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マルケヴィッチ(Igor Markevitch) |バッハ:音楽の捧げもの, BWV 1079
バッハ:音楽の捧げもの, BWV 1079
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 フランス国立放送管弦楽団 (harpsichord)Denyse Gouarne (vn)Henri Bronschwak (cello)Jacques Neilz (fl)Fernand Dufrene 1956年6月18日~29日録音
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [1.Regis issu cantio et reliqua canonica arte resoluta Ricercar a 3]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [2.Regis issu cantio et reliqua canonica arte resoluta Ricercar a 6]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [3.Sonata sopr' il soggetto Reale a traversa, violino e continuo 1. Largo]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [4.Sonata sopr' il soggetto Reale a traversa, violino e continuo 2. Allegro]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [5.Sonata sopr' il soggetto Reale a traversa, violino e continuo 3. Andante]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [6.Sonata sopr' il soggetto Reale a traversa, violino e continuo 4. Allegro]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [7.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 1. Canon a 2 cancrizans]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [8.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 2. Canon a 2 violini in unisono]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [9.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 3. Canon a 2 per motum contrarium]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [10.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 4. Canon a 2 per augmentationem, contrario motu]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [11.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 5. Canon a 2 per tonos]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [12.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 6. Fuga canonica in epidiapente]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [13.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 7. Canon perpetuus super thema Regium]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [14.Thematis Regii elaborationes canonicae-Canones diversi super Thema Regium 8. Canon perpetuus]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [15.Thematis Regii elaborationes canonicae-Quaerendo invenietis 9. Canon a 2]
Bach:Musical Offering, BWV 1079 [16.Thematis Regii elaborationes canonicae-Quaerendo invenietis 10. Canon a 4]
バッハの意地
バッハ最晩年の作品であり、「フーガの技法」と並んで特別な地位を占める作品なのがこの「音楽の捧げもの」です。
よく知られているように、この作品はプロイセンの国王であったフリードリヒ2世が示した主題(王の主題)をもとにした作品集です。王の主題は、「3声のリチェルカーレ」の冒頭に提示されています。
見れば(聞けば?)分かるように、非常に「現代的」な感じが漂う主題であり、バッハの時代においてはかなり異様な感じのする旋律だったはずです。当然の事ながら、これを主題として処理していくのは不可能とまでは言わなくても、かなりの困難さがあることは容易に想像がつくような代物です。ですから、本当にフリードリヒ2世自身がこの主題を示したのかは疑問です。
当時、プロイセンの宮廷には息子であるフィリップ・エマヌエル(C.P.bach)が勤めていたのですが、そこへ親父であるバッハが尋ねてきたのです。おそらくは、この宮廷楽団の中でバッハ一族の力が伸びていくのを快く思わなかった一部の音楽家達が、その鼻っ柱をへし折ってやろうという「悪意」に基づいて作り出したものではないかと想像されます。(真実は分かりませんが・・・)
何故ならば、フルート奏者としても名高かったフリードリヒ2世は作曲も行っていて幾つかの作品が残されているのですが、その作風はこの主題とは似てもにつかないギャランとな性格を持っていたからです。
ただ、バッハの高名はプロイセンにも届いていましたから、その実力の程を試してやろうという「悪戯心」は王も共有していたかもしれません。
しかし、王にとっては一場の座興であったとしても、バッハにしてみれば真剣勝負であったはずです。そして、「どう頑張ってもこの主題をもとにフーガに展開などできるはずがない!!」とほくそ笑んでいる反対派の音楽家を前にしてみれば、絶対に失敗などできる場面ではなかったのです。
それ故に、ここではバッハという人類が持ち得た最高の音楽的才能が爆発します。
バッハは王の求めに応じて、即興でこの主題をもとにした3声のフーガを演奏して見せたのです。おそらく、この時の即興演奏が「音楽の捧げもの」の中の「3声のリチェルカーレ」として収録されているはずです。
想像してみてください。
どう頑張ってもフーガに展開などできるはずがない、上手くいかずに醜態をさらすのを今か今かと待ちわびている宮廷音楽家達の前で、彼らの想像をはるかに超えるフーガが即興で展開されていったのです。その驚きたるやいかほどのものだったでしょうか。
しかし、それでは彼らの面目は丸つぶれなので、さらに彼らはこれを6声の主題によるフーガに展開することを求めます。
これも容易に想像がつくことですが、3声を6声に複雑化するのは難易度が2倍になる等という単純な話ではありません。単純な順列組み合わせで考えても、3声ならば組み合わせパターンは6通りですが、6声ならば720通りになってしまいます。フーガがその様な算術的計算で割り切れるようなものでないことは分かっていますが、それでも難易度が飛躍的に上がることは容易に想像がつきます。
さすがのバッハもその求めに即材に応じることはできずに1日の猶予を願い出るのですが、それでもその様な短期間で6声に展開することはできなかったので、バッハは自らの主題に基づいた6声のフーガを演奏してプロイセンを離れます。
結果としてこの勝負は1勝1敗となった訳なのですが、これほど不公平な勝負をドローに持ち込んだだけでも「人間技」をこえています。
しかし、バッハにしてみれば、この1敗が気に入らなかったようです。
彼はプロイセンから帰ってくると、この王の主題に基づいた6声のフーガに取り組み、その成果を13曲からなる「音楽の捧げもの」としてフリードリヒ2世に献呈するのです。なんだか、バッハの「ドヤ顔」が想像されるようなエピソードですが、そのおかげで私たちは人類史上例を見ないほどの精緻なフーガ作品を手にすることができたのです。
この「音楽の捧げもの」は大小あわせて13曲からなるのですが、それをどのような楽器で演奏するのか、さらにはどのような順番で演奏するのかが明確に指定されていません。(楽器については3曲だけが指定されている)
ですから、今日の研究では、これを一つの作品として全曲を通して演奏することは想定されていなかったとされています。しかし、全13曲が以下の3つのグループに分かれることだけは確かなようなのです。
第1部:「3声のリチェルカーレ」「6声のリチェルカーレ」
第2部:「王の主題に基づくトリオソナタ Largo~Allegro~Andante~Allegro」
第3部:「王の主題のカノン的労作 第1グループ(6曲)~第2グループ(4曲)」
なお、この作品群を詳細に紹介する力は私にはないので、そう言う細部に興味ある方は、「
音楽の捧げ物 」などを参照してください。
しかしながら、このエピソードには残念な後日談があります。
それは、これほどの作品を献呈されたにも関わらず、さらには、自らが命じた形になっていたにもかかわらず、フリードリヒ2世はこの作品集には何の興味示さなかったらしいのです。ですから、この作品が、その後プロイセンの宮廷で演奏されたという形跡もありませんし、もしかしたらフリードリヒは楽譜に目も通さなかった可能性もあるのです。
バッハのような「知性」を必要とする音楽よりは、陽気で楽しい音楽が持て囃される時代へと移り変わるようになり、フリードリヒの嗜好もその様なものだったのです。
おそらく、時代はバッハを理解しなくなっていたのです。
そして、この残念な後日談は、その後100年近くにわたってバッハが忘却されることを暗示する最初の出来事だったとも言えるのです。
豊かな響きであるがゆえに複雑に入り組んだバッハの音楽を見事に描き分けている
リヒターによる演奏を紹介したときに、一部のピリオド演奏を推し進める人たちに対していささか毒を含んだ物言いをしてしまいました。
さすがに、最近は「ピリオド演奏だけ唯一正しい演奏のスタイルだ」などと言う「原理主義的」な物言いは影をひそめましたし、何よりもピリオド楽器による演奏もすっかり影をひそめてしまいました。
ところが、リヒターの録音を取り上げたときに、このマルケヴィッチによる録音にも言及していたのですが、その肝心のマルケヴィッチの録音をアップするのを忘れていました。
そこで、久しぶりにこの録音を聞き直してみたのですが、あそこで書いたことをもう一度確認するだけでした。
マルケヴィッチはピリオド演奏を推進する人たちから見れば「恥知らず」と言うしかないほどの大規模編成の管弦楽曲に仕立て直しているのですが、それは豊かな響きであるがゆえに複雑に入り組んだバッハの音楽を見事に描き分けていました。
そして、見事に描き分けながら響きが豊かであるがゆえに、そこには人の血の通うロマン性が溢れていました。
こういう編曲版はマルケヴィッチだけでなく、例えばウェーベルンなども行っていました。しかし、マルケヴィッチ版の特徴はゴージャスなまでに響きが豊かだということです。
ですから、ピリオド楽器による演奏を好む人ではなくても、そう言う響きでこの作品を縁奏すことには色々な意見があるだろう事は否定しません。
ただ、こういう演奏を聞くときにいつも感心するのは「バッハの壊れにくさ」です。
バッハの音楽はいかようなスタイルで演奏しても、それはどこまで行ってもバッハなのです。この驚くべき許容性の深さと広さには驚嘆するしかありません。
それからもう一つ、マルケヴィッチの演奏には直接関係のないことなのですが、このレコードの初出盤のジャケットが最高に素晴らしいのです。
レコードのジャケットと言えば、最初はタイトルが確認できればいいと言うことで、作品名や演奏家の名前が記号のように印刷されているだけのものでした。
しかし、やがてその音楽に相応しい絵画や風景写真などがジャケットに印刷されたり、プロマイドのように演奏家や作曲家の姿が印刷されるようになっていきました。カラヤンなどは左側からしか自分の写真を写させないことで有名でした。
そして、ついには本職のデザイナーがジャケットのデザインを手がけるようになっていきます。
つまりは、レコードというものが登場しし始めた50年代においては、レコードというものはそれほどまでにステータスの高い商品だったのです。
そして、その様なデザイナーの中でも最も名高い一人がアドルフ・ムーロン・カッサンドルでした。
カッサンドルと言えばイヴ・サンローランのロゴが有名な現代グラフィックアートの先駆者です。そんな有名なデザイナーがレコードのジャケットを手がけていた時代もあったのです。
そして、この「音楽の捧げもの」のレコードジャケットもまたカッサンドルによるものなのです。
さらに、このジャケットにはカッサンドルが手がけたと言うだけでなく、カッサンドル自身が描いた絵を用いた唯一のレコードジャケットだというプレミアムもついているのです。
そして、その仕上がりには本人も満足していたのか、左上にはカッサンドル自身のサインも記されています。
人によってはこれを「史上最も美しいアルバム」と断言する人もいます。
やはり50年代こそは、クラシック音楽にとっては色々な意味で輝ける「黄金の時代」だったのです。
この演奏を評価してください。
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よせられたコメント 2018-07-03:藤原正樹 今、猛烈な暑さです。こういうときにはバッハのこの手の作品がひんやりしていい。マルケヴィッチはたしか管弦楽法の教科書を書いていたはずで、だからこの編曲もフルート以外の管楽器が入ってくると俄然、生命力を帯びてきますね(ゲテモノなんて言うなかれ、です)。トリオ・ソナタの部分は、一転して「モダン・バロック」ふう。最後の2曲の位置についてはリヒターでこの曲を知った人間としては疑問なしとしませんが・・・。 2019-12-21:gkrsnama この盤で驚くことは、「和声法を壊すような異様な音」が、そうですねえ他にはジェズアルドやチコーニアやミヨーが使ったような音といったらいいでしょうか。そいうのがはっきり聞こえてくるんです。それまでどの盤からも、そういう音は聞こえてこなかった。(他っていうと、ミクちゃんが歌った音源からも聞こえました。)
調べると譜面にはちゃんとあるんです。しかし誰もが、その音はごくかすかに決して耳につかないよう弱く軽く演奏するわけです。で、ちょっとだけ先進的な耳慣れた音楽の捧げものが完成するわけ。
でもなぜバッハがああいう音を書いたんでしょう。バッハの技術が不足していたからなんでしょうか。ジェズアルドやゼレンカについてもそういわれ、こちらは当たっているかもしれない。しかしよりにもよってバッハが「実は無能」ってのはねえ。
もう一つは、主題がその音を強制するというもの。しかし対位法の法則には、和性が狂うときは柔軟に音を変えていいってのがありまして、それも考えずらい。
さいごは、意識して書いたってやつ。そう思って注意していると、ああいう音は最晩年の作品に時折出る。そして次にああいう音を使うのは、ダリウスミヨーです。
バロック音楽の作曲家というバッハの通念が、ガラッと変わるかもしれません。そして「あえてそういう音をくっきりと鳴らした」マルケヴィッチの慧眼も。
マルケヴィッチ版の盤はリンドンでしたっけもう一つ出ています。そちらはどうでしょう。