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レイボヴィッツ(Rene Leibowitz)|ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調, Op.53「英雄」(管弦楽編曲)(Chopin:Polonaize in A flat major "Heroique", Op.53)
ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調, Op.53「英雄」(管弦楽編曲)(Chopin:Polonaize in A flat major "Heroique", Op.53)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
Chopin:Polonaize in A flat major, Op.53
雄々しさと憂愁

ポロネーズの起源はよく分かっていませんが、おそらくこれもまた原型はポーランドの農民の儀式や労働の場における踊りだったろうと思われます。それが、やがて上流階級に浸透していく中で3拍子の中庸の速度でもって歩くように行列をつくって踊る音楽として発達し、やがては宮廷において堂々としたリズムが特徴的な器楽曲として定着していったものと思われます。そして、その様に定形化したポロネーズは国外にも広まり、ヨーロッパ各国の作曲家も積極的にそのスタイルを取り入れた作品を書くようになっていきました。
しかし、ポーランドの作曲家にとっては、大国による領土分割という悲劇の中で、ポロネーズは特別な意味を持たざるを得ませんでした。そして、ショパンもまたその様な特別な意味を持った音楽としてのポロネーズに子供時代から親しみ、実際に彼が初めて書いた作品はポロネーズであったと伝えられています。(7歳の時のト短調)
しかし、それらのポロネーズはいわゆる舞曲的な性格が強いもので、後の成熟したショパンの手になるポロネーズとは佇まいが随分と違います。
ショパンは少しずつ曲の規模を拡大し、リズムも定型のものではなくてより自由なリズムへと変化していきます。
そして、それらは全て、民族の精神を生の形で描き出すのではなくて、より自らの民族的主張を具現化した芸術的な高みへと引き上げようとしたものでした。
より具体的に言えば、ロシアの圧政に苦しめられたポーランドの憂愁と、それを打ち破ろうとする雄々しさを表現しようとするものだったと言えます。
マズルカもまた民族的な楽曲ですが、ポロネーズはそう言うショパンの民族的主張を真正面に据えていると言えます。
ですから、ショパンのポロネーズと言えば一般的に以下の7曲です。
作品番号順に1番から7番というナンバーも割り振られています。
- ポロネーズ第1番嬰ハ短調, Op.26-1
- ポロネーズ第2番変ホ短調, Op.26-2
- ポロネーズ第3番イ長調, Op.40-1「軍隊」
- ポロネーズ第4番ハ短調, Op.40-2
- ポロネーズ第5番嬰ヘ短調, Op.44
- ポロネーズ第6番変イ長調, Op.53「英雄」
- ポロネーズ第7番変イ長調, Op.61「幻想」
ポロネーズ「英雄」, Op.53
ショパンのポロネーズを大きく二分すれば、ポーランドの雄々しさを表現するような強靭なリズムを持つものと、帝政ロシアの支配下にある苦難のポーランドを描いた憂鬱さに満ちたものに分けられると述べた人がいました。そうすれば、この「英雄ポロネーズ」とよばれることの多いこの作品は前者の代表と言っていいでしょう。
軍隊ポロネーズも同じ方向性を持つのですが、明らかにこの作品の方がはるかに作品の規模が拡大され、たようなリズム表現と楽想の変化に富んでいます。
それ故に、この作品は掛け値なしにショパンの最高傑作の一つと言っていいでしょうし、古今東西の数あるピアノ作品の中でも屈指の名作と言えるでしょう。
長い前奏の後に登場する華やかで力強い第1主題はこの上もなく輝かしいものです。さらに、中間部における左手のオクターヴ連打の上にメロディーが現れる部分では、そのオクターブ連打がかなりの技術が求められます。
それは、この作品が持っているヴィルトゥオーゾ的な効果がもっとも発揮されている場面だと言えます。
そして、第1主題が再現されて、最後は短いコーダで華々しく締めくくられます。
ショパンはこの作品にタイトルをつけることを拒否していたようなのですが、おそらくは彼の弟子たちの間でいつしか「英雄ポロネーズ」という呼び方が定着していったようです。
ショパンはどう思うかはしれませんが、決して悪いネーミングとは思いません。
高い分析力と良い意味での「緩さ」が上手くマッチしている
レイボヴィッツの録音活動の少なくない部分を「リーダーズ・ダイジェスト」が占めています。
「リーダーズ・ダイジェスト」は月刊の総合ファミリー雑誌だったのですが、書店売りは行わずに会員制の通信販売というスタイルをとっていました。この販売方法とアメリカ至上主義の編集方針を貫くことでアメリカ最大の発行部数を誇る雑誌へと成長していきました。
そして、その会員制の通信販売というスタイルを生かしてレコード制作にも乗り出します。
しかし、基本的に「リーダーズ・ダイジェスト」は雑誌社ですから録音のノウハウなどは持ち合わせていないので、その制作はRCAに丸投げしていました。
その丸投げのおかげで、同じような販売方法をとった「コンサートホールソサエティ」と較べると格段に録音のクオリティが高いという思わぬ幸運をもたらしました。
ただし、その性格上、クラシック音楽の分野ではコアなファンではない人々を対象としたために、いわゆる「クラシック音楽名曲集」のようなものが主流でした。
実は、この事に長く思い当たらず、小品の録音ばかり押し付けられるレイホヴィッツはレーベルの中では軽くあつかわれすぎていると考えていました。
しかし、実際は彼にベートーベンの交響曲の全曲録音を依頼された事が異例の厚遇であり、本来の仕事はそう言う売れ筋の名曲小品の録音だったのです。
そして、そういう待遇に対してかつては「レイボヴィッツにとって名曲小品の録音ばかりが続くというのはそれほど楽しい仕事ではなかった事でしょう」などと書き、「しかし、食っていくためには必要な仕事だったのでしょう」などと記しておりました。
しかし、最近になってそう言う小品集をじっくりと聞いてみると考えが随分と変わってきました。
よくよく聞いてみると、一連の小品の中にはオーケストラ編曲したものが多く、それらの編曲が実に面白いのです。レコードには編曲者のクレジットはないのですが、間違いなくレイホヴィッツの手になるものでしょう。
さらには、管弦楽の小品もじっくり聞いてみるとあれこれと手が入っているようで、原典通りに演奏しているとは思えません。それもまたレイホヴィッツ自身が手を入れたのではないでしょうか。
つまりは、「楽しい仕事ではなかった」のではなく、逆に結構楽しんで、そして意外なほど真剣に取り組んでいたように思えてきたのです。
確かに、彼にあてがわれたオーケストラは「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」、「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団」などと言う「怪しげ」なものばかりです。
しかし、決して下手なオケではありません。
レイホヴィッツは本質的に「指揮者」ではなく「作曲家」でした。
同じような存在としてマルケヴィッチがいますが、彼の場合は「作曲もする指揮者」だったように思います。
両者はともに作品を分析する能力に関しては折り紙つきですが、その分析したものをオーケストラに明確に伝え、統率する能力に関しては大きな差があったと言わざるをえません。
マルケヴィッチの場合は自分が納得できる表現に辿りつくまでは容赦なくオーケストラを絞り上げますが、レイボヴィッツの指揮には良い意味での緩さがありました。
ですから、「インターナショナル交響楽団」とか「ロンドン新交響楽団」のような怪しげなオケも、レイホヴィッツのような指揮者ならば伸び伸びと楽しんで演奏できたことでしょう。そして、その楽しさにレイホヴィッツも乗っかって、「十二音技法の使徒」と呼ばれたほどの人物が、まるでポップスミュージックのようにクラシック音楽を演奏したのです。
ただし、忘れてはいけないのは、どれほど外連味にあふれた演奏であっても、そこにはしっかりと背筋が通っていることです。この二律背反しそうなことを見事に融合していることこそがレイホヴィッツの魅力です。
ですから、そういう楽しい音楽を聞き手に提供することは、決して「食っていくための仕方のない仕事」などではなかったはずです。
もっとも、現代音楽の作曲家にとっては「食っていくためにの必要な仕事」であった事も事実でしょうが…。
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