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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1

(P)クラウディオ・アラウ 1966年4月録音



Beethoven: Piano Sonata No.9 In E, Op.14 No.1 [1. Allegro]

Beethoven: Piano Sonata No.9 In E, Op.14 No.1 [2. Allegretto]

Beethoven: Piano Sonata No.9 In E, Op.14 No.1 [3. Rondo (Allegro comodo)]




拡大の後の収縮

ベートーベンという人の創作の道筋を辿っていると、大きく足を踏み出した後に、その勢いに乗ってどんどん前に進んでいくことはしなかったことに気づきます。
例えば、交響曲の分野で言えば、エロイカの後に書いたのは「北方の巨人にはさまれたギリシャの乙女」と称される第4番の交響曲でした。

もちろん、「Grande Sonate Pathetique」は「エロイカ」ほどの飛躍をもたらしたものではないのですが、それでも彼の初期ソナタの総決算という大きな意味をもつ作品でした。そこで、ベートーベンは古典的な均衡よりは率直な人間的感情の表出にこそ自分の進むべき道があることを宣言したような音楽でした。
そして、普通ならば、そう言う宣言の後には、その宣言にそってさらに一歩、歩を前に進めるのが普通なのですが、なぜかベートーベンという男はそこで踏みとどまって過去との折り合いを探りはじめるのです。

その意味では、「Grande Sonate Pathetique」とそれに続く作品14の2つのソナタの関係は、エロイカと第4番の交響曲との関係をより小ぶりにしたものだと言えます。
それ故に、「悲愴ソナタ」によって大きく一歩を踏み出したにもかかわらず、その外見はそれ以前に作曲された作品10のこぢんまりとした2つのソナタ(6番と7番)に似通っています。

しかしながら、第4番の交響曲が必ずしも第1番や第2番の交響曲への先祖帰りでなかったのと同様に、この2つのソナタも単純に先祖帰りをしたわけではなかったようです。
確かに、この2つのソナタはかなり控えめな規模の作品であり、演奏上の困難も小さいので、おそらくは演奏会ではなくて家庭における演奏を前提とした作品であったと考えられます。とりわけ、第10番のソナタはベートーベンのソナタの中でももっとも演奏が容易なものの一つであり、今も学習用によく使われる作品です。

それでも、例えば、第9番のソナタの第2楽章は三部形式のメヌエットではあるのですが、そこには明らかにスケルツォ的な暗い情念が宿っていることは明らかです。
また、第10番のソナタでは小節の頭が揃っていない印象を与えるような箇所があちこちに登場します。ローゼン先生はそれをハイドン流のジョークと呼んでいますが、それ故にソナタというよりはユーモラスなパガテルを思わせるとも書いています。

つまりは、古典的な引き締まった形式感の中で、その枠の中にきちんと収まる形で色々な感情の発露を試しているように聞こえるのです。

そして、その事を評価する人は、弟子のシンドラーが「最も内容の優れたものであるにもかかわらず、あまり認められない作品」だと述べている事に同意するのです。
しかし、その行儀のよい佇まいに対して、大きく一歩前進した前作の「悲愴」からの逆戻りと受け取る人は「駄作」と切って捨てるのです。

繰り返しになりますが、ベートーベンという男は意外なほどに慎重であり、それ行けどんどんで猛進していくタイプではなかったことだけは確かです。


ピアノソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1


  1. 第1楽章:アレグロ ホ長調 (ソナタ形式)

  2. 第2楽章: アレグレット ホ短調 (3部形式)

  3. 第3楽章: ロンド アレグロ・コモード ホ長調



アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニストと言えそうです


日本の伝統芸能の世界には「芸養子」なる制度があります。能や歌舞伎の役者に子供がいない場合には、能力がある弟子を実際の子供(養子)として認めて育てていくシステムのことです。
芸事というのは、大人になってから学びはじめては遅い世界なので、芸事の家に生まれた子供は物心が付く前から徹底的に仕込まれることでその芸の世界を次に繋いでいきます。ですから、伝えるべき子供がいないときには、「芸養子」を迎えてその芸を継がせるのです。

アラウという人の出自を見てみると、彼もまた「芸養子」みたいな存在だと思わせられました。
彼は幼くしてリストの弟子であったクラウゼの家に住み込み、そのクラウゼからドイツ的な伝統の全てを注ぎ込まれて養成されたピアニストです。ですから、出身はアルゼンチンですが、ピアニストとしての系譜は誰よりも純粋に培養されたドイツ的なピアニストでした。

まるでドイツという国の「芸養子」みたいな存在です。
彼の中には、良くも悪くも、「伝統的なドイツ」が誰よりも色濃く住み着いています。

言うまでもないことですが、楽譜に忠実な即物主義的な演奏はドイツの伝統ではありません。ですから、アラウの立ち位置はそんなところにはありません。
おそらく、伝統的なドイツから離れて、そう言う新しい波に即応していったのはどちらかと言えばバックハウスの方でした。

こんな事を書けば、バックハウスやケンプこそがドイツ的な伝統を受け継いだ正統派だと見なされてきたので、お前気は確かか?と言われそうです。
しかし、60年代の初頭に一気に録音されたアラウのベートーベン、ピアノソナタ全集をじっくり聞いてみて、なるほど伝統的なドイツが息づいているのはバックハウスではなくてアラウなんだと言うことに気づかされるのです。

言うまでもないことですが、芸事の伝統というのは学校の勉強のようなスタイルで伝わるものではありません。そうではなくて、そう言う伝統というのは劇場における継承として役者から役者へ、もしくは演奏家から演奏家へと引き継がれるものです。
そして、その継承される内容は理屈ではなくて一つの「型」として継承されていきます。そして、その継承される「型」には「Why」もなければ「Because」もないのが一般的です。

特に、その芸事の世界が「伝承芸能」ならば、「Why」という問いかけ自体が「悪」です。何故ならば、「伝承芸能」の世界において重要なことは「型」を「伝承」していくことであって、その「型」に自分なりのオリジナリティを加味するなどと言うことは「悪」でしかないからです。
それに対して、「伝統芸能」であるならば、取りあえずは「Why」という問いかけは封印した上で「型」を習得し、その習得した上で自分のオリジナリティを追求していくことが求められます。

「伝統芸能」と「伝承芸能」はよく同一視されるのですが、本質的には全く異なる世界です。
そして、西洋のクラシック音楽は言うまでもなく「伝統芸能」の世界ですから、「型」は大事ですが「型」からでることが最終的には求められます。

しかし、「伝承」の色合いが濃い演奏家というのもいます。
そう言う色分けで言えば、アラウという人はドイツの「型」を色濃く「伝承」しているピアニスト言えそうなのです。

この事に気づいたのは、チャールズ・ローゼンの「ベートーベンを読む」を見たことがきっかけでした。
このローゼン先生の本はピアノを実際に演奏しないものにとってはかなり難しいのですが、丹念に楽譜を追いながらあれこれの録音を聞いてみるといろいろな気づきがあって、なかなかに刺激的な一冊です。
そして、ローゼン先生はその著の中で、何カ所も「~という誘惑を演奏者にもたらす」という表現を使っています。

そして、そう言う誘惑にかられる部分でアラウはほとんど躊躇うことなく誘惑にかられています。

例えば、短い終止が要求されている場面では音を伸ばしたい要求にとらわれます。そうした方が、明らかに聞き手にとっては「終わった」と言うことが分かりやすいので親切ですし、演奏効果も上がるからです。
アラウもまた、そういう場面では、基本的に音を長めに伸ばして演奏を終えています。
例えば、緩徐楽章では、その悲劇性をはっきりさせるために必要以上に遅めのテンポを取る誘惑にかられるともローゼン先生は書いています。その方が悲劇性が高まり演奏効果が上がるからです。
アラウもまた、そう言う場面ではたっぷりとしたテンポでこの上もなく悲劇的な音楽に仕立てています。

そして、そうやってあれこれ聞いていてみて、そう言う誘惑にかられる場面でバックハウスは常に禁欲的なので驚かされました。
そして、なるほど、これが戦後のクラシック音楽を席巻した即物主義というものか、と再認識した次第です。

逆に言えば、そう言う演奏効果が上がる部分では、「楽譜はこうなっていても実際にはこういう風に演奏するモンなんだよ」というのが劇場で継承されてきた「型」、つまりは「伝統」なのだとこれまた再認識した次第なのです。

そして、バックハウスは「型」を捨ててスコアだけを便りにベートーベンを構築したのだとすれば、アラウは明らかに伝統に対して忠実な人だったと言わざるを得ないようなのです。

そして、クラシック音楽の演奏という行為は「伝承芸能」ではないのですから、そう言う「型」を守ることはマーラーが言ったような「怠惰の別名」になる危険性と背中合わせになります。
このアラウの全集録音が、そう言う危険性と背中合わせになりながらもギリギリのところで身をかわしているのか、それともかわしきれていないのかは聞き手にゆだねるしかありません。


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2018-02-06:benetianfish


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