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経歴


1824年9月4日、リンツ近郊の小さな村、アンスフェルデンにおいて学校教師兼オルガニストの長男として生まれる。最初の音楽教育はその父から受けたが、幼いブルックナーにもっとも大きな影響を与えたのはザンクト・フロリアン修道院の教会音楽だった。
 13才で父を失った後は、修道院長の好意で聖歌隊の一員に加えられ、オルガン・ヴァイオリン・通奏低音を学ぶ。やがて父と同じように教師になることを目指してリンツで学ぶようになり、モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンの音楽にはじめて接する。

 その後小さな村の助教員の仕事をしながら、1845年にはザンクト・フロリアンの助教師の地位を得る。ここでの10年間は、本職の教師のかたわら音楽も熱心に学び、メンデルスゾーンの音楽にも接する。そして、臨時オルガニストにも任命され、1851年には正式の奏者となって音楽が本職となりはじめる。
 1885年にはリンツ大聖堂のオルガン奏者の地位を得てザンクト・フロリアンを離れる。リンツでの生活はその後13年にわたり、その間ウィーンのゼヒターに和声と対位法を学び音楽院教師の免許状も獲得する。さらに、キッツラーに交響曲や楽器法学び、それをきっかけにワーグナーと出会う。

 このリンツ時代にブルックナーは本格的に作曲活動に取り組みはじめ、63年から64年にかけては「ニ短調交響曲(後にブルックナー自身が0番と名付ける)」や「第1交響曲」、「ヘ短調ミサ」などが生み出される。
 1868年、長らくためらっていたウィーン音楽院の教職を引き受ける決心をしたブルックナーは、ウィーンに移り住みむ。対位法とオルガンの教授を本業としながら和声と対位法の講師も引き受け、その仕事の合間に精力的に作曲活動を行うようになる。

 1871年から76年にかけては第2交響曲から第5交響曲までが次々と生み出されるが、人々の理解を得るには至らなかった。しかし、オルガン奏者としては69年のパリ、71年のロンドン、80年のスイスなどでの演奏を通してその名声はヨーロッパ中に広まった。
 79年からは第6交響曲に取り組み、1881年から83年にかけて第7交響曲を完成させる。この第7交響曲はブルックナーの人生において唯一と言っていいほどの成功をもたらすが、続く第8交響曲が演奏を拒否されると言う大きな打撃を受ける。その後、この交響曲の改訂や旧作の改訂作業に追われる日々が続き、1887年に書き始められた第9交響曲はついに完成することなく1896年10月11日、ウィーンにおいてなくなる。遺骸は遺言によって彼が終生愛したザンクト・フロリアン修道院の大オルガンの下に葬られた。

ユング君の一言


あちこちで、彼のことについては山のようにふれているので、今さら「一言」でもないのですが、違う観点から簡潔にもう一言付け加えておきたいと思います。
 かつて、「彼の音楽はオーストリアとドイツ以外の国ぐにでは、今日に至るまでも力強い賛同者を見いだしていない」と語られたのは20世紀も60年代に入った頃のことでした。事情は、70年代も余り変化はなく、ようやく日の目を見るに至ったのは80年代以降だったのではないでしょうか?そして、90年代以降のブルックナー受容は画期的と言えるほどの広がりと深まりを見せました。

 この変化の原因については色々とあげる事が出きるとは思いますが、その中で最大のものはCDの登場だったと思います。
 最大で74分まで録音が可能なこの媒体はブルックナーにはピッタリでした。LPだと基本的に2枚セットになりますから、レコードの取り替え作業が1回、裏返し作業が2回必要となります。
 せっかく音楽に浸っているときに、この作業は今から考えると無粋の極みです。それがCDになったおかげで、全曲を腰を浮かすことなく聞き通すことが出きるようになりましたし。
 また、何よりもCDのダイナミックレンジの大きさが彼らの作品にはピッタリだったと言えます。
 聞こえるか聞こえないかの原始霧といわれる弦のトレモロから、壮麗な金管のコラールまで、ブルックナーの音楽のダイナミックレンジは広大です。その様な音楽の姿をアナログで再生するにはかなりの投資と経験が必要ですが、CDなら簡単にそれなりのレベルでブルックナーの一端に触れることができました。それに感動した少なくない人々が現実にコンサートに足を運ぶようになり、この驚くような受容の広がりがもたらされたのだと思います。

 そのあまりにも重厚かつ長大な作品群は、いきなりコンサートで接するには敷居が高すぎましたが、CDの登場がその敷居を一気に引き下げたように思うのですがいかがなものでしょうか?
 もちろん、それだけブルックナーの作品が素晴らしかったと言うことがもっとも大切なポイントではありますが。


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