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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- カルテットを弾いてるアマのヴァイオリン弾きです。
ヴェーグQの演奏はシューベルトの弦楽五重奏曲で感激した思い出があります。
ラズモ2のメッセージは、1楽章は緊張感いっぱいの不気味な叫び、2楽章は星空のような神秘性、3楽章は悪魔のダンスと愛らしいロシア民謡、4楽章は勝利の行進曲ではないかと思います。
ヴェークQはやはり”古の演奏”ですね。現代の鋭い演奏を聴いてしまうと、全体に甘口の演奏に聴こえてしまいます。音程は甘く、リズムの鋭くない・・・。確かに、当時としては品のある演奏だった感じはします。なので、あまり深刻に考えずに聴けばよく弾いてる演奏だと思います。
私のベストCDはズスケのベルリン弦楽四重奏団の整然として格調高い演奏です。
- 2017-01-16:Sammy
- この曲の初めて買って聞いたアルバムがこの演奏でした。その時のことを思い返しながら、この何といっていいのか分からないもやもやを、やはり書いてみたいと思うに至りました。このアルバムについての印象を分解してみれば、恐らく私も含めた多くの人が、「何かがおかしい」という印象と、「捨てがたい何か」がある印象と、そして「稀有の何か」があるという印象のいずれか、あるいはすべてを抱くことになったのかな、と思うのです。
ふたつめの「捨てがたさ」は、yungさんご指摘の通り、国際都市デンハーグのオーケストラながらこのあか抜けないオーケストラの、特に情感豊かな木管楽器を中心としたいわく言い難い風情から来るのでしょう。三つ目の「稀有な何か」は、颯爽としたテンポや明瞭な音楽づくりからくる清潔な叙情がブルックナーの7番が持つ、彼としては比較的流麗な音楽とあって、独特の爽やかさと哀感を生み出しているゆえかと思います。でも、どうしても残るもやもやの中心に、「それでも何かがどうしてもおかしい感じがして落ち着かない」ことがあるかと思います。多分第2,3に挙げた美質があったればこその「でもね」付の「でもねやっぱりなんかすごく変!」というのがもやもやの原因なのかと思います。少なくとも私にとって、この演奏についての印象はそうでした。yungさんが載せてくださった音源は私が持っていたものよりも状態が間違いなく良くて、ああ、そのせいもあったか、とは思ったものの、その印象は完全には解消されませんでした。
私なりにその「何かがおかしい」の背後にあるものを想像してみるに、yungさんが仰る、それは元々の演奏のバランス故では、というのにはかなり賛成です。特に金管楽器の「非力な」感じの背景には、恐らくシューリヒトのブルックナー解釈の金管楽器を抑制したバランスがあり、それはウィーンフィルとの8,9番などでは抑えめの管も伸びやかに鳴ってうまく行っても、このオーケストラではいかにも金管楽器がさえない、へぼい感じになったのだろうかなと思うのです。金管楽器が全開になるはずのクライマックスがとても不恰好に聞こえるのは、金管楽器に力強く吹かせていないからに思えます(それともあるいは、もしかすると録音マイクの位置の問題があったのでしょうか)。
それに加えて録音があるかなと思います。さらにティンパニや提言の低音部がややつぶれてこもっており、たいして高音はかなりクリアに鳴っていて、高音と低音のバランスが悪くさらにドロップアウトと音質の劣化(揺れや歪み?)が加わる。さらに残響は長くとられ、音にもやがかけられている。しかしそれでも音そのものはかなりドライで分離された響きになっている(ホールの特徴なのかもしれません)。これがとても生理的に「変」な感じなのかもしれない。オッテルローの指揮によるこのオーケストラの録音をいくつか聞いたときには、もっと「ちゃんとしている」とは思ったものの、音の質感の雰囲気にやや似た印象があったので、オーケストラとホールトーンの特徴が合わさってこんな感じになっている面もあるのかもしれません。
演奏のバランスの独特さ、音質のバランスの独特さ、そしてそれらを包む残響、さらにこれを白日の下に出してしまうようなドライな録音。これがあか抜けないややざらついたオーケストラの一生懸命さと重なって、何やらいわく言い難いざわつきを生んでいるのでしょうか。ちょっとずつの「変」が不思議なほどたくさんかき集められてしまって、なんかよく分からないけれども、いわく言い難い変な感じ、になるということでしょうか。
冗長な戯言、失礼いたしました。
- 2017-01-16:評論の功罪
- このシュリヒトのBruckner7番。廉価版でアルプスの草原をジャケットにLPで出ていたのをかつて買いました。FMで70年代ベームのウィーンライブなどを聞きなれた耳には、なんとも変わった響き・バランス、と思ったものでした。そこへ、評論家の録音評。今回聴きなおしながら、いろいろ考えさせられました。
CDをいくらでも買える人は別として、大概の人は少ない小遣いと相談しながら、選びもって買うものです。まして大好きな曲でもなければ。
そんな時、実際に聞けない演奏の情報は録音を筆頭に大いに参考としてきました。真に受けるのは考え物だ、というのはパブリックドメインという概念ができて、インタネット上のYUNGさんのようなサイトの助力あって、考えつくのだと振り返って思います。評論家も好き嫌い関係なく大量に聴く中で、聴き方が疎かになっていることは大いにあるわけですね。そう考えると、この時代は、パブリックドメイン音源に関しては、評論家が一般リスナーと同じ土俵に立っているといえます。個人の装置で勝手な感想を振りまくのには、もう左右されないのです。
- 2017-01-16:Sammy
- よく言えばオーケストラの伸びやかな音、悪く言えば統率の弱さを感じます。ただ、それも解説に書いていただいたような事情を伺ってみると、指揮者が己の限界を自覚したうえで、オーケストラをしてのびやかに歌わしめ、その流れの中でしっとりとうたわせる形でできる限り要所を締めた、という行き方だったのかもしれない、とも思わされます。
決して統率が失われているわけではなく、ただもはや、かつてもっと元気だった時のようなときにはつらつと、時にあざといテンポ変化で、という風ではなく、オーケストラの美音と自発性の中に身を沈めながら力を振える限りにおいて緩やかに手綱を締めるような仕方だったのでしょう。どこかワルターの晩年の録音と通じるようなものを感じます(そちらの方がもう少し元気ではあるでしょうが、オーケストラの自発性と手綱の緩さ、という点で)。
なのでドラマティックなこの3番交響曲としてはやや平板かつあっけらかんとしていながら、そこにある伸びやかさの中にみえる薄化粧のようでありつつも細心のしなやかな表情付けを聴きつつ、yungさんのおっしゃる「小気味のよい切れのある快速球を投げ込んできた名投手が、その最晩年に全身全霊を傾けて投げ込んだ120キロにも満たない速球のようなもの」という表現への共感を抱きました。この曲の、そしてこの指揮者の「ベスト」ではないとしても、それでも聴けてよかった、命を削ってまで残してくれてありがたい、という思いが残る演奏でした。
- 2017-01-16:HIRO
- この演奏は初版(グートマン版)である。まあ、ノヴァーク版とかなり近い。と言うより、ノヴァーク版が初版のほとんどマンマなのである。
唯いくつか違う部分もあって、特に、終楽章のテンポの変化が多いというのが初版の特長である。(ノヴァーク版もカッコ付きでそのほとんどを採用しているが…)
その点、シューリヒトはこの終楽章のテンポの変化が余り無くてサッパリしている。
この初版はフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュなどが採用しているが、ノヴァーク版が出てからは、ノヴァーク版を使う者が多くなるのは自然の成り行き。
でも面白いのはヨッフムで、若い頃からこの初版を使用しているが、一度、ドレスデンでの全集の時だけノヴァーク版を使用している。
その後、朝比奈が第3番の最後の録音で「改訂版」に戻ったように、また初版に戻り、あの有名なコンセルトヘボーとの来日公演でも初版で演奏している。
楽譜の研究が進んでブルックナーの真の姿が現れてきているはずなのに、古い楽譜の演奏の方が今でも良いというのが面白い。
yungさんの言うように宇野功芳の「朝比奈、シューリヒト、マタチッチがベスト3」というのは私も疑問に思うが、朝比奈はハース版、シューリヒトは初版、マタチッチは、初版を使ったり、ハース版を使ったり、ノヴァーク版を使ったり、おそらく相手のオケが持っている楽譜で演奏しているのだろうが、どの版を使ったって良いじゃない、というスタンス。宇野功芳はマタチッチのどの版の演奏を聞いて良いと思ったのだろう。
- 2017-01-15:原 響平
- 晩年のシューリヒトの実力をマザマザと世に見せつけた歴史的名盤。以前に、ウイーン・フィルとブルックナー交響曲No8,No9を録音していたが、それに勝るとも劣らない演奏。第一楽章の冒頭部分から天国より降り注ぐような美しいバイオリンの調べ。シューリヒトは、ハーグ・フィルの自主性を尊重し伸び伸びと演奏させながら、そこにブルックナーへの思いと、人間の完璧を求めながらそれが出来ないもどかしたを表現させた。さて、現代社会は全ての物事に対して完璧を求める事を優先しアナログからデジタル化の歩んできた。その活動は社会の発展の為には十分に有意義な事だ。しかし反面、瑕疵や間違いを少なくする事で人間味が薄れてしまう事も事実だ。芸術の世界でも同じで、完璧なものを魅せられると何故か感動が遠のいてしまう。だからこそ、このシューリヒトの演奏を聴くと人間の暖かい温もりと息吹が感じられる。
- 2017-01-15:菅野茂
- バルビローリ指揮のベルリンフィルのマーラーの9番みたいな地位かな?良いんだけどこれだけってやつ。
- 2017-01-14:Joshua
- この田園、指揮者の曲への愛着が強く感じられます。第1楽章をこんな風に味わい深く指揮した演奏、ほかに聴いたことがありません。世評の高いワルターの田園よりも、ずっと心が和みました。テンポ リタルダンド(ひょっとしてアラルガンド?とも聞こえてしまう)の始まりからして心惹かれました。今、フルトヴェングラーをいろいろアップしていただいてますが、まったく同時期に50に差し掛かったばかりのヨッフムがベルリンを振っていたんですね。ブラームスも56年の3番で全曲完結していますが、フルヴェンの神がかり的響きはなくても十分に熱演名演奏だと思います。こちらが楷書体なら、フルヴェンは草書体というとこでしょうか。耳の調整にも役立ちます。
- 2017-01-13:Joshua
- 02番をアップしてくださるとは、ユングさんと趣味が合いますね。
この副題もなく、時計とドラムロールに挟まれて、100番以降で目立たない交響曲は、my favoriteです。ついでに、94番驚愕から95番から99番までも副題なしですが名曲ぞろいですね。忙しいこの時代、ハイドンの交響曲・カルテットを聴き進むのは難しいことですが、年のせいもあり、今まで聞いてきた年季のせいもあり、これが何よりの楽しみとなり、通勤の電車内、散歩時のお友達となりました。
- 2017-01-12:中村
- 以前、テレビでマリア・カラスのドキュメンタリー番組を放送してました。彼女はシュヴァルツコップと親交があったそうである時レストランで一緒に食事をしている時に声楽の歌い方の話題になってレストランにいることを忘れたのか一緒に大きな声で歌い始めて周りの注目をあつめたそうです。それを聴きたかったですね。カラスがシュヴァルツコップがオペレッタを歌うことを批判したのは二人の仲が良かったからではないでしょうか。
- 2017-01-11:Joshua
- この演奏は、高校時代(1975)にLPで買ったものです。
その後、オリジナルス・シリーズでCD化され、録音レベルが小さめながらも、
思い出を復活させてくれました。音量を上げても、LP時代から、生々しさに欠ける録音だったと記憶しています。皆さん、どういった装置で再生してるんでしょうね?
宇野功芳氏が、「フルトヴェングラーの全名演名盤」(講談社α文庫)で、CD化して価値がなくなったとまで書いてあります。(個人としてはそう思いませんが)
さて、この2月10日ライブのベルリンフィル録音は、私が上記で聞いてきた録音といささか印象が異なります。テンポの伸び縮み、クレッシェンド、アチェレランドの具合、弦楽器の弾き方などは概して変わりないのですが、ホルンが違うのです。(すいません、へたくそながらアマチュアで2回、セカンドと4thで吹いたもので)
元に私が聴いた音で記憶に残っているのは、簡単に言うと、「もっと音の芯がはっきりしていて、聴いていて吹きにくそうに聴こえた」音でした。むしろそれが大戦直後のベルリンの音、と認識しています。それが、今回、聴き易くなり、聴き栄えとしては良くなってるのですが、音がまろやかさを加え、私が思うベルリンらしさが後退しました。第4楽章の1、2番の掛け合い、3番ホルンが同じ音型をH音から降りるソロも、同様の印象を受けました。
- 2017-01-10:m
- ユングさんがこの録音をアップされたので、以前からずっと思っていたことを書きます。
ベルリンフィルはたしかこの後ルドルフケンペそしてカラヤンとこの曲の録音をしていたかと思います。フルトヴェングラーとのこの録音を聞き返してみてちょっと思ったのですが、もし録音がとても良ければその音の響きはカラヤンの60年代の録音の音色に近いものではなかったかと思われました。
私は楽譜が読めない人間なのでこう思いますが、細かい解釈の違いを見つける事が出来る方々にとっては勿論異論があろうかと思っております。 ただ私のような素人にはこの演奏、ケンペそしてカラヤンに大きな違いは無くベルリンフィルの音の厚みを楽しむ演奏の様に思います。多くの指揮者と共に作り上げられたベルリンフィルの音色のすばらしさを楽しむ事が出来る演奏であればどれでも良いように思うのです。一定の水準?の演奏であればこの曲は自ら語ってくれている様に思います。 そんな意味でステレオ録音技術完成後のカラヤンの録音の音色は魅力的でした。
異論は覚悟で申し上げました。
以下余談です。亡くなった大叔母がフルトヴェングラーの実演を聴いた際の、その音色の独特の魅力(他界の音)を話してくれうらやましく思ったものです。そういった神秘的な響きが捉えられている録音はトリスタンや大戦中のいくつかの録音から聞えるようにも思えます。楽曲の解釈以外の何かのプラスアルファが漂っている録音を聴くことができるのがフルトヴェングラーを聴く喜びでしょうかね。
51年のグレートは今にも生成しつつある音楽のすばらしさを伝えておりそれはそれで素晴らしいと思いますが、そのやり方は他界の音とは違うニュアンスかもしれません。
- 2017-01-07:HIRO
- セルはこの終楽章のカット(正確には418小節から425小節を2回繰り返し、その後418小節を4回繰り返して最後にrit.をかけて556小節へ)について、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の終楽章にカットを施したアウアーのように「作曲者の同意を得ている」と周囲に言っていたかも知れませんが、アウアー版のように、その後に取り上げる演奏家が現れない様子を見れば、これが(暴挙?)支持されなかったという事実は否めません。
折角盛り上がってコーダへ向かっているのに、そこでまたテンションを落とされるのが嫌な気持ちは分かりますが、カットした上に同じ所を何度も繰り返すというのは如何せん能がありません。
これだけの名演、セルファンとしては完全版を聞いてみたかった…というのが本当のところです。
- 2016-12-29:Joshua
- 万人に聴いてもらいたい作品、演奏です。
ナクソスで聴いたときはメロドラマのテーマ或いは映画音楽みたいやなあ、という感想でした。でもコンドラシンは芸術!と思わせてくれる。コンドラシンは巨人を振ったその晩心臓発作で亡くなった指揮者としては早世の人でした。老少不定、人の命の長短はわからんものです。ラフマニノフやこのカリンニコフのご紹介で、よりこの指揮者が面白くなってきました。コンドラシンといえば、昔は写真からして強面の大男という先入観があり、この曲の冒頭のように金管フォルテが聴こえると、当時の自分の短絡的な聴き方を思い出します。アルゲリッチの伴奏でのチャイコフスキー、シェヘラザード、ライブでブラームスの1番以上のオケはコンセルトヘボウ、めずらしいところで、チャイコの弦セレ、これはソビエト国立がオケだったと思います。オイストラフの伴奏でここでのモスクワフィルを振ってましたし、モスクワ放送を振ったショスタコヴィッチ、マーラーの9番を来日時振ってましたね。マーラーは万人向きではないにしても、ご本人としては持ち味の出た誠実で熱意に満ちた演奏かと思っています。そこがムラヴィンと違うんでしょうかね。カリンニコフは共感のかたまり、堂々たるカンタービレ。鉄のカーテンがあった冷戦時代と今を比べると、のちに亡命するコンドラシンの(本人は苦しくても)西への思いが芸術ににじみ出てるように思います。
言葉では残されなかった思いは想像あるのみですが、音楽やその他芸術はそんなものを伝えてくれると思い、味わって聞いています。
- 2016-12-26:Sammy
- ライナー/シカゴ響との旧盤をお聞きして感想を書かせていただいてしばらくして、こちらを聴かせていただき、ピアノの素晴らしさ、録音の明瞭さに加えて、yungさんご指摘のオーケストラの素晴らしさにうならさせられました。ライナー盤も十分よいと思ったのですが、こちらはさらなる合奏の伸びやかでありつつも驚くほど高い集中力、そして暗めの音色の美しさがとても魅力的に感じられました。そのせいか、ピアノもより自然かつ一層冴えて聞こえるように思えました。
- 2016-12-16:fum
- この時代の巨匠が演奏する「悲愴」は本当にバラエティーに富んでいる。
メンゲルベルク盤とともに「名演」と並び称されるフルトヴェングラー、アーティキュレーションの激しさでは本盤を上回るであろうアーベントロート、抱腹絶倒と言っては失礼だが、いささかやり過ぎ感のあるゴロヴァノフ、どれを取っても現代では考えられない強烈な個性を持った演奏である。
これらの中にあって、メンゲルベルク盤の美しさは突出している。前時代的とか、時代遅れとか、絶対やってはいけない演奏とか、悪評もいろいろ聞こえてくるが、誰が何と言おうと美しいのだから仕方がない。確かにもう二度とこのような演奏をする指揮者は現れないだろう。世界遺産とも言うべき歴史的名演である。
- 2016-12-16:benetianfish
- 私の最初のチャイコフスキー全集は、70年代後半のカラヤン盤でした。後期交響曲集はそれなりに楽しく聞けましたが、前期の方はいまいちパッとせず、ずっと「つまらん曲だなぁ」と思っていました。そう、このドラティ盤を聞くまでは...第1番や2番の美しく抒情的な旋律や第3番の躍動感に満ちたリズムが見事に描き出されていて、初めて聴いた時はあまりの素晴らしさにのけぞったものです(笑)。何度聞いても飽きないので、私には「チャイコフスキーといえばドラティ」となってしまいましたが、この「飽きない」というのは、それだけ曲の細部までしっかり描きだし、かつ全体のバランスをしっかりとって曲としてまとめてあるわけで、決して上辺だけ化粧して済ましたような演奏ではない、という事なのでしょうね。また録音の質も素晴らしく、この演奏の細部まで完全に掬い取っているように聴こえます。後期交響曲集ほどでは無いにしても、当時としては(現在も?)やはり驚異的な部類だったのではないでしょうか(私の貧弱な再生装置では、前期・後期の録音差はほとんど気にならないレベルです)。
マゼール盤も聴かせていただきましたが、こちらの方はまず録音クオリティーがドラティ盤よりも明らかに下のようで、特に前期交響曲では所々音が籠っているように聴こえます(リマスタリングが悪いのでしょうか?)尤も、これは「ドラティ盤と比べて」、ということになりますが(マーキュリー/フィリップスはコザート以降も、しばらくはトップレベルの質を維持していたのでしょうかね)。また、マゼール盤は本人の意思か録音の問題かは判断しかねますが、時々金管楽器がびっくりするほど飛び出してくるので、曲の流れが多少スポイルされてしまっているように感じます。よって、この演奏になじむにはもう少し時間がかかりそうです...とは言え、今まで聞こえなかったような細部の旋律までしっかりしているので、非常に「感心」できる演奏ではあります(5,6番はそれ以上ですが、それはまたの機会に書かせていただきます)。
しかし前期交響曲集に限っては、曲のオイシイ所をしっかり料理し、とても楽しく感動的に提供したドラティの演奏、特に「ワクワク感」に満ち溢れた第3番は、私の聴いた限りではベスト盤だと思います。
最後に余談ですが、Yung君のおかげで Mercury Living Presence のボックスセットは全て購入することになってしまいそうで、うれしい悩みの種です(笑)。
- 2016-12-13:アニやん
- 素晴らしい演奏をリストに加えていただきありがとうございます。実にテキパキしていて、小さな美しい王国が出来上がりました。予定調和が韻律として流れる完成形、ピリオッド…‥重ねてすばらしい
- 2016-12-13:べっく
- 他の演奏と違って、この演奏は、あまり大袈裟な表現に走っていないのがいいと思いました。曲の良さがそのまま伝わるいい演奏だと思いました。
- 2016-12-13:Sammy
- からっとした軽快で鮮やかな演奏に惹かれます。そしてこれらの簡潔ながらダイナミック、多彩で魅力的な音楽を聴きつつ、モーツァルトやベートーヴェンにつながっていく音楽は、バッハよりもこちらの方かもしれない、とも思いました。
- 2016-12-10:gkrsnama
- チェリやフルトヴェングラーが合奏の結果の結果として出た音から考えたのに対して、マルケヴィッチは音楽を一つ一つの音の対話から考えたように思います。音が連なってフレーズになり、別のフレーズを呼び起こす。別のパートがそれをささえる。そういう音達のドラマというか、構造というか、力学というか。そういう音の流れの意味をくっきり描き出す。それが彼の基本なんでしょうね。音価を切り詰めるという普通の方法だけじゃありません。アクセントをつけたり、小節の中の位置を少しづつづらしたり。もういろいろやっている。結果「舞踏のリズム」が実現されたりもします。実際にフランスで人気が高い様で、仏版ウィキペディアの記述量はクレンペラーくらいあります。
巷間、彼はトスカニーニ派とされているようで(ラズウェルさんのマンガがそうです)、戦争中はロジンスキーとともにNBCSOで副指揮者をやっていたとまことしやかに言う人までいます。(本当は、戦前は時代のホープの作曲家だったし、戦争中はイタリア国内で対独パルチザンをやってました。)ところが、実際はマルケヴィッチはフルトヴェングラーと関係が深く、一緒に指揮教育法の検討をしたりしている。ベルリンフィルもしばしば指揮したそうですし、本人も常々フルトヴェングラーへの尊敬を語っている。DGGもたびたびベルリンフィルで起用し、重要な録音を任せていたフシがある。(この録音はエロイカとともにDGGの米進出第一号です。一から始めたチェリと違って、作曲界ではすでに大物。一目置かれていたのかもしれません。)そうおもってフルトヴェングラーを聞きなおすと、リズムの作り方なんか確かに似ている。
この辺興味がありまして、そのうち自伝や評伝を読んでみようと入手しました。彼についての文献はいまでも結構出版されていますが、大変こまったことに仏独伊語ばかり。自動翻訳で英語に直してから、なんて考えてますけど。
- 2016-12-10:ヨシ様
- まず何より、ミュンシュがラフマニノフを録音していたことに驚きです。
この録音の存在は知りませんでした。
そして、ジャニスはラフマニノフのピアノ協奏曲第1番をライナー、シカゴと録音しているので、この第3番もライナー指揮ならば分かりますが、ミュンシュなのは何とも不思議ですね。
更に不可解なことに、ジャニスはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を録音していないようです。
<管理人の追記>
録音しています。何かの勘違いではないでしょうか?
(P)バイロン・ジャニスドラティ指揮ミネアポリス交響楽団1960年4月録音
- 2016-12-08:さとちゃん
- フランソワ自身が、こうした演奏録音を残してくれたことに感謝しています。
バラード第四番のデモーニッシュな雰囲気と凄み、これぞ、フランソワ。
フランス派のショパンでは、ルイ・サダやグリモーとかいますが、このフランソワを超えるフランス派としてのピアニストは彼以外にいないのではと思います。
- 2016-12-08:Sammy
- ジャニスの確かにホロヴィッツを彷彿とさせる強烈で攻撃的な直線的な音楽と、これまた実にシャープで強力なライナー/シカゴ交響楽団の管弦楽(ルビンシュタインとの「2番」のアルバムでも素晴らしい演奏を聴かせています)が、華麗であるほどに物悲しい空漠さが漂うようなラフマニノフの作品と風情と合って、実に聴きごたえのある演奏になっていると思います。抒情的、繊細な部分もさらっとしていながら絶妙にニュアンスの表現がさりげなく冴えていてとても良いと思います。特に第2楽章の澄んだ響きからは清冽な美しさが感じられてとても印象的でした。こうして聴くと、確かに例えば2番、3番ほどでないとしても、この作品にも固有の美しさがある、と改めて思わさせられます。
- 2016-12-08:Sammy
- 私はむしろ、リヒターからバッハを聴きはじめたものの、古楽器演奏に魅了され、もう今さらリヒターでもあるまい、という思いが自分の中で強まっている中で、この演奏をあえて聴いてみました。
確かに出だしこそ重さを感じたものの、聴きすすむうちに、この演奏が目指したのはそういう方向ではなかった、ということを思い起こしました。基本的にこの演奏は端正で、作品の構造と展開を生き生きと明らかにすることを目指しています。録音もスタイルも古くなってしまったとはいえ、その基本的な姿勢はこの演奏からもはっきり聞こえてきます。それはこれが演奏された当時、とても新鮮なものであっただろうということを、聴きながら生々しく感じさせられました。
それが故にやはりこの演奏は、作品の魅力をまっすぐにそして風格をもって明らかにしようとした古典的な名演として残っていく価値が十二分にあると、改めて感嘆したのでした。
- 2016-12-05:松見敬三
- 思春期にSP版をとっかえひっかえして聴いたものです。
13枚ですから掛けたり裏にしたり26回ということ。
歌詞のドイツ語を知りたくて大学はドイツ語科へ。
人生をある程度決めた演奏です。
50年ぶりに聴きました。
アップしてくれてありがとう。
- 2016-12-05:Joshua
- 深みとか求めてもしょうがないですね。
ホロヴィッツの快速30年録音、もう聴かなくてもいい、と思わせてくれます。
この演奏は初めてで、2番の時はさほど思わなかったのですが、この3番は乗りに乗っている。
ミュンシュがまた煽る煽る。
ミュンシュ、この人こそ、ゲヴァンドハウスで、フルヴェンの下、コンサートマスターだったんですね。
3楽章のコーダなんて、圧巻。オーマンディがこれまたホロヴィッツさんと組んだライブを超えてますよ。
- 2016-11-28:阿部 稔
- 55年前の高校音楽の授業で、このホッターの冬の旅全曲を鑑賞しました。ユング君のおっしゃるように確かにフィッシャーディースカウの一品料理の味わいとは異なるコース料理のように全体を通しての味わいはホッターにはありますね。適切な表現に感服しました。
- 2016-11-27:Sammy
- 生き生きと自在なルービンシュタインのピアノもさることながら、これを包み込むような、透明さと明瞭さと共に柔らかさとニュアンスに溢れたクリップスの指揮による万全のオーケストラの豊かさに魅了されます。力まずして透明感と力強さが丹念な音づくりの中からみずみずしく立ち上ってくる様はとても美しく、オーケストラの力量と共に指揮者の熟練をたっぷりと味わわせてくれます。
- 2016-11-20:トリス
- 私は学生時代吹奏楽部に所属していたのでこのマーキュリーレーベルに録音を盛んに
行っていたF.フェネルとイーストマンウィンドアンサンブルのLPをよく聞いていました。当時このLPは輸入盤しかなく心斎橋のヤマハ(もう今はないですね)や三木楽器に何度も足を運び探しまっわていたことが懐かしい思い出です。
ところでウィルマ・コザートはたしか女性だとおもうんですが?
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[2026-03-08]

ベルワルド:交響曲第4番 変ホ長調 「素朴な交響曲」(Berwald:Symphony No.4 in E-flat major "Naive" )
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1955年12月録音(Igor Markevitch:Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on December, 1955)
[2026-03-05]

ヨーゼフ・マルクス:ヴァイオリンソナタ「春のソナタ」(Joseph Marx:Sonata for Violin and Piano in A major "Spring")
(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:(P)オットー・アルフォンス・グレーフ 1954年録音(Vasa Prihoda:(P)Otto Alphonse Greif Recorded on 1954)
[2026-03-03]

ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調, Hob.III:63(Op.64-5) 「雲雀」(Haydn:String Quartet in D major, Hob.III:63(Op.64-5) "Lark")
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団:1954年5月録音(Vienna Concert House Quartet:Recorded on May, 1954)
[2026-02-28]

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品82(Glazunov:Violin Concerto in A minor, Op.82)
(Vn)マイケル・レビン:ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1954年12月17日録音(Michael Rabin:(Con)Lovro von Matacic The Philharmonia Orchestra Recorded on December 17. 1954)
[2026-02-25]

ハイドン:弦楽四重奏曲第60番 イ長調 Op.55, No.1, Hob.3:60(Haydn:String Quartet No.60 in A Major, Op.55, No.1, Hob.3:60)
プロ・アルテ弦楽四重奏団:1936年11月19日録音(Pro Arte String Quartet]Recorded on November 19, 1936)
[2026-02-22]

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 第1番 変ホ長調, Op.3(Beethoven:String Trio in E-flat major, Op.3)
パスキエ・トリオ:1950年代録音(Pasquier Trio:Recorded on 1950s)
[2026-02-18]

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番へ長調, Op.135(Beethoven:String Quartet No.16 in F major Op.135)
ハリウッド弦楽四重奏団:1957年4月22日,5月11日&6月1日,3日,12日,20日録音(The Hollywood String Quartet:Recorded on April 22, May 11 & June 1, 3, 12, 1957)
[2026-02-16]

スメタナ:わが故郷より(Smetana:from my hometown)
(Vn)ヴァーシャ・プシホダ:(P)リディア・ベフトルト 1949年録音(Vasa Prihoda:(P)Lydia Beftot Recorded on 1949)
[2026-02-12]

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調, Op.47(Sibelius:Violin Concerto in D minor Op.47)
(Vn)ダヴィド・オイストラフ:シクステン・エールリンク指揮 ストックホルム・フェスティヴァル管弦楽団 1954年録音(David Oistrakh:(Con)Sixten Ehrling Royal Stockholm Philharmonic Orchestra Recorded on 1954)
[2026-02-10]

フォーレ:夜想曲第12番 ホ短調 作品107(Faure:Nocturne No.12 in E minor, Op.107)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)