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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 吉田秀和が98歳で2012に亡くなってまだ10年余。その間、宇野功芳も2016年に旅立って7年。ChatGPTなるものが現れて、生成AIとして社会への影響を問われるようになりました。昭和半ば辺りまでの「教養主義」などどこかへ吹っ飛んだ感じです。それでも、教養を積むと世間に貢献しいい人生を送れる、というのは嘘じゃないと思いますし、機械に征服されないからこそ残されたものは、そこそこあるように思います。速さ・正確さでは絶対負けます。でも、「間を置く・沈黙を味わう」「黙って微笑する・しぐさでわかる」「音楽ならミュンシュの様に本番で大裏切りをする」・・・なんて人間の編み出した楽しい「変化球」。
音楽演奏の微妙な違いを楽しむという、何の得にもならないにせよ、飛び切り贅沢な「しあわせ」を味わえるんでしょう。亡きパバで言えば、6分前後の手軽さで、聴き漁りましたが、オッテルローが私の趣味でした。ホルンの上手さでは、このフィラデルフィアのメーソン・ジョーンズ。ただ、どれも本番で聴けば大いに感動して、「これだけ!」と思えたでしょう。教養主義の頃は、何となく楽観性があり、幸福感が見つけやすかったように思います。
蛇足ですが、教養主義の権化的指揮者がフルトヴェングラーだとすると、ラヴェルの演奏はどうだったんでしょう?録音は残っています。ただ、音を録ったまま聴いておりません。このページを読んで、改めて聞きたくなってきました。
- 2023-10-12:アドラー
- この曲、この演奏で初めて知りました。ユングさんの仰る通り、音がいいですね。ドイツがポーランドに侵攻する前というすごい古い時代なのに驚きです。
淡いのに豊かな色彩の音と、音楽によって自分の中に起こる気分もエンドレスに揺れ続けるこの演奏はいいなあ。笑枝さんの「この時期にはまだ米国に亡命していないはず」というコメントと、ユングさんの「この録音の当日に米国に向けて出国した」という説明を読ませてもらい、どちららが本当なのか分かりませんが、色々考えました。
この演奏もHMVで行われたというのだから、ドイツの弦楽四重奏団が英国で録音していたんですよね。
1939年には英国はドイツと戦いはじめたのだから、1937年とはいえ、HMVスタジオの英国人スタッフとブッシュSQとの間には微妙な雰囲気があったのではないか、と思います。
同じドイツ人の米国亡命でも例えばブルーノワルターはユダヤ人なので、米国は歓迎してくれるだろうと予想があったかもしれない。しかし、ブッシュSQは同じ米国への亡命でもだいぶ違う思いを抱えていたかもしれない。ユングさんの、第2楽章のブッシュのヴァイオリンには万感の思いがあっただろう、というコメントですが、まさに万感の思いがずっと揺れ動き続けている、素晴らしい演奏だと思います。
- 2023-10-07:joshua
- ゴメンナサイ。これもいいけど、やっぱりモノのミトロプーロス伴奏がいいです。
掃き清めたような伴奏に、フランチェスカッティがお行儀よく弾いているという、イメージです。厳しさはあるのですが、熱さがもっとほしい。ロマン派の音楽にそれを求める人はいると思うんです。それに、1902年に生まれたフランチェスカっティは、ここでは、還暦になりかかってる頃。50に入ったころがヴィルトゥオーゾとしては弾き納めだったかもしれません。伴奏者との相性も良かった。ブルッフも同じようにモノがいいです。そう思うと、ブラームスやシベリウスも、もうちょっと早く録音してほしかった。ベートーヴェン、モーツァルトはワルター伴奏でしたしね。
とはいっても、こんなことは、両方揃ったところではじめて思えることで、かくの如き感想を言えるのは、それ自身、幸せのバロメーターになってるのでしょう。
セルについては、例えば、マーラーの4番など「掃き清めた」感じが、異色の魅力に感じられ、繰り返して聞いてきました。
- 2023-10-05:アドラー
- 第1楽章の冒頭を聴いた瞬間、痺れて金縛りのようになりました。この演奏を聞けば感動するということが分かってしまったというか、いや、もう冒頭だけで感動していました。その後数日間、じっくり腰を据えて聴きたい/聴くべきだ、と思いながらも、そんな時間がなく、ちょこちょこと断片を聞いたりしていたのですが、今、ようやく全体を聴きました。ありきたりの言葉の繰り返しなのが情けないのですが・・・感動しました・・・。
自分が息をひきとる時はこの演奏を流して欲しいと思いました。
素晴しい宝物をアップロードしていただきありがとうございます。
- 2023-10-03:yk
- ドイツのカルメン受容・・・・と言うのもニーチェ以来独特のニュアンスがありますが、フリッチャイの「カルメン」も(LPのジャケット・デザイン共々)なかなか楽しいですね。
で、第4曲まではフンフン・・・と、聴いていたのですが、第5曲でファランドールが出てきて・・・????? タイトルを見ると「4幕へのバレー曲」とあります。カルメンの4幕に”バレー”・・・って、あったっけ?・・・これは、カルメンじゃなくて誰か(フリッチャイ?)が適当にビゼーの曲を見繕って(恐らくLP裏面用に)でっち上げた別のビゼー抜粋バレー曲(と称するモノ)じゃないのかしらん?・・・と思っていたら、最終第8曲はれっきとした「カルメン」に戻っていました。
ソウいえば、シチェドリンのバレー「カルメン組曲」には「アルルの女」も「美しきパースの娘」も引用されていて、このフリッチャイ版はその”先駆的先取り版”なんでしょうか?
1956年当時、ベルリン・オペラあたりでは第4幕に”ビゼー抜粋バレー”を入れて上演していたんじゃないかしら・・・?と、楽しい想像を巡らせながら聴かせていただきました。
- 2023-10-02:大串富史
- セルとオケの皆様に、ブラームスに、そして管理人様への感謝をまずここに。
#最初に余談でごめんなさい、マーラーの第3番の出だしの短調メロディーのそっくりさんは、(大学)祝典序曲ではなくて、こっちの第1番の第4楽章の長調メロディーでしたねすっかり忘れておりました(聴いて思い出しました)… それにしても、どっちがどっちのパロディなのか、それとも何のつながりもなくそっくりさんなのかが不明です誰か教えてください…
セルとオケの皆様、なんだかすっきりですんすん進んでいいですね。その場にいたなら、一緒にブラボー!なんでしょうか。
#チリチリ音さえなければ流すのに(まてまて
最後に管理人様への感謝なのですが、後述するように拠所なくサイト訪問をお休みさせていただいてからまた来させていただいたのですが、それでも2曲の新譜がアップされていて驚愕しました… どうぞご自愛ください、そしてこの意義あるサイト運営をこれからもお続けくださいますよう。
#最後に管理人様とクラシック音楽ファンの大先輩である皆様へ:やはりというか、わたしもいささか平衡を欠いてしまい家族からのクレーム噴出の兆しが見えましたので、こちらのサイト訪問はしばしお休みさせていただき、またサイト制作やHTML手打ち手直しの時などにちょこっとお邪魔させていただきます。ではではー
- 2023-09-25:アドラー
- メッセージは送っておりませんが、マルケヴィッチ指揮による同曲のロンドン交響楽団の演奏は好きで今まで何度も聴かせてもらっています。ですので、今回アップして頂いたフランス国立放送管の演奏がどういうものか興味津々です。
全体をよく聞けている訳でもありませんので部分的な感想です。当然、録音がよく、オーケストラも良いロンドン響の演奏のほうが優秀なことはある意味では分かっているので、比較のために緩徐楽章の第2楽章を何度か聞いてみました。
特に終わりの1~2分くらいの静かに消えていく辺りは、ロンドン響のほうが郷愁というか哀しさ(と一言で言えるようなものではないのですが)の感じや次の楽章に向けての衝動のようなものとか、色々なものが沢山込められていることが目に見えるように感じられて濃い感じがします。
フランス国立菅のほうはその点、さらっとしていますが、人工的に詰め込んでないという感じの演奏で、純粋な感じがあって、惹かれます。
チャイコフスキーというと大体どれも濃い音楽で、それがチャイコフスキーの魅力ですけど、フランス放送オケのこの楽章の演奏はそういうのと違う感じがして新鮮です。
第1楽章や、第2楽章でも前半の大きく盛り上がる部分などは、フランス国立放送管の方が、やや尖っているというか、せかせかとした感じもするのですが、もしかしたら、マルケヴィッチは第2楽章の終わりの辺りのような、自然な流れを作ろうとしていたのかもしれないと思いました。
私の耳では分からないのですが。
せめてロンドン響くらいのオケで、録音がもう少し良ければ、それが伝わってくるかもしれないと思うと残念です。
ところで、この曲に限りませんが、この指揮者のことは、Blue Sky Labelではっきりと関心をもつようになりました。有難うございます。
- 2023-09-24:大串富史
- 今回ばかりは、カラヤンとベルリン・フィルに、そしてチャイコフスキーに、そしてもちろん、管理人様への感謝と共に。
カラヤンとベルリン・フィルの「芸」術を、また見せて違う違う聴かせてもらいました。
#というか、このグラモフォンのジャケットを見ていると、うーん、もしかしてもしかすると、この演奏こそが中二病のあの日に学友の家で聴いた(つまり彼のイチ押しだった)あのチャイ4?なのかも?などとも思います。彼のお父さんというのがどうやらクラシック音楽ファンであったらしいことからしても、このサーカス違う違う演奏こそが、中二病たるスタンダードなのではと思えてなりません(違
でチャイコフスキーへの感謝なのですが、実際、ヴァイオリン協奏曲とピアノ協奏曲、そして第5番とこの第4番と、4つものバックグラウンド・ミュージックを提供していただきました。ありがとうございます(「り」ではなく「ざ」にアクセントが来る「ありがとうございます」)。
#以前に仕事で小籠包店のサイト制作をさせていただいた時のキャッチが「子どもの舌は正直です」だったのですが(日本人の舌に合わせて、豚肉ではなく、なんと魚肉を使った小籠包でしたが)、中二の違った子どもの耳は正直ですという話であれば、これは確かに中国人の学生向けのバックグラウンドミュージックとしてよさげなのではなかろうか、と思い直しました… 今回の第4番のアップにつられて再度チャイコに舞い戻り、偶然とはいえカラヤンのこれを見つけてしまったことですし。
管理人様への感謝は絶えません。どうぞご自愛くださいますよう。
#というか、魚肉小籠包なのに(日本人であれば)食べてみると全然違和感がないんですよね(当時は楽天で相応に売れていました)。このチャイ4も、好き嫌い以前に自分にとって違和感がないという… 中二病って、やっぱり怖い(まて
- 2023-09-19:大串富史
- サン=サーンスへのお詫びと感謝、ソリストのミルシテインと指揮者またオケの面々への、そして何より、管理人様への感謝と共に。
#この曲は… 正直、サン=サーンスを見直しました(まて)。というか、ハバネラとか、序奏とロンド・カプリチオーソとか、ちょっとサン=サーンスさん!このベクトルでもう一歩踏み込むだけで後世の、というか凡人のわたしの評価が全然違いましたよー(まてまて
それで管理人様の解説なのですが、面白過ぎます… 悶絶死しそうです…
#まあわたしも、どっちが高尚かなどという話は、当時もそうでしょうが、今はなおさら意味がないように思います。正直言わせてもらえば、俺たちは皆やっぱり駄目だったバカだったぐらいの話になるのでなければ、俺はこれが好き、僕はこれ、わたしはこっち、で話はおしまいなんだと思うのです。つまりは、西洋文明なるヘレニズムの結論でしょうか。涅槃に行きつくのが野望だというのと同じように(これは私の意見ではなくて、熱心な仏教徒の知り合いの意見です)、人は人であって超人ではなく、高尚な芸術を生み出せても自分自身さえコントロールが困難で、原爆を開発しておいて、科学者としての自分たちの役目は終わりましたのであとはご自由に、というのが、我々人類の歴史の現実なんだなーという。だから、美しきモーツァルトや力強いベートーヴェンではなく、なんかこう、場末のスナック違ったオンライン・クラシック音楽喫茶(つまりこのサイト)でバルトークを一人聴いてにやにやというのは、自分はやっぱり(以下略
#それにしても、もう一歩踏み込んでくれれば流すのになー(違
- 2023-09-18:大串富史
- 管理人様へのエール、また深い感謝と共に。
フランクと同時代のフランス、しかも接点がないわけでもなく、まあそれなり定評?もあるという、この交響曲の解説を拝読させていただき、相応に期待してこちらを聴かせていただきました。
#えっ?結果はどうだったかって?ええっとあのその、うーん… サン=サーンスに余りに申し訳なくて言えませんー(まて
わたしも自分がこの年になって、自分は凡人でよかった、凡人でない皆様は本当に大変だとの思いを日々強くしているのですが、「動物の謝肉祭」別にいいんじゃないですか?その気持ち分からないでもないですよー、と思う一方、こちらはなんだか、どうだ文句付けられるんだったら付けてみなさいハッハッハみたいに言われてもなー、と思ってしまうわけです。正直もうそんな音楽志向の時代ではないし、それ以上に時間も暇もない凡人の現代人なものですから、ただただ申し訳ない…
#これは自論めいてしまうのですが、人の能力の差というのはとどのつまり脳内のシナプス連結の差であって、そうであれば筋肉の鍛錬と同様にシナプス連結の生成のため相応に時間とエネルギーが必要で、結果的に人は70年80年の寿命内であれやこれをどれも完璧にすることはできず、あれかこれを、自分能力の範囲内で、まあ相応程度にできるのみなので、実際に一途に作曲に取り組んだ(というかそうする衝動に駆られてそうした)作曲家の大先生の皆様には、ただただ感謝しかありません。
もっともこの曲のネット鑑賞も曲の解説の拝読も、管理人様のご苦労がなければ実現しなかったでしょう(まあそれ以前に、バックグラウンドミュージック探しのためのクラシック音楽総聴き巡りという大義があってそうなるわけですが)。エールと謝意を再度お送りしつつ。
#実は残念ながら、マーラーの復活とシャルル=マリー・ヴィドールのオルガン交響曲(違)は、特定宗教の宣伝とみなされかねないと悟り、急きょ外させていただきました… まずこのフィルター(宗教曲や復活云々やオルガン曲等)に、現代人にとってあまりにクラシックなクラシック音楽はNGというフィルターをかけ、人をびっくりさせたり(あちらがかり?のもの?)注意を過度にそらせたり(歌曲等)もNGというフィルターをかけ、プチプチもクレームが来るのでNGというフィルターをかけ、現代音楽過ぎて「怖い音楽」もNGというフィルターをかけ(それでも自分はバルトークを聴きますし、たまにちょろっと流してしまったりもするわけですが)、その中から自分がこれはと思うものを流させていただいているわけですが、まあ相応に手ごたえを感じています(ある中国人の生徒さんはフランクを聴いて相応に感動していました)。されどクラシック音楽、でしょうか。現代人にとって、やっぱり隅には置けませんね、この音楽ジャンル(とこちらのサイト)は。
- 2023-09-14:大串富史
- マーラー違ったチャイコフスキーとバーンスタインまたニューヨークフィルの面々、そして管理人様への感謝と共に。
このマーラー違う違うチャイコフスキーなら、中国人の学生たちをなんとか繋ぎ止められるのではなかろうかと期待しつつ。
#本来ならチャイ5はスキップのはずが(まて)、チャイコフスキーの聴き巡りでこの第5番に行き当たり、相応の勝算のもとバックグラウンドミュージックで流すことにしました。
#もっとも実際どう出るかは、まあ、お楽しみではあるのですが…
とはいえ、わたしはやっぱりこの第5番が一番しっくりなんですよね。第4番や第6番より、いまだにしっくりです。というか、こういう部分はリストの前奏曲の時にも書きましたが、中二病なのかなあとも思います(まてまて
#今となっては昼休みに校内放送で流されていたスッペやロッシーニの序曲は(まあ小学校時分のいい思い出ではあります)もういいですなんですごめんなさい、でも中二病は怖いなあと、この年になってつくづく思います。もっともこれは、このチャイ5がバックグラウンドミュージックによさげだという話なのであって、じゃ中二に逆戻りしてこれを毎日のように聴くかというと、うーん、うーん、あり得ない(ごめんなさい
管理人様がクラシック音楽鑑賞にどれほどの時間を費やしてこのサイトを構築されたかを思うと、ただただ頭が下がります… こんな貧乏暇なしの弟分オヤジのバックグラウンドミュージック探しにさえ助けになってくださっていることに、深い感謝を申し述べつつ。
#それにしても、チャイコのマンフレッドの存在も、こちらで初めて知りました。ベルリオーズもホルストもそうだと思うんですが、あっちに作曲のインスピレーションを求めるのは、あのその、宮崎駿氏?がポニョ?であっちを全開して、人間はあっちからの助けが必要ですとまで言い切ってしまうのと、まあ、同じような気がしないでもないです…
- 2023-09-13:大串富史
- この歌と、第9番と、チェロ協奏曲へのドヴォルザークに対する謝意をまずここに。
#ドヴォルザークの聴き巡りを終えて思うに、自分はやはりクラシック音楽にいわゆる万人が求めるクラシック音楽らしさというものをあまり求めていないのかもしれない、との感を新たにしました… もっとも言い訳を言わせてもらえば、今はスラブ舞曲が大当たりみたいな時代ではなくなってしまっているので、現代人にとってそれでも残るのはこの3曲なのかなあ、とも思います。
でも不思議なのは、上述の3曲以外にも、自分にとっての青春の思い出みたいな曲があるにもかかわらず(例えば第8番とか)、自分の中では他は残らないんですよねごめんなさい… それにいわゆる他のスタンダードなクラシック音楽とかも(チャイコの第5番とかベートーヴェンとか)、やっぱり残らなかったり最初からあまり引き付けられなかったりしてしまうあたり、正直な話、これがクラシック音楽のネック(現代でも愛好家は一定数いるものの好みが相応に分かれてしまう)なのではと思わざるを得ません…
まあだからこそ、クラシック音楽の全方位なサービスを提供しようておられる管理人様の多大のご足労が光るわけですが。いつもながら、深い感謝をエールと共に。
#まあだからこそ、クラシック音楽の次の音楽が必要なように思うんですよね… ただ鑑賞しているだけだと好みが分かれてしまいますが、合唱に加わるなり手拍子足拍子で盛り上げるなりできれば(えっと説明が必要ですね… アフリカの彼らが自然とするような、あれのことです)、相当数の聴衆なり愛好家なりが集まるはずなんですが。この歌なんかも、自分で歌うのであれば、嫌いな人はまずいないと思ったりするわけです。えっ?もっと刺激の強い曲を歌わせろって?そーかよしよし、そんな君は僕と一緒に、まずはバルトークの聴き巡りを(まて
- 2023-09-12:豊島行男
- youtubeでいつも聴いていたのですが、こちらでアップされていたのは今日気がつきました。感謝感激。このルーデルの編曲版がまったく他に演奏が無く、またCD化されていないのは不思議でしょうがありません。はたまた他の演奏家たちもカノンばっかりで・・・。
凄く良い曲であり編曲だと思います。
- 2023-09-11:大串富史
- まずは管理人様に座布団を一枚(違
後期ロマン派の「厚化粧」の限界の例え、面白過ぎます(思わずイメージしてしまいますね)… 生の演奏会でないと本当のドビュッシーは聴けないのではないかという洞察も非常に興味深く感じました。逆に言えば、それこそがクラシック音楽鑑賞なのであって、レコード芸術というのは、あのその、やっぱり別物なのかもしれない(五味さんでしたか、完全な再現を目指すのは違うのではないかという)。
実はアップしてくださったマルケヴィチ+:ラムルー管を聴いて、これは…と思い海を聴き直そうと思っていた矢先、グリーグのピアノ協奏曲第一楽章をレッスン後のバックグラウンドミュージックで流したところ、不評ではなかったものの、あまりにクラシック過ぎという意見もあり、やはりそうかそうなのか…と思い直し、再度海の聴き比べをさせていただき、結果として今回はセルではなくカラヤンの採用に至った次第です。こってりとした厚化粧で「美しく」仕上げていただいて、何の不都合もございません(まて
#というか、中国の学生さんはそのほとんどがタブレットかスマホでレッスンを受けているわけで、わたしはわたしで片耳だけのイヤホンマイク(つまりモノラル)でレッスンをしている中、厚化粧でないとそもそも見えない違う違う聴こえないのです…
聴き巡りのさなかでルービンシュタインの3つのオレンジへの恋の行進曲を聴いて、プロコフィエフを見直していた(まてまて)ところ、こちらの再採用を決定しました。うーん、現代人ってやっぱりこんな感じなのか。思うに、小学校?中学校?の音楽鑑賞でビゼーの闘牛士を聴かされるより、3つのオレンジへの恋の行進曲を聴かされた方が受けがよさそうなのは確かじゃないのかなと。
最後になりましたが、カラヤンとベルリン響の面々への感謝、あとドビュッシーへの感謝も添えて。
- 2023-09-08:大串富史
- バルトークとモニク・アースに、またフリッチャイとオケの皆様に、そして管理人様への感謝と共に。
#グリーグ聴き巡りのはずが、こちらのアップで再びバルトークに釘付けになりました… こちらの演奏はカッチェン+ケルテス+ロンドン響のDecca版でしょうか、あちらよりわたし的にはよさげです。上手く言えないのですが、テンポはほぼ同じであるものの、特に第3楽章の強打というかフォルテというか、クリアなのがいいです(やっぱり上手く言えてませんごめんなさい…)。いえ、管理人様が仰られるように、第2楽章もいいですー
危うく聴き逃してしまうところを、今回も管理人様に助けていただきました… 深い感謝をエールと共に。
#それにしても、中国人の学生さんから「怖い音楽」と言われようが、やっぱりバルトークに引き付けられてしまうこれは一体何なんだろうとも思います… 現代人というのはやはり、以前の時代の人からすれば、「怖い音楽」を怖がらないような「怖い人たち」なのかもしれません…
- 2023-09-06:大串富史
- グリーグとセルまたクリーヴランド管への感謝、また管理人様への感謝と共に。
聴き覚えのあるグリーグの小品?が実はこのペール・ギュント組曲の第1番の方にほぼすべて収録されているということに、今回初めて気が付きました。(バックグラウンドミュージックとして)分かりやすく受けの良さそうなこれらの曲への感謝を、まずはグリーグ(と奥さん?)に。
#もっとも第2組曲の方は、収録されているソルヴェイグの歌以外は、うーん… 同様に、第1組曲の山の魔王の宮殿にても、前にコメントさせていただきましたが、もうこの手のはいいかなー、ですか…
セルとクリーヴランド管、なんだか自分の中ではスタンダードになりつつあります。前にも書きましたが、お金がなく廉価版ばかりを買っていたのが、まさか今になって実はお宝であったことを知ることになろうとは…
#一方でグラモフォンのカラヤンとベルリン響、無理して買い揃えなくて本当に良かった(まて
そういう意味でも、管理人様とこちらのサイトへの感謝は尽きません。ただただ、ありがとうございます。
#それにしても、レコード芸術とはよくぞ言ったものだと感慨しきりです。後世の庶民であるわたしたちがこんな形でとっかえひっかえ自分の作品を聴き比べしているなどということは、グリーグ含めクラシック音楽の大家の皆さんは夢想だにしていなかったでしょうから。もっとも問題は、環境は整いつつあるのに、こちらには十分な時間がないという点でしょうか。寿命もそうですが、現代人は忙し過ぎです…
- 2023-09-06:アドラー
- ユングさんのおっしゃる「暗い情念よりはどこか明るく爽やかな雰囲気でロシア音楽が完璧に鳴り響いているというのもまた一興ではないでしょうか。」
そうですね!
それに、4楽章など聞くと、野性味がありますね。それがプロコフィエフ的な音楽なのかどうか分かりませんが、面白いです。ちなみに、同曲の演奏をマルケヴィッチやオーマンディを聞いてみましたが(Blue Sky Label)、それらはこのスタインバーグに比べると、何かボテットした音づくりになっているようで、私はこのスタインバーグの方が好きです。
- 2023-09-02:大串富史
- エルガーとハイフェッツ、サージェントとロンドン饗のメンバーの皆様、そして管理人様への感謝と共に。
この曲もこの年になって初めて聴いて、驚愕しきりです… チリチリ音さえなければ絶対流すことでしょう。というか、自分が協奏曲という分野に特に思い入れがあるんだということに改めて気が付かされる一曲でした…
#とすると、楽器演奏という共通項を持つわたしのような聴衆は、ソリストとオケの死闘いや違った真剣勝負いやいや違う両者による「芸」術の発露めいたものをやっぱり聴きたいのかなーなどと、つらつら思います。別の言い方をすると、この曲でも第3楽章などはある聴衆にとってはもしかすると退屈で、別の聴衆にとっては手に汗握ってしまうのかなあ、楽器が違ってもそうなのかなあ、みたいな。
こうした新しい曲との出会いを作ってくださった管理人様への、感謝またエールをお送りしつつ。
#同時にこちらのサイトに足繁く来させていただいて改めて思うに、自分の音楽に対するアプローチというものは正直、軌道修正の余地があったと改めて気が付かされました… 超二流を自任しそれを弟子にも求めたわたしの先生とて、わたしがこの年なので、もう吹けるような年齢ではないはずなのです… コンクールで天性の有無を競い合い、その後は並外れた天性を極芸として披露し続け、それに喝采を送っているわたしたちがいるという構図は、音楽であってもスポーツであっても何であっても、なんだか違うような気がする今日この頃です… 今のところはまあこれでいいのかもしれませんが、もしこれが音楽の行き着く先というのでは、やはり一抹の寂しさを感じてしまいます…
- 2023-08-31:大串富史
- エルガーと、デュ・プレと、バルビローリまたオケの皆様の面々に、そして管理人様への感謝を込めて。
自分も中低音域担当であったこともあるのか、弾いてみたい楽器と言えばチェロなのですが、これは… 管理人様が仰られるように、ドヴォルザークのあれに迫るものを感じました。わたしの中ではディーリアスのあれとも並び立っています。
#いやへそ曲がりで威風堂々が嫌いというわけではなくて、あれもいいと思いつつこれもいいと思うという話でした。まあでも、交響曲は… 今レッスンの終わりの「クラシックアワー」でフランクの交響曲の終楽章を流しているのですが、なんだかどんどん好きになってしまっています… いやだからエルガーさん、このチェロ協奏曲もまた、きっとそんな感じになっていくのではと思いますー(まて
ディーリアスのチェロ協奏曲でも、デュ・プレってやってるなー感があったんですが、この曲はそれ以上に、管理人様が仰られるような藤圭子のやってるなー感とかぶっているんでしょうか。わたしはやっぱり、今のところこういうのが好きなようです…
管理人様のご苦労とこちらのサイトがなければ、こちらの曲にも出会えませんでしたし、中国人の学生がこの曲を聴く機会もなかったことでしょう。賛辞と深い感謝をエールと共に。
#って全部くっつけたら30分なんですねこの曲は… 次回はうまく切って必ず流す(まてまて
- 2023-08-30:ジェネシス
- ロベルト.ベンツイ。
テレビの黎明期にニッサン油脂という洗剤会社が時間埋めに夕方に玉石混交の洋画の数々を放映していました。
その中に「栄光への序曲」?というタイトルの映画が有って詳しいストーリーは忘れたけれど天才少年が指揮者としてデビューする作品でした。ラストの曲目はフランツ.リストの交響詩「レ.プレリュード」(前奏曲)でハイフェッツやメニューインと同じ半ズボン姿でタクトを振っていました。
この方は結構長生きをされて教育者としても名をなした様で、他に2人程居られた半ズボン天才少年指揮者に較べると何枚かのCDは入手が可能なようです。
- 2023-08-27:ジェネシス
- 私のシューリヒトのブラームス体験は第2の英デッカ盤でした。ライナーノートに宇野功芳氏のアポロがどーのディオニソスがこーのと言う超激賞文が載っていて、ウィーン.フィルも確かに耽美的に歌っていたと思います。
その後ちょっとゴツ目(シューリヒトにしては)の第3のシュトゥットガルト放響盤、大トリがディスク大賞を獲った第4のバイエルン放響盤が有って全てLPで聴きました。
今回、この演奏を聴いて冒頭からハンス.ロスバウトの手兵の音が鳴っていると感じたら先入観に捉われているんでしょうか?。インテンポで始まると現代音楽(当時の)風のやや無機的な音を出そうとする。
でも流石にシューリヒト、中間にかかって以降はちゃんとブラームスの管弦楽曲の名曲に仕上げていると思います。
- 2023-08-25:大串富史
- プッチーニへの感謝、またマーラーへのお詫びと共に。
#お恥ずかしながら、歌劇というか歌曲というか、そちら方面に全く疎いままこの年になってしまい、当然ながらプッチーニも今回が初アプローチで、いや凄いというか、こんな凄まじいクラシック音楽の分野があったのかーと唸りっぱなしです… バックグラウンドミュージックで流せないのがただただ残念ですが(さすがに注意がそらされまくりになってしまいます)…
余談ですが、これをマーラーに期待したわたしがバカでした、ごめんなさいマーラー…
それにしても、これを音楽として聴いている分にはいいものの、歌劇場でこれを聴きながら歌劇を鑑賞するとなると、これはやっぱりクラシック音楽の他の分野とは別物なのか… との思いを新たにしています。目を閉じて音そのものを堪能するわけにはいかないでしょうから(そんなことをしたら逆に失礼だと思うのです)。
#YouTubeには歌劇専用の別館がありましたか?未確認なんですごめんなさい…
作曲家紹介のページも興味深く拝読させていただき、噂のベルディ?への期待が否応なく高まりました。いつもながら、管理人様への感謝とエールは尽きません。ただただ、ありがとうございます。
#これは余談の余談ですが、音楽というのは結局のところ、歌つまり声楽で始まり声楽で終わるのだろう、という自論めいたものがあります。もしそうでないなら、演奏側と聴衆側が本当の意味で一体になれないように思うのです。せめて最後の最後で(まあ最初から最後まででもいいんですが)、指揮者とオケと独唱と合唱団に聴衆も加わって力の限り(ちゃんと前もって練習しましょう!)歌えるような、そんな音楽の前哨戦がクラシック音楽の歴史であったのだろう、などと勝手に考えてにやにやしています。あっそうか、それをマーラーに求めていたのかも… やっぱりごめんなさいマーラー…
- 2023-08-24:大串富史
- マーラーの聴き巡りを無事に終え、管理人様への感謝をお知らせしたく。
Google先生によると、この第9番がマーラーの交響曲の最高傑作だとのこと、うーん、言い得て妙なのか、どうなのか。
#たとえば第2番はまあよさげだというわたしと同じような人は、もしかしてもしかすると、まず最初にこの第9番を聴かされた場合、「どうですマーラー最高でしょう?」と言われると、そのままマーラー全曲を(第2番も十把一絡げにして)スキップしかねないのではなかろうか、などと思ってしまいます…
第6番を聴いて、それなり期待して第7番を聴いて、さらに期待して第8番を聴いて、なんだかどんどん混乱しています… 別にシュトラウスのようにとかシベリウスのようにとかという期待は全然ないのですが、何というかそのあの、うーん、なのです… やっぱり、くどいのか、どうなのか。
#歌曲にしても、「さすらう若人の歌」の第2曲で交響曲第1番のあのテーマ(わたしはあまり好きになれませんごめんなさい…)を持ち出すのであれば、第2番のテーマや第3番のテーマや第6番のテーマのほうがよほどドスが効いていて分かりやすく洒落ているのでは、などと凡人のわたしは思ってしまったりします… 別の言い方をすれば、第2番がああして終わったのであれば、他も終わり方をもっと何とかしてほしいなーなどと考えつつ、そうか、だから恐竜時代は終わるべくして終わったのか…とも思うのです。
実を言うと、特定作曲家のすべての交響曲をこうして一曲ずつ拝聴するような機会は、若い頃にはありませんでした(当時一番の贔屓であったタコでさえ、全曲を聴くような機会はなかったです)。噂のマーラーをこうして全部聴けたのも、こちらのサイトまた管理人様のおかげです… 深い感謝またエールと共に。
- 2023-08-22: ゆげ
- 吉田大明神のこの曲についての文章を読んでから目につく限りの幾多の演奏を聴いてきましたが、ロマンティシズムの何たるかは分かったヨウナ分からんヨウナ
一番のお気に入りはザンデルリンクの最後の演奏会のものです。
生で聴いていたら昇天したでしょう。
トライアングルも活躍します。
- 2023-08-19:大串富史
- 今回はバーンスタインとマーラーに1票を入れさせてくださいー
#ミトロプーロスの方も聴いたのですが、ノイズで流せないんですよー云々より、今回はなぜかバーンスタインとマーラーの相性がいい?ように聴こえました。すんすんと行ってくれて、やっぱりバックグラウンドミュージック向けなんでしょうか。
というか、第4番と第5番は… いや第5番は確かに聴いた覚えもあって全然嫌いということはないものの、なぜか脈絡なく、そういえばかの人が作曲したことになっていた交響曲第1番 HIROSHIMAってまだ聴いてなかった、どれどれ聴いてみよう…ぐらいのあり得ない寄り道をしてからこちらに来て、うんうん、本家本元オリジナル咆哮スペクタクルいいじゃないですかー、とコメントさせていただいています。
#で思うに、現代に恐竜を復活させて咆哮スペクタクルをやっても、恐竜最高!みたいなガチの恐竜時代の恐竜たちには全然及ばないよなー、あれはもう、やっぱり絶滅でいいのかもー、などとつらつら思いました(まてまて
同時に、自分はやっぱり第2番や第3番の第1楽章が好きなのであって、この第6番の第4楽章を聴いて、えっ?まだ終わらない?みたいなのはさすがにどうも… なのです…
#いえ、ちゃんと最後の鉄槌まで聴きましたー(やっぱり長いですー)
それにしても、YOSHIKIさんあれではないのですが、今回もYouTubeのコメントに、あれは名曲で、ブルックナーとかショスタコに和テイストというか武満さんとかもうまく吸収融合していて、絶対数十年後に改めて見つめ直される、と書かれているのを見るにつけ、現代日本人ってそうなんですね、分かりましたー、と認識を新たにしています(まて
その一方でこのサイトを運営を続ける管理人様には、菓子折の一つでも直接お渡ししたいぐらいです。数十年後を待つ必要なんか全然ないですし。今回もエールまた感謝と共に。
- 2023-08-18:サンセバスチャン
- 彼女のチャイコフスキーの正規録音や、ボストン交響楽団とのライブのラフマニノフ3番はもの凄い演奏で、おそらく女性ピアニストで彼女ほど豪腕な人はいないと思います。ところでBOXを買ったのですが、何とショパンを集めた一枚にエルボーをぶちかましたらパリッと割れてしまいました。悲しい。0
- 2023-08-17:HARIKYU
- ペルレアさんは飯森泰次郎さんのニューヨーク研修時代の師匠なんですよね。
今日、氏の訃報を知りました。
また、ペルレア氏は米Voxに大量の録音があって、一部はダイアモンド1000シリーズに収録されています。
また輸入レコードでモーツァルトの40番を購入した事もあります。
キビキビしたなかなか優れた演奏でした。
- 2023-08-17:大串富史
- マーラーとハンス・スワロフスキーに、そしてベルリン放送交響楽団のオケの面々と、特に第一楽章のトロンボーン・ソロをしてくださったかの御仁に、また管理人様へも感謝をお送りしつつ。
#今回はコメントのみです、ライブ録音なのでチリチリが… とはいえやはり、バーンスタインよりはこちらの方がすんすんと進んで好きです。とりわけ、トロンボーンがいいですね!
東京トロンボーンアンサンブル(などと言って話が通じるのかどうかGoogle先生に聞いたところ、なんだかギリギリですね…)の演奏会で、かの女史が男性陣のただ中の紅一点で吹き切った独奏を思い出しました… あれから40年が経ったのかと思うと、ただただ隔世の感があります…
それにしても、第1楽章を楽しく聴き終わったのに、第2楽章、第3楽章とコレジャナイ感がありごめんなさい数分でスキップ、第4楽章でおっ声楽が加わったかーと思ったものの、うーん… 第5楽章で声楽大盛り上がりー?でもうーん… それで相応に期待して第5楽章なんですが、えっ?最後の最後で合唱も加わって究極の大盛り上がりーではない??? うーん、やっぱり第2番かーでもこっちの第1楽章も捨てがたいしー、なんです…
#前にベト九の、あれはベト五と比べれば確かに引き締まってませんよねみたいなコメントをさせていただきましたが、いやマーラーにしてもシュトラウスにしても、そしてわたし的にはシベリウスも、うーん… これをもって恐竜の滅びという管理人様のご意見には、賛同せざるを得ません…
今日の日本語のグループレッスンはそのようなわけで、最後の「クラシックアワー」にマーラーの第2番の第5楽章を予定しているのですが、今日の中国人の学生さんたちは恐らく皆さん初めてわたしとのレッスンなので、うーん、うーん… ブラボー!スペクタクル!!!と出るか、現代人の彼らからすれば滅びと出てしまうのか…
- 2023-08-15:大津山 茂
- 大好きなピアニストです。取り上げてくれたことに感謝します。彼女のモーツアルト協奏曲 20 & 23 指揮パウムガルトナーは、私のベスト盤です。
- 2023-08-15:yk
- いい演奏ですね。オーケストラの響きは近(現)代オーケストラの音ですが、ライナーは精緻な響きを求めながら決して冷たくも無駄に華麗にもならない彼独自の素晴らしい響きを引き出しています(当時のシカゴ交響楽団にも拍手)。ディベルティメントと言うともすれば”遊び”、”ウィット””洗練””軽快”・・・と言ったことを思い浮かべる謂わば常識的な感覚とは一線を画した彼の端正な”喜遊曲”は、ライナーが決してモーツアルトを敬遠していた訳でも親しみを感じなかった訳でも無く、彼の感性に率直・偽りなく深い共感を寄せていたことを感じさせてくれる演奏だと思います。
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[2024-03-27]
ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲, Op.84(Beethoven:Egmont, Op.84)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1939年11月18日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on November 18, 1939)
[2024-03-25]
モーツァルト:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 K.155/134a(Mozart:String Quartet No.2 in D major, K.155/134a)
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)
[2024-03-23]
ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲, Op.120(Beethoven:Variations Diabelli in C major, Op.120)
(P)ジュリアス・カッチェン 1960年録音(Julius Katchen:Recorded on 1960)
[2024-03-21]
バルトーク:弦楽四重奏曲第5番, Sz.102(Bartok:String Quartet No.5, Sz.102)
ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年7月録音(Quatuor Vegh:Recorded on July, 1954)
[2024-03-19]
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調, Op.6(Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1950年1月15日録音(Zino Francescatti:(Con)Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra January 15, 1950)
[2024-03-17]
チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」(Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian")
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1946年3月10日~11日録音(Dimitris Mitropoulos:Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on March 10-11, 1946)
[2024-03-15]
ハイドン:チェロ協奏曲第2番 ニ長調 Hob.VIIb:2(Haydn:Cello Concerto No.2 in D major, Hob.VIIb:2)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:ベルンハルト・パウムガルトナー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1958年録音(Andre Navarra:(Con)Bernhard Paumgartner Camerata Academica des Mozarteums Salzburg Recorded on, 1958 )
[2024-03-13]
ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番, Op.72b(Beethoven:Leonora Overture No.3 in C major, Op.72b)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1945年6月1日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on June 1, 1945)
[2024-03-11]
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1957年4月22日録音(Zino Francescatti:(Con)Dimitris Mitropoulos New York Philharmonic Recorded on April 22, 1957)
[2024-03-09]
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第1組曲(Ravel:Daphnis et Chloe Suite No.1)
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立放送管弦楽団 1953年6月22日~23日&25日録音(Andre Cluytens:Orchestre National de l'ORTF Recorded on June 22-23&25, 1953)