興味のない人は、それまではロビーでゆっくりとくつろいでから休憩時間に入場すればいいし、合唱を聴きたくない人は家路を急げばいいし、とにかくベートーベンに敬意を表して全曲を聴こうという人は通して聞けばいいと言うわけです。
これが決して暴論とは言いきれないところに(言い切れるという人もいるでしょうが・・・^^;)、この作品の持つ問題点が浮き彫りになっています。
真に価値ある音楽だけを取り上げたい
フリッチャイは白血病という病で生死の境をさまよい、それがきっかけとなって芸風を大きく変化させたと言われています。しかし、今回ベルリンフィルを指揮して録音したベートーベンの交響曲を続けて聞いてみると、その事は真実の一面しか言い当てていないことに気づかされます。
彼が病で倒れる前後を年表風に整理してみると次のようになります。
1956年:バイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任
1957年:病気の兆候が現れる
1957年:ベートーベン 交響曲第9番録音
1958年:バイエルン国立歌劇場の音楽監督を辞任
1958年:白血病に倒れる
1959年:病を乗り越え指揮活動を再開
1960年:ベートーベン 交響曲第7番録音
1961年:ベートーベン 交響曲第5番録音
この第9の録音はフリッチャイが白血病で倒れる以前の録音です。しかし、「ミニ・トスカニーニ」と言われた時代の演奏とは明らかに雰囲気が異なり、どちらかと言えば病以後の演奏に近い雰囲気を持っています。つまり、フリッチャイの変化は病によってのみもたらされたものではなく既にそれよりも前の時期から胚胎していたと見る方が自然なのです。
そう考えると、この変化の萌芽はバイエルン国立歌劇場の音楽監督の辞任という出来事の中に見ることができるような気がします。
フリッチャイは2年の契約期間を残して1958年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督を辞任します。もちろん白血病による体調不良も原因だったのですが、それ以前からレパートリーをめぐる深刻なトラブルを抱えていました。それは、彼がR.シュトラウスの作品を一度も取り上げなかったことへの批判です。
R.シュトラウスの生地であるミュンヘンにとっては、R.シュトラウスこそは「我らが町の偉大なる音楽家」でしたから、バイエルン国立歌劇場の看板レパートリーはR.シュトラウスの「バラの騎士」であり「アラベラ」だったわけです。その「我らが町の偉大な音楽家」の作品を「我らが歌劇場の音楽監督」が一度も指揮しないなどと言うことは考えられないことだったのです。
当初は好意を持って迎えられたフリッチャイだったのですが、R.シュトラウスを演奏する気がないとわかってくると徐々に風当たりが強くなっきて、ついには劇場側もフリッチャイの意向に真っ向から対立して後任にカイルベルトを据えようとする動きも出てくるまでに深刻化したのです。
それでも、フリッチャイはR.シュトラウスを指揮しようとはせず、そのトラブルから来る深刻なストレスが病をまねいたのではないかと言われるほどだったのです。
このレパートリーをめぐるトラブルについてフリッチャイ自身は一切語っていませんから、ここからは全くの推測になります。
おそらく、フリッチャイはこの時期あたりから、自分にとって真に価値のあると思えるような作品しか演奏したくないという思いがあったのではないかと考えられます。そして、彼がR.シュトラウスのオペラ作品を取り上げなかったのは、その作品の価値に対する抜きがたい懐疑があったのではないかと推測されます。取るに足りないと切って捨てるような作品ではなかったのでしょうが、モーツァルトやヴェルディと肩を並べるような音楽とも思えなかったのでしょう。
そして、そのような強情さが劇場側との深刻なトラブルを引き起こしても節を曲げなかったところを見ると、彼の中で既に「真に価値ある音楽だけを取り上げたい」という思いが強烈に存在していたことがうかがえます。
もっとも、フリッチャイ自身は何も語っていませんので本当のところは誰も分からないのですが、彼の中でわき上がりつつあった何らかの「変化」がこの第9の演奏の中に反映していることは間違いありません。
聞いてすぐに分かるのは、それまでの颯爽とした快速テンポは捨てて、かなりじっくりと丁寧に音楽を歌い上げていることです。コメント欄でも指摘していただいたように、この後のフリッチャイは、価値ある作品を真に価値あるものとしている音楽の構成や仕組みみたいなものをひたすら丁寧に、かつ精緻に描き出していくようになります。そのような変化の端緒がこの第9の録音からははっきり聞き取ることができます。そして、そのような変化によってもたらされた美しさは第3楽章において見事に結実しています。もちろん、それに先立つ2つの楽章もじっくりとしたテンポでこの上もなく誠実にベートーベンの音楽を構築しています。
しかし、この録音の最大の問題点は最終楽章でしょう。
フリッチャイが誠実に音楽を再現しようと思えば思うほどに、この楽章が抱えている弱点が露わになっていく様子が手に取るように分かります。そして、独唱陣の顔ぶれが立派であるがゆえに、その「弱さ」がさらに増幅されるような思いにとらわれる場面も多々あります。フィッシャー=ディースカウがこの後二度と第9の録音に参加しなかったのも何となく納得してしまうような演奏になっています。
とは言え、トータルしてみれば充分に立派な第9ですし、何よりもフリッチャイの過渡期の姿を刻み込んだ録音としての価値は大きいと言わざるを得ません。その意味では、是非とも第9→第7番→第5番とセットで聞いてほしい録音です。
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よせられたコメント 2013-11-14:セル好き この録音をリマスターCDで聴くまでは、第3楽章までで再生を止めることが多かったのですが、これを聴いてからは第4楽章もよく聴くようになりました。
まず、最初の方の各ソロ歌手と木管楽器の掛け合いが軽妙ですばらしく、すっかりはまってしまいました。ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊は、大人の混声合唱もあるのでこのときどういった編成なのかよく分かりませんが、どことなくボーイソプラノ等の教会合唱のような響きで祈りが感じられ、ともすれば祝祭的なスペクタキュラーが売りの演奏に食傷気味のところ、大変新鮮でした。 2013-11-20:シューベルティアン 人間の仕事である、ということが如実に伝わる。いいかわるいかよりも、好きかきらいかを問われる。これがきらいという人がいようか? 2023-07-04:白玉斎老人 音だけを伝えるサイトでは、こんな感想は反則技かもしれない。
「LPジャケット美術館 クラシック名盤100選」(高橋敏郎著、新潮社)で見た、LP初出版でのカバーイラストが、この演奏を聴くきっかけになった。米国人画家ベン・シャーンによるベートーベン像は、楽聖の持つ厳しさと温かさとを描出していて、これは演奏と不可分のものであるはず、と思わずにいられなかったからだ。
シャーンはスラム街に生きる人たち、失業者、そして第五福竜丸の乗組員など、弱い立場にある人々に強く共感する画家だった。シャーンの人柄がにじむイラストに違わず、フリッチャイが指揮する管弦楽団と歌手たちは、厳しさと温かさが併存する音楽を生み出していた。
「レコード芸術」の休刊に象徴されるように、音楽はLP、CDから動画・音声配信で享受する時代に移った。ジャケットと音楽が相乗効果でファンの心を掴んだ、LP全盛期に立ち会えた世代が羨ましい。