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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2021-11-22:コタロー
- 私が若いころ、レーデルのブランデンブルク協奏曲が緩い演奏だと感じました。
しかし今の時点で聴いてみると、何とも優雅に感じられるではないですか!
これはなぜでしょうか?一番大きいのは、当方が歳を重ねて趣味・嗜好が変わったことでしょう。他には、当時のオーディオ環境が家庭用の普及品であったこと、レコードが廉価盤のためか、盤質が良くなかったことが挙げられるかもしれません。
この場を借りて、改めてレーデルの音楽を好まれる方々にはお詫び申し上げます。
- 2021-11-21:りんごちゃん
- 管理人さんのお話によりますとこの録音はいわくつきであり、「よく知られているように、この録音のクオリティに関しては様々な問題が指摘されてきた」らしく、その「問題点はファーストヴァイオリンの響きのきつさに集約されてき」たのだそうですね
今回はその響きについて少々思うことを書いていこうと思います
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストと呼ばれる人たちがおりますが、彼らは戦後の演奏家たちとは全く異なる表現を用いていたことが見て取れます
彼ら(正確に言えば録音の残っている彼らの生き残りということになりますが)の中からその代表者を一人だけあげるといたしますとヨゼフ・ホフマン以外ありえないのではないかとわたしは思いますが、彼の生演奏(ピアノロール録音でないという意味です)の中ではしばしば轟音といってもよい表現が用いられております
ホフマンはなぜかこちらに音源が一つも上がっておりませんのでそれ以上の説明は省略いたします
同時代の他の19世紀ヴィルトゥオーゾたちやその後を受け継ぐ者たち、こちらに上がっている音源で申しますならルービンシュタインやホロヴィッツなども、程度の差はありますものの鍵盤を強打するのが基本となっておりまして、今の耳からいたしますと異様に聞こえるほどの轟音をたてて演奏するのが通例となっているのです
ルービンシュタインは後年演奏スタイルが極度に変わったようですし、他の19世紀ヴィルトゥオーゾのスタイルを受け継ぐ演奏家たちが忘れられてゆく中、ただホロヴィッツだけが第一線で注目を浴び続け、ホロヴィッツはその轟音を演奏の主軸に置きその凄みを表現の中核においた演奏を洗練させておりましたので、このような轟音を伴う演奏はともすればホロヴィッツの専売特許であるようにも見えてしまいがちですが、どうやら彼の同時代人の多くはこういったスタイルの演奏をしていたようでして、それは19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストたちにとっては常識とも言える表現だったはずです
トスカニーニやフルトヴェングラーらが「ベートーヴェンのような」演奏をしておりましたのも実際のところは19世紀の音楽をそのまま継承しているからにすぎないのでしょうが、大戦期の彼らの演奏がなんでも「ベートーヴェンのように」聞こえてしまうのにはまた別の事情もあるのでしょうね
セルはもちろん19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの生き残りと同時代人ですので、彼の頭の中には常識としてこの轟音をもたらす楽器の強打というものが入っているのでして、この暴力的なタッチも起源自体はそこにあるのです
ピアノという楽器の発達とリストに代表されるような種類の音楽の登場あるいはスチール弦の発明とネックの改造による現代仕様の弦楽器の登場などといったものももちろんその起源にはあるのでしょうがそのお話はここでは省略いたします
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの鍵盤の強打をリパッティは彼独特の形で洗練させております
リパッティはこちらに大半が上がっていると思われますが、例えば48年のシューマンのピアノ協奏曲ですとかショパンの舟歌などを聞きますと、鍵盤が強打されているにも関わらずそれが強打されていると気づかないほどにその響きが洗練されているところが聞いてとれます
リパッティは明らかに意図的に鍵盤を強打しているのですが、これが轟音となってしまいますと、ともすればそれが非音楽的に響くのは明らかですので、それを音楽的なものとして聞かせつつ強打のもたらす効果だけをそこにもたらすことを彼は意図しているのでして、彼の響きからは例えて申しますならヒマラヤのような高山を目の当たりにしたときに感じる気高さのようなものが感じられる気がするのです
そういったものは鍵盤の強打によってもたらされているのでして、彼は弱音においてもそのような効果がもたらされる奏法を洗練させていたことが、これを注意して聞けば聞いて取れるのではないかと思われます
リパッティはその歌うような演奏や隅々まで彫琢の行き届いた洗練された音楽作りばかりが称賛されているようですが、リパッティの音楽はそれに洗練された強打のもたらす効果が加わっているところこそがその最大の個性なのではないかとわたしは思っております
轟音というものはややもすれば非音楽的にも聞こえるわけですが、そこに独特の効果が存在していることは当然でして、その独特の効果を洗練させて手にしようということは、この時代の音楽家にとってはおそらく常識とも言える課題だったのでしょう
わたしにモーツァルトを教えてくれた音楽家はスイトナーなのですが、彼のライブ演奏にはライブ演奏ならではの独特の魅力が間違いなくありまして、わたしはそれによって音楽へと導かれたと申しても差し支えないでしょう
彼の演奏は良く言えば端正、悪く言えば平凡ともいわれるような中庸な演奏なのですが、そのライブ演奏では音に魂がこもっているかのように聞こえるのでして、こういった魅力を持つ演奏はおそらくどの時代でも称賛され得るようなものだろうと思います
彼に限らず、優れたライブ演奏ではおそらく意図されることなく心持ち強いタッチで演奏されているものですが、ライブ演奏の独特の魂がこもったかのような響きをもたらすために強いタッチというものがどうやら必要であるらしいということは間違いのないところでしょう
スイトナーにつきましてはこちらに上がっていない音源のお話ですのでこのくらいにいたしますが、ライブ演奏でしばしば見られる魂のこもったかのような音を得るために、強いタッチというものがしばしば意図的に用いられ、おそらく楽器の強打という物自体がそもそもそこにその起源があり、それと似たような独特の効果をもたらすことができるからこそ、それは19世紀を通じて継承されてきたのではないかと考えてもよいようにわたしは思うのです
19世紀音楽の継承者であり、またトスカニーニの最大の継承者と申して差し支えないように思われますセルがこの演奏効果を無視するはずはないのでして、この演奏で弦が暴力的なタッチで弾かれているのにはおそらくそういった理由があるのです
一方で、暴力的なタッチが最も似つかわしくないモーツァルトでそれをあからさまに行ってしまっては台無しなのは明らかですから、リパッティが行いましたようにそれを洗練させるか、あるいはそれを隠蔽しようという試みが行われるのも当然なのです
セルの録音の多くで、響きのみずみずしさを捨て、それを代償として隅々まで見通しのよい音を得るということが行われてきましたが、そういった録音ではこの暴力的なタッチの刺々しさが隠蔽されるようですので、そのような録音を選択した理由の中にはそれもあるいは含まれているのかもしれません
63年の41番あるいは60年の39番でも、あるいは66年の40番ライブ録音でも、暴力的と言っていいくらいきつく弾かれていることは注意して聞かずとも容易にわかりますよね
これらでその響きが刺々しく聞こえないのに対し、67年のものではそう聞こえるというのは、単に録音の違いによるのでしょう
この録音はたまたま通常と異なるホールで通常と異なるセッティングでとられたために、響きがいつもよりみずみずしくその刺々しいところまでが収録されたのでして、おそらくは彼らは普段からこのような音を出していたのではないかとわたしは思うのです
この刺々しさと響きの生々しい魅力はメリットと引き換えにデメリットを甘受する取引なのでして、67年の演奏が素晴らしいのはこれあってこその話なのです
こういったものは間違いなく19世紀の音楽の遺産と申して差し支えないものでしょう
人間は巨人の肩の上に乗っているからこそ遠くを見渡すことができるといったのはニュートンだったかと思いますが、セルもまた数多くの巨人たちの肩の上に乗ってこの演奏を作り上げているのでして、わたしはこの響きからそういったものを想起させられてしまうのです
- 2021-11-20:クライバーファン
古楽器の音は、ユング君のおっしゃる通り、痩せていますよね。あの歪んだような響きは、私もあまり好きになれません。
それに比べるとオーマンディが鳴らすモダンオーケストラの響きは、ただただ美しく、聞きほれました。夏、秋、冬も聴いていこうと思います。
- 2021-11-20:joshua
- ケンペのこのジュピターは実にいいですね。特にフィナーレ。イギリスのオケでこれですよ。ケンペは確かオペラでモーツァルトは残してないんです。魔笛など振ったら素晴らしかったでしょうね。
- 2021-11-18:東丈
- コロムビアのダイアモンド1000シリーズで持っています。
お気に入りの演奏です。
評価していただいてうれしいです。
- 2021-11-17:青葉若葉
- これは繰り返し聴きたくなる名演です。モノラルとはいえ、第2、第3楽章のアンサンブルは聴きどころです。フルトヴェングラーとか誰かではなく、ホーレンシュタインのベートーヴェンですよね。ブラームスの1番のLPを持っていますが、それもいい演奏だと思っています。
- 2021-11-16:jobxyz3
- "最近もとある方から50年代や60年代の録音ばかり取り上げて馬鹿じゃないのか、と言うメールをいただきました。"
ここ一ヶ月、ベートーヴェンの作品番号1から聞き比べしながら作品30まで来ましたが、良いと思ったのは、50年代と60年代だけでした(笑
私も馬鹿の一人かもと思いフフっと一人笑いしました・・・
一日一曲のペースですので、作品番号138まであと3~4ヶ月。毎日、この時間が楽しみです。ありがとうございます。
- 2021-11-16:コタロー
- バルビローリについては、こんな思い出があります。若い頃、大阪の吹田市にある「万博記念公園」に出かけた際、メインの建物のロビーに、残念ながら幻になったバルビローリの来日公演の大きなポスターが展示されていたのです。
ポスターを見たときに不思議に思ったのが、オーケストラが彼の手兵であるハレ管弦楽団ではなく、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団になっていたことです。
そういえば、この演奏もロンドン交響楽団を振っていますね。
- 2021-11-15:コタロー
- この演奏で驚いたのは、第1楽章と第2楽章をつなぐ部分です。一般的には、2つの和音に装飾音符を施すだけで済ますことが多いのですが、レーデルの演奏では、チェンバロによる第1楽章のカデンツァがひとしきり演奏されて、最後に例の2つの和音が導入されるのです。これは、面白い趣向ですね。この演奏は、私のファーストコンタクトなのですが、50年近く前に購入したので、上記の事実はすっかり忘れてしまいました。
このたびのアップによって、この事実が発見できて、何かうれしい気分です。
ありがとうございました。
- 2021-11-13:古川賢一
- バルビローリは、抜粋ですが、惑星を録音しているようです。
ホルスト:組曲『惑星』より(火星、金星、水星、天王星、木星)
RAIトリノ交響楽団
ジョン・バルビローリ(指揮)
録音時期:1957年11月15日
録音場所:トリノ、RAIオーディトリア
- 2021-11-13:yk
- yungさんのアーカイブでもモーツアルトの舞曲は初お目見えですね。ドラティの演奏は初めて聴きましたが、なかなか楽しめる演奏になっていると思います。
モーツアルトは晩年金策の為に追われるようにこれらの曲を書いたとも言われますが、無類のダンス好きでもあったモーツアルトはどの舞曲もアレコレ趣向を凝らして楽しみながら書いたのではないか、そんな様子が髣髴とするように思います。
特にK番号500番台以降の舞曲はもっとも純粋な意味で”珠玉”と言う言葉が相応しい傑作ぞろいだと思いますが、大抵はレコードの埋め草のような扱いになりがちなのは曲の性格上止むを得ないとはいえ残念なことです。
機会があればこのアーカイブでもほかの舞曲も順次取り上げられることを期待します(録音では、モーツアルトの全曲録音に情熱を傾けたDeccaのEric Smithがプロデュースしたボスコフスキー/ウィーン・モーツアルト・アンサンブルの「舞曲と行進曲全集」が演奏・内容共に優れて秀逸ですが、著作権が切れているかどうか・・・微妙かもしれません・・・)。
- 2021-11-12:コタロー
- この音楽では圧倒的に有名なのが、第2曲のエアーでしょう。これは後にヴィルヘルミという人が独奏ヴァイオリンで最も低い音が出るG線だけで弾く音楽に編曲した(伴奏はピアノ)ことで「G線上のアリア」として、大いに普及したものです。
しかしその後のバロック音楽復興の流れに沿って、原曲通りの弦楽合奏で演奏ことが多くなってきました。確かに、私自身も最初は「G線上のアリア」を聴いたのですが、バッハのオリジナル通りに「管弦楽組曲第3番」のエアーとして聴いてしまうと、こちらの方がしっくり来るようになりました。
ベイヌムのバロック演奏には、この曲の他にヘンデルの「水上の音楽」で珍しいクリュザンダー版が注目されます。どちらの曲もノーブルで流れのよい演奏で好感が持てますね。もう少し注目されても良いのではないかと思います。
- 2021-11-11:コタロー
- この時期のウィーン・フィルの音は抜群に素晴らしいです。
さすがに「50年代は黄金の時代」と言われるだけはありますね。
それにしても、この交響曲は今時分の季節感にぴったりだと思います。
クーベリックの指揮はウィーン・フィルの持ち味をさりげなく引き出していて、良いと思います。
- 2021-11-10:コタロー
- 私の若い頃は、「展覧会の絵(ピアノ版の原曲)」の名盤として、このホロヴィッツとリヒテル(ソフィアにおけるライヴ録音)が双璧と言われていました。当時、私はリヒテル盤を所有していました。当時の音楽雑誌では、もっぱらホロヴィッツ盤がまさに神格化されており、ムソルグスキーのこの難曲をさらに難しく「編曲」(ラヴェルのオーケストラ版を意識?)して、それを見事に演奏しているのが高評価につながっていました。
しかしながら、このサイトにおける評価(レイティング)はわずか4.8点(2021年11月10日現在)にとどまっております。あのホロヴィッツの来日を境にして、時代を追うごとに彼への評価が低下してしまったのでしょうか?
- 2021-11-06:yk
- はこの曲を聴くと何故かトルストイの「戦争と平和」を思い出すのですが、この曲の(特にロシア人以外の人間にとっての)評価は難しいですね。yungさんのアーカイブを見てもこの種の曲としては異例なほど色々な種類の演奏が収められていて、評価の幅が大きいように思います。ソレと言うのも、この曲がモーツアルトを理想とする(西欧)古典派の器に、ロシア民俗楽派の要素を”これでもか・・・”と言うほどてんこ盛りに詰め込んだようなところが有るからなのでしょう。演奏・解釈の幅もそれに従って古典派ピンからロシア的キリまであるのだと思いますが、古典派に寄り過ぎればゆず抜きのポン酢みたいで気が抜けるし、ロシアに寄り過ぎると超大盛激辛カレーみたいで辟易するし、かといって両極のバランスをとることに腐心するだけでは白黒写真で見るゴッホの絵見たいだし・・・と言うことになりかねない。理想は、古典派とロシア楽派と言う(本来相容れない??)2つの要素がお互い欠けることなく並立した演奏だと思うのですが、その点で今のところ私のベストはムラビンスキ―/レニングラードの演奏です。録音が1949年と古くあまり芳しくない(それもまた良し?)のが残念ですが、チャイコフスキーの後期交響曲をあれほど演奏したムラビンスキ―がなぜかこのセレナーデは1度しか録音していないのも、この曲の難しい立ち位置を示しているのかもしれません。
- 2021-11-05:HARIKYU
- はじめまして。
いつも楽しませて頂いてます。
ところでこのレコードは、コロムビアのダイアモンド1000シリーズで何度も再発売されたり、小学館の世界名曲全集に採択されたりと、廉価版ファンにはよく知られた演奏ですね。
ただ、当時のレコ芸などでは完全に無視されまくっていて、1行の寸評も見たことはありません。
カラヤンやベームが幅をきかせていた時代には黙殺されていた多くの演奏が、今少しづつ見直されているのは嬉しい事ですね。
- 2021-11-05:コタロー
- バッハのヴァイオリン協奏曲が3曲しか残らなかったのは、確かに痛恨の極みです。しかし3曲残ったのは、せめての幸いだったのでしょうね。特にこの曲は名曲だと思います。
この演奏は、デ・ヴィートのソロもさることながら、伴奏指揮がクーベリックであることに驚かされます。60年以上経った演奏ですが、今の耳で聴いても鮮度を失っていません。
このような貴重な演奏に出会ったことに、大いなるよろこびを感じます。
- 2021-11-03:アドラー
- この指揮者の名前は見たことは何度かあるのですが、口にするのが面倒そうで、口にしたことがありませんでした。この指揮者、オーケストラ、初めて聴かせてもらいました。いいですね! 質の良いオケの音で、シューベルトの親しみやすい音楽が、良い録音で流れてきます。いい!と思って、指揮者の名前を口にしてみました。思ったほど面倒な名前ではないですね。
- 2021-11-03:コタロー
- 一陣の風が吹き抜けるような、爽快な演奏ですね。ブルーノ・ワルターの超スローテンポとは真逆な解釈ですが、スクロヴァチェフスキの高度な音楽性が遺憾なく発揮されていると思います。
レイティングはあまり高くないようですが、私個人としては好きな演奏です。
- 2021-11-02:yk
- 懐かしい録音です。私も久しぶりに聴きなおしましたが、この時期のバックハウスらしい矍鑠としたピアノはやはり見事なものだと思います。ウィーンフィルとのモノラル録音では、1950年にバックハウスはベームの指揮で3番を録音していています。クラウスとのモノラル録音と後年のイッセルシュテットとのステレオ録音との関係は仰る通り微妙ですが、私見ではベームとの第3番はイッセルシュテット版をもってしても代えがたい魅力が有ります。
一連の録音時期を見るとベーム版が1950年と一番早いところを見ると、3番の録音結果を見て2,4,5番をクラウスと録音しているということになるので、ベームとバックハウスの間に何か問題でもあったのかしら?・・・と思わず野次馬の興味が湧かないでもありませんが、録音後70年が経った現在からみるとバックハウスとベーム(とウィーンフィル)の組み合わせはこの時期のベートーヴェンの協奏曲演奏の一つの(恐らく理想的な)完成形を示していると思うので、他の協奏曲でも彼らの録音が残されていないのは残念な気がします。
- 2021-10-31:ワンダーランド
- セル盤より迫力があり、すばらしい。
モノラルでも音がクリアである。
ベイヌムもブラームスの交響曲1番以上の出来栄え。
こんな録音があるなんて知りませんでした。
このような演奏のアップを今後もよろしくお願いします。
ありがとうございます。
- 2021-10-30:コタロー
- この演奏を聴いて真っ先に感じるのは、当時のウィーン・フィル、とりわけ弦楽器群の優美さでしょう。
それにしても、昨今のウィーン・フィルにはこのようなあでやかさがなくなってしまったことに、いささか寂しさを感じます。もちろん、ウィーン・フィルのメンバーは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の一員ですから、いわば国家公務員です。したがって、いくら優秀なメンバーであっても定年になれば演奏活動から身を引かなければなりません。
それじゃ来年のニューイヤーコンサートは見るのをやめて、裏番組の浜ちゃんの格付けチェックでも見ようかな(笑)。
- 2021-10-29:コタロー
- 青年時代のモントゥーは弦楽器奏者として、老境を迎えたブラームスの目の前で演奏したことがあったそうですね。この経験を通してモントゥーはブラームスの憂愁あふれる姿にいたく感動したそうです。それはモントゥーの一生の思い出となり、1964年の春に彼が指揮台から転落して、寝たきり生活を余儀なくされたときにも、モントゥーはブラームスの「ドイツ・レクイエム」の楽譜を肌身離さず持っていたのも有名なエピソードですね。
- 2021-10-28:コタロー
- 実は、若い頃はこの曲が苦手でした(特に第1楽章)。しかし、歳を取っていく過程で、この曲に触れる機会がちょくちょくあって、次第に苦手意識が薄らいでいきました。
この演奏はピアノもオーケストラも自然体で、透明感があふれる好ましいものです。変な「力み」を感じさせないところが良いですね。これはもっと注目されてもよい演奏だと思います。
- 2021-10-27:コタロー
- 『その昔、「監督が阿保やから野球は出来ん」と言ってクビになった某阪神タイガースの投手がいました。けだし、名言です。』
この投手、実はバロック音楽の大ファンだったそうですね(玉木正之氏の著書による)。
- 2021-10-26:yk
- バルヒェット、ピエルロ、アンドレ、ヴェロン=ラクロワ等々・・・戦後、バロック音楽の新しい演奏像が求められた時代の錚々たるメンバーが参加していますね。この時代はドイツのリステンパルト、ミュンヒンガー、レーデル、フランスのパイヤールなどがバロック音楽演奏の理想を競って室内演奏楽団設立した時代でもありましたが、この演奏に参加している演奏家の多くがこれら新しい室内合奏団に重複して参加しそれぞれの合奏団のカラーに合わせた演奏を繰り広げているのも興味深いことです。
後年”古楽器”の呪詛に捉われて硬直化していったピリオド運動では失われた自由(”いい加減さ”と言う人もいますが・・・^_^;)が謳歌された時代でもありました。歴史的に観れば、クラシック音楽がノスタルジックな懐古趣味でも無く、歴史考証学の対象でも無い、時代に即した音楽として生きる為のこの時代の試みだった・・・とも言えそうです。
- 2021-10-25:コタロー
- レーデルのブランデンブルク協奏曲は中学時代、私のファーストコンタクトです。
正直言って、当時の私はこの演奏に「緩さ」を感じたものでした。でも、今となっては、レーデルの穏やかな演奏も悪くないと思えるようになりました。サーフェース・ノイズもLP時代を彷彿とさせて、逆に懐かしく感じます。
- 2021-10-23:コタロー
- 今年初めてのモントゥーのアップですね。それもあまり聴かれない作品のモノラル録音を取り上げていますね。
ここに取り上げられた作品は私も初めて聴きます。それでもモントゥーの練達の指揮棒で、この無名な作品をそれなりに聴かせてしまうのは、モントゥーの手腕のたまものだと思います。
それほど偉大な指揮者の演奏を年に1,2回しか取り上げてくれないのは、とても残念なことだと思います。
- 2021-10-21:コタロー
- 演奏にはちょっと驚かされました。50年代の終盤にはすでにカラヤン美学が出来上がっていたのですね。まるで、高級なソファに身をゆだねるような快感がたっぷりと味わえます。
ジョージ・セルとは真逆な演奏ですが、改めて、モーツァルトの音楽が持つ懐の深さを強く感じさせられました。
- 2021-10-19:joshua
- これは素直に、美しい、と言いましょう。ディベルティメント10.15.17でも同じ感想ですが、まとまりの良いこの曲は一層そう思います。耽美的、いいじゃないですか。特に暑さひとしきりの秋の今頃には。
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[2026-03-05]

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ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調, Hob.III:63(Op.64-5) 「雲雀」(Haydn:String Quartet in D major, Hob.III:63(Op.64-5) "Lark")
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グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品82(Glazunov:Violin Concerto in A minor, Op.82)
(Vn)マイケル・レビン:ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年12月17日録音(Michael Rabin:(Con)Lovro von Matacic The Philharmonia Orchestra Recorded on December 17. 1954)
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ハイドン:弦楽四重奏曲第60番 イ長調 Op.55, No.1, Hob.3:60(Haydn:String Quartet No.60 in A Major, Op.55, No.1, Hob.3:60)
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[2026-02-22]

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 第1番 変ホ長調, Op.3(Beethoven:String Trio in E-flat major, Op.3)
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番へ長調, Op.135(Beethoven:String Quartet No.16 in F major Op.135)
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スメタナ:わが故郷より(Smetana:from my hometown)
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プロ・アルテ弦楽四重奏団:1936年11月19日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on November 19, 1936)