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ワルター(Bruno Walter)|モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K. 543
モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K. 543
ブルーノ・ワルター指揮:コロンビア交響楽団 1960年2月20日録音
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [1.Adagio - Allegro]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [2.Andante con moto]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [3.Menuetto (Allegretto) - Trio]
Mozart:Symphony No.39 in E flat major, K.543 [4.Finale (Allegro)]
「後期三大交響曲」という言い方をされます。
それらは僅か2ヶ月ほどの間に生み出されたのですから、そう言う言い方で一括りにすることに大きな間違いはありません。しかし、この変ホ長調(K.543)の交響曲は他の2曲と較べると非常に影の薄い存在となっています。もちろん、その事を持ってこの交響曲の価値が低いというわけではなくて、逆にト短調(K.550)とハ長調(K.551)への言及が飛び抜けて大きいことの裏返しとして、その様に見えてしまうのです。
しかし、落ち着いて考えてみると、この変ホ長調の交響曲と他の二つの交響曲との間にそれほどの差が存在するのでしょうか?
確かにこの交響曲にはト短調シンフォニーの憂愁はありませんし、ハ長調シンフォニーの輝かしさもありません。
ニール・ザスローも指摘しているように、こ変ホ長調というフラット付きの調性では弦楽器はややくすんだ響きをつくり出してしまいます。さらに、ザスローはこの交響曲がオーボエを欠いているがゆえに、他とは違う音色を持たざるを得ないことも指摘しています。
つまりは、どこか己を強くアピールできる「取り柄」みたいなものが希薄なのです。
しかし、誰が言い出したのかは分かりませんが、この交響曲には「白鳥の歌」という言い方がされることがありました。しかし、それも最近ではあまり耳にしなくなりました。
「白鳥の歌」というのは、「白鳥は死ぬ前に最後に一声美しく鳴く」という言い伝えから、作曲家の最後の作品をさす言葉として使われました。さらには、もう少し拡大解釈されて、作曲家の最後に相応しい作品を白鳥の歌と呼ぶようになりました。
当然の事ながら、この変ホ長調の交響曲はモーツァルトにとっての最後の作品ではありませんし、「作曲家の最後に相応しい作品」なのかと聞かれれば首をかしげざるを得ません。
今から見れば随分と無責任で的はずれな物言いでした。
ならば、やはりこの作品は他の2曲と較べると特徴の乏しい音楽と言わざるを得ないのでしょうか。
しかし、実際に聞いてみれば、他の2曲にはない魅力がこの交響曲にあることも事実です。
しかし、それを頑張って言葉で説明することは「モーツァルトの美しさ」を説明することにしか過ぎず、結果として「美しいモーツァルト」を見逃してしまうことに繋がります。
ただ、そうは思いつつ敢えて述べればこんな感じになるのでしょうか。
まずは、第1楽章冒頭のアダージョはフランス風の序曲であり、その半音階的技法で彩られた音楽の特徴がこの交響曲全体を特徴づけています。そして、この序曲が次第に本体のアレグロへの期待感を抱かせるように進行しながら、その肝心のアレグロが意外なほどに控えめに登場します。そして、ワンクッションおいてから期待通りの激しさへと駆け上っていくのですが、このあたりの音楽の運び方は実に面白いです。
続く第2楽章は冒頭のどこか田園的な旋律とそこに吹きすさぶ激しい風を思わせるような旋律の二つだけで出来上がっています。この少ないパーツだけで充実した音楽を作りあげてしまうモーツァルトの腕の冴えは見事なものです。
ワルターの伝統的な美意識とオケの現在的な感覚との絶妙なる融合
とんでもない「欠落」を気がついてしまいました。なんと、7年も前に「モーツァルト後期交響曲集 ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年~1960年録音」としてまとめておきながら、そこには「交響曲第39番 変ホ長調 K. 543」が欠落しているのです。
おやおや、これは全集としてまとめるときに入れ忘れたのかと思って調べてみたのですが、なんと「入れ忘れた」のではなくて録音そのものをアップすることを忘れていたようなのです。
いやはや、何とも申し訳ない次第なのですが、そんなわけで、新年早々なのですが大急ぎでアップすることにしました。(^^;
この録音は長く棚にしまい込まれていて、パブリックドメインの仲間入りをしている事にも気づかずに放置されていました。こんな事になってしまった背景には、ワルターの真価は最晩年のコロンビア響との録音ではなくて、それ以前のモノラル時代やヨーロッパ時代の録音にこそあるのだという「思いこみ」があったからです。
しかし、今回、パブリックドメインとなったモーツァルトの録音を聴き直してみて、意外なまでの素晴らしさに「うーん」とうなってしまいました。そして、その「うなってしまった」背景には、私が毛嫌いしてきた「ピリオド演奏」の影響があることを否定できないことに気づかされて、いささか複雑な思いに駆られました。
よく知られていることですが、ワルターのために特別に編成されたコロンビア響は通常のオケと比べれば編成がやや小振りでした。そのために、マーラーなどの録音では響きが物足りなくなって、編集の過程でそれらしくなるように手を加えたりしたことが知られています。
しかし、その編成の小ささが、モーツァルトのシンフォニーでは決してマイナスになっていないどころか、「ピリオド演奏」の洗礼を受けた耳には好ましくさえ思えるようになっていることに気づかされたのです。
これは、同じような時期に録音されたクレンペラーの演奏と比べてみればその違いは歴然とします。おそらくは、ほぼ通常の編成で録音したであろうクレンペラーのモーツァルトは、今の耳からすればあまりにも「鈍重」に過ぎます。それは、何もクレンペラーだけでなくこの時代の巨匠たちの録音に共通するスタイルです。ベーム然り、ヨッフムもまた然り、です。
しかし、ワルター&コロンビア響のモーツァルト演奏は、それら同時代の巨匠たちの録音とは全く雰囲気が異なります。それは、この数年前にヨーロッパに里帰りをして、VPOとポルタメントをかけまくったト短調シンフォニーを演奏した人物と同一だとはとうてい信じがたいほどです。
確かに、小編成ではありながら、低声部をしっかりと響かせた音の作り方はワルター特有のものです。その点については、「ピリオド演奏」とは全く真逆の世界です。しかし、低声部が分厚いにもかかわらず響きの透明性が高く、音の立ち上がりがこの上もなくシャープなのです。
そして、おそらくは、後者の「特質」はワルターの指示と言うよりはオケの「特性」が前面に出た結果なのだと思います。
ワルターは声部のバランスとテンポ設定だけを指示しているだけで、細かいところはオケに任せているような雰囲気がします。その結果、オケの編成の小ささも相まって、ワルターが持っている伝統的な美意識とオケが持っている現代的でシャープな造形意識が絶妙に融合して、実に不思議な世界が出来上がることになったようです。
この録音には、この時代の巨匠たちに共通する巨大で重厚な造形はありませんし、後の時代を席巻するピリオド演奏ほどにはクリアでもなければシャープでもありません。世間では、こういう世界を「中途半端」と切って捨ててしまうのですが、しかし、実際に演奏を耳にすると得も言われぬ魅力があることは否定できないので困ってしまいます。
そこで、しばし沈思黙考して気づかされたのが、テンポ設定の妙です。
こんな言い方をすると実にいい加減なので気が引けるのですが、ワルターの手にかかると、すべの部分が「これ以外にはない」と思えるようなテンポで音楽が進められているように思えるのです。それは、メトロノーム記号でいくつというような単純なものではなく、すべてのフレーズがこのような語り口で話されるべきだと得心がいくようなテンポ設定なのです。そして、このような「芸」を身につけていたのは、モーツァルトに関してはワルター以外には存在しなかったことに気づかされるのです。
このテンポ設定があるが故に、この晩年のモーツァルト録音が「中途半端」なものではなく「希有」なものになり得ているのではないと思う次第です。
やはり、ワルターは長生きして幸せだったようです。
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よせられたコメント
2020-01-03:yk
- 確かに新年早々”とんでもない「欠落」”ですね。本アーカイブにとって、ゴーン氏の(密?)出国を許した我が国のザル出国管理体制の失態に匹敵する失態と言えましょう・・・^_^;
SP初期からSTEREO時代まで長きにわたって録音活動を行ったワルター最後の・・・・しかも”モーツアルトの交響曲の・・・・録音として、これら一連の録音の価値は演奏の良し悪しの埒外でも演奏史・録音史(とソノ評価史)の記録としても貴重なものだったと思います。
私個人は米国移住後の録音としては、このステレオ盤のほうが長らく”好き”だったのですが、それには客観的評価と言うより私が初めて聴いたワルターのモーツアルトがこのステレオ盤だったという刷り込み効果もあったのだと思います・・・当時、CBSは商業政策として当然コレを”新録音”として前面に出して売っていました。一方、この”新録音”が出た当初、もっと昔からワルターを聴いてきた通の評論家の中には当然(?)”音質”はともかく”演奏”はNY での旧録音を”優れた”演奏として推す声が結構あったのも事実でしたが、今ワルターの新旧録音を自由に聞くことが出来る時代になってみると、ワルター自身にしてみれば自分の新旧録音のあれこれが”優劣”を基準に評価されるのは(止むを得ないこととは理解しながらも)どこかピント外れの感もするのではないかという気がします。
コロンビアとのSTEREO録音当時、ワルターも当然自分の年齢のことは考えたでしょう。彼としては、NYとの一連の録音を終えて一応自分の演奏の”公式”集大成を一通り完結することが出来たという思いもあったのではないかと思いますが、そこにSTEREOという新技術と自由な録音環境と言う新しい提案を提示されて、ワルターも色々思案したのでしょう。彼としては、NYでの旧録音をただより良い音質の為にだけ再録音するというのは何とも納得はいかなかったでしょうから、自分に残された時間内で出来る何か意味のある記録として自らの”私的”告白・私(試)演としての記録・・・と言ったものを考えたのではないかと私は思っています。その意味で、彼はコロンビア交響楽団の薄い響きも止むを得ないものとして受け身で受け入れたというより、納得した上で(場合によれば我儘かもしれない)私的告白を積極的・能動的にその薄い(透明な?)響きを生かして演奏に込めようとしたのではないかと・・・。
<管理人からの追記>
おそらく過去に一度アップしてあったのですが、どうやら録音クレジットを誤っていて、もう一度調べ直してから再度アップしようと思って削除していたようです。そして、いつの間にかその削除したことも忘れてそのまま放置してしまったようです。
まさに、一度捕まえながら逃げられてしまったどこかの国の出国管理体制のようなお粗末でした。(^^;
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