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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2022-03-01:コタロー
- 早いもので、今年も3月を迎えました。あと一か月も経過すれば、桜も満開ですね。
アーベントロートのレコードは私も若いころ数枚持っていましたが、ハイドンの交響曲第88番「V字」(名演!)とモーツァルトの交響曲第33番が良かったと思います。
ご参考になれば幸いです。
- 2022-02-28:Oddie4
- ミッシャ・エルマン、良いですね。50年前にキングレコード廉価版小品集で知りました。アヴェ・マリア、ユーモレスク、ベートヴェン・メヌエットなどヴァイオリンらしい何とも艶めかしい音で聴かせます。同じエルマンのVanguard Classicsから出た1992年CD6枚シリーズも何の迷いもなく、嬉々として購入しました。確かに現在の感覚からすると、古臭く感じはします。が、そこがたまらなく良く感じる時があるのです。ハイフェッツもシゲティーもエルマンも、その時の気分に合わせて聴き分け、快演に喝采したり、鼓舞されたり、慰められたりヴァイオリンは良いなと思ってます。
いつも楽しく拝見し、聴かせて頂いております。感謝です。
- 2022-02-27:コタロー
- エルマンというヴァイオリニストは初めて聴きました。
一聴して、とても良いですね!ロマンチックな気分満載です。それでいて、音楽の「型」が崩れていません。そして、ボールトの伴奏指揮も毅然とした立派なものです。
「古臭い」と感じる人もいる方かもしれませんが、私はこの演奏を断固として支持します!
- 2022-02-26:大津山 茂
- この頃のアシュケナージ、好きです。ソビエト時代にも同曲を「コンスタンティン・イワーノフ指揮:ソビエト国立交響楽団」と録音していましたが、こちらの演奏も好きです。
- 2022-02-25:joshua
- 半世紀近く前、テレビでバイエルン放送響でこれを振るクーベリックを聴き、いっぺんに作品88.交響曲第8番が好きになりました。同じ曲を廉価盤LPで探して出会ったのが、セル=コンセルトヘボウ、そして、擦り切れるほど聞いたその演奏を長年CDで見つけられず、このサイトで30年振りに出会ってから、15年近くになります。思い出も手伝って10点つけました。わたしが開いた時のレイティングは、3.3。そんな、あんまりっす。すごくいい演奏なんですから!!!
- 2022-02-25:コタロー
- 私はシゲティのバッハは素晴らしいと思います。
何だか巨大な山に格闘するような一途な根性を大いに感じます。
元気がない時に聴くと、パワーが充填されるような気分がみなぎってきます。
久しぶりにバッハの曲を聴いて、深い感銘を受けました!
- 2022-02-24:はい、どーん
- いかにも古い、古色蒼然という言葉がぴったりくるもので、モーツァルトがこんな響きを想定したはずはありません。でも聞いているうちに「これしかない」という気持ちになってしまいます。
例えるなら、詩の朗読をNHKのアナウンサーの声で聞くのと、ベテラン俳優の声で聞くのとのちがいとでも言えましょうか。高音のかすれやテンポのぎこちなさまで心地よく聞こえます。楽器と身体がひとつになっているしるしのように思えるからです。こうなると冷静な批評とは言えませんが、…
- 2022-02-23:joshua
- 今回、イムジチの四季を紹介頂いて、改めて55年録音、60年代のミケルッチ独奏版、そして四季の元祖、51年ミュンヒンガー指揮・バルヒェット独奏へと遡りました。ミュンヒンガーはフルヴェンの後継者に見立てられたほどの人物ですが、wikiでの演奏評を見ていると、「何もかもが異常、少しも楽しそうでない、不思議なことにそのためか何度も聞きなおしてしまった」なんて四季は評されていました。どこがどうなんだ?と思い、聴きたくなった訳ですが、腑に落ちました。イタリア風のカンタビレはどこ吹く風、伴奏は律儀にリズムを刻み、克明なヴァイオリン(本サイトにある58年クロツィンガーもそうだが、51年のバルヒェットは精緻の極みで驚愕物)が織り上げていく。ドイツらしさ、ってこんなものかもしれません。イタリア音楽vivaldiをドイツの指揮者がドイツのオケを振ると、こうなるのは面白い現象ですし、ドイツ人が誠実あるいは直情径行なら、それが地で出た演奏です。音楽に国境は無いという人がいます。器楽はその色彩が濃いですが、聴き方によっては国境が見え隠れします。
さて、イムジチが本家本元のイタリアでなしに、北国のバッハを弾いています。ミュンヒンガーの逆のパターンです。これがまた、ミュンヒンガーと好対照です。共通点は、おのれの感じたままに素直に表現していることです。それが、右や左に傾きやすい人には、どうのこうの言いたくなるんでしょう。要するにパーシャルなんです。
イムジチは2回に渡って取り組んだブランデンブルグも聴きましたが、いいですねえ。
そういや間にあるスイスのルツェルンでシュナイダハンが録った四季なんてのも、YUNGさん、アップしてもらってます。楽しんでも(楽しまなくても)聞き手が一定存在する(と確信する)限り表現の自由はありかな、とミッシャ・エルマンも考えたのかもしれません。
- 2022-02-23:はい、どーん
- 重厚なバッハのなかでも比較的気軽に聞けるのがこの三つと、ブランデンブルク協奏曲集だと思います。イムジチの演奏を愛聴しています。
解釈が正しいかどうかは、知りません。誰も音楽に正しさを求めてはいないと思います。イムジチの演奏にはこぼれるような笑いがあり、この曲の解釈としてはこれが正しいと思います。
個人的に気分が重苦しいとき、バッハのコンチェルトを聞いて救われたと思うことが何度かありました。私にとってこの曲は、あくまでも楽しく明るいものでなくてはなりません。アーヨが参加したこの盤が最高です。
- 2022-02-22:コタロー
- バラキレフのこの曲ときたら、もう、第1楽章から、金管楽器は轟き、シンバルはジャンジャン鳴り渡り、いかにもロシアの曲であることを実感させてくれます。
余談ですが、ある音楽雑誌で「ロシア人はシンバルをこよなく愛している」というフレーズを見たことがあります。
確かに、チャイコフスキーの最後の交響曲「悲愴」では、第3楽章の後半に4か所しかシンバルが登場しませんが、目覚ましい効果を発揮していますね。ちなみに、カラヤン指揮で60年代に録音した「悲愴」では、天下のベルリンフィルなのにシンバル奏者が一拍遅れて叩くという大きなミスをしでかしています。あのカラヤンがよくOKを出したと思います。
- 2022-02-22:はい、どーん
- 職場でBGMになぜかドビュッシーがかかっています。昨日はアラベスクの第1番、この一曲だけを九時間聞かされ続けました。
もちろん仕事しながらですからまともに聞いてはいなのだけど、…そもそも同じ曲がずっとくり返されているなと気付いた人もほとんどいないようでした。
私はクリスマスになるとジョン・レノンと山下達郎がきらいになります。一か月前から流し始めますからね。
しかし気付いたのですけど、ドビュッシーはえんえんとくり返されてもストレスになりません。それほど捉えどころのないぼんやりした表現ということかもしれませんが、きらりと光る部分も感じられます。これは仕事中のBGMにぴったりだなあ、と思いました。
同じ意味合いで、無為に聞き流すのにうってつけなのはハイドンです。他の作曲家ではこうはいきません。
- 2022-02-20:コタロー
- ケンペの「シェヘラザード」は、一聴しても何ともオーソドックスな演奏です。
言うなれば、薄化粧の「シェヘラザード」といえるかもしれません。
多くの聴き手からはあっさりとした「無難な演奏」という印象を受けるかもしれません。
しかし、よく聴いてみると、ケンペの演奏は細かく配慮がなされていることがわかります。そのおかげで、ケンペが持つ「品の良さ」がにじみ出ているのです。
それがいい方向に作用していると思います。
- 2022-02-19:ジェネシス
- シルヴェストリは「新世界」を引っ下げてN響に登場しましたね。
で、読響にリーガーが来てブラームス第4の競演になりました。両方ともNHKと日テレで中継していてリーガーは「何時終わるんだ!」という息の長~いフレーズで、あんなブラームスは当時の日本で初めて聴けた演奏じゃなかったかな?(その後に読響に登場するチェリビダッケの露払い?両方ともミュンヘンフィル)。
比較的地味な印象の人を呼んでその巨匠性を引き出すN響、1枚でもレコードを出してる人が来るとテンションが大変貌する読響、このイメージは未だに変わらないなぁ。
私にとってクーベリックはシカゴ時代のモノラルや擬似ステ時代に貧相な再生装置で聴いていた頃が最高です。この英デッカ時代は今一つで、バイエルンに君臨したDG盤はシューマンで終わりました。
- 2022-02-18:コタロー
- 壮年期のルービンシュタインの颯爽とした趣きが大いに感じられる演奏です。オーマンディの伴奏指揮も実に見事です。
さらに録音が80年も前にも拘らず、大変優秀です。
これは拾い物の演奏ですね!
- 2022-02-16:亜麻亭
- CDで聴いた時の印象より表現の幅が大きく感じられ、良かったと思います。
因みに言及しておられるシルヴェストリの新世界ですが、モノ、ステレオのいずれもフランス国立放送管弦楽団ですよね。ウィーンフィルのものもあるのなら、是非聞いてみたいところですが。
- 2022-02-15:枝
- この演奏、駅売りのワゴンセールでCD を手に入れ愛聴してきました。
ゆったりしたテンポで、サウンドもとてもきれいで、好きな演奏です。
オーボエがなんとも魅力的。あと、スケルツオのトリオのホルン、いろんな演奏聴いてますけど、これが最高です。
ケンペ、かなりテンポののび縮みをしていて、細かなところいじってるのに、全体は悠然たる音楽になってる。
たいへんなマエストロですね。
Yung 様の解説、ベートーベンの凄さ、革命的理由がよく理解できました。
ありがとうございます。
- 2022-02-12:エラム
- あまり期待せずに聞き出したのですがどうしてどうして。大名演であります。
そしてあまり上手く言えませんが、実に先進的な空気も感じる演奏だと思いました。聞いていて終始、2022年現在に演奏されても不思議ではない表現だと感じていましたから。
現代まで時代が下ると、かつては「外道」だった表現が「王道」になってきたのでしょうか。
- 2022-02-11:joshua
- どうして、どうして、この第3楽章の入りなんて極上ですよ。スラブ舞曲を
ウィーンの連中が本気で取り組んでますよ。
- 2022-02-08:toshi
- 個人的に良く思うのは、ケンペが東ドイツの人なのにコンサート指揮者としての活動が多くなってからは西側での活動が多くなっていくことに興味があります。
外貨を稼ぐことが出来る音楽家ということで東ドイツ当局から西側での活動を許されていたのでしょうね。
それに、西側で生活した方が自由も多いし。勿論秘密警察のスパイの監視下だったことは容易に想像がつきますが。
反対にスイトナーはどうして東ドイツで活動をつづけたのかな?
これも外貨を稼ぐということで、東ドイツ当局からの要請が強かったようですが、不思議な感じがします。
- 2022-02-07:tks
- いつも楽しまさせていただいています。今回のI Musiciのバッハ、初めて聴いたはずなのですが、何か懐かしく感じました。ステレオ初期のバロック演奏ってこんな感じのが多かったなあ、今では聴けなくなったスタイルだな、と妙な感慨に耽っていました。yungさんも述べておられますが、カラヤンのバロックと似たねっとり感(特に第2楽章!)があります。同時代でもこのサイトで聴けるSchneiderhanのものは随分スッキリしていますから、ねっとりバロックはこの時代の時流に合っていたんでしょうね。
- 2022-02-06:joshua
- たとえば、アメリカの才媛ヒラリー・ハーンでこの曲を聞いてもちっとも楽しめなかったです。一方同じ才媛でも、アッカルドが伴奏したA・S・ムターの演奏は、どちらかというとこのアーヨに近く、バッハのこの手の曲はロマンチックなアプローチが私には合っています。同じドイツ人のR・バルヒェットも近いものがありました。オイストラッフ父子や佐藤陽子の師匠L・コーガンも、うまく言えませんが、野太い音で濃厚に弾いていて傾聴してしまいます。Grumiaux, Szeryngでは、世評よりも前者グリュミオーがいいですねえ。ただし、四季の冬の場合の Wolfgang Schneiderhanのように、またアーヨの後継者ミケルッチの「四季」のように、豹変して現代風にsharp & molto Allegroな場合もあったりします。
今回も針音の向こうからモノラルLPのいい音が聞こえてきました。
F・アーヨもドッペルコンツェルトの相方R・ミケルッチも「四季」の原体験を作ってくれた人たちです。57年ならぬ55年の「四季」が存在するようですが、聴いてみたいものです。この場でリクエストさせていただきます。
如月初旬の寒中空は晴れ渡り、陽の差す窓辺で懐かしく、手元はかじかんでも心温まる音色を味わっています。明日また、日が昇る前から仕事に向かう途上で思い出して懐石としたい演奏です。音楽は歓楽哀感ドラマはあれど、安全地帯であってくれます。
- 2022-02-03:yk
- アンナ・マグダレーナ・バッハにレオンハルト・・・と聞くと、1967年の映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(ジャン=マリー・ストローブ監督)を思い出しますね。妻の目を通して語られるバッハの生涯・・・と言う体裁の映画でしたが、モノクロ―ム画面の禁欲的で静謐な語り口の印象的な映像作品で、レオンハルトが実際バッハ役で出演し演奏も担当していました。
映画とこの「音楽帳」の録音は必ずしも関係は無いようですが、映画にはケーテン候としてアーノンクールも出演しいて、制作年が近いことを見ると当時の古楽器演奏界の雰囲気を伝えているようでもあり興味深い。そのアーノンクールも自分が指揮者を志した切っ掛けを「入院した病院のラジオで聴いたフルトヴェングラーの演奏だった」・・・と回想していましたが、この録音も映画共々(一部の?)”古楽器演奏”が”ピリオド”を名乗り伝統的な演奏を”誤り”として攻撃する手段としてノン・ビブラートを声高に叫んでドグマティックな運動に変容していく直前の良き時代の記録でもあるようです。
- 2022-02-01:りんごちゃん
- 今月グールドのモーツァルトのK394がアップされておりましたので聞いてみましたが、グールドはK330のソナタのみモノラル時代とステレオ時代の2回録音しておりますので、そちらのお話をしたほうが多分書きやすいでしょう
こちらに上がっておりますモノラル録音で、グールドは体当たりであるいはそのセンスの赴くままにモーツァルトを引き出そうと試みているようにわたしには感じられます
言葉を変えますと、この演奏ではこの曲が一つの統一的イメージとして見えていると言うよりは、そのまだはっきりとしないものを手探りで探り当てようとしているように感じられるのです
一方、こちらに上がっていない音源の話となってしまうのですが、新しい方の録音では全体が統一的な一つのイメージとしてとらえられているように見えます
こちらの演奏はその渾然一体となったイメージが極めて鮮やかに描き出されており、古い録音と比較しますと比べ物にならないほど洗練された演奏であるように思えます
この2つの録音の間には、断絶と言ってもいいくらいの劇的な進歩が間違いなく存在しているのです
その一方で、ステレオ録音の全体を通して聞きますと、どの曲を聞いても似たようなものに聞こえてしまうところがあるのです
極端な言い方をいたしますと、グールドはここでモーツァルトを弾いてはいないのです
わたしたちの耳に届くのは進化し洗練されたグールドの音楽の方なのでして、彼は、歌い上げるべきところは歌い上げ盛り上げるべきところは盛り上げ突っ走るべきところは突っ走るといった、優れた演奏となるために必要な要素を彼なりのやり方で磨き上げ、その借り物の衣装をただ着せているだけなのです
その意味で、グールドの演奏はフルトヴェングラーやトスカニーニと大変良く似たところがあるのです
わたしはよく思うのですが、天才の演奏には有無を言わせぬ説得力のようなものがあります
たとえその演奏に全く同意できなかったとしても、その説得力には感服しないではいられないのです
彼らの演奏はそういったものなのでして、彼らの演奏は必ずしも作曲家の方を向いてはいないのですが、その音楽としての到達地点の高さには惹かれてしまうところがあるのです
グールドの場合、例えばベートーヴェンの最後の3つのソナタなどではその有無を言わせぬ説得力の素晴らしさにわたしは惹かれないではいられません
一方モーツァルトでは、K330の古い方の録音ではそれが明確な形で表現されているとは言えず、新しい方の録音ではそれがモーツァルトと関係のないところで築き上げられたグールド音楽自体の洗練であるように聞こえてしまうのです
モーツァルトの音楽はその演奏効果自体の中にその魅力の中心が存在しておりませんので、歌い上げるべきところは歌い上げ盛り上げるべきところは盛り上げ突っ走るべきところは突っ走るといったところがどれだけ巧みにできていたとしても、それは出発点に過ぎません
ステレオ録音のどれでもよいのですが、例えばK333の3楽章などを聞きますと、この楽章で歌い上げるべきところは歌い上げ盛り上げるべきところは盛り上げ突っ走るべきところは突っ走るといったことを、ここまで説得力豊かに成し遂げている演奏はわたしは聞いたことがありません
グールドはそういった条件を満たすのは極めて巧みなのでして、良い演奏となるために必要な条件は彼のモーツァルトでは十二分に満たされているようにわたしには思えます
その一方で、彼の演奏がどこまでいっても変に聞こえるのは、単に常識的モーツァルト像から極端にずれているからというだけでなく、彼の演奏はモノラル時代はまだモーツァルトに体当りしているところがあったかもしれませんが、ステレオ録音の方ではもうモーツァルトの方を向いていないからなのです
モノラル録音のほうがまだ聞けるように感じられるとしても、その理由はそれがまともな演奏だからでは多分ないでしょう
ステレオ録音は洗練されたグールドすなわち借り物の衣装のファッションショーになってしまっておりますので、その見事さに目が行くほどそれを着ているものの魅力は目に映らなくなってゆくのです
わたしの想像では、グールドはその極めて見事な借り物の衣装のモーツァルトへのミスマッチぶりそのものを楽しんでいるようにも思えます
歌い上げるべきところは歌い上げ盛り上げるべきところは盛り上げ突っ走るべきところは突っ走るといったところが極めて洗練され完成された、良い演奏となるために必要な要素を完全に満たしたかのようなものでありながらそれがミスマッチであるというところに、たぶんこの演奏の魅力あるいはグールドの見せたいものがあるのです
ここまで洗練されたモーツァルトでありながら、それを聞いて吹き出さずにはいられないなどというものを見せてくれるのは、後にも先にも彼一人でしょう
このファッションショーはたぶん最初からそういったものなので、そこにモーツァルトを探すことそのものが最初から間違っているようなところがおそらくあるのです
モノラルの方ではその借り物の衣装が未完成なので、その内側で手探りで作曲者と対話しようとするグールドの姿が見えるからこそ、それが変であってもまだいくらかはモーツァルトであるようにも聞こえるのかもしれません
こう書いてはみましたが、やはりグールドを聞くならわたしは新しい方の録音のほうが遥かに素晴らしいと思うんですけどね
ここに上がっていない録音を褒めてどうするのと思わないでもないですが
新旧2つの録音を残してくれたおかげで、こういったことを勝手に妄想しながら聴き比べることができるというのはありがたいことですね
追記:
皆様今年もよろしくお願いいたします
去年わたしが書き込みました文章をざっと読み返してみましたが随分滅茶苦茶やってますね
文章を書くというのは難しいもののようです
ただの素人の雑談に滅茶苦茶もなにもないんですけどね
明らかな誤りも見つかりましたが素人の雑談なのですからそのままで良いでしょう
今月はモーツァルトのセレナードとディヴェルティメントばかり聞いて過ごしておりました
そういうものの感想を素直に書けるようになれればいいんですが
- 2022-01-30:FLAVER
- この演奏は本当にいいですね。わかりやすく聴かせようという邪心は全くなかった、おっしゃるとおりだと思います。しかし、つくられた音楽は、今はほとんど聴けなくなってしまったようなしっとりした奥深い音で、繰り返して聴きたくなるような、ある種の親しみやすささえ感じさせてくれます。これは今までいろいろな演奏を聴いてきて、感じたことのないものでした。まさに飾ることなく、ありのままを聴かせてくれる最高の職人仕事でしょう。峻厳過ぎはしないが、かといって決して平板ではない、聴き疲れしたり、聞き飽きることがありません。私には最も大切なCDの一つです。
- 2022-01-30:コタロー
- ここに聴く「ダッタン人の踊り」は私が子どもの頃、リーダーズ・ダイジェスト社の「家庭名曲集」という組みもののレコードに収録されていたものと記憶しています(ジャケットの絵画が特徴的でした)。
今聴いても胸に迫るものがあります。またホルンがサックスのように聴こえるのも特徴的でした。まさか、このサイトで再会できるとは!まさにうれしいの一言です。
- 2022-01-26:toshi
- ウィーンフィルという団体はある意味やっかいな団体です。
自分達が尊敬できる価値観を持ち合わせない作曲家の曲や指揮者にとってとことん厄介な存在です。
バーンスタインがウィーンフィルでマーラーの交響曲を振り始めた時はオケの中から呪いの声が聞こえたとか、岩城宏之氏がウィーンフィルを振った時、オケの幹部からウィーンフィルを振ったんだからお前の指揮者としての価値(早い話ギャラ)が上がったんだよと上から目線で言われたり。
尊敬できない指揮者にとっては悪魔のようなオケのようです。クーベリックにとっても、地獄のような時間を過ごしたのでは。
指揮通りに演奏せず、オケが勝手に音楽を作るという。
- 2022-01-25:コタロー
- 意外にもワルターがシューマンの作品を取り上げるのは珍しいことです。他にはモノラル録音の交響曲第3番「ライン」ぐらいではないでしょうか。でもこの演奏はなかなかうまくいっていると思います。何よりも音楽の流れが自然体で、変な力みが感じられないのが良いですね。
- 2022-01-24:ワンダーランド
- ブレンデルは、一番好きなピアニストです。
特に、ベートーヴェンのソナタは最高です。繊細なタッチは、外のピアニストでは聴くことができず、何回聴いても感動します。
今回は、協奏曲を紹介して頂きありがとうございます。至福の時間を過ごすことができました。
今後もこのような演奏をよろしくお願いします。
- 2022-01-23:笑枝
- ヘンデル大好き人間です。
モノラルのボイド・ニール、名盤推薦で購入しましたけど、あまり感銘受けませんでした。
A.シュナイダーの演奏、耀かしい。
くっきりとした拍の取り方、ヘンデルの明るさを満喫しました。
紹介・アップ、ありがとうございました。
- 2022-01-22:コタロー
- エルガーについては、圧倒的に「威風堂々第1番」が有名です。しかし、「威風堂々」は全5曲あって、第2番以降は、まさに二番煎じという感じがします。「ファルスタッフ」については「初耳」です。しかし、音楽としては冗長な感じが否めません。むしろ「謎の変奏曲」や「コケイン」序曲などの音楽の方が、私にとっては耳をそばだてる要素があるような気がします。
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[2025-06-29]

ヘンデル:組曲第12番(第2巻) ト短調 HWV 439(Handel:Keyboard Suite No.12 (Set II) in G Minor, HWV 439)
(P)エリック・ハイドシェック:1964年9月18日~21日&30日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 18-21&30, 1964)
[2025-06-27]

ブラームス:ホルン三重奏 変ホ長調, Op.40(Brahms:Horn Trio in E-flat major, Op.40)
(Hr)フランツ・コッホ :(Vn)ワルター・バリリ (P)フランツ・ホレチェック 1952年録音(Franz Koch:(Vn)Walter Barylli (P)Franz Holeschek Recorded on 1952)
[2025-06-25]

バッハ:幻想曲とフーガ ト短調 BWV.542(J.S.Bach:Fantaisie Et Fugue En Sol Mineur, BWV 542)
(organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-06-22]

ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(Ravel:Daphnis And Chole, Suite No.2)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年4月19日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on April 19, 1959)
[2025-06-19]

ヘンデル:組曲第16番(第2巻) ト短調 HWV 452(Handel:Keyboard Suite (Set II) in G Minor, HWV 452)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月30日&10月1日~2日録音
[2025-06-15]

エルガー:ため息 (ソスピーリ), Op.70(Elgar:Sospiri, Op.70)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)
[2025-06-11]

ベートーベン:交響曲第4番 変ロ長調 作品60(Beethoven:Symphony No.4 in Bflat major ,Op.60)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Hamburg Philharmonic Orchestra Recorded on 1959)
[2025-06-08]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音(Alfredo Campoli:(Con)Eduard van Beinum The London Philharmonic Orchestra Recorded on March 3-4, 1953)
[2025-06-04]

エルガー:交響曲第2番変ホ長調Op.63(Elgar:Symphony No.2 in E-flat major, Op.63)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1954年6月日~9日録音(Sir John Barbirolli:Philharmonic Hall Recorded on June 8-9, 1954)
[2025-06-01]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バンベルク交響楽団 1959年録音(Joseph Keilberth:Bamberg Symphony Recorded on 1959)