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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- この、残念ながらきっと反応が薄いかもしれない、でものせ続けるyungさんらしい「ランパルは、地味だった曲を掘り起こして、ほらこんなに美しく楽しく紹介してくれているよ!」というシリーズ(?)。日ごろの恩義に感謝していわば騙されたと思って(失礼!)聞き始め、やはり楽しく聞かせていただいています。そしてそれに合わせ、マイナー曲の場合は殊更に努力されて調べて書かれているという解説も読ませていただきました。
音楽を楽しむことと、それを書いたのが誰なのか(にまつわる諸々の物語)を認識することの間の関係は、なかなかに単純でないものがあることを、改めて想起させられます。私個人は、それでも結果的に聴いて素晴らしいと思えるものになっていればまあそれでいいのでは、と思います。音楽は演奏して初めて形になるものですし、このように自然で豊かな流れを感じさせる素晴らしい演奏を耳にすると、演奏という行為によって素晴らしいものとして再現できれば、「結果よければそれでよし」にも思えます。
- 2016-01-23:nakamoto
- ヘンテコリンな、曲ですよね!でも、その割に素晴らしすぎます。やはりバッハの手がかなり入った、真作、と見るべきでしょう。何故、エマヌエル君が、こんな、ヘンテコリンな曲を、父の作品でもないのに、父の作です、という必要がありましょうか??何故、エマヌエルを信じないのでしょう。ヘンテコリンでも、作品として、第1級のものです。何故に、削除する必要があるのでしょうか??ヘンテコリンに成ったには、何かのいきさつが、あったのでしょう。兎も角、凡庸な曲ではありません。
- 2016-01-21:baroquemusicfan
- 最初に聴いた演奏であり完全に「刷り込み」されているのですが・・・もうこれがパブリックドメインになるとは!真偽の問題ですが、息子が「父親の曲である」と書いているものの曲のスタイルが?で一旦は外されたのは理解できますが・・・碩学アルフレート・デュルはさすが偉いですよ。新全集から外された3曲(BWV1033/1031/1020)の楽譜を校訂しその序文で「バッハの作品であると決定されることは、曲の価値判断の基準とはなり得ない」と述べています。正論ですね。
父と息子の共作、というか作曲のレッスンという説も出てきていますが、そんなところが当たりかも?ガンコ親父に自作をギッタギタに直された息子クンがプライド傷つけられ「こんなんボクの曲じゃな?い」で、親父の名前書いた。なんてね。
- 2016-01-20:ジェネシス
- 「黄金のフルート」。パイロットやプラチナの万年筆のペン先が14金である事が売りであった時代に18金製のフルートを使用しているランパルのステイタスは凄かった。向こう側で木製楽器を使っていたF.バルワーザー位かな?他の奏者達は皆、そう、カラヤンの陽光に晒されたヨッフム、ケンペ、カイルベルト、ベームの様に日陰に追いやられていましたよね。そのランパルが来日時に読響とモーツアルトの協奏曲を録音したのもビックリしたけれど。
とにかく、これ程ピリオド派のやつらに聴かせたい演奏はありません。
- 2016-01-20:nakamoto
- 阿保らしいですよ!真作に決まっています。こんな素晴らしい曲、誰が、書けるのでしょうか?? もし違う作曲家のものだったら、何かの悪魔か悪霊に憑りつかれて、のりうつられて、書いたと言う事も、有り得ないではないですが。専門家程、様々な情報を得てしまい、訳が分からなくなっているのでしょう。頭を真っ白にして聴けば、おのずと凄い音楽であることが、分かるはずです。ついでに、ウィーンの共同墓地から発見された、脳容積の異常に大きな頭蓋骨ですが、遺伝子が、どうたらこうたら、言っていますが、モーツァルトのものに、ほぼ間違いないでしょう。モーツアルトの肖像画を見れば、頭が異常にでかいのが分かります。
- 2016-01-19:nakamoto
- モダンフルートで聴く、テーレマンは、本当に時代を飛び越えています。普段は、管弦楽伴奏つき声楽「管弦声楽」で主に聴いていますが、バッハ、ヘンデル、などのガチガチのバロック音楽と違って、18世紀古典派に通ずる道を、さきどりして、作曲が成されています。その分平明で、シンプルで、しかし、一筋縄ではいかない、凄みと貫禄を持った大家です。この新しさを持ったテーレマンが、当時、人気 No1 だったなんて、当時の人も、この新しさに、魅力をかんじていたのでしょうか???
- 2016-01-17:Sammy
- 生き生きとした中にしなやかさと独特の間合いがあり、そこからそこはかとなく哀しみのようなものが流れているように感じられました。雰囲気溢れる絶妙な名演奏と思いました。
- 2016-01-15:Sammy
- クラシック音楽に対する評価の基準として、先端性、前衛性、超越性みたいなものが猛威を振るってきたのではないかと思います。そういうものの良さをもちろん受け入れた上で、そうでないところの中にも美しい世界がまだまだ展開できることを、肩ひじ張らず、しかし心血を注いで作り上げていくというのもまた素晴らしい。この作品を初めて聞いて、そんなことを改めて考えます。ほんわりと美しい曲の、悠々とした演奏の背後を、穏やかな時間が流れていくかのようです。おそらくここでなければ出会うことのなかった作品、演奏を、ご紹介いただき、ありがたく思っております。
- 2016-01-15:Sammy
- 伴奏はざっくり分かりやすく鳴らされていて、ところどころのあっけらかんとした鳴らし方の繊細でない感じがいかにもカーソンと対照的ですが、素直な表現でピアノを妨げていないのでまあいいのでは、と思います。カーソンのクリスタルできりっとしたピアノの印象が素晴らしく、この作品の持つみずみずしい詩情が高貴に高められた姿で、実に美しく表されていて心惹かれます。これがクリアな録音で聞けるので、十分幸せな演奏に思えます。
- 2016-01-12:ナルサス
- 昨日、録音時期についてコメントさせていただいた者です
たいへん勉強になりました。
確かに、映画の撮影でも、最初からラストシーンまで順番に撮影することなどありえないそうですから、ワルキューレとジークフリートの順序が逆でも、それどころか神々の黄昏を一番初めに収録して・・・ということも無理ではないですよね。
ジークフリートは4夜のうちで出演歌手が最も少ない(というか半分以上が主人公ジークフリートの独壇場?)なので「録音」は比較的手軽だったのかもしれません。
それにしてもヴィントガッセン、流石です。ワーグナーを達者に演じるテノール歌手は彼の後にも存在しますが、彼の活躍なくして「ヘルデン・テノール」という単語が生き残ったでしょうか。
- 2016-01-11:ナルサス
- あれっ、「ワルキューレ」は?
http://tower.jp/article/feature_item/2012/06/29/1101
では、ショルティのリングの収録時期は
- 序夜「ラインの黄金」:1958年9月24日~10月8日
- 第1夜「ワルキューレ」:1962年5月6日~18日、10月21日~11月5日
- 第2夜「ジークフリート」:1964年5月下旬~6月上旬、10月26日~11月26日
- 第3夜「神々の黄昏」:1965年10月29日~11月19日
となっています。
今回、「ワルキューレ」と「ジークフリート」を取り違えられているのでは?
<管理人の追記>
私の手元にある資料ではジークフリートの録音は「1962年5月8日~18日 & 10月22日~11月5日録音」となっています。
ですから、「ジークフリート」の初出年は1963年です。国内で初めて発売されたのは63年7月です。(洋楽レコード総目録 1964-1)
64年に録音が行われていたならば、それを63年に発売することは不可能ですから、明らかにタワレコのデータが間違っています。
おそらくは、序夜(ラインの黄金)から第3夜(神々の黄昏)へと順番に録音が行われたのだろうという安直な思いこみのもとに録音データを当てはめたことが原因かと思います。
さらに言えば、それ以外の録音データもかなり正確さに欠けるように思います。私の手元の資料では以下の通りです。
- ラインの黄金:1958年9月24日~26日、29日、30日&10月1日~3日、6日~9日
- ワルキューレ:1963年10月31日、11月2日~5日、8日~12日、15日~19日
- 神々の黄昏:1964年5月20日~27日、6月27日~31日、10月3日~5日、17日~20日、22日~24日
- 2016-01-10:セル好き
- 細かい指定のないバッハのスコアをそのままやった感じ。
いつもは造り込みの細かいカラヤンらしく無いかも。
一連のブランデンブルク協奏曲のなかでは、これが一番ましか。
ミュンシュ盤もしっくりこないので、バッハは特別な研究が必要のようです。
カザルス盤は、厳しくてやがて悲しく温かみがあって大好物ですが。
- 2016-01-09:nakamoto
- フリッチャイの作る音楽を、このサイトで、いくつか聴かせていただきましたが、正直、私のよう様な小心者には、あまりに、鬼気迫るものがあって、素晴らしすぎて、私の心臓が、耐えられないという感じです。 リストの管弦楽は、この前奏曲ぐらしか、聴きません。ピアノ曲と違って、私の中では、一流の作品には、聴こえてこないのです。しかし、この録音なんかは、フリッチャイの深さが、丁度良く、私の心に浸みてきます。交響詩前奏曲は、フリッチャイにかかると、一流の楽曲に変身してしまいますね。クラシック音楽は、芸術ですから、基本、人気とは、関係のないものです。しかし、全く人気がないと、音源として、普通の私のような人間のもとには、届くことがありません。フリッチャイも、ユングさんが、こうして、取り上げることで、素晴らしいものが、埋没しないで、偉大な指揮者の一人として、或る程度の人気を保ちながら、クラシックファンの中で、生き続けるでしょう。こういった、偉大な埋蔵されたものを、ユンさんが、掘り起こして、紹介してゆくことは、とても素晴らしいことだと思っています。
- 2016-01-07:Sammy
- 極めて透明かつ緻密で、しかもオーケストラの自然な響きの美しさや流れを損ねることのないしなやかな音楽づくりで、悠然たる風情も漂う、実に完成度の高い素晴らしい「田園」の演奏と思いました。その素晴らしい演奏を捉えたこれまた見事としか言いようのない明瞭極まりない上質の録音にも驚くばかりです。
- 2016-01-07:Sammy
- この絶妙なバランス感覚、透明感、鮮やかさは本当に素晴らしいです。この華やかにして危うげな作品の姿が明瞭な録音のもと、見事な指揮によって白日の下にさらされていくかのような有様は実にスリリングです。
- 2016-01-06:Sammy
- 明るくおおらかな響き、豊かな歌いまわしは晩年のワルター/コロンビア交響楽団らしいのですが、ここでは張りのある響きの作り、生き生きとした推進力、積極的な表情の多彩さが加わり、録音の明瞭さもあって勢いのある、大変魅力的なブルックナー演奏となっていると思います。第1、第2楽章の悠然とした歌、第3楽章のはつらつとした躍動、終楽章の堂々たる壮大さ、いずれも見事です。7番は名曲で、優れた演奏もいくつもありますが、この演奏もまた演奏者たちの個性が伸び伸びと生かされた素晴らしい名演だと思います。
- 2016-01-06:m
- この演奏についてもうちょっとユングさんの意見を聞きたいです。
40年ほど前LPで聞いていた頃、中学生にはこの演奏の魅力がわかりませんでした。 2,30年前に何かの雑誌で、どなたかがこの演奏が40番の演奏として一番に推薦されるものと書かれてました。 その時もそんなものかな?と思った程度でした。
今回ユングさんのHPの音源で聞きますと、とても魅力的に聞こえます。
たしかに、以前雑誌で読んだコメントに、私も同意せざるをえないかなと思わせる演奏でした。
いわゆる巨匠、超一流楽団の演奏では無いので、演奏者名を知って聴くと先入観が働く事があるかもしれません。
演奏者名を隠して聴き比べをした時 私はこの演奏を一番好ましいものと感じます。
- 2016-01-05:m
- yseki118さんが「昔、大金を出して買ったCDボックスを開いてみたら、緩衝材のスポンジがCDのレーベル面に癒着してとんでもないことになっていて、愕然としてしまいました。」と書いていらっしゃましたが、私も同様の被害を受けております。 買いなおそうとしましたが、探し方が悪いのか見つけられませんで困っておりましたところ、この度ユングさんがジークフリートもアップされ、私も恩恵を受けております。ユングさん有難うございました。
あのCDボックスは1985年頃の発売でしたっけ。その2年前、1983年にショルティがバイロイトで指輪を指揮した時いろいろと批判が出てショルティがその後指揮をしないことになり、デッカがカルショー版のCD化をするように決めたとどこかに書いてあったと記憶しています。LPに比べCD化は音の迫力が違いますね。ひと皮剥けたように思えました。
ただ、ショルティバイロイト1983年のFMエアチェックテープを時々聞きますが、ブリュンヒルデをベーレンスが歌っていて、私にはそれはそれは素晴らしく感じられ、これもいつの日かCD化されないものか とずっと思っております。
- 2016-01-05:nakamoto
- 私は、オペラを聴く時、ストーリーは、無視して聴く変わり者ですが、あらすじは、よく読んだりします。しかしユングさんの解説が一番わかりやすいです。対訳をちゃんと読んだりしましたが、なんか理解が浅いままでした。ジークフリートは、指輪の中で、意外と軽視されている傾向にあって、ワルキューレと神々の黄昏の間奏曲だ、なんて言われてもいます。ユングさんの解説通り、第1幕は、指輪の中で、最も密度の薄い、説明のための無理がある幕です。音楽的にも、指輪中最低と言ってよいと思います。しかし、私は、この幕を一番聴き込んできました。結果、大変な名曲であるという結論に達しました。ワーグナーの天才は、この最低の幕でさえ、素晴らしい音楽と成らせています。前奏曲から、もう、私は、ワクワクして、この不幸な出生のジークフリートが、ノートゥングを鍛え上げ完成させるところは、感動ものです。成功 勝利 愛の獲得 と、幸福なストーリーを、ワーグナーは、見事に描き切っています。「 ワーグナーは、絶対に、聴かねばならない 」吉田秀和の言葉です。これ程、世界に影響を与えた、作曲家は、いません。私も、ワーグナーの素晴らしさが分かるまで、随分と苦労しましたが、得たものは、とても大きいと感じております。
- 2016-01-05:Sammy
- びしっと引き締まった凝集感ある緊迫した音楽の代わりに、のびやかなおおらかさがあって、歌があふれている。そこにくっきりと鳴らされたまろやかであっけらかんと明るく美しい音楽が、まるで慌てるそぶりもないふうに悠然と鳴っている。そんな感じでしょうか。これもまた、稀有な音楽の楽しみではないかと思います。楽しい、楽しい、とっても楽しい! ハイドンとはとてもいい相性ではないかとも思います。この指揮者が今なお懐かしまれる所以の一つでもあるでしょうし、聞き継がれる理由でもあるのでは、と思います。
- 2016-01-04:Joshua
- フリッチャイ、続きますね。
2016年、また新たなパブリックドメインの紹介、預かります。
フリッチャイのオペラは、魔笛やドンジョヴァンニを聴いてきました。
このサイトのVerdi requiemもそのうち聴こうかと。
エッセーの末尾に書かれていますように、彼のオペラを聴いて、さらに広がっていく、のは本当に楽しみです。
LP初出当時は、いいキャストをそろえてる割に、音がさえず、ベルリン放送響の評価がぱっとせず、損をしているフリッチャイ盤でしたが、デジタル化してからの音の鮮度は、十分満足いきます。
50年以上もたって、異国のサイトでその演奏について語られるフリッチャイ49歳で惜しくも早世したにせよ、究極に密度の高い時間を送った人生だったわけでしょう。
わがことを振り返っても仕方ありませんが、ゼロをいくら足し算しても増えないように、密度の高さは、凡人の長生きに求むべくもありません。
でも、よくわからないけれど肩肘張らず凡庸だっていいじゃないですかねえ。
- 2016-01-04:ジェネシス
- この曲を半ズボン姿で振っていたロベルト.ベンツィという天才少年が居たけれど、その後どうされたんでしょうね。
同タイトルの映画をテレビで放映されていたけれど。
いましたね。確かまだ存命だと思うのですが、フランスやオランダの地方オケの音楽監督をやってたんじゃないでしょうか。録音も聞けるようですね。
http://ml.naxos.jp/artist/46628
なお、この映画を観て、「僕も指揮者になる」と決意して本当に指揮者になったのがシャルル・デュトワだと言う話もどこかで聞いたことがあります。
- 2016-01-02:菅野茂
- 出ましたねえー!僕は逆にすぐ全部CD聴いています。この年末もラインスドルフ指揮のメトロポトタンで全部聴きました。26日から31日までかかりました。世に出たCDはほとんど全部聴いています。ライブはちっと難しく、全部行ったのはケルンとシュトットガルトだけです。3晩行ったのがウィーンとバイロイト。2晩がカールスルーエ、1番がデュッセツヅルフとミュンヘン。
- 2015-12-29:Sammy
- 各パートをくっきり溌剌と鳴らした室内楽的ともいうべき明瞭さがありつつも、しなやかで柔らかく融け合うようなニュアンス豊かな響き作りによって、何ともまろやかでチャーミングな演奏になっていると思います。溢れる木管の歌に1番交響曲の「愛らしさ」のような面を感じて新鮮でした。なかなか得難い味わいではないかと思います。
- 2015-12-29:Sammy
- 1番に続き、室内楽的な明瞭さと、まろやかに甘く響き合わせた伸びやかなみずみずしい音響づくり、開放的な勢いがあいまって、チャーミングな名演奏と思いました。
- 2015-12-29:Joshua
- 傍流の交響曲とて、Joseph Haydnを凌ぎ、ヨーロッパ諸言語と共に、ピアノを第2言語とし、本命はオペラとした作曲家。上手いまとめ方ですね。オペラから入ると実に素材の原典がここにある、と実感できますね。しかし、すべてを知った後でのことで、ふつうのリスナーは、名曲全集で少しずつかじっていくわけで、3?4時間のオペラと付き合うにはそれなりの時空共に裕福さを要求されます。井深大氏のおかげで、ヘッドホンで相当音のいい音楽を聴きながら街を歩けるようになって、40年近く。筆者の人生では、相当長きを占めますが、たかが40年。戦前の方々から見れば軽佻浮薄な聴き方でしょう。狭い家に住み薄給ならばこそのattitudeでして、音楽の電子化とパソコンの連動(それにYUNG氏のサイト)が手伝って、実に多くの音楽を多彩な演奏で聴く結果となりました。豪奢な部屋で完全防音空調の元、最高級のスピーカーの前でじっと聴くのと比べると貧弱ですが、これも一つの聴き方ではないか、と高い確信を持っております。
前置きは長くなりましたが、26番はベームで2種聴かせていただいてましたので(ACOとウィーン(ベルリン?)、気になってラインスドルフに辿り着きました。うーん、ラインスドルフは普通。ニルソンやサザランドを起用してDon GiovannniをRCAに入れたランスドルフ、ケネディの葬送でRequiemを振ったラインスドルフですが、この曲はそれほど思い入れはないように感じられます。3曲後の29番、作品番号では17の開きがあります。ヨッフムが33番を最後の来日で振ったのも印象に残ります。セカンドチョイスには何か理由があるはずですがね。2016年も耳に過重がかかりそうです。
Gluck wunsche zum neuren Jahre!(うろ覚えのドイツ語で)ではまた。
- 2015-12-28:Joshua
- Bartok vs. Mozart
共通項は数学的精緻さ。面白いですね。
そこから、Szell, Reiner, Fricsayという共通性も出てきます
( )付きでKubelik, I.Kertsz, Soltiもチェコ・ハンガリー出身で上記2作曲家を十八番とする。じゃ、Ormandyは例外? 前衛性と万能性の意味ではToscaniniやKarajanも。
Walter, Bohm, Vandelnaut, G. Want, Jochum, O. Suitner, W. Sawallisch,
C.Davis, C.M. Giulini, Klemperer, R. Kempe, Schuricht, Keilberth それにこのサイトで全交響曲をアップされているE.Reinsdorf と思いつくモーツァルティアンを並べてみても、バルトークの要素は希薄に思われます。国や時代が違えば、バルトークがモーツァルトになっていたかもしれない。これから歴史が数千、数万年、aeonでしか計れない先にまで進んでいったとき、この音楽での奇跡は繰り返されているようには思えません。
音楽は神によって、短期間に奇跡を開陳された、ということでしょうか。
100年前後の寿命を生きるわれわれにとって、これだけの音楽が、こんなに多様な演奏で聴けるのは、今後奇跡は必要ない、という啓示にもとれます。
50年代前半のフリッチャイ、いいですねえ!このジュピターは瑞々しい!61年のウィーン響はCDで聞いて知っていましたが、こちらが聴けてよかった!三大オペラを、50年代から60年代の初めのあの当時、ベーム、クライバー、クレンペラーに伍して残していっただけのことはあります。29番も若書きの佳曲だけに、53年の演奏一層魅力があります。
いつも思いますが、店頭で財布と相談しながら聴くのを諦めた、十代に演奏者名だけを頭に刻んだ演奏の数々を、今こうしてYUNG氏のサイトで聴けることは、40年前を振り返ると、これもまた「奇跡」です。
- 2015-12-27:セル好き
- 一音一音かみしめるような演奏だか、音の出方や持続が自然なためか清々しい印象を残します。特に楽章の終わり方に神経が行き届き、2楽章などは鳥肌ものです。
「ある英雄の思いで」というテーマにもピッタリな解釈となっていて、ベルリンフィルの面々も持ち前の力強い美音が発揮でき、共感を持った演奏となっている様に感じられる。
- 2015-12-25:やもり
- Yung様の「緩い」という先入観を埋め込まれてから(笑)、一通り鑑賞しました。この13番は思いのほか速めのテンポのスッキリとした感じで、個人的には好印象でした。とはいえ、8番や10番などは、かなり「緩い」というか、温かい演奏ですね。ブダペストやハンガリー四重奏団、または、ジュリアード四重奏団のモーツァルトの演奏とは異なり、全集としての一貫性よりは、曲ごとの個性を大事にしている印象です。ありがとうございました。
- 2015-12-18:Sammy
- この「まじめ一徹」な演奏には、頑ななまでのモダニズムが感じられ、それもやはりドイツ的、に思えます。端正な分だけオーケストラの各パート、とくに木管楽器の豊かな表情の自然な美しさがみずみずしく、クリアでシャープながら、どこかさりげなく味のある、ブラームスを堪能させてくれる演奏だと思いました。
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ブラームス:交響曲第4番 ホ短調, Op.98(Brahms:Symphony No.4 in E minor, Op.98)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1952年9月29日&10月1日録音(Arturo Toscanini:The Philharmonia Orchestra Recorded on September 29&October 1, 1952)
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ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11(Chopin:Piano Concerto No.1, Op.11)
(P)エドワード・キレニ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1941年12月6日録音((P)Edword Kilenyi:(Con)Dimitris Mitropoulos Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on December 6, 1941)
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ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.77(Brahms:Violin Concerto in D major. Op.77)
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ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調, Op.53(Dvorak:Violin Concerto in A minor, Op.53)
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