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名演奏を聴く~今週の一枚(最新の20件)

名演奏を聴く~今週の一枚(一覧表示)



モーツァルト:ピアノソナタ第8番 イ短調 K 310

(P)ディヌ・リパッティ:1950年録音

安っぽい叙情などは寄せ付けないストイックな演奏スタイルの中からこの上もなく澄み切ったロマンが香りだします。モーツァルトの孤独な魂を、これほどまでに澄み切った水晶のような響きで歌い上げた演奏は二度とあらわれないでしょう。


ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21

(P)サンソン・フランソワ パウル・クレツキ指揮 フランス国立放送管弦楽団 1958年6月23日~4日録音

フランソワの魅力は作品と向き合って感情が揺らいだり、爆発したりすれば、そのテクニックも含めてその感情にあおられて揺らいでしまいます。しかし、その揺らぎは作品の形をゆがめてしまう一歩手前のところで踏みとどまります。そして、それがフランソワならではの豊かなファンタジーの世界を紡ぎ出しています。そんなフランソワの真骨頂が発揮されているのがこのショパンのコンチェルトです。


R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」 作品35

レオポルド・ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団 (vn)エリック・グリュエンバーグ 1964年9月22日録音

これを名演と言えばお叱りをうけるかもしれません。スコアは勝手に改変していてまさに「ストコ節」全開の演奏です。
それ故に、ここにあるのはストコフスキーという男の目に映った千夜一夜物語であり、お姫様は見事なまでにグラマラスな妖艶な美女です。
指揮者によっては、「こんな辛気くさい話を続けてたら王様に殺されちゃうんじゃない!」と言いたくなるようなお姫様もいるのですが、このお姫様のお話は見事としか言いようがありません。


ビゼー:交響曲 ハ長調

トーマス・ビーチャム指揮:フランス国立放送管弦楽団 1959年10月&11月録音

ビーチャムが実にゆったりと呼吸しながら音楽を作り出していることが手に取るように分かります。さらに、フランス国立放送管弦楽団のホルンもオーボエもその響きはこの上もなく生々しく、ビーチャムが作り出すゆったりとした世界は聞くものの心をその芯からゆったりさせてくれます。
ビーチャムはこの翌年には指揮者を引退し、61年にはこの世を去るのですが、そのような老人の手になる音楽とは信じがたいほどの若さと潤いを感じさせてくれる演奏です。


モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」

ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団:(コントラバス)ヨーゼフ・ヘルマン 1954年録音

これを名演奏と言うには躊躇いを持つ人もいると思います。しかし、この四重奏団のリーダーであるカンパーのことを「彼はムジカー(音楽家)だったが、同時にムジカント(楽士)でもあった」と評していました。もちろん、この「ムジカント」という言葉は否定的な意味合いで使われたのではなくて、演奏する方も聞く方も楽しい気分にさせてくれる芸人魂の持ち主であったことを肯定的に表現したものでした。残念なのは、みんな賢くなって、こういう楽士がいなくなったことです。


モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第28番 ホ短調 K.304

(P)クララ・ハスキル (Vn)アルテュール・グリュミオー 1958年10月16~17日録音

一つの世界を築き上げた老人(ハスキル63歳)が、才能あふれる若者(グリュミオー37最))を引き立てようとした演奏は、実にしみじみとココロ穏やかにさせてくれて、これまた耳福であります。
弱肉強食を是とし、その中で他人を出し抜いてでも前に出ることを賛美してきた社会が醜くも崩壊する様を見せつけられた後では、こういう音楽はまさに(あまり使いたくない言葉ですが・・・)、一つの「救い」であるのかもしれません。


ベートーベン:弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131

ブダペスト弦楽四重奏団:1961年録音

このブダペスト弦楽四重奏団によるベートーベン演奏も弦楽四重奏の演奏史における一つの結節点であったことは疑いようもない事実です。この演奏の登場によって、ファースト・ヴァイオリンが主導的な役割を果たすようなスタイルは過去の遺物となりました。その意味で、弦楽四重奏の演奏の歴史はこのブダペストの演奏に全て流れ込み、そして、ここを水源地として新たな演奏の歴史が流れ出していったと言えます。


ショーソン:詩曲 作品25

(Vn)ジネット・ヌヴー:イサイ・ドヴローウェン指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1946年録音

冒頭の短いオーケストラの序奏に続いて独奏ヴァイオリンがピアニッシモで入ってきます。そして、オーケストラが沈黙する中を、そのヴァイオリンが単音で一本の旋律線を描き出していき、それが次第に音量を増していって一つの頂点に達したところで再びオーケストラが伴奏をはじめます。これは、ヴァイオリンのソリストとしては極限状態といえるほどの怖さでしょう。しかし、ヌヴーはその怖さの中を、これまた極限とも言えるほどの緊張感を維持してその一本のラインを描いていきます。そこに私は、開くはずのない壁に血を流しながら爪を立てているような姿を感じ取ってしまいます。


バッハ:音楽の捧げもの

(Con & Cemb)リヒター:(Cemb)ヘトヴィヒ・ビルグラム (fl)オーレール・ニコレ (vn)オットー・ビュヒナー・クルト・グントナー (va)ジークフリート・マイネッケ (vc)フリッツ・キスカルト 1963年録音

演奏の素晴らしさはまずはフルートのニコレ、次いでヴァイオリンのビュヒナーに帰することが出来ます。
とりわけ、フルートのニコレが参加すると、音楽の雰囲気が一変します。それは、淡々と時間を流れていくだけだった世界に突然人の血が通うような雰囲気です。それは「厳しい精神性」の世界と「高貴で奥深い表現」という表看板の中に、人の血の通った、ある意味で言い切ってしまえばロマンティックな世界が現出することでこの演奏の価値wさらに高めているように思えるのです。


メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64

(Vn)ハイフェッツ:シャルル・ミンシュ指揮 ボストン交響楽団 1959年2月23日&25日録音

このハイフェッツの演奏には、少なくない人がこの作品に期待する「甘さ」や「ひとしずくの涙」などはひとかけらも存在しません。それどころか、ここに存在するのは、そんな甘っちょろさとは正反対の日本刀の切れ味であり、青白い炎が立ちあがるような切っ先の鋭さです。つまり、ロマンティックな雰囲気に浸って「癒されたいわ」などと言うフニャケタ気持ちでこの録音を聞くと、間違いなく脳天をたたっ切られます。


ラヴェル:ボレロ

クリュイタンス指揮 パリ音楽院管弦楽団 1961年11月録音

このコンビの録音を「オケの精度」という点だけで見てはいけません。
オケの精度などと言うものは練習で絞り上げればある程度のラインまではどこでも実現可能です。しかし、クリュイタンスとパリ音楽院管弦楽団のコンビが醸し出すこの響きの素晴らしさは、いわゆる「訓練」によって実現できるレベルものではありません。
賛否両論渦巻く外しまくりの「ボレロ」ですが、気にならないと言えば嘘になりますが、それと引き替えに実現している管楽器群の響きの素晴らしさは出色です。


ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 Op.73 「皇帝」

(P)バックハウス ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ウィーンフィル 1959年録音

バックハウスというピアニストを評してもっとも適切なる言葉は「mouthpiece of the composer」に尽きるのではないでしょうか。
まさに、作曲家の代弁者として歌を歌う人、それがバックハウスの本質だったのではないでしょうか。そして、そこに「高い精神性」を見る人がいても不思議には思いませんが、。彼にとってもっとも大切だったことは作曲家と心を合わせて、その代理人としてピアノを演奏することだったはずです。
ここでは第5番の「皇帝」を紹介しましたが、全5曲どれも素晴らしい名演なので、ジャケットは全集盤を掲載しました。


モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550

ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年1月13日&16日録音

この録音には、この時代の巨匠たちに共通する巨大で重厚な造形はありませんし、後の時代を席巻するピリオド演奏ほどにはクリアでもなければシャープでもありません。世間では、こういう世界を「中途半端」と切って捨ててしまうのですが、しかし、実際に演奏を耳にすると得も言われぬ魅力があることは否定できないので困ってしまいます。
そこで、しばし沈思黙考して気づかされたのが、テンポ設定の妙です。
こんな言い方をすると実にいい加減なので気が引けるのですが、ワルターの手にかかると、すべの部分が「これ以外にはない」と思えるようなテンポで音楽が進められているように思えるのです。それは、メトロノーム記号でいくつというような単純なものではなく、すべてのフレーズがこのような語り口で話されるべきだと得心がいくようなテンポ設定なのです。そして、このような「芸」を身につけていたのは、モーツァルトに関してはワルター以外には存在しなかったことに気づかされるのです。


ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調

カール・シューリヒト指揮 ウィーンフィル 1961年11月録音

ここに刻印されたシューリヒトの個性はかなり強烈です。表面的には素っ気なさすぎて枯れすぎた音楽に思えるかもしれません。
しかし、この作品に内包された「怖さ」がこれほどまでに聞き手に迫ってくる演奏は他に思い当たりません。
とにかく、聞いていると、心臓にグサリと刺さってくるような「怖い」場面があちこちに存在するのです。そして、それは徹底的にスコアを分析し、その結果をどれほど緻密に分析しても再現できない類のものなのです。
よく言われることですが、落ち込んだときに夜中に一人で聞いてはいけない最右翼の一枚が、このシューリヒトのブル9なのです。


ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14

シャルル・ミュンシュ指揮 パリ管弦楽団 1967年10月録音

ミンシュはフルトヴェングラーは年にすれば5才しか違わないのですが、録音運の違いもあってか、フルトヴェングラーはミンシュよりも何世代も古い人のように感じてしまいます。
そして、ミンシュは最後の最後にフランスが国の威信をかけて設立したパリ管の首席指揮者に招かれてこの録音が残せたのですから、実に運のあった人です。
そして、ミンシュの情念が爆発するようなこの録音を聞いていると、同じようにフルトヴェングラーの演奏においても感情が爆発するのですが、その「爆発」の質が全く異なることに気づかされます。
おかしな言い方になるかも分かりませんが、フルトヴェングラーの爆発は、作品そのものに内在する「構造」がもたらす「必然」として爆発します。しかし、ミンシュの爆発は作品の構造を無視しているわけではないのですが、そこに色濃く「主情」がにじみ出ています。
ですから、その「主情」ゆえに、ある人にとっては「あざとさ」を感じてしまう綿もあるのですが、その価値判断は聞き手にゆだねましょう。


シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレート」 D.944

フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1951年12月録音

とはんでもなく遅いテンポで始まる第1楽章、さらに遅くなる第2楽章では微妙に揺れ動くテンポの中でシューベルトならではのロマンティシズムが纏綿と歌いつがれていきます。
しかし、最終楽章になだれ込むと風景は一変します。シューマンが「天国的」と称した音楽ですが、フルトヴェングラーはすさまじいエネルギーをここで爆発させます。
晩年のシューベルトが求め続けたシンフォニックな音楽としての「ザ・グレート」の理想的な姿がここに提示されています。


ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960年1月16日&23日録音

細部に込められた絶妙なまでの微妙なニュアンスの積み重ねによって描き出される世界は聞くものの胸に迫ってきます。そこでは、老境を前にした、そう、決して「老境」ではなく、「老境を前」にした男の胸の中に去来するあらゆる感情、それは、すごしてきた己の人生に対する自信であり確信であり、時には諦めでもあり、悟りでもあり、さらには悔悟でもあったりする複雑で重畳した思いなのですが、そう言うあらゆる感情がしみじみとした優しさの中に描き尽くされています。そして、それこそがワルターの真骨頂です。


チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathetique)」

ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 1960年9月&11月録音

ムラヴィンスキーという男はチャイコフスキーのシンフォニーをベートーベンの不滅の9曲にも匹敵する偉大な音楽だと心の底から信じた男でした。その事は、私の思いつきの言葉ではなくて(^^;、ムラヴィンスキーが至るところで、繰り返し、繰り返し語っていることです。
とりわけ6番「悲愴」については暇さえあればスコアを眺めて、時には涙していたそうです。
もちろんその姿勢に関しては番も5番もそう大差のあるものでありません。


バルトーク:ピアノ協奏曲 第3番 Sz.119

(P)ゲザ・アンダ:フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 1959年9月録音

突然の死から既に30年以上の時間が経過し、少しずつ人々の記憶から忘れ去られつつあるアンダですが、こういう録音を聞き直してみると、彼がいかに傑出したピアニストであったかを再確認させられます。
もちろん、フリッチャイの指揮も素晴らしく、二人はこの録音のあとに今後の活動についてあれこれ話し合ったそうです。もちろん、そのような計画はフリッチャイの死によって実現することはなかったのですが、もしも、白血病という病魔がフリッチャイをこの世から奪い取らなければ、どれほどの音楽を残してくれたことかとつくづく残念に思われます。


ブラームス:交響曲第2番

フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィル 1945年1月28日ライブ録音

これは「名演」と言うよりは「歴史の証言者」のような録音です。
それにしても凄まじいブラームです。
はじめて聞いたときは仰け反ってしまうとともに、わたしに「歴史的録音」の価値を教えてくれた演奏でもありました。
フルトヴェングラーはこの時スイスへの亡命を決意しており、この演奏会の終了後に嘘の電文をベルリンに送って密かにスイスへと亡命します。戦時下という極限状態の中で生み出されたこれら一連の録音こそは、世紀をこえて永遠に受け継がれていく芸術であることだけは確かです。





[2020-05-26]

ブラームス:ホルン三重奏変 ホ長調 Op.40
(Vn)アドルフ・ブッシュ:(P)ルドルフ・ゼルキン (Hr)オーブリー・ブレイン 1933年11月13日録音

[2020-05-25]

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 , K.488
(P)リリー・クラウス:スティーヴン・サイモン指揮 ウィーン音楽祭管弦楽団 1965年5月9日~10日録音

[2020-05-24]

ベートーベン:弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132
ブッシュ弦楽四重奏団 1937年10月7日録音

[2020-05-23]

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
(P)ギオマール・ノヴァエス:ジョージ・セル指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1951年1月7日録音

[2020-05-22]

ハイドン:交響曲第57番 ニ長調 Hob.I:57
マックス・ゴバーマン指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1960年~1962年録音

[2020-05-21]

ビゼー:「アルルの女」第1組曲&ファランドール(第2組曲)
ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 1966年1月25日~26日録音

[2020-05-20]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110
(P)アルフレッド・ブレンデル 1960年録音

[2020-05-19]

ロッシーニ:「セミラーミデ」序曲
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1962年12月13日~14日録音

[2020-05-19]

ロッシーニ:「アルジェのイタリア女」序曲
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団1959年6月9日~10日録音

[2020-05-18]

モーツァルト:.ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 , K.482
(P)リリー・クラウス:スティーヴン・サイモン指揮 ウィーン音楽祭管弦楽団 1966年5月15日~25日録音