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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2021-12-25:コタロー
- おひさしぶりの投稿です。体調不良のため(実は15年以上心療内科に通っているのです)、しばらくの間、投稿を控えていたという次第です。
「ゴイェスカス」はオペラ版が先にアップされていましたが、いよいよオリジナルのピアノ版がアップされてご同慶の至りです。デ・ラローチャの演奏はこの曲のエキゾチックな魅力がを最大限に発揮されて、とても見事です。前に、家にはデ・ラローチャの演奏(デジタル録音)を所有しているのですが、それに比べてこの演奏は若々しさをたたえていてなかなか素敵だと思います。
- 2021-12-24:yk
- 私にとってはバルヒェットはラクロワと組んだバッハのヴァイオリン・ソナタの録音と共に記憶に刻まれた演奏家でした。バルヒェットは戦後ブッシュの後ドイツ・ヴァイオリン界の伝統を継ぐ(最後の?)ホープとも言われましたが、全面開花する前に演奏界から去らざるを得なかったのは極めて残念な事でした。
バルヒェットの「四季」については、yunngさんも言及しているミュンヒンガーとのものの他に、この西ドイツ室内管弦楽団との演奏があるとは聞いていましたが、私は現在まで聴く機会がありませんでした。まだ、最初の「冬」を聴いただけですが、ミュンヒンガー盤では良くも悪くも室内合奏団の一員としての演奏だったバルヒェットが、このティーレガント盤では彼本来の持ち味を存分に聴かせてくれているように思います。
バッハのヴァイオリン・ソナタでもそうでしたが、彼のヴァイオリンにはふくよかな音色の中に、決してこれ見よがしではありませんがシャープな切れ味と清潔な芯の強さがあって、(少なくとも”ピリオド”を除けば・・・^_^;)現在のドイツ系ヴァイオリニストからはなかなか聴くことの出来なくなった”ドイツの伝統”を感じさせてくれるものだったと思います。
この後の「春」「夏」「秋」を楽しみに、貴重な「四季」のアップに感謝します。
- 2021-12-22:joshua
- 微妙にLPの針音で始まるこの音源。全音域で発声に全く無理のない、端正な演奏です。(第1楽章最高音Gがとても綺麗)派手さから言えばゴールウェイなんかの対極。近いといえば、ペーター・ルーカス・グラーフに近いでしょうか。58歳で早世したエレイン・シェーファー、知りませんでしたね。肺癌だなんて、笛吹きが煙草でも吸ってたんでしょうか?YUNGさんの解説に「オーケストラのオーディションがあっても女性だからと言う理由だけで不合格」というくだりがあり、調べてみますと、なんとFritz Reinerの仕業と知りました。ストレスが多い中を頑張って来たんでしょうね。妹が保管早逝する膨大な量の書簡にそのことは書き綴られているようです。こちらが原因の早逝と察します。先ほどの(私が好んで聞く)ペータールーカスグラーフは92歳で存命中です。マルセルモイーズはカザルス張りにパイプを吹かしていても95まで長生したんですから、ストレスは怖いものです。救いはシェーファーの音自身から全くストレスが感じられないことでしょう。
- 2021-12-17:joshua
- カラヤンのモーツァルトは美しさではピカイチではないでしょうか。ジュピターでさえ、ベームと比較するまでもなく、しかもこのウィーンでなくベルリンであっても、一聴明らかだと思います。教養主義的な精神性なんて無用の世界です。先日、触れましたブラ1に関してはウィーンに限り同じ気持ちで聞けます。蛇足ですが、また削除していただいても構いませんが、ある事に気づきました。サブリミナルで耳にこびりついたリズムが、終楽章の次の2箇所と合致しました。始まって2分5秒のところ、5分すぎのあたりの2箇所です。
低弦が刻んでいるリズムをperpetuumにすると、ドリフの髭ダンスになります。
ついでに、もう1つ、ブルックナーの6番の出だしをもじったら、映画アラビアのロレンスになります。だからといって、まったく、どういうこともないですが。
- 2021-12-14:アドラー
- この曲、初めて聴きました。独特の魅力があります。変奏曲以前の部分はヴァイオリンの音色に魅力がなければ面白くないでしょうけど、ヘンデルの音はいいですね。ヴァイオリンってこんな音がするのか?と思ったくらい、です。また、ホレチェクという伴奏者も、その伴奏部分だけでも聴きたくなるような自己主張があり、そのルバートがヘンデルのそれとすこーし、ずれているのも楽しく聴きました。後半のパガニーニらしいテクニックや音色も楽しいのですが、後半でのホレチェクはヘンデルに対して遠慮している感じに聞こえるのがやや残念。
他の演奏を知りませんが、もし比べたらこちらは全体的には真面目な演奏に分類されるんでしょう。だけど、真面目で上品な女性がほんの一瞬の眼差しの中に妖艶な色気を発した時の魅力というか、そういう面白さを感じます。
- 2021-12-13:joshua
- ウィーンシンフォニカーがシェルヘンとこの1年前に9番7番3番を入れたのを聴けたのは他ならぬyungさんのサイトです。してみれば楽員は曲を知悉しているはず。克明なリハをするシェルヘンですから。1年もしないうちの、ホーレンシュタインですから、余裕のあるはずの楽員をここまで吹かせ弾かせたのは雄とすべきでしょう。かたやコンセルトヘボウではクレンペラーが史上最速の復活を、ワルターがバイエルンで巨人、ミトロプーロスがミネアポリスで同曲を演奏しているのをCDにより、当時と比べ物にならない数のリスナーが、70年後の今存在するのは、録音技術がくれた奇妙な現象です。飛鳥よまだ見ぬ我が子へ、という書を残して癌で早世した医師を思い出します。
- 2021-12-12:白玉斎老人
- 偏愛している「セリオーソ」を聴き、構築感に溢れる音響に驚嘆した。この四重奏団なら、14番でも説得力がある演奏を聴かせてくれるはず。そんな期待を胸に再生すると、剛毅で緻密な世界が、スピーカーから立ち現れた。アルバンベルクカルテット(ABQ)を聴いて以降、絶えてなかった感涙を余儀なくされた。
名声を勝ち得た頃には、メンバーは米国在住のロシア系奏者ばかり。ためにプロデューサーの中野雄さんは著書で「米国を飛び回った、鳥なき里の蝙蝠」と揶揄していた。私は感じたのは、無用な感傷を排除して楽聖の音楽を表現した、雄々しい凄みと気迫である。
- 2021-12-12:HARIKYU
- ギンペル氏の演奏、人気がありますね。
ネットなどを読んでまわると、初めて買ったチャイコンやメルコンはギンベル盤だったという人が結構多いようです。
廉価版しか手が出せなかった貧乏学生にとって、ダイアモンド1000シリーズや世界の名曲1000シリーズは実にありがたい存在だったのであります。
- 2021-12-12:Yutaka Inada
- ここで提示されている演奏家と戦争の関係の仮説がおもしろくて、演奏家の年表を作ってみました。
興味深いのは1903年です。この年には、リリー・クラウス、アラウ、ゼルキン、そして何よりホロヴィッツが誕生しています(ついでに言うと、ミルシテインもムラヴィンスキーもこの年の生まれだと思います)。この世代は十代で第一次世界大戦を経験しており、14才の時(1917年)にはロシア革命も勃発しています。彼らも若い時にはピアニズムの基礎を学ぶどころではなかったのではなかったように思いますが、どうなのでしょう。
また、ホロヴィッツの1903年からリヒテルの1915年までの12年間は、私が知っているピアニスト(非常に範囲が狭いのですが)は生まれていません。これもちょっとおもしろいと思いました。
- 2021-12-11:joshua
- これだけ健康的な音楽を聴かせるベイヌムが、実は元来病弱であったのは意外です。仕事は、それが芸術であるにせよ、健康がよき成果の基本と思っていましたが、ことはそんなに単純ではなさそうです。フリッチャイだってそうでしたね。青白く燃える炎こそ、訴えてきます。
コンセルトヘボウの第一の特徴は楽器同士が一切邪魔をせず、全体的に極めて分離がいい、ということ。各楽器が特別味がある訳でないが、それこそがあじ。清楚でつつましい。でも、出るところは、すごい。バーンスタインのマーラー9番。コンセルトヘボウがいいとも、ベルリンフィルがいいともいいますね。要するに相互補完的であり、片方だけ聴いていても充分なんです。より1つの楽器に近い鳴り方をするのが、コンセルトヘボウと言えましょうか。平均律、職人技とくれば、優秀な個人であり、大作曲家がオランダから出なかった訳じゃないですかね。こういう存在も貴重ですよ。音楽再生側の秀才、というのは。
演奏については、第一楽章始まって2分30秒のところ、fis-f-es-d-g-c 3.4番ホルンしかないところなんですが、b-a-g-f-g-es かな?3度進行みたいな同ホルンが聴こえて来ます。これ、ベイヌムだけじゃないかな?モノの51年もやってたんじゃないですか?決まってますよ。近大的響き!コンセルトヘボウ機能的な一面ですかね。モーツァルトで色々実験をやったアーノンクールを思い出しますよ。こちらは好きじゃないけど。
元をたどれば、メンゲルベルグ。彼のストラディバリウスだったんですから、一つの楽器ですよ。
- 2021-12-08:joshua
- 1ソロを捉えて全体を語るのは禁物ですが、第4楽章途中、6分2秒のところ、第3ホルンのソロの竹を割ったような素晴らしさ!ご存じでしょうが、これをへ調に移調したら、ちょうど手前の1番ソロと同じ音になるわけです。ピアノの「シ」から始まるこのソロは比較的高音ゆえ外しやすく、思い切って吹けるものではありません。無難な吹奏に終わることが多いものです。(聞こえないように吹くのが本当の名人だという人もいますが)クーベリックの前年にこのソロに象徴される演奏があったんですよ。そういえば、カラヤンも同じウィーンを振ったブラ1はこの頃。あれは後年のあざとさが無い実に流麗な演奏でした。クーベリックは、順番が回ってくるのが早すぎたかもしれません。アラウの伴奏だったか、ブラームスの1番協奏曲のオケは聞きものでしたし、80年代頃にウィーンとの録音機会があればと惜しまれます。ま、出会いとは望むときに訪れるとは限らないもので、50年代の若きクーベリック・ウィーンが残っているだけでも有難いのかもしれません。因みに、この演奏のクリップス55歳、後年のバルビローリ60半ば。出会いはあざなえる縄のごとし。
- 2021-12-07:ジェネシス
- 私のクラシックレコード体験の始まりは祖父から貰った数枚のRCAの17センチEP盤でした。
その中にこの演奏が混じっていました、他には「魔弾の射手」と「モルダウ」(なんと?)が有り現在も所有しています。チェロのソロが終わった後に裏返しました、何せ45回転で線速度が速く音の存在感は安価な電蓄でも充分でした。いわゆるポップスや流行歌のシングル盤と「ベスト.オブ....」のLPでは違うのと同じです。
トスカニーニとフィードラーの格の違いは子供心にもワカリました。最初にトスカニーニで「モルダウ」を小学時代に聴いてしまうとその後はセルしか受け入れられない。ターリッヒもアンチェルもクーベリックももちろんカラヤンもコブシを効かせ(過ぎ気味)た奥飛騨慕情に聴こえました。しばらくはですよ、今はカラヤンかなぁ?。
- 2021-12-07:joshua
- 高弦主体で低弦の厚みが感じにくい録音ですね。英デッカの録音でしょうか、明晰な音ではありますを、テンポが実際以上に速く感じられ、落ち着いた感動にはなりません。各楽器のピッチが時として悪いのは、取り直しが無かったのでは、と察せられますが、不惑に入りたてのクーベリックには進言しにくい雰囲気があったのかもしれません。同じ時期のクリップス指揮ウィーンは、もっと聞きやすかった記憶があります。10年後にはバルビさんが全集完成しますが、なかなかウィーンの良さが生きた演奏。バルビローリ晩年です。ジュリーニ80年代校半全集など、これに似てるかな、と。ベームは勿論いい。バーンスタインやアバードも出てきますが、年上のバーンスタインが上。4曲あるので、二番あたりでオケ指揮者共に味が出るかもしれませんね。
- 2021-12-06:杉本正夫
- クーベリックってあまり人気がありませんが、私の好みであるこの曲の演奏を聴いてある程度納得できました。音の鳴らし方で波打つようなところがなく平坦に流れて行き、ドラマティックな表現とは距離を置いているように感じました。
1959年クナがドレスデンで指揮したものがお気に入り、終楽章ゆったりとしたテンポなのにズシンとくる迫力、ユニークですね。
- 2021-12-04:joshua
- プロムジカ、こと「隠れ」ウィーン響の音がいいですね。楽員が指揮者に共感して伸び伸び音を紡いでる、そんな好ましい演奏風景が感じられます。ヤッシャ・ハイフェッツならぬ、ヤッシャ・ホーレンシュタインさん。好かれる客演指揮者って、多国を旅してまわる大道芸人みたいなものですかね?本人が楽しめたら、楽員が嫌がらなかったら、それでいいと思います。
- 2021-12-03:たつほこ
- 「名曲名盤」懐かしいフレーズですね。
限られた小遣いでレコードを買い集めるのですから、名曲かはともかく、名盤であることは重要でした。失敗したくないという感情を持つ、クラシック音楽ファンの一部の要求に応えてくれました。教養主義が多い中で少数の庶民派代表。当時中高生の私には大フィルのレコードと欧米のメジャーオーケストラのレコードが同じ値段とは理解できませんでした。楽器としてのオーケストラの良し悪しは年をとるまで気にしていました。名曲名盤にあった「ザラストロこそ、地獄に落としてやりたい」には同感しました。
オペラ座のオーケストラは舞台なしでは聴けない代物でしょうが、ここでは、モーツァルトの生き生きとした音楽を聴けます。アーベントロートの悲愴も昔聴いて面白いと思いました。いろんな演奏を楽しめる本サイトに感謝します。名盤にこだわることなく、自分の好きな音源を(小遣いを気にせずに)探せる幸せ。
- 2021-12-02:コタロー
- ファリャの「三角帽子」は、私はアンセルメ指揮のものを持っています。これはほぼ全曲盤といってもよいもので、劇中に現れるソプラノのソロや、ベートーヴェンの「運命」のパロディも登場します。これで録音がたいへん優れている(1961年録音)のですから、言うことなしです。
アルヘンタの演奏はハイライト盤という風情ですが、あまり取り上げられない「第1組曲」がとりわけ傑出した演奏です。もっと長く活躍してほしかった指揮者ですね。
- 2021-12-01:大津山 茂
- ギンペルさんのブラームスのヴァイオリン協奏曲(アルトゥール・グル―バー指揮ベルリン交響楽団)も印象あります。
カップリングされていた、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管弦楽団のブラームス交響曲第1番が聴きたく買ったレコードでした。(キング・レコード廉価盤「世界の名曲1000シリーズ」)。ちなみにギンベルさんのメン・チャイはコロンビア・ダイヤモンド・シリーズで発売され、私が初めて聴いたチャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲で、私の刷り込み演奏です。
- 2021-12-01:toshi
- レコードのパチパチノイズは、レコードの製造工程で使用される離型剤が劣化して発生するという話を聞いたことがあるますが、どうなんでしょうか? 離型剤が原因なら、洗剤で洗浄すれば綺麗になる筈ですが。(理論上ですけど^^;)
実際に食器用洗剤で洗浄している人がいるようです。
- 2021-11-28:クライバーファン
- ユング君の「もっと聞かれてよい」というブログでヘンデルが取り上げられており、怒涛のヘンデルの曲がアップされていたので、現在、片っ端から聞いています。
すぐには耳になじんでこない曲ですが、何度も聴いていこうと思います。
シューリヒトの指揮ぶりですが、普通な感じがしました。とても中庸で良いと思います。
- 2021-11-27:ジェネシス
- シューリヒト、クナッパーツブッシュ、ムラヴィンスキーを安価なステレオ電蓄で聴いて感動していた高校生であった私が出会ったのが宇野功芳氏の熱狂的な絶賛文でした。それは自分の価値観、審美眼に自信が持てなかった私にいわば御墨付きをくれたような感じです。但し、その余りにも自己陶酔的、或いは独善的にも思える文章は文体だけでなく内容的にも私にはズレが大きくなって行きました。
その典型がウィーン.フィルが最高、ミュンヘン.フィルとパリ.オペラ座管が4流というものです。英デッカのカルショーの事をユングさんも書いておられますが「未完成」とセットの「リンツ」の犯罪的に緩い序奏部を聴けばウィーン.フイルこそ4流とも思えます。
このオペラ座管は最高です、大脱線を許して戴ければ1940年代の全盛期のカウント.ベイシー楽団を想起してしまいます。C.ベイシー、F.グリーン、ジョー.ジョーンズ、W.ペイジという「ザ.リズムセクション」に乗って腕利き達が入れ替わり立ち代りソロや合奏を繰り広げていました。
- 2021-11-27:エラム
- 「超名作なのに理想的な演奏に出会えない曲」というのはどうしても存在するようです。私にとってはシューベルトの「グレイト」が筆頭格でした。
この録音に出会うまでは。
もしかすると史上唯一、この曲のポテンシャルを全開放した演奏かもしれません。ほれほどまでにこの演奏には惚れこみました。
グレイトが内包するエネルギーと歌謡性と永続性を自然に共存させています。
フルトヴェングラーもワルターも、ベームもジュリーニも、誰の録音を聞いても力んだり神経質だったりして100%満足できるものではありませんでした。
繰り返し指示を忠実に守った演奏に限定しないのであれば、空前絶後の名演かもしれません。
- 2021-11-27:コタロー
- これは懐かしい演奏ですね。10代半ばにセラフィムの廉価盤でモーツァルトの代表的音楽を集めたレコードでした。「アイネ・クライネ」などはフィルハーモニア管弦楽団、序曲集はロイヤル・フィルを若かりしコリン・デイヴィスが指揮したものでした。
私は、まさにこの演奏を聴いてモーツァルト入門を果たせたのです。しかも「3つのドイツ舞曲」は強い魅力を感じたものです。
最近懐かしの名盤に出会えるチャンスが増えてうれしいです。
- 2021-11-26:コタロー
- 私のファーストコンタクトです。セルの演奏では両端楽章に改訂がなされています。その事情を知らなかった当時の私は、ほかの様々な指揮者の演奏を聴いても、なぜセルのようにやらないのかと義憤(?)を感じていました。
そのもやもやを払拭できたのは、この曲のスコアをヤマハで実際に見たからでした。ほかの指揮者は楽譜に忠実に演奏していただけだったのですね。とんだ勘違いでした(笑)。
しかし、私はセル改訂のこの演奏が今でも大好きです!
- 2021-11-25:たつほこ
- 安心して聴けるベートーヴェンですね。40年前、中高生の頃、レコ芸のマーラー特集などで、よく見た名前です。キエフ出身のユダヤ人で、ずっと客演をしていた人だと初めて知りました。これから、ホーレンシュタインのいろいろな演奏が聴けるのを楽しみにしています。
- 2021-11-24:りんごちゃん
- 最初に申し上げておきますが、これはわたし個人の感想でございまして、他のどなたにもこのような聞き方を無理におすすめしようなどという意図はまったくございませんので、どうかご承知おきくださいませ
わたしはこの音楽につきましては、正直に申しますとあまり詳しくはありません
なぜかと申しますと、わたしはこれを聞くたびに退屈すぎて眠くなるのです
はじめのうちはそのメロディーとリズムについていくわけですが、これだけ単調なものを単調なままに聞かされ続ければそうなるに決まっております
で、あくびを我慢せずにそのまま何も考えず、ただひたすら音とリズムに浸って聞いておりますと、不思議なことが起こるのです
いつの間にかその音とリズムに集中してしまっており、その集中がもたらす不思議な感覚にとらわれるのです
その音は耳に入っているはずなのに、意識がそれに向けられていないため、その音は聞こえていないかのようなのです
こういったものは普通はトランス状態などと呼ばれるものなのでしょう
別にわたしは眠ってしまって夢を見ているのではないのだろうとは思うのですが
こういった体験をわたしはこの音楽だけでするわけではないのです
例えば、何でも良いのですが適当なお経を朗読いたします
如是我聞一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園…などとただ朗読してゆくわけですが、お経というものは漢文ですので、意味など考えずただ朗読いたしますと、単純なリズムがひたすら繰り返され、そののっぺりとした音の連鎖だけが耳に入ってまいります
これを続けてまいりますと、いつの間にやらその音とリズムだけに勝手に集中してしまっておりまして、しかもそれは聞こえていないかのような、なんとも説明し難い不思議な状態になるのです
みーんみんみんみん
あぢー
みーんみんみんみん
などといったものはどなたも経験なさったことがおありかと思いますが、こういったさなかにふとみーんみんみんみんが、音としては聞こえているはずなのに意識から消えてしまうことがあります
これなどもその種の体験と申してよろしいのかもしれません
こういったたぐいの体験はたぶん珍しいものでもなんでもないのでして、誰もがほとんど気づくことなく日々こういったことを繰り返しているのでしょう
通常、人間の意識は散漫としておりまして、様々なものへ勝手に連想が飛び、落ち着いていないものです
それを一点に集中させるためにはなにかその対象が必要であるらしく、単純なリズムを持った単調な音の連鎖というものはそれに最適であるらしいのです
作曲者はボレロを17分で演奏してほしいと考えていたようですが、このテンポは1分間に60拍になるようでして、それはだいたい落ち着いているときの人間の心拍数に当たるようですね
このテンポ自体は、そういった集中をいざなうのに最適なものを意図しているようにも見えます
この曲は、クラシック音楽の中ではそういった現象を引き起こすのに比較的適した作りになっているように見えますが、それ以外の音楽でもそういった現象はもちろん頻繁に起きているはずですし、音楽が祭祀に使われているケースなどでは、むしろそれがその音楽の最大の目的とするところなのでしょう
こうやってまたボレロに戻ってまいりますと、本来の意味での音楽としてはこれは至極まっとうなあり方であるようにも思えます
作曲者がここで何を意図しているのか自体はわたしにはさっぱりわかりませんが
それ以前に、そういったトランス状態のようなものは作曲や演奏をこれと言って必要としないのでして、鉛筆で筆箱をただ叩くだけでもそれは達せられることでしょうし、もっと手軽な手段といたしましては、自分の呼吸に集中するだけでもそれは得られるのです
その意味ではそのような曲は必ずしもなくてもよいのですが、それを集団で共有するためには音楽が必要なのでしょうね
音楽というものはむしろそういったものを得るために存在していたのかもしれませんが、クラシック音楽の歴史の中でそれは埋没し絶滅してしまったも同然のようです
が、別の見方をいたしますと、そういった音楽の聞き方自体に経験といったたぐいのものはたぶん不要なので、そういった種類の音楽は誰にとっても極めてわかりやすく、受け入れやすい音楽なのかもしれません
一方で、伝統的なクラシック音楽が築き上げてきたものやその聞き方という観点からこの曲を見た場合、これはそういったものから大きく逸脱しているような気がいたします
旋律の魅力やリズムの魅力という観点から見ましてもあまりに単調すぎますし、その音楽に心を揺さぶられるようなところはまったくないのです
そういった、伝統的なクラシック音楽が与えてくれるものをここに求めようといたしますと、この曲は内容空疎で聞くに値しない音楽となるのもまた当然でしょう
ボレロという曲は、音楽というものをどう捉えるかによって、それが音楽であるように見えたり全く見えなかったりする存在なのでして、これを音楽として認める人と認めない人がいるのはむしろ当然であるように思えます
この曲を聞こうとするなら、そのような狭く凝り固まった先入観などは捨ててしまったほうがよいのでしょうね
その音楽に価値を見いだせる聞き方こそ、それにふさわしい聞き方なのですから
わたしがカラヤンの演奏を選択いたしましたのは、この演奏が最も眠くなりやすいからなのです
わたしからいたしますとこの曲は、その単調さに眠くなり、音楽としてそれを聞こうなどという態度は捨て去って、ただその音とリズムを単純に受け取ることに専念することによってはじめてその鑑賞が始まるのです
カラヤンの音楽は、聞き手が何も考えずただひたすらその音の流れに身を任せてそれに浸るという官能的な聞き方を導くように作られておりますので、そういった特性がたまたまそれに最適なものとなっているのです
この曲はたぶんトランス状態を導く純粋な効果音でしかないのでして、その目的が達成されたとき聞き手の意識からその音は消失します
だからこそ、この曲にクラシック音楽が積み上げてきた種類の聞き所などというものは最初から存在する必要がないと申しますか、むしろあってはならないのでしょう
聞き手が意識を向けるべき先はそちらではないのですから
わたしはこういった音楽を批判しているのでも称賛しているのでもないのでして、ただ人間とは不思議なものだなぁと思っているだけなのです
- 2021-11-23:R100RT
- 最近よく利用させていただいています。ユング氏のコメントも楽しく読ませていただいています。
この曲に関しては是非ストコフスキー(1966年録音)も挙げていただきたいと思います。冒頭からコーラスを使ったのはカラヤンが最初だと思いますが、ストコフスキーの演奏での最後にコーラスに加え鐘や軍楽隊まで出てきてとんでもないどんちゃん騒ぎは天下無敵の下品さと思います。ひょっとしたらご存じの上で、ミキシング処理でオーケストラが一旦フェイドアウトしたりするので、クラッシックの演奏の範疇から外れてしまいましたか?
余談ですが、大昔にこの曲を吹奏楽でやったときは、最後の大砲のところでサイズが大きくすごく響きが良い大太鼓を使いました。観客も(そして演奏している私たちも)びっくりする大砲を思わせる響きでした。録音を聞き返して「すごいなあ」と思いましたが、太鼓だけでなく鳴らし切った奏者も良かったのでしょう。
- 2021-11-23:コタロー
- 私は、シベリウスの交響曲では「第6番」が、夢幻的な美しさをたたえていて一番好きです。コリンズの演奏は、カラヤンのような厚化粧なものとはまったく対照的で、幾分硬めなタッチで「純粋かつ自然」な音楽の流れを感じさせて、とても良いと思います。
- 2021-11-22:コタロー
- 私が若いころ、レーデルのブランデンブルク協奏曲が緩い演奏だと感じました。
しかし今の時点で聴いてみると、何とも優雅に感じられるではないですか!
これはなぜでしょうか?一番大きいのは、当方が歳を重ねて趣味・嗜好が変わったことでしょう。他には、当時のオーディオ環境が家庭用の普及品であったこと、レコードが廉価盤のためか、盤質が良くなかったことが挙げられるかもしれません。
この場を借りて、改めてレーデルの音楽を好まれる方々にはお詫び申し上げます。
- 2021-11-21:りんごちゃん
- 管理人さんのお話によりますとこの録音はいわくつきであり、「よく知られているように、この録音のクオリティに関しては様々な問題が指摘されてきた」らしく、その「問題点はファーストヴァイオリンの響きのきつさに集約されてき」たのだそうですね
今回はその響きについて少々思うことを書いていこうと思います
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストと呼ばれる人たちがおりますが、彼らは戦後の演奏家たちとは全く異なる表現を用いていたことが見て取れます
彼ら(正確に言えば録音の残っている彼らの生き残りということになりますが)の中からその代表者を一人だけあげるといたしますとヨゼフ・ホフマン以外ありえないのではないかとわたしは思いますが、彼の生演奏(ピアノロール録音でないという意味です)の中ではしばしば轟音といってもよい表現が用いられております
ホフマンはなぜかこちらに音源が一つも上がっておりませんのでそれ以上の説明は省略いたします
同時代の他の19世紀ヴィルトゥオーゾたちやその後を受け継ぐ者たち、こちらに上がっている音源で申しますならルービンシュタインやホロヴィッツなども、程度の差はありますものの鍵盤を強打するのが基本となっておりまして、今の耳からいたしますと異様に聞こえるほどの轟音をたてて演奏するのが通例となっているのです
ルービンシュタインは後年演奏スタイルが極度に変わったようですし、他の19世紀ヴィルトゥオーゾのスタイルを受け継ぐ演奏家たちが忘れられてゆく中、ただホロヴィッツだけが第一線で注目を浴び続け、ホロヴィッツはその轟音を演奏の主軸に置きその凄みを表現の中核においた演奏を洗練させておりましたので、このような轟音を伴う演奏はともすればホロヴィッツの専売特許であるようにも見えてしまいがちですが、どうやら彼の同時代人の多くはこういったスタイルの演奏をしていたようでして、それは19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストたちにとっては常識とも言える表現だったはずです
トスカニーニやフルトヴェングラーらが「ベートーヴェンのような」演奏をしておりましたのも実際のところは19世紀の音楽をそのまま継承しているからにすぎないのでしょうが、大戦期の彼らの演奏がなんでも「ベートーヴェンのように」聞こえてしまうのにはまた別の事情もあるのでしょうね
セルはもちろん19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの生き残りと同時代人ですので、彼の頭の中には常識としてこの轟音をもたらす楽器の強打というものが入っているのでして、この暴力的なタッチも起源自体はそこにあるのです
ピアノという楽器の発達とリストに代表されるような種類の音楽の登場あるいはスチール弦の発明とネックの改造による現代仕様の弦楽器の登場などといったものももちろんその起源にはあるのでしょうがそのお話はここでは省略いたします
19世紀ヴィルトゥオーゾピアニストの鍵盤の強打をリパッティは彼独特の形で洗練させております
リパッティはこちらに大半が上がっていると思われますが、例えば48年のシューマンのピアノ協奏曲ですとかショパンの舟歌などを聞きますと、鍵盤が強打されているにも関わらずそれが強打されていると気づかないほどにその響きが洗練されているところが聞いてとれます
リパッティは明らかに意図的に鍵盤を強打しているのですが、これが轟音となってしまいますと、ともすればそれが非音楽的に響くのは明らかですので、それを音楽的なものとして聞かせつつ強打のもたらす効果だけをそこにもたらすことを彼は意図しているのでして、彼の響きからは例えて申しますならヒマラヤのような高山を目の当たりにしたときに感じる気高さのようなものが感じられる気がするのです
そういったものは鍵盤の強打によってもたらされているのでして、彼は弱音においてもそのような効果がもたらされる奏法を洗練させていたことが、これを注意して聞けば聞いて取れるのではないかと思われます
リパッティはその歌うような演奏や隅々まで彫琢の行き届いた洗練された音楽作りばかりが称賛されているようですが、リパッティの音楽はそれに洗練された強打のもたらす効果が加わっているところこそがその最大の個性なのではないかとわたしは思っております
轟音というものはややもすれば非音楽的にも聞こえるわけですが、そこに独特の効果が存在していることは当然でして、その独特の効果を洗練させて手にしようということは、この時代の音楽家にとってはおそらく常識とも言える課題だったのでしょう
わたしにモーツァルトを教えてくれた音楽家はスイトナーなのですが、彼のライブ演奏にはライブ演奏ならではの独特の魅力が間違いなくありまして、わたしはそれによって音楽へと導かれたと申しても差し支えないでしょう
彼の演奏は良く言えば端正、悪く言えば平凡ともいわれるような中庸な演奏なのですが、そのライブ演奏では音に魂がこもっているかのように聞こえるのでして、こういった魅力を持つ演奏はおそらくどの時代でも称賛され得るようなものだろうと思います
彼に限らず、優れたライブ演奏ではおそらく意図されることなく心持ち強いタッチで演奏されているものですが、ライブ演奏の独特の魂がこもったかのような響きをもたらすために強いタッチというものがどうやら必要であるらしいということは間違いのないところでしょう
スイトナーにつきましてはこちらに上がっていない音源のお話ですのでこのくらいにいたしますが、ライブ演奏でしばしば見られる魂のこもったかのような音を得るために、強いタッチというものがしばしば意図的に用いられ、おそらく楽器の強打という物自体がそもそもそこにその起源があり、それと似たような独特の効果をもたらすことができるからこそ、それは19世紀を通じて継承されてきたのではないかと考えてもよいようにわたしは思うのです
19世紀音楽の継承者であり、またトスカニーニの最大の継承者と申して差し支えないように思われますセルがこの演奏効果を無視するはずはないのでして、この演奏で弦が暴力的なタッチで弾かれているのにはおそらくそういった理由があるのです
一方で、暴力的なタッチが最も似つかわしくないモーツァルトでそれをあからさまに行ってしまっては台無しなのは明らかですから、リパッティが行いましたようにそれを洗練させるか、あるいはそれを隠蔽しようという試みが行われるのも当然なのです
セルの録音の多くで、響きのみずみずしさを捨て、それを代償として隅々まで見通しのよい音を得るということが行われてきましたが、そういった録音ではこの暴力的なタッチの刺々しさが隠蔽されるようですので、そのような録音を選択した理由の中にはそれもあるいは含まれているのかもしれません
63年の41番あるいは60年の39番でも、あるいは66年の40番ライブ録音でも、暴力的と言っていいくらいきつく弾かれていることは注意して聞かずとも容易にわかりますよね
これらでその響きが刺々しく聞こえないのに対し、67年のものではそう聞こえるというのは、単に録音の違いによるのでしょう
この録音はたまたま通常と異なるホールで通常と異なるセッティングでとられたために、響きがいつもよりみずみずしくその刺々しいところまでが収録されたのでして、おそらくは彼らは普段からこのような音を出していたのではないかとわたしは思うのです
この刺々しさと響きの生々しい魅力はメリットと引き換えにデメリットを甘受する取引なのでして、67年の演奏が素晴らしいのはこれあってこその話なのです
こういったものは間違いなく19世紀の音楽の遺産と申して差し支えないものでしょう
人間は巨人の肩の上に乗っているからこそ遠くを見渡すことができるといったのはニュートンだったかと思いますが、セルもまた数多くの巨人たちの肩の上に乗ってこの演奏を作り上げているのでして、わたしはこの響きからそういったものを想起させられてしまうのです
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[2026-06-15]

ボッケリーニ:チェロ・ソナタ第1番 イ長調, G.13(Boccherini:Cello Sonata No. 1 in A Major, G. 13)
(Cell)エンリコ・マイナルディ:(P)カルロ・ゼッキ 1952年録音(Enrico Mainardi:(P)Carlo Zecchi Recorded on 1952)
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ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
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バリリ四重奏団:(P)イエルク・デムス 1952年録音(Barylli Quartet:(P)Jorg Demus Recorded on 1952)
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バッハ:教会カンタータ 「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」 BWV67(J.S.Bach:Halt im Gedachtnis Jesum Christ, BWV 67)
ギュンター・ラミン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 トーマス教会少年合唱団 他 1954年2月26日録音(Gunther Ramin:Gewandhausorchester Leipzig Thomanerchor Leipzig (Org)Hannes Kastner (A)Gertrud Wagner (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel Recorded on February 26, 1954)
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エルガー:セレナーデ Op.20(Elgar:Serenade for String Orchestra in E minor, Op.20)
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ハイドン:弦楽四重奏曲 ハ長調, Hob.III:65(Haydn:String Quartet in C major, Hob.III:651)
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[2026-06-03]

バッハ:教会カンタータ 「人々シバよりみな来たりて」 BWV65(J.S.Bach:ie werden aus Saba alle kommen, BWV 65)
ギュンター・ラミン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 トーマス教会少年合唱団 (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel 1952年1月11日録音(Gunther Ramin:Gewandhausorchester Leipzig Thomanerchor Leipzig (T)Gert Lutze (Bass)BJohannes Oettel Recorded on January 11, 1952)
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