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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ロストロポービッチは1992年の全曲録音と同時に、自らこの組曲について語った映像を残しています。その冒頭で彼は「自分はこれまでバッハの無伴奏を2度・・・40年前モスクワで2番を、1960年ニューヨークで5番を録音したが、(未だに)その自分を許せない」と語っています。そして、自分にとって1957年パリで会ったカザルスの影響が如何に大きいかについても述べています。
・・・・恐らくこれらの言葉に偽りはないでしょう。そして、彼がこの1955年の全曲演奏について過去の懐古の中で触れさえしていないのは考えさせられます。
そのロストロポービッチが満を持して録音した1992年の全曲録音は、如何に偉大で記念碑的な演奏となるのか・・・当時絶大な期待をもって待ち望まれた演奏でした。しかし、その演奏を聴いた多くの人は、一種言葉にできない”?”・・・と言う感覚にとらわれたのではないかと思います・・・・私もその一人でした。その”?”の実態が何であったのか、私には今もって明確な答えはありませんが、数年前スプラフォン・レーベルで発売されたこの1955年のプラハでのライブ録音を聴くと、作曲家、演奏家、そして聴衆という関係の中で築かれていく音楽の営みの深みの一端を教えられるような気がします。
恐らく、この1955年の全曲演奏は後年のロストロポービッチにとっては見つけようと思えば幾らも欠点のあるやはり”許しがたい”ものなのだと思われます。しかし、一聴衆として聞くこの演奏には若さ故の”ひた向きさ(他には得難い美点)”(・・・と、恐らく無分別・軽率・無鉄砲?)があり、そこにはバッハの情熱の一側面が捉えられている・・・・と、”聴く”だけの無邪気な聴衆は感じるのも事実。そして、この1955年の演奏を聴いて、改めて1992年の録音を聴くとロストロポービッチが分析し研究し理解し考え尽くして(なお届かぬ?)追い求めたものが何であったのか、朧気ながら見えるような気になるのも(まあ、聴くだけの聴衆の勝手な思い込みですが・・・)事実です。
何やら、中島敦の小説「名人伝」で空手で弓を射て”好漢いまだ不射之射を知らず”と言う仙人のような捉えどころのない話ですが、私にとっては今もこの1955年の録音はロストロポービッチと言う稀代のチェリストが何者であったかのかを示す貴重な記録であるのと同時に、(時々ではありますが・・・・)1992年の録音とペアで聴きたくもなる録音でありました。
- 2020-01-07:鶏ちゃん
- 内田光子さんはインタビューで、本拠地をロンドンに移した事のブレンデルを、最も尊敬すると仰っていました。丁度石油ショックの時期で、ロー・ポテンシャルの音楽が流行っていた時期でした。熱演する人も、多少様式が落ち着いて音符を眺めるような様式、になっていました。演奏家個人個人、反応は違うのは間違いないです。
兎に角、内田さんもロンドンに居て、ピアニストの先頭を切って変わっているのは、ブレンデルですと仰っていました。最もロンドンで大きなホールも、観客で溢れていました。
ラフマニノフやチャイコフスキーを弾かず、ショパンも弾かないピアニストでした。
技術的にも、大コンクールで優勝する事も無く、ポリーニやアシュケナージのような、現代的な技術も持ち合わせていませんでした。
しかし、スコダ・デムス・ヘブラーはロンドンで最も大きいホールを、観客で一杯にする力はありません。
グルダはどうでしたかね?アルゲリッチは何度も教えて貰いに行っていましたが、先ほどの三人のウイーンのピアニストよりは、技術的に高いと思います。
撮り直せば、ミスタッチは消えるので・・・。
ミケランジェリのテクニックは、今の時代に持ち込んでも、凄いと思う物が残っています。
ブレンデルは、技術的には、切れ味は無いです。
目先の切れる男で、売れるように、音楽・レパートリーをコントロールしていたのは確かです。
ヴォックス時代の録音も、聴くべき物が沢山あると言われるのは、確かにそう思います。
田園ソナタの特徴は、四楽章形式を取って、ベートーベンのピアノソナタの初期帰り。交響曲的な形式。ベートーベンに限らず、凡庸な作曲家にも沢山書かれた、最初の低音を固定して伸ばした、バッグパイプと言っても良いけれど、バロックからあった田園交響曲(正確には、パストラールシンフォニー、色んなコンチェルトグロッソの一つの楽章、メサイアの中にもそう名付けられた間奏曲もある)。ソナタとは無関係な、一楽章に名付けられている方が、場合としては一般的。
大切な事は、同じ音を伸ばす通奏低音を使った書法を使っている事。
ベートーベンは、自分の発明は少なくて、古い物から良い処を、大量に抽出する事を、作曲に使っている。しかし、自分の発明した事が途轍もない事で、それらを巧みに、巧みに継ぎ接ぎして、音楽を書いている。違和感を巧妙に、小さい処で抑えながら、情報量としては大量な物にしている。
故に、後の世まで残って来るけれど、同時代的には演奏家に無理を要求している。
分からない人には、分からなくなってしまうし、私たちだって本質が見えない。
こうやって、古典派的な音楽を、ロマン派に乗り移らないで、作っている。同時代の古典派的な作風の作曲家は、ロマン派的な音楽が書けずに、作曲家を終えている。
しかも、作品が残っていない、難しい時代だった。
- 2020-01-05:joshua
- 初春のお喜び、申し上げます。
年末より、頸痛に悩まされて、お屠蘇で忘れたか、と思うと、また痛みが戻ってくる中、フォイエルマンの演奏、4曲聞かせて頂きました。昭和9年の録音、まず、日本の録音技術にあっぱれ! 針音こそすれ、この明晰さと臨場感で、フォイエルマン、炎の男を聴けるのは、至福のひとときでした。かの斎藤秀雄氏が、フォイエルマンに習ったというのも初めて知りました。nhkで、昔、女性手帳というインタビュー番組がありました。先日、偶然YouTubeで、在りし日の斎藤氏が写ってるじゃないですか!氏の闊達な喋りっぷり、小一時間聴き入りました。太平洋戦争に入る10年に満たない前、チェロを通して東西の芸術的邂逅があったんですねえ。時は、ワルターがウィーンで名演の数々を、あのトスカニーニも魔笛を振っていた頃、我が両親なぞは5つに満たない幼児。その後、急展開していく現代史のなか、自分も気付くと、還暦目前です。取り留めのない感想で終わってしまう前に、この演奏、録音のあった1930年代は、芸術と録音技術が幸福に結びつき、人のこころに、束の間、余裕があったんでしょう。その点、まだまだ、public domainには期待が出来そうです。70年代以降のPB化は遠く先でも、それで構いません。YUNGさん、今年も、期待一杯に、このサイト、来させてもらいます( ??? )
- 2020-01-03:RYOUITI FUKUDA
- 本当にこれを聞くとミュンシュも同じイギリスのマリナーもイマイチ。
本当に音楽とはこういう事なんですね
- 2020-01-03:yk
- 確かに新年早々”とんでもない「欠落」”ですね。本アーカイブにとって、ゴーン氏の(密?)出国を許した我が国のザル出国管理体制の失態に匹敵する失態と言えましょう・・・^_^;
SP初期からSTEREO時代まで長きにわたって録音活動を行ったワルター最後の・・・・しかも”モーツアルトの交響曲の・・・・録音として、これら一連の録音の価値は演奏の良し悪しの埒外でも演奏史・録音史(とソノ評価史)の記録としても貴重なものだったと思います。
私個人は米国移住後の録音としては、このステレオ盤のほうが長らく”好き”だったのですが、それには客観的評価と言うより私が初めて聴いたワルターのモーツアルトがこのステレオ盤だったという刷り込み効果もあったのだと思います・・・当時、CBSは商業政策として当然コレを”新録音”として前面に出して売っていました。一方、この”新録音”が出た当初、もっと昔からワルターを聴いてきた通の評論家の中には当然(?)”音質”はともかく”演奏”はNY での旧録音を”優れた”演奏として推す声が結構あったのも事実でしたが、今ワルターの新旧録音を自由に聞くことが出来る時代になってみると、ワルター自身にしてみれば自分の新旧録音のあれこれが”優劣”を基準に評価されるのは(止むを得ないこととは理解しながらも)どこかピント外れの感もするのではないかという気がします。
コロンビアとのSTEREO録音当時、ワルターも当然自分の年齢のことは考えたでしょう。彼としては、NYとの一連の録音を終えて一応自分の演奏の”公式”集大成を一通り完結することが出来たという思いもあったのではないかと思いますが、そこにSTEREOという新技術と自由な録音環境と言う新しい提案を提示されて、ワルターも色々思案したのでしょう。彼としては、NYでの旧録音をただより良い音質の為にだけ再録音するというのは何とも納得はいかなかったでしょうから、自分に残された時間内で出来る何か意味のある記録として自らの”私的”告白・私(試)演としての記録・・・と言ったものを考えたのではないかと私は思っています。その意味で、彼はコロンビア交響楽団の薄い響きも止むを得ないものとして受け身で受け入れたというより、納得した上で(場合によれば我儘かもしれない)私的告白を積極的・能動的にその薄い(透明な?)響きを生かして演奏に込めようとしたのではないかと・・・。
<管理人からの追記>
おそらく過去に一度アップしてあったのですが、どうやら録音クレジットを誤っていて、もう一度調べ直してから再度アップしようと思って削除していたようです。そして、いつの間にかその削除したことも忘れてそのまま放置してしまったようです。
まさに、一度捕まえながら逃げられてしまったどこかの国の出国管理体制のようなお粗末でした。(^^;
- 2020-01-01:豊島行男
- 素晴らしい演奏だと想います!
タッキーノは60年代にモーツアルトのピアノソナタ集の録音がありまして、廉価版シリーズ・セラフィムの定番でした。
中学生の頃、聴いたきりの録音ですが、その後いろんな演奏を聴いたものの、妙に耳に残っています。
ラフマニノフもいいですね?
- 2019-12-26:joshua
- 世の中は、メサイア、第9、ジルベスターなんて騒いでますが、かえってこんな時聞きたくなるのが、バッハの無伴奏。
それも、チェロの方。ヴァイオリンにありがちな切迫感から解放されて陰に陽にゆったり浸ることができます。肩掛けチェロのチェロ ダ スパッラもいい。
これは映像にも映えます。セルゲイ マーロフなどYouTubeで感心します。
ビオラの今井信子、川本嘉子、また一風違う良さがあります。
とうとう、行き着いたのは、曲はそのままに、無伴奏チェロをヴァイオリンで弾くレイチェル ポッジャー女史です。
これは軽やかさとおおらかさの同居する理想世界。ニコレがフルートでやってたのに、近いでしょうか。その昔、ジャズのロンカーターがピチカートオンリーで同曲をやってました。ここまで来ると、沈潜の世界。撥弦でいくなら、福田真一のギターや
マンドリンの何某、挙げ句は、サキソホン、ファゴットも味わってみました。そういや、ホルンのバボラクも面白くはありました。
- 2019-12-23:しょうちゃん
- 聴けば聴くほどに味わいが深まる名曲、名演奏ですね。40年前から聞いていますが、秋篠音楽堂でペーターシュミードルさんの実演を聴いてからますます好きになりました。特にウラッハのこの演奏は泣けてきますね。
ブラームスの音楽の魅力は、どんな時も音と音との間に常に程よい緊張感があることに帰しますね。
- 2019-12-21:gkrsnama
- この盤で驚くことは、「和声法を壊すような異様な音」が、そうですねえ他にはジェズアルドやチコーニアやミヨーが使ったような音といったらいいでしょうか。そいうのがはっきり聞こえてくるんです。それまでどの盤からも、そういう音は聞こえてこなかった。(他っていうと、ミクちゃんが歌った音源からも聞こえました。)
調べると譜面にはちゃんとあるんです。しかし誰もが、その音はごくかすかに決して耳につかないよう弱く軽く演奏するわけです。で、ちょっとだけ先進的な耳慣れた音楽の捧げものが完成するわけ。
でもなぜバッハがああいう音を書いたんでしょう。バッハの技術が不足していたからなんでしょうか。ジェズアルドやゼレンカについてもそういわれ、こちらは当たっているかもしれない。しかしよりにもよってバッハが「実は無能」ってのはねえ。
もう一つは、主題がその音を強制するというもの。しかし対位法の法則には、和性が狂うときは柔軟に音を変えていいってのがありまして、それも考えずらい。
さいごは、意識して書いたってやつ。そう思って注意していると、ああいう音は最晩年の作品に時折出る。そして次にああいう音を使うのは、ダリウスミヨーです。
バロック音楽の作曲家というバッハの通念が、ガラッと変わるかもしれません。そして「あえてそういう音をくっきりと鳴らした」マルケヴィッチの慧眼も。
マルケヴィッチ版の盤はリンドンでしたっけもう一つ出ています。そちらはどうでしょう。
- 2019-12-21:joshua
- 落ち着いている、という解説を読んで、50年代、つまりヘンデル20台のメンデルスゾーンやブラームスも聴いてみました。
ハイフェッツのような上手さとは別の上手さ。必死にならない音程正確、まるで、something greatが彼女をして弾かせてるかのよう
余裕ともまた別聞きやすいのも事実だけど、これしかない、とまでは思えないのも事実。
- 2019-12-17:Wernicke
- いつもお世話になっております。
「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」とは、おそらく「パリ音楽院管弦楽団」の変名と思われるとのことですが、孫引きで恐縮ですが、初出LPにはソリストがクレジットされており、フルートのルボン、オーボエ・ダ・モーレのカシェ、ホルンのテーヴェといった、クリュイタンス時代のパリ音楽院管の伝説的な名手、サキソフォンはパリ・ギャルドの首席サックス奏者R GateauとF Lhommeとのことです。
また何といっても、ヴィンゴ・クロボカールがトロンボーンのソロをとっている、トロンボーン吹きにとっては貴重な録音です。トロンボーンのグロボカールは、作曲家レイボヴィッツの弟子にあたるようです。
- 2019-12-13:ks
- 聖職者なのに スケベ根性に悩まされる哀れなフランク。
うずく情念のような側面を持つ曲にしか聞こえてこない。
ワーグナー的か?
フルトベングラーはうずく情念を 自然な流れの音楽 に表現しているように思えるが。
- 2019-12-12:joshua
- なるほど奇観、奇型、異形ですね。
第一楽章、後方、4本のホルンが、なんと!ゲシュトップで奏されるのです。すぐにオープン奏法に戻りますが。それにトランペットのアクセントが各所で異様に強いです。
何故、指揮者がこの録音を許諾したのか、プロデューサーのミスで世に出てしまったのか?
でも、ホルンもトランペットも吹き方の問題であって、【決して下手ではありません。】
私には、同じ面子が鳴らし方を変えただけに聞こえますが、如何なものでしょうか?
- 2019-12-10:逢坂 響
- あまりの名演に驚嘆しました。
私は音楽史上の交響曲のベスト10にこの曲を入れてもよいと思うくらい、このニールセンの5番を評価していましたが、それにしても恐るべき情報量を有した演奏です。
もしかしたら、これこそがバーンスタインの才能が最も出し尽くされた演奏かもしれないとまで思ってしまいます。
この曲(およびニールセンの交響曲)の代表盤は、現在に至るまで某N響桂冠名誉指揮者が80年代にデッカに行った録音であり、私も愛聴してきましたが、このバーンスタインの演奏と比較したら「劣化コピー」です。
実際、両者似ている表現が多々あり(例:第一楽章で小太鼓が登場し、トライアングルが打ち鳴らされるあたりの語り口)、バーンスタインの演奏がベースになっていたのかもしれません。
- 2019-12-07:joshua
- de vitoさんは、87で長逝しましたね。
現役引退は50過ぎで、円熟期にミステリアスな終わり方でした。
ストイックな方だったこともあったんでしょう。
コンクール優勝に飽き足らず、11年の研鑽の後、ブラームスのコンチェルトで再デビューしたんですから。このメンデルスゾーンも、技巧では昨今の比ではありませんが、いかにも味のある演奏です。上手いだけじゃない。オークレールも同じく、引退は早く、少ないながら、味のある演奏を残していってくれました。
- 2019-11-24:yk
- 私も初めて聞かせていただいた録音です。いい(私好み)の演奏ですね。小細工なしにオーケストラを鳴らし切ってなお淀みのない音楽が聞こえるところなど、どこかフルトヴェングラーを思い起こさせるような気がします・・・・それだけに、カラヤンが先頭を走り始めた時代にあって、今更フルトヴェングラーもどき・二番煎じ(おまけに親ナチなところまで似ている!?)でもあるまい・・・・と受け止めっる向きがあっても不思議ではなかったとも思える。時代を経て改めて評価されていい演奏だと思います。
- 2019-11-22:joshua
- ヨッフム、と言えばブルックナーではなくてクリップスに匹敵するほど、モーツァルトなのでは?
ここではバイエルンのヨッフムも、60年代には、後年クリップスがモーツァルトで多くの交響曲を振ったアムステルダムコンセルトヘボウをで後期のモーツァルトを楷書体で録ってるんですから
- 2019-11-21:北極
- これは、歴史的演奏といっても過言ではないのではと感じます。
南仏の太陽。
ほっとする演奏です。
- 2019-11-21:北極
- レオ・ドリーヴ「シルヴィア」の「バッカスの行進」にも通じる私好みの滔々とした演奏です。
- 2019-11-13:theta
- パレナンSQの名演をシェアして下さり有難うございます。かつては入手困難だった音源がこうして誰でも聴けるように公開されるというのは嬉しいことですね。
小生はドビュッシー、ラヴェルのクワルテットといえばカペーに止めを刺すでしょう、というような変態ですが(笑)パレナンの、佳い意味ので?ゆるさ?といいますか、絶妙のヘタウマ感に、仰る通り今では存在しなくなった種類の《技巧》を感じます。フランス楽派らしいソノリティーの質も含め、美意識が均質化した現代の演奏からは得難いものですね。喜ぶ方は少ないかもしれませんが、こういうローカル文化の香りを伝える音源をまたご紹介していただければ嬉しいです。
- 2019-10-29:アニサン
- いつも楽しませていただいています。ありがとうございます。このクオリティーの録音が80年前とはビックリ。他の曲も聞かせていただきます。
- 2019-10-23:joshua
- 星の数ほどある音楽演奏
スティーヴン サイモンの指揮を悪く言って切り捨てるのは簡単ですが老いたリリーをいたわる指揮とは背景を知らずして想像の及びがたいところです
録音がリリースされる背景は聞こえる音に慈しみをましてくれました
- 2019-10-20:yk
- 演奏家の”老い”をどう評価するのか?・・・難しいところですね・・・と言うか、”老い”を”評価”するということ自身、ある意味でとても残酷なことに違いないとも思います。けれども演奏家である限り、その演奏は”評価”され、その評価には不可避的に”老い”も含まれてしまいます。若かりし頃の颯爽とした姿(演奏)に心惹かれた演奏家の老いた姿をどう感じるかは、聴く者の(特に”老い”の)歴史も関わって複雑微妙でもあり得るのかもしれません・・・・”ひび割れた骨とう品”もあれば”神仙の妙”もあり得る所以でしょうか?
このクラウスの協奏曲全集の発売当時、まだそれほど選択肢の無かったモーツアルトの初期協奏曲などについては、私もこの全集のお世話になったことがありました(私の年齢をお察しください)。しかし、モノラル時代のクラウスの演奏には惹かれることも多かった私でしたが、特に後期の協奏曲などではこの全集”にとても”がっかりした覚えがあります。その”がっかり”の原因が”老い”によるものかどうか、私も50年ぶりに聴いてみようと思います。
因みに、”ある高名なピアニスト”については私最近の演奏は全く聞いていないのでトヤカク言えませんが、クレーメルと初来日した時から一目置いてきたので、まっ、お手柔らかに・・・・^^;
- 2019-10-13:joshua
- チェコフィルがいいですね
マーラーの中でも、クレンペラーはこの第一番、巨人を嫌ったそうです。
確かに、第4楽章に、神経質に感じられる箇所がいくつかあり、
そこはサラッとやってほしいとは思ったことはあります。
アンチェルは上手く聴かせてくれます。
トランペット、ホルンが、うるさくないのに、十分聞こえるのも満足しました。
- 2019-10-13:風太
- 混沌とした沈んだ世界が感じられる演奏です。
美しいが明るくはない。
- 2019-10-01:joshua
- 綺麗な音、オイストラフほどでないにしても豊かな音量、ゆったりしているのに間延びしないテンポ、さらに、1953年とは信じがたい録音のよさたいへん満足しました。
余談ですが、オイストラフ クリュイタンスでこの曲を初めて聞いた40年前。
いろいろ聞いて、大らかさが何よりの、この曲だと思います。
- 2019-10-01:sumiyamaru
- これはいい音ですねー!
最近は新譜やめて、貴サイトばかり聞いています。
初心者なので解説見ながらポイントを勉強中。
私の生まれた時期にこんなにも素晴らしい演奏
そして録音があるなんて信じれんです。
色んなものが濃い感じがします。
有り難いと感謝申し上げます。
ご健康で永く運営されんことを祈っております。
- 2019-10-01:古川賢一
- "最近もとある方から50年代や60年代の録音ばかり取り上げて馬鹿じゃないのか、と言うメールをいただきました。"
自分の趣向が唯一絶対という人、趣味の世界には結構いますよね。
そう自分で思っているだけならまだしも、そういう人って、大概押し付けがましいし、なんだかんだと絡んでくる (^_^;)
私は節操がないのか、色んな人のいろんな意見、好みを聞いて、なるほどねえと思うことが多々あります。尤もそれで自分の意見を変えるわけでもないですが。
それはともかく、こういう香り高い演奏は好きですね。
これを聞いて熱くならないで、曲の構成なりを解析したり、うんちくを垂れるだけなんて、もったいない。それなら作品解説の本を読んでいればいいだけでしょう。
- 2019-09-16:川瀬 崇
- この歌を歌いたいと思ってお手本を探していました。私は元々バリトンなのですが、古稀を超えた最近、低音が出なく(響かなく)なってしまいました。やむなくテノールのキーで歌っています。近いうちこの歌をYouTubeにアップしようと思っています。但し私自作の日本語訳詞でです。 がりがりのシューベルトマニアで、YouTubeに約40曲アップしています。楽譜本も出しています。
- 2019-09-15:平谷浩一
- 私が初めて聴いた歌曲集がこのレコードです。原調より低い音程で謳っていますが、却って落ち着いた雰囲気が出ています。1950年代に大阪でコンサートにも行きました。庶民的で暖かい人格を思わせる歌いぶりでした。派手ではないが手抜きのない誠実な歌いぶりで感動したのを覚えています。ハンスホッターのレコードはだいぶ買っています。身近に感じる素晴らしい歌手ですね。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)