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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- オペラには疎い私ですが、歌劇「売られた花嫁」はコシュラー指揮チェコ・フィルの全曲盤のCDを持っています。このオペラ、やはり音楽がいいですね。序曲に続いて演奏される「村人たちの合唱」からボヘミア情緒満載です。
ところで、セルの演奏による「売られた花嫁」は、手持ちのCDでは「3つの舞曲」のみが収録されています。そのため、前々からセルの指揮した「序曲」が聴きたいと思っていました。それだけに、ここに「序曲」がアップされたことは大変うれしいです。全体に実に颯爽として絶妙な演奏です。ただひとつ残念なのは、「3つの舞曲」の中の「道化師の踊り」の後半部分にカットがあることです。
余談ですが、浅野修様はセルの来日公演を実際に聴かれているのですね。うらやましい限りです。
- 2021-03-07:セル好き
- 構造をよくわかったうえで抜群の安定感で弾ききっているのでわかりやすく、メロディーラインも良く浮き立って、チャイコフスキーの西欧志向にも合ったエレガントさもあり聴き入ってしまった。
残響をうまく拾って広がり感のある録音も含めて名盤です。
- 2021-03-07:yk
- 私も詳しく調べたわけではないので、”最初”と断言はできませんが、パスキエ・トリオが1935年にこの曲を録音しています。兄弟・・・と言う関係だからこそ成立したのであろう弦楽三重奏というどちらかと言えばマイナーな組み合わせの常設トリオとして、パスキエ・トリオはこの曲を得意にしていて、この後モノラル、ステレオと2回の録音もあります。ここで紹介されているハイフェッツ-プリムローズ-フォイアマンの研ぎ澄まされた演奏とは対照的な演奏ですが、パスキエの演奏はこのモーツアルトの(私見では弦楽三重奏の最高・・・と言うか唯一無二の)傑作の一面を捉えてそれぞれ素晴らしい味わいの演奏になっています。いつか、パスキエの録音も本アーカイブで取り上げてください。
- 2021-03-04:コタロー
- 「セビリャの理髪師」序曲というと思いだすのが、1970年代後半、アバドがロンドン交響楽団を指揮したロッシーニ序曲集のレコードです。そこでは、「セビリャの理髪師」序曲ではなく、転用元の「イギリスの女王エリザベッタ」序曲として収録されていました。オーケストレーションも異なっており、打楽器にシンバルが含まれていたのです。当時の「レコード芸術」の新譜月評の音楽評論家は、『「セビリャの理髪師」に転用する際にシンバルを抜いたのであろうか』と推理していたのを覚えています。アバドの演奏はロッシーニにふさわしい、沸き立つような勢いと乾いたユーモアが魅力的でした。
ひるがえって、ジュリーニの演奏はシックな格調の高さを感じさせます。ロッシーニの序曲はあらかたアップされているようなので、今度はヴェルディの音楽を聴いてみたいですね!
- 2021-03-03:joshua
- Gary Graffman32歳の演奏、60年前。その名の通りbrilliantなメンデルスゾーンです。また、彼は存命でして、ルビンスタインやホルショフスキーを思わせる長命のピアニストです。60年頃、マウツジンスキよろしく、彼もBrahmsの1番をミュンシュと録っています。これがまた、(ミュンシュに煽られてか!?)なかなか熱い演奏です。その彼もフライシャーのように、右手の故障を煩い、「左手のピアニスト」の時期がありました。その師ホロヴィッツや、他方リヒテルは度々心を病みましたし、心身いずれに出てくるかは人それぞれのようです。immortalと呼ばれる名演奏とて、mortalな人間のある時期の記録にすぎない。いやいや、凡人のわたしには数週間の幸せを与えてはくれます。Munch ミュンシュと読むには、ウムラウトが必要ですが、通例見かけません。ドイツとフランスの国境を行き来したこの人の宿命か、本人も両方使っていたようです。有るときはカール・ムンク、フランスに帰化してはシャルル・ミュンシュ。英単語でも、マンチ munch「むしゃむしゃ食べる」があり、一字違いのmuchに「むしゃむしゃ」感を連想してしまいます。ヒマ人の連想です。
- 2021-03-03:コタロー
- きょうバルビローリのシベリウス交響曲第2番がアップされ、その中にたまたまトスカニーニの演奏のことが触れられていたので、さっそく比較して聴いてみました。
バルビローリの方は、さすがにシベリウスのスペシャリストと言われただけあって、この曲を手の内におさめた流麗な演奏でした。
トスカニーニの方は、かつての「骸骨のダンス」という感想が信じられないくらい、復刻状態が良いです。そして筋肉質でたくましい演奏が印象的でした。彼の「フィンランディア」、「ポヒョラの娘」もぜひ一度聴いてみたいですね。
- 2021-02-28:エラム
- 本演奏とは関係ないことですが、リーガーという名前でとあるお宝映像を思い出しました。
バッハの4台のピアノ(チェンバロ)のための協奏曲はメジャーな曲ではないと思いますがその昔、この曲で夢のような企画が催された記録が映像として残されています。
1972年、当時バイエルン放送交響楽団の指揮者だったクーベリックの呼びかけで、ミュンヘンと縁が深い3人の指揮者が集まり、4人の指揮者がピアニストとしてバッハの協奏曲に挑みました。
その指揮者は、当時バイエルン州立歌劇場の指揮者だったサヴァリッシュ、ミュンヘンフィルの指揮者だったケンペ、そしてミュンヘンフィルの前任者のリーガー、最後にクーベリックが指揮も担当しました。
4人のマエストロたちがプライドを見せつつ協力的に音楽を作っていく実に貴重なドキュメントでした(チェリビダッケならこんな企画絶対にお断りだったでしょう!)。
- 2021-02-28:joshua
- Fritz Rieger その人はローテンベルガーやヴンダーリヒという豪華顔ぶれで1964年ライブの魔笛を残しています。ミュンヘンフィル音楽監督でナチス党員だった人が、戦後レッグの傘下でフィルハーモニア管弦楽団を振ったのは43歳時。68歳と指揮者としては短命ですが、よく似た時代・状況を生きたオズワルド・カヴァスタが戦後間もなく服毒死したのと、対照的に器用に生きた人のようです。
いささか因縁めいた話になりますが、同じ43歳でこの曲をB.L.ゲルバーと共演したドイツ人がいます。パウル・デッカーです。(2014年に90歳で長逝した、キャリアもニュージーランド響と平和に過ごし終えた晩年でした。)その年1966年。まだ、頭書のリーガーはミュンヘンにいた年です。ゲルバーの自信作となり再録もされていない、この名演の伴奏指揮は、56歳のリーガーであったかもしれない、と歴史の皮肉を感ずるわけです。リーガーはピアノも達者で歌手のソロレペティートアをしていたほどです。マウツジンスキはそれを知っての演奏だったんでしょう。
- 2021-02-27:joshua
- ショーンバーグのコンサートへ評が紹介されていますが、学生には、否定の副詞で始まる倒置文の解釈練習にいいでしょうねえ。彼女は、どこをとっても何々などしていない、という、強調文です。しかし、これを音楽評論と位置づけた上で、conceptionsの語意を確定するには、それなりに音楽体験がモノを言うかと存じます。直訳して、大きな構想を目指して励むなど、どこにも見られない、何のことだろう?、と。次の文は簡単で、果たして洗練された楽しいピアノ演奏、と褒め言葉です。ショーバーグは、1984年当時の大言壮語的演奏に辟易していたのかもしれません。ちなみに、1字違いで、シェーンベルグ。方や、ピアニストはドルフマン。共にゲルマン系と思われます。さて、第3曲のwarum?がバックハウス辞世の演目であるのが気になって、ここへ辿りつきました。バックハウスは、カーネギーホールデビュー1954年にも、これを弾いています。コルトーもよく弾いていたような、、、Warum? 何故に?
- 2021-02-26:コタロー
- アメリカの音楽評論家、ヒューエル・タークィ氏が著書「分析的演奏論」(三浦淳史訳、音楽之友社)のなかで、この演奏を褒めたたえています。以下に彼の言葉の一部を引用します:
「それはモーツァルトをあまり好きになれない人をも改宗させ得る演奏である。」
「私はいつも変わらぬ喜びにひたりながら毎週数回聴いている。疲れたり、意気消沈した日には格別よいようだ。私はこのレコードをあまりにも高く推薦せずにはいられない。」
ちなみに、この曲のレコードは彼の誕生日プレゼントだったそうですが、組み合わせがR.シュトラウスの「ホルン協奏曲第1番」(マイロン・ブルーム独奏)ということなので、もしかしたら、このサイトに掲載されたジャケット写真のレコードがそれに該当するものかもしれませんね。
- 2021-02-25:yk
- 何年か前"Vladimir Horowitz live at Carnegie Hall"と題して、1951-1978年の間(+α)のホロヴィッツのカーネギー・ホールでの演奏会を集大成したCDが発売されたことがありました。言うまでもなくカーネギー・ホールは彼の米国での本拠地であったわけで、この1953年の演奏会も1965年のHistric Return演奏会もこのホールで行われている。カーネギーと言う鉄鋼王の名を冠するこのホールは、如何にもアメリカ的で古い歴史を背負わない米国の(プチ)ブルジョワ文化の象徴でもある。このホールでホロビッツは50年に渡って”王様”であり、批評家からはショーンバーグからは”猫の額云々”とも、その後のニューヨークで音楽評論を書いたE. サイードに言わせれば”政治家と同じく権力の座にとどまることしか望んでいない”ように見える演奏家・・・とも言われる。
そのホロヴィッツは、カーネギー・ホールにデビューすることを”the end of a particular phase in the pianist’s career, not the starting point”だと考えていたという。それは言葉を変えれば、高額のチケットを購入し恭しい礼装に身を包んで音楽を聴くことを一つのステータスと考える芸術”愛好家”のお気に入り・ペット・・・そして王様になることでもある。音楽を高尚なもの、虚飾を廃した真実なるものと考える純粋培養芸術の立場からは、カーネギー・ホールには鼻持ちならないスノッブの香りが付きまとうことは否定できないし、実際大抵の演奏には盛大な”フライング拍手”が付属していて、(我が国のように?)音楽の余韻を楽しむ”精神性豊かな”聴衆の趣は乏しい。
・・・・しかし、だからこそなお、これらの彼の演奏の記録を聴きながらホロビッツがこのホールで成し遂げたことの実績と意味を考えると圧倒されるものがある。ホロビッツはスカルラッティでもハイドンでもモーツアルトでもベートーヴェンでもシューマンでもショパンでもラフマニノフでもスクリャービンでも、何を弾こうと”ホロヴィッツ”であって、ブレンデルやポリーニとの比較が適切な演奏家でもない。20世紀と言う時代に”クラシック”という”古典”に回顧以上の意味を与える道を根無し草の”米国文化”の中で一人のピアニストとして模索し、良かれ悪しかれソノ展望(の一隅)を一人で示した演奏家だったと思う。その意味では、グールドもホロヴィッツの後裔であり(グールドがホロヴィッツを意識して止まなかったのも当然・・か)、ホロヴィッツの演奏を肯定するにせよ否定するにせよピアノという楽器(とピアノ音楽)の表現の幅と可能性を広げたことは否定できないように思う。
最後に、この1953年の演奏会のプログラムは、上述のCDセットではブラームスのラプソディ・変ホ長調・op.119-4から始まっていてシューベルトで肩慣らしをした訳では無いようです。
- 2021-02-25:joshua
- 考え直してみると、モリーニの演奏からYUNG氏が思い描くイメージの映画とは、【舞踏会の手帖】かもしれませんね。
- 2021-02-23:コタロー
- これは貴重な演奏ですね。モントゥーは、ドリーブの音楽の持つ甘美さを適度に生かしながら、流麗でしっかりした音楽を形作っています。録音はモノラルとしては上等で、鑑賞には何の支障もありません。
なお、最後に「前奏曲とマズルカ」のステレオ録音による別ヴァージョンが収められています。幾分ハイ上がりの音になっていますが、当時のRCAの実験的精神には拍手をおくりたいと思います。
なお、同時に「シルヴィア」も聴いてみましたが、こちらも好演です。モントゥーの演奏はいささかも古臭さを感じさせず、現在の耳で聴いてもみずみずしさを感じさせます。
- 2021-02-17:コタロー
- 私も、じつはこの曲とのファースト・コンタクトはミュンシュの演奏でした。
それは高校時代のことです。RCAの廉価盤レコードで、たしか幻想序曲「ロミオとジュリエット」との組み合わせでした。
ためしに、現在家にあるカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏と聴き比べてみました。グラマラスなカラヤンも見事でしたが、ミュンシュの演奏は、人間的な温かみとほのかな情熱を秘めた素晴らしいものだと思います。第1楽章の再現部の一部にカットがありますが、これは当時の慣習的なものでしょうか。
久しぶりにこの演奏を聴いて、半世紀近くも前の多感だった頃の自分を想い出すことができて大変うれしかったです。アップしていただき、ありがとうございました。
- 2021-02-16:ヨシイヒロシ
- Rシュトラウスの素晴らしい曲とその演奏を、Rシュトラウスの父親がうれしく聴いている姿が、浮かび上がる演奏です。一方で子供(Rシュトラウス)の方は「もう僕はこんなことが簡単にできるようになったんだ、お父さん!!」と自慢しているような、そんな微笑ましさも感じます。特に三楽章。父と子の情の深さをものすごく感じた素晴らしい演奏です。
- 2021-02-16:コタロー
- レスピーギは、ロッシーニの「老いの過ち」を題材にした管弦楽曲をいくつか作曲しています。たとえば、以前「ロッシーニアーナ」という曲を聴いたことがありますが、音楽としてはさほど魅力を感じませんでした。
それに対して、このバレエ音楽は素敵なメロディーが随所に散りばめられており、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが全篇にあふれています。なお、2曲目の「タランテラ」は、かつて一世を風靡したテナー歌手の藤原義江氏が十八番にしていました。
ショルティというと、あまりバレエ音楽とは縁がないように思われますが、華美になりすぎず、適度な活気をもって手堅くまとめた演奏です。珍しいレパートリーであり、また全曲版であることがこの演奏の価値を高めています。
- 2021-02-16:joshua
- これは、ほんとに楽しい。プレイヤーが楽器を鳴らしきっている演奏。スタリアーノとシャピロの二人が、コンツェルトのように鳴らしています。ライブは知りませんが、スタティックな演奏が録音の主流ですから、この演奏はありがたいですね!
- 2021-02-14:yk
- 私がこの曲のLPを初めて買って聴いたのがこの演奏でした・・・ので、以下私の”刷り込み”も含む私見ですが・・・。この曲はモーツアルトへのオマージュとして書かれた、と言われます。と同時に、強いロシアの情緒も感じられる曲でもあります。また、ミュンシュは私の知限り協奏曲などを除くとほとんどモーツアルトを正規録音していないのではないかと思います。
この”古典派のモーツアルト”-”ロマン派・民俗楽派のチャイコフスキー”-”モーツアルトをめったに指揮しない(フランス系)ミュンシュ”・・・と言う微妙な組み合わせの記録として、この録音の存在はとてもユニークだったと思います。
実際には、数は少ないながらライブ録音などで聴くモーツアルトの交響曲でのミュンシュは速いテンポのスッキリした造形を貫いていて、このセレナーデの演奏との共通点も多く、ミュンシュはこの曲を”ロシア楽派のチャイコフスキーがオーストリア古典派のモーツアルトへの敬意の印として書いた曲”と認めて優秀な手兵であったボストン響の弦楽セクションを使って彼なりのモーツアルトとチャイコフスキーへの敬意を込めて演奏したのではないかと思えます。
その結果が万全のものかどうかは聴く者の経験や感性によって違うのだとは思いますが、少なくとも私にとってはゲップの出そうなカラヤンの演奏などよりも(今も)遥かに懐かしくも好ましい演奏でした。
- 2021-02-13:toshi
- 良く言われることですが、ミュンシュの音楽的な根本はオケマンだったと思います。
音楽のことを良く知っているオケマンに音楽のことを細々説教するのを凄く嫌がっていた気がします。
ですから無理にオケを強引にコントロールしようとしないので音楽にムラがあると思われたのでしょうね。
でも演奏は生ものです。工業製品のように品質管理されたどこかの演奏家の演奏より数倍魅力的だと思います。
- 2021-02-13:コタロー
- クラシック音楽の場合、音源の状態によって音楽の印象がまったく変わってしまうことがあるのでこわいですね。私が所持しているセルの「ジュピター」は80年代のCDですが、全体に音質が固く、不自然なほどに金管楽器が前面に出て聴きづらい代物でした。
ところが、ここにアップされている音源は、音のバランスが良く、まったく別物のようです。これなら掛け値なしの名演ですね。
セルを機械的な指揮者などと誤解している人は、たまたま良くない音源で聴いていたのかもしれませんね。
- 2021-02-12:コタロー
- 「眠れぬ森の美女」とは傑作ですね(笑)。これは永久保存版でしたね。
冗談はさておき、「眠れる森の美女」は、すでにアンセルメの全曲版がアップされています。こちらの方は2時間以上を要しますが、意外と聴かせ上手な演奏で、全曲を一気に聴き通してしまいました。アンセルメの演奏は、あくまでも「踊り」の音楽に徹しています。
それに比べると、このオーマンディの演奏は、ゴージャスさを基調にしたコンサート向けの音楽になっています。ただ、贅沢を言えば、第3幕の「終幕のマズルカ」が含まれていればもっと良かったですね。「パ・ド・ドゥ」からいきなり「アポテオーズ」に飛んでしまうのは、音楽的に唐突な印象を受けます。
このような「抜粋版」は、バレエ音楽のアウトラインをつかむのに便利だと思うのですが、いささか軽んじられているのは残念です。
それにしても、昨今の指揮者は生真面目な人間ばかりで、オーマンディのような、いい意味でのエンターティナーが絶滅してしまったのは淋しい限りですね。
- 2021-02-12:谷村
- 私のクラ初心者の頃の愛聴盤は、モントゥー指揮の当曲のハイライト版でした
最後まで聞き進んで、フィナーレが鳴り響いた時の興奮を期待して聞いていた様な感じでした。いわれる通り、組曲版には、このフィナーレが入ってなくて、"えー?"てなもんでした。
モントゥーを近年聞いていません、フリーになっているハズですからお願いしますね。
ついでながら、このフィナーレは、スターウォーズ(最初の)のそれと双璧と思ってます。
- 2021-02-10:terra
- ハイドシェックのヒンデミットなんて初めて知りました!
これは貴重な。ありがたいです。
- 2021-02-10:コタロー
- 最近、カイルベルトのCDボックス(14枚組)を購入して、彼の遺したモーツァルトからドヴォルザークにわたる交響曲を中心に聴いてみました。その中で最も素晴らしかったのが、このブルックナーの交響曲第9番の演奏でした。ここでは手兵のバンベルク響ではなく、ハンブルク・フィルが起用されています。しかし、そのいぶし銀のような音色は他のオーケストラには真似のできないものでしょう。カイルベルトは金管楽器を壮大に鳴らすような場面でも、決してうるささを感じさせず、自然な風合いを醸し出しています。
確かにシューリヒトのような個性的な演奏とは言えないかもしれません。しかし、素朴な気持ちでブルックナーの音楽の醍醐味をじっくりと味わうことができる得難い演奏だと思いました。
- 2021-02-08:joshua
- この曲は、リリー・クラウス、ルドフル・ゼルキンですでにアップして頂き、私個人の曲への愛着を書かせて頂いております。特に、後者のピアノは元より伴奏のアレクサンダーシュナイダー指揮のオーケストラにいたく感動し、完成品のセル・クリよりずっといいじゃないか、と思ったものです。ちなみに、カサドシュ/フライシャー・セルのコンビはこの曲を録ってません。完成品でないにしても、ゼルキンの演奏は伴奏と渾然となって、始めてこの曲に接するときのような初々しい感動がわたしには感じられます。完成品だとこんな曲はツンと横を向いて今ひとつになってしまうんじゃないでしょうか。珍しくピアノの鍵盤に向かったカークパトリック、ピアノを弾くこと自体の喜びじゃないでしょうか。その意味で伴奏を担当するジョーンズにもソロを大切にする精緻さがあり、Aシュナイダーがブダペストカルテットの2ndヴァイオリンを担当してる時のjosephロイスマンへの献身にも似たものを感じます。
- 2021-02-07:コタロー
- 待望のプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」の登場です。個人的には、プロコフィエフの曲はあまり得意ではありませんが、この曲は傑作だと思います。
ミュンシュのプロコフィエフは初めて聴きますが、全体に活気が漲っていて、とても良い演奏です。録音もRCAのものだけに、この時期としては優秀です。
ただ、このバレエ音楽のハイライトのひとつである、二人の深い愛を描いた「バルコニーの情景」が割愛されているのが玉にキズですね。
でも楽しく聴かせてもらいました。アップありがとうございました。
- 2021-02-06:draco
- 数あるブラームス交響曲第一番の演奏中、私のベストは'58年録音のLP。'51モノラルと比較されるが、抑制された中に秘めた情熱が表現され、最終楽章後半コーダへ向かってのホルンの響はこれに勝るものはない。後年西ドイツのデジタルリマスター版CDも所有しているが、臨場感はLPに遠く及ばない。
※なぜか星にチェックが入らない。当然10。星が'51録音のものなら8。
- 2021-02-04:koinu
- ものすごく素晴らしい演奏です。メンデルスゾーンの素晴らしさを描ききった演奏です!!セルとクリーブランドの献身に感謝です!!
- 2021-02-02:コタロー
- トスカニーニのこの演奏を一聴して驚いたのは、第1楽章の第1主題に、軽いポルタメントがかけられていることです。このことに象徴されるように、曲全体がしなやかで透徹した美しさに貫かれているのが魅力です。
ちなみに、私の手元には、トスカニーニが1950年に録音したこの曲を収めたCDがあるので、試しに聴いてみました。
1950年の録音は、より完成度の高い演奏ですが、全体に少し取り澄ました感じがします。
結果的には、トスカニーニ自身がより若い(といっても70代初めですが)この演奏に軍配が上がりそうです。
彼の「ジュピター」のアップも楽しみにしております。
- 2021-02-02:Sammy
- 私にとってクナッパーツブッシュ指揮の演奏は、今は亡き音楽評論家某U氏の熱烈なお勧めに従っていろいろ聞いては見たものの、なんだかとてつもないが、何かぶっきらぼうでくせの強いものを聞かされた感じが残ることが多く、面白いとは思ってもあまり好きに派なれませんでした。
今回も半ばからかい半分で聴き始めて、意外にもまっとうな演奏に驚かされました。4番の改訂版は近年ヴァンスカやヴェルザー=メストによる録音も出て再評価されつつあるようですが、既に複数の版のあまたの演奏が溢れているこの作品であってみれば、今更クナの演奏が改訂版であることに目くじらを立てる理由もなさそうです。(ちなみに初稿の雑多の楽想が畳みかけるように現れる、未整理ながら荒々しくあふれかえるようなスケール感もまた魅力的と感じます)
むしろyungさんもご指摘の素朴なオーケストラの味わいが生かされ、しかし全体としては落ち着いたまとまりがしっかりとあり、同時代の音楽にやや無理に寄せた改訂版の面白さも分かりやすく伝わってくるので、これもまたいいものだ、と思った次第です。このよどみない流れはyungさんが言われるように、恐らく演奏が極めて順調に行った、ということかも、とも感じられます。
録音もモノラルですが明瞭で、十分楽しめる音では、と思います。
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[2025-07-01]

ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67(Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1958年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1958)
[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)