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マルグリット・ロン(Marguerite Long)|ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
マルグリット・ロン(P) ラヴェル指揮(ペトロ・ドゥ・フレ−タ=ブランコ指揮?):管弦楽団 1932年4月14日録音
Ravel:ピアノ協奏曲ト長調「第1楽章」
Ravel:ピアノ協奏曲ト長調「第2楽章」
Ravel:ピアノ協奏曲ト長調「第3楽章」
軽やかで,そして輝かしい協奏曲
この作品はクラシック音楽といえば常についてまわる「精神性」とは異なった地平に成り立っています。深遠な思想性よりは軽やかで輝かしさに満ちた、ある意味では20世紀の音楽を象徴するようなエンターテイメントにこそこの作品の本質があります。
ラヴェルは1928年に4ヶ月間にわたるアメリカでの演奏旅行を行い大成功をおさめました。その成功に気をよくしたのか、早速にも2回目の演奏旅行を計画し、その時のために新しいピアノ協奏曲の作曲に着手しました。途中、「左手のためのピアノ協奏曲」の依頼が舞い込んだりしてしばしの中断を強いられましたが、1931年に完成したのがこの「ピアノ協奏曲 ト短調」です。
これはある意味では奇妙な構成を持っています。両端楽章はアメリカでの演奏旅行を想定しているために、ジャスやブルースの要素をたっぷりと盛り込んで、実に茶目っ気たっぷりのサービス精神満点の音楽になっています。ところが、その中間の第2楽章は全く雰囲気の異なった、この上もなく叙情性のあふれた音楽を聴かせてくれます。とりわけ冒頭のピアノのソロが奏でるメロディはこの上もない安らぎに満ちて、もしかしたらラヴェルが書いた最も美しいメロディかもしれない、などと思ってしまいます。
ところがこの奇妙なドッキングが聞き手には実に新鮮です。まさに「業師」ラヴェルの真骨頂です。
なお、この作品はラヴェル自身が演奏することを計画していましたが、2回目の演奏旅行の直前にマルグリット・ロンに依頼することに変更されました。初演は大成功をおさめ、アンコールで第3楽章がもう一度演奏されました。その成功に気をよくしたのかどうかは不明ですが、作品は初演者のマルグリット・ロンに献呈されています。
歴史的名演ですが・・・
録音データによく分からないところがあります。というのは、今までリリースされたCDなどではデータは次のようになっています。
マルグリット・ロン(p)、ペトロ・ドゥ・フレ−タ=ブランコ指揮 交響楽団 (パリ、スタジオ・アルベ−ル;1932・4・14)
ところが、最近ロンの録音がとあるレーベルからまとめてリリースされたのですが、そこには指揮者はラヴェルと記されていて、ブランコはアシストしたと記されています。
実はこれがよう分からんのです。
指揮のアシストってなんなんでしょう?一応指揮台にはラヴェルが立っていたのですが、実は物陰にブランコが立っていて、オケのメンバーはそちらの方を見ながら演奏したと言うことなのでしょうが?・・・まさかね(^^;;
おそらくは、指揮台にはブランコが立っていたのでしょうが、その場にラヴェルが立ち会ってあれこれと指示を与えたというのが一番納得がいきます。そして初めてリリースされたときにはラヴェル指揮とクレジットされたのではないでしょうか。
もっともこれはあくまでもユング君の勝手な想像で、裏をとった話ではありません。誰かこの辺の事情に詳しい方はおられないでしょうか?
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よせられたコメント
2009-04-16:ゴジラ
- ピアニストの松浦豊明さんによると、ペトロ・ドゥ・フレ−タ=ブランコさんとモナコ国際音楽祭で共演した際、ブランコさん本人から、ラヴェル立会いのもと、自分が指揮したと聞いたそうです。つまり、ユングさんの想像通りということですね♪
2024-06-06:豊島行男
- 家内と一緒に聴いておりましたら、家内は少々タルイと抜かしやがりますが、まあ確かに今のラヴェル演奏と比較すると、鋭さや輝きにかけるかもしれません。
しかしながら、この優雅さは本物だと思います。細かいところはどっちでもよく浸れるか否か。私は浸っちゃいます。
オケは、ブランコだという理解でおりました。根拠は示すことが不明(忘れた)ですが、誰かが言い切っていたような・・・。曖昧なメッセージをば失礼します。
マルグリット・ロンへの賞賛の一部とご理解ください。
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