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チャイコフスキー:くるみ割り人形 組曲 Op.71a

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1966年10月録音



Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [1.Miniature Overture]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [2.a. March]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [3. b. Dance of the Sugarplum Fairy]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [4.c. Russian Dance (Trepak)]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [5.d. Arabian Dance]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [6.e. Chinese Dance]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [7.f. Dance of the Reed Flutes]

Tchaikovsky:The Nutcracker - Suite Op.71a [8.Waltz of the Flowers]


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クリスマスイブの一夜の物語

チャイコフスキーの三大バレー曲の中では最もまとまりがよく、また音楽的にも充実しているのがこの「くるみ割り人形」です。
物語はクリスマスイブにおける少女の一夜の夢です。全体の構成は以下の通りです。

第一幕

  1. 第一場:シュタールバウム家の玄関前

  2. 第ニ場:シュタールバウム家の居間

  3. 第三場:シュタールバウム家の居間

  4. 第四場:雪の国



第二幕


  1. 第一場:水の国

  2. 第二場:お菓子の国の都

  3. 第三場:シュタールバウム家の広間

  4. 第四場:シュタールバウム家の玄関前




ちなみに組曲は以下の通りの構成となっています。


  1. 小序曲

  2. 行進曲

  3. こんぺいとうの踊り

  4. トレパック:ロシアの踊り

  5. アラビアの踊り

  6. 中国の踊り

  7. あしぶえの踊り

  8. 花のワルツ




ただし、ホフマンによる原作「くるみ割り人形とネズミの王様」と比べると根本的な部分で相違があります。
原作では、人形の国からクララ(原作ではマリー)が帰ってくるところまでは同じですが、それを夢の話としては終わらせていません。
クララが話す人形の国について両親は全く信じようとしないのですが、やがて王子が彼女を迎えに来て人形の国へ旅立つというラストシーンになっています。

バレーの台本はマリウス・プティパによって書かれたものですが、彼はこの最後の場面をバッサリとカットして、人形の国シーンで物語を終わらせています。
ただし、それではいかにもおさまりが悪いので、その後ワイノーネンの振付によって改訂され、クララが夢から醒めた場面で終わらせることによってこの物語をクリスマスイブの一夜の物語として設定することが一般的になりました。


夢を夢として終わらせない原作と、そこの部分をわざとぼかした原作では大きな相違がありますし、ましてや、夢はしょせん夢だとして終わらせる改訂版とでは根本的に違った作品になっていると言わざるを得ません。
当然の事ながら、プティバもワイノーネフもホフマンの原作を知っていたでしょうから、なにゆえにその様な改訂を行ったのかは興味のあるところです。(最近は原作回帰の動きもあるようです。)


オケの響きを変えていくための「作業場」と化している

カラヤンが多くの人々から受け入れられた最大の魅力は、ベルリン・フィルというオーケストラを徹底的に鍛えて、未だ誰も耳にしたことがなかったような希有の響きを実現したことであり、その希有の響きによってきわめて「完成度」の高い「録音」を作りあげたことでしょう。
とりわけ、「録音」という行為に関して言えば、それがもっている「価値」をはじめて明らかにした指揮者でした。

言うまでもないことですが、いわゆる「巨匠」と呼ばれた昔の偉大な指揮者達は「録音」という行為に対して基本的には「懐疑的」でした。

音楽とは劇場において演奏されるものであり、その「劇場」という神聖な空間において、演奏者と聴衆が「時と場所」を共有することによってその価値が真に明らかとなるものだったのです。そして、「録音」というものは、その「時と場所」を共有できない人のために用意された「やむを得ない代替措置」にしかすぎなかったのです。

そして、このような考えは今もなくなってはいません。
CDを何枚も買うくらいなら、一度でいいからコンサート会場に足を運んでほしいと語る演奏家は少なくありません。

しかし、カラヤンはその様な「常識」に対して真っ向から挑戦した人でした。
彼は、コンサートは数千人を相手にした営みだが、録音はその向こうに数十万人の聞き手が存在していることを明確に意識していた音楽家でした。そして、「時と場所」を共有している数千人に対する営みと、「時と場所」を共有していない数十万人を相手にした営みとでは、同じ音楽を演奏するという行為であっても、その質は全く異なることも完璧に理解していました。

カラヤンのリハーサルは細部に徹底的にこだわり、そう言う細部が自分のイメージ通りに演奏できるまで執拗に繰り返しました。
オーケストラにしてみれば実にウンザリするような時間だと思うのですが、そのウンザリするような繰り返しが結果として録音の完成度を高め、それがレコードの売り上げに結びつき、結果として自分たちの収入の向上に結びつくという現実を見せつけられれば誰も文句も言えなくなるのです。

カラヤンという男が本当にしたたかだと思うのは、60年代の初めにベートーベンやブラームスの交響曲という本線中の本線でオーケストラの信頼を勝ち取ると、それを梃子としていよいよ自分が理想とするオーケストラの響きを作り始めることです。
61年から63年にかけてそう言う本線の録音を終えると、64年からはチャイコフスキーやムソルグスキー、リムスキー・コルサコフなどのロシア音楽、夏の避暑地でのバッハやヘンデル、モーツァルトなどの録音が増えてくるのです。

特にチャイコフスキーへの集中は明らかで、そこでは、明らかにオケの響きを変えていくための「作業場」と化しているように思えるほどです。
もちろん、その事は「展覧会の絵」や「シェエラザード」でも同様です。

ここでは、すでにドイツの田舎オケだったベルリンフィルの面影は全くありません。あのザラッとした生成りの無骨な響きはフルトヴェングラー時代からのトレードマークだったのですが、その古い響きはカラヤンがオケのシェフに就任してからの10年で完全に過去のものになってしまいました。
ただし、低弦楽器を中心とした分厚めの低域を土台としてバランスよく響きを積み上げていくスタイルは失っていません。

それは、この「弦楽のためのセレナード」でも「くるみ割り人形」の組曲でも同様であり、昨今よく聞かされる薄めの蒸留水のような響きとは異なります。そして、その様なオーケストラの音づくりは最後まで変わることはありませんでした。

その意味では、カラヤンという人の根っこは今という時代から振り返ってみれば「古い世代」に属する音楽家だったのだと気づかされます。
そして、今もなお彼の音楽が聞き続けられる背景には、そのような「古さ」があったからではないかとも思われます。

ただし、例えばバルビローリのセレナードなんかと較べてみると、カラヤンの生真面目さみたいなものも伝わってくる演奏でもあります。
バルビローリは「ミニ・カラヤン」みたいな言われ方をされたのですが、彼の音楽はもっと爛熟しています。そして、そう言う爛熟した音楽をやるにはカラヤンは生真面目すぎたようです。

確かに、弦楽器は徹底的に磨き抜かれていますが、バルビローリみたいなトロトロ感はありませんので、崩れ落ちようとする魅力ではなくて、ひたすら立派さが前面に出てきます。
「くるみ割り人形」での管楽器の上手さと音色の美しさも見事なのですが、それもまたひたすら生真面目で立派です。

ただし、こうして作りあげられた60年代中葉のベルリンフィルの響きは、個人的には頃合いのいいところかなとも思われます。しかし、カラヤンにとってはこれもまた一つの通過点であったことは70年代の録音で明らかになっていくのです。
ただし、あそこまで腰のない響きに変貌してしまうと、さすがに違和感を感じてしまう人が多くなったことは事実です。

しかし、あのドーピングされたような音色でも、低弦楽器の分厚い響きは健在でした。
それだけは、終生変わることはありませんでした。

カラヤンがこの世を去って30年近い時間が経過しました。
80歳を超えての死ですから十分に生きた人だったと思うのですが、それでもピリオド演奏が台頭してくる時代まで、後もう少し長生きをしていたならば、そう言うムーブメントに対してどういう姿勢をとったのかは少しばかり興味があります。
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