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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 1ソロを捉えて全体を語るのは禁物ですが、第4楽章途中、6分2秒のところ、第3ホルンのソロの竹を割ったような素晴らしさ!ご存じでしょうが、これをへ調に移調したら、ちょうど手前の1番ソロと同じ音になるわけです。ピアノの「シ」から始まるこのソロは比較的高音ゆえ外しやすく、思い切って吹けるものではありません。無難な吹奏に終わることが多いものです。(聞こえないように吹くのが本当の名人だという人もいますが)クーベリックの前年にこのソロに象徴される演奏があったんですよ。そういえば、カラヤンも同じウィーンを振ったブラ1はこの頃。あれは後年のあざとさが無い実に流麗な演奏でした。クーベリックは、順番が回ってくるのが早すぎたかもしれません。アラウの伴奏だったか、ブラームスの1番協奏曲のオケは聞きものでしたし、80年代頃にウィーンとの録音機会があればと惜しまれます。ま、出会いとは望むときに訪れるとは限らないもので、50年代の若きクーベリック・ウィーンが残っているだけでも有難いのかもしれません。因みに、この演奏のクリップス55歳、後年のバルビローリ60半ば。出会いはあざなえる縄のごとし。
- 2021-12-07:ジェネシス
- 私のクラシックレコード体験の始まりは祖父から貰った数枚のRCAの17センチEP盤でした。
その中にこの演奏が混じっていました、他には「魔弾の射手」と「モルダウ」(なんと?)が有り現在も所有しています。チェロのソロが終わった後に裏返しました、何せ45回転で線速度が速く音の存在感は安価な電蓄でも充分でした。いわゆるポップスや流行歌のシングル盤と「ベスト.オブ....」のLPでは違うのと同じです。
トスカニーニとフィードラーの格の違いは子供心にもワカリました。最初にトスカニーニで「モルダウ」を小学時代に聴いてしまうとその後はセルしか受け入れられない。ターリッヒもアンチェルもクーベリックももちろんカラヤンもコブシを効かせ(過ぎ気味)た奥飛騨慕情に聴こえました。しばらくはですよ、今はカラヤンかなぁ?。
- 2021-12-07:joshua
- 高弦主体で低弦の厚みが感じにくい録音ですね。英デッカの録音でしょうか、明晰な音ではありますを、テンポが実際以上に速く感じられ、落ち着いた感動にはなりません。各楽器のピッチが時として悪いのは、取り直しが無かったのでは、と察せられますが、不惑に入りたてのクーベリックには進言しにくい雰囲気があったのかもしれません。同じ時期のクリップス指揮ウィーンは、もっと聞きやすかった記憶があります。10年後にはバルビさんが全集完成しますが、なかなかウィーンの良さが生きた演奏。バルビローリ晩年です。ジュリーニ80年代校半全集など、これに似てるかな、と。ベームは勿論いい。バーンスタインやアバードも出てきますが、年上のバーンスタインが上。4曲あるので、二番あたりでオケ指揮者共に味が出るかもしれませんね。
- 2021-12-06:杉本正夫
- クーベリックってあまり人気がありませんが、私の好みであるこの曲の演奏を聴いてある程度納得できました。音の鳴らし方で波打つようなところがなく平坦に流れて行き、ドラマティックな表現とは距離を置いているように感じました。
1959年クナがドレスデンで指揮したものがお気に入り、終楽章ゆったりとしたテンポなのにズシンとくる迫力、ユニークですね。
- 2021-12-04:joshua
- プロムジカ、こと「隠れ」ウィーン響の音がいいですね。楽員が指揮者に共感して伸び伸び音を紡いでる、そんな好ましい演奏風景が感じられます。ヤッシャ・ハイフェッツならぬ、ヤッシャ・ホーレンシュタインさん。好かれる客演指揮者って、多国を旅してまわる大道芸人みたいなものですかね?本人が楽しめたら、楽員が嫌がらなかったら、それでいいと思います。
- 2021-12-03:たつほこ
- 「名曲名盤」懐かしいフレーズですね。
限られた小遣いでレコードを買い集めるのですから、名曲かはともかく、名盤であることは重要でした。失敗したくないという感情を持つ、クラシック音楽ファンの一部の要求に応えてくれました。教養主義が多い中で少数の庶民派代表。当時中高生の私には大フィルのレコードと欧米のメジャーオーケストラのレコードが同じ値段とは理解できませんでした。楽器としてのオーケストラの良し悪しは年をとるまで気にしていました。名曲名盤にあった「ザラストロこそ、地獄に落としてやりたい」には同感しました。
オペラ座のオーケストラは舞台なしでは聴けない代物でしょうが、ここでは、モーツァルトの生き生きとした音楽を聴けます。アーベントロートの悲愴も昔聴いて面白いと思いました。いろんな演奏を楽しめる本サイトに感謝します。名盤にこだわることなく、自分の好きな音源を(小遣いを気にせずに)探せる幸せ。
- 2021-12-02:コタロー
- ファリャの「三角帽子」は、私はアンセルメ指揮のものを持っています。これはほぼ全曲盤といってもよいもので、劇中に現れるソプラノのソロや、ベートーヴェンの「運命」のパロディも登場します。これで録音がたいへん優れている(1961年録音)のですから、言うことなしです。
アルヘンタの演奏はハイライト盤という風情ですが、あまり取り上げられない「第1組曲」がとりわけ傑出した演奏です。もっと長く活躍してほしかった指揮者ですね。
- 2021-12-01:大津山 茂
- ギンペルさんのブラームスのヴァイオリン協奏曲(アルトゥール・グル―バー指揮ベルリン交響楽団)も印象あります。
カップリングされていた、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団のブラームス交響曲第1番が聴きたく買ったレコードでした。(キング・レコード廉価盤「世界の名曲1000シリーズ」)。ちなみにギンベルさんのメン・チャイはコロンビア・ダイヤモンド・シリーズで発売され、私が初めて聴いたチャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲で、私の刷り込み演奏です。
- 2021-12-01:toshi
- レコードのパチパチノイズは、レコードの製造工程で使用される離型剤が劣化して発生するという話を聞いたことがあるますが、どうなんでしょうか? 離型剤が原因なら、洗剤で洗浄すれば綺麗になる筈ですが。(理論上ですけど^^;)
実際に食器用洗剤で洗浄している人がいるようです。
- 2021-11-28:クライバーファン
- ユング君の「もっと聞かれてよい」というブログでヘンデルが取り上げられており、怒涛のヘンデルの曲がアップされていたので、現在、片っ端から聞いています。
すぐには耳になじんでこない曲ですが、何度も聴いていこうと思います。
シューリヒトの指揮ぶりですが、普通な感じがしました。とても中庸で良いと思います。
- 2021-11-27:ジェネシス
- シューリヒト、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーを安価なステレオ電蓄で聴いて感動していた高校生であった私が出会ったのが宇野功芳氏の熱狂的な絶賛文でした。それは自分の価値観、審美眼に自信が持てなかった私にいわば御墨付きをくれたような感じです。但し、その余りにも自己陶酔的、或いは独善的にも思える文章は文体だけでなく内容的にも私にはズレが大きくなって行きました。
その典型がウィーン.フィルが最高、ミュンヘン.フィルとパリ.オペラ座管が4流というものです。英デッカのカルショーの事をユングさんも書いておられますが「未完成」とセットの「リンツ」の犯罪的に緩い序奏部を聴けばウィーン.フイルこそ4流とも思えます。
このオペラ座管は最高です、大脱線を許して戴ければ1940年代の全盛期のカウント.ベイシー楽団を想起してしまいます。C.ベイシー、F.グリーン、ジョー.ジョーンズ、W.ペイジという「ザ.リズムセクション」に乗って腕利き達が入れ替わり立ち代りソロや合奏を繰り広げていました。
- 2021-11-27:エラム
- 「超名作なのに理想的な演奏に出会えない曲」というのはどうしても存在するようです。私にとってはシューベルトの「グレイト」が筆頭格でした。
この録音に出会うまでは。
もしかすると史上唯一、この曲のポテンシャルを全開放した演奏かもしれません。ほれほどまでにこの演奏には惚れこみました。
グレイトが内包するエネルギーと歌謡性と永続性を自然に共存させています。
フルトヴェングラーもワルターも、ベームもジュリーニも、誰の録音を聞いても力んだり神経質だったりして100%満足できるものではありませんでした。
繰り返し指示を忠実に守った演奏に限定しないのであれば、空前絶後の名演かもしれません。
- 2021-11-27:コタロー
- これは懐かしい演奏ですね。10代半ばにセラフィムの廉価盤でモーツァルトの代表的音楽を集めたレコードでした。「アイネ・クライネ」などはフィルハーモニア管弦楽団、序曲集はロイヤル・フィルを若かりしコリン・デイヴィスが指揮したものでした。
私は、まさにこの演奏を聴いてモーツァルト入門を果たせたのです。しかも「3つのドイツ舞曲」は強い魅力を感じたものです。
最近懐かしの名盤に出会えるチャンスが増えてうれしいです。
- 2021-11-26:コタロー
- 私のファーストコンタクトです。セルの演奏では両端楽章に改訂がなされています。その事情を知らなかった当時の私は、ほかの様々な指揮者の演奏を聴いても、なぜセルのようにやらないのかと義憤(?)を感じていました。
そのもやもやを払拭できたのは、この曲のスコアをヤマハで実際に見たからでした。ほかの指揮者は楽譜に忠実に演奏していただけだったのですね。とんだ勘違いでした(笑)。
しかし、私はセル改訂のこの演奏が今でも大好きです!
- 2021-11-25:たつほこ
- 安心して聴けるベートーヴェンですね。40年前、中高生の頃、レコ芸のマーラー特集などで、よく見た名前です。キエフ出身のユダヤ人で、ずっと客演をしていた人だと初めて知りました。これから、ホーレンシュタインのいろいろな演奏が聴けるのを楽しみにしています。
- 2021-11-24:りんごちゃん
- 最初に申し上げておきますが、これはわたし個人の感想でございまして、他のどなたにもこのような聞き方を無理におすすめしようなどという意図はまったくございませんので、どうかご承知おきくださいませ
わたしはこの音楽につきましては、正直に申しますとあまり詳しくはありません
なぜかと申しますと、わたしはこれを聞くたびに退屈すぎて眠くなるのです
はじめのうちはそのメロディーとリズムについていくわけですが、これだけ単調なものを単調なままに聞かされ続ければそうなるに決まっております
で、あくびを我慢せずにそのまま何も考えず、ただひたすら音とリズムに浸って聞いておりますと、不思議なことが起こるのです
いつの間にかその音とリズムに集中してしまっており、その集中がもたらす不思議な感覚にとらわれるのです
その音は耳に入っているはずなのに、意識がそれに向けられていないため、その音は聞こえていないかのようなのです
こういったものは普通はトランス状態などと呼ばれるものなのでしょう
別にわたしは眠ってしまって夢を見ているのではないのだろうとは思うのですが
こういった体験をわたしはこの音楽だけでするわけではないのです
例えば、何でも良いのですが適当なお経を朗読いたします
如是我聞一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園…などとただ朗読してゆくわけですが、お経というものは漢文ですので、意味など考えずただ朗読いたしますと、単純なリズムがひたすら繰り返され、そののっぺりとした音の連鎖だけが耳に入ってまいります
これを続けてまいりますと、いつの間にやらその音とリズムだけに勝手に集中してしまっておりまして、しかもそれは聞こえていないかのような、なんとも説明し難い不思議な状態になるのです
みーんみんみんみん
あぢー
みーんみんみんみん
などといったものはどなたも経験なさったことがおありかと思いますが、こういったさなかにふとみーんみんみんみんが、音としては聞こえているはずなのに意識から消えてしまうことがあります
これなどもその種の体験と申してよろしいのかもしれません
こういったたぐいの体験はたぶん珍しいものでもなんでもないのでして、誰もがほとんど気づくことなく日々こういったことを繰り返しているのでしょう
通常、人間の意識は散漫としておりまして、様々なものへ勝手に連想が飛び、落ち着いていないものです
それを一点に集中させるためにはなにかその対象が必要であるらしく、単純なリズムを持った単調な音の連鎖というものはそれに最適であるらしいのです
作曲者はボレロを17分で演奏してほしいと考えていたようですが、このテンポは1分間に60拍になるようでして、それはだいたい落ち着いているときの人間の心拍数に当たるようですね
このテンポ自体は、そういった集中をいざなうのに最適なものを意図しているようにも見えます
この曲は、クラシック音楽の中ではそういった現象を引き起こすのに比較的適した作りになっているように見えますが、それ以外の音楽でもそういった現象はもちろん頻繁に起きているはずですし、音楽が祭祀に使われているケースなどでは、むしろそれがその音楽の最大の目的とするところなのでしょう
こうやってまたボレロに戻ってまいりますと、本来の意味での音楽としてはこれは至極まっとうなあり方であるようにも思えます
作曲者がここで何を意図しているのか自体はわたしにはさっぱりわかりませんが
それ以前に、そういったトランス状態のようなものは作曲や演奏をこれと言って必要としないのでして、鉛筆で筆箱をただ叩くだけでもそれは達せられることでしょうし、もっと手軽な手段といたしましては、自分の呼吸に集中するだけでもそれは得られるのです
その意味ではそのような曲は必ずしもなくてもよいのですが、それを集団で共有するためには音楽が必要なのでしょうね
音楽というものはむしろそういったものを得るために存在していたのかもしれませんが、クラシック音楽の歴史の中でそれは埋没し絶滅してしまったも同然のようです
が、別の見方をいたしますと、そういった音楽の聞き方自体に経験といったたぐいのものはたぶん不要なので、そういった種類の音楽は誰にとっても極めてわかりやすく、受け入れやすい音楽なのかもしれません
一方で、伝統的なクラシック音楽が築き上げてきたものやその聞き方という観点からこの曲を見た場合、これはそういったものから大きく逸脱しているような気がいたします
旋律の魅力やリズムの魅力という観点から見ましてもあまりに単調すぎますし、その音楽に心を揺さぶられるようなところはまったくないのです
そういった、伝統的なクラシック音楽が与えてくれるものをここに求めようといたしますと、この曲は内容空疎で聞くに値しない音楽となるのもまた当然でしょう
ボレロという曲は、音楽というものをどう捉えるかによって、それが音楽であるように見えたり全く見えなかったりする存在なのでして、これを音楽として認める人と認めない人がいるのはむしろ当然であるように思えます
この曲を聞こうとするなら、そのような狭く凝り固まった先入観などは捨ててしまったほうがよいのでしょうね
その音楽に価値を見いだせる聞き方こそ、それにふさわしい聞き方なのですから
わたしがカラヤンの演奏を選択いたしましたのは、この演奏が最も眠くなりやすいからなのです
わたしからいたしますとこの曲は、その単調さに眠くなり、音楽としてそれを聞こうなどという態度は捨て去って、ただその音とリズムを単純に受け取ることに専念することによってはじめてその鑑賞が始まるのです
カラヤンの音楽は、聞き手が何も考えずただひたすらその音の流れに身を任せてそれに浸るという官能的な聞き方を導くように作られておりますので、そういった特性がたまたまそれに最適なものとなっているのです
この曲はたぶんトランス状態を導く純粋な効果音でしかないのでして、その目的が達成されたとき聞き手の意識からその音は消失します
だからこそ、この曲にクラシック音楽が積み上げてきた種類の聞き所などというものは最初から存在する必要がないと申しますか、むしろあってはならないのでしょう
聞き手が意識を向けるべき先はそちらではないのですから
わたしはこういった音楽を批判しているのでも称賛しているのでもないのでして、ただ人間とは不思議なものだなぁと思っているだけなのです
- 2021-11-23:R100RT
- 最近よく利用させていただいています。ユング氏のコメントも楽しく読ませていただいています。
この曲に関しては是非ストコフスキー(1966年録音)も挙げていただきたいと思います。冒頭からコーラスを使ったのはカラヤンが最初だと思いますが、ストコフスキーの演奏での最後にコーラスに加え鐘や軍楽隊まで出てきてとんでもないどんちゃん騒ぎは天下無敵の下品さと思います。ひょっとしたらご存じの上で、ミキシング処理でオーケストラが一旦フェイドアウトしたりするので、クラッシックの演奏の範疇から外れてしまいましたか?
余談ですが、大昔にこの曲を吹奏楽でやったときは、最後の大砲のところでサイズが大きくすごく響きが良い大太鼓を使いました。観客も(そして演奏している私たちも)びっくりする大砲を思わせる響きでした。録音を聞き返して「すごいなあ」と思いましたが、太鼓だけでなく鳴らし切った奏者も良かったのでしょう。
- 2021-11-23:コタロー
- 私は、シベリウスの交響曲では「第6番」が、夢幻的な美しさをたたえていて一番好きです。コリンズの演奏は、カラヤンのような厚化粧なものとはまったく対照的で、幾分硬めなタッチで「純粋かつ自然」な音楽の流れを感じさせて、とても良いと思います。
- 2021-11-22:コタロー
- 私が若いころ、レーデルのブランデンブルク協奏曲が緩い演奏だと感じました。
しかし今の時点で聴いてみると、何とも優雅に感じられるではないですか!
これはなぜでしょうか?一番大きいのは、当方が歳を重ねて趣味・嗜好が変わったことでしょう。他には、当時のオーディオ環境が家庭用の普及品であったこと、レコードが廉価盤のためか、盤質が良くなかったことが挙げられるかもしれません。
この場を借りて、改めてレーデルの音楽を好まれる方々にはお詫び申し上げます。
- 2021-11-21:りんごちゃん
- 管理人さんのお話によりますとこの録音はいわくつきであり、「よく知られているように、この録音のクオリティに関しては様々な問題が指摘されてきた」らしく、その「問題点はファーストヴァイオリンの響きのきつさに集約されてき」たのだそうですね
今回はその響きについて少々思うことを書いていこうと思います
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストと呼ばれる人たちがおりますが、彼らは戦後の演奏家たちとは全く異なる表現を用いていたことが見て取れます
彼ら(正確に言えば録音の残っている彼らの生き残りということになりますが)の中からその代表者を一人だけあげるといたしますとヨゼフ・ホフマン以外ありえないのではないかとわたしは思いますが、彼の生演奏(ピアノロール録音でないという意味です)の中ではしばしば轟音といってもよい表現が用いられております
ホフマンはなぜかこちらに音源が一つも上がっておりませんのでそれ以上の説明は省略いたします
同時代の他の19世紀ヴィルトゥオーゾたちやその後を受け継ぐ者たち、こちらに上がっている音源で申しますならルービンシュタインやホロヴィッツなども、程度の差はありますものの鍵盤を強打するのが基本となっておりまして、今の耳からいたしますと異様に聞こえるほどの轟音をたてて演奏するのが通例となっているのです
ルービンシュタインは後年演奏スタイルが極度に変わったようですし、他の19世紀ヴィルトゥオーゾのスタイルを受け継ぐ演奏家たちが忘れられてゆく中、ただホロヴィッツだけが第一線で注目を浴び続け、ホロヴィッツはその轟音を演奏の主軸に置きその凄みを表現の中核においた演奏を洗練させておりましたので、このような轟音を伴う演奏はともすればホロヴィッツの専売特許であるようにも見えてしまいがちですが、どうやら彼の同時代人の多くはこういったスタイルの演奏をしていたようでして、それは19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストたちにとっては常識とも言える表現だったはずです
トスカニーニやフルトヴェングラーらが「ベートーヴェンのような」演奏をしておりましたのも実際のところは19世紀の音楽をそのまま継承しているからにすぎないのでしょうが、大戦期の彼らの演奏がなんでも「ベートーヴェンのように」聞こえてしまうのにはまた別の事情もあるのでしょうね
セルはもちろん19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの生き残りと同時代人ですので、彼の頭の中には常識としてこの轟音をもたらす楽器の強打というものが入っているのでして、この暴力的なタッチも起源自体はそこにあるのです
ピアノという楽器の発達とリストに代表されるような種類の音楽の登場あるいはスチール弦の発明とネックの改造による現代仕様の弦楽器の登場などといったものももちろんその起源にはあるのでしょうがそのお話はここでは省略いたします
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの鍵盤の強打をリパッティは彼独特の形で洗練させております
リパッティはこちらに大半が上がっていると思われますが、例えば48年のシューマンのピアノ協奏曲ですとかショパンの舟歌などを聞きますと、鍵盤が強打されているにも関わらずそれが強打されていると気づかないほどにその響きが洗練されているところが聞いてとれます
リパッティは明らかに意図的に鍵盤を強打しているのですが、これが轟音となってしまいますと、ともすればそれが非音楽的に響くのは明らかですので、それを音楽的なものとして聞かせつつ強打のもたらす効果だけをそこにもたらすことを彼は意図しているのでして、彼の響きからは例えて申しますならヒマラヤのような高山を目の当たりにしたときに感じる気高さのようなものが感じられる気がするのです
そういったものは鍵盤の強打によってもたらされているのでして、彼は弱音においてもそのような効果がもたらされる奏法を洗練させていたことが、これを注意して聞けば聞いて取れるのではないかと思われます
リパッティはその歌うような演奏や隅々まで彫琢の行き届いた洗練された音楽作りばかりが称賛されているようですが、リパッティの音楽はそれに洗練された強打のもたらす効果が加わっているところこそがその最大の個性なのではないかとわたしは思っております
轟音というものはややもすれば非音楽的にも聞こえるわけですが、そこに独特の効果が存在していることは当然でして、その独特の効果を洗練させて手にしようということは、この時代の音楽家にとってはおそらく常識とも言える課題だったのでしょう
わたしにモーツァルトを教えてくれた音楽家はスイトナーなのですが、彼のライブ演奏にはライブ演奏ならではの独特の魅力が間違いなくありまして、わたしはそれによって音楽へと導かれたと申しても差し支えないでしょう
彼の演奏は良く言えば端正、悪く言えば平凡ともいわれるような中庸な演奏なのですが、そのライブ演奏では音に魂がこもっているかのように聞こえるのでして、こういった魅力を持つ演奏はおそらくどの時代でも称賛され得るようなものだろうと思います
彼に限らず、優れたライブ演奏ではおそらく意図されることなく心持ち強いタッチで演奏されているものですが、ライブ演奏の独特の魂がこもったかのような響きをもたらすために強いタッチというものがどうやら必要であるらしいということは間違いのないところでしょう
スイトナーにつきましてはこちらに上がっていない音源のお話ですのでこのくらいにいたしますが、ライブ演奏でしばしば見られる魂のこもったかのような音を得るために、強いタッチというものがしばしば意図的に用いられ、おそらく楽器の強打という物自体がそもそもそこにその起源があり、それと似たような独特の効果をもたらすことができるからこそ、それは19世紀を通じて継承されてきたのではないかと考えてもよいようにわたしは思うのです
19世紀音楽の継承者であり、またトスカニーニの最大の継承者と申して差し支えないように思われますセルがこの演奏効果を無視するはずはないのでして、この演奏で弦が暴力的なタッチで弾かれているのにはおそらくそういった理由があるのです
一方で、暴力的なタッチが最も似つかわしくないモーツァルトでそれをあからさまに行ってしまっては台無しなのは明らかですから、リパッティが行いましたようにそれを洗練させるか、あるいはそれを隠蔽しようという試みが行われるのも当然なのです
セルの録音の多くで、響きのみずみずしさを捨て、それを代償として隅々まで見通しのよい音を得るということが行われてきましたが、そういった録音ではこの暴力的なタッチの刺々しさが隠蔽されるようですので、そのような録音を選択した理由の中にはそれもあるいは含まれているのかもしれません
63年の41番あるいは60年の39番でも、あるいは66年の40番ライブ録音でも、暴力的と言っていいくらいきつく弾かれていることは注意して聞かずとも容易にわかりますよね
これらでその響きが刺々しく聞こえないのに対し、67年のものではそう聞こえるというのは、単に録音の違いによるのでしょう
この録音はたまたま通常と異なるホールで通常と異なるセッティングでとられたために、響きがいつもよりみずみずしくその刺々しいところまでが収録されたのでして、おそらくは彼らは普段からこのような音を出していたのではないかとわたしは思うのです
この刺々しさと響きの生々しい魅力はメリットと引き換えにデメリットを甘受する取引なのでして、67年の演奏が素晴らしいのはこれあってこその話なのです
こういったものは間違いなく19世紀の音楽の遺産と申して差し支えないものでしょう
人間は巨人の肩の上に乗っているからこそ遠くを見渡すことができるといったのはニュートンだったかと思いますが、セルもまた数多くの巨人たちの肩の上に乗ってこの演奏を作り上げているのでして、わたしはこの響きからそういったものを想起させられてしまうのです
- 2021-11-20:クライバーファン
古楽器の音は、ユング君のおっしゃる通り、痩せていますよね。あの歪んだような響きは、私もあまり好きになれません。
それに比べるとオーマンディが鳴らすモダンオーケストラの響きは、ただただ美しく、聞きほれました。夏、秋、冬も聴いていこうと思います。
- 2021-11-20:joshua
- ケンペのこのジュピターは実にいいですね。特にフィナーレ。イギリスのオケでこれですよ。ケンペは確かオペラでモーツァルトは残してないんです。魔笛など振ったら素晴らしかったでしょうね。
- 2021-11-18:東丈
- コロムビアのダイアモンド1000シリーズで持っています。
お気に入りの演奏です。
評価していただいてうれしいです。
- 2021-11-17:青葉若葉
- これは繰り返し聴きたくなる名演です。モノラルとはいえ、第2、第3楽章のアンサンブルは聴きどころです。フルトヴェングラーとか誰かではなく、ホーレンシュタインのベートーヴェンですよね。ブラームスの1番のLPを持っていますが、それもいい演奏だと思っています。
- 2021-11-16:jobxyz3
- "最近もとある方から50年代や60年代の録音ばかり取り上げて馬鹿じゃないのか、と言うメールをいただきました。"
ここ一ヶ月、ベートーヴェンの作品番号1から聞き比べしながら作品30まで来ましたが、良いと思ったのは、50年代と60年代だけでした(笑
私も馬鹿の一人かもと思いフフっと一人笑いしました・・・
一日一曲のペースですので、作品番号138まであと3~4ヶ月。毎日、この時間が楽しみです。ありがとうございます。
- 2021-11-16:コタロー
- バルビローリについては、こんな思い出があります。若い頃、大阪の吹田市にある「万博記念公園」に出かけた際、メインの建物のロビーに、残念ながら幻になったバルビローリの来日公演の大きなポスターが展示されていたのです。
ポスターを見たときに不思議に思ったのが、オーケストラが彼の手兵であるハレ管弦楽団ではなく、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団になっていたことです。
そういえば、この演奏もロンドン交響楽団を振っていますね。
- 2021-11-15:コタロー
- この演奏で驚いたのは、第1楽章と第2楽章をつなぐ部分です。一般的には、2つの和音に装飾音符を施すだけで済ますことが多いのですが、レーデルの演奏では、チェンバロによる第1楽章のカデンツァがひとしきり演奏されて、最後に例の2つの和音が導入されるのです。これは、面白い趣向ですね。この演奏は、私のファーストコンタクトなのですが、50年近く前に購入したので、上記の事実はすっかり忘れてしまいました。
このたびのアップによって、この事実が発見できて、何かうれしい気分です。
ありがとうございました。
- 2021-11-13:古川賢一
- バルビローリは、抜粋ですが、惑星を録音しているようです。
ホルスト:組曲『惑星』より(火星、金星、水星、天王星、木星)
RAIトリノ交響楽団
ジョン・バルビローリ(指揮)
録音時期:1957年11月15日
録音場所:トリノ、RAIオーディトリア
- 2021-11-13:yk
- yungさんのアーカイブでもモーツアルトの舞曲は初お目見えですね。ドラティの演奏は初めて聴きましたが、なかなか楽しめる演奏になっていると思います。
モーツアルトは晩年金策の為に追われるようにこれらの曲を書いたとも言われますが、無類のダンス好きでもあったモーツアルトはどの舞曲もアレコレ趣向を凝らして楽しみながら書いたのではないか、そんな様子が髣髴とするように思います。
特にK番号500番台以降の舞曲はもっとも純粋な意味で”珠玉”と言う言葉が相応しい傑作ぞろいだと思いますが、大抵はレコードの埋め草のような扱いになりがちなのは曲の性格上止むを得ないとはいえ残念なことです。
機会があればこのアーカイブでもほかの舞曲も順次取り上げられることを期待します(録音では、モーツアルトの全曲録音に情熱を傾けたDeccaのEric Smithがプロデュースしたボスコフスキー/ウィーン・モーツアルト・アンサンブルの「舞曲と行進曲全集」が演奏・内容共に優れて秀逸ですが、著作権が切れているかどうか・・・微妙かもしれません・・・)。
- 2021-11-12:コタロー
- この音楽では圧倒的に有名なのが、第2曲のエアーでしょう。これは後にヴィルヘルミという人が独奏ヴァイオリンで最も低い音が出るG線だけで弾く音楽に編曲した(伴奏はピアノ)ことで「G線上のアリア」として、大いに普及したものです。
しかしその後のバロック音楽復興の流れに沿って、原曲通りの弦楽合奏で演奏ことが多くなってきました。確かに、私自身も最初は「G線上のアリア」を聴いたのですが、バッハのオリジナル通りに「管弦楽組曲第3番」のエアーとして聴いてしまうと、こちらの方がしっくり来るようになりました。
ベイヌムのバロック演奏には、この曲の他にヘンデルの「水上の音楽」で珍しいクリュザンダー版が注目されます。どちらの曲もノーブルで流れのよい演奏で好感が持てますね。もう少し注目されても良いのではないかと思います。
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[2026-04-24]

ハイドン:弦楽四重奏曲 変ホ長調, Hob.III:64(Op.64-6)(Haydn:String Quartet in E-flat major, Hob.III:64)
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団:1950年録音(Vienna Concert House Quartet:Recorded on 1950)
[2026-04-22]

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.61(Beethoven:Violin Concerto in D major, Op.61)
(Vn)ダヴィド・オイストラフ:アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス放送国立管弦楽団 1958年11月8日&10日録音(David Oistrakh:(Con)Andre Cluytens Orchestre national de France Recorded on Novenmber 8&10, 1958)
[2026-04-20]

ルーセル:セレナーデ Op.30(Roussel:Serenade in C major, Op.30)
パスキエ・トリオ:(Fl)ジャン・ピエール・ランパル (Harp)リリー・ラスキーヌ 1955年2月録音(Pasquier Trio:(Fl)Jean-Pierre Rampal (Harp)Lily Laskine Recorded on February, 1955)
[2026-04-18]

ベートーベン:ジュースマイアーの歌劇「スレイマン2世、または3人のサルタン妃」による8つの変奏曲 WoO 76(Beethoven:8 Variations on the Trio Tandeln und Scherzen from Sussmayr's Solimann der Zweite, WoO 76)
(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&1960年録音(Alfred Brendel:Recorded on 1958 & 1960)
[2026-04-16]

リリ・ブーランジェ:詩篇第129篇「彼らは、わたしの若い時から、たびたびわたしを苦しめた」(Boulanger:Psaume 129, Ils m'ont assez opprime des ma jeunesse)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 エリーザベト・ブラッスール合唱団 (Br)ピエール・モレ 1958年録音(Igor Markevitch:Orchestre Des Concerts Lamoureux Elisabeth Brasseurr (Br)Pierre Mollet Recorded on 1958)
[2026-04-13]

ハイドン:弦楽四重奏曲第62番 変ロ長調 Op.55, No 3, Hob.3:62(Haydn:String Quartet No.62 in B-Flat Major, Op.55, No 3, Hob.3:62)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1936年11月19日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on November 19, 1936)
[2026-04-10]

ハイドン:協奏的交響曲 変ロ長調, Hob.I:105(Haydn:Sinfonia concertante in B-flat major, Hob.I:105)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 1957年10月29日~30日録音(Igor Markevitch:Orchestre Des Concerts Lamoureux Recorded on October 29-30, 1957)
[2026-04-09]

J.S.バッハ:8つの小前奏曲とフーガ BWV.559-560(J.S.Bach:Prelude and Fugue BWV559-560)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1962年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1962)
[2026-04-08]

J.S.バッハ:8つの小前奏曲とフーガ BWV.557-558(J.S.Bach:Prelude and Fugue BWV557-558)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1962年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1962)
[2026-04-07]

J.S.バッハ:8つの小前奏曲とフーガ BWV.555-556(J.S.Bach:Prelude and Fugue BWV555-556)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1962年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 10-12, 1962)