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ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調, Op.68(Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68)

アルトゥール・ロジンスキ指揮:ニューヨーク・フィルハーモニック 1945年1月8日録音(Artur Rodzinski:New York Philharmonic Recorded on January 8, 1945)

Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68 [1.Un poco sostenuto - Allegro]

Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68 [2.Andante sostenuto]

Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68 [3.Un poco allegretto e grazioso]

Brahms:Symphony No.1 in C Minor, Op.68 [4.Piu andante - Allegro non troppo, ma con brio - Piu allegro]


ベートーヴェンの影を乗り越えて

ブラームスにとって交響曲を作曲するということは、ベートーヴェンの影を乗り越えることを意味していました。それだけに、この第1番の完成までには大変な時間を要しています。

彼がこの作品に着手してから完成までに要した20年の歳月は、言葉を変えればベートーヴェンの影がいかに大きかったかを示しています。そうして完成したこの第1交響曲は、古典的なたたずまいをみせながら、その内容においては疑いもなく新しい時代の音楽となっています。

この交響曲は、初演のときから第4楽章のテーマが、ベートーヴェンの第9と似通っていることが指摘されていました。それに対して、ブラームスは、「そんなことは、聞けば豚でも分かる!」と言って、きわめて不機嫌だったようです。

確かにこの作品には色濃くベートーヴェンの姿が影を落としています。最終楽章の音楽の流れなんかも第9とそっくりです。姿・形も古典派の交響曲によく似ています。
しかし、ここに聞ける音楽は疑いもなくロマン派の音楽そのものです。

彼がここで問題にしているのは一人の人間です。人類や神のような大きな問題ではなく、個人に属するレベルでの人間の問題です。
音楽はもはや神をたたるものでなく、人類の偉大さをたたえるものでもなく、一人の人間を見つめるものへと変化していった時代の交響曲です。

しかし、この作品好き嫌いが多いようですね。
嫌いだと言う人は、この異常に気合の入った、力みかえったような音楽が鬱陶しく感じるようです。
好きだと言う人は、この同じ音楽に、青春と言うものがもつ、ある種思いつめたような緊張感に魅力を感じるようです。

私は、若いときは大好きでした。
そして、もはや若いとはいえなくなった昨今は、正直言って少し鬱陶しく感じてきています。(^^;;
かつて、吉田秀和氏が、力みかえった青春の澱のようなものを感じると書いていて、大変な反発を感じたものですが、最近はこの言葉に幾ばくかの共感を感じます。
それだけ年をとったということでしょうか。

なんだか、リトマス試験紙みたいな音楽です。


ロジンスキーという男は妥協を許さない存在です。

ロジンスキーは1943年にニューヨーク・フィルの音楽監督というポジションを手に入れながらも、コンサート・マスターも含めて「血の粛清」を行ったために1947年に首になっています。
しかし、ニューヨークを首になったあと、すぐにシカゴ響の音楽監督に就任しています。
普通なら、ニューヨークでの経験をもとに多少は学ぶのでしょうが、シカゴでも厳しい練習と楽員のリストラを行うのは変わらず、そのためにメンバーとの衝突もたびたびでした。
嘘か本当かははっきりしませんが、ロジンスキー自身も身の危険を感じて拳銃を忍ばせてリハーサルに臨んだといううわさも伝えられています。

そして、シカゴでも音楽的な妥協を許さなかったために最初の年から膨大な赤字を出して、わずか1年で首になっています。
とにかく、ロジンスキーという男は音楽面においては絶対に妥協を許さない存在だったのです。

ところが、そんなロジンスキーがシカゴを追われたときにシカゴ・トリビューンのキャシディが擁護したというエピソードが残っています。こちらは「噂」ではなくて「事実」です。
シカゴ・トリビューンのクラウディア・キャシディというのは伝説的な批評家で、シカゴで活動した指揮者のほとんどが彼女の激烈な酷評によって血祭りになっています。
そのもっとも手酷い洗礼を受けたのがクーベリックであり、シカゴに客演したショルティもかなり痛い目に遭っています。ですから、ショルティがシカゴの音楽監督を依頼されたときには、このキャシディがすでに引退していることを確認してから受諾したという話も伝わっているほどです。当然のことながら小澤が初めてシカゴ響に客演した時にも彼女は小澤をこき下ろしています。

そんなキャシディが珍しくも擁護する側にまわったのがロジンスキーだったのです。
お互いにトラブル・メーカーとしてのシンパシーがあったのかもしれませんが、もう一人攻撃の矛先が鈍かったのがフリッツ・ライナーだと知れば、彼女のスタンスも見えてこようかというものです。そして、そのことは同時にロジンスキーという指揮者のスタンスも見えてくるのです。

おそらく、キャシディがロジンスキーやライナーを高く評価したのは、音楽の構造を精緻に分析する力と、その分析した音楽の形を現実のものにするためには一切の妥協を許さない姿勢だったはずです。

私がロジンスキーの録音をそれなりに意識してはじめて聞いたのはチャイコフスキーの交響曲でした。
その時に、「不思議」な演奏だと思いながら、トスカニーニでもないし、セルやライナーでもない、やはり「ロジンスキー」という男ならではの「熱い音楽」があると思ったものでした。
そして、この「熱さ」ゆえにでしょうか、ロジンスキーのことを「彼はウエストミンスターにかなりの数の録音を遺しており、ディテールやニュアンスにこだわるよりは、スピード感や色彩感を優先させつつ、いわゆる爆演系の指揮を行なったことがうかがわれる。」などと書かれたりするのでしょう。

私はチャイコフスキーの録音が「爆演系」とは思いませんが、「ディテールやニュアンスにこだわるよりは、スピード感や色彩感を優先」しているというのはその通りだと思いました。
しかし、何でもかんでも「スピード感や色彩感を優先」していたのでは、あのキャシディが擁護するはずはないのです。
その事は、ショルティが彼女を恐れたことからして容易に察せられます。(ショルティファンの人ごめんなさい)

そうではなくて、ロジンスキーは、その音楽に「スピード感や色彩感」が重要だと思えばその様に造形しますし、逆に「ディテールやニュアンス」が大切だと思えばその様に造形するのです。
ですからロジンスキーの録音を幅広く聞いていけば、彼が「爆演系の指揮者」などではないことは誰もがわかるはずです。もっとも、そういうレッテル張りは一昔前にはやった「B級クラシック」などのなせることです。そういう「目新しさ」を売りにした「批評」によって、シェルヘンやジルヴェストリなんかも同じようなレッテルを張られたものでした。

ロジンスキーが強く求めたのは大袈裟な身振りは一切排して、表現の振幅を可能な限り小さくし、その狭い振幅の中におさめられているディテールやニュアンスの多様さ描き切ることでした。

ですから、ロジンスキーの音楽はその微妙なディテールやニュアンスが正確に再生できるかどうかによって、その評価は大きく変わってしまうような気がするのです。もしも、再生装置にその力がなければ、そう言う細部がノッペリと塗りつぶされてしまいますから、スタイリッシュであってもどこかモノトーンのつまらない演奏と聞こえるでしょう。
逆に、その部分がきちんと再生できれば、とりわけ弱音部おける微妙な光と影の交錯のような物が聞き取れるならばそれは実に魅力的な音楽となります。そして、彼がそのような絶妙なバランスを求めたがために、ニューヨークでもシカゴでも楽員に対して苛烈なリハーサルを課したのかもわかろうかというものです。

さらにもう一つ付け加えておけば、シカゴを追われた後に活動の拠点をヨーロッパに移し、さらにはウエストミンスターでの録音に臨んでは、アメリカ時代のような苛烈さは次第に後退していっているように聞こえます。
まあ、人間が丸くなったのか、もうこれ以上食い扶持を失うわけにはいかなかったのかはわかりませんが、それは否定できない事実のようです。

まあ、それはそれで面白い演奏ではありますが・・・。
妄言多謝!!m(_ _)m

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