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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 民謡を生かした抒情的、牧歌的な作品を書き連ねてきたヴォーン・ウィリアムズはやがて、4番交響曲にあらわれているように、和声的にもリズム的にも、より意欲的に暗く厳しい世界を追求していくようになっていくのですが、5番はそうした中で、驚くほど堂々たる抒情的で高貴な交響曲となっています。
どこか音楽芸術の根本となるようなものを今一度しっかり確認するような作品を提示することで、初めて彼は、6番以降の作品にみられるような世界へと遠慮なく踏み込んでいけたのかもしれない―私を魅了してやまないこの作品を繰り返し聴きながら、また彼の交響曲全体を通して聴きながら、そういう印象がだんだんと強くなってきました。ニールセンの「不滅」ではありませんが、どうしても滅ぼしてはならないもの、それを決してゆるがせにしない、そうであって初めて前衛なりなんなりに向かっていける(というほどヴォーン・ウィリアムズはラディカルにはなりませんでしたが)、と思ったのではないか。
この作品が第二次大戦のさなかに書かれた、というタイミングを私が知ってしまっているが故の妄想かもしれませんが、この演奏を聴きながら、改めて、この作品は、この時に、新たに進めつつあったプロジェクトを脇においてでも、どうしても書いておかなければならなかったものなのではないか、と思ってしまうのです。そういう意味でも、人間の芸術性を支える根幹となるものを全力で肯定しようとするような、この戦争の時代の人々の中に渦巻いていたであろう切実な思いを、ある意味でこの上なく美しく代弁する傑作なのだ、と思わずにおれません。
第3楽章の切々たる祈り、そして第4楽章の輝かしい高揚を聴きながら、そもそも人間にとってかけがえのないものとは何だろう、と問われているように感じるのです。人気がいま一つな彼の作品ではあっても、せめてこの曲だけは、本当に多くの人に聴いてほしい、と願ってしまいます。そしてこの録音の音質は古い感じで少し残念なのですが、作品の美しい姿をまっすぐに集中力高くとらえた素晴らしい演奏だと思います。生前にこのような素晴らしい解釈者に恵まれたヴォーン・ウィリアムズは、その点ではとても幸いな作曲家だったのだろう、とも改めて思います。
- 2018-05-30:Sammy
- 「ロンドン交響曲」は、牧歌的、民族的、抒情的な、「ヴォーン・ウィリアムズ」と言った時のイメージを全く裏切らない、名刺代わりともいうべき傑作のひとつと思います。息の長いしみじみとしたメロディと、少々俗っぽくとも生き生きした舞曲が、巧みな構成の中で生き生きと交錯し、とても聴きやすい作品に仕上がっていると思います。
演奏の方は、録音の古さゆえか、時々音揺れやかすれが強くなったり、クライマックスで音が膨らみ切らないのが残念ですが、それでも「公理系」と呼ばれるにふさわしい集中力高く堂々たるこの演奏の特徴は、十分聞き取れたように感じました。
- 2018-05-29:Sammy
- yungさんが書かれている通り、そのシンプルで印象派風の音楽は田園交響曲を思わせるところもあります。
とはいえ、4番交響曲以降の実験と遍歴の後に「戻ってきた」この場所には、やはり以前とは異なる陰影と多彩さ、そして鮮やかな軽妙さを巧みに織り交ぜながら。行き過ぎてしまうことのない、どこかこなれたバランス感覚と進行に、円熟を感じます。そしてその円熟の中から、じわっと安らぎと悲しみがにじみだしてくる。
個人的には「8番と似ている」と言われても、ずっと素直でまっすぐ抒情的な田園交響曲の方に惹かれ、感動する自分を発見します。前に進んでいく「現役」感の強い7番までの交響曲と比べて、8番はどこか悠々自適の手すさびの作品といった風情を感じます。でも、それもまたどこかしみじみと味があっていいのです。そして「現役全開」の時にはありえない飄々とした世界もまた、それはそれ固有の良さがある、と思うのです。
- 2018-05-27:yk
- バルシャイ/モスクワ室内管弦楽団…懐かしいですね。当時も、古典をこれほどシャープで切れ味よく演奏する…というスタイルはとても新鮮でした。・・・にも拘らず、私も当時以降長く聞いてこなかった演奏です。吉田氏があからさまに否定的であったことは知りませんでしたが、今回久しぶりにここで聴かせていただいて、今さらながら色々考えさせられますね。
少なくとも、今も古さを感じさせない新鮮さがあることを改めて感じるのと同時に、今後私のモーツアルトの40番のスタンダード演奏に入れよう、とは今も思わないところがあります(今後二度と聴きたくない、と言う意味ではありませんが・・・)。
音楽演奏の評価も”演奏史”の文脈の中で考える必要がある・・・・と言う事には同意しますが、その意味でいうと、バルシャイの演奏はこの時代に突然変異的に現れたというよりも、1920-30年代のソヴィエト・アバン・ギャルド運動などを水脈とする(ある意味での)伝統の上に現れた演奏と言う気がします。
演奏史の文脈で考えると、そう言った古典と(ほぼ百年前の)アバン・ギャルド(前衛)という伝統の組み合わせが、返ってこの演奏の一意的な評価を難しくしてしまうところがあるようにも思います。
- 2018-05-23:やんま
- ベームの実務者の件、興味深く拝読させていただきました。
昔いづれかの記事でウィーンフィルのメンバーが、衰えたベームに関し「ウチかベルリン・フィルで無いと全くダメだ。」といっていたと読んだことが思い出されます。
ベームが指示しきれない細部を「忖度」でカバーできるオーケストラの力量たるや、後年のウィーンとのモーツァルトなどの録音を聞くと驚嘆ですね。
ケルン放送響あたりはダメな領域でしょうか・・・。
- 2018-05-20:ほんのむし
- グールド、ゴルシュマンという組み合わせといえば、ベートーヴェンの協奏曲1番でも、すごくおもしろかったという印象があります。ゴルシュマンはやや平板な感じもしましたが、ベートーベンの若さと率直さを表現するには、逆によくて、そこにグールドのピアニズムが映えて、実は同曲の演奏でも、いつまでも忘れられない演奏でした。グールドは、ローズとやったヴィオラダガンバ・ソナタでも奇想天外の感じがありました。ちょっと想像できないおもしろさですね。
- 2018-05-17:たつほこ
- 色合いの美しいオーケストラで、テヌート多用の歌い方は曲調にあっている。昔、シカゴ響とのドボルザークの9番のレコードを聴いた時の色合いを思い出した。
- 2018-05-11:bb8
- 歴史的名演ですね
これを聴いてヴァイオリンを始めたくなりました
- 2018-05-02:shumari
- クラシック音楽に親しみ始めて50数年、いまだに聴き通すことに努力を要するのがブルックナーとマーラーです。しかしマーラーの4番はこのサイトのおかげで古典的にすっきりとしたクレンペラーの指揮で聴けるようになり、その後間口を広げるべく努力中です。このセル盤もマーラーのスタンダードな演奏とはかなり異なりますが、私には好ましく聴くことができます。
潔癖症で整理整頓好きなセルが、その対極ともいうべきマーラーの曲を荒療治してくれたことに感謝。ついでにブルックナーの過剰な”荘重さ”をすっきりさせた演奏を残してくれたら嬉しかったのですが。
- 2018-05-02:やもり
- 良かったです。
「厳しい」演奏というのがどんなものかと恐れていましたが、わりと私にはすんなり入りました。アルバンベルク、ケラー、エマーソン、ハンガリーと、それなりに聴いてきたからでしょうか。
具体的には、「すべての音を明確に完全に鳴らすと、どうなるか?」という実験を試みた演奏、との印象です。「こんな音も鳴っていたのか」と随所で感じました。このようなスタイルは、バルトークによく合っている気がします。とはいえ、「楽譜に忠実なだけ」でなく、細かい緩急強弱も付けているようで、なるほど「名演」に恥じない演奏だ、と感じ入りました。
ご指摘のアルバンベルクは、古典派、ロマン派の耳に馴染みやすいように、美しさを追求した演奏のように感じます。
私のお気に入りはエマーソンで、私の中では「ホロヴィッツの弦楽四重奏版」です。
そして今回のジュリアードは、エマーソンに負けない強烈な印象でした。
ありがとうございました。
- 2018-05-01:yk
- 1番の録音に纏わる逸話については「ブルーノ・ワルター」(E. ライディング、R. ペチェフスキー著、高橋宣也訳、音楽の友社、2015、p.571)にもありました。ソレによると、実際コロンビアはワルターとバーンスタインの録音を(場合によっては同時並行ででも)行う計画を持っていたようです。しかし、計画を担当していたS. チェイピンがワルターの録音をバーンスタインに聞かせたところ、彼は「何と言う事だ、これは信じられない!私の話しは忘れてくれ。サイクルの最後にやることにしよう。この曲を今録音しようなどとはとても考えられない。これは彼のものなのだ!」と言って、納得して録音を先送りにしたのだそうです。マーラーの録音がまだそれほど一般的ではなった当時、この先延ばしによるカタログ重複の回避はレーベルにとっても有りがたかったでのしょう。
<管理人の追記>
なるほど、そんな話があったのですか。貴重な情報ありがとうございます。
- 2018-04-28:アレックス103
- ティンパニの音がとても気持ちよく、いい音程で録音されていて、70年代の同演奏よりもこちらが好みです。
- 2018-04-23:Joshua
- これは美しい!
ホルン吹きでなかっても、そう思うはず。
決め込んですいませんが、緩急緩急の教会式とかいう4楽章形式、というのは私には鑑賞に影響なくウィーンのホルンのハイトーンが美しい
同時期のベルリンにはザイフェルト、コンセルトヘボウにはウデンベルク、がいたけども違う曲で本領を示す音色だったのです。
大西洋を渡ったマックス・ゴバーマンの見識があったのでしょうか
- 2018-04-22:べんじー
- 下品サイコー!
カラヤンってこの手の曲を振ったら、無類のエンターテナーぶりを発揮しますね。彼がいかに自己演出して神秘のベールをまとったカリスマ的芸術家として振舞っても、音盤はけして嘘を付かない。これこそカラヤン最大の音楽遺産の一つではないでしょうか?
磨かれすぎて流麗なる音楽マシン然とした後年に比べ、この頃のベルリンフィルの音は惚れ惚れして嘆息させられる響きです。最高の耳のご馳走を楽しめました!!
- 2018-04-22:藤崎 達也
- いつも利用させていただいて、大変感謝しています。
吉田秀和氏が書かれた文章は、以下の通りです。
「しかし、チャイコフスキーとなると、私は好きでなくとも、敬意を払う。彼には、表現すべき内容があったし、それを過不足なく表わすすぐれた技術的手腕とのバランスも、きっちりとれていた。」と評価したうえで、「遠慮のないところ、私自身は、今後チャイコフスキーを一生きかなくとも、あんまり困ることもないだろうと思っているけれど、彼がグリークとかリムスキー=コルサコフとかの民族主義的ロマン派の水準をぬいた芸術家であることは、心得ている。それに同じように管弦楽法の大家だといっても、チャイコフスキーのは、単に色彩としてだけでなく、機能的にみて、はるかに充実した書法があり、弦と木管、金管との間の和声や旋律の配分の仕方には、独創性がある。」
- 2018-04-17:北垣郁雄
- わずか30数歳で亡くなった、ほんとうに惜しいピアニストだと思います。ショパンの3番に限らず、完璧なテクニック(ミスタッチも皆無、あたりまえかもしれませんが)。ピアニッシモからフォルテッシモに至るまでのダイナミックスは正に圧巻。バリバリバリッという張りのある音を聞かせる一方で、「歌う」べきところは、徹底的に「歌う」、特に第1楽章の第2主題など。そのリズム感のよさには、何回聞いても飽きがこないのです。彼は、ペダリングが控えめであるというのも一つの特徴と思われます。この一曲だけで、世界的な大ピアニストであることが窺われます。少ないレコーディング数とは思いますが、ショパンの3番をよく遺してくれた、と感謝したい気持です。
- 2018-04-17:せいの
- ワルター・バリリのヴァイオリンが大好きなんです。
以前は、弦楽四重奏、五重奏やヴァイオリンソナタといった室内楽の魅力があまりわからなかりませんでした。音色に変化がないし、BGMとして聞き流す程度の音楽だと思っていたのです^^。
10年ほど前にバリリ四重奏団のモーツアルトの四重奏曲の演奏に出会って、体に電気が走るような衝撃を受けました。ヴァイオリンの「歌」がのびやかで、モーツアルトの旋律が体の隅々までいきわたるようです。
バリリ四重奏団でモーツアルトの五重奏曲、ベートーヴェンの四重奏曲と聴いてきて、こちらのヴァイオリン・ソナタにたどり着きました。やはりのびやかな歌がいいですね。
スコダのピアノもいいですが、わたしがモーツアルト弾きとして愛してやまないリリー・クラウスが相手だったらどんな演奏になったのだろう、とかいろいろ妄想を繰り広げて楽しんでいます^^。
- 2018-04-17:POPER
- リストを聴いてみたいと思い、辿りつきました。
リストだなーと思い、リストだよなーと思い、やっぱりリストだなーと。
ずっとそんな印象のまま曲が終わってしまいました。
リストはまっすぐでかっこいい。自分は自分で良いと思いました。
- 2018-04-14:せいの
- だいぶ前に新星堂企画のCDを持っていたのですが、どこにいったのかなくしてしまったので、この音源が入手でき、懐かしく聴いています。ありがとうございます。
リリー・クラウスのピアノはスケールが大きくて、ピアノ・ソナタも彼女の演奏は愛聴盤です。ここでもスケール感のある演奏をしていてわたしの好みです。
一方で、ボスコフスキーのヴァイオリンが「無難」な感じで物足りなさを感じてしまいます。もっとも、その感覚は個人的な好みの問題なので、普遍性はないと思います。ウィーン風の典雅な演奏だし、評価する方もいることでしょう。
同時期のウィーンで活躍したヴァイオリニストならワルター・バリリの演奏が好みなので、リリー・クラウスとワルター・バリリでヴァイオリン・ソナタや三重奏曲をやってくれていたらなあ・・・などど考えて、その組み合わせならどんな演奏になっただろうと妄想をしたりして楽しんでいます^^。
- 2018-04-12:古川賢一
- バーンスタインのハイドンは私も好きで、CDボックスを買い求めました。
なお、パリ交響曲までコンプリートした指揮者は、バーンスタイン以外には全交響曲集を出したドラティやフィッシャー以外にはほとんど居ないとのことですが、カラヤンもペルリンフィルで、ロンドン交響曲集だけでなく、パリ交響曲集を出していますよ。
<管理人からの一言>
調べてみましたら1980年にまとめて録音してますね。流石はカラヤンです!!
しかし、88番「V字」はなぜかパスしてますね。どうしてだろう。
- 2018-04-12:どっぐ
- 素晴らしい演奏でした。
シベリウスを聴いた際にも感じましたが、このコンビの60年代録音には、他の名盤とは違う味わいが感じられます。
FLACデータベースにも追加して頂けると幸いです。
- 2018-04-10:ウィルソン
- 私はこの全集を第7番目的で購入した記憶がありますが、初期の各作品に対する目を開かせてくれたという点でケルテスには本当に感謝しております。
旋律の美しさと金管の決然たるフォルテというドヴォルザーク作品の美質を、ケルテスは余すところなく再現してくれているという気がします。
本曲ですが、第4楽章冒頭には何となく鐘が連打されているような響きを感じます。ドヴォルザーク自身がそれを意図して書いたのか分かりませんが。
- 2018-04-07:せいの
- フルニエとミュンヒンガーのコンビのハイドンの協奏曲2番が愛聴盤で、その流れでフルニエに興味をもってこちらを聴いてみました。
いいですね!ちょっと長めにとった最初の一音の表情で引き込まれてしまいました。ハイドンはちょっとこじんまりと聞えるのですが、こちらは雄弁でなおかつ繊細さを失わず、流麗でありながら綺麗ごとではない、という一見相反するように見える要素を両立させた素晴らしい演奏だと思いました。
録音も優秀だと思いますし、バッハのチェロ組曲を聴きたいときの有力候補になりそうです。
- 2018-04-04:山路 敬介
- ベートーベンを演奏する「気負い」なんかも全然なくて、それでいて「聞く人」におもねる類の「聞きやすさ」に流れない素晴らしい演奏です。
不肖、貴ブログにて始めてマイナルディの演奏に触れる事が出来ました。(名前だけは聞いた事がありましたが)
55年の録音とありますが、現在の最先端の録音技術を駆使した場合よりも曲想が直に伝わって来るのが不思議です。
- 2018-03-28:Dan Nagay
- ジャケット写真が修正されており嬉しくなったので久々にコメント致しました。最初の方は72年発売のEMI版で最初は3枚組で発売されたものを単発で発売したときのものです。これはカラヤンには極めて珍しく爆演スタイルで,最終楽章コーダ直前のティンパニーは中学生の頃,初めて聴いたとき,戦慄を覚えました。未聴の方はぜひ一度聴いて欲しいもので,当時アンチカラヤンの筆頭であった宇野氏・福永氏がこの演奏を絶賛し,カラヤン支持者と目されていた黒田恭一氏が難色を示したことでも印象深いものです。
話を戻せば,グラモフォン版のジャケットはアングルにまでこだわったもので,カラヤンが,レコードという物をトータルな意味での作品と考えていた良い証左になるものです。これでなければと思っています。
演奏に関しては私は最初聴いた演奏がバーンスタインだったので,このカラヤンの演奏は当時迫力不足に聞こえましたし,EMI版が出てからはそちらばかり聴いていたので,この演奏を聴くのは久しぶりです。改めて聴けば本当に端正美麗な演奏で,感銘を受けました。
- 2018-03-24:palmeangelo
- フルトヴェングラーのカラヤン・レガート評の話、知りませんでした。そのお話を踏まえてこのチャイコフスキーの5番を聴いてみればまさにその通り、まったくもって見事な名人芸です。
そして、ベートーヴェン、ブラームスといった基本カタログの筆頭録音盤を済ませた後のチャイコフスキーは、1970年のEMI録音ほどまでにはレガート・ルバートが入っておらずかっちりとした演奏、そして何よりこの美しさは、この音に包まれている間、他の演奏解釈があり得るのだろうかと惑わされてしまうようでした。
カラヤンはある意味古風な、インターネット以前の人なので、常に出版物としての紙媒体の「カタログ(シュワン、とか有名な本がありました)」にこだわっていました。すべての録音はその曲のレコードの筆頭にあることを望んだので、モノラル、ステレオ、4チャンネル、デジタルと繰り返し新録音をしては自らを世界に刻印し続けました。
その結果栄枯盛衰みたいなものも録音史にしっかり残ってしまっているわけですけれど、やはりかれは20世紀後半のベンチマークであり、プラットフォームであったとしみじみ思います。フルトヴェングラーのような「レジェンド」にはなりきれなかったようにも思いますが(それでもすごい才能のエピゾードには事欠かずです)、しかしこのチャイコフスキーが示しているように、特に60年代中盤のカラヤンは、マイクロフォンに向かって明らかに「フェノメノンphenomenon」と呼ぶに足る仕事をしていたことを確認することができました。
(この「フェノメノン」は訳すのが難しいのですけれど、現象、それも他人の肯定も否定もあったもんじゃない、ガツンとそこに存在してしまったとんでもない存在のことです。「奇跡」と訳すとちょっと違うかな)。
- 2018-03-21:クライバーファン
- この演奏を聞いて感じたのは、オーケストラの音圧がとても柔らかく、音に弾力があまりない点です。
「クナッパーツブッシュはカラヤンのもたらす響きを「印象派のようだ」と嫌っていた。(「指揮台の神々」)」とありますが、この芯の無い軟体動物のような音を嫌ったのでしょうか。私は、フルトヴェングラー式のアインザッツに慣れてしまったのでカラヤンの奏法には違和感があります。逆にカラヤンから聞き出した人は、フルトヴェングラーのような音圧が強い弦の音は違和感があるのでしょうか?
- 2018-03-18:Sammy
- 20世紀の管弦楽作品なので、やはりできればステレオで、というところですが、こちらもモノラルとはいえ、十分鑑賞に耐える録音であると思います。演奏もさすがというべきか、とてもしっかりした印象です。とにかくとても抒情的な美しい作品で、物悲しくも懐かしい響きに満ちており、聞くたびに心を打たれます。特に壮大な夕映えを見るような終楽章は格別です。5番と並んで、この3番も抒情的で切ない美しさに満ちた交響曲として、多くの人に聞いてほしい作品です。
- 2018-03-18:クライバーファン
- 前からyoutubeにアップされて知っていた演奏ですが、第1楽章がとても速くて新鮮でした。木管楽器だけで響きが薄くなる箇所も随所にあり、意図した解釈なのか、オーケストラの技量なのかわかりませんが、不思議な響きです。
シューリヒトの演奏は、その後の模範的な演奏とはやはりかなり違う極めて独特なものなので、演奏の良し悪しは別として、この演奏と、パリでやったデッカのモノラル盤ともにCDを買って聞いてみたいと思いました。
- 2018-03-08:山路 敬介
- マイナルティの無伴奏は名前こそ知っていましたが、これまで聴いた事がありませんでした。
普段はクニャーチェフだのマイスキーだの、J・リンデンなどを取っ替え引っ変え聞いているのですが、それぞれ長所短所があるからなんですよね。それでどんどんCDが増えて行く一方なのです。(苦笑)
しかし、マイナルティの場合は「もう、バッハ無伴奏チェロはこれでいいじゃないか」と思わせる何かがあります。
その「何か」とはおっしゃるように、「バッハらしい深い瞑想性という名の精神性」なのだろうと納得しきりです。
素晴らしい一枚を紹介して頂いてありがとうございます。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)