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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 作品104


Vc.フルニエ セル指揮 ベルリンフィル 1961年6月1~3日録音


チェロ協奏曲の最高傑作であることは間違いありません。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
特徴
この協奏曲は、アメリカ時代の終わり、チェコへの帰国直前に書かれた作品で、ボヘミアの音楽と黒人霊歌やアメリカン・インディアンの音楽を見事に融和させた作品として名高い(これについて、芥川也寸志は「史上類をみない混血美人」という言葉を贈っている(『音楽を愛する人に』1971年)。

この作品の主題が原住民インディオや南部の黒人の歌謡から採られたという俗説があるが、これについては作曲者自身が友人のオスカール・ネダブルに宛てて 1900年に書いた手紙の中で明快に否定しており、その後の研究でもそのような歌謡は見つかっていない。こうした誤解は、この作品がいかに親しみやすい旋律に満ちているかを物語る証左であるが、それと同時に独奏チェロの技巧性を際だたせる場面にも富んでいる。また、低音の金管楽器を巧みに用いることで、シンフォニックで、かつ柔らかな充実した響きをもたらすことにも成功している。コンチェルトには異例な程オーケストラが活躍する曲であり、特に木管楽器のソロは素晴らしい。さらには、主題操作の妙や確かな構成と、協奏曲に求められる大衆性と芸術性を高度に融合させた傑作である。

この作品を知ったブラームスは「人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに」と嘆息したと伝えられる。


作曲の経緯
1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲された。きっかけは同郷のチェロ奏者、ハヌシュ・ヴィハンからの依頼である。作曲が一度完了後、第3楽章に大幅に手が入れられている。この修正は後述するドヴォルザークの個人的事情によるものだった。

1895年8月にドヴォルザークのピアノ伴奏で試弾したヴィハンは、ソロパートが難しすぎるとの感想を述べ修正を提案したがドヴォルザークは納得せず、カデンツァを入れようと言う提案には激怒。ついには世界初演をヴィハンではなくレオ・スターンに任せるといった一幕もあった。


初演
1896年3月19日、ロンドンのフィルハーモニー協会。独奏は先に述べたようにレオ・スターン、作曲者自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。

依頼者のヴィハンはチェコでの初演を担当し、この曲を献呈されている。


楽器編成
独奏チェロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン3、トランペット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、トライアングル、弦楽五部


楽章構成
Allegro
Adagio ma non troppo
Allegro moderato
演奏時間は全曲で約40〜45分


楽曲の内容
第1楽章は、ロ短調で比較的厳密なソナタ形式に則った楽章。曲の冒頭でクラリネットがつぶやくように奏でる主題が第1主題である。第2主題はホルンが演奏するニ長調の慰めに満ちた主題。オーケストラがこれらの主題を提示し、確保した後、独奏チェロが第1主題を奏で、その動機をカデンツァ風に発展させながら登場する。速い動きの経過句を経て第2主題を独奏チェロが奏で、提示部コーダから展開部へと移る。再現部は、オーケストラが第2主題を演奏して始まり、独奏チェロがこれを繰り返す。ついで提示部のコーダ、第1主題の順に再現される。最後はロ長調によるトゥッティによる短いコーダで力強く終わる。
第2楽章はト長調、三部形式。ドヴォルザークのメロディーメーカーとしての天賦の才能がいかんなく発揮された、抒情性に満ちた旋律を堪能できる緩徐楽章。のどかな主題が最初木管楽器で提示され、これを独奏チェロが引き継ぐ。木管と独奏チェロが掛け合いで進行するうち徐々に他の弦楽器も加わり発展させてゆく。中間部はオーケストラの強奏で表情を変えて始まるが、すぐに独奏チェロがほの暗い主題を歌い上げる。この主題はドヴォルザーク自身の歌曲「一人にして」op.82-1 (B.157-1)によるものである。やがて第1主題が、ホルンに再現され、第3部に入る。独奏チェロがカデンツァ風に主題を変奏し、最後は短いコーダで静かに終わる。
第3楽章はロ短調のロンド形式。ボヘミアの民俗舞曲風のリズム上で黒人霊歌風の旋律が奏でられるドヴォルザークならではの音楽である。ロンド主題の断片をオーケストラの楽器が受け渡しながら始まり、やがて独奏チェロが完全なロンド主題を演奏する。まどろむような第1副主題、民謡風の第2副主題といずれも美しい主題がロンドの形式に則って登場する。終わり近くで、第1楽章の第1主題が回想されると急激に速さを増して全曲を閉じる。

逸話
ドヴォルザークがこの曲で自身の歌曲を引用したのには理由があった。ニューヨークで作曲中に、夫人の姉であるヨセフィーナ・カウニッツ伯爵夫人(彼が若き日に想いを寄せた人でもある)が重病であると言う知らせを聞いたドヴォルザークは、彼女が好んでいた自作の「一人にして」を引用した。

1895年の4月にドヴォルザークは家族と共にプラハへと帰国。その1ヵ月後、彼女は亡くなった。第3楽章のコーダは、このときに第1楽章の回想と再び歌曲の旋律が現れるものに書き換えられている。この60小節は修正前は4小節しかなかった。

研究家達によれば、習作のチェロ協奏曲を書いていた時期と、彼女への想いを募らせていた時期がほぼ一致していることから、これらは当時の彼女への想いを振り返り、その後も親しくしていた彼女への感謝が込められていると考えられている。ヴィハンの修正などの提案にドヴォルザークが気分を害した(ヴィハンに「1つも音を変えてはならない」と念押しする書簡まで書いている)のも、彼にしか分からない気持ちがこめられていたからであった。

「秘すれば花」の世界



つにこの録音もパブリックドメインとなったのかと、いささか感慨深いものがあります。
私がクラシック音楽なんぞというものを聞き始めた頃に、セルという男に出会ってすっかり感心してしまった話は、大昔(15年も前)にちょこっと書いたこと事があります。そんな、セルの録音の中でもベートーベンのエロイカと並んで大好きだったのがこのドヴォコンの演奏でした。

とにかく格好良いのひと言です。
この作品は「協奏曲」となっているのですが、その実体はチェロ独奏付きの交響曲・・・くらいの雰囲気が漂うほどにオケが前面に出てきます。ですから、よくあるコンサートのプログラム(前半に序曲と協奏曲、後半にメインの交響曲)でこの作品を取り上げたりすると、オケの方は「取りあえず伴奏しておきました」というようなスタンスになって、実にお粗末な演奏になってしまうことがよくあります。
取りあえずはオケに伴奏してもらって、後はソリストにお任せ!では駄目な作品だと言うことです。
かといって、チェロという楽器はピアノほどの威力はありませんから、オケを相手に丁々発止というわけにもいきません。
つまりは、オケは出るべき場面では前に出てしっかりと音楽を盛り上げ、ソリストを立てるべき場面ではさっと後ろに引いてサポートに徹するという「バランス感覚」が必要になります。そうなれば、若い頃から「バランスのセル」と言われたほどの男ですから、そのあたりのセルの手綱さばきは絶妙です。

聞けばすぐに分かることですが、全体としてはかなり速めのテンポで押し切っています。
このテンポ設定の主導権は指揮者であるセルがにぎっています。
例えば冒頭のオケによる序奏部分は颯爽としたテンポでセルの意志が明示されるのですが、それを受けて登場するフルニエ(3分25秒あたり)のテンポは明らかに遅めです。歌うことがチェロの本能ですから、それは当然といえば当然です。
しかし、それを受けたセルは、チェロの独奏が一息ついた部分で(4分半のあたりかな)ガツンと活を入れてテンポを引き戻しているのが分かります。それ以後も、実に微妙ではあるのですが、そう言う両者のやりとり(あつれき?)があちこちに散見されるのですが、最終的にはセルのテンポに収斂していきます。

その事がはっきり分かるのが第2楽章です。
フルニエにしてみればこの緩除楽章はチェロの聞かせどころなのですから、もっとたっぷりとしたテンポで歌い上げたいところでしょう。そして、聞き手によってはもっと歌って欲しかったと思うところでしょう。
しかし、基本的にはセルのテンポで全てが処理されていきます。そして、そのテンポたるや、まさに「素っ気ない」と思えるほどの速さで押し切っていきます。フルニエとしてみればかなりストレスがたまったと思われるのですが、セルには逆らえなかったようです。
しかし、結果としては、下らぬ情緒にまみれることなく、実に上品で気品のある音楽に仕上がっています。日本風に表現すれば、世阿弥の「秘すれば花」の世界が表現されています。
そしてこれは特筆すべき事ですが、そう言う抑えた表現の中から聞こえてくる管楽器の響きが出色なのです。

この録音に参加したクラリネット奏者のカール・ライスターは、ベルリンフィル時代における最も印象深かった経験としてこの録音のことを語っていて、さらには自分のオーケストラの欠点を明確に悟ったとも述べています。しかし、こういう管楽器の美しい響きを聞かされると、ベルリンフィルにはベルリンフィルならではの美質があったこともよく分かります。何故ならば、こういう管楽器の響きの美しさはクリーブランドのオケからは聞き取ることができないからです。

おそらく、聞く人によれば、この録音は個性に乏しいニュートラルな演奏だと思われるかもしれません。
ロストロさんのように、もっと深い情念を込めて緩除楽章を歌わせる演奏の方が好ましく思う人がいても不思議ではありません。しかし、このセルとフルニエの演奏は繰り返し聞かれることを宿命づけられた「レコード」というものをの本質と宿命を考え合わせれば、おそらくは最上のパフォーマンスの一つでしょう。
初めて聞いたときにはその強い個性に魅了されても、繰り返し聞くと、その個性が「灰汁」となってしまう演奏は意外と多いものです。この録音は、そう言う類の演奏とは最も隔たったところにある演奏です。

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